広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

盆灯籠の税率は?

2020-07-31 00:02:47 | 秋田のいろいろ
もう8月、(月遅れの)お盆も近い。
秋田(+青森津軽、所によっては山形庄内や岩手でも)のお盆に欠かせないのが「盆灯籠(とうろう)」。
照明の灯籠ではなく、仏事やお盆らしいアイテムをかたどって着色したモナカの皮状のもので、それを盆棚に吊るす風習がある。「下げ物」や「とうろうっこが」転じたのか「トロンコ」などと呼ぶ土地もある。
※お盆専用の「盆棚」を作らず、単に仏壇に飾る家庭も今は多いだろう。宗派などの違いか無着色の白いものもある。山形県庄内では落雁のような素材のものもあるらしい。
2010年以来、何度か取り上げ、毎年シーズンには多くのアクセスをいただいている。

盆灯籠は、もともとは農家の副業として作られていて、後に地元の菓子メーカーが製造するようになったとのこと。
秋田県では地元の大手「たけや製パン」のものが広く流通する。青森県では弘前市の「かさい製菓」のものをよく見かける。そして、その両者は、商品名が「お盆とうろう」、中身も袋のデザインも同一。
たけやでは、秋田の授産施設に製造の一部工程(組み立てなど?)を委託している。
よく分からないものの、たけやとかさいで、製造工程の(全部もしくは)どこかが共通化されていると思われる。

秋田では多くはないものの、青森市の「種金 山野辺商店」もしくは「八甲堂」というメーカーの「お盆供養とうろう」が流通していた。袋も中もたけや・かさいとは別。
ところが、その山野辺さんは2018年で廃業してしまった。
昨2019年は、まったく同じものが、北津軽郡鶴田町の「サトウ商事」の商品として売られたので、権利や型が譲渡されたと考えられる。


さて、2020年も、7月半ばからスーパーで盆灯籠が並んでいる。
今年気になるのはその消費税率。

昨年秋から、酒以外の食品と新聞は軽減税率8%に据え置かれ、それ以外が10%に引き上げられた。
盆灯籠は、食品メーカーが、食べられる原材料で製造するし、お供え菓子など食品と同じ売り場に置くスーパーが多い。
しかし、袋には「食べられません」と注記される。栄養成分も賞味期限も表示されない。
たけや製パンなど各食品メーカーにとって、おそらく唯一の食べられない商品ではないだろうか。
なお、ほんとうに食べてしまう人もいるらしいが、たけやのものは2月とか冬の時点で形としてでき上がっており、密封されずに半年以上経つのだから、食べないのが無難でしょう。

軽減税率は、イートインorテイクアウトとか、ほぼ同じ成分でもサプリメントと薬で税率が違ってしまうなど、おかしな制度。
お盆関連では、お供え用の段重ねの落雁は、ちゃんと食べられる食品扱いだから3%なんだろう。
じゃあ、盆灯籠は?


我が家でも(形式的ながら)必需品だから、買わねばならない。
買った
30日はイオングループで5%引き、7月30日は木曜だから、イオン東北運営のマックスバリュ店舗なら「ごばばばーい」のポイント5倍デーでさらにお得。
今年の秋田市内のマックスバリュでは、たけやのものしか置いていないようで、値段も標準的なので購入。ここ数年は山野辺→サトウだったから、久しぶり。
税抜き表示のレシートは、
お盆灯籠 198
「※」が付いていないから、軽減税率対象外・10%だ。
198円だと、税込み217.8円。今回は10円値引いてもらって、税込み206.8円。

ちなみに、上のハーフベーコンに「会員様割引 5%」の前に「一般割引 5%」とあるのは、これもイオン東北運営マックスバリュ恒例「ハームハムハムソーセージ(略)ごパーオフ」の5%引き。歌詞にはないものの、ベーコンも対象。感謝デーと重複適用され、ポイントも5倍でお得。


買ってきた今年のたけやのお盆とうろうは、袋も中身も、これまでと変化ないようだ。
改めて見ると、たけやは「発売元」とされている。ヤマザキ系列の商品では「製造者」「販売者」表記が普通なので、珍しいけど、やはりたけやは直接製造には関わっていないことになろう。【8月1日追記・記載された電話番号は、フリーダイヤルのお客様相談室ではなく、本社代表電話番号。フリーダイヤル設定前に印刷したのか。】
価格は、今年はイオン以外でも税込み217円で売るスーパーが多い。昨年まではもっとバラついていた気がするけど… 来春撤退するので今年で最後となる、ザ・ガーデン自由が丘西武秋田店では、昨年までは、たけやより山野辺→サトウのほうが安かったが、今年は逆転して217円のたけやが最安。あと、マックスバリュでは、7月中頃当初はもっと高く、後から値下げしたようだ(旧イオンリテール店舗では最初から217円)。
【2021年8月8日追記・翌2021年は、マックスバリュは据え置き217円、総合スーパー・イオンはちょっと値下げして213円。】
【2023年8月14日追記・2022年も2021年と同程度の価格。物価上昇が著しくなって、2023年は260円程度に値上がり。】

【8月8日追記】いただいたコメントによれば、たけやの盆とうろうは、秋田の最中種メーカーが製造しているとのこと。
また、青森の紅屋商事のドラッグストア「メガ」の折込チラシによれば、今年も以前同様、青森県内の店舗ではサトウ商事の、秋田県内の店舗ではたけや製パンの灯籠を棲み分けて販売。価格はどちらも税込み約217円。

【2023年2月8日追記・サトウ商事の製造風景が報道された】
2023年2月7日、NHKが青森放送局が「お盆の時期つり下げて飾る「お盆とうろう」作り本格的に始まる」として、製造風景を報道してくれた。東北地方の話題として、秋田県でも放送。以下、抜粋。
「お盆の時期に、墓の前や仏壇につり下げて飾る、「お盆とうろう」と呼ばれるもなか作りが、青森県鶴田町で7日から本格的に始まりました。」
「「お盆とうろう」は、もち米とコーンスターチを材料にしたもなかで、津軽地方や下北地方では、野菜や果物などの供物の代わりに墓の前や仏壇に飾って、お盆を迎える風習があります。」

「鶴田町にあるサトウ商事は、県内で唯一、「お盆とうろう」をつくっている業者」
「作業は着色した生地を蒸し上げたあと冷蔵庫で冷やして固めてから2センチほどの大きさに切ってチップ状にします。
これを専用の金型に入れて、ゆっくり焼き上げると花や仏像の形をしたもなかができ、2つのもなかを紙のひもでつなげると「お盆とうろう」が完成します。」

「作業は、5月下旬まで続き、20万個から30万個のお盆とうろうを作って、県内をはじめ、一部に同じような風習が残る北海道や秋田県などに出荷する」

大変詳しく伝えてくれ、貴重な製造シーンを見ることができた。
秋田で製造されるとうろうも、福祉施設によって冬のうちから製造されると聞いていたが、それはくっつける作業のようだった。全工程を初めて知ることができた。
青森ではここが唯一と報道された。たけや製パンのものと同一のとうろうを売る、弘前の「かさい製菓」のものは、秋田で作っているとのコメントをいただいていたが、それを裏付ける。(以上追記)


津軽地方では、お盆にお墓に供える折り詰め「法界折」があり、スーパーでも販売される。秋田市内でもまれに販売される。
それも「食べられません」扱いのものもあるので、やはり10%課税なのかな。
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アンダーパスの水位線

2020-07-28 23:55:09 | 秋田のいろいろ
昨日の猿田川の記事アップ後、東北地方で大雨となり、各地で被害が出た。
秋田市でも避難所開設、浸水被害はあったが、人的被害はなく、とりあえず雨はやんだ。

大雨で危険な箇所の1つが、線路や道路の下をくぐるアンダーパス(地下道)の冠水。
冠水を知らずに、もしくは知っていても通り抜けられると思って車が進入し、途中で動けなくなることがある。水深10センチでも車に影響を与える場合もあるし、深くなればドアが水圧で開かなくなって出られなくなる危険もある。

冠水自体を防ぐのは難しいだろうし、ピンポイントなので監視も行き届かないのだろう。冠水していることを、その場で直接運転者に知らせる方策が、各地でされているようだ。
秋田市道では、昔から一部で冠水警報装置が設置されており、2010年頃に更新・増備されている。

最近は、「水位の目安になる線」を引くことが流行っているようだ。入口付近で、この線まで水が来ていたら、中央部で水深どのくらいか分かる。
やり方は2つあるようで、1つは路面にペイントするもの。停止線の道路標示のような感じ。分かりやすそうではあるが、消えやすそう。
多くが採用するのが、壁へのペイント。
秋田県道の外旭川アンパスで実施されたのに、昨年末に気付いた。Googleストリートビューで調べると、もっと前、2015年8月から2017年7月の間に施工されていた。
ストリートビューより
外旭川アンパスでは、水深0.5メートルに黄色、1.0メートルに赤色の線。
目安として、30~160センチまで、10センチ刻みの目盛りもペイントされている。
※もちろんいちばん低い部分における水深なので、上の画像地点では30センチがいちばん下になっている。

全国的にも、赤や黄色の線を引くところが多い。これを見て連想したのが、川の橋の橋脚などに表示される、水位の目安。前回の猿田川の最後でも触れた。
(再掲)秋田市太平川愛宕下橋
下から黄色、赤、白の順。
前回の繰り返しだが、いちばん危険なところが白なのは、違和感。全国的にも多数派ではなさそうだった。
川とアンダーパスで同じ色使いにする必要性はないが、外旭川アンパスのほうが直感的で分かりやすいものの、「まだ黄色だから大丈夫」と突っこんでしまって立ち往生する場合もあり得る。

秋田市道のアンダーパスでも、壁に線が引かれている。
明田(みょうでん)地下道
2017年7月から2019年9月の間に線が引かれていた。
歩道から車道を見下ろすと、1.0メートル位置の黄色い線が目立つ。最深部では歩道と車道が隔てられていて見づらいが、赤っぽい線も引かれている。
水深0.5mの線
ストリートビューで最深部を見ると、
縁石みたいな部分にもう1本、赤い0.2m
すなわち、0.2メートルが赤、0.5メートルがオレンジ(サーモンピンク?)、1.0メートルが黄色。
外旭川アンパスと比べると、0.2メートルがあるのはより注意深い(車が被害を受ける可能性は充分ある)が、水位も色も県と統一されていない。


秋田市道のこのほかのアンダーパスでは、2019年度末に10か所(架道橋なども含むが、市道アンダーパスの全部ではない)で施工されていた。
南中裏と明田富士山の間の楢山大元町地下道

両側の壁に3本の線

保戸野と泉の間の天徳寺地下道
色と水深は明田地下道と同じ。
入札資料では「地下道内縦断変化(底部分で高さが変わるってこと?)」の有無で、中央部(線路などの直下)にもペイントするかどうかが違い、牛島西アンパス、茨島・大住アンパス、末戸松本地下道では、中央部にもペイント。それ以外は、出入り口の斜面部分のみ。

さて、楢山大元町と天徳寺の両地下道(他は未確認)の線がおかしい。ズーム撮影すると分かりやすい。
楢山大元町地下道

線が一直線じゃない!
同じ位置を示すはずの同じ色の線が、構造上いったん途切れる部分でがくんと差がついている箇所もあれば、途中からぐにゃりと角度がついて曲がってしまっている部分もある。
黄色い線が左で下がっている

反対面も
天徳寺地下道でも、おおむね同様だった。
最深部での水位を示している線なのだから、同じ地下道内では一直線でなければおかしい。途中でぐにゃりとなるのは、地球の重力に逆らう力が働いているのか?

大元町や天徳寺は、古いアンダーパスであり、壁の構造や角度が、つぎはぎのように変化している。



そういう環境で、正確な直線を引くのは技術的に難しかったのかもしれないけれど、ぐにゃっと曲がっているのは、みっともない。完工時に、市がチェックするものだろうが、よくぞパスできたと思わずにいられない(渋々OKしたのかな)。
まあ、目安ということで…
いくら苦労して線を引いても、分からない人は分からず、突っこんで水没してしまう事例はなくならないでしょう。無理せずに、慎重に。
コメント (2)
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猿田川カメラ

2020-07-27 23:12:15 | 秋田の地理
先日、旭川を例に秋田県が管理する河川に今年度から設置された「簡易型河川監視カメラ」を紹介した。
今回は、車両基地・秋田車両センターへ新車両を見に行った時、ついでに見た、猿田川の状況。

猿田川も秋田市内を流れる雄物川水系。市南部地域で完結する(とはいえ南部地域の平地をほぼ横断する)、だいぶ小さな川だが、一級河川の支流だから、一級河川。
秋田南インターチェンジ付近が源流で、上北手の田んぼの中から日赤病院裏、横金線と奥羽本線(車両センター付近)をくぐり、仁井田と牛島の境、国道13号をくぐって大住、羽越本線をくぐって卸町、再び国道13号をくぐった所で太平川に合流して終わる。最終的には太平川→旭川→秋田運河(旧雄物川)→秋田港。

途中、羽越本線付近では、「古川」というさらに小さい川が合流する。よく分からないのが、この古川は秋田市管理で一級河川ではない「普通河川」扱いであること。河川法適用外の「法定外河川」なんだそうで、用水路に毛が生えたようなものなんだろうか…
この古川が大雨でよくあふれる。(猿田川もあふれたことはあり、混同する市民もいるようだ。)
河川改修など対策が取られているが、上記の経緯から国、県、市が関わってくるのがややこしい。水位等の情報も提供されているが、一元化されていない。

この機会に他の河川も含めて、水位情報等が分かるサイトへのリンクを掲載しておきます。
・全国の国直轄・知事委託河川(=河川法適用河川のみ?)※秋田県管理河川のカメラ画像掲載なし
国土交通省 川の防災情報

・秋田県管理河川(カメラ画像あり)
秋田県河川砂防情報システム

・古川の水位情報
秋田市役所サイト「ページ番号1022964


さて、猿田川の水位観測所は、車両センター近くの市道「福島橋」左岸・仁井田福島二丁目にある、「仁井田」水位観測所のみ。【28日補足・「危機管理型水位計」というものは、上流に1か所設置されているらしいが、県の説明不足でよく分からない。】
そこに簡易型河川監視カメラがあるのかと思いこんでいたら、違った。
秋田県河川砂防情報システムより
「御茶屋橋」左岸に下流方向を向いて設置されていた。御茶屋橋の水位データなどは出ていないから、カメラだけあるのか?
御茶屋橋は旧羽州街道が通り、福島橋から900メートルほど下流。そのすぐ下流に最初の国道13号の橋もある。

となると…
県のサイトでは、各河川カメラをまとめたページもあるが、各観測所ごとの水位履歴のページでも、カメラが設置されていれば直近の画像は閲覧可能(しかもクリックすると大きな画像になる。平常水位の画像も掲載【8月9日追記・その後、8月上旬に見ると、県の河川サイトのデザインが若干変更されのか、カメラ付き観測所の水位履歴でも、カメラ画像が表示されないページも存在していた(表示されるページも存続)。使い勝手の良いサイトとは言えないので、平常時から見ておいて、サイト構造を把握しておくことをおすすめします。】)。
ところが、猿田川の場合、仁井田観測所のページに画像はないし、御茶屋橋はデータがないという、物足りない状態。

現地へ。
御茶屋橋から猿田川上流方向
御茶屋橋の上流で、川がカーブしている。カーブから直線に変わる辺りの岸辺に、茶色い棒が立っている。
これがカメラだ
【28日補足】カメラの設置位置は、仁井田二ツ屋一丁目となる。
上流方向から


旭川の中島観測所より低く、コンパクトな設備だが、やはり太陽光パネルと廉価そうな筒型カメラから構成。無線送信だそうだから、これだけですべてなのか。カメラのロゴが見えない側だったが、中島観測所と同じ「ビボテック」製だろう。
設置された位置は立ち入りができない。民家っぽいものもあるが、入居しているか分からない長屋風家屋や、町内会館のようなものも建つ。

対岸からだけど、カメラ画像に近いアングル
両岸には民家が密集し、国道の向こうの大住入口のローソンの青い装飾も写るはずだが、まとめて塗りつぶされて公開される。

上のほうの写真に歩行者自転車専用の標識(「自転車歩道通行可」の補助標識だが、不適切では?)が写っている通り、右岸側は御茶屋橋から入って川伝いに歩くことができる。左岸側も、少し上流側から同じようになっている。本来は河川管理用通路だと思われるが、道路標識が立っているのは秋田では珍しいのでは。旭川で人が落ちても「生活道路としての利用は想定しておらず」とコメントしたのも、秋田県なのに。
いい感じの散歩道なのだけど、
「あ、あぶない!」
近くの市立牛島小学校PTA名義の、古びた看板。
「川岸で遊ばない」はいいとして、「土手は通学路ではありません」とのこと。「土手」とは、この川沿いの通路のことでしょう。
どういう運転をするか分からない車が通る、住宅地内の狭い道よりも、猿田川沿いの道のほうが、むしろ(交通)事故が少なく安全ではないでしょうかね。やはり「生活道路としての利用は想定しておらず」で、万一、(川の)事故があった場合をおそれているのか。
【2023年7月16日コメントいただき追記・川岸の道は、かつては未舗装・柵なしで、転落事故も起きていたとのこと。そんな状況では通学路にはならなくて無理もない。PTAの看板は40年以上前からあったとのこと。】

さかのぼると、しばらくほぼ一直線で、南部市民サービスセンター「なんぴあ」別館(旧・南部公民館の位置)や牛島小の、いずれも裏手など過ぎる。
対岸のアンテナは河川管理とは無関係?

やがて、新しい家が多くなって、やや開けた雰囲気になると福島橋。
福島橋上流側。対岸に観測所
そのたもとに、仁井田水位観測所がある。
仁井田水位観測所
中島観測所とよく似た造りで、白い箱型建物とアンテナが付いた柱からなる。その柱を見ると、
カメラだ
上流方向を向いた、廉価そうなカメラ。
筒が短く中島や御茶屋橋のものとは別製品のようだし、ソーラーパネルも見当たらない。
「AXIS」ロゴが逆さ
キヤノンと資本関係がある、スウェーデン「アクシス・コミュニケーションズ」のカメラ。
ロゴが逆さということは、それが表示された本来ひさしであるべき部品を、底にしてしまっている。逆光とか雪が積もった時、大丈夫?
2019年9月のGoogleストリートビューでは、このカメラ設置済み。2015年8月はまだなく、中島観測所にも以前あった、2つのタケコプター風装置が取り付けられていたものの、クズか何かのつるがからまっていて、データの信頼性は低そうな状態。

福島橋から上流方向。舗装された管理用通路は途切れる
御茶屋橋と比べると、川幅は若干広くてキャパシティはありそう。ここの画像を公開するよりも、御茶屋橋のほうが危機感は出るかもしれない。
でも、どうしてここの画像を公開しないのだろう。仮にこのカメラでは技術的に無理で、ソーラーパネル設置、カメラ交換が必要だとしても、御茶屋橋に柱から新設するよりは安く上がるはず。何より、水位といっしょに情報提供できるのに。

上の写真で、手前の護岸の斜面に、黄色・赤・白の線が見える。
橋脚でよく見られる、氾濫や避難の目安になる水位の線が、ここではこういう形で記されていた。
橋を渡った下流側に、説明看板があった。橋の架替えなどの影響で、位置関係がおかしくなったのかもしれない。
県名義の「洪水情報の見方」
ほかでは見たことがないかも。なかなか親切?
ただ、低いほうから、黄色、赤、白と、いちばん危険なはん濫危険水位が白なのは、どうなんだろう。太平川の愛宕下橋の橋脚も同じ色分けだった。
(再掲)愛宕下橋の橋脚
全国的には黄色、オレンジ、赤とか青、黄、赤など、いちばん上を赤にしているところが多いようだけど、秋田県独特なのか。

そして「注意:この水位は目安であり、実際には市の広報等により行動してください。」とは、秋田市に責任転嫁しているような…
上記の通り県のホームページで水位情報を誰でもリアルタイムで知ることができ、「自助共助」が求められる時代。そんなに古そうでもないけれど、時代遅れの看板になったようだ。
【28日追記】でも、このような看板で、川の近くの人たちに、川に関する情報を日頃から提供することは必要だ。観測所が何をしているのか知らない人が多いはずだから。河川情報のURLやQRコードを掲載するなど時代に合った看板を、他の河川にも設置してほしい。
コメント (6)
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元都営ロング 秋田市街で活躍

2020-07-26 20:59:03 | 秋田のいろいろ
秋田中央交通の秋田市内を走る路線バスの中古車の話。記事は2018年末が最後【27日リンクミス修正】だったが、その後、2020年春までに断続的に導入された。
小田急中古はあまり入らなくなり、2019年夏に大型車・エルガが何台か入ったのが最後。中型は来なくなった。
その代わり、首都圏や関西の複数事業者から来るようになり、2020年初めにはワンステップまたはノンステップの日野といすゞの中型車が5台強(?)導入されたのが最後。
新型コロナウイルス感染症流行で、取り引きや輸送もままならないのか、最近は動きはなさそう。秋田200かナンバーはそろそろ15-00到達か。


話が少し戻るが、中型バスの幅はそのまま、車体長を大型バス並みに延長した、「中型ロング」のバスも導入された。今のところ4台で、いずれもノンステップの日野レインボーHR。
秋田市内では、秋田市交通局(秋田市営バス)から譲渡された、日産ディーゼルのワンステップの中型ロングはあったが、2011年頃までに廃車済み。※秋田市交通局の中型ロング車は、1993年製で、全国的にかなり最初期に製造されたものだった。関連記事。また、羽後交通・急行本荘線には、近年西武中古の中型ロングが入ることがある。
中央交通としては久々の中型ロングであった。日野製、ノンステップとしては初。

4台のうち、2019年6月頃来た14-13と2019年8月頃の14-28は、いずれも東武の中古で、臨海営業所配置。大型バスと共通の運用に入り、新屋、割山、新国道方面を走っている。
14-13。この車は前方がロングシート
14-13には乗る機会がなく、14-28には何度も乗っているが、車内がとても長く感じる。収容力もけっこうある感じだし、走行音も静か。客としては、当たるとうれしい車。なお、降車合図ボタンを押した時の音は、昔の玄関チャイムみたいなシンプルなピンポン。


残り2台は、2017年4月頃の12-50、2019年7月頃の14-23。いずれも東京都交通局(都営バス)の中古。
運用が特殊で、秋田市中心部は走らず、国道13号で回送を何度か見るだけだった。それが今、
竿燈大通り・二丁目橋付近

二丁目橋交差点。上は土手長町歩道橋
秋田駅前を含む秋田市街地で、日常的に営業運行している。
この2台は、秋田営業所(大川反車庫)に所属するものの、同営業所の他の車両とは、運用が分離されていた。秋田市郊外の国際教養大学周辺(イオンモール、四ツ小屋駅前等)で完結する路線の専属であった。

ところが、新型コロナウイルス感染症対策で、教養大は4月からの春学期(「前期」と言わないのは国際対応か)をすべてオンライン授業にし、学生寮などを閉鎖。
客が見こめなくなった、教養大線も「5月1日から当面の間」全便運休となってしまった。(イオン~四ツ小屋駅とかの客はいなくはないでしょうけど…)

ヒマになった車両の有効活用として、秋田営業所の別路線に入れられ、市街地を走るようになったようだ。車内設備は一般的なワンマンバス仕様だから、問題なさそう。
これまで、教養大の正月休みの時など、イオンモール直行無料シャトルバスに入って、秋田駅東口へ来たことはあったそうだが、一般路線としては初めてか。

臨海営業所と違って、現在の秋田営業所は一般路線車(教養大限定以外)の大型バスはとても少ない。小田急中古のいすゞエルガ、977と10-04の2台だけ。
車庫から赤沼線(県庁市役所または長崎屋バスターミナル、秋田駅西口、大学病院経由)で秋田駅東口へ出て、広面御所野線(日赤病院経由イオンモール方面)に入って、逆ルートで帰る運用をしているようだ。※赤沼線、広面御所野線は中型車も多い。大型が入るダイヤは、ある程度固定されている感じがする。
日曜などのイオンモール無料シャトルも担当(臨海営業所と1台ずつ分担)。

この中型ロング2台も、赤沼線、広面御所野線で目撃している。
エルガ2台と共通ではなく、さらに別立ての専用運用かもしれない。4連休直前の平日では、東口12時45分→大学病院12時56分→西口13時08分→長崎屋→車庫の便は、2台どちらかが高頻度で充当されていた模様。


上であっさりと都営バス中古としていたが、その出自も特徴的。
かつては中央交通にも都営中古は何台か来ていたが、2005年に石原都知事の環境対策を理由とした独断により、地方事業者への中古譲渡を原則中止(突然で困惑した地方事業者が多かったとか)。後に、排出ガス規制対応車から譲渡が再開されている。
中央交通としては五城目営業所に数年前までいた車が廃車になって、都営中古車はいったん消滅していたはず【27日補足・それ以前には秋田市内にも都営中古車が配置されていた】。この2台が、久々の都営中古に当たる。
2台とも、座席の布地は都営バス(交通局全体のではないのか)のマスコット「みんくる」柄のまま。

12-50は2002年度製(2003年初め導入)。前乗りの都心部だけでなく、中乗りの青梅地区を走っていた経歴があるため、車外スピーカーが2つあるのが特徴とのこと。(中乗りの中央交通では、前乗りの中古を買っても、スピーカーはそのままなのですが…)
14-23は2003年度導入で、側面窓のほとんどが固定式に変わった。正面のナンバープレートには縁取りがあるようだ。
1423の側面。大型と同じ長さなのに、長く見えてしまう
中央交通転属時の塗装も変更された。全体に塗装が下に下がり、フロントガラスの下に黒い部分ができて、ガラスの左右で段がついているのが目立たなくなった。ヘッドライト間に白い線が入り、「ノンステップバス」位置が上がった。全体に引き締まっていて、このほうがいいと思う。けど、気まぐれで元に戻ったりするのでしょうね…

日野レインボーでは、2017年春に来た12-54も、これと同様のデザインだったが、その後の転入車は元に戻っていた。
(再掲)当初は秋田営業所所属、後に臨海営業所へ転属した

東武中古と比べると、車椅子マークの色が薄めで水色っぽいのは、都営時代そのままだからか。
元東武14-13は、出口入口の表示に、マークと英字が表示されているが、元都営の2台はマークなしで英字あり。この点も、塗装した業者の違いか、中央交通ではよくある。

非常口が前寄りなのはレインボーHR初期型の特徴

前は日産ディーゼルのワンステップ。車高がかなり違うもんだ
後部は都営出身2台で差なし?
車外に広告がまったくないのは、中央交通の大型車では普通かな。運用路線が限られるから、広告効果が限られるとの判断だろうか。
山並みを背に手形陸橋を渡る都営中古中型ロング
現時点での国際教養大学としては、9月7日からの秋学期は、一部で対面授業を再開したい考え。どの程度学生が戻ってくるか次第だが、運行が再開される可能性がある(そうなってしかるべき)。それまでしばしの秋田市街地での活躍。
【8月3日追記】国際教養大学線は、8月24日から運行が再開されることになった。
【9月6日追記】と思っていたら、8月3日に秋田県知事が感染拡大地域との県をまたぐ移動への注意喚起を行ったのを受け、大学は8月5日に秋学期もすべてオンライン授業とすることに方針転換していた。その後、中央交通ホームページの運転再開の告知もいつの間にか元に戻されて(運行再開を削除)、「当面の間」運休に戻ってしまった
【追記】9月15日時点では、上記と同じ東口12時45分発長崎屋車庫で運用されていた。
12月11日に、2021年1月9日からの国際教養大学線の運行再開が告知された。イオンモール秋田、秋田空港(限られた日のみ)は存続し、四ツ小屋駅発着は廃止。代わりに和田駅発着の系統が再び設定された。以前は正面の駅北側だったが、今度は裏の南側に「和田駅前」を設置。
だいぶ迷走しているのと、教養大以外の利用者は想定していないような対応が気になる。それだったら、路線バスとしては撤退して、大学が運行主体となる(有料でもいいから)シャトルバスに変えたほうがいいのではないでしょうか。
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鏡にさらに追加/動く歩道の表示

2020-07-24 23:58:41 | 秋田の季節・風景
前回取り上げたばかりの、秋田駅自由通路天井耐震補強工事ですが。
前回、その前回に取り上げたカーブミラーの人のシルエットが、もっと多いと思っていたら2枚の鏡にしか描かれていなかったとの訂正をした。
今週中頃の時点では、たしかにそうだったのだが、24日に通ると…
今まで描かれていなかった鏡にも
おそらく西側・東側ともすべてのミラーに、シルエットが描かれていた。
シルエットの人の前が、メイン通路方向を向くよう、左右向きそれぞれのバージョンがある。
それだけでなく、新たなシルエットも登場して、2種類になった(ほぼ1つ置きに配置?)。
(再掲)前からあったデザイン(右向き版)
ただびっくりしているだけだった。
新たなデザイン(左向き版)
今度のはスマホを持ってびっくりしている。
歩きスマホしている人は鏡は見ていないだろうから、歩きスマホしている人が飛び出てこないか鏡で確認しろということか。


この機会に2期最初の記事後半の続きも。
2期工区の西隣にある、動く歩道(ここでは三菱トラベーター)。
そこに、「注意事項」と第する、今となっては(設置当時の20数年前でも)キツく冷たい注意書きがあった。
(再掲)
この動く歩道は両方向がくっついて並んでいて、左側通行。その中央に並ぶ照明の柱に、注意書きが設置されている。その位置を確認。
西側から東方向
東向きにはこの1枚だけ。動く歩道に乗り口手前の柱に設置されている。乗る前に見るべき注意事項だが、手前すぎる感じもする。

反対側。
東から西へ
こちらは、乗り口の直後。こっちはもう少し手前でもいいかも。さらに、乗った状態で通過する、その次の柱にも設置されている。
そのまま進んで、西で降りると、
逆光で恐縮です
降りた先、最初の柱にも!
つまり、西から乗る時に見た注意事項の裏側に背中合わせで設置されている。

東から行く人は、3回も注意事項を見せられる。しかも降りてからも。
4枚作ったものの、内容をあまり考えずに、適当に取り付けたような、やっつけ仕事的なものを感じる。


最後に、今気付いたのだけど、乗り口にある車椅子インターホンの横の縦長の金属の柱みたいなのに注目。
逆走側の「通れません」はいいとして、乗り口側は「↑上り専用」「↓下り専用」。
つまり、東進側を「上り」、西進側を「下り」と表記している。
たしかに、この動く歩道には階段数段分の高低差があって、その上り下りと一致してはいる。前々回触れたように、今回の工事の仮壁では動く歩道でなく「エスカレーター」と表示していた。
でも、設置管理者である秋田市では「動く歩道(トラベーター)」と表記することが多いし、実際の製品としてもトラベーターらしい。一般的には動く歩道は高低差がないから、上り下りで示すものではない。

個人的には上り下りは違和感があるが、そもそもそんな表示見ない人がほとんどだろうし、じゃあどう表示すればいいのかもよく分からない。
要は「進入禁止(逆方向)」かそうでないかを知らせる目的なのだろうけど。

工事の続きはこの記事中ほど。
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穴から竿燈/蕗廃止

2020-07-22 23:49:59 | 秋田の季節・風景
以前の続き、秋田駅周辺から2題。
まず、先日の駅自由通路天井耐震補強工事
最初に、前回、曲がり角の鏡に人のシルエットが描かれたのが、設置された鏡の半分ほどとしたのは間違いでした。正しくは、西側・待合室付近の2枚だけでした。
2枚とも通路南側を、東に向かって進む方向で、なぜ、その2枚だけなのかは分からない。もっと人の往来が激しい箇所もあるのに。【この直後に変化があった。下の続きの記事参照。】

前回、1期工事が済んだ場所にある、置き竿燈は、2期工事が始まってもそのままだとした。
(再掲)現在の2期工区東側
改めて、竿燈の下のほうを見ると、
角度を変えて

穴から竿燈!
仮壁に小さく四角い穴を開けて、竿とひもを出していた。
作業時にひっかけてしまったのか、壁紙が少しはがれている。

照明があって、その柱に竿とひもを結びつけて固定しているのだが、そのまま仮壁で覆ったようだ。
(再掲)1期工事完了後・2期着工前

続きはこちら



もう1つ。自由通路を西側へ進んで、アーケード・大屋根下と買物広場バス停(バス待機場所)の間の斜面。
左隅は地下駐輪場下り口、その左がフォンテ・セブン-イレブン
過去に何度か紹介した、ここにあったものがなくなっている。

(再掲)2016年春
【23日追記・関係ないが、斜面右側、タイル張りの部分にある石のベンチ(オブジェ?)の位置が、以前よりわずかな距離だけ斜面際に移動している。イベントブースが置かれることもある場所だから、ジャマだったのか。】

もともとは現状と同じ姿だったが、2015年頃、一角が花壇風にされて、秋田蕗(アキタブキ)が植えられた。
アクリル板とむしろで囲われるなど、大事にされていたように見える一方、秋田蕗にしては小さかったし、少雨と暑さでチリチリに枯れてしまった時もあった。
6月中旬撮影。土が露出し、小さなフキがぽつぽつと残るが

1か月後の現在。草が侵略し土が隠れ、フキは減った
冬にはすべて刈り取られて土がむき出しになっていたこともあったが、現在は仕切りも撤去され、以前と同じように周りの草と同化してしまっている。
秋田蕗植栽をやめたことになろう。

ぽつぽつとフキの小さな葉が残っているということは、土は入れ替えずに根が残っているわけで、今後、ど根性で復活する可能性はあるものの、これまでの生育状況では難しそう。
旅行客も多く通る場所で、秋田ならではのものを見てもらおうという趣向はとてもいいと思うが、うまく育たなくてやめたのだろうか。ここがなくなると、市街地でホンモノの秋田蕗を見られる場所はないと思う。
昔、自由通路ができる前は、駅前交番の西(西口バス乗り場の向かい)辺りに秋田蕗が植えられていて、それは立派に茂っていたように記憶している。土など環境が違ったのか…
例えば、大きな鉢植えを本場・仁井田で栽培してもらって、各所に運んで展示するなんていうのはいかがでしょうか(弘前市はリンゴでそれをやっている)【23日追記・でもこんな大きな“草”の鉢植えだと、折れたり倒れたりしやすそうで、リンゴより扱いにくいかも】。
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レア標識2枚発見

2020-07-21 23:39:32 | 秋田の季節・風景
昨2019年、秋田市内で“伝説の道路標識”もしくは“幻の道路標識”を発見した
全国で1000本ほどしかなく、うち140本は東京都内にあるという、規制標識の1つ。

「徐行」標識である。
昨年見つけたものは、2017年に登場した「SLOW」の英字併記の新しいタイプ。
手形山の狭い道に、道路管理者である秋田市が1枚だけ、2017年(あるいは2017年度)に設置したものであった。
厳密には、徐行区間の長さが分かるよう、補助標識なども設置しなければならないが、なかった。全国的にあいまいにされることが多いようだ。

その後、秋田県庁正庁舎【2021年4月11日訂正】本庁舎正面にも「徐行」があるのに気付いた。以前は旧タイプで、2017年夏から2018年夏の間にSLOW入りに更新された(設置年シールなし)が、公道ではないから参考まで。


秋田の公道上で、手形山のほかに徐行標識ってあるのだろうか、ないかもしれないと漠然と思っていた。先週、車両基地へ新型気動車を見に行った時のこと…
秋田市牛島、牛島小学校前の「牛島学園通り」から、交わる住宅街の道路を見通すと、
「徐行」じゃありません?
よく見ると、
奥(写真左下)にも「徐行」!
SLOWなしで、色あせた古い「徐行」が2つもあった!!

近くへ行ってみた。
大通りから60メートルほどの酒屋さんの角に1枚。
裏が見えている三角の標識は、交わる道向けの「止まれ」
【22日補足・酒店前の止まれは、丁字路突き当りの正面に設置された形。交わる道から来ると、真正面に止まれが見える。さらに停止線よりだいぶ手前右側の電柱にも設置されている。柱の設置位置の都合で珍しい設置法になったと思われるが、道路の規模にしては厳重。でも標識は古い。】
そこから製菓工場を過ぎて90メートルの曲がり角、民家の前に1枚。写真撮影がはばかられるほど、民家の玄関の真ん前。酒屋の前のものより退色が激しい。

どちらの徐行にも、補助標識はなく、裏面の管理用や設置年のシールもなし。
反対方向や交わる道など、確認した限りでは、このほかには「徐行」はなかった。
したがって、公安委員会(秋田県警)、道路管理者(秋田市)のどちらが設置したのかは分からない。でも「止まれ」と設置方法や色あせ具合が同じだから、県警っぽい雰囲気がする。
どこにでもありそうな生活道路のたたずまい
ここでも、徐行区間の定義があいまいにされてしまっているから、徐行しなければならない理由が分からない。
道路の環境を見てみる。
この通りには、何本かの細い道が交わっているが、行き止まりが多い。葉脈のような配置。いずれも交わる道側に「止まれ」が設置。
※「徐行」標識は、優先道路と交わる道であることを示す(設置された側が非優先)意図でも設置されるが、その場合は「前方優先道路」の補助標識が必須だし、ここでは交わる道側が「止まれ」なのだから、その意味で設置されているのではないことになる。

そして、2枚目の徐行から100メートル強直進すると、猿田川に突き当たる。
したがって、この道路を抜け道として使う車は、少なそう。※川より手前にある、行き止まりでない道へ曲がれば、橋を渡るなど抜けることは可能。

道幅は広くはないが、極端に狭いとか極端に交通量が多いというほどではない。小学校の近くではあるが、多くの児童が通る主要通学路ではないと思う。1本隣を並行する道も、この道と同じような環境なのに徐行ではない。やはり、この道の一部だけ、片方向だけに設置される理由が見当たらない。

強いて挙げれば、この道の一部が、1982年頃に秋田市が定めたジョギングコースになっている。
牛島小学校のほうから来て、2枚の徐行の間でこの道に出て、大通りへ出るコース。
逆方向。電柱の裏向きが「徐行」、突き当りが学園通り
酒店前の「徐行」の少し大通り寄り(写真や走者の視点では先)に「500m」地点の薄れた表示板がある。民家の敷地から生えている。
ジョギングコース中では比較的通行量が多い道なので、大通りから入ってくる車への注意喚起のために徐行規制をしたのかとも思うが、だったら大通りに入ってすぐの所にも(そして逆向きにも)設置するべきだろう。本来はあったのかもしれないけど。
結局、分からない。


ところで、「徐行」とはどのくらいの速度で通ればいいのか。
道路交通法では「車両等が直ちに停止することができるような速度で進行すること」とされている。1978年の警察庁課長の国会発言では「時速4、5キロぐらい」と例示したとのこと。
この道路の状態からして、標識がなければそこまで減速する車はいないだろう。標識があっても同じかも…

最近、全国的に「ゾーン30」が増えている。
秋田県警でもそうだが、秋田市内では、路面標示と小さな標識を設置しただけの、“お手軽ゾーン30”がほとんどのように思えてならない。
実は、この道路と並行する道は、ゾーン30に指定されていた。そちらのほうが牛島小学校に近いので、牛島小周辺がゾーン30に指定され、この道はギリギリ範囲外なのだろう。
でも、ゾーン30なら時速30キロ出せる。こっちの道(の一部区間、片方向のみ)のほうが、いっそう減速して通行しなければならないことになる。

ほかにも、住宅地などどこかに、幻の標識「徐行」がひっそりとたたずんでいるのかもしれない。→以前から存在を知っていて忘れていた「徐行」があった
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鏡に追加/East i@秋田駅

2020-07-20 23:42:05 | 秋田の季節・風景
秋田駅から2題。
6月末の続きで、秋田駅自由通路の天井耐震補強工事。
現在実施中の2期工区のうち、中央改札口より西側が先行していた。先々週辺りから、東側でも始まった。
中央改札口前から東方向
中央改札口正面は1期で工事済みなので、その両側に仮設の柱と天井ができたことになる。
1期エリアの常設竿燈【続きの記事参照】やなまはげ類はそのまま置かれる模様。

囲いの中は西側と変わらないが、東側は店舗がなく、通行人もやや少ないので、余裕がある。

前回、仮の柱に鏡が設置されていることを取り上げた。柱の陰から出てきた人どうしが、出会い頭にぶつからないためのカーブミラー。東側でも設置された。
そして、おそらく先週後半だと思うが、西側の鏡の一部に変化があった(東側でも実施)
西側の柱と鏡
鏡の隅に、びっくりしている人のシルエットが描かれた。基準がよく分からないが全部でなく、半数くらいの鏡で実施。【22日訂正】人が描かれたのは、西側の隣り合う2枚だけのようだ。工事現場内へ出入りする戸をはさんだ2か所だが、人の行き来が特別に多い場所でもなく、なぜここだけなのか分からない。鏡そのものは東側にも設置された。

鏡だけだとその目的が分からない人もいるから、これがあれば鏡の効果は上がるだろう。それでも、分からない人は分からないだろうし、そもそも鏡など眼中にない人もいるでしょうけれど…

天井工事2期の続きはこちら。 鏡のシルエットの続きはこちら



金曜の昼、たまたま東口にいたら…
秋田新幹線ホームに!
「East i(イーストアイ)」こと、E926形「電気・軌道総合試験車」が12番線に入っていた。
線路や架線に異常がないか、走行しながら検査する車両。東海道山陽新幹線の「ドクターイエロー」のJR東日本版。
JR東日本ならではの事情として、山形と秋田のミニ新幹線区間の検査も行うので、ミニ新幹線対応の車両なのが特徴。初代秋田新幹線の車両であったE3系をベースにしている。
Weロードから
2010年8月に秋田駅に来た時取り上げ、その後2013年に上野駅で遭遇、その後もどこかで一瞬見た気もするけれど、それ以来。
フル規格新幹線区間は頻繁に走行するが、在来線扱いのミニ新幹線区間では年に4回だけ検査を行うそうで、偶然見られたのはラッキー。

ところで、「こまち」からE3系がなくなった後も、廃車や改造されなかった2編成は秋田所属のまま「やまびこ」「なすの」用として使われ、時々検査で秋田まで来ていた。それも、2019年春に仙台に転属しているので、今はもう秋田へE3系は来ていないと思われる。
E3系の面影がある(シルエットは同じ)East iを秋田で見ると懐かしい。

山形新幹線のE3系は、後継E8系が2024年に登場予定。このEast iも、E3系グループの中ではいちばん古くなっているから、いずれ代替されるのか。


それにしても、新幹線ホームがある秋田駅東口側の南方向の線路際には、いろいろな建物ができた。悪いことではないが、線路が遠くなってしまった。明確に立ち入り禁止はされていない部分も多いが、常識的にのこのこ入るべきではないし、複雑な形状のフェンス越しの撮影は難しいので、あきらめた。
駐車場とフェンスと草越し
ホームの停止位置は、E3系とE6系で異なる。以前、こまちからE3系が撤退しても、East i(と検査を受けに来る残ったE3系)のために停止位置標識は残すかなと予想した。
今回は突然の遭遇で頭が回らなかった。写真を見ると、おそらくE6系よりやや先(車止め寄り)で停まっている。

次の次に来る時には「ザ・ガーデン」の看板は「ナイス」に替わっている?
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五能線等の新車両到着

2020-07-18 20:10:02 | 秋田のいろいろ
JR東日本がキハ40系気動車(ディーゼルカー)の後継として、新潟地区と秋田地区に導入することになった、新型車両GV-E400系。
新潟では昨年夏~今春で導入完了。※昨年乗車した記事

ついに秋田向け第1弾が完成し、18日昼に秋田に到着した。
GV-E400系について、簡単にまとめておくと、
・ディーゼルエンジンで発電して作った電気でモーターを回して走る「電気式気動車」。
※ハイブリッド式(=バッテリーも搭載される)ではないし、男鹿線の蓄電池式電車(=ディーゼルエンジンはない)とも違う。
・導入線区は、奥羽本線、五能線、津軽線とアナウンスされているが、主な運用区間は五能線と津軽線・蟹田-三厩間。
奥羽本線は秋田-東能代と弘前-青森で各1往復だけ、津軽線でも青森-蟹田では1往復だけになると思われる。これは車両の回送を兼ねて営業運転しているため。

GV-E400系は、公募調達方式により川崎重工業が全車両を製造。神戸の工場から秋田まで、貨物列車扱いの「甲種輸送」でほぼ一昼夜かけて到着。
甲種輸送は、愛好家向けの雑誌で車種やダイヤが公表されることが多いが、今回は掲載されなかったという。それでも、神戸や沿線の皆様のネットへの投稿により、こちらへ向かっていることは余裕を持って把握することができた。秋田側では、従来の甲種輸送のダイヤが若干変更されて、早く着いたとか。

18日午後、所属車両基地となる秋田車両センター(旧・南秋田運転所。一ツ森公園と金照寺山の間の奥羽本線)を覗きに行った。
城南中学校下の道のオーバーパスから見渡すと、南寄り・西側の検修庫(?)の外の線路にいた。ディーゼル機関車DE10 1759がこちら向きに連結されているし、そもそも奥まってよく見えない場所。

あきらめて仁井田福島をうろうろしていると、ディーゼル機関車の汽笛が聞こえた。急いで戻ると、
動いてる!
DE10がオーバーパス下付近までひっぱってきて停止。今度は逆方向に押して、検修庫の中へ押しこんだ。
DE10 1759・GV-E401-17(片運転台・トイレあり)・GV-E402-17(片運転台・トイレなし)・GV-E400-9(両運転台・トイレあり)
の順。初回はGV-E400系の各形式を1両ずつ導入ということか。
窓が1つ開いている

フロントガラスのグレーの縁取りは輸送時の養生

新潟のGV-E400系では、黒くてカクカクした先頭形状とともに、グラデーションのドットを並べた正面・側面の帯が斬新だった。
(再掲)新潟のGV-E400系
秋田向けでは、五能線だから青系統かなと予想していたら、とりあえず色は当たった。
でも、ドットでなく、普通の帯のグラデーション。やや太め?
下が紺色・上が白に近く、色の変換幅が大きいグラデーションで、総合的には水色ってところか。キハ40系の濃い青からは、若干イメージが変わる。

また、正面はよく見られなかったが、黒い地色部分にもグラデーションがつながっているようにも感じる。その分、側面とは若干ズレる?
新潟向け同様、向かって右・運転席フロントガラスの下に、小さめに「GV-E400」と書かれる。新潟では黒部分だったが、秋田ではグラデーションの薄い部分に重なっているので、分かりづらい。

暑かったけど、一瞬でも見られて良かった。

この3両は週明けにかけて、メーカー立ち会いで整備や試運転をして、正式にJR東日本に引き渡され、以降、乗務員などの訓練をして、営業運転に入る(秋? 冬?)ことだろう。そして、次々と新しい車が納品される。
導入区間は、秋田から三厩まで長距離かつまばらなダイヤ。特に車両基地の秋田へ行き来するダイヤは1つだけ。順次新車を増備しつつ、キハ40系と並行して使っていくのは、ダイヤ編成(新旧車両運用のやり繰り)で苦労するかも。※キハ40系とGV-E400系を連結していっしょに動かすことはできない。

来年度以降、列車本数は変わらないのか、性能上は可能と思われる時間短縮がされるのかも注目。
あと、男鹿線ではEV-E801系の増備もある。男鹿線では4両編成でのワンマン運転(中編成ワンマン)もやるとか。
そしてJR東日本では秋田が最後のとりでとなってしまったキハ40系気動車(リゾート列車改造車を除く)も、終焉を迎える。

【8月23日追記】8月23日に河北新報サイトに「五能線などへ新型電気式気動車を導入 JR秋田支社」が掲載。魁などは未報道。
「12月中にも運行を始める」「外装に日本海の水平線をイメージした青と白のラインを入れたほか、車内の座席の仕切りや天井は、世界遺産・白神山地のブナの木目を基調とした。」「計23両を導入する。」。

【9月6日追記】9月4日に、秋田車両センターで報道公開され、各社が伝えた。上記河北新報で伝えた点と相違なし。河北新報はどういう経緯でフライングできたのだろう。
車内は、色以外は新潟地区のものと変わりなさそう。
片側の2人ボックス席も変わらず、「秋田支社では初の1人掛け対面シート」とか「通路が広くなった」と伝えられた。
座席の色は、(水色でなく)青系の柄入り(他路線で見覚えのあるような柄)。

車体の帯色も座席の色も青で統一されている。五能線らしく「海の色」かなと予想はついていたが、報道公開で説明を受けているはずの各マスコミの伝え方が微妙に異なるのがおもしろい、というか、何社かはいい加減に書いているのではないかと疑いたくもなる。
秋田魁新報は「車体に「日本海と青空」をイメージした青のグラデーションのライン」「車内の座席は日本海をイメージした青色で統一」。
魁以外でも同様の伝え方が複数社あったが、NHK秋田放送局は、
「車体には、日本海と青い空をイメージした鮮やかな青のライン」
「車内のシートは、青森県深浦町の、五能線沿線にある十二湖を表現した青色で統一されている」
と、車内外でモチーフが違い、十二湖も出てくる。
NHKでは前日の予告で「奥羽線などを走る新型車両」と五能線の名を出さず、誤解されそうな伝え方で、最近の他のニュースも踏まえると心配だったが、今回は丁寧で詳細だったと思う。

新潟地区では、ピンク色=朱鷺色だった天井の中央部とドアと座席の仕切り板(袖仕切り)は、秋田では「白神山地のブナをイメージした木目調(これは各社大差なし)」。
テレビなど遠目に見ると、ただのベージュ色のように見えるが、薄めに木目模様が入っているようだ。

東能代駅での試運転の様子
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消えた枯れ木と柳

2020-07-16 23:55:26 | 秋田の季節・風景
秋田市中心部を流れる旭川。
上流側から一丁目橋。水位は平常

アレがなくなった!
2018年5月に、一丁目橋右岸・大町側の橋の下に、大きな枯れ木があるのに気付いた。
(再掲)2018年5月
流木が引っかかったのではなく、橋のたもとの岸(護岸の上)に生えていたキリの木が枯れ、川の中へ向かって倒れたようだった。その時点では、木の根本は岸にくっついていた。

その後、何度かの増水にも耐え、一丁目橋の工事もあった。
工事と前後して、根本部分が岸から離れて流木状態になって、岸辺に置かれた状態になっていた。
(再掲)2019年3月
2019年中の増水でも流されることはなく、若干位置と向きを変えた程度で、一丁目橋の下に留まっていた。

2020年6月時点でもそのままだったのを確認。おそらく7月初めでも。
先週、警報が出る大雨になって、旭川は増水した(避難レベルではない)。なくなったのに気付いたのは、その後。

増水時についに流されたのかと、川沿いの土手長町通りを少々下ってみたが、見当たらなかった。もっと下流、秋田運河や秋田港まで流れたのか… とすれば船舶はご注意。
あるいは増水と関係なく、その前後の時期に、重い腰を上げて撤去作業が行われたのだろうか。
下流側から
2年間以上にわたって放置されていたものがなくなり、やっとすっきりした。

なお、今年5月に五丁目橋付近に流れ着いた枝が葉を茂らせていた(2代目)が、それも現在は枝ごとなくなっている。



川沿いの県道28号・土手長町通りの歩道には、シダレヤナギが街路樹として植えられ、独特の景観。
そのうち、三丁目橋~四丁目橋の区間では、2016年にほとんどの柳が伐採されていた。
(再掲)2016年
その後、現在は、
四丁目橋から上流・三丁目橋方向
相変わらずどころか、2016年の写真で手前に写っている細めの柳も、さらになくなってしまっている。
下流・五丁目橋方向
下流方向も空き気味。

秋田県としては再度植えるつもりがないということだろうか。景観維持よりもコストなどで植えられない事情があるのかもしれない。だとすれば、土部分を埋めて歩道空間を広げたほうが、道路として適切ではないだろうか。その費用もないのか。
県庁所在地中心部の大通りがこれでは、味気なく寂しい。
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“告ぐ”

2020-07-15 20:20:48 | 秋田のいろいろ
秋田市内の街角で、時々こんなものを見かける。

30センチ×24.5センチほどの白い板に、縦書きで「“告ぐ”/この集積所から/   の    /を堅く   」「秋田市/秋田警察署/秋田臨港警察署」。

穴埋め問題みたいになっていて、意味不明なのは、とりあえず置いておいて。
書体は前回扱ったばかりの写研「石井太丸ゴシック体」。末尾の小さい3者連名は「~細丸~」?
市内のとあるゴミ集積場。ここは側面にある
文中に「集積所」とある通り、これが見られるのは、秋田市内各所のごみ集積所=ごみ置き場(※)。
※全国的には「ゴミステーション」と呼称する土地もある。秋田市では一般的ではないと思うが、秋田市役所ホームページでは「ごみの収集・集積所(ごみステーション)」と表記。まあ、通じないことはないでしょうね。

現在の秋田市には、秋田中央、秋田臨港、秋田東の3警察署がある。この表示板のような秋田と秋田臨港の2署体制だったのは2005年まで。
つまり、古い表示板で、その一部が色あせて残っているのがこれ。

確認できる限りで現存するものは、どれも穴埋め問題状態。
2013年に、当時としても珍しく穴埋めになっていない表示板を発見し、撮影していた。
薄れかけてはいるが、完全版
「“告ぐ”/この集積所から/ビン類のもち去り/を堅く禁ずる」

やはり赤印字は太陽光には弱いというか、黒こそ強いというか。県立明徳館高等学校駐車場の不思議な赤文字掲示がこうなったら、もっと謎になる。

つまりこの表示は、秋田市が回収して資源化するために、市民が出した空き瓶を、換金目当ての第三者が持っていくなという、警告。
この表示板のことは2013年の記事やコメント欄で、触れている。
秋田市(当時は雄和河辺合併前)では、1980年5月に一部地域で空き瓶の回収、1981年5月から全域で空き瓶と空き缶の回収を始めている。当初は「資源ごみ」の呼称で、瓶は若草色、缶はレンガ色のプラスチック容器(前日までに集積所に置かれる)に入れる方式。
1999年4月からは缶は箱でなく、ごみ袋で出す方式に変更。ほかにも、古紙や缶以外の金属なども回収するようになり、呼称が「資源化物」に変わるなど変遷があるが、空き瓶は今も若草色の箱で回収している。
(再掲)やけに大量に置かれた瓶回収箱

表示板がいつ作られたか。回収開始直後1980年代始めではなく、少し経ってからだと記憶していた。小学校中学年くらい=1980年代中頃辺り。
当時の僕の家は、集積所の真ん前だったから、ある日突然、これが出現したのを覚えている。堅苦しくて厳しい表現にビビったのと、「告ぐ」を「こくぐ」と読んでしまったり、どうして「“告ぐ”」と変なチョンチョン(ダブルクォーテーション)で囲っているのか不思議だったり、「堅く」が読めなかったりした。

今回、秋田県立図書館のサイトで、秋田魁新報の見出しを「集積所」で検索すると、1986(昭和61)年1月31日付夕刊に「持ち去らないで/回収箱に警告を掲示/「福祉妨害」と怒り」があった。これだ。
となると3年生の終わり頃。当時は「告」は4年生で習う漢字だったようだけど(2020年指導要領からは5年生に変更)。


大人になって見ても「“告ぐ”」はちょっとヘン。チョンチョンの意味が不明だし、ごみ置き場に「告ぐ」とあれば、ごみを出す善良な秋田市民が警告されているようにも感じてしまう。江戸時代の高札場の御触書のような威圧感かも。※実際の御触書は「定」というタイトルが多かったようだ。
現在、あるいは我々世代の感覚では、上から目線で過剰に厳しい言い回しだと思うが、昭和61年当時でも、広く一般人の目に触れる場所の掲示としては、時代遅れの内容だったのではないか。当時の秋田市職員には戦前生まれの人もいたわけで、そんな感覚が入った文面の気がする。あと、この用例の「堅く」は、普通は「固く」だ(固辞、断固のように)。「持ち去り」でなく「もち去り」としたのも独特。

それと、1986年当時でも、缶飲料は多かった(ペットボトルが少なかったので、今以上に多かったはず)のに、「缶のもち去りを禁ずる」は作らなかったのか。
また、1986年といえば、ナールが道路標識の標準書体に採用された時期。「告ぐ」にはナールではふさわしくないと判断したのか、まだナールには及び腰だったのか、石井太丸ゴシック体を採用したのだろうが、文面に比べて柔らかすぎる。角ゴシック体で良かったかも。


現在、この表示板は写真のように、ごみ集積所の構造物そのものの壁など、もしくは周りにある柱などに取り付けられている。固定されている。
しかし、当初は、緑色の箱側に取り付けられていた。上の魁の見出しが「回収箱に警告を掲示」なのがそれを示している。すべての集積所に箱とともにやって来て、箱・瓶とともに去るのを繰り返していた。
当時は瓶飲料が今より多く使われていたから、各集積所に箱が複数個置かれるのが普通だったが、おそらく各集積所につき1つの箱にだけ付けられていた。
昔のごみ集積所は、場所だけで、覆いなどない所も多かったから、その方式にするしかなかったのかもしれない。

その後、何らかのタイミング(警察署再編の2005年よりは前??)で、箱への設置をやめて、余剰になった表示板を各集積所に配ったのではないだろうか。新興住宅地のごみ置き場にあるかどうかを調べれば、ある程度時期が特定できるかも。
また、旧・雄和町、河辺町の合併も2005年。合併以前から、両町のごみ処理は秋田市が引き受けていたかと思うが、資源ごみはどうだったのだろう。この表示板の雄和町・河辺町版もあったりするかも??


近年、秋田市ではごみ集積所(の箱や覆い)を交換・新規設置する町内会に補助をしており、特に折りたたみ式のもの(秋田市内のメーカー製)を設置する町内が多い。
上から2枚目の写真のような折りたたみでない集積所なら、更新前の集積所から表示板を引き継いで設置する例もたまにあるが、折りたたみ式では(構造上固定できないので)困難。
2013年に見た赤文字が残る表示板があった集積所は、こういうもの↓
2013年撮影
木製で立派なものだったが、場所を取るためか、現在は折りたたみ式に交換されてしまい、表示板は見当たらない。


集積所リニューアルの際、町内の集積所を整理統合することもある。設置場所の問題、清掃当番の周期、高齢化・人口減など理由はいろいろありそう。
とある町内では、捨てるのも忍びないのか、
2枚重ねて置かれていた。手前の表示板は割れている
その手前の表示板をちょっと失礼して、
初公開! “告ぐ”の裏側!!
金属の外枠があって、上辺に飛び出した細い棒(表からも見える)、さらに見えない位置にも細い縦棒が2本。
なるほど。これら細い棒は、緑の箱に取り付けていた当時の名残だ。
縦の2本の棒で箱の縁に引っ掛け、その付け外しの時に指を引っ掛けるのが上の棒だと思われる。
そう言えば、表示板面はプラスチックの割には、上のひび割れぐらいで、金属枠から脱落したり、欠損したりしたものは見たことがないので、耐久性は悪くなさそうだ。


設置当時は、持ち去っても“窃盗罪になる場合がある”程度で、明確に禁止されていなかったらしいから、警告の掲示を出したのだろう。
秋田市では2014年に「秋田市ごみ集積所の設置および維持管理に関する要綱」を施行していて、持ち出し・持ち去りの禁止と、悪質なものは警察へ通報することを定めている。
もし、今、この手の表示を作ったら、「注意」とか「持ち去りは犯罪です」にして、ですます調で、持ち去りは禁止され通報する場合があることを明記した文面になるだろう(他都市の事例あり)。
あるいは資源化物持ち去りよりも、可燃ごみ等も含めた、分別不徹底や他町内住民が捨てていくことのほうが問題で、その注意のほうが必要とされるかもしれない。※2枚目写真の集積所では、正面にその旨の掲示が付いている。

文字が薄れ、警察署名も違ってしまい、そして瓶飲料も激減し、おそらく瓶を盗もうとする者も減った今、この表示板も消えていく運命。

秋田市のごみ集積所に関する記事は続く
コメント (6)
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ローソンATMと石井丸ゴシック

2020-07-14 00:26:58 | 文字・書体
以前からたまに出てくるように、活字の書体、フォントにも興味がある。最近、昔の写植機時代の文字をいろいろ調べていたら、さらにおもしろくなってきた。
そこで、“素人の横好き”ですが、実際の文字やネットの情報を参考にした「文字」カテゴリーを新設します。後で過去の記事も、カテゴリー変更して組み入れるかもしれません。
なお、厳密には「書体」と「(デジタル)フォント」の言葉の意味は違うようですが、当ブログではほぼ同義として扱います。誤解や間違いもあるでしょうから、ご承知おきください。


文字による印刷物を作るのに、昔は、金属製の1文字ずつのハンコみたいな活字を手で拾って原稿を作っていた。宮沢賢治「銀河鉄道の夜」の冒頭で、ジョバンニがその活字拾いのアルバイトをするシーンがあり、アニメ映画版で見たのを覚えている。

その後に現れたのが「写真植字機(写植)」。文字の元があって、それを1文字ずつ写真撮影して印刷物にするようなもの。同じ文字が何度出てきても活字が不足することはないし、レンズをズームして文字サイズも変えられる。昭和初め頃に日本で実用化され、普及した。
後にコンピューター(ワークステーション)でレイアウトなども行える「電算写植」ができて、新聞作成にも採用。昔の秋田魁新報のテレビCMで写っていた、白黒反転した新聞紙面がそれだろう。
しかし、1990年代にはパソコンを使ったDTPが登場し、2000年代以降普及して、引き換えに写植は衰退した。

写植機を開発し、最大手メーカーだったのが「写研」。そこから独立した二番手メーカーが「モリサワ」。
モリサワは、DTP化の波に上手く乗って、写植書体をパソコンフォント化するなど写研を抜き、今も印刷に欠かせない大手。パソコンで使えるから、素人でも製品を購入できるようになった。

一方、写研はパソコン対応をかたくなに拒み続けてきた。【14日補足・機械と文字を抱き合わせでセットで扱うことしか認めず、文字だけを切り離して共通規格(=デジタルフォント)化することを拒んでいるということになる。】
写研の写植文字には、今も細々ながら一定の需要はあり、会社は存続しているという。【14日補足・写植機にISDN回線がつながっていて、使用量(文字数?)に応じて料金を徴収するシステムだそうで、今もある程度の収入はあるのでしょう。】
2011年には写研が、写植書体をパソコン向けにしたフォントを発売準備中という話が出た(見本市で発表)そうだが、それっきり【ところが2021年に! すぐ下のリンク参照】。
ワンマン経営だったという話もあった、創業者の娘の社長は、2018年に92歳で亡くなった。

今なお、デザイン・印刷関係者(そして一部の素人)からは、写研書体をパソコンで使えるようにしてほしいという声も根強いが、一方で、各社の多様なフォントが流通するようになり、業界でも写植を知らない世代も増える中、今さら発売しても…ではないだろうか。※ところが2021年に

※電算写植では、デジタルフォント化した書体を扱う機種もあったそうで、「写研書体のデジタル化」は既に行われているようだ。それを「パソコンで使える製品」としては販売されていないということになる。
また、平成初期に当時の通商産業省系団体が主導して作った「平成書体」シリーズのうち、「平成丸ゴシック体」は写研が開発していて、現在、パソコンで使える唯一の写研書体ということになる。写植用書体ではないし、写研自身が発売しているわけではないが。なお、アドビにユーザー登録して「Adobe Creative Cloud」を利用(要インストール)する等、平成書体は無料~低料金で使うことが可能。


2020年現在、いちばん多く目にする写研書体は丸ゴシック体「ナール」だろう。かつては印刷物やテレビの字幕等、あらゆる場所で目にしたが、今の活躍場所は道路の案内標識。
以前触れたように、1986年の法改正でナールが採用された。ただし、法令で指定しているわけではなく、国や各自治体の指針で決まっている程度らしい。
例えば、今春開通した、国道7号のバイパス「下浜道路」内の標識もナール。今でも写植機がどこかにあって、その文字を標識にしていることになる。手間になるかもしれないし、費用(=税金)もかかり増しになっていないのだろうか。
高速道路では、パソコンフォントに変わったように、そろそろ見直してもいいのではないだろうか。


ここから本題。
ナールは1972年に作られたそうだけど、僕がナールを意識するようになったのは、1980年代中頃(道路標識採用より少し前)。テレビの字幕などでは、その頃から多用されるようになったかもしれない。
それより以前に、テレビの字幕でよく見て気になっていた書体があって、それも写研書体であることを、わりと最近知った。
改めて見回せば、今でも、多少はその文字を見ることができる。

1978年に日本アニメーションが制作し、NHKが放送した「未来少年コナン」というテレビアニメがある。宮崎駿、高畑勲らが手がけ、名作との声も多い。後にCSや民放でも放送され、僕は2000年代に初めて見た。なかなかおもしろい。
2012年にデジタルリマスターされ、現在は新型コロナウイルスで他番組製作が滞った埋め合わせとして、日曜深夜にNHKで再放送中。
エンディング。リマスターできれいだけど、画面サイズは横長にされた
未来少年コナンのオープニングとエンディングでも、キャスト・スタッフクレジットと歌詞として、その書体が使われている。
歌も名曲
なお、主題歌の曲名は、ナール(道路標識よりも太い?)。オープニング冒頭の原作の表示は、角ゴシック体。

僕がこの文字を意識したのは、このようなアニメのクレジットで。
1970年代の例えば「天才バカボン」などでは手書きだったが、その後で、この書体がよく使われ、1980年代にはナールにシフトしていった流れだと思う。
※後年の再放送やソフトでは、オープニング・エンディングを本編と違う時期のものに差し替えたり、字幕を入れ直しているものがある。
同じ日本アニメーションのフジテレビ世界名作劇場「家族ロビンソン漂流記 ふしぎな島のフローネ」でも、未来少年コナンとまったく同一の使い方(曲名、原作の使い分けも)。

テレビ朝日・シンエイ動画 「ドラえもん」も、たぶん1984年まではこの書体で、エンディングが「ぼくたち地球人」に変わった時にナールに変更された。
同じくテレ朝・シンエイで1983年から放送された「パーマン」も、少なくとも歌詞はこの書体で、そこでこの書体を意識させられた。「とおくでよんでる」の「と」。1画目が2画目に突き抜けているのに引きつけられた。
手書きや他の書体でもなくはないが多くはない、突き抜けた「と」。
あと、全体に柔らかくほわーっとしたような雰囲気も、他の書体(という概念を当時は知らなかったが)と違うと感じた。
当時を知る人はなんとなくご記憶かもしれないし、僕はとても懐かしさを覚える書体。

中学校の美術では明朝体と(角)ゴシック体だけで、こんな文字は習わず。ナールは、資料集に参考例としてちょっとだけ出ていた。
その後、ワープロ専用機の書体として、「丸ゴシック体」が搭載されるようになり、そういう書体群があることを知った。
この書体やそしてナールも、丸ゴシック体のくくりに含まれそうだなと思ったものの、当時はメーカーで書体が違うことなど知らなかったので、まだいまいちよく分からなかった。
2000年前後にパソコンフォントを知るようになっても、写研なのだからあるわけがなかった。

そして2010年前後、
(再掲)2018年の秋田県種苗交換会テレビCMより
一瞬、あの書体かと思ってしまうフォントを、広告などでちらほら見かけるようになった。似ているが複数のフォントがある。
ただ、細部はあの書体とは違い、独特の丸っこさがない。そもそも「と」が突き抜けていない。
上の画像はフォントワークス製「筑紫A丸ゴシック」。ほかに大日本印刷(モリサワ等が販売)「秀英丸ゴシック」も似た雰囲気。仮名だけだとモリサワ「丸アンチック」も。

その後、写植に詳しい方のサイトなどを拝見して、やっと、その書体名を知ることになる。
「石井太丸ゴシック体」か「石井中丸ゴシック体」。1958年と1956年に発表された書体。「石井」は写研創業者。
「石井細丸ゴシック体」も存在するが、「と」が突き抜けない。

「丸ゴシック体」という書体名は戦前から存在したがいったん途切れており、戦後に改めて広まった丸ゴシック体の源流が、この石井丸ゴシックということだそう。
でも、繰り返しだけど、後年の各種丸ゴシック体とは違う、柔らかさ。クセが強くなく、線はあっさりしている。
各文字内でパーツが中央に寄って(ふところが狭いと呼ぶそうだ)、ひらがなは「う」「く」など、カーブや折れが浅い。この点では視認性が劣るかも(ナールが勝る)。
ほかには「た」「な」の縦棒が反るようにカーブしていたり【15日追記・下画像の「れ」の縦も】、「ど」の濁点が下寄りで2画目の内側に収まっていたりが特徴的。
未来少年コナンオープニングで「ど」が出る
書体の名前は分かったが、今はもう(容易には)使えないとは寂しい。
ナールが今も出力できるのならば、「文字盤」と呼ぶらしい写植機にセットする各書体の原盤があれば、石井丸ゴも今も出力できるはず。でも、新しいものは見たことがない(書籍のポスターなど、近年の使用例もなくはないそうだ)。

ただ、昔はよく使われていただけに、再放送のテレビ番組のように、昔出力されたのが今も残るっている使用例なら、けっこう見かける。
また、大量に作り置きして、何年も使い続けるような表示板類では、写植衰退後に設置されたと思われる場所でも、たまに使われている。
押しボタン式信号機のボタン箱近くの「信号が青になってから~」表示板や「おまちください」ランプとか、古めの路線バス車内の「お降りの方はこのボタンを~」「危険ですからステップに立たないで~」プレートとか。※土地やメーカーにより違う。

1997年にできた、現・秋田駅舎。
自由通路の東口側と駅前交番付近、それに改札内通路と各ホームのエレベーターのボタンの横にある「ご注意」の金属板。
ここに石井丸ゴ
エレベーターの外にあるのに、非常ボタンの説明をしているのは、親切なんだろうか。
当時としても、このような注意書きを設置したエレベーターは少なかったと思うが、公共性の高い場所ということで、設置したのだろうか。下には点字もある。【15日補足・エレベーターメーカーが設置したのかどうか分からないが、秋田駅のエレベーターは三菱電機製だった。参考まで。】
2000年に延長された自由通路西端のエレベーターにはなく、近年、エレベーター周りがリニューアルされた改札内の一部でも撤去された。

国鉄~JRの鉄道車内の「非常用ドアコック」の説明パネル。車両によっては手書きだったり、モリサワの写植丸ゴシック体のものもあるが、
JR東日本新潟支社のキハ110-214(1993年製)は、
石井丸ゴ(太か中かは判断できません)
ちなみに、秋田支社の男鹿線用キハ40 575(1980年製だが、後年の改造時等に設置された可能性あり)は、
ナール。「係員の指示が~」の2行がない


最後に、最近知ってびっくりしたもの。
「ご利用明細」
ローソンに設置されている「ローソン銀行」のATMを、先月、考えてみれば初めて使った。
裏面「ご案内」
出てきた利用明細票をよく見て目を疑った。石井丸ゴでは?!

今は、白い用紙をセットして、発行時に項目名や罫線もまとめて印字するATMが多いが、これは昔ながらの線や項目をあらかじめ印刷する方式の明細票だった。裏面には注意事項など「ご案内」も印刷される。地方銀行では今も一般的だが、コンビニATMでは珍しいのでは?
ピンク印字の表面も、グレー印字の裏面も、すべて石井丸ゴ。タイトルが太丸、項目名や本文が中丸かな?
書体以前に、表にも裏にも「ローソン銀行」とどこにも表記されないのは、ATM明細として珍しいと思う。これじゃあ、問い合わせる時に困りそう。

ローソン銀行は2018年、準備段階でも2016年発足という新しい企業だが、銀行名表記がないということは、それ以前から存在した用紙の可能性がある。
ローソンに独自ATMが置かれたのは2001年だそうだし、あるいは同じ機種のATMを使う、他の銀行と共通の用紙なのかもしれない。写植による原稿としては相当以前に作成され、版を重ねて今も残っているのかもしれない。残る時は残るもんだ。

変える必要性は高くはないと思うが、印刷の色と相まって、この書体では少々見づらい気もする。
それ以前に、別のローソン銀行ATMでは、真っ白い紙方式(裏面案内なし)だったから、ATM自体が交換されるほうが先かも。
ネット銀行・コンビニATMという21世紀に広まったものに、写研書体・石井丸ゴという20世紀で役割をほぼ終えたものが共存しているのだった。
【15日追記】パソコン用フォントとして、他社から石井丸ゴシック体に似た製品が相次いで発売されていることは、こういう古典的な(?)丸ゴシック体も必要とされているということだ。実際、昔のような掲示・表示類ではほぼ見ないので用途は狭まっているものの、出版物や広告ではよく使われ、需要は維持されている。

秋田市内でたまに見かける石井丸ゴについて、さらに別の写研書体について、いずれまた

【19日追記】フジテレビ「ひらけ!ポンキッキ」の歌の映像(アニメ)に表示される歌詞でも、1970年代後半には石井太丸ゴシック体が、大きめのサイズで使われていた。
1975年「およげたいやきくん」、1976年「パタパタママ」と「ホネホネロック」、1978年「まる・さんかく・しかく」と「パップラドンカルメ」では使われている。
なお、「~たいやきくん」のカップリング曲(B面だが実質両A面扱い)の「いっぽんでもニンジン」の(ここ数十年で見たことがある)映像は、アニメが鮮明なので後年に作られたのか、書体も小さめのナール。
コメント (7)
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割山町の謎バス停

2020-07-11 23:49:35 | 秋田市営バス
秋田市営バスに何タイプかあった、ほかに同種のものがない“1点モノ”バス停の続き。※前回は県立体育館前のソーラー照明付

秋田駅西口を出て勝平地区へ向かうバスは、県庁前または大町を通り、川尻の若葉町交差点で国道7号(臨海バイパス)を越え、新川橋で秋田運河を渡って、勝平地区へ入る。最初のバス停が「豊町」で、そこで3方向に分かれる。
東から船場町経由川尻割山線、新屋西線、商業高校グラウンド前経由川尻割山線で、それぞれ別の位置に豊町が分散している。
商業経由は1978年に秋田商業高校が移転したのより後で運行が始まったはず。新屋西線が通る新屋朝日町の道路は30年ほど前に新しく開通した。
したがって、船場町経由がいちばん古いバスのルート。新屋西線もかつては船場町経由だった(朝日町経由になったのは、県庁経由は1992年4月から、本数が少ない臨海経由は2019年秋から)。

その船場町経由のルートは、豊町、割山町、船場町とバス停が続く。1点モノがあるのは「割山町」。勝平と同義の広域なエリア名としての割山でなく、町名としての「新屋割山町」が由来。
上り側バス停。大型バスが行き交うには狭い道
割山町は上り側と下り側がやや離れた位置にある。上り側は民家の軒先みたいな所にあり、ポール自体も雨風から守られている。


ベンチというか縁台のようなものも置かれる

どうでしょう。このバス停のポール。少なくとも秋田ではここにしかないはず。
円形の表示板は、一般的なダルマ型のものと同じだが、その支柱は金属パイプで枠のような形になって、上部は半円状にカーブし、裾は絞られて1つにまとまって台座にささっている。時刻表枠は金属板2枚(片面にしかはめられないようになっている)。台座が台形なのも秋田では珍しい。
他の各種バス停と比べて、幅は広め。県立体育館前のと同じか若干広そう(時刻表の紙のサイズは同じなので、目安になります)。
全国的にある「すずらん型」と呼ばれるバス停に似ているが、各地で多いものは、時刻表枠は白い樹脂製であるなど、もうちょっと軽そうな雰囲気がある。
このような製品も存在する(した)のか、あるいは円形表示板にジャストサイズなことからすれば特注品か。
枠は都会的でスタイリッシュだけど、表示板が昔ながら&見慣れたものなので、アンバランスな印象を受ける。

表示板 ※点々は雨粒の水滴です。
支柱には、真上と左右の計3か所で固定。左右は、黄色と赤の境目とぴったり重なっているから、やはり特注かも。
表示板は、3色、ナール書体、ローマ字入りと、秋田市交通局(秋田市営バス)が2000年前後頃に設置・更新していた仕様。それが中央交通へ移管(ここは2002年春)されて、今に至る。

実は移管直後・2002年4月にも撮影していた(どうせなら市営バスだった3月中だと良かったですが…)。
上の写真と同じ面

ひさしはカラフルで、自販機と奥には公衆電話がある
バス停がある場所は、かつてはお店だった。「たんけんぼくのまち」でチョーさんが住み込むおじさん・おばさんの店みたいな、食料雑貨店のような。
当時は軒より外に出されており、ベンチは別の場所だったのか写真には写っていない。


ここで、下り側バス停も見ておく。上り側から見て秋田駅寄り、自動車教習所の向かいにある。
左手前が下り。奥の白い車付近が上り
風で倒れてしまったのを見かねたのか、自動車整備屋さんの看板の柱に、ダルマ型バス停(の支柱)がくくりつけられている。でも、表示板が道路に対して平行向きになってしまって、見落とされそう。
下り側は、ごく一般的なダルマ型。表示板は、
市営バス設置のナール。表面に細かい傷がたくさんある
表示板は上りと下りで同じ。かと思いきや違う。
ローマ字。上りは「WARIYAMA CHO」、下りは「WARIYAMA MACHI」。

秋田市役所のサイトには、新屋割山町の読みは「アラヤワリヤママチ」とされている。
実際とバス停表記とで「ちょう」か「まち」が違ってしまう例は、市営バス時代も中央交通移管後もたまにある。上りと下りは、別々に製作されたのだろう。
そう言えば、船場町経由の経路上で、ナールの表示板なのはここだけ【13日補足・商業経由と再び合流する「勝平二丁目」は片側がナール】。ほかのバス停は、移管直後に中央交通が交換したJTCウインRフォントやシール貼りが多いから、市営バス時代は手書き表示板(か後述の二面体)だったのだろう(船場町上りは初代バスロケを撤去、豊町上りは初代バスロケのまま)。


こんなバス停ポールが、どうして1つだけ置かれたのか。まったくの憶測。
昔取り上げたように、市営バスでは一時期ダルマ型でない、可動式・非電照式ポールを置いたことがあった。「二面体」と称するらしい、プラスチッキーなものが1986年度に50基設置された。
(再掲)二面体バス停。初代バスロケを平らにしたようなデザイン
ところが、風が強い秋田市にあって、軽くて表面積が広いので風を受けて倒れやすく、衝撃で壊れやすいという欠点が露呈。1991年の台風19号などで軒並み倒れて、無傷のものはなく、増備もされなかったはず。結局、再びダルマ型が設置されるようになり、それがナール・ローマ字入りに発展していった。
このことを踏まえれば、「二面体に代わる新たなバス停」としての試作品が、これだったのかもしれない。表示板だけは従来品と共通化するという条件(ネジ穴は違うが)で。
でも、コストや幅、既存ダルマ型バス停との互換性(台座・支柱が違うので表示板のみの交換ができない)といった問題があって採用は見送られ、ダルマ型が復活することになった。ということだったりして?【12日追記・というか、「台座・支柱・表示板を一括して更新する」という考えから、「台座や支柱は使い回し、表示板だけを新しくする」ように方針転換したのかも。】【12日さらに追記・そして、バス停名を活字かつローマ字入りにしたのも、ひょっとしたらこれが最初の試作ということもなくはないかも。とすれば、それは本格採用されたことになり、中央交通移管後、現在でもフォントを替えて引き継がれていることになる。】(根拠のない憶測です)


船場町経由の系統自体、いずれなくなってしまいそう【13日補足・勝平交番前(船場町のもう1つ先)~豊町間を西線と同じ朝日町経由への変更、あるいは系統自体の廃止もなくはないと思う】な予感もする。頑丈な作りの上、軒下で状態は良好だけど、いつまで残るか。
別の1点モノバス停について、続きます
コメント (2)
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県河川カメラ

2020-07-08 23:48:34 | 秋田の季節・風景
梅雨後半になり、西のほうでは今年も災害が発生している。今のところ秋田ではほどほどの梅雨だけど、いつどうなってもおかしくない。その備えに関係した話題。

今は川の水位などの情報を、ネット、ケーブルテレビ、テレビのデータ放送などで、誰でもほぼリアルタイムで取得できるようになった。
ただ、河川管理者別に公開方法が違ったり、公的なサイトでも複数が存在したり、知らない人は戸惑う。最近は大河川の支流が氾濫することも多いが、一級河川の本流は国土交通省直轄(各河川事務所)なのに対し、その支流は都道府県へ委託されるという原則からして、分かりづらい。
以前、「国土交通省 川の防災情報(http://www.river.go.jp/kawabou/ipTopGaikyo.do)」が、直轄と県管理を一括して見られていいと紹介していた

今年春から、秋田県管理の河川で、新たな情報提供がされるようになった。一部の水位観測所にカメラが設置され、画像が公開されている。
国交省直轄河川では以前からカメラがあり、テレビのニュースに流用される場合もある。秋田では、雄物川の新屋水門などに設置されていて、川の防災情報サイトからも見られる。
今回設置された秋田県のカメラは、今のところ川の防災情報には存在すら掲載されていないので、「秋田県河川砂防情報システム(http://sabo.pref.akita.jp/kasensabo/index.html)」から見るしかない模様。

これは2020年4月24日から運用されている「簡易型河川監視カメラ」。36河川47か所に設置されていて、今年度中にさらに9基設置予定。
秋田市の雄物川水系では、新城川、草生津川、旭川、太平川、猿田川、岩見川、新波川に1基ずつ。
旭川では、保戸野川反橋右岸の観測所に設置された。
現地の表示や県のサイトでは「中島」観測所とされているが、以前(2つ上のリンク)触れたように、テキトーな秋田県の体制のせいか、この上流にも別の「中島」観測所が存在するというおかしな状態。
そのため、国の川の防災情報サイトでは、下流にあるほうを「中島(指定)」観測所という名称にして区別している。それでも分かりづらいし、そもそもそこは中島じゃないのですが…
保戸野川反橋から下流方向。ピンクのタチアオイの向こうの白い箱が中島(指定)観測所

秋田県河川砂防情報システムより作成
5分間隔で静止画を送信していて、サイトでは最新のものと、それ以前の毎時00分の画像を24時間前までさかのぼって公開。
国交省の本流のカメラとは、画像の感じが違う。解像度もそうだけど、だいぶ広角でゆがんでいて、夜は水が分からないほど真っ暗になってしまう。あと画像内に、常に黒く(濃いグレー)塗りつぶされた部分がある。他の観測所も含めて同じ。
「簡易型」なせいもあるだろうし、川や河川敷の幅が狭く、流域に家が建てこんでいるという支流ならではの事情があるようだ。塗りつぶしは、建物の窓を隠して配慮しているようだ。この解像度では、窓の中が見えることよりも、24時間公開では、夜に家に灯りが点くかどうか=在不在もしくは起きているかどうかまで分かってしまうほうが怖そう。何かの拍子にカメラが動いてしまったら、ズレるだろうから、定期的な確認をしないとね。
【11日補足】国交省の本流のカメラは、リモコン操作で向き・画角を自在に変えることができる(その分、いつも同じ方向の画像を見られるとは限らない)。秋田県のものは、カメラの見た目や画像に塗りつぶし部分があることからしても、リモコン操作はできなそう。
橋から撮影
中島(指定)観測所本体の下流側のコンクリート柱にカメラが取り付けられ、上流方向を撮影している。公開画像では、左手前の箱が観測所で、緑の川反橋がすっぽり写る。対岸の橋両側の民家の窓のほか、奥のライオンズマンションの一部も目隠しされる。【9日追記・画面左端・こちら岸にギリギリ写りこんでいる、マンションと民家の一部も目隠し。】
カメラの下付近から一般的な画角で撮影
カメラが付けられた柱は、以前からあって、データ送信をするであろうアンテナが付いていた。以前、タケコプターのような風を測定しそうなものが2つ設置されていたのは、なくなった。
柱には南向きにソーラーパネルも設置された。
この装置は太陽電池稼働で、画像を無線送信するとのこと。今回、アンテナの増設または交換があったのかは不明。

カメラには「VIVOTEK」
最近、低価格監視カメラとして増えてきているのか、筒型で手動で向きを変えられそうなもの。台湾の「ビボテック」というメーカー。
秋田県警の交差点カメラに似ているが、それは「NSS」製だった。

※同じく秋田市内の県管理河川・猿田川のカメラや水位観測所について
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どうなる? アーバン原の町

2020-07-07 00:30:40 | 秋田のいろいろ
竹半スポーツの店舗と事務所が、閉店した文具店「のてや」跡に移転して、7月1日オープン。
オープン数日後
壁面のオブジェはそのまま残り、建物本体や自立式の看板は設置なし。のてや時代のままの固定ガラス窓に、「TAKE HAN」と表示されたが、上の写真では開店記念の生花が並んでいて隠れてしまっている。
花がないとしても、その前が駐車場だから、車での来店客がいたら隠れてしまう。
前の菊谷小路を徒歩でも車でも通る人からは、何も見えないわけで、もうちょっと看板が必要ではないでしょうか… 実際、車で来たものの、通り過ぎて方向転換して入ったお客さんがいたようだ。

上の写真で前に出ている花3つのうち、2つはスポーツ関連の企業から贈られたものだったが、あと1つは「株式会社のてや」から。のてやさんは、企業としては存続しているということだろうか。

さて、竹半の事務所は、この近くのマンションの3階の一室に入っていた。
路線バス 神田線・添川線の走行ルートでもある県道233号は、菊谷小路を北進すると、千秋トンネル通り~保戸野学園通りと交わり、そこを西へ左折、かつてはボトルネック区間だった保戸野郵便局を過ぎ、すぐに右折して北進・保戸野原の町通りを進む。
この原の町通りへ入っていく、Y字路交差点の角に、そのマンションがあった。4階建てで1階が駐車場のようだ。
2014年12月撮影。竹半はこの翌月に移転して来る。交差点の信号機は交換直後
千秋トンネル・鷹匠橋方向から来ると、正面にこの建物が立ちはだかるように見えていた。車の信号待ち中も正面。そのためか、広告看板が設置されていた。
建物は原の町通り側に長く続く一方、このすぐ裏側は、秋田大学教育文化学部附属学校の敷地(正門)なので、厚さはそれほどでもない。近くで落ち着いて見れば、細長い建物という感じ。
現在
コーンが置かれ、看板も、その後ろにあった植木も撤去されてしまった。
看板の後ろは、3階まで届く細長い木が目立っていたが、ハクモクレン。控えめながら白い花が春を告げていた。
ただ、現時点でも駐車場に車は入っているようだし、人も住んでいる気配も。
改修工事でここまでやるのか、やはり解体なのか…
いずれ、竹半が出ていったのも【7日補足・というか、店舗と事務所が再統合することになったきっかけが】、これが理由の1つかもしれない。
裏・附属学校側から
一部には足場がかかっている。こちら・西面が外廊下で、部屋は東向きだったことになる。

附属学校の門の隣に、茶色い平屋の箱状の建物があるが、それがこのマンションの玄関。そこに箱文字で書かれたマンション名は、
「アーバン原の町」
細めの明朝体というか、宋朝体っぽい雰囲気もする。建物全体も合わせて、昭和50年代っぽい感じもする。

ところが、アーバン原の町ができたのは、1985~1986(昭和60~61)年頃だったはず。
保戸野原の町通りが開通したのが、1985年春だったはずで、その後に新しいマンションができて、初めて「アーバン」という言葉を知った思い出がある。
ちょうどその頃、「アーバンライフ」などの言葉が使われ始めたのではないだろうか。JR高崎線の快速「アーバン」は1989年運行開始。
原の町でのアーバンライフはどうなる?

【7日追記】壁面の管理会社名と空室状況を知らせる小さな看板は残っていて、「只今 満室」となっている(入居者募集していないという意味かもしれない)。
写真の通り玄関の文字は小さいので、ここがこういう名前であること自体、保戸野地区でも少し離れた住民は知らないようで、例えば「アーバン原の町の交差点」と言っても、ほぼ通じないと思う。ただ個人的には、上記の通り新築時を知り、アーバンという言葉を知った建物として、忘れがたい存在。

【8月7日追記】その後、8月初め時点では、植え込み跡は平らにされて舗装され、駐車スペースの一部のようになっている。西面の工事は終わり、覆いの跡にはきれいにされた非常階段があった。
ということで、アーバン原の町そのものは、存続するようだ。殺風景でつまらない集合住宅になってしまった。
コメント (2)
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