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20年目のお雛さま

「おかわりしましょうか」
「そうだな」
沢木の前にロックが置かれた。
「マスター、あとどれぐらい残っている」
 鏑木は山崎12年のボトルを手に取った。
「あと少しです」
 沢木は山崎のロックに口をつけた。
「おれがこの街に来て、何年ぐらいになるかな」
 そういいながら、箸袋を開いた紙で小さな折鶴を作っている。
「そうですね。もう20年になりますね」
 沢木がここ海神の常連になって20年。その間、彼は何羽の折鶴を作ったのだろう。ウィスキーをちびちびとなめながら、手近の紙で鶴を折るのが、沢木のクセだ。鶴が多いが他のものを折る時もある。
「おれがここで最初に飲んだ酒はトリスだっただろう」
「そうですね」
 沢木はこのS市の人間ではない。20年前、ふらりとやって来た。駅前で熱帯魚屋をやっている。
「きょうは、確か3月3日だったな」
 鏑木は沢木が始めて海神に来た時のことを憶えている。早春だった。トリスのロックを頼んだ。なにか落魄した男のようだとの印象を持った。ロックを飲みながら折り紙を折っていた。箸袋で小さなお雛さまを折っていた。
「あれから20年か」
 そういいながら、沢木は鶴を2羽折って次にお雛さまを一つ折った。
「沢木さん、去年もここでお雛さまを折ってましたね」
「うん」
「沢木さんのお雛さまはいつも雄雛だけなんですね」
「うん。おかわりくれ」
 2杯立て続けにロックを開けた。山崎12年のビンが空になった。
「もう一杯だけ飲もうかな」
「山崎ですか」
「いや。トリスをくれ。ロックで」
 鏑木がトリスのロックを沢木の前に置いた。
「おれには娘がいた。もう25になっているはずだ」

「あゆみもお雛さま欲しい」
 雛祭りの日、娘はお友だちの家に招かれた。立派な雛人形があった。沢木は夫婦とも両親はいない。孫娘に雛人形をくれるおじいちゃん、おばあちゃんはいない。
 きのう買ったトリスが空いた。このところ酒量が増える一方だ。
「ねえ。お酒ひかえたら。ドクよ」
「うるさい。酒買って来い」
「いやよ。あなたの酒代を節約すれば、あゆみに小さな雛人形ぐらい買ってやれるんじゃないの」
「外で飲んでくる」
 したたかに酔って帰って来ると。あゆみはまだ起きていた。泣いている。
「お雛さま」
「わかった」
 酔眼朦朧としながら、おぼつかない手で、お雛さまの折り紙を折った。一つおるのが精一杯だった。
「お雛さまは二人だよ。おとうちゃん」
「判った判った。あしたもう一つ折ってやるよ」
「約束よ」
 五つの娘の願いを聞きながら酔いつぶれて寝た。翌日目が覚めると、妻は娘を連れて家を出ていた。それから数日後会社が倒産した。会社も家族もなくした沢木は街を出た。

カウベルが鳴った。若い女が入ってきた。
「娘と連絡がついたんだよマスター」
 娘が沢木の隣に座った。
「おかあさんは」
「会いたくないって」
「そうか」
 沢木は折っていた雄雛を娘に渡した。
「約束のお雛さまだよ」  
 
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