広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

新公園の新標柱

2019-11-28 00:25:36 | 秋田の季節・風景
秋田市の街区公園(いわゆる児童公園)を知る人は、きっとご存知であろうアイテムについて。
※ここでは秋田市建設部公園課が管轄する公園を取り上げます。それ以外の役所・町内会(? 不動産会社?)管轄や、寺社の敷地など民有地ながら公園同等に使われているものは、除きます。また、雄和・河辺地域には、そもそも公園課管轄の街区公園が存在しないようです。
※秋田市公園課管轄の公園では、最近は各地域ごとの「市民サービスセンター」名義の注意書きが掲出されていることが多いようです。
これのこと
公園の名称の表示。標柱とするべきか。
「丸太の表面の一部を削って平らにしたもの」を模した擬木の平らにした部分に、公園名が手書きの毛筆で彫られている。昔、小学校低学年の頃、記名欄のない鉛筆に、こういうふうに名前を書いて【29日補足・彫ったのでなくペン書きだけど】もらったな。
「新屋西第一街区公園」
↑この公園については、後日また。

裏面
裏側には、公園の開園年月を同様に表示。【28日補足・「その公園が新しくできて供用開始された年月」なのか「その公園を秋田市が公園として管理し始めた年月」なのか、どちらかは分からない。したがって、公園によっては表示年月以前から、公園的スペースとして存在していた可能性もある。】【12月2日追記・秋田市の公告に公園の「供用開始の期日」として掲載されている年月日が、標柱表記の開園年月のようだが、いずれにしても前記のどちらにも取れる場合があろう。】

ごくまれに表示が一切ない街区公園(通称こまち公園の拠点第一街区公園など)があるものの、秋田市内のほとんどの街区公園が、この表示で統一されている。出入り口が複数ある公園でも、1つの公園につき1本だけ。
(再掲)新屋西第一より1年先に開園した「泉銀の町街区公園」
また、多くで「街区」部分が後から修正されたようになっている。上の写真の新屋西第一街区公園は、修正が露骨だが、木目の模様はつながっていて精巧。
おそらく、昔は「○○児童公園」だったのを「○○街区公園」に変えている。法令上は、1993年の都市公園法施行令の改正により、児童公園が街区公園になったそうだ。それを受けて、秋田市では既存の児童公園を一斉に名称変更したのだろう。

秋田市のリストとGoogleストリートビューで軽く調べたところ、1995年以降に開園したものは、最初から「街区」となっているようだ。
そして、1995~1997年辺りでは上の写真とは別人らしきタッチの筆文字。【28日追記・というわけでもない??】
「栗田神社街区公園」これは見慣れた筆跡?
砂防の松を植林した栗田定之丞を祀った、新屋の栗田神社の境内は、2003年に街区公園に指定されている。松林の中の広い敷地に、滑り台などが少々ある程度。神社の鳥居のある正面ではない、側面の入口に標柱が立っている。20年に満たないはずの擬木は、さすがに新しく感じる。
栗田神社街区公園の裏面
これには開園年月の表示がない(削られてもいない)。ある時期からやめたのだろうか。
擬木の側面には、枝を切り落とした跡の「節」が再現されているが、上の新屋西第一と泉銀の町では、節の位置が同じようだ(正面から見て左中ほどと右上)。栗田神社では左上と右下にある。製造ロットもしくは製造時期によって異なるのか。

あとは、ストリートビューによれば「仁井田第一街区公園」と「仁井田第二街区公園」では、文字が手書きでなく楷書体のフォントになっていた。第二は2000年にできたので、それ以前は第一はただの仁井田街区公園で、同時に名称を変更したのだろうか。にしても、手書きでないのは珍しい。
文字は判別できなかったが、2009年の「御所野第5街区公園(漢数字じゃないの?)」でも擬木表示。
いつごろから採用されているのかは不明だが、1995年よりは前、というか僕の記憶では遅くとも1980年代後半には見られた。公園の柵などで擬木を使うことが流行っていた雰囲気(土手長町通りの旭川沿いなども)だから、その頃かもしれない。


一方、秋田市公園課管轄でも、街区公園より大規模な公園では、この表示があまり設置されないようだ。筆文字のものは外旭川の「前谷地近隣公園(1986年)」を確認。それ以外では、
(再掲)広面近隣公園
三日月湖岸のハナショウブがきれいな広面近隣公園(1999年)では、擬木に丸ゴシック体表示。擬木自体も少し小さいかも。
近隣公園では、横書きの看板タイプなど、まったく別仕様かつ不統一の表示が多い。

ちなみに、青森県弘前市では、
(再掲)弘前市仲町緑地
小さい板にゴシック体が基本。

したがって、「秋田市の」かつ「街区公園」といえば、この擬木に筆文字の標柱という印象。
多少の差異はあるものの、永年、規格が統一されていたと言える。しかも見るからに丈夫そうで、壊れたり修理されたりしたものを見た記憶はない。最近は、公園のバリアフリー改修工事も多いが、その後も、どっしりと構えている。


さて、今年の春のこと。久々に、仁井田大野から大住へ抜ける道を歩いていたら、新しそうな公園に出た。
新興住宅地の中にある広めの公園
公園名は、
「仁井田西潟敷第一街区公園」
見慣れぬ四角いの棒状の標柱に、一瞬、秋田市管轄でない公園だと思ってしまった。
でも「街区公園」だし、黄色い「マナーを守ろう!」は、秋田市南部市民サービスセンター名(詳細は公園課サイトを見ろとも)。

この場所は、訪れた時は仁井田字西潟敷であったが、今年7月に住居表示が実施され「大住南」が新設、大住南二丁目になっている。前例からして、住居表示が実施されても、公園の名称は変わらない。
第一があるからには「仁井田西潟敷第二街区公園」もあり、同じ大住南二丁目、しかも数百メートルしか離れていない場所。公園の造りは両者違っていて使い分けできそうだし、土地の確保の都合もあったのだろうが、ぜいたく。
どちらの公園も、2013年7月にできていた。

2013年7月には、秋田市内で20以上の街区公園が新たに誕生していた。御所野や桜方面の山寄り各地域(○○台など)に多く、既存のものが秋田市へ移管されたようだ(表示方法が違う可能性あり)。
中央部では、
「泉ハイタウン街区公園」
やはりこの標柱。

これら以前の直近に新たにできた公園は、上記の2009年の擬木がある御所野第5街区公園と、御所野堤台近隣公園(表示は不明)。
2013年から擬木をやめて、この標柱に切り替えたことになろう。
擬木よりは少し背が高いと思われるが、文字を表示する部分は縦に拡大されたが、幅は狭いので文字は小さくなる。
白い角ゴシック体は、アドビ「小塚ゴシック」ではないだろうか。ひらがなが特徴的なデザインのフォント(個人的にはそれが嫌い)だけど、漢字とカタカナでは気にならない。
桜台、大平台、山手台、南ヶ丘には、ひらがな名称の公園ができており、そちらにもあるとすれば気になる(ストリートビューでは確認できない)。
ただ、今後、新たに同タイプの表示が設置される場合、角ゴシック体とだけ指定されて、フォント名にはこだわらずに発注される可能性はある(「ひなん場所」の看板の例あり)。
側面・裏面はなにもなし

昔の閑散バス路線の“棒バス停”を連想させられる形状。それよりは少し大きいかな。
でも、どっしりとした擬木に比べると、存在感は薄れてしまったし、裏面に開園年月の表示がないのは寂しい。表示があれば、その公園や地域の歴史を多少なりとも感じることができたのに。
コストの問題もあって、仕方ないことだろう。でも、既存の擬木は、頑丈さからしても、撤去・更新は当分ないのではないか。
それから、こまち公園のような、名称表示が一切ない公園には、なくていいのですか?

【28日追記】せっかく標柱を設置するのなら、秋田市管理であることや連絡先を表示すれば、設備の故障など不具合発見時の連絡に使える。ほかにも所在地とか避難場所(もしくは最寄り避難場所への誘導でもいい)になっているかどうか等を小さくてもいいから記載すれば、事故や災害の緊急時に役に立つと思う。公園名だけではもったいない。

【29日追記】秋田市の公園では、標柱よりもっと太い擬木風の水飲み場(踏み台付きが多いと思う)が設置されているところも多い。現在は、バリアフリーの観点から、車椅子のまま水が飲めるようにしなければならないらしく、バリアフリー改修時に交換されているようだ。
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神田土崎線・補足

2019-11-25 00:15:48 | 秋田市営バス
2019年9月で廃止された、秋田市の路線バス「神田土崎線」(廃止区間としては外旭川病院前~土崎駅前)。
前回までは、廃止時点での秋田中央交通による運行形態を紹介した。今回は補足など。

●上下分岐点
前々回の将軍野南四丁目~将軍野郵便局前/護国神社裏参道 間の上下経路の分岐点。別アングルの写真を2つ。
下りの一方通行区間に入ってすぐの地点から振り返って。上りは右から来て奥へ右折
やはり中型バスが通るとは信じられない狭さ。

上の分岐点から新国道方向。上りが奥から左へ
奥に信号機付き交差点が2つある。いちばん奥が新国道の「高清水公園」交差点でそこを左折してこの道に入る。
手前の交差点より手前左側のポストがある所が将軍野郵便局。ここにはバス停がない。


●鳥屋場の補助標識
旭野団地系統と分岐した直後、外旭川病院前~鳥谷場 間の道路標識の不思議。
地理院地図をモノクロ化して加筆。赤い線が土崎線ルート
病院前を左折して200メートルほど南北方向の住宅街の道を走る。その区間に、より小さい道と交わる、2つの小さな十字路交差点(上の地図のCとB)があるのだが、そこにこんな道路標識が設置されている。
Cの交差点。少し右にカーブした先が病院前交差点
「指定方向外進行禁止」の道路標識に、「大型等 路線バスを除く」の補助標識。
Bの交差点も含めて、両方向に同じセットで設置されている。【27日補足】「大型等」は2007年の法改正でできた区分なので、その後に設置(更新)されていることになる。

大型自動車は狭い道へ右左折できない規制。ただし、路線バスなら曲がっていいことになっている。
現在はそのようなルートの路線バスは存在しない。
こういう特例が適用されるからには、設定当時にはそのような実態があって、なくなった今もそれが解除されずに残っているのかと思ってしまう。そうだとしても、2つの交差点で連続してそうなっているというのは、ちょっと考えにくい。また、小さい道に入ったところで、その先のルートが考えづらい。昔もこのルートのバスはなかったと思われる。
どうして存在しない路線バスが、曲がれるようになっているのだろう。

そして、踏切方向へ右折する、地図Aの交差点には「左折のみ」の指定方向外進行禁止に「路線バス マイクロを除く」。
ここでは、神田線が特例で右折できていたことになるが、マイクロも対象となる。

○補足・鳥屋場バス停
上の地図には「旧ルート」を示しておいた。
旧道経由の記事で触れ、またコメントもいただいたように、昭和末~平成初期辺りまでは、外旭川病院周辺の道路が未整備かつ外旭川アンパスもなかったため、まっすぐに通ることができ、かつそうするしかなく、卸売市場入口通過後、鳥屋場までがこのルートをであった。
バス停は土崎線は、卸売市場入口-八柳二区(現・八柳三丁目)-鳥谷場の順。
旭野団地線は、地図Aの交差点を右折し、旭野団地方面へ向かっていた。右折してすぐのところに、土崎線用とは別に鳥谷場バス停が置かれていたとのこと。


●市電との関係は?
調べればもう少し分かるかもしれないが、分からないのが、神田線と秋田市電との関係。どちらも秋田市交通局が運行していて、特に上下で経路が異なる区間では、その上下線の間のごく近い距離を並行していた。さらに新国道経由のバスも並行していた。

歴史的には、神田線の運行が始まった1954年には、すでに市電は走っていた。市電は1965年末で運行終了。
新国道経由については、もともとは秋田中央交通がバスを運行しており、市営バスはその後で参入。結局は2社のバスが市電と競合し、市電廃止を助長してしまったと認識している。(秋田市交通局にとっては、中央交通と自らの市電との間でジレンマだったのだろう。)

神田線と市電は、バス停で向山~港中央四丁目(当時は別名称だったものもある)、電停(現在の類似名称のバス停とは無関係)では八柳~将軍野~自衛隊前~竜神通~土崎(終点)辺りで競合していたと思われる。
自衛隊通りから北方向の「自衛隊前」電停跡。左の広い歩道がホームの名残り
上の写真では、1本左が新国道・自衛隊入口交差点、1本右が一方通行のセブン-イレブンの交差点。
当時の交通事情から想像した、推測や疑問。
・昔は、神田線は上下で経路が分かれていなかったのではないか。つまり一方通行区間が対面通行で、上りも新国道に出ていなかったのではないか。【27日補足・新国道のバス停間隔・数が下り側とそろっていないし、誤乗のおそれや(憶測だけど)当時の路線免許認可などからそんな気がした。】
・神田線と市電との乗り継ぎなどは?
市電と神田線を乗り継ぐ人は、経路からしてあまりいなかったかもしれない。乗り継ぐにしても、どの停留所でも100メートルくらいは歩かないといけなかったし、乗り継ぎ割引制度などもなかったかも。※市電廃止直後は、市電の定期券で市営バス新国道経由に乗車できたと聞いた気がする。
市電が運行できなくなった時、振り替えで神田線に乗れたりはしたか。
振り替え制度はなくても、裏技的に、市電や新国道経由のバスが走れなかったり、混雑したりした場合、神田線に乗って土崎駅~向山もしくは秋田駅~向山以遠~土崎駅を行き来する人はいなかったか。

●市営バス時代 2002年4月のバス停
(再掲)向山上り側
17年前は、
左側のビスがサビているのは変わらず
事業者名が変わり、板が変形し、色があせ、「MA」がはがれた。

鳥屋場は、廃止時点では、上りが市営バス末期設置のワープロ印字ローマ字入り透明シール、下りは移管直後に中央交通が設置したJTCウインRであった。
2002年は、
たぶん上り

たぶん下り
当時でサビが浮いていた、手書きだった。筆跡が似ているから、同時に作られたのか【27日補足・「鳥」の右側3つの点の向きは違う】。
上り側はその後、移管前に更新されたことになる。

旭野団地系統の外旭川市営住宅前(後にJTCウインRに【下の追記参照】)も、この当時は同じような手書きだったから、鳥屋場といっしょに設置された可能性がある。外旭川市営住宅ができたのは1981年、旭野団地系統はその1985年前後に運行が始まったはずだから、その時か。
【25日追記】市営住宅前は、現在は上りが透明パソコンシール、下りがJTCウインRと、鳥谷場と同じ関係。市営バス末期に、乗る(降りるのでなく)客が多い側だけ、リニューアルしておいたのか。

なお、鳥屋場の位置は、廃止時点は上下が向き合っていた。しかし2012年10月や2017年8月のGoogleストリートビューで確認すると、上り側が1軒ほど踏切寄り(手前側)の空き地(駐車場?)の所にあった。40キロ制限の標識がついた電柱も、ほぼ同じ位置で移設されていた。※今は空き地に何か建ったの可能性があるが未確認。

この後は、ここ30年ほどの神田線のダイヤの変遷を、まとめてみたい
2002年9月撮影。市営バス276号車による下り神田土崎線
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大住縦貫道?

2019-11-24 00:19:19 | 秋田の地理
時々取り上げている(直近の記事)、Googleマップのいい加減さをまた見つけてしまった。【この後、Googleへ報告し、修正されました。以下の内容は修正前のものです。
秋田市南部、国道13号西側の牛島と仁井田の間を見ていると、見慣れぬ表記があった。
「大隅縦貫道 大隅縦貫道 大隅縦貫道 大隅縦貫道」
ある1本の道路が「大隅縦貫道」という名称であるという。Googleマップで「○○通り」などと表記されるのと同じ書体ではあるが、上の画像のように異様に連呼している(表示縮尺により異なる)。

この道路は知っているが、「大隅縦貫道」なんて名前だったとは聞いたことがない。
っていうかここの地名は「大住」。「大隅」だと鹿児島の大隅半島のほうでしょ。


知らないだけで、実は「大住縦貫道」と呼ばれている(大隅は誤字で)のかも、などと思って、Googleで検索すると…
鹿児島県庁ホームページ「地域高規格道路網図」より
なんと鹿児島の大隅半島に「大隅縦貫道」が存在した!
Google日本語入力でも「大隅縦貫道」が一発で変換できる。

“本物”の大隅縦貫道は、現状では部分開通で、計画では延長約50キロの地域高規格道路。
Googleストリートビューより

では、Googleマップの検索窓に「大隅縦貫道」と入力して検索すると、
やっぱり「大隅縦貫道 秋田県秋田市」
「鹿児島県 大隅縦貫道」などと検索すると、鹿児島県内の近くは表示されるが、道路そのものにはたどり着かない。Googleマップは、本物の「大隅縦貫道」の存在を認識していないようだ。


大隅と大住、読みはどちらも「おおすみ」にしても、1237キロ(鹿屋串良ジャンクションと偽物南端の計測)も離れた場所を、よくも間違えたものだ。
人間が間違ってもしくはわざと登録したとは考えにくい。大隅縦貫道と秋田市大住両方の存在を知る人は少ないだろうし、普通に登録して異様に繰り返して表示されることはないだろうし。
Googleマップで、ゼンリンとの提携解消後に散見されている不具合の1つ、つまり機械的に誤認識したということだろうか。


ところで、秋田の偽物の大隅縦貫道。
南端から
国道13号「大住入口」交差点から、旧農業試験場跡地に出る交差点(大住団地バス停付近)までの880メートルが大隅縦貫道にされている。
狭いながらも路線バス大住・みなみ野団地線(過去の記事)が通り、多少の商店などが立ち並ぶ、大住地区のメインストリートではある。南側700メートルは一直線。
大住簡易郵便局前。ここから南へ一直線
上の検索結果の画面で、ストリートビューの画像は、北端・大住入口交差点角にあるスーパー「ナイス仁井田店」。地図中に赤いピンが立っているのは、ほぼ中間地点。

Googleマップに加筆
分かりづらいけれど、上の地図で細い赤で囲まれたのが、秋田市大住地区(一丁目から四丁目【24日補足・大住小学校は所在地としては仁井田】)。黒い線が、偽の大隅縦貫道。
二丁目・四丁目と三丁目の間を貫いていることになるが、面積というか感覚的には、まさに「大住を縦貫」している。
「“大住”縦貫道」、意外にいいネーミングかも?!

Googleマップさんは、「おおすみ」を取り違えた点はおいておいて、どうして、縦方向ではあるが広くはないこの道を「縦貫道」に“指定”したのだろう。
Googleには、中央交通のバス停位置・バス路線の情報はあるはずだし、店舗が沿道に集まっていることも分かっている、スマホの位置情報(通行量)もあるだろうから、それらと関連付けて重要度の高い道だととらえたのか。1000キロ以上離れた場所、漢字も距離も違うものを取り違えたのはバカだけど、大住の中では主要な道を選べたという意味ではお利口かもしれない。

※本記事アップ後、Googleへ本件を報告した。12月8日に確認すると、秋田市大住の「大隅縦貫道」の表記は出なくなっていた。思ったより素早い対応。
コメント (6)
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手形陸橋2・螺旋

2019-11-19 23:33:11 | 
前回に続いて、全面開通した秋田市の秋田県道28号のオーバーパス「手形陸橋」。
2年間通れなかった北側の歩道には、南側歩道にはない特徴的なものがあった。中央部・線路際両側に1つずつある、らせん階段である。(西端には、南北とも普通の階段はある。)
手形陸橋の下には線路だけでなく市道も通っているが、それらから陸橋は遠い。歩行者だけでも利用しやすいように、らせん階段が設置されているのだろう。
もともとはらせんではない普通の階段だったらしく、1991年の3車線化の時に初めてらせん階段になったようだ。

今回の工事により、そのらせん階段がどうなるか、事前に説明はなかった。工事途中の今春になると、らせんが板で覆われて階段部分の工事が始まった。橋本体とともにリニューアルされ、存続することになった。
9月下旬に西側の上部から板が外され、新たならせん階段が姿を現した。
供用開始前の西側らせん階段。黒光りしている

東側から西側を見る
形状・サイズやらせんの巻き具合は、おそらく従前とまったく同一。
色は従来はこげ茶色だったのが、橋本体に合わせて黒にかなり近い茶色。てっぺんの円形の屋根の内側は、以前より濃い肌色。
(再掲)工事前
細い銀色パイプの手すりや、目隠しの腰板の配置(基本は細い手すりより下側だけが覆われるが、東側の民家側だけ手すりより上も覆われている)も変わらず。
一方、
金網みたいなのが
東側の民家側には腰板にプラスして、階段本体の柵より上【12月15日補足・階段最上部のみだった。末尾の続き参照】に、細かい穴が開いた金網風の金属板が設置された。従来からの腰板と合わせて、民家への配慮だろうか。照明は従来は電球とか水銀灯だったが、LEDになったようだ。

踏面には、融雪装置の温度・水分センサーらしきものが埋めこまれていたので、積雪・凍結時も安心できそう(以前はどうだった?)。
西側らせん階段下り口。右下すぐが線路
陸橋本体から出っ張った、階段手前の平らな部分は、明るいグレーの正方形の大きめのタイルが敷かれている。点字ブロックは、そこまでは誘導している(従来は歩道には一切ブロックがなかった)。

従来どおりらせん階段も使えてよかったと思いつつ、上り下りしてみたところ、いくつかの違和感が。
まず、上の写真をよく見ると、完成したばかりの道路には不釣り合いなものが。
ロープがぐるぐる
陸橋本体の柵と、らせん階段の柵の間にすき間が生じてしまい、危険なのでロープを張ったようだ。東西両方とも、線路側と陸橋端側両方がすべてこうなっている。
(再掲)以前の状態
改修前とは柵が別物だが、らせん階段側の柵を陸橋本体まで延長するような構造だった。
すき間を埋める手配が間に合わなかったのか、設計ミスか? これは明らかな違和感。

あとはなんとなく違和感。上り下りすると、よくある階段とは違うような物足りないような感じ。
西側らせん階段
西側はまあこんなもん?

東側
違いにお気づきだろうか。各段の足を載せる踏面というのか踏み板というのか、その端が違う。西側では暗い赤色の帯が入っているのに対し、東側にはなくグレー一色。
以前のこの階段は全面カラータイルだったけど、今のような単色の階段では、角が分かりやすいように色を付けたり、滑り止めを設置したりするのが普通のはず。西の赤い帯は色だけで滑り止めではなさそうだし、東には一切ないのは、屋外の道路の階段としては物足りないのではないか。

さらに、西はグレーのシートというか板というかを上張りしている感じがするが、東はセメントそのままではないだろうか。上の写真では亀裂が入っている。亀裂自体は技術的に問題ないのかもしれないが、見栄えとしてはできたばかりがこれで、このままというのは…

開通時に、らせん階段が完成するまでには至らず、暫定的に供用し、今後残りの作業を行う。ということであると願いたい。【今後の経過は追記します・11月29日には東側にも赤帯が付いていた。すき間のロープは変わらず。/12月4日で階段踏面は変わらず。12月4日にはロープがなくなり、そのすき間部分まで、既存の手すりが延長されていた。写真はこの記事末尾のリンクから】
陸橋本体でも、
「←パネル」
メモ書き入り養生テープがいくつか残っている。はがしてね。【追記・11月29日現在そのまま。12月4日にはなくなっていた。】


最後に、
陸橋の上から東方向
陸橋東端では、歩道と車道の間の柵の構造が、南北とも同じ長さだけ、他と異なる仕様。
他は橋の欄干(高欄)らしきものなのに、東端だけ、細いガードパイプ。

外から見ると、なんとなく理由が分かる。
外側から。バスがいる所が境目
手形陸橋東側は、地面から徐々に高くなっていく。橋の高い部分は、橋脚の上に橋桁を載せる造りだが、地際の低い部分ではその構造でなく、盛り土の斜面のような構造らしい。
上の写真の北側では下の道路との境部分が、柵などでなく壁になっている。南側では柵。

取り付け方法は、東端限定のパイプ柵は脚を路面に埋めこんでいるが、高欄は路面表面にボルトで固定している。
橋だと地面がないから欄干にするしかないが、盛り土だと埋めることができるためパイプ柵にした。そしてそのパイプ柵のほうが安いから、わずかな距離だけどあえて違う構造にした。ということかな???
親柱は盛り土の地面際、パイプ柵の端にある。
西側は崖状の部分に橋がつながる形なので、東のような盛り土は不要なので、端まで高欄で、そこに親柱。

補足など続きはこちら
コメント (2)
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手形陸橋全面開通1

2019-11-18 23:46:09 | 
秋田駅の北でJR奥羽本線の東西を結ぶ、秋田県道28号のオーバーパス「手形陸橋」が、ついに片側2車線×2=4車線&両側歩道で全面開通した。
周辺の道路に設置されている看板
これまで何度か取り上げていた(直近は今年5月)ように、1966年(1965年度との報道も)に2車線・歩道は北側のみで開通。1991年に3車線に拡幅(当初はリバーシブルレーン)されていた。

その後、2017年春には、南側に拡幅して車線増設と南側の歩道設置がされたが、北側の橋が老朽化したため、いったん北側を通行止めにしてリニューアル工事が行われていた。
北側橋桁の下。全体にきれいになった
このほど北側の橋が完成し、やっと4車線化と両側の歩道が通れるようになった。
橋の前後の道路と合わせて長さ540メートルで、幅を8メートル拡げて25メートル、総事業費68億6千万円【19日補足・裁判所の建て替えが仮庁舎も含めて60億円。それと比べると高くはないかも…】。1996年着工。2002年3月開通予定だったのが、用地買収などで17年遅れた。最初の開通からは53年か。

11月16日に100人が参加して完成式を挙行。知事や秋田市長も参加し、テープカットとくす玉割りが、開通直前の北側車道部分で行われたようだ。供用開始は、冒頭の看板のように11月17日・日曜日朝5時。
東側「手形山崎町」交差点から。右半分が今回開通

西側「千秋城下町」交差点付近から
2017年に開通した南半分と同一の設計になっており、ほとんど左右(南北)対称。路面のアスファルトの色は、2年しか経っていないものの違っている。

手形陸橋は、秋田市の自動車交通の要衝で、朝夕は渋滞する。
今回の4車線化で、渋滞軽減が期待される話もあるが、実際のところ陸橋の前後は2または3車線のままなので、それほどでもないという声もある。
片側1車線での工事期間中よりは、当然スムーズになっただろうけど。あと、工事中は線形が無理なこともあったのだろうが、逆走車がたまにいた【19日補足・片側2車線と勘違いして、対向車線に入ってしまう】とか。

北側歩道
市街地の手形陸橋は、自転車も、高齢者も通り、小学校の通学路でもあるだけに、南北両側に広い歩道ができたことは喜ばしい。ただ、両側の脇道から出入りする車が怖い場合がある。運転者のモラルではあるが、道路形状が50年以上昔の考え(計画)に基づいていることもあるのかもしれない。改善の余地があるかも。
歩道の路面は、リニューアル前はカラータイル敷きだったが、単純なアスファルト舗装(南側と同じ)になった。今後のメンテナンスも考慮すれば、これで妥当だ。
【2022年10月16日追記】この後、2022年10月に、通学路安全対策事業とかとして、北側歩道の歩行者部分と自転車部分を色分けするカラー舗装工事が行われた(この記事中ほどに写真あり)。南側歩道は無着色のまま。


以下、こまごまと。
両方向とも、陸橋に入って間もない(線路真上よりも手前)辺りの照明の柱に、小さな青くて四角い標識が設置された。いちおう案内標識「方面及び方向」風だけど、正式なものとは若干違うような。
北側・東行き車線「太平↑ 明田→」

南側・西行き車線「中通↑ 保戸野→」
陸橋通過後の交差点での直進・右折に合わせた車線を、早めに示していることになる。右折車に早めに車線変更させることで、直進方向を少しでもスムーズに流すために設置したのだろう。【22日補足・右側車線を漫然と走り続けて直進できなくなる(それによる渋滞や事故)ことの防止の意味もあろう。】
ただ、東行きでは左折して秋田大学方面へ行くことに触れていないのは不親切かもしれないし、太平、明田、保戸野といった地名のチョイスも微妙。間違ってはいないが、よその人には分からないかもしれないし、秋大病院は? 横金線は? 新国道は? と迷わせるかもしれない。


開通直前の手形側
開通直前に、歩道と車道の間の柵の東西末端に、カバーで覆われた物体が設置された。南側でも同様。これは何?

完成式には、「橋名板の文字を揮毫した」という市立明徳小学校の児童2名も招かれていた。それが設置されたのが、
ここだった
川に架かる大きめの橋でよくある「親柱」だ。シンプルだけど大きな石で、最近の橋にしては豪華。
今の感覚ではオーバーパスとしてとらえてしまうが、「手形陸『橋』」の名の通り、手形陸橋も橋であって、その流儀にのっとった表示がされているのか。(だから、この記事を久しぶりに「橋」カテゴリとしました)

橋名板は、上の写真の「手形陸橋」が北側西端。北側東端が、
「てがたりっきょう」 

南側東端が、
「令和元年十一月完成」
南側西端は「奥羽本線」。

2人のうち6年生の人が「手形陸橋」と「奥羽本線」、4年生の人が「てがたりっきょう」と「令和元年十一月完成」を書いたとのこと。
ある意味安心したのが、「令」の下を、楷書の原則通りに「マ」で書いてくれていること。時流に乗って「卩」でなくてよかった!
それぞれの橋名板の下に、小さく横長に、石の色が変わっている部分がある。ここに揮毫した人の名前でも表示するのかもしれない。【追記・11月29日現在変わらず】

さて、4枚の橋名板の配置のこと。全国的には、道路の起点から見て左側に漢字の橋名…などと、どの位置にどの橋名板を取り付けるか、慣習的に決まっているところが多いそうだ。
手形陸橋の場合は、その原則とはひらがなと完成年月の位置が入れ替わっている。これでは、南側を通る人の視点では「手形陸橋」も「てがたりっきょう」も読めないわけで、絶対の規則ではないとはいえ少々おかしい。
試しに他の秋田県道の橋をストリートビューで確認してみたら、他の橋も原則どおりではない(法則なし?)。秋田県庁ではそれでいいことになっているのかな。

こんな立派な親柱を設置するくらいなら、車からもはっきり分かるように、白地に青文字・英語併記の案内標識(秋田大橋とかにあるヤツ)も設置してはどうでしょう。

親柱の写真で分かる通り、親柱の側面にはモノクロのイラストが描かれた板が張り付けられている。
すべての親柱に、車道向きと歩道向きの裏表に設置されており、東側と西側で内容が異なる。【2020年1月10日訂正・イラストの図柄の違いについては、この記事冒頭参照】
いずれも「贈 (株)板橋組・(株)沢木組」とのプレートがあり、施工業者(線路の真上以外の部分)からの贈り物ということのようだ。
西側
左上から時計回りに、千秋公園の「与次郎伝説」がモチーフと思われるキツネと飛脚、「千秋花火」と思われる打ち上げ花火、太平山三吉神社の梵天(ぼんでん)、秋田新幹線E6系と思われる鉄道車両の正面、千秋公園のものと思われるハス。
東側
稲穂、竿燈、秋田蕗、太平山と5弁の花。

ケチを付けるようで申し訳ないが、いくつか指摘させてもらう。【2020年1月10日訂正・東西については勘違いしていたので、一部訂正します。しかし、それでもなお方角と図柄の違和感は残ります。】
まず、どうして西側に梵天、東側に竿燈なのだろう。それぞれの行事の会場からすれば、逆であるべきだ。千秋公園関係は千秋公園側の西に集めているのに。とすれば、秋田蕗もどちらかといえば西が近い。

細かい点では、東側の花が何の花か不明。
秋田蕗といっしょにいる女性と思われる人物の服装がヘン。秋田蕗は「かすり」姿で刈り取りをするのが定着していて、それがモチーフっぽいが、これでは七分袖Vネックの上に、肩紐の太いエプロン姿のようだ。あとフキの葉の縁や葉脈が、ちょっとキモチワルイ(こんなふうに描かれる場合もあるが、個人的には違うと思う)。

西側。エリアなかいち完成後、にわかにもてはやされるようになった与次郎伝説は、キツネが飛脚として活躍した話。この絵では、キツネと人間の飛脚が描かれている。
なかいちのマスコットキャラクターでは、キツネがそのまま飛脚になっているからそういう話かと思いこんでいた。でも、これを見れば、キツネが人間に化けた上で飛脚になったってことなの?(そのほうが、バレにくくて自然ではあるか)
E6系の真正面とは、描きにくく伝わりにくい難しい題材だ。どうして側面にしなかったのか。ハスの葉も葉脈がキモチワルイ。
そして梵天。「安全祈願」とあえて文字を入れてあるのは、手形陸橋の安全祈願と掛けてあるのか。
梵天の飾りと本体のバランスや細部がけっこう違うような気もするが、以前の北側歩道路面には、鏡餅のような似ても似つかない不格好な梵天が描かれていたのを思えば…

長くなったので、今回はここまで。手形陸橋北側歩道といえば欠かせない(?)らせん階段のことなど続く
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紅葉2019

2019-11-17 23:39:22 | 秋田の季節・風景
今年も寒くなってきて、秋田市では14日に初雪を観測(積もってはいない)。でも、平年と比べれば、まだあまり寒くないような気もする。
新屋日吉町から秋田市街地と太平山。山の上が所々白い
11月初め~現在にかけての、街なかの木々の紅葉について。昨2018年は、台風の塩害で葉が枯れ落ちてしまったものが散見された。今年はそれはなさそうだけど、ケヤキはあまりきれいに紅葉(もしくは黄葉)せずに、チリチリに枯れてしまったものが多い感じ。夏以降の気温(が高かった?)のせいだろうか。
二丁目橋・那波家水汲み場跡

旭川・鷹匠橋から千秋公園・御隅櫓
落葉したものもあるけれどなかなか鮮やか。
鷹匠橋の1つ上流の保戸野新橋との間に「鑑の松(参考)」がある。
対岸から。こちら岸のフェンスのツタが松を彩る。右奥に御隅櫓

この近くの千秋公園斜面を上る階段の上のほうに、真っ白い花を咲かせる桜がある。
再掲)カスミザクラかオオシマザクラ??
それは、
オレンジ色
花と同じく紅葉も美しく、遠くから見てもはっきりと分かった。
桜の紅葉も美しいもので、ケヤキのように個体差というよりは品種ごとにその色が異なるようだ。弘前公園の枝垂れ桜は黄色で、ソメイヨシノは赤に近く、この桜はオレンジ色に近い赤と。
なお、別の白い花を咲かせる桜(同一品種ではないかもしれない)2本を確認したところ、1つは黄色寄りに紅葉、もう1つはまだ紅葉していなかった。※紅葉が遅い白い桜は、雪が積もった12月初めでも、紅葉した葉がまだ落ちていなかった。この記事最後にて。

泉大橋街区公園では、
ちょっとオレンジ色がかっているけれど、ソメイヨシノ?

場所も樹種も変わって、
大学病院前のモミジバフウ

また変わって、
水の流れとモミジ?
たまたま通りかかって遭遇した光景。引いたアングルでは、
いい雰囲気かな
山あいかと思ってしまいそうな風景だけど、横金線桜大橋とノースアジア大学との間付近の太平川沿い。左側・対岸が桜一丁目、右側が広面字広面(という地名があるのか)。

イチョウは黄葉の時期の幅が大きいようで、もう散ったものも、今見頃のものも、まれにまだ緑の葉のものもある。
明田地下道から東方向・城東消防署の通り
きれいにそろって黄葉。ただし、左側ずっと奥、横金線寄りの木は落葉してしまっているようだ。日当たりや土壌、あるいは樹齢や木の遺伝的特性で違うのか。

竿燈大通り・日銀横は散りつつある

那波家の水汲み場跡では、
ツツジ? サツキ? が咲いている!
狂い咲き・返り咲きというヤツだけど、この木は2013年にも秋に咲いていた。そういう特性のようだ。
紅葉いろいろ、木もいろいろ。
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なぜかキプロス

2019-11-15 00:08:15 | 秋田のいろいろ
歓楽街・川反(かわばた)に広義では含まれる、秋田市大町四丁目、赤れんが館通り(大町通り)と四丁目橋の通りが交わる交差点(市内で最初にフラット型信号機が設置された)角にある、飲食店のテナントビル。
2件隣のアンテナのあるビルはNTTドコモ。右奥は四丁目橋へ
現在は道路に面した外壁が全部黒く装飾されているが、2012年10月時点では、1階部分だけが黒で、上は白っぽい壁。今も裏側壁面は白い。
Googleストリートビューによれば2012年10月には、1階は今と同じ炭火焼きの店で、上は空き。どうも飲食店用ではない造りだったようにも見える。2015年8月には壁面が全部黒くなって、2階にイタリアン、3階に今と同じオールディーズバーが入った。2017年7月も変わらず、2018年7月には2階が空いて、今もそのまま。

今回取り上げるのは、このビルの名前。
複数の店や施設が入るビルには、ビル自体の名前があるのが普通(いつも言うけれど、各種裁判所が入る庁舎に名前がないのがおかしい)。秋田では東カンビル、NKビル、山王21ビルなど、そこそこ名が知られたものもある一方、ほとんど知られていないビルもある。ここは後者のほうか。

だけど、僕は前から知っていて、気になっていた。
シャッターの中が2・3階への上り口
正面側に、小さいながらしっかりと名称が表示されている。歩いて通れば目につく。
その名は、
「キプロスビル」
「キプロス」って…
国の名前しか思い浮かばない。

キプロス共和国は、地中海の島国でEU加盟。
船の事故の報道で「キプロス船籍」をわりと聞く。キプロス船籍の船舶は、国の規模と比べて多く、世界の海を航海しているのだ。その理由は、税金対策などのために、所有者と関係ない特定の国に船籍を登録する「便宜置籍船」というものが多いから。その登録先となる国が「便宜置籍船国」で、パナマ、リベリアなどとともにキプロスがある。(便宜置籍船国=パナマのイメージが強いせいか、キプロスも中南米にあると思ってしまっていた。)

国名のほかには、「キプロス」という言葉はあるのだろうか。
このビルと、もしくは秋田とキプロス共和国に、特段の関係もないと思う。国際教養大学にキプロスからの留学生はいるようだけど。「秋田 キプロス」で検索しても、ここで取り上げている飲食店や不動産のことばかり。

キプロスビル裏側には「キプロスビル月極駐車場」もある


もう1つ。地図で発見。
秋田駅東口から秋田中央インターチェンジ方向へ向かい、太平川を渡る手前左側の住宅地の中。
小さめな2階建てアパート

その名前は、

「キプロス樋口」!
ここにもキプロス!
「樋口」は所在地の「広面字樋口(ひろおもて あざ とよくち)」から。

キプロスビルとキプロス樋口では、管理する不動産【15日訂正】不動産会社は違う。
でも、離れているとはいえ、同じ街にキプロスを名乗る建物が2つあって無関係とは考えづらい。所有者が同じなのではないだろうか。

ところで、上のキプロス樋口の最初の写真で、右隣によく似たアパートが写っている。
管理会社も同じで、アパート名の表示もフォント以外は同じ。
どんな名前かと期待するけれど「ミュゼ広面」。「ミュゼ」とはフランス語で「美術館。博物館。」で、アパートなのにヘンだけど、キプロスほどインパクトはなく、キプロスとの統一感もない(何か隠れたつながりがあるのか?)。
各不動産情報サイトによれば、キプロス樋口は2006年2月築、ミュゼ広面は2007年6月築。1年少しの間にこの変化は?


ビルやアパートにはたまに個性的な命名のものがあるけれど、キプロスもそれに含まれるだろう。
キプロス共和国でなければ、なにかの略語か? 隠語か? どうしてキプロスなのか、まったく想像できない。ひときわ難解で個性的な命名であろう。

【16日追記】秋田市に「タプロス株式会社」という、燃料・住宅設備などを扱う企業がある。それとのつながりがふと頭をよぎったが、タプロスは、旧社名「太平プロパン」などからの造語。「太平」ありきで「タ」だから、「キ」プロスとは関係ないだろう。
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神田土崎線の記録2

2019-11-13 00:19:24 | 秋田市営バス
廃止された神田土崎線の道をたどる前回の続き
外旭川から将軍野へ、狭い一方通行路を抜けて来た下り便は、自衛隊通りを越えて、土崎へ入る。
引き続き、新国道の2本北隣(奥羽本線寄り)の狭い一方通行を進む。「ゾーン30」規制区間になり、路面にカラー標示などが施されている。
奥に秋田港のポートタワーセリオンが見える
将軍野南三丁目から300メートルで「港東一丁目」。
ここにも酒屋

これまでと同じく、沿道には古くからありそうな家が並ぶが、左に秋田市土崎南児童センター(の側面)があって、その先に、
笹薮? 林? の中にバス停
ここから土崎港東から土崎港中央に変わる。右側の団地風のものは住友ベークライト秋田寮。
唐突にうっそうと茂る林が出てきて、秋田城跡歴史資料館前(関連記事)にちょっと似た雰囲気。あちらは高清水の自然の丘だけど、こちらは見性寺というお寺の土地。平地だし、林の厚さはさほどでもないようだけど、お寺の建物が道路からほぼ一切見えず、ぐるりと木々に覆われているようだ。
反対側から。林が途切れた先の建物が児童センター
港東一丁目から320メートルのこのバス停の名は、
「土崎南小学校前」
小学校“前”というけれど、小学校は?

児童センターがある場所が、秋田市立土崎南小学校の敷地の隅。
児童センターと民家で隠れていてよく見えないが、その向こうがグラウンドで、さらに向こうが校舎。校舎は1本新国道寄りの道路、つまりかつての路面電車の通り(ここは併用軌道だったらしい)に面している。(関連記事
位置的には「土崎南小学校“裏”」では? いや、そうとも言えない。
現在の土崎南小の校舎は1985年にできた。古い地形図を見ると、それ以前の校舎はバス通り・今のグラウンド側に建っていたのが確認できる。
そして、土崎南小学校は1961年開校。それ以前は、この場所に市立土崎中学校があって、その校舎を転用。土崎中は土崎駅の裏の現在地に、秋田市立学校初の鉄筋コンクリート造校舎として移転。
さらに以前には、1901年にできた秋田県初の火力発電所があった(いつまで稼働していたのかは不明)。
ということは、1954年運行開始の神田線では、当初は「土崎中学校前」というバス停だったのかもしれないし、旧校舎の位置を踏まえれば土崎南小学校“前”で当然だったことになる。

バス路線に戻る。
見性寺のお隣もお寺で、そこに次のバス停。南小前から140メートル。
電話ボックスとともに
以前、表示板のナールの文字デザインを取り上げた「嶺梅院前」。お寺の名が「嶺梅院」。
進行方向逆側から。山門に向かって左がバス停
上の写真では奥からバスが来て、横断歩道手前にバス停。
山門前が丁字路交差点で、北(写真左)から同じくらいの幅の道がぶつかる。一方通行はここで終わり、他の2方向は対面通行。
北方向へ曲がると、ナイス土崎店裏、土崎幼稚園角を経て、秋田北税務署前・オーバーパス下の交差点。土崎駅へ行くのなら、ここを曲がったほうが近いけれど、神田線は直進する。(現行の土崎駅~厚生医療センターの路線は、幼稚園~オーバーパスの部分は、この狭い道を通っている。)

1988年のポケット時刻表では、このバス停は「嶺梅院前」ではなかった。
「組合病院入口」という名称だった。
(個人的には当時はほとんど来なかったので知らないが)ナイス土崎店の場所には、秋田組合総合病院があった。2000年に現在の飯島へ移転し、2014年に秋田厚生医療センターに改称。
ということは、「嶺梅院前」に変わったのは2000年だろうか。
市営バスでナールの表示板を作っていたのは、1999年の泉地区の住居表示実施の頃だから、同時期ととらえることができ、つじつまが合う。その数年後にはパソコンシールに変わる。

組合病院の玄関がどこだったのか知らないけれど、バス停から組合病院までは、おそらく200メートルほど。次の次の土崎小学校前のほうが近そうな気もしたけれど、わずかにこちらのほうが近く、「組合病院入口」でも間違いではなかったのだろう。
対面通行になっても相変わらず狭い道

嶺梅院前から240メートルで、小さな十字路に出る。
バスは直進できなそうなさらに狭い道で、左右の道はちょっと広い。ここを右折して北進。
ここで、久々(下りでは1.3キロ)に上下が合流。曲がるとすぐに、
「港中央四丁目」。路面の赤い線が下り経路、奥の↓が上りバス停
狭い道のわりには、両側の路側帯に点字ブロックがある。組合病院のほかいくつかの医療機関があったからか。
土崎南小学区では「ゾーン30」だったが、ここは土崎小学区に入ったようで「思いやりゾーン30」。
港中央四丁目は上り側にもあるが、50メートルくらい離れた、合流/分岐する交差点を越えた先。
上り側。下りはカーブミラーの所から出てきて↓がバス停
表示板は下りは引き続きナール、上りは久々に移管直後の「JTCウインR」。

250メートルほど進むと、商店街、ナイス・幼稚園、税務署・オーバーパスの各方面の道と交わる、五叉路(交差点名なし)。
下りは右から左へ抜ける
五差路を直進。ナイス・幼稚園の道(上の写真で奥右のポストの所)を通る、土崎駅-秋田厚生医療センターの路線も通る道なので、ここからは現在もバスが通る。

すぐに左が市立土崎小学校。港中央四丁目から290メートルで、
「土崎小学校前」上り
上下が向かい合うが、下りがJTCウインR、上りがナール。
土崎小は、道路沿いに南(五叉路側)からグラウンド→校舎・門と面しているが、バス停があるのは、グラウンドの校舎寄り。「前」といえば前だけど、ちょっと微妙な位置。
神田土崎線は、土崎小、土崎南小、外旭川小(神田)、保戸野小(すわ町)と4つの市立小学校と秋田大学附属学校のそばを通っていた。

土崎小の前を過ぎて、土崎小学校前から220メートルで、
「港中央六丁目」下り。時刻表は神田土崎線、厚生医療センター始発とも、土崎駅行きだから1つの欄にまとまっている。次が終点のここから乗る人はいないでしょうけど
向かい合う上下ともナール。
200メートル直進すれば県道161号に突き当り、右折して50メートルで土崎駅前のロータリーに到着。


新国道を通るため省略してしまった上りを簡単に。
港中央四丁目から間に信号を1つはさんで220メートルで、新国道に出る交差点。
新国道を1.2キロ東進して、護国神社裏参道バス停の「高清水公園」交差点で左折、190メートル北進して右折して、合流。
高清水公園交差点。奥から来て右方向へ曲がっていた。向かいの角にあった野菜の苗をいっぱい並べていた店? が更地になった

以上、廃止時点での神田土崎線の経路の記録。
市営バス末期を中心とした、昔の神田土崎線についてはいずれまた。※ここまでの記事の補足をまとめた続きはこちら

※考えてみれば、これまでの「将軍野○n丁目」「港○n丁目」の各バス停は、昭和40年代の住居表示でできた町名だから、神田線運行開始当初は違うバス停名だったのだろう。あるいはバス停そのものがなかったものもあるかもしれない。
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神田土崎線の記録1

2019-11-11 00:04:50 | 秋田市営バス
秋田市のバス路線「神田線」の、2019年秋の変化の記録シリーズ。前回までは神田停留所付近の旧道経由の廃止を取り上げた。
もう1つの大きな変化として次に紹介するのが、秋田駅西口と土崎駅前を神田経由で結んでいた、いわゆる「神田土崎線」の系統廃止。※「路線廃止」か「系統廃止」か悩ましいところではあるが、個人的には土崎線も旭野団地線もまとめて「神田線」という同じ路線だと思っている。そのため、当ブログでは系統の廃止ととらえさせてもらいます。

神田土崎線の運行区間のうち、秋田駅西口~外旭川病院前間は旧道経由旭野団地線と同じで、前回までと重複するので取り上げない。
その先、外旭川病院前~土崎駅前が神田土崎線だけの経路。
したがって、「神田土崎線の廃止」は、「神田線が外旭川地区内(+秋田厚生医療センター)で完結するように短縮された」とも言える。
神田土崎線は、秋田市交通局が1954年に神田線を運行開始した当初の運行区間・経路に近い、いわば神田線の始祖。ここ数十年は本数が激減し、代替路線もあるので、廃止されるべくして廃止されたのではあるけれど、神田線の始祖がなくなったという意味で、神田線にとって1つの節目とするべき変化ではないだろうか。感傷かもしれないけれど。

今回は、廃止直前、秋田中央交通が運行していた神田土崎線について、記録しておきたい。※本数や途中経由地など昔からこの形態ではなかったことをご承知おきください。
市営バス時代については、また改めて。

一部繰り返しになるが、神田土崎線は、西口~通町~天徳寺前~(旧道)神田~八柳・卸売市場入口~外旭川病院前までは、旭野団地系統と同じ。旧道でない天徳寺バイパス経由の土崎線は設定されたことはない。
外旭川病院前の交差点では、旭野団地線が右折するのに対し、土崎線は左折し、ここから我が道を行く。地図に赤い線で示す。
地理院地図をモノクロ化して加筆。オレンジ色は旭野団地線。青は他路線(一部略)
すぐに奥羽本線と草生津川を渡り、外旭川から将軍野へ入り、西へ進む。
途中から一方通行になるため、上下で経路が分かれる。上り秋田駅行きは、港中央二丁目から護国神社裏参道まで新国道を走行。
下り土崎駅行きは、踏切・橋からの道をそのまま直進し、新国道の2本北の一方通行路を進む。
自衛隊通りを越えさらに西へ。上下が合流するのが港中央四丁目。北進して土崎駅へ向かう。

外旭川病院前~土崎駅前の距離は、地図計測で下り3.1キロ、上り3.5キロ。
神田土崎線全線の秋田駅→土崎駅(下り)は9.3キロ。廃止時の所要時間は下り29分、上り33分。通し運賃は480円。
参考までに、秋田駅→土崎駅を新国道経由土崎線では8.4キロ、県庁・寺内経由土崎線では8.8キロ。どちらも所要時間25分、運賃460円(消費税8%当時)。
神田経由は時間も運賃もだいぶかかるかと思っていたが、それほどでもない(一時期あった神田笹岡線は、もっとかかっていた)。
なお、JR奥羽本線では営業キロ7.1キロ、6~7分、200円。

廃止時点では、平日のみ、上下とも朝に1本ずつ=1往復だけ運行。
ダイヤは以下の通り。旧道区間も含めて【11日訂正】外旭川病院前~土崎駅前の廃止区間は全バス停の時刻を掲載しておく。下りのカッコ内は秋田駅からの運賃。
秋田駅西口7:05→通町7:09(170円)→すわ町7:12(170円)→桜町7:15(220円)→天徳寺前7:16(250円)→水口7:17→笹岡入口7:18(300円)→神田7:19→吉学寺入口7:20→八柳三丁目7:23(350円)→外旭川病院前7:24→鳥谷場7:25(390円)→向山7:26【15日訂正・この位置に「将軍野南四丁目」が抜けていました】→将軍野郵便局前7:27→将軍野南三丁目7:28(420円)→港東一丁目7:29→土崎南小学校前7:30→嶺梅院前7:31→港中央四丁目7:31(460円)→土崎小学校前7:32→港中央六丁目7:33→土崎駅前7:34(480円)
土崎駅前7:55→港中央六丁目7:56→土崎小学校前7:57→港中央四丁目7:58→港中央二丁目7:58→港南二丁目7:59→自衛隊入口8:00→護国神社裏参道8:01→将軍野南四丁目8:03→向山8:03→鳥谷場8:03→外旭川病院前8:04→八柳三丁目8:05→吉学寺入口8:07→神田8:07→笹岡入口8:08→水口8:09→天徳寺前8:11→桜町8:12→すわ町8:16→通町8:19→秋田駅西口8:28
外旭川病院前~土崎駅前のうち、土崎駅前-港中央六丁目-土崎小学校前の3停留所は、廃止されない土崎駅前-自衛隊前-秋田厚生医療センターの路線(いちおう神田線の1つの扱いだった200系統)が使うため、10月以降も存続(土崎駅前は、駅発着の新国道経由・寺内経由も使用)。
新国道に出る上りの港中央二丁目→護国神社裏参道も、新国道経由各線が通るからもちろん存続(例の電柱に巻き付いた自衛隊入口も)するので、以降省略します。
【11日追記】中央交通移管後、秋田市内路線で系統番号表示が始まった時は、神田土崎線に「201」系統が付番された。同一路線内での系統の番号順の法則はよく分からないが、「その路線の基本に、より近い系統ほど若い番号」のようなところがある。川尻割山線で商業高校経由が701で、本数は少ないが歴史がある船場町経由が700であるように。神田線の場合は、歴史が浅く、神田と縁がない、土崎駅-秋田厚生医療センターの短距離路線が「200」になってしまった点はよく分からないが、旭野団地発着各系統(202以降)を差し置いて201なのが、神田土崎線の歴史を示している。
また、車両正面の行き先表示の文字は、市営バス時代は単に「神田・土崎駅/秋田駅」といった表示(後日)だったが、移管後にLED行き先表示が採用されると「向山」経由とも小さく表記されるようになった。向山の知名度がどうか疑問だが、一方通行区間でない停留所から選んだのだろう。
なにせ見かける機会が少ない路線だったので、記憶があいまい。(LED化後・系統番号付番前も向山が出ていたか? 系統番号表示後は、他には天徳寺や神田が表示されていたか? など)とにかく「向山」は表示されていて、ちょっと意外だった。

【11日追記】市営バス時代~廃止時まで、朝の神田土崎線の下り便は、ほぼ時刻が変わっておらず、永らく下り神田線全体の中で第2便を務めていた。
第1便は、神田笹岡線があった当時は、その笹岡経由土崎駅行き。笹岡線廃止後は代替で旭野団地線に代わり、廃止時点では6時50分発バイパス経由厚生医療センター行き。秋大附属学校の通学にはまだ早く、客は少なかったはずで、10~15分間隔で続行するのは、効率が悪かったかもしれない。
神田土崎線の廃止分の増発はされず、旭野団地線初便が6時55分発となった。→2023年10月ダイヤ改正で、6時55分発が6時50分発に再び変更。(以上追記)


では、外旭川病院側から経路をだとってみる。
外旭川病院前バス停通過後の交差点。向かい側右が病院
旭野団地線(外旭川市営住宅、秋田厚生医療センター方面)はここを右折。
土崎線は左折。やや狭い道の比較的新しい住宅地の中を200メートルほど進む。ここまでは新興住宅地として昭和末に整備されたであろう新しい道。神田線初期からあったわけではない。

信号のない実質丁字路で、センターラインがないほど狭くて古い道にぶつかり、右折。
この道の左方向は、外旭川アンパスの県道の道を越えて、卸売市場入口の交差点まで一直線。前回も触れたように、これが昔からある道路で、もともとの神田線のルートだった。
曲がるとすぐ「鳥谷場(とりやば)」バス停。所在地の外旭川字鳥谷場が由来。外旭川病院前から250メートルほど。
上り進行方向の視点。奥にアンパスの柵が見える。上の写真の赤い線の左方向が外旭川病院
鳥谷場は上下が向かい合う。ポールはどちらもサビサビの古いもの。【この記事も参照
 
表示板は上りが市営バス末期設置のワープロ印字ローマ字入り透明シール、下りは移管直後に中央交通が設置した「JTCウインR」フォント。
【25日補足】鳥屋場の位置を2012年10月や2017年8月のGoogleストリートビューで確認すると、上り側が1軒ほど踏切寄り(手前側)の空き地(駐車場?)の所にあった。40キロ制限の標識がついた電柱も、ほぼ同じ位置で移設されていた。※今は空き地に何か建ったの可能性があるが未確認。

すぐに八柳踏切で奥羽本線を渡る。
渡ってから振り返った上りの視点。道路標識は蒸気機関車柄だが、反対側は新しい電車柄
さらにすぐ、カーブした八柳橋で草生津川を渡る。
上りの視点。奥が踏切。その奥に太平山
上の写真で、左隣(上流)には奥羽本線の橋、右隣には同じくらいの道幅の市道の向山橋が架かる。向山橋はもともとは市電が通っていた橋(道路併用ではなく鉄道専用)がルーツ。さらに下流側が新国道(という名の県道56号)の草生津川橋。

今は草生津川が外旭川と将軍野地区の境。橋を渡ると将軍野南。
奥羽本線と新国道の間を進む。ここから道はさらに狭く、時折緩いカーブも現れる。新興住宅地ではない家並みが続く。
鳥谷場から340メートルで「向山」。
ここも上下が向かい合う
ここから先の各バス停は、鳥谷場ほど支柱が錆びておらず、表示板は市営バス時代設置の「ナール」フォントが続く。
向山上り表示板
現在は「将軍野向山」という町名があるが、線路の向こう側でバスは通らない。住居表示実施以前は、この辺りも外旭川で「外旭川字向山」だったようだ。

280メートルほどで「将軍野南四丁目」。上下が少しズレて、下りが酒屋の前、上りが美容室の角にある。
下りは「酒」看板と電柱の間
さらに進むと、
小さな交差点。直進方向はここから一方通行
ここで上下でルートが分かれる。
新国道「高清水公園」交差点を曲がってきた上りは、上の写真左から手前へ右折する。
土崎駅行きの下りは、こちらから奥へ直進して一方通行路へ。なのだけど、一方通行路は横断歩道の線が3本しかない。これまでも充分狭い道だったが、中型バスでここを通るのは、相当大変ではないだろうか(実際に乗ったり見たりしたことがないので、本当にこれで正しいのか信じられない)。

下りルートを進む。この先はいくぶん道幅は広くなり、新しくはない住宅地が続く。
将軍野南四丁目から140メートルで「将軍野郵便局前」。
顕彰碑の前
郵便局前とは言うものの、郵便局は少し離れている。一方通行に入る交差点を新国道方向へ左折した所。上り便は前を通るのだが、バス停はない。

過去の地形図を見てみると、2006年には現在と同じ場所にあるが、1985年、1971年は違う場所に郵便局があった。移転していたようだ(地図記号だけなので局名は断定できない)。
以前の場所は、将軍野郵便局前バス停から土崎方向へ1~2軒目辺り。今も新しくはない建物が建っており、民家を使った簡易郵便局とかだったのだろうか。いずれにしても、昔はまさに「郵便局前」で、それがそのまま残っていたことになる。
【12日追記】いただいたコメントからGoogleストリートビュー(2012年11月と2015年8月)を確認してみると、ここ数年でも、郵便局前バス停が若干移動していたことが判明。
バス停は、2015年では現在の位置だが、2012年には1軒土崎駅寄りの家とさらにその隣の家の間にあった。
また、バス停と直接の関係はないかもしれないが、顕彰碑の裏にある白い建物は、かつては教会だった。廃止時にバス停があった電柱の左側から入るようになっていて、2012年には「日本キリスト教会 秋田北教会」という看板があった。

【11日追記】全バス停名が表記されている、1988年の秋田市交通局の冊子時刻表では、将軍野郵便局前が上下両方に存在するような書き方。誤記かもしれないが、かつては上り側にもあったのかもしれない。

ちなみに秋田市で郵便局名がバス停になっているのは、秋田中央、土崎、新屋の大所(ただし新屋は西部公民館廃止、秋銀新屋支店移転の後、最近の命名)のほかは、中通六、桜(簡易局)くらいか。

220メートルで、「将軍野南三丁目」。

ここまで住宅地の裏道といった趣の道を進んできた。沿道はたまに酒屋が点在する程度で目立った施設も、信号機もなかったが、ここで、
セブン-イレブンと久々に信号機。左が自衛隊入口交差点方向・右が将軍野踏切~自衛隊
自衛隊通りと交わる交差点。自衛隊通りが将軍野と土崎(土崎港東)の境界。
自衛隊通りは、通町寺内経由と県庁寺内経由の将軍野線が通り、この交差点そばには「将軍野南五丁目」バス停がある。秋田駅から南五丁目までは410円、神田線の南三丁目までは420円でその先460円だった。

セブン-イレブンの看板横の道路標識では、「一方通行終わり」が示されている。しかし、交差点を越えた直進方向も道幅は変わらず、「一方通行」の標識がある。「終わり」はいらないのでは?

画像が多く長くなってしまったので、いったん区切ります。土崎地区について、続く
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秋田市にマルシメ?

2019-11-06 23:23:34 | 秋田のいろいろ
9月下旬の秋田魁新報に「秋田活性化中学生選手権」という、2面見開きの企画特集が載っていた。
要は中学生が企業訪問などした様子を伝える広告特集で、その第1回(県南編)をざっと眺めていると、ある企業に目が留まった。
※その後何度か掲載され、11月6日付にもまた出ていたが、今回取り上げるのはそれらとは別内容。
「十文字中×マルシメ」
「マルシメ」に懐かしさをおぼえた。
県南方面になじみが薄い者にとっては、ほぼ名前しか知らない企業なのだが、昭和末期(~平成初期?)には個性的なテレビCMを放映していて、覚えていた。

秋田放送(ABS)の開局40周年だか(ということは10年前?)の特番で、久々に流れたそうで、ということはAKTではやらずABSだけの放送だったのか(AAB開局時点ではもう流れなくなっていたと思われる)。
当時には珍しく動画。上品なおばあちゃんがデパートというか総合スーパーというか、そんな店へ出かけ、いろんな売り場を見て回り、エスカレーターに乗って、レストランで食事をしてといった場面が流れる。
最後に男声ナレーション「おばあちゃんいわく」に続き、若干秋田なまりのおばあちゃんの声で「マルシメはヤングの店ですよ」で終わる。
最後に「マルシメショッピングセンター 十文字・増田」と表示されていたそうで、そういう店のCMだった。
「ヤングの店」というのは、本気なのか冗談なのか、どういう意味なのかよく分からないけれど、とりあえず名前とどういう店かは伝わった。

その後CMが流れなくなり、マルシメがどうなっているのか、意識することもなかったけれど、今も存続していたのか。
今回の新聞によれば「横手市十文字町で総合スーパー「スーパーモールラッキー」、同市増田町でスーパー「マルシメ七日町店」などを運営するマルシメ」とあった。
「スーパーモールラッキー」は御用聞きや送迎車など買い物支援に積極的な店だと聞いたことがある。それがマルシメ運営で、増田では今もマルシメブランドの店があるらしい。
今も県南に根ざして、堅実に商売しているんだなと思って読み進めると、

「事業の拡大を続け、秋田市でも食料品店を運営。」
ん? そんなのあったっけ?
秋田駅前などで飲食店をやっていて倒産した「KAMADAスマイルコーポレーション」は、かつて「鎌田会館」のさらに前は「マルシメ鎌田」という名前だったそうだが、それとは関係ないはず。

横手のマルシメのホームページの「会社概要」を見てみた。
本社は十文字で、「店舗数 3店舗[スーパーモールラッキー/マルシメ七日町店/瑞雲閣]」。
「瑞雲閣」は11月6日の特集の下に広告も出ていた。十文字のラッキーと同じ場所にある「仕出し料理専門」の店。【13日補足】かつては十文字で「マルシメ南の街ショッピングセンター」というものも経営しており、そこに「総合結婚式場プラザ瑞雲閣」があって、それが元のようだ。
秋田市に店があるようなことは書いていない。

ネットでいろいろ探して、ついに分かった。
2019年6月にオープンしたばかりの「NEED THE PLACE」のことだった!
と言っても、分からない人がほとんどのはず。

2015年に秋田市の通称・有楽町の裏側、南通亀の町にある醸造メーカー系列「ヤマキウ」の古い建物が、オシャレな商業施設として生まれ変わった(この記事後半)。
隣接して別棟で倉庫があり、それも2019年6月に複合施設「ヤマキウ南倉庫」としてオープン。そのテナントの1つが、スーパーというか「グローサリーストア」(?)である「NEED THE PLACE」だった。
ヤマキウ南倉庫(手前が2015年にオープンした建物)
もし、CMのおばあさんがNEED THE PLACEに来たら、やっぱり「ヤングの店ですよ」とおっしゃるかな?

知らない間に、(企業としての)マルシメが秋田市へ進出していた。
オシャレで高級な店じゃなく、(店舗ブランドとしての)マルシメやスーパーモールラッキーが秋田市に展開してくれてもいいかも。
コメント (3)
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仮裁判所

2019-11-05 23:54:15 | 秋田の季節・風景
秋田市山王七丁目1番地は、国の出先機関が集まる一角。
そのうち北側の山王大通りに面した、すなわち秋田県庁正庁【2021年4月11日訂正】本庁舎と秋田市文化会館の間にあるのが、裁判所。それが建て替えられる話。
前から言っているけれど、ここは1つの建物に仙台高等裁判所秋田支部、秋田地方裁判所、秋田家庭裁判所、秋田簡易裁判所、秋田検察審査会という異なる組織が同居している。
こういう場合、他の機関なら「○○合同庁舎」みたいな建物の名前が付けられるものだけど、裁判所の場合はそうはならないらしい。なんて呼べばいいのか知らないけれど、とりあえず「裁判所」と表記します【庁舎名は末尾にリンクがある、2020年8月の記事参照】。

当ブログでこれまでに、
・「身近で利用しやすい裁判所」になるためという、ある意味、裁判所のワガママでバス停名が「八橋市民広場・裁判所前」になったこと。
・斜め後ろにある国の秋田第二合同庁舎に入る、秋田地方気象台のレーダードームが、裁判所の壁に怪しい形を投影すること。
・2015年の東北六魂祭では、裁判所の駐車場がねぶた小屋やわらじ祭りの展示場になったこと。
などを紹介してきた。

そんな裁判所の建物は、1968(昭和43)年4月から使われていた地上5階・地下1階、延べ床面積7421平方メートルのビル。
ちなみにそれ以前は、中通の今の秋田キャッスルホテルの場所に、レンガ造りの建物があったそうだ。
北東・県庁西交差点角から。テレビの報道では、このアングルがよく使われる
2009年に裁判所前の植えこみのツツジを紹介したが、その時と違っている。
(再掲)2009年
建物の色合いなど雰囲気は変わらないが、耐震補強がされている。耐震補強しても老朽化には勝てず建て替えになったようだ。
大通り向かいから
その植えこみも正面側がなくなって舗装され、「裁判所」と記した石もなくなった。今はその部分で、工事の準備らしきことをやっている。

少し離れて東側・市役所駐車場前から
裁判所の敷地のうち、写真奥の西・文化会館寄りが大きな駐車場で、六魂祭ではねぶた小屋が作られた。今はそこに平べったい建物が建った。これが裁判所の仮庁舎。
プレハブ2階建て


裁判所は現在地で建て替えられることになり、解体→建設の間は、駐車場に約6億円で建てた仮庁舎を使う。
あんな広い駐車場があるのだから、仮庁舎でなく、そこに新庁舎を建てればよさそうなものだけど、何か事情があるのだろう。全国各地の裁判所でも、仮庁舎を経て建て替える事例は多いようだ。
旧庁舎と仮庁舎の位置関係
この3連休で移転作業を行い、明けた11月5日から仮庁舎での業務開始。旧庁舎でも残務があり、完全に移転するのは11月いっぱいかかる。

旧庁舎を取り壊した後にいずれできる新しい庁舎は、地上6階・地下1階、延べ床面積10112平方メートル。約60億円【6日補足・仮庁舎6億も含めて60億らしい】で、2023年度完成予定。※ABSの報道では仮庁舎を「2025年まで」使うとしているが??【6日追記・他の報道も含めて、いつまで仮庁舎なのかはどこかあいまい。まだ不確定なのかもしれない。新庁舎は2023年度にできて、移転・新庁舎稼働はそれより後という感じか。】【6日さらに補足・と思ったら、6日になってABSが「2025年は誤り、2023年でした」との訂正を出した。】
旧裁判所でも充分大きいと思うけれど、新しい裁判所はもっと大きくなるようだ。地方裁判所の庁舎は最高でも4階建てが原則【2023年3月12日コメントいただき訂正・4階建て以上のものもあるとのこと。】だが、秋田は高裁支部が入るため、それより規模が大きいということらしい。


さて、仮庁舎。上の向かい側から撮影した写真を見ると、プレハブにしては大きいようにも感じる。
しかし、現地で近くから見たら、小さく、きゅうくつで、威厳がないように感じてしまった。
八橋市民広場・裁判所前下りバス停(トラックは什器などの搬入中)
駅からのバス停の真ん前が、すぐに仮庁舎。
文化会館側から。奥のトラックがある所がバス停
上の写真手前が自転車置き場で、妙に立派。
玄関はバス停からちょっと離れたところ。
左右から階段やスロープで上がり、自動ドアを2回通って入る形

移転前なのに、表示板がもう出ていた

南西側から仮庁舎の側面と裏面
エアコン室外機が大量に並ぶ。
裏面。奥が旧庁舎=例の気象台のレーダードームの丸い影が
上の写真の赤白の柵よりこちら側、舗装されている部分は裁判所でなく、農林水産省東北農政局秋田県拠点の敷地。ギリギリまで仮庁舎が建っている。

仮庁舎は延べ床面積4400平方メートル。
法廷は1つ減って9つに。いちばん広いのは「101号法廷」で傍聴席36。旧庁舎では1号法廷で48だった。

プレハブでも内部はしっかりした造りなのかもしれないけれど、プレハブ法廷で判決を言い渡されたり、調停を受けたりするのって、気分的にはどうなんだろう。
あと、2階建てで、道路や隣接地ギリギリの仮庁舎では、被告人が逃亡しやすかったり、判決直後に法廷から飛び出してきた記者が勢い余って山王大通りに飛び出したりしてしまわないか。

けやき通りから、旧庁舎南東角。3階が出っ張っている
旧庁舎の裏にも駐車場があったが、ここは工事スペースになりそう。

Googleマップ航空写真に加筆。上が山王大通り
上の航空写真の赤い枠が裁判所の敷地。仮庁舎は左側の農政局の上部分いっぱいに建つ。
【6日追記】Googleマップでは、複数施設が入る建物なのに、そのうち1つの代表とは必ずしも言えない施設名だけが表記されることがままある(ただし、表記されない施設名で検索すると、正しく表示はされる)。裁判所も高裁支部、地裁、家裁を差し置いて「秋田簡易裁判所」だけの表示(下の国の合同庁舎2棟では、庁舎名が表示されていて、気象台などはなし)。むしろこういう点をなんとかすることが「身近で利用しやすい裁判所」になるのでは?

隣の秋田市文化会館も、県民会館跡の新施設ができれば、廃止となる。さらに西の秋田放送も駅前に移転してなくなる。この一帯は、あと数年で風景が変わることになる。
【6日追記】数年後、東北六魂祭の後継「東北絆まつり」が秋田市で開催されると考えられるが、少なくともねぶた小屋やわらじ展示は、変更を余儀なくされる。

【6日さらに追記】裁判所仮庁舎が何かに似ていると思ったら、産業会館跡地の工事事務所だ。工事事務所も大きめだけど、裁判所はもっと大きい。

【19日追記】裁判のニュースで法廷内が映った。どの法廷かは不明。若干天井が低い気がしなくもない(高い裁判長席は照明に近く、しかも頭髪が少ない裁判長だったので、ハレーション気味)が、いたって普通の新しめの法廷内の雰囲気。それぞれの席にセットされた液晶ディスプレイがフィリップス製だったのが珍しい。

【12月20日追記】12月20日の昼、山王大通り・臨海方向から来た車が、県庁前交差点で信号待ちしていた車の列に追突。5台がからむ事故となった。大ケガの人はなかったが、通行止めが長くなった。秋田放送屋上のカメラが、発生時の映像をとらえており、ほとんど減速せずにぶつかり、最初にぶつかられた車は180度向きが変わって(ひっくり返ったのじゃなく前後の向きが)しまった。
運転していた70歳代の男性は「建替え中の裁判所を見ていた」とのこと【21日補足・ABSとNHK秋田のテレビニュースで言及。22日付魁では報道されたが裁判所には触れず】。裁判所が原因で発生した交通事故である。

続き・2020年2月の状況
※さらにその後、庁舎名についても、2020年8月の記事
コメント (6)
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新駅工事2019.11

2019-11-03 00:19:57 | 秋田の季節・風景
秋田市の泉・外旭川地区に2021年春開業予定の、JR東日本奥羽本線の新しい駅。
秋田市による駅前広場など周辺の工事はお盆明けに着工していた。その続き。
JR東日本による駅本体の工事は11月着工とのことだが、現段階では明確な動きなし。

お盆明けに市道のアンダーパス菅野地下道が通行止め・廃止された。新駅の自由通路になるとともに、両端は埋められて駅前広場になる。
その外旭川側。
10月初め。地下道入口の上の自転車道から
10月初め時点では、切り通し状になったアプローチ部分の舗装や壁が一部はがされただけ。それが、
【3日・再掲写真により近いアングルの画像を追加】現在
砂か土で、埋められてしまった。周囲の道路や家よりは若干低いレベル。


上の写真の奥、アプローチ部の外側から。
(再掲)着工直前。右カーブの先に地下道入口

現在。緩い下り坂で周りより低いのが分かる

埋めた部分は平ら。これが駅の高さになるのか?

アプローチと並行する道から
上の写真は分かりづらいけれど、手前の草むらの向こうが埋められた部分。右が自転車道でその向こうが線路。
少し移動して自転車道付近
埋められたのは自転車道の下付近までで、そこから内側=アンダーパス本体部分は、舗装の表面ははがされたようだが、基本的にそのまま。
反対の泉側はアプローチ部分も埋められておらず、工事車両が出入りしているようだ。

上の写真の向かい側。奥左右が自転車道



さて、今回の連休明け11月5日からは、歩行者自転車道(通称・自転車道)の菅野地下道の上部分が通行止めになる。
現地の看板
通行止めは2021年3月31日までの予定となっているから、駅ができるまで。
この自転車道は、泉踏切から帝石踏切まで、奥羽本線沿いに2.5キロほどほぼ一直線の、(原則として)車が入れない道。今回の告知で「市道秋操東自歩道線」であることを知った。
通行止めになるのは、地下道の真上の数十メートルほどだと思われるが、自転車道を通り抜ける人の迂回路は、県道(天徳寺バイパス)近くまで行って直角に曲がるという、けっこう遠回りになる。接続する道の位置と、自転車道に対する角度の関係のため。
距離的には420メートルほどで変わらないが、【6日訂正・距離が違わないわけはありません】直線では300メートルだった区間が、迂回すると420メートル。住宅地の車も通る狭い道に回ることになる。散歩やジョギングの人、高校生など自転車で通り抜ける人も多かった道なので、迂回路に回る人が多くなると予想される。事故がないように。

2020年2月に駅名が決定
工事の続きはこちら
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