広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

二ツ井駅~道の駅を歩く

2021-06-30 00:16:50 | 秋田の季節・風景
以前、ちょっとだけ触れていた、今年3月下旬の能代市二ツ井訪問。
奥羽本線・JR二ツ井駅から「道の駅ふたつい きみまちの里」まで、歩いてみた。
二ツ井駅は町中心部にある。道の駅は直線で2キロ、最短の道のりで2.5キロの、川を渡ってトンネルを抜けた、景勝地「きみまち阪(きみまちざか)」の国道7号沿いにある。
1992年にできたが、バイパス建設のために、2018年に道路向かい側に新築移転している。車で旧・道の駅に来たことはあったが、新・道の駅も、歩いて行くのも初めて。

というか二ツ井駅で乗降するのも初めてだ。
この記事の通り、二ツ井駅は今春をもって、JR子会社による業務委託とみどりの窓口が終了。能代市による簡易委託駅になった。
券売機はなくなり、乗車券などを売る窓口(指定券等制約あり)がある。改札・集札は行わないので、ワンマン列車ではいちばん前のドアだけが開き、きっぷ等は車内収受。【30日補足・乗車は前の車両後ろ寄りドアのみ開く。】
ホームに「白神山地の玄関口 能代市 二ツ井町」
見覚えのある看板。25年前、弘前へ行き来していた当時からあって、能代市と合併時に「能代市」を付け足したほかは変わっていないと思う。
奥羽本線の秋田~弘前は、駅数も、時間も、距離も、二ツ井駅がほぼ中間。これを見ると、半分来たと思ったものだ。

白神山地が世界遺産になって注目されたのが1993年以降。その感覚では、五能線のほうが白神山地との結びつきを強く感じるので、二ツ井で白神山地の玄関口は若干違和感もある。ここから藤里町のほうへ行けば、白神産地だが、自治体が別ということなのか、右の観光案内には白神山地関連は何も書いていない。

二ツ井駅舎
この辺の国鉄駅舎によくある形の駅舎。後ろは杉が茂る山で、この地にふさわしい雰囲気。
能代や藤里へ行く秋北バスと、コミュニティバスが乗り入れる。道の駅へ行くコミュニティバスもある。
駅舎を背に
駅前から正面に道が伸びていて、駅前商店街【7月1日追記・「駅通り商店会」とあった】。営業している店はわずか。
まっすぐに進むと、米代川に突き当たる。そこを左方向・川をさかのぼれば道の駅方向だが、川は曲がっているので、少々遠くなる。
最短ルートは、駅からすぐの信号「二ツ井駅前」交差点を左折(右へ曲がると市街地)して、県道317号を進む。この記事の通り、1995年までは国道7号だった。
「↑羽州街道 建設省」と書いてあったらしい【30日補足・「羽」の半分が落ちて拾われたらしく、「↑」に掛けられている】
正面にきみまち阪の丘を見て、住宅などが続くありふれた道を駅から1.3キロほど進む。【7月1日追記・この辺り「荷上場」交差点で県道317号は折れて、直進側は県道322号に変わる。322号へ。】すると、
川を渡る
急にそれらしい風景に転換。右手に米代川が寄り添ってきて、さらに前方に続く。これから渡るのは、米代川支流の藤琴川。合流する直前に架かる橋。青いトラス橋で、1952年にできた「琴音橋」。
この時はトラスの塗装工事をしていた。秋田市の雄物新橋のように、天井というか上部がない側面だけの「ポニートラス」と、普通のトラスが混在する。
琴音橋は下流側にしか歩道がないので、駅方面から歩く時は、早めに右側へ渡っておいたほうが無難。
琴音橋からの眺め。米代川は左から右へ流れる
このすぐ上流側には今の7号線も寄ってきて渡り、さらに上流には奥羽本線の橋も架かる。

琴音橋の先には、トンネル。(7号も奥羽線もトンネル)
車道と歩道で別々
車道のほうの新しい案内標識は「きみまち阪トンネル」(トンネルの銘板は不明)。
歩道用
歩道の銘板は「きみまち坂歩道トンネル」で「坂」表記。
東北地方建設局(国交省東北地方整備局の前身か)、1973年3月、延長70m、巾3m、高2.95m、施工 大森建設株式会社(能代市)。

ちょっと怖い雰囲気もなくはないが、一直線で向こうも見えるし、ウオーキングの人もいて、昼なら大丈夫でしょう。抜けて振り返ると、
岩肌

外側には米代川も
車からでは、じっくりとは見られない光景かな。

川に沿って道路も緩くカーブしていて、道の駅の建物ははっきり見えるが、微妙に遠い。
7号線が合流してきたり、道の駅でない建物があったりして、少々複雑そうにも見えるが、川側(駅から来て右側)歩道を歩いていれば関係ない。
トンネルを抜けて600メートルほどで、道の駅の横から入る感じ。【7月1日追記・県道は国道に合流して終わり(県道322号としては起点)。】
道の駅中央にはバス停2本
コミュニティバスの「道の駅ふたつい」と、秋北バスの「二ツ井(道の駅ふたつい)」。
秋北バスは一般路線は通らない高速バス専用で、訪問時点では首都圏方面の夜行「ジュピター号」専用。6月からは秋田市方面も停車している。
内部も木材が多用
二ツ井駅から30分強かかった。高低差や危険な箇所はなさそうで、天気のいい昼間なら歩いて問題なし。この後、きみまち阪の上のほうへ登って下りるとなると、かなり体力を使いそうですが…
二ツ井のその他の風景など、いずれまた
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ひょうたん沼

2021-06-27 23:35:08 | 秋田の地理
その存在を知ったのは、昨年の今ごろだった。
秋田市北部の道ばたで、アヤメが咲いている一角に出くわした。そしてその奥には「池」のような「沼」のような水で満たされたものがあった。

昨年はアヤメが終わりかけだったので、今年改めて行ってみると。
今年もちょっと遅かったか…
草ぼうぼうだけど、紐で囲われた中にアヤメがあるので、植えられたもの。
水辺では、
黄色いアヤメ ※外来種キショウブではない
これも園芸品種だから植えられたものでしょう。

岸辺にはサクラが数本あり、その下にはベンチやテーブル。公的な公園のものとは違う感じだけど、立入禁止などでもない。地域の人たちによるものか。
上の写真左側の岸には、木道もあったが、入口からして草が生い茂り、入っていったら何か(少なくとも蚊)に出逢いそうなので遠慮。
道路と反対側の岸から
水辺にはメインの道路と分かれた道路もあるが、そこは住宅地ですぐ行き止まり。
水面の一部にはスイレンが茂り、白い花を咲かせていた。スイレンで唯一の在来種・ヒツジグサとは葉や花が違うので、やはり外来・園芸品種か。
【28日追記】「モネの庭」ってこんな感じなような。水とスイレンだけで、あとは違うか?

メインの道路側から。向こう側はうっそうと木が茂る丘
所在地は秋田市寺内。将軍野と土崎港と3地域の境界。
丘は高清水公園で、その北西端に当たる(出入口があるわけではない【末尾追記参照】)。
道路は、新国道・自衛隊入口交差点~県立秋田中央高等学校~旧国道・秋田城跡歴史資料館。
新国道から行くと、右手の中央高校の敷地を過ぎ、上り坂にさしかかる直前の左側。住宅地と高清水公園が切り替わる境界。
地名は左手前が将軍野、右が土崎港

秋田市内には、沼や池はほとんどないが、高清水公園周辺には散在する。この1本東の道の「空素沼(からすぬま)」が大きくて有名。
じゃあ、ここは?
Googleマップには、名前が登録されていた。※全面的に信用もできないGoogleマップではありますが…
「ひょうたん沼公園」だって
所在地が「将軍野南一丁目」とされてしまっているし、「公園」は不適切と思われるが、「ひょうたん沼」か。
たしかに上空から見ると、ヒョウタンっぽい形。
航空写真は草が茂っていないタイミングで撮影されていて分かりやすいが、今回入らなかった木道は、ヒョウタンの「くびれ」の部分のようだ。今回見たのは沼の北半分で、南半分が茂みに隠れていたことになる。

毎度定番ながら、まだまだ秋田市内にも知らないことが多い。
それにしても、ひょうたん沼の知名度ってどんなもんなんだろう。
この辺の通学区である「秋田市立高清水小学校 通学路安全マップ」には、空素沼や歴史公園内のものには「沼で遊ばないでね」と記載があるが、ひょうたん沼はその存在すら載っていない。

【7月1日コメントをいただき追記】
かつては「めがね沼」と呼んでいたとのこと。Googleマップの名前はアテにならないから、実は今でもそうだったりするのかも。
また、昔は木道の先は高清水公園内、護国神社の裏へ通じていたが、今は木が生い茂って通れないとのこと。
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下手「れ」他 道路標示

2021-06-25 00:02:37 | 秋田のいろいろ
道路標示(路面の白線)について。
まずは「止まれ」。以前、止マレ道路の線形に対応したものを紹介したが、新しい話。
秋田市内、とある止まれ。雨上がりと逆光で写真が見づらく恐縮です。
最初に「止ま」部分
分かりづらいが、部分的に路面のアスファルトの質感が違い、その部分は文字の白線も違って見える。

水道工事が行われた後で、それで舗装をはがした部分に「止まれ」の一部が含まれていたようだ。舗装し直し、標示を原状復帰する必要があるから、元からあって残った「止まれ」の線に続けて、書き足している。
ただ、それが本来の道路標示ではないやりかたでやってしまったようだ。

ペンキのスプレーを使って、道路標示のプロではない人が書き足したのではないだろうか。これっぽっちのために、専門業者を呼ぶのも…ということか。
「止ま」の2文字は、まだいい。いずれも直線部分なので、既存部に続けて板を当ててスプレーすれば、難しくはないでしょう。「ま」の縦棒が若干傾いているけど。

問題は、
何だこれ?!
「れ」にしては、かなり下手。
1文字だけ見せられたら「木」や「ホ」だと思われそう。
(再掲)正しい「れ」
本来の「れ」では、最後に一直線に下りる(そして下でちょっとだけ上へハネる)べき縦棒が、斜めになってしまい、短いのは明らか。そこだけ板を当てずにフリーハンドで書いてしまったようで、線が尻すぼみで細くなってしまっているのが、自信なさげ。既存のアスファルト部分には書き足したくなかった気配もある。
横棒は長い縦棒の右側に突き出ないのに、うっかり出してしまったのが最初の間違いかも。

いちおう「止まれ」に見えるし、かえって気を引いて、悪くないかもしれません。



もう1つは、2013年の続き(リンク先後半)。矢印。
路面の矢印は見かけは同じでも2種あり、車線が複数ある道路では規制標示「進行方向別通行区分」、1車線の道路では指示標示「進行方向」となる。
秋田駅近くの一方通行路・仲小路は後者。
2021年5月
一方通行路を進む側、小さな十字路手前に、3方向の矢印が標示されていた。十字路だから当然で、不要と思われるのに。
右折側は、以前は一方通行路(出口側)だったようで、右折できなかった。
だから、既存の左と直進の矢印に、後で右を書き足したのか。あるいは、一方通行でなくなって右折できることを知らせるために、あえて3方向にしたのか。(3方向矢印の存在に気付いたのは、2012年の道路整備の後)
それが、2021年4月頃、
くっきり。うっすらと目印のチョークの跡も
以前と同じ矢印が書き直された。アスファルトも新しそうなので、警察発注の引き直しではなく、道路やライフライン工事の原状復帰によるのかもしれない。

右折側の道には、2012年では一方通行だった名残の、道幅いっぱいの停止線と(当時の記事では指摘していなかったが)レアな横書き「止まれ」が残っていた。そちらは今は、
影で見づらいですが
ここは左が一方通行出口なわけなので、直線と右折の矢印が標示されており、それを明確にするべきなのだが、ほぼ見えない。こちらが引き直されていないことからも、3方向矢印が原状復帰の引き直しだと推測できる。


引き直しといえば、
保戸野街区公園前
横断歩道と停止線の白線が、ほぼ消えてしまっている。
道路標識だけが、ここが横断歩道であることを示しているとしても過言ではない。横が公園だけに子どもが飛び出すなどしたら…

秋田県警では、冬の除雪作業などで標示が薄れることもあり、入学シーズンを控えた春先に、白線を引き直している。その作業をマスコミに公開し、季節の風物詩になっている。また、最近は横断歩道の歩行者保護について、やっと本格的に取り組むようになってきた。
それなのに、こういう場所もある。

以前、もっと車通りの多い場所で同じような横断歩道があり、県警本部交通規制課へ連絡したことがあった。しかし、引き直されるまで3か月はかかったと思う。県内に横断歩道は膨大な数があって、引き直しの費用も作業も容易ではないのは分かるけれど、こんなありさまでは、歩行者保護がどうとか取り締まり強化とか、強く言えなくなるとも思う。
たしか秋田市内の白線引き直し工事が発注されていたはずなので、たぶんここも対象だろうと考えて、警察には伝えていないのですが。ここに限らず、歩行者も運転者も、注意して譲り合った通行を。
コメント (3)
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山崎・たけや マリトッツォ

2021-06-23 23:49:04 | ランチパック
ブームになっているらしい、生クリームをはさんだパン、「マリトッツォ」。
5月に工藤パンが発売し、秋田県内でも購入できた(6月に入ると見なくなった)。
要冷蔵、透明パック入り、「菓子パン」扱い、248kcal、幸福の寿し本舗製造。

その後、6月に山崎製パンが、6月5日(毎日製造は12日以降)にはたけや製パンも、マリトッツォを発売した。
ヤマザキ系列3社が、ぞれぞれマリトッツォを出したことになる。あんパンやクリームパンなど、3社それぞれで独自の商品があるパンはあるが、目新しいもので3社それぞれは、とても珍しいと思う。
いずれも秋田では購入できたので、比較。

ヤマザキ マリトッツォ
菓子パン扱い、336kcal。3社中、唯一の常温保存・袋入りで、いちばん小さい。値段も安めで、100~120円程度。さらにイオングループでは、6月上旬はWAONボーナスポイントを35ポイントも付与していた。

製造所固有記号は「KD」。工藤パンだ!
工藤パンブランドのは幸福の寿し本舗に委託して、工藤パン自身はヤマザキから受託するという、おもしろい構図。青森市で大量のマリトッツォが作られていることになる。

従来、工藤パンやたけやなど、山崎製パンとは別企業のグループ会社へ製造委託した製品では、裏面の山崎製パンの名が「製造者」でなく「販売者」として記載されていた。

このマリトッツォでは、販売者とも製造者とも記載がなく、単に山崎製パンの名と連絡先が書いてあるだけになっていた。ランチパックでも同様に変わっていて、そういうことになったのだろうか。
※仙台工場など自社製造のものは、引き続き「製造者」表記。

ネット上で、他地域のヤマザキマリトッツォの画像を拝見すると、製造はいずれも自社の松戸第一工場、松戸第二工場、武蔵野工場、安城工場、大阪第一工場、岡山工場を確認できた。

上下のパンが少々つぶれてズレてしまった
袋入りだから無理なのだろうが、粉砂糖は振られていない。
マリトッツォが基本的にそういうものであるそうで、生クリームの中に「オレンジピール砂糖漬け」が混ざっている。工藤パンのよりオレンジ感が強いと思う。

まあ、オレンジ風味のホイップをサンドしたパンという感想。

この常温のヤマザキマリトッツォは、バーコードの上に表記される正式な商品名は「マリトッツォ」のみ。
ヤマザキでは、これと別に、要冷蔵・袋入りで150円以上する、「Yamazaki マリトッツォ(オレンジピール入り)」もあるとのこと。高いしチルドだから当然ながら、そちらのほうがおいしいという話もある。さらに透明パック入りのもあるらしく、ヤマザキブランド内でも乱立。いずれも秋田で売られているかは不明。


そして、満を持してたけや製パンもマリトッツォを発売。12日付 秋田魁新報 経済面でも報道された。
6月5日に土曜日限定で製造したところ、注文が多く、翌週12日から毎日製造に切り替えたとのこと。

要冷蔵・透明パック入り、税込み希望小売価格162円。「菓子パン」扱い、339kcal。リベールなどでなくたけや自身が製造者。

バーコード上の商品名は「マリトッツォ」のみ。※工藤パンではバーコード上に記載なし。
表のシールの商品名は違う。
「バナナボートのホイップたっぷり マリトッツォ」
魁にも書いてあったが、たけや版マリトッツォの大きな特徴がクリーム。
同社の看板商品である「バナナボート(関連記事)」のホイップクリームを使っている。

工藤パンのよりも若干、大きいかな。粉砂糖あり。

断面
たしかにバナナボートのクリームの味だ。バナナボートはほとんど食べないけど、分かる。オレンジピールなどは何も入らず、ほんとにそのもの。
そして、パンがふわふわしておいしいような気もした。
工藤パンやヤマザキのパンは、表面がバターロールのようにテカテカしていたが、たけやのは光沢感がない。

本場のマリトッツォにもいろいろあるだろうけど、何も入らないクリームというのはどういう存在かは知らない。でも、日本人としてはすんなり受け入れられて、好まれる味だと思う。悪くない。
あと、マリトッツォに果物などもはさんでアレンジすることもあるそうだから、バナナボートのたけやとしてはバナナそのものを入れてしまうのも手では?
秋田市の「菓子舗 榮太楼」では、看板商品の山ぶどうゼリー「さなづら(過去の記事)」をクリームに混ぜたマリトッツォを発売しているとのこと。

などと言いつつ、要は「生クリームバーガー」。そんなに大騒ぎするものでもないような。マリトッツォ、ブームに終わるか、定着するか。

【7月3日追記】7月に入ると、たけやでは「チョコバナナボートのホイップたっぷり マリトッツォ」という、チョコクリーム入りのマリトッツォも発売されていた。クリーム以外の外見は、白いのと同じ。

【8月22日追記】たけやでは8月16日に「メロトッツォ」なるものを発売。「メロンパン×マリトッツォ」として、要はメロンパンでバナナボートのホイップをはさんだもの。透明パック入り要冷蔵。
ちなみにに、8月(1日から?)には「プレミアム生どら焼き」として、バナナボートのホイップと粒あんをはさんだどらやきを、やはり透明パック入り要冷蔵で発売。

※2022年5月には、たけやからこんな派生商品が発売された。
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土手長町 擬木/巣

2021-06-22 23:18:16 | 秋田のいろいろ
秋田市中心部、土手長町通り(県道233号~28号)から2題。
まずはこの記事の続き。
3月中頃、「広小路西」交差点の突き当りの、歩道と車道の間に設置された擬木の柵が、傾いていた。広小路を直進して来た車が、突っこんだのだと思われた。コーンが置かれたまま変化がなかったが、ちょうど3か月経った6月15日頃、工事が行われて、
復旧
工事後はコーンが置かれていたが、22日午後に撤去された。

以前は、交差点部分は切れ目のない一体的な柵だったのを、影響を受けた部分だけ、4スパン分撤去し、そこに新品の擬木の柵を設置する手法。
新しい擬木も、高さなど極力、変えないよう意識したことはうかがえるが、どうしても分かってしまう。色・光沢も違うし、新旧の区切り部分では柱が2本連続するので。
新しい擬木と近接して見えづらいが、以前からの擬木で新たに「端」になった柱では、かつて横方向の部材が出ていた穴を埋めている。

縁石は再利用したものと、交換したものが混ざっている。 

以前の擬木はコンクリート製だったが、新しいものはプラスチック製のプラ擬木だろうか。焼き目を入れたようなリアルさはあるが、光沢があるのは作り物感が強い。
万一、また車が突っこんだ場合、守り切れるのか(歩道や川に突入してしまわないか)心配でもある。
以前と同じく、天面には反射材のようなものが置かれている。行き止まりを示す「<<< >>>」みたいな反射板を付けたほうがいいのでは?

反射材がない天面では、“年輪”が見える。15本ほど刻まれている。(本物の木ならもっと年数がかかるのでは)
古いほうにも年輪はあるが、薄れている
【11月30日追記】新しい擬木天面にある、上記で「反射材」とした部分には、小さい赤色LEDが複数個ずつ埋めこまれていて、夜間に点滅していた。古いほうは発光を確認できず。


ついでに、ここの道路外側、旭川岸の擬木柵。道路とは設置時期が異なると考えられるが、デザインは酷似し、道路も河川も秋田県(秋田地域振興局建設部の別々の課)が管理者である。その一部は、
コンクリートがはがれ落ちて、鉄筋が露出

横方向でも
秋田県さんは、把握しておられますよね?
直ちに危険ではないようには見えるが、歩行者が寄りかかって川に転落などないようにお願いしたい。



もう1つは新規の話題。「二丁目橋」交差点の東側と、「五丁目橋」交差点の東側北寄りの2か所。
二丁目橋交差点。左が二丁目橋、右はみずほ銀行秋田支店

五丁目橋交差点。左方が南大通り、右が五丁目橋
どちらにも「カラスの巣あり 通行注意」の立て看板。車道ではなく歩道向きに立てられている感じで、二丁目橋はイチョウ、五丁目橋はケヤキの、それぞれ2本の街路樹をはさむように、両方向向き1枚ずつ。4枚とも同じ書式で、まだ新しそうな看板。気付いたのは1週間ほど前だった。
 
カラスは木や電柱に巣を作って、産卵・子育てする。その期間、人間が下を通ると攻撃することがあるから、それの注意喚起。
道路パトロールをしていて見つけたのか、実際に被害があったのを受けて作ったのか。秋田県にしては気が利いている。でも秋田県は「融雪装置故障中」という立派な看板を立てるように、表示による言い訳はやっている。

電柱に巣を作られた場合、材料に針金が混ざっていると停電のおそれがあり、電力会社は対策をしている。
最近は「営巣監視中」という表示が付いている電柱もあって、それは送配電に影響がない状態であることを確認済みの巣ということらしい。むやみに撤去すると、影響がある場所に作り直される可能性があるし、巣立つまでは見守るという気持ちもあるのだろう。
県道では、看板で歩行者・自転車が気をつけてもらうのが、無難な対策ということなのでしょう。

あんまり見上げると襲われそうだから、通りざまにおそるおそる観察。
五丁目橋では、2本のケヤキで大きさが違う。南側の小さいケヤキには巣はなさそうで、枝葉がうっそうと茂る北側の中にあるのだろうか。

二丁目橋のイチョウも大小差があるが、これは向かい側などから見ると、北側の大きいほうに巣があるのが目視できる。みずほ銀行の宝くじ売り場窓口の真横。
通った時は、親カラスが1羽いて「カーカー」と鳴いていた。怒ってはいなそうで、何もされなかった。


濁ったガーガーでなく、澄んだカーカーという声からすれば、二丁目橋の巣はハシブトガラスだと思われる。育児中に人を攻撃するのはハシブトガラスのみで、ハシボソガラスはやらないらしい。
ちなみに、千秋公園周辺で見られるような、木の実を道路へ落として割る行動は、逆にハシボソガラスしかやらないという。秋田市中心部でも2種ともいるようだ。

土手長町通りは電線が地中化されていて、巣作りできる場所は限られているのだろう。だけど、何もこんな車がたくさん通る場所に作らなくても…とも思うが、タカみたいな外敵は来ないだろうし、旭川対岸の川反などで餌を入手しやすい(コロナの今はそうでもないか)メリットはあるのかもしれない。【23日追記・水が少なくなった旭川に降りて「烏の行水」する個体もいた。】

カラスが人を襲うのは、子育て中に親鳥が行うだけで、他の季節や集団で襲うことはないという。くちばしでつつくことはできず、人の背後に向かって、飛び降りざまに足で頭を蹴る。
僕は数年前、秋田東中学校の踏切側の交差点でやられたことがある。襲う前に鳴くなど威嚇行動があるというものの、そういうのに気づかなかったのか、いきなりだったのでかなりびっくりした。痛さはそれほどでもなかった。
頭髪の少ない人、子ども、足腰の悪い人がやられたら、危ないかもしれない。

帽子や傘をさして後頭部を隠すと、襲わないらしい。両手を上げるのも効果的というが、かえって刺激になりそうな気もしてしまうし、ちょっと恥ずかしい。可能ならば、巣立つまで通るのを避けたほうが無難かもしれません。
この後、カラス看板は増設された
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高速バス 能代線・大館線

2021-06-21 19:29:20 | 秋田の地理
当ブログコメント欄でも話題になったように、2021年6月16日から、秋田市内へ乗り入れる秋北バスの高速路線バスに、変更が2点。
1.能代~秋田線の秋田市側の運転区間延伸
2.大館~秋田線の新規運行開始
なのだが、若干ややこしい。

能代線は、2002年(※)から秋田中央交通と共同運行していて、現在は秋北バスが4往復、中央交通が2往復担当。※高速道路がなかった1993年以前にも2社で運行されていた。
これまではすべて、秋田市内では、(秋田北インター)-運輸支局入口-幸町交番前-山王十字路-川反入口-秋田駅西口-県庁市役所前-山王交番前 と停車。

今回延伸されたのは全便でなく、秋北バス担当のうち2往復。能代発が2便目8時台と4便目13時台、秋田発が3便目11時台と5便目16時台。
延長されて新たに停車するのは、2つの停留所だが、曜日で異なる。
「広面蓮沼(ひろおもて はすぬま)」は毎日、「イオンモール秋田」は土日祝のみ。
イオンモール秋田は御所野なわけで、けっこうな距離になる。広面蓮沼は、秋田大学医学部附属病院の最寄りという名目。

平日は、川反入口-秋田駅西口-広面蓮沼-県庁市役所前-山王交番前 の順になる。
広面蓮沼のために、いったん線路を越えて、また従来ルートへ戻る形。県庁~西口は従来便が10分のところ、能代発が22分、秋田発が24分かかることになっている。

休日は、川反入口-秋田駅西口-広面蓮沼-イオンモール秋田
県庁方面へ向かわずに、線路を越えずに南進して御所野が起終点に。

運賃は、延長前の秋田市内各バス停(運輸支局~西口~山王交番同額)と比べて、大人で広面蓮沼が+100円、イオンモールが+200円。能代市内からだと1100円と1200円。
秋田駅などで降りて、タクシーや一般路線バスに乗り換えることを考えれば、楽だし安い。ただ、後述の通り、広面蓮沼と大学病院の間は500メートル程度歩かないとならないし、広面蓮沼バス停には上屋などないので、足腰の悪い患者が冬に通院する時などは、つらそう。


大館線は、秋北バス単独の運行で、平日のみ2往復。予約不要。
秋田市と大館市を結ぶ路線バスは、史上初(秋田~鹿角は大昔にあったらしい)。高速道路が延伸して運行しやすくなったのだろうが、実車距離125.3キロ、所要時間2時間32分(ホームページより)の長丁場。
※盛岡行き高速バス「みちのく号」は129.6キロ、2時間半なのでほぼ同じ。なおみちのく号も、16日から岩手医科大学まで一部便が延長されているが、これは延伸以前・杜の道南までの数値のままのようだ。
車両はみちのく号と共通の車両のようで、Wi-FiやUSB充電が提供(古い車に後付け対応もあり)。初日は大館市長も出席する出発式を行うなど、力が入っている。

秋北バスエリア側では、
いとく大館ショッピングセンター北口-いとく鷹巣ショッピングセンター前-道の駅ふたつい
の3か所に停車。この3停留所相互間の利用はできない。
出発式は、大館駅前の秋田犬の里で開催され、バスの客席に数人座って手を振りながら発車していったのだが、あれはサクラだったことになる。
大館市だけでなく、北秋田市鷹巣、能代市二ツ井の利用も想定していることになるが、どれもJRの駅周辺ではない所にバス停。特に道の駅ふたつい(関連記事)など、市街地から歩いて乗るのは少々大変。自家用車でのパークアンドバスライドや送迎での利用を考慮、というか前提にしている。
地元住民の利用に特化して、JR駅を切り捨てた格好だが、地理を知らない旅行客がうっかり利用してしまったら大変かもしれない。

秋田市側では運輸支局入口~西口~山王交番(起終点)と、能代線と同一。※広面蓮沼やイオンモールへは行かない。

ダイヤは大館発5時50分、10時00分、山王交番発12時48分、17時43分。
大館のバス会社だから当然ながら、秋田市側からは往復しづらいダイヤ。県庁などへの用務、秋田市への通勤通学を想定しているそうで、始発だと秋田駅8時10分着、山王交番8時22分着で、たしかに間に合う。【2021年10月から1往復に減便された。末尾追記参照】

運賃は大館~秋田1800円。今のところ、往復割引のような運賃優遇はなさそう。能代線では2社の回数券での支払いも可能なのだが、大館線では少なくとも中央交通の回数券は使えないだろう。
JR奥羽本線だと、普通列車で1時間40分程度、1980円。意識した設定だ。

秋田県は、秋田市一極集中ながら、秋田市対ほかの市の間の公共交通機関網が脆弱。秋北バスとしては、新型コロナウイルスによる減収を、比較的安定した県内輸送で補いたい狙いもあるようだが、どうなるか。JRも対抗して車両や割引きを見直すなどしてくれればいいのだけど…



ところで、大館線に秋田中央交通が参加せず、秋北バス単独となったことについて。なお、中央交通のホームページでは、能代線延伸の告知は掲載されたが、大館線の言及はなし。
2社の交渉が決裂したとか、そういうことではないと思う。逆方向に秋田市から大館へバスで往復する需要が少ないと判断したか、中央交通に余裕かやる気がないのだと思う。
しかしながら、中央交通としては、秋北バスへの“後方支援”を惜しんでいないように感じる。
なぜなら、まずはダイヤを見れば分かるように、能代線と同じ停留所であり、秋田市側で4時間以上の折り返し待機がある。この待機は、能代線同様に、中央交通の秋田営業所を借りていると思われる。

もう1つは秋田市内のバス停の状態。
中央交通が羽後交通と共同運行する秋田~横手・湯沢の高速バスでは、中央交通一般路線用と別に羽後交通がポールを立てている。※ただし、一部バス停では中央交通側で羽後交通分の時刻表を作成・掲出している気配もある。
しかし、能代線では、中央交通の一般路線バスのバス停に、時刻表を貼って対応し、秋北バスのポールはこれまでなかった。
親密さの違いなのか、取り決めの違いなのか、同じ共同運行でも扱いが違っていた。

今回、秋北バス単独の大館線、そして秋北バス担当便のみが停まることになる広面蓮沼(とイオン)では、バス停がどうなるか興味があった。秋田市内初となる秋北バスのポールが立つのではと期待した。
能代線に加えて大館線の乗車ができることになった、幸町交番前(※)下り側はどうなったか。
※幸町交番前は、昔の「いすゞ前」。交番は近いうちに泉外旭川駅前へ移転するので、この名称も変えないといけなくなりますね。
こういう時刻表
中央交通スタイルの時刻表。以前は能代線単独で1枚だった。
現在は、上が高速能代線、下半分が「高速 大館線」になった。運賃も掲載。
連絡先として、能代線は秋北バス能代営業所、大館線は同大館営業所の電話番号も掲載。能代線は中央交通自身も運行しているのに、連絡先がない。市外通話で能代へ問い合わせろとは…
一般路線も含めて、中央交通では時刻表に電話番号を記載したがらない。
単独運行なのに中央交通が時刻表を作ってやって、中央交通のバス停に貼って使わせてやるほどなのだから、仲が悪くはないでしょう。

広面蓮沼。
広面蓮沼は、大学病院方面の一般路線バスのバス停。2018年10月に、谷内佐渡の旧道からバイパスへ経路が変更された時に、新しく設置され、歴史は浅い。
秋田駅西口から手形陸橋・県道28号を東進すると、「広面小南」交差点で旧道が分岐、その次の無名交差点で県道41号・横山金足線を越え、その次が「秋田大学付属病院」交差点。※この辺の交差点について
無名交差点と秋田大学付属病院交差点の間に、広面蓮沼バス停がある。

「秋田大学付属病院」交差点といっても、附属病院の正面までは北へ400メートルもある(交差点より西にある広面蓮沼バス停から病院だと、もう少しかかる)。
一般路線は、その交差点を曲がって病院内へ乗り入れる(そして戻ってくる)のだが、大学病院内はきゅうくつ(関連記事)。高速バスの大きい車では支障があるので、乗り入れずに広面蓮沼に停まることにしたのだろうか。

広面蓮沼バス停。奥の信号が横金の無名交差点
写真は能代線乗り入れ後の撮影だが、新しいポールはなく、以前のままの光景。

広面蓮沼では、もう1つ気になることがあった。どちら側にどちら行きのバスが停まるか。ここは一般路線バスも少々ややこしいルートなのだが、新路線ではさらに複雑そう。大まかには、
西口~(手形陸橋)~手形蓮沼~(横金線・城東十字路)~御所野/(秋田中央道路地下トンネル)~山王か?
でも蓮沼一帯は、旧道とバイパスが近接していて、どれにも信号機があるので、それらを周回すれば方向転換もできるので、なかなか難しい。

単純に考えると、一般路線バスと同じ向き、西口へ向かう側が、能代へ行く乗車バス停になるかと想像した。
しかし、上の写真の、一般路線で西口行きの側には、高速バスの時刻表や説明書きは何もなかった。
では、向かい側・一般路線で西口から来る側は、


こちらにはあった
小さい紙に、やはり中央交通スタイルで「高速 能代線」。高速能代線という路線全体としては中央交通も関わっているのだし、これも共同運行事業者としての役目なのだろう。

予想に反して、一般路線で西口から大学病院へ向かって来る側(道路の北側)が、高速能代行きの乗車用だった。
じゃあ、能代から着くのが、最初の写真の側かもしれないが、意表を突いて降りるのも乗るのと同じ側という可能性もなくはないかも。これは実際を見るか、問い合わせるかしないと分からないな。
【7月18日追記】コメントで、乗降とも同じ側で行っているとの情報をいただいた。

ということは、能代行き、山王/御所野→広面蓮沼→西口方向の蓮沼周辺での回りかたは、こういうことになる。
Googleマップに加筆。赤い線が推測した運行経路
横金線を北進してきて、無名交差点を県道28号へ右折、広面蓮沼で乗車させて、次の「秋田大学付属病院」を右折[東口方向の谷内佐渡バス停通過]、また次の「大学病院入口」を右折して旧道へ[かつての路線経路]、その次の交差点で横金線に当たる。という時計回り1周。
逆回りなら右折が1回で済むのに、3回も右折が必要なルート。横金線から県道28号へ右折する交差点には右折矢印信号がある(反時計回りの場合、旧道への右折交差点にはない)ので、それを意識したのか。
その後は直進して、「広面小南」を左折すれば手形陸橋→西口となるのだろう(左折して再び横金線を戻って、明田地下道経由はないでしょう)。【12月24日追記・コメントによれば、広面蓮沼を出た能代行きは上の画像「←秋田駅西口へ」とある交差点を、直進ではなく右折して、いったん横金線へ。次をすぐ左折して県道28号・手形陸橋方向へ向かうらしい。】


ともかく、広面蓮沼での乗車位置が分かりにくい。バス停は真向かいだが、道路横断は信号まで回らないとならない(交通量が多いので、横断歩道以外の横断は危険で無理)から、バスが見えてからでは間に合わない。あと、表示板に「秋北バス」と書いていないのも、戸惑う客はいるかもしれない。
ホームページでの告知や、乗れない側のバス停に「能代行きは向かい側からご乗車ください」の掲示をしてはどうだろうか。


【10月3日追記】10月1日から大館~秋田線が1往復減便された。一時的な運休なのか、ずっとこのままなのかは不明。
「新型コロナウイルスの感染拡大に伴う需要の減少により」としているが、運行開始時点と感染状況は大して変わっておらず、単純に利用が少ないことが理由ではないだろうか。
減らされたのは、大館発10時の2本目と秋田発12時台の1本目。したがって、大館を基準に運行しているから、朝秋田へ行った車が大館へ帰るまで、秋田に9時間も滞在することになる。まさか片道回送するわけでもないだろうし。効率が悪い。

【12月7日追記】秋北バスホームページに12月6日付で「高速バス「大館・秋田線」の廃止について」が掲載。
2021年12月15日の運行をもって、大館~秋田線が廃止されることになった。「新型コロナウイルスの影響が続く中、運行を継続することがかなわず大変心苦しい限りでございます」としている。ちょうど6か月間の短命に終わる。
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広面の花菖蒲2021

2021-06-19 19:27:45 | 秋田の季節・風景
東北地方も6月19日に梅雨入り。東北北部では平年+4日、昨年-6日。
晴れて暑い日が多かった秋田市も、19日はしとしと。

この時期といえば、秋田駅から真東へ2キロ、太平川そばにある「広面近隣公園(ひろおもて)」の花菖蒲園?(花菖蒲コーナー?)。※「広面街区公園」は別の場所なので、お間違いなく。
ブログでは2017年以来の掲載となる。2018年以降もほぼ毎年行っていたのだけど、花の見頃と合わなかった。継続して、そこそこ管理され続けているのは確認している。
雨に濡れていい感じ
アヤメかハナショウブかカキツバタか。いつも悩む。秋田市公園課では「(花)菖蒲」と称しているのだが。※ハナが付かない「ショウブ」はまったく別の植物。
花弁の付け根の色で3者を見分けるのだそうで、今回咲いていた花に限れば、アヤメだと思われる(黄色くて、網目模様がない)。まだ咲いていないのもあったので、それは別の可能性もある。

一面見頃というほどではない
見頃なのは、
端のほうの紫~白系統

別の端のほうで黄色系統(外来種キショウブではなく、黄色いアヤメ)
散策ついでに眺めるには申し分なし。
雨がぱらつく中、園内を散策する人はちらほらいたが、花菖蒲コーナーは貸し切り。

しっかり管理されてはいるけれど、一部は、
小さめの株で、周りにスギナも密生

公園の西側は、大昔太平川の流路だったであろう河跡湖(三日月湖)によって、住宅街と仕切られている。
水は少なめで、端が干上がっていた
2017年も水は少なかったようだ。晴天続きのせいか、あるいは水草やウシガエル対策かもしれないが、これはこれでニオイそう。

公園正面は、
臨時駐車スペースとして開放中
県道62号で広面大橋の西手前の交差点、だんご屋の角を曲がった所が正面・駐車スペース。
徒歩・自転車では、太平川沿い、ノースアジア大学前の歩道橋付近からも出入り可能。
バスは、秋田駅東口発 日赤病院・御所野、南ケ丘行きで「広面宮田」下車、ケーズデンキ横の道を歩道橋方向へ。東口または西口発 赤沼線で「碇入口」下車、だんご屋角へ。
※菖蒲コーナーは、太平川と反対の三日月湖側、公園本体より低い土地ですので、見落とさないようご注意。また、その階段のほか、木道や岩、土の部分が多いので、靴選びや足元にも気をつけて。
翌2022年の状況
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秋田ニューシティ 階段と広場

2021-06-16 23:43:59 | 昔のこと
秋田ニューシティの思い出、いよいよ最終回。※前回3回目
完全無断撮影で恐縮ですが、貴重な内部。
2002年ダイエー末期の4階の売り場配置図に、1階の出入口など加筆したものを示す。
右が北、下が大町通り側
上の図右下、北東角が前回のエレベーター。建物に対して斜めなのが分かる。

まずは階段。東辺の北側と南側の2か所にあった。冒頭の図では、2つの階段の大きさが違って見えるが、同じサイズだったと思う。
商業施設の階段は、避難階段の役目を兼ねる場合もあるはずで、基準みたいなのがあるのだろう。ニューシティと同じ構造の階段は、よく見かけると思う。フォンテAKITA(以前イトーヨーカドー秋田店が入居)、イオン秋田中央店(秋田サティ)、イトーヨーカドー弘前店、ヒロロ(以前ダイエー弘前店が入居)と同じ作り。【7月23日追記・フォンテは西側の階段だけがその構造。東側は一般的な1本道の階段】
前後の時代は知らないが、少なくとも1980年代から1990年代半ばまでは、主流だったのではないだろうか。

その造りを指す用語があるのか知らないし、文章では上手く説明できない(写真を見てください)が、「左右対称」のデザイン。
上がる時は、踊り場までは1本(幅が広くて中央にも手すりがある場合が多い)。踊り場で方向転換すると、左右に半分の幅2本に分かれて、上の階へ。単純なジグザクの階段を2つくっつけた感じか。造るのが手間で、場所を取るが、狭苦しさはない。

造りは同じ各商業施設でも、階段の位置はそれぞれで違うようだ。
「階段室」のように売り場と隔離するように配置する場合と、売り場と一体化させ(実際には防火シャッターがあるだろうけど)目立つように配置する場合。
2か所階段があるイオン秋田中央店では、2つとも階段室風。お客様はエスカレーターをお使いくださいということか。
フォンテ秋田も2か所だが、東側はエレベーター横の階段室的位置、西側は入り口を入った横の見える位置と、使い分けている。イトーヨーカドー弘前店もそんな感じ(エレベーター横とバスターミナル側)で、チェーンの方針みたいなのもあるのかも。
この2店は、階段やその壁の色はどれも白系統でまとめられている。となると困るのが、どっちがどっちか、例えば「トイレは階段のそば」と記憶していても、どっちの階段か迷うことがあること。

秋田ニューシティは、ヨーカドー同様に2つの設置環境が違った。
北側はエレベーター向かいの開放的な場所。1階では北寄り入口から入って、右前方。
南側が階段室風。日本銀行秋田支店際、南寄り入口の左ではあるが、少し距離があって、通路を抜けて左側に階段。
さらに大きな特徴があって、2つの階段を取り違えることは(常連客としては)絶対になかった。なぜなら…
北側
写真では北側が暗く、南側が明るく写ってしまったが、実際の感覚としては逆だった。
南側
床の色が、明らかに違ったから。
北側はベージュ系の落ち着いた色合い。南側は若干朱色がかった赤で、壁際や手すりの支柱が埋まっている部分は、白くなっている。
以前の記事の通り、秋田ニューシティでは、当初の外壁やエレベーターの扉など、ダイエーのイメージカラーを意識したのか、赤~オレンジ色が使われていた。目立たない側とはいえ南の階段もその1つなのだろうか。こんな赤い階段なんて、ほかにあるかな。

写真で気付いた発見。
ベージュの手すりや白い壁は、南北共通だった。踊り場の照明の下に「ご案内」掲示板が2つあるのも同じ(その上の照明は南のほうが多い)。
踊り場の角の壁の形状が違う。北側ではきれいにカーブを描いているが、南側ではそこが角を落とした直線。目立たない側は工事費を節約したのでしょう。

各フロアとも売り場は、基本的に東半分がテナント、西半分がダイエー直営だったので、階段はどちらもテナント側。
個人的に印象深い階段付近の光景は、北側では、地下はクリーニング屋、2階が辻兵の呉服の店、4階がレコード屋。南側は、地下はフードコートの近くだったことになるが、明確に思い出せない。4階は書店と時計店の間の通路を入っていった所。

南側の階段で特徴的なのは、上り口の幅が広い階段と向き合って、トイレがあったこと。階段とトイレが隣り合ったり、踊り場にあったりすることは多いが、相対する配置は知る限りではニューシティだけ。
トイレは、出入口は男女共通で、入ってすぐで左・南が女性、右が男性と分かれていた。
最近は入口から男女分けるトイレが多いが、昔よりは狭めで、中に角があって、出る人と入る人が鉢合わせすることがある。その点、ニューシティのトイレは良かったと思う。

階段の下、トイレ共通出入口の横には、ベンチがあった。
あと、開店から何年か経ってからだと思う。1985年頃かもしれない。ベンチのそば、トイレ入口の左に冷水機(ウォータークーラー。床置き・水道管直結でペダルを踏むかボタンを押すと、ピューっと吐水するやつ)が置かれた。初めて冷水機を知ったのがニューシティだった。イトーヨーカドー秋田店(フォンテ)には今もあるかな?
フロアから踊り場方向。この背後がトイレ

踊り場からフロア方向。右が売り場方向、左は非常口だった
通路の奥、独特な色、トイレ、マイナーな階段という条件のせいか、南側階段は暗いような避けたいような気持ちがなくもなかった。けど、わりと使った思い出もある。
あと、弘前のヒロロの階段に行くと、若干ながらニューシティの階段に通ずるものを感じてしまう。当初の核テナントがダイエーで、玄関から少し左側に行って階段室、階段近くにトイレという構造が似てはいるが、築年数が10年以上後で、色やトイレの配置は違うので、先入観かもしれないけれど。

さらに、改めて写真を見て感じたこと。
商業施設の階段としては、段数が多そうで、上下方向の空間が広く見える。1段ごとの高さとか、階段の傾斜角度は、他の商業施設の階段と大差ないはず。
数えてみた。※同じビル内でも、階によって1~2段程度の差があるらしいのが分かった。
秋田ニューシティは、1フロア分が32段程度(踊り場をはさんで16+16)。明らかに天井が低い、秋田OPAでは26段ほど。フォンテAKITAは29段。イオン秋田中央店は28段。
やはりニューシティは若干、段が多い。つまり天井が高かったようだ。以上階段。


ニューシティで象徴的だったのが1階と2階の東側中央寄り。1階は「インナープラザ」という広場で、2階までの吹き抜けであった。
インナープラザという名前は、公式にはある程度使われていたが、身の回りの人たちは「広場」と呼んでいたと思う。客としては、使わないが通用はする名称という感じ。
2009年11月。2階東側から中央方向
向こうにエスカレーターがある。
この時のインナープラザでは、辻兵によるお歳暮ギフトコーナーが特設されていたようだ。
上の写真で左奥(南西)にはディッパーダン、右奥(北西)には公衆電話2台(ボックスではなく台に並べて)があったが、この時点でどちらもなくなっていた。また、左手前(南東)にはインフォメーションカウンター・プレイガイドがあった(後の写真参照)。

上の写真、記憶にあるインナープラザと違うと思われるかたもおられよう。
ダイエー撤退後のリニューアルで、だいぶ手が加えられているから。
モノクロながら貴重な当初の写真は、2011年6月6日の「二〇世紀ひみつ基地」「1981「ダイエー秋田店・秋田ニューシティ」オープン(http://20century.blog2.fc2.com/blog-entry-797.html)」に出ている。

ただし、この部分では耐震補強材などは入っていなそうで、天井や柱など骨組みはリニューアル前と変わっていないと思われるので、サイズは変わらない。
上の写真正面に、格子状の太い柱のようなものがある(格子の間は鏡)。ここがインナープラザの正面。
リニューアル前のここは、からくり時計があった。てっぺんにアナログ時計(セイコー製で文字盤はローマ数字だったはず)があり、毎正時にチャイムの音色とともに、その下に大きくはない人形が何体か現れて、動く(鐘を鳴らす動作をする?)感じだったと思う。
色はベージュやこげ茶など(時計の文字盤と針もそんな色)暗めで、人形は無機質な感じ。幼稚園児の僕は、そういう全体の雰囲気、見上げるような高さ、キンキンカンカンけっこう大きな音で鳴り響くチャイムの音に、恐怖を感じた思い出がある。
写真では、床は白くて明るいが、そこも当初はもっと落ち着いた色合いだったと思う。

インナープラザの広い部分を使って、写真展・作品展のような催しがされることもあった。お歳暮コーナーみたいなのは、ダイエー時代にはなかったかもしれない(4階に催事コーナーがあった)。
さらに時計の下には、少し高くなったステージがあって、ステージイベントが開催されることもあった。
南西から北東方向。この左がエスカレーター・下にディッパーダン跡
↑2階の真正面にはオレンジ色のエレベーター扉が見える。
拡大
下のインナープラザの片隅には丸いテーブルと椅子があって、そこで談笑や勉強する若者がいる。
催事がない通常時は、もっと広場中央寄りに置かれていたはず。リニューアル前は、円柱の柱を囲む円形の木製(?)のベンチもあったと思う。

北西から南東方向。右がエスカレーター、下に公衆電話跡

拡大
1階の奥のほうは、日銀側の出入口がすぐ。その手前にインフォメーション。2階のこの位置にイタリアントマトのカフェがあったのか(記憶では北側だと思っていた)。

2階。すりガラスの外が吹き抜け
2階はエスカレーターを除く3辺が吹き抜けに面した通路になっていて、見下ろすことができた。
記憶では、インナープラザの吹き抜けは完全な円形だと思っていた。しかし、写真の通り、北辺は直線だった。エスカレーターや時計を設置し、通路でないため、そういう形になったのだろう。吹き抜けがある分、2階の通路は狭いような気がしていたが、写真を見るとけっこう広い。
通路外側は、イタトマや辻兵などのテナントだが、この時点では撤退したものもあった。

商業施設に吹き抜けのイベント会場を設けるのは、時代を問わずあるところにはあるが、秋田市内ではイオンモール秋田の3階まで吹き抜けの「セントラルコート」が有名。ほかにはあまりなさそう。ニューシティのインナープラザは時代を先取りしていたのかも。


エスカレーターについて。上のほうに少しだけ写っているように、中央部南北方向に1セットのみ。
通常の2人並列で、ベルトは階段の手すりと同じような濃いベージュ。
当時のジャスコやヨーカドーでは、乗り降り口でステップの下が緑色に光っていた。「ステップ下照明」という三菱電機のオプションらしい。ニューシティにはなく、エレベーターからすると日立製?

1階では北側の小さい入り口から入って、まっすぐがエスカレーター。北側は2階への乗り口と、地下からの降り口。北側玄関から地下へ降りるには、南のディッパーダン側へ回りこむ。
末期(リニューアル後もしくはそれよりも前)以外は、1階の北入口から北側エスカレーターの辺りで、いつも音楽が流れていた。ニューシティ内のほかの場所では聞いた覚えはなく、音の発生源が分からなかった。いつも同じクラシック曲で、ヴィヴァルディのいわゆる「四季」から「秋」第1楽章が流れていたと思う。正月だけは宮城道雄「春の海」に替わるけれど、その他季節問わず。


その他思い出。
・初期には、北側出入口の外付近がドブ臭いことがあった。あとたしか地下のトイレも?
・小学校2年生の社会科見学(当時は生活科がなく、小1から理科社会)で、ニューシティというかダイエー地下食品売り場を訪れた。開店前の動かないエスカレーターを上った。同時に、近くのせきや商店も見学。
・秋田ケーブルテレビがインターネットプロバイダサービスを開始した頃、インナープラザ公衆電話前で特設カウンターを設置していて、そこで加入を申しこんだ。【19日コメントで思い出したので追記】時計下のステージ右側では、多画面ディスプレイを置いて、ケーブルテレビの多チャンネルを放映する紹介ブースが常設されていた。
【19日コメントで思い出したので追記】・イタリアントマトは、辻兵系列の「株式会社エル・アンド・デー」が運営(現在も存続)。この企業は1981年4月に設立されており、ニューシティオープンと同時にイタトマを出店させる意向だったようだ。当時はケーキがでっかいのに驚いたものだ(近年は少し小さくなった)。

徒歩圏内の者にとって、派手な思い出はないけれど、秋田ニューシティ・ダイエー秋田店は、身近で暮らしに欠かせない存在であった。
開店時には、地元商店街(通町や大町)からの反発もあったようだが、営業中は、ある程度共存できていたと思う。当時大型商業施設が多かった秋田駅前~広小路の客を、ある程度大町周辺に呼びこむ役割を果たせていたと思う。
ニューシティの開業とその後に関わっている辻兵・辻家にとって、大町は創業から代々営業してきた土地でもある。地元の老舗として、地域経済を活発にする役目と責任も、ニューシティによって果たしてくれていたと思う。

秋田ニューシティの閉鎖・解体は、人口減、当時の日本経済の衰退、ダイエーの業績不振もあって、タイミングは悪かったと思う。辻兵の努力では限界だったのだろう。2008年に、5代目・辻 兵吉氏が亡くなったことも影響するかも。
更地になった跡地は、新文化施設候補地になったものの、辻家側が断ったのが2016年。その報道では、「民間での利用計画に充てたい」「今すぐ進める具体的な計画があるわけではないが、(略)民間で活用するのが望ましいと判断した」とのコメントで、期待したのだけど、もう5年になる。秋田駅前は官民挙げて活性化が進んでいるというのに、旭川の西側は…
何かやるより、空き地として所有し続けて、駐車場で貸すぐらいが、確実で安全という判断なのだろうか。誰かに売ってマンションが建ってしまったりするのも、惜しい気はするけれど。

自分(たち)で活用すると決めた以上、地域全体のことも考えて、なんとかして盛り上げていく責任も、秋田経済界を代表する辻さんにはあるようにも思う。
私有地に部外者が口出しする資格はないのだが、往時の街のにぎわいとそれが辻家の力でもあったことを知る者としては、辻さんにがんばってほしい、何とかしてほしい、何かやってくれるのではと、願ったり期待したりする気持ちは、まだ消えていないですよ。
オープン40年後・解体10年後の姿
北辺で90メートル、東辺で70メートルほどの敷地。これっぽっちの場所にあれだけのものがあったのはちょっと信じられないし、ここにたくさんの人と物が集まってにぎわっていたのは遠い昔の話になった。
40年前、40年後のここがこうなっているとは、誰が想像できただろうか。秋田ニューシティオープンから50年となる、10年後・2031年、ここはどうなっているだろう。
2024年にここの一部に新たな用途ができた
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地図上のホテル

2021-06-14 23:17:50 | 秋田の地理
秋田市でシティホテル(豪華な部屋、レストラン、婚礼・宴会場があるホテル)といえば、秋田キャッスルホテル(元・秋田第一ホテル)、秋田ビューホテル、ホテルメトロポリタン秋田【15日追記・元・秋田ターミナルホテル】の3つだろう。
そのうち、秋田ビューホテルの名前が変わった。

秋田ビューホテルは、浅草などにもある「日本ビューホテル」の、東北唯一の直営店(福島県のビューホテルは子会社運営)。
1984年に、秋田駅前再開発でできた「秋田中央ビルディング」に、「ほんきん西武(現・西武秋田店)」とともにオープン(西武が4月27日、ホテルが5月1日)。

オープンからほぼ37年経った、2021年4月30日から他社に譲渡され、名称変更。
4月29日付 秋田魁新報7面には「37年間のご愛顧、ありがとうございました。」の全面広告が出た。
37年で婚礼10,617組・1,109,515名、宴会5,842,610名、レストラン10,263,023名、宿泊2,328,661名(187室)とのこと。宴会にはコンベンションも含むのだろうか?(飲食していなければ数えないのかも) 自分も数十人分くらいはカウントされている。

4月からは、長野県の斑尾高原のスキー場やホテルを運営する「アビラ」という企業の運営に。岩手の安比高原の会社とも関係があるらしい。1年前に、アビラ側からビューホテルに対して、話を持ちかけたとのこと。支配人を含めて従業員はそのまま継続雇用。楽天ポイントカードは使えなくなる。

2021年4月30日からは「秋田ホテル」
名実ともに秋田を代表するホテルということか、と思った。覚えやすいのがいい。
4月下旬、ビューホテルの表示の見納めに行ってみると、
正面のひさしはすでに作業中!
あと数時間早く来ていれば… 秋田以外の他のビューホテルで引き続き見られるけれど。
「AKITA VIEW HOTEL」の跡
秋田ニューシティの「AKITA NEWCITY」とよく似ているが、やや細い書体。

正面のドアの上はまだ残っていた。
37年の風格
現在は、以前と同じような材質、書体で、雰囲気を変えずに秋田ホテルになっている。

(再掲)
上の写真、手前のてっぺんにも「AKITA VIEW HOTEL」があった。
それは4月下旬時点で撤去済みで、5月以降も空白のまま。


後回しなのかなと思っていた5月24日、2021年12月に秋田ホテルの名前が変わるとの報道が出てびっくり。
2021年12月から「ANAクラウンプラザホテル秋田」になる。
再度の身売りなどではなく、アビラがイギリス拠点の「IHG・ホテルズ&リゾーツ」と運営受託契約を結んだことによる、改称(リブランド)。秋田初の外資系ブランドホテルになるし、航空会社名のホテルも初かな。
旅行客には見知らぬ「秋田ホテル」よりもブランド力があって魅力的だろう。地元の人にはなんかカッコいい名前で、新しもの好きの県民には受けるかもしれないが、外資系なのを入りづらく感じたり、そもそも覚えられなくなるのは確実。
ちなみに、このホテルの英語表記は「ANA CROWNE PLAZA HOTEL」。クラウンはcrownでなくcrowneと最後にeが付く。意味は同じで古い英語の綴りらしい。

「秋田ホテル」は、わずか半年ちょっとの短命になってしまう。
秋田ビューホテルの引き受けと並行して、別に提携の話が進んでいたということなのか。
高い位置の表示を書き足さなかったのは、これを見越していたのか。
もうちょっとタイミングを調整して、上手く移行できなかったのか。
【2022年5月15日追記】ホテル名が再度変わっても、その運営企業名は引き続き「秋田ホテル株式会社」のままで、秋田ホテルの名が残る。

弘前駅前の「シティ弘前」は、シティ弘前ホテル(1989年)→ベストウェスタンホテルニューシティ弘前(2008年)→ホテルナクアシティ弘前(2014年)→アートホテル弘前シティ(2016年)と変遷し、ずいぶん目まぐるしいと思っていた。いちおう「シティ弘前」の名は残っている。
だけど、旧秋田ビューホテルは、ビューの名も残らないし、負けない目まぐるしさ。


そうなると、以前取り上げたように、道案内をする時に困る。
人どうしがやり取りする時もそうだけど、街なかの地図や案内板も。

2017年に、秋田駅自由通路のリニューアルに合わせて、中央改札口向かいの周辺地図が電子化された。

全国の駅によくある表示灯株式会社の広告入り「駅周辺案内図NAVITA」。液晶画面を見ると…
「秋田ホテル」になってる!
電子地図なら変更は容易なわけだが、変更されたという情報が伝わらない可能性もあり得る。1か月ちょっとでしっかり対応できているのは、さすが。
切り替えて英語でも
ただし、秋田駅西口から北方向への拡幅・対面通行化された道路は、まだ変わっていない。これは地図データ提供元の都合もあるだろう。
あと、秋田駅前郵便局はマークがあるのに、駅の中にあるトピコ郵便局は表示されないという、NAVITA特有の現象(他の都市でも事例あり)は相変わらず。

NAVITAでない、そのほかの印刷された地図はどうか?
自由通路・ぽぽろーどの西口バス乗り場エスカレーター付近の地図。
「秋田ビューホテル」のまま
イトーヨーカドーはフォンテに修正されている。しかし、秋田放送はないし、オーパはフォーラスだし、西武秋田店が2009年までの「秋田西武」になっている。

自由通路を下りて、大屋根下「秋田駅前大屋根通り」の、元からくり時計だったモニュメントのショーウインドウの中の地図。2013年の情報に更新されていることになっているが「秋田西武」などそれ以前の情報も混在。
これも同様に手つかず
このモニュメントは、秋田中央ビルディングの管轄のはず。その店子である西武やホテルの名前を変えないってのは、冷たい大家さん。

大屋根の西端にも地図がある。
左手前のピカピカの枠

上に大きい地図、下に小さい地図。小さいほうが広範囲
「秋田駅西口活性化事業協同組合・秋田市」と書いてあるが、それは歩行者安全の注意書きの名義のようにも読める。地図もそれらの管理ということでいいでしょうか。~組合にも、中央ビルディングは参加していて、所在地もビルの中のはず。
下の小さい地図から。

「秋田ホテル」になってる! けれど、周りは「秋田西武(ほんきん西武に上貼り)」はじめことごとく古い名称ばかり。
ホテルハワイ、フォーラス、ニューたけや、イトーヨーカドー、なかよし、鎌田会館。

写真に写っていない範囲では、旅館榮太楼、ホテルはくと、ワシントンホテル、AD、スカイホテル、JTB、升屋、農林中金、秋田警察署、秋田和洋女子高、県民会館・県立美術館周辺、脳研・成人病医療センター等々、懐かしい名称が並ぶ。秋田ニューシティなどごく一部は、白いテープで隠されている。
タイムスリップしたようなというか古地図だ。
逆にどうして「秋田ホテル」だけ直したのか。直すならば周りをいっしょになんとかしようと思わないのか。

大きい地図。

こっちはイトーヨーカドーが「フォンテAKITA」になっている。でも、ニューたけやがそのまま。
ニューたけやは2009年末閉店・2010年7月にNEW金座街ビルに改装。フォンテは2010年末改称。フォンテのほうが後なのに、どうしてそれを直す時にニューたけやのほうもいっしょに(以下同文)。

下の地図では表記がある「緑屋」は、上ではグレーで無関係かのよう。
そしてその下、他のビルと同じ色と文字で「金萬ビル建設予定地」、下の地図では「金萬ビル」。
※「金萬ビル」とは、今解体されている、中央通り角の金萬ボウルだったビルとはまた別。緑屋とフォンテの間、今は駐車場になっている場所。どちらもお菓子の「金萬(きんまん)」が由来。
だいぶ前にそういう計画があったそうだが、計画倒れになっているのでしょう。いつまでもできないんだもの。いつまでも堂々と「建設予定地」なのは未練があるのかな。

あと現在地付近、大屋根下の通路の形が、くねくねし、アゴラ広場とバスプール(買物広場バス停のこと)の間に3色の円が描かれているが、そういうものは存在しない。昔はあったんだっけ??


バス停名称と同じで、施設の名前が変わったのは、地図設置者に責任はなく、変更は手間なだけ。
宣伝を兼ねてホテル側が費用負担してもいいかもしれない。でも、地図を置いた者として、いつまでも適切に案内するという責任は果たしてほしいし、ニュースになった名称変更なのだから知らないはずはない(そもそも紹介した一部は大家が設置しているわけだし)。
新型コロナウイルス感染症で、旅行客も少ないだろうし、12月の再改名まで待って「ビューホテル」を更新してもいいでしょうけれど、それもやらないでしょうね。案内地図の意義、価値が薄れてしまう。

最後に問題。秋田ビューホテル→秋田ホテルが、2021年12月から変わる名称は何でしょう?
えーっと、航空会社、JALだったか…その後は王様っぽいカタカナで…(答えは上をご覧ください)
地図だけじゃなく、我々地元の人の頭も今から書き換えておきましょう。
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こまち公園注意事項

2021-06-13 00:04:28 | 秋田の季節・風景
秋田駅近く、線路東側の2つの街区公園から2題。
最初は、駅北側の区画整理中の一角に、大型連休直前から本格的に供用された手形新栄町街区公園
5月下旬になって、西側以外の3辺にそれぞれある出入口のうち、北側が、
こうなった
やっと、公園名称の標柱が設置された。

↑後方の屋根とベンチは、四阿(あずまや)ではなく、「シェルター」だそうだ(各メーカーや秋田市公園課のサイトで、そう呼び分けている)。
2013年以降に採用されているコンパクトな標柱。フォントなども変更されていないようだ。



もう1つがメインの話題。
駅の南側の、通称・こまち公園。1998年3月31日供用開始で、正式には「拠点第一街区公園」。
街区公園にしては広大で、駅に近いこともあり、幅広い世代に親しまれる公園。公園から秋田駅に出入りする秋田新幹線を見られるので、自然発生的に愛称が付いたようだ。※以前の記事
しかし、公園と線路の間の駐車場だったJR用地に、2018年にクリニックが開業し、視界が遮られてしまった。
現状。右が線路
クリニックの線路際は駐車場になっており、ゲート類はなく、部外者が入ろうと思えば立ち入りできる。私有地だし、安全面もあって、勧められないけれど。

ところで、「拠点第一街区公園」が浸透しないのは、名前が堅苦しい以外に、もう1つ大きな理由があると思う。
現地に正式名称がどこにも書いていない(避難場所案内図には小さく書いてあるが)から。
拠点第一街区公園南東角
南東と北東の角は、広めの出入口になっている。最近設置されたと思われる「防犯カメラ作動中」という表示板はあるけれど。
完成当時はまだ擬木標柱の時代だったはずだが設置されないまま、その後も忘れられたのか。新栄町といっしょに発注されないかと確認したが、今なお未設置。

大きな板にいろいろ書いた看板は、どちらにも設置されている。
南東角のもの
「秋田市公園課」名義で、サビが出ている。
本文の書体は、モリサワ「新ゴ」のようで違うし、写研「ゴナ」でもない。「な」「た」「か」など特徴的。
調べると、武藤工業が開発、MPCが販売していた「サイン中角ゴシック体」。MPCが2009年に倒産し、今は入手できないフォント。

看板の中身について。
これまで、1997年の秋田駅自由通路の動く歩道の「注意事項」や1986年頃の資源ごみ持ち去り禁止の「“告ぐ”」を紹介した。
それらには、我々の世代ではというべきなのか、2000年代以降の感覚ではというべきなのか、違和感を感じる言い回しが散見された。不特定多数に向けた公共の場の掲示としては、そぐわないというか厳しいというか上から目線というか。

これも、まずタイトルが「公園利用者へ」。
今だったら「公園を利用するみなさんへ」と柔らかくするか、でなければ「公園利用上の注意」のように具体的にするかだと思う。
その一方、本文では「みなさんの憩いの場」「みなさんで次のことを守りましょう」と「みなさん」が多く、「~しょう」と柔らかくなるのも、ちょっと古くさいかも。

そして、4項目の注意事項。
4番目の「ゴミは捨てずに持ち帰りましょう」はいい。ただ、役所的には「ごみ」はひらがな書きするのが基本のはずだが。

その他3項目は、言っていることはなんとなく分かるが、言い回しも文章も、下手というかまとまっていない。
「1 他の利用者に迷惑(無謀・騒音)となる行為はやめましょう。」
「2 施設の目的外や乱暴な利用は危険ですからやめましょう。」
少々重複していそうだが、1は「他人」への影響、2は「(行為を行う)利用者自身」への影響を理由にやめさせているのか。
1は「無謀」と「騒音」を並列させるのはどうなのか。また「無謀」が具体的でなく分かりづらい。あと、「他の利用者」だけでなく「近隣住民」への迷惑も考えるべきだが、言及がない。
2は「目的外」が「利用は」にうまくつながらないし、利用より「使用」でないのか。


そしてひときわおかしいのが、
「3 施設へのキス・落書きなどはやめましょう。(器物損壊などで罰せられます。)」
3では、人でなく「公園施設」への影響となるものをやめさせているようではあるが…
「施設へのキス」って何? 遊具をなめるなってこと?
イタズラされて「キズ」の濁点が取れたのかとも思うが、2か所どちらの看板も、きれいな「ス」で、濁点の痕跡は見当たらない。最初から「キス」だったのか。

仮に「施設へのキズ(はやめましょう)」だったら、「傷付ける」というか意味かなとは伝わるが、日本語【13日補足・公的な場での日本語】としておかしい。
北東角の看板。落書きはやめましょうが落書きされている

3項目は「近隣や他の利用者の迷惑になる行為はやめましょう。」「遊具など施設は正しく使い、大切にしましょう。」ぐらいでいいのでは。
秋田市の一般的な街区公園などでは、ボール遊び、犬(リードやフン)、花火など個別のお手製の注意書きはよく目にするが、このような総合的で大きな看板は、ほかに見たことがない。
秋田駅近くで若者が集まりそうな特殊な環境の公園だから、これを作ったのか。

でも、現状ではそんなに使いかたが悪いようには見えない。そもそもこんな看板、誰も読んでないだろう。サビ、落書き、おかしな文も放置(少なくとも2年は変わってないはず)されていて秋田市側も意識してなさそう。更新時期ではないか。いっそこれに公園名称も表示し、分かりやすい注意書きに改めてはどうでしょうかね。
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ニューシティ 庇とエレベーター

2021-06-10 19:32:49 | 昔のこと
秋田ニューシティの思い出3回目(前回は遠景)。今回は特記なきものは2009~2010年撮影。
まずは、客用出入口周辺。
東辺。元市営バス265号車だったバス
出入口がある東辺と北辺は、歩道がない市道に面していることもあるのだろう、道路沿いの敷地を歩道同然に開放し、ひさしも付いていた。駐輪場も(明確に指定されていたかは忘れたけど)ここだった。
ドーム状のひさしで、銅らしき金属がふかれ、支えのアームには丸い穴が開いているという、独特のデザイン。何かモチーフがあるのか(形は稚内の「北防波堤ドーム」をちょっと連想)重苦しい印象があったが、今見れば悪くないかも。
よく見ると、屋根の端に、屋根と同じ金属製の箱状の大きな樋らしきものが付いていた。雪が道路へ滑り落ちないような仕掛けでもあったのか。

1回目の記事の通り、東辺には南北それぞれに、ドア3組の幅の出入口。
この2つは同格の玄関だと思っていた。しかし、2010年のニューシティ最後の正月の記事を見たら、門松は北側のほうが大きいものが置かれていた。
南側入口横から北方向。ひさし内は昼間でもオレンジ色の照明が灯っていたようだ
一方、南側玄関の南には「定礎」板がはめられていた。上の写真手前の赤い所。
解体着工後撮影のせいか、枠右下に傷あり
オープン前月の昭和56年5月付。「辻 兵吉」などとは書いていない。

小さい玄関が1つあった北辺。個人的にはこちらが懐かしいが、記憶は薄れてしまった。
手前がエレベーターのある北東角
北にもひさしはあるが、その出入口のところで終わっている。以降、西方向にも歩行者スペースは続くが、路面もタイルからアスファルト舗装になり、自転車が長く放置されることもあったはずで、扱いが悪くなる。ミスドやせきや方面との行き来も考えれば、ギリギリまでひさしを延長しても良かったかも。
【16日追記・オープン当初、この辺りがドブ臭いことがあった。】

こちらの出入口は、ドア2組分の幅。
ドアとドアの間に、北都銀行のATMがあった。秋田銀行は末期はエレベーター前にあったけど、最初はどうだったか??【11日追記・コメントで教えていただいた。当初の秋田銀行ATMは、南側出入口そばにある、階段付近にあったとのこと。そう言われればそうだったかも。】
屋根なし部は照明も簡素、草も生える
以前も紹介したように、ここの壁に何かの表示板があって塗り直されず、その看板が取れたようで、
オープン当初の外壁の色が見えていた

ひさしの下の店内側は、テナント部分に当たり、ショーウインドウになっていた。
東辺
ひさしの下にまたひさしがあり、白いヒラヒラに「NEW CITY」ロゴ入り。
窓の中には耐震補強材が入っている。ダイエー撤退後のリニューアル時に耐震改修をしたのか? だったら取り壊す必要があったのか…


交差点のある北東角にあったのが、ガラス張りエレベーター。
※これを「シースルーエレベーター」と呼ぶこともあるようだが、現在は吹き抜けの中などにあり、もっと丸見えのシースルーエレベーターもある。昭和にはそんなのはまだなかったのだろう。
真四角の建物の「角」を面取りしたようにエレベーターが取り付けられており、壁や店舗・店内通路に対してエレベーターのドアが斜めの位置関係。
外から見て左の箱
外から見ると、エレベーターの箱が赤い。そしてその上下に小さな電球がたくさん並んで昼間でも点灯している。箱の上と下各2列ずつ。これはオープンから閉鎖まで変わっていないはず。
写真を見て気付いたが、閉鎖直前時点では、消えているものが少なくない。1つ置きに点灯している感じもするが、ランダムに消えている球もあって、正常ではなさそう。
電球は、記憶より小さい。昭和40~50年代辺りは、テレビのスタジオセットなんかでも電球を並べて灯すのが流行ったものだが、それと比べると小さい球で、21世紀の視点でもあまり野暮ったく感じない。

いよいよ内部へ。無断撮影ということになってしまいますが。
2002年8月ダイエー末期の屋上駐車場のエレベーター扉
屋上階なので天井が低いはずだが、ドア周りは他のフロアと同じ。
ニューシティのエレベーターといえば、このオレンジ色のドアが強烈。ほかではこんな鮮やかなドアのエレベーターは少ないと思うし、箱の外側も赤だったように、赤系統で統一したのか。ダイエーのイメージカラー(?)のオレンジ色を意識したのか。

エレベーターは日立製作所製。定員24名、積載1600KG。
店内から見て左が「NO.1」、右が「NO.2」。カゴ内の操作盤(ボタン)はそれぞれの外側に設置。
NO.1の内部。NO.2では操作盤はドア左側
外のボタンと中の階数ボタンは、黒い縁取りのほぼ正方形で中央が銀色、外周が電球色に光るもの。1990年代頃までの日立製エレベーターの標準。

写真を見てみると、カゴが記憶より狭く感じられた。では、秋田市内などほかのエレベーターと比べてみよう。※Youtubeにエレベーターの動画が投稿されており、そこから読み取りました。
・ポートタワー セリオン(1994年)日立、15名、1000kg。

・フォンテAKITA(1980年)日立、24名、1600kg。
ニューシティと同サイズながら、機種は同一ではないようだ。ニューシティにはない、自動運転中(エレベーター操作員が乗っていない)の表示灯があった。後述の通り、ニューシティでも操作員モードはあったようだが、表示はなかった。
ボタンは、当初はニューシティと同じだったが、2010年頃にボタンや表示灯が交換。それでもなお自動運転表示は残っている。

・秋田OPAは何度か装置全体が交換されているようで、秋田フォーラス時代では、三菱電機、13名、900kg。
箱の大きさは変えられないから、歴代大差ないだろう。ニューシティやフォンテより小さい。

・土崎ショッピングセンター(1979年イオン土崎港店)日立、27名、1800kg。
・イオン秋田中央店(1995年秋田サティ)日立、30名、2000kg。

・弘前のヒロロ(1994年ジョッパル、ダイエー弘前店)東芝、24名、1600kg。

・秋田拠点センター アルヴェ(2004年)の民間棟・店舗オフィスフロア、オーチス、24名、1600kg。

アルヴェのエレベーターはなんかでっかい気がしていたが、ニューシティと同サイズか。記憶なんていい加減。
郊外など車での来店を重視したショッピングセンターでは、低層でも大きい箱のエレベーターが採用されるようだ。ヒロロは小さめだが3基セット。

以前も書いたけれど、ニューシティオープンからしばらくの間(10年には満たないと思う)は、エレベーターガールが乗っていた(乗らない時もあった)。
当時は赤い制服だった、1階のインフォメーションカウンターのお姉さんが兼務。階数ボタン群の下にあるフタを下げて、そこを操作していた。階数を申し出るのを恥ずかしがって、カゴ内側面の車椅子用操作盤をいじる客がいると、怒られていた。おそらく車椅子モードに切り替わって、2台の協調運転態勢が崩れてしまうからだと思う。
前々回のフロア案内にあった「~の街」のフレーズを用いて、「ホビーライフの街、家庭電器と暮らしのフロア。4階でございます」と言って降ろしていたような気がしたのを、思い出した。

エレベーターからの眺め。今ではドローンを飛ばすか、近隣のビルに頼みこまないと見られなくなった、大町二丁目上空の景色。
NO.1から雨模様の大町一丁目・通町方向
エレベーターから見える北~東方向は、高い建物が多めで、そんなにいい眺めでもなかったようだ。

ひさしとエレベーターでまた1回使ってしまいました。もう1回続けさせてください
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けいらん汁

2021-06-09 00:03:40 | 各地お土産・食べ物
昨日の白玉汁と直接関係はないですが、似たような料理の話。
それは「けいらん」。
青森県、岩手県、秋田県の各一部の地域、さらに北海道にもあるらしい。
ほかに土地によっては、同名のお菓子として存在する所もある。
以下、ネットのほか、2019年2月「鹿角市歴史民俗資料館調査資料1 <鹿角の家庭・郷土料理 けの汁・けいらん >」を参考にしました。掲載サイトはhttp://www.ink.or.jp/~kazunorekishi/pages/siryouDL/siryou%20ichiran.html


僕は1987年、秋田県鹿角市の観光施設「マインランド尾去沢」の食事処で、初めて知って食べた。
そして、昨2020年、鹿角市の大湯温泉(十和田大湯)の「ホテル鹿角」の夕食で、2度目。
お椀の汁物
汁の中に入っている物自体が「けいらん」だが、汁物全体のことも「けいらん」と呼ぶようだ。「けいらん汁」とはさほど言わない感じ。※「きりたんぽ鍋」も、秋田では鍋物のことも「きりたんぽ」と呼ぶことが多い。

上の写真では「けいらん」が紅白1個ずつ。祝い事の時はそうすることがあるそうだが、基本は白。
「けいらん」とは餅。白玉粉やだんご粉で作る。中には、なんとこしあんが入っている。卵の形なので「鶏卵」が由来。
それを汁に入れて、主に祭事や冠婚葬祭の時に食べる。鹿角では学校給食にも出るとのこと。
写真のけいらんは、ほんものの鶏卵よりは小さいが、1口では食べないほうがいいサイズ。昔、あるいは土地や家によっては、もっと大きいこともあるようだ。

北前船によって、上方の精進料理が伝わったものらしい。主に北東北3県のうち旧南部藩のエリアで残っていて、秋田県では鹿角地域だけ。
鹿角市の調査によれば、青森県の津軽地方の中で、沿岸部の深浦町だけに伝承されていて、飛び地状態なのが興味深い。

地域によって違いもある。
中のあんこは、つぶあんはなくこしあん限定のようだが、クルミを混ぜるところが多いようだ(青森の下北など混ぜない所もある)。鹿角ではコショウも混ぜる。岩手ではカラシを入れる所も。汁にあんこが溶けないよう、固めに作るというレシピもあった。
マインランド尾去沢で食べた時は、大きめのクルミとコショウの味がして、戸惑った(おぼろげな)記憶がある。昨年のホテル鹿角では、クルミはより細かかった気がしたし、コショウの味はしなかった気がした。あんこは極端に甘くはない。
【2023年4月26日追記・テレビ朝日系列東北各局が夕方のニュース内で放送する「東北湯けむり紀行」でホテル鹿角が取り上げられ、けいらんにも触れた。コショウ入りで、カツオと昆布のだしとのこと。】

汁は、岩手県遠野では茹で汁を入れてしまうそうだ。
基本はすまし汁。さらに差があるのかも(醤油の有無など)しれないが、「お吸い物」の味。
鹿角や青森では、そうめんや春雨を入れるものも見られる。ホテル鹿角では、ミツバとジュンサイが入っていた。秋田県内ながら沿岸部名産であるジュンサイは、ホテルによるアレンジだと思うが、すまし汁に合う食材だから、好適。

「白玉粉で包んだあんこが入ったお吸い物」そのもの。塩味というよりだしとあんこの組み合わせ。餅好き、こしあん好きとしては、嫌いじゃない。
でも好みは分かれるのだろう。
鹿角発祥(大館は「本場」)とされるきりたんぽが、今や秋田県全体の代表的郷土料理に成り上がっているのに対し、けいらんは秋田市内では食べられる店はないと思うし、知らない人も多いはずだから。

ホテルのほか、鹿角市内にはけいらん専門店がある。
青森では、七戸十和田駅近くの「道の駅しちのへ」と、むつ市の「道の駅かわうち湖」のレストランで食べられる。野辺地駅内のそば屋には、かき揚げとホタテとともにけいらんが1個載った「北前駅そば」というのもある。ほかにも出している店はあるのだろうが、情報が少ない。【9日追記】野辺地町内の馬門温泉「まかど観光ホテル」でも出るようだ。
あと、「あんもち雑煮」というのがあるのを思い出した。香川県で食べられるもので、こちらは味噌仕立てだそう。
【2022年3月12日追記】七戸町の天王神社で開かれるつつじまつりで、けいらんもある屋台(座って食べるタイプっぽい)が出るという情報があった(2019年まで確認。休日など限定との話も)。


ホテル鹿角では、最初のほうで吸い物としてけいらんが出て、最後には、きりたんぽも出してくれた。おかわりはできなそう。
おなじみきりたんぽ
同じ鹿角市内の湯瀬ホテルのきりたんぽは、なんかクセになりそうなこってり気味のもので、これが発祥地のきりたんぽかと思って食べた。
こちらは、普通のきりたんぽかな。
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白玉の棒

2021-06-08 00:08:49 | 各地お土産・食べ物
これが何かご存知でしょうか?
白い魚肉ソーセージ?
1本100グラム、長さ18センチ、直径2.5センチ弱、175kcal。
ザ・ガーデン自由が丘西武秋田店の閉店処分で購入。通常は1袋200円強か。
包装は、
商品名:白兎 白玉もち

名称:即席白玉もち
秋田県潟上市昭和の淡路製粉の商品。「白兎」はそのブランド。
原材料名は白玉粉、米粉(国産)/安定剤(加工でん粉)、グリシン。

分からないかたは、まだピンとこないでしょう。
でも、この存在を知っている人。この一般的な名称が「即席白玉」だって知ってましたか?
「ソーセージ白玉」とか「棒白玉」とか「白玉棒」みたいに呼ぶ人が多いようだ。

なぜ「即席」なのかは作りかた。
フィルムをはがしてから(はがさないとくっついて大変なことになりそう)、厚さ1.2センチ(15等分だそう。袋に目盛りが印刷されている)にカット。
それを水に入れて電子レンジ500W5分加熱、または沸騰した湯で3~4分茹でる。その後、水にさらして、お好みの味でどうぞ。
鍋料理なら、カットしてそのまま投入して、柔らかくすることもできる。
形は違うけれども、水分調整や丸めて1個ずつ茹でる手間なく、手軽に白玉ができるというもの。包装では、アウトドアや非常食・保存食としても勧めている。
調理例。
あんこを添えて(ホタテの貝柱じゃありません)

「白玉(餅/団子)」というと、丸めて中央を押しをつぶした、赤血球みたいな形を連想してしまうから、こんな「円柱」を白玉と呼ぶのは邪道なような気もしてしまう。
ホンモノの白玉と比べて、食感と味は微妙に違う気がしなくもないが、充分白玉の代用になる。少なくとも「餅菓子」としては文句なし。

淡路製粉は、主に米原料の粉類では、全国に通用するメーカーのようで、秋田県外のスーパーでも見かける。
また、潟上市に近い秋田市金足には、その名も「秋田白玉工業」というメーカーもあり、白玉粉も即席白玉も製造。この近辺には昔はもう1社あったような気もする。


即席白玉は秋田県ではスーパーでは必ず売っている。全国的にはどの程度知られて流通しているのか。
ネットで調べると、知っている人、使って食べている人はたくさん。一方で、2020年前後でも「こんなものがあったとは」と知って驚く人もちらほら。特別珍しくはないが、誰もが知るわけでもないようだ。

メーカーも、秋田だけではない。
例えば新潟市の「越後しらたま本舗」でも製造している。その名もまさかの「白玉棒」!
それだけでなく、即席白玉をカットした状態で袋に入れた「白玉餅」もラインナップ。袋から鍋に移すだけの超即席白玉だ。
白玉棒は「BBQで棒のまま焼いて砂糖醤油をつけたり海苔巻きにしてもおいしいです。」という、斬新な食べかたも提案(個人的には白玉は焼くもんじゃない)。
それらの説明の中で「昭和40年代に学校給食の大量調理向けに開発された製法です。」「学校給食でミックスフルーツ缶と混ぜた「フルーツ白玉」(に使われた)」とあった。
ここが開発して最初に売ったのかどうかは分からない言い回しだが、ともかく歴史は古い。


僕が初めて即席白玉に触れたのも、学校給食だった。デザートではなくおかずで。
ここでまた、2012年の記事の、昭和末~平成初期の秋田市立小中学校の給食の続編。
当時は「白玉汁」というのがたまに(年1回より多かったと思う)出ていた。
醤油仕立ての汁に、糸こんにゃく、ネギ、鶏肉などとともに、即席白玉が入っていた。
白玉といえば、お菓子と認識していたので、それがおかずになるのに最初は驚いたけれど、餅好きとしては好きな献立になった。

カットが不充分で2切れくっついていたこともあったから、給食室で皮をむいて切っていたのだろう。
あと、お椀に白玉の個数を平等に配分するのが難しい。担任の先生が盛り付けていた低学年の時は、たしか給食室に問い合わせて、1人何切れと数えて大変そうに盛り付けてくださった。べたっとくっつくこともあって、ほんとにご苦労だったはず。
給食当番が盛り付けるようになると、気が利かない級友が盛り付けて、運が悪いと1個だけ、最悪1個も入らず落胆したことも。

たまに「だまこ汁」という献立名で、同じものが出ることもあった。
「だまこ」とは、秋田県の郷土料理、きりたんぽを丸めて焼かない版。郷土給食の意味合いもあったのだろうか。【9日追記・だまこは米粒が残っている状態だから、それを粉を固めた白玉で代用するのは不可能であって、だまこ汁と呼ぶのは不適切。】

全国的にも「白玉汁」が給食にある地域は少なくないようだが、味噌仕立てや野菜の具材が多いなど、同一ではなさそう。
近年の秋田市の学校給食では「だまこ汁」が出ている。一般財団法人秋田市給食会ホームページ「物資配合表」によれば、榎食品「冷凍だまこ」なるものが納品されているので、それを使ったほんとのだまこなのか。
一方、日東ベスト株式会社「白玉だんご」も採用されている。これは冷凍品でおそらくデザート用で、今はデザートに白玉が出ていそう。
そう言えば、コンビニスイーツでも、丸い白玉が入ったものをよく目にする。今は、丸い白玉を大量生産する技術が確立され、カットする即席白玉の出番は少なくなったのかもしれない。

埼玉県や茨城県の学校給食では、秋田の郷土料理としてだまこ汁を出している地域もあったが、どう調達しているのか。榎食品は秋田の企業。
秋田県由利本荘市では、今年の小正月の日に「白玉汁」が出ていたが、白玉の正体は不明。

餅好きなら、即席白玉を家庭に常備しても悪くないかもしれません。
貫く棒の如き白玉

※白玉汁とちょっと似ているかもしれない、「けいらん(汁)」というのもあり、秋田県鹿角市では給食に出るそうだ。
コメント (2)
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秋田ニューシティ外観ぐるり

2021-06-05 23:57:16 | 昔のこと
40年前にできて、約10年前になくなった「秋田ニューシティ」の続き
今回は、外観を改めて記録しておく。
前回の冒頭の再掲写真もそうだが、ネット上に残るニューシティの写真は、北東側から撮影したものがほとんど。こちらが「正面」ととらえられるデザインだったこともあるだろう。
※外壁が白くなる前、当初の肌色(ペールオレンジ)だった頃の写真は見当たらない。あれば貴重だ。

東辺が大町通りに面し、秋田駅方向でもあるため、出入りする客は多いのは間違いないが、北東角としたのは小さいながら信号機付き交差点(2000年代に入ってからスクランブル化)があって、比較的開けていて目立つからだろうか。
大町通りを少し北・通町方向へ進んで、旧・秋田魁新報社跡地、サンパティオ付近から。
東辺と北辺が見渡せる
外が見えるガラス張りのエレベーターが、この角に設置されていて特徴的。ガラス張りエレベーターは当時流行りで、秋田駅前のジャスコとヨーカドーもそうだが、いずれも角ではない位置。
エレベーターの上の壁にも、辻兵マークと、その左右にNEWCITYマーク。

ここから見ても、前回の通り屋上の辻兵の箱看板が鉄骨に載っているのが分かる。
今初めて気付いたが、写真右・北辺の外壁は、4階から上は少し引っこんだ構造になっていて、ちょっと格好悪い。東辺は5階まで平らなのに、何か理由があるのか。日照権ってほどでもなさそうだし。

さらに北、通町との丁字路手前、ねぶり流し館前から。
右に「辻兵」の頭が見える
往時は、通町の商店街やバス停(神田線や将軍野線利用者)とニューシティを行き来する人でにぎわったはず。

大町通りの1本東側、星辻神社のある川反通り、今、旧大島商会が移築された付近からは、こう見えた。
あくらやサンパティオに隠れて、てっぺんだけ
右に屋上の辻兵も見えた。オープン当初は魁の建物があったので、すべて隠れて見えなかったはず。


北辺の道路は、大町二丁目と一丁目との境、東・一丁目橋から西・新国道方向への一方通行。その通りの少し一丁目橋寄りから。

オープン時は、百貨店「本金(ほんきん。駅前に移転し、現・西武秋田店)」があったので、また違う風景だったはずだけど記憶にない。秋田ワシントンホテル(現・イーホテル秋田)が建つと、狭苦しい雰囲気で、近づくまでニューシティは見えない。

大町通りの1本西側、茶町通り~上肴町。北側は通町の鮮魚店寄りの地元スーパー(?)「せきや」の横と言うか裏。
辻兵看板と建物裏側が見える
裏側ではあるが、せきやと掛け持ちで買い物する人もいたはずで、行き来する人は少なくなかったはず。

上の位置から南へ進むと、ニューシティ北西角、一方通行路との小さな交差点。ここに、
(再掲)2002年8月
「ミスタードーナツ秋田大町ショップ」があった。ショップNo.0360。
ニューシティ本体とは別の平屋。鎌田会館運営で秋田県内では2店舗目か?
1983年頃オープンらしく【下の追記も参照】、2007年8月末で閉店。ニューシティの最初と最後には存在しなかった。
ニューシティより遅れてミスドができたのは記憶している。できる以前はこの部分がどうなっていたか記憶にない。あと店舗前のタイルが滑りやすい材質【6日追記・若干の傾斜もあった】で、冬は怖かった。
閉店後は、
2010年。先に解体されて空き地に
当初はどうしてここをこう空けて建てたのか。2年後にミスドを作る計画があったのか。
【6日補足】ここも土地所有者はニューシティと同じだったのだと思うが、建物と歩行者通路で、敷地のほぼめいっぱいを使っている中、ここだけが何もないスペースだったことになる。
【7日追記】いただいたコメントによれば、ここは所有者が違う建物があり、ニューシティオープン時点では土地を購入できなかったらしいとのこと。
【7日追記】ミスド閉店時の張り紙に24年目で閉店と記載されていたとの情報から、1983年オープンと推測した。
一方、店番号360とミスタードーナツ公式サイトの「ミスタードーナツの歴史」を照らし合わせると、1981年に337、1982年に400がオープンしている。番号と開店順が完全に一致しない可能性もあるが、それだと360番目は1981~1982年の開店の可能性もある。

茶町通りを南・竿燈大通り方向へ進むと、ニューシティ西辺。こちらは裏面の趣。
2010年。左端の車のいる位置がミスド跡
搬入口や従業員出入口。搬入口らしきシャッターは2つ。左・北側がやや広く白いシャッター。

右は「NEW CITY」ロゴ入り、「専門店街搬入口」と表示もある。白いほうはダイエー用だったのかも【7日補足・いただいたコメントによれば、白いほうがダイエー搬入口で内部も分かれていたとのこと】。

搬入口の南隣、日本銀行秋田支店裏との間は、
2010年。第1駐車場
本体屋上駐車場へもここから出入りするが、そのほかの立体駐車場部分は別棟のようだ。こちらは肌色なので、白く塗り替えられなかったらしい。

南西角・日銀裏から竿燈大通りに背を向けて、駐車場の西面と南面。
2002年8月。ダイエーの箱看板が見える

ここで正面側・大町通りに飛んで、日本銀行秋田支店前から、南東角。
2010年9月。日銀前では音楽イベント
本体塗替え後は色が違って分かりやすい。この面は本体と立体駐車場が入り組んだ構造のようだ。
車で行くことがなかったので、意識しなかったが、真四角な箱の建物ではなかったのか。
【7日補足】日本銀行の敷地は長方形ではなく、裏・茶町通り側では少し狭くなっている。その分、ニューシティの土地が飛び出している。そんなこともあって、こちら面が複雑な作りなのかもしれない。

大町三丁目以降や交通公社前(現・川反入口)でバスを降りて来店する人には、こちらが最初に見える。向かいの名店街(AD)と向かい合う横断歩道もこちら寄り(上の写真で白い車のいる位置)なのだが、こっちを正面にしてもよかったようにも思う。


では、東・秋田駅方向から広小路を通ってきた場合。秋田ワシントンホテル・ADが建った後は、それに隠れてニューシティは一切見えなかったはず。若干低かったであろう本金・名店街時代は、どうだったろう。
少し南へずれて、二丁目橋交差点・旧協働社横の土手長町横断歩道橋からは、ダイエー看板が見えた。
2002年8月
↑今と比べると、周りの店の入れ替わり、建物の建て替えもある。スカイホテルも見える。
夕暮れのダイエーから飛び立つカラス

外観だけで1回使ってしまいました。さらに続く
コメント (5)
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1981年6月4日から40年

2021-06-04 00:16:27 | 昔のこと
40年前の1981(昭和56)年6月4日木曜日、秋田市大町二丁目に商業ビル「秋田ニューシティ」がオープンした。開業初日は8万人が訪れた(当時の報道より)。
秋田経済界の中心人物が経営する呉服店「辻兵(つじひょう)」が、大家(一時期は日本生命所有)兼テナントの1つ。
秋田県初進出となる「ダイエー秋田店」を核テナントとする、地下1階・地上5階建て。昭和末期の典型的な「総合スーパー」の形態。
※ダイエー撤退後に「ニューシティ」という名になったと誤解する人がいるようだが、ダイエー時代から建物としてはニューシティ。少なくとも周辺地域の人にはそれなりに浸透していたと思うが、ニューシティ全体の呼び名としても「ダイエー」と呼ぶことは多かった。

僕は当時幼稚園児だったが、身近な場所だったこともあり、ダイエーが「できた」のははっきり覚えている。ただ、その後継続して何度も行ったわけで、開業当初の具体的な記憶はない。
建設以前の辻兵の単独店舗や工事途中の風景も、記憶はない。それに、秋田駅前のジャスコ(現・秋田オーパ)やイトーヨーカドー(現・フォンテAKITA)に行く機会はほとんどなかったので、総合スーパーというものを初めて知ったのが、ダイエー秋田店であった。
そんなわけで、これまで何度か触れたように、弘前店とともにダイエーには思い入れがある。
自分に40年前の記憶があること(40年前に生きていたこと)にも驚くが、40年前に初日とはいえ8万人も来たのが、40年後には信じられない街になってしまったのにも驚く。


(再掲)閉鎖後解体を待つ秋田ニューシティ北東角
Wikipediaも参考に、ニューシティの歴史を振り返っておく。
1981年6月4日 オープン
1990年 日本生命が所有権取得
2002年8月31日 ダイエー秋田店閉店・撤退
2002年11月21日 リニューアル。地下は「マックスバリュ大町店」開店
2003年11月1日 5階に「サンパル秋田(秋田市中央公民館・女性学習センター・勤労青少年ホーム)」開所
2005年5月29日 マックスバリュ閉店
2005年10月8日 地下に「スーパーランドヤマト大町」開店
2009年3月15日 スーパーランドヤマト撤退、向かいのイーホテルショッピングモール(旧・AD)へ「大町こみち」として移転するも、2010年10月に破産
2009年~2010年 その他テナントも次々に撤退
【16日追記・2008年 辻兵の当主・5代目・辻 兵吉(つじ ひょうきち)氏死去。子息が後継となるが、兵吉は襲名せず】
2010年1月20日 所有権が日本生命から辻兵系列・辻不動産へ売却
2010年4月13日 秋田ニューシティ全館閉館
2010年8月 建物解体開始
2011年5月 解体完了、更地化
その後、月ぎめ駐車場と、使われない日のほうが多いイベント会場という名目の空き地のまま、10年が過ぎた。


在りし日のニューシティを写真で紹介したい。断片的で不鮮明な写真もあることと、何よりも無許可で撮影したものなのですが、記録になればとアップさせていただきます。
まず、屋上の箱型の看板(ルーフサインというのかな)は2つ。上の再掲写真では、左・南東側に白いものがあるが、それはもともとはダイエーロゴ。撤退後はスーパーやダイソーのロゴが描かれたこともあった。右・北西側は、一貫して赤い「辻兵」だった。
ニューシティが身近な者としては、意識せずとも目に触れるものではあったが、建物が多い一帯なので見上げても見えるかどうかで身近な存在でもなかった。
ニューシティの屋上は、客用駐車場だった。車は裏側・西の茶町通りから出入りするのだが、徒歩圏内の者には縁はなし。でも、2度ほど、思い立って屋上へ上がって写真を撮っていた。※別に「第二駐車場」もあり、それは現存する。
2002年8月。東向きに撮影
↑向かいの白いのが秋田ワシントンホテル(現・イーホテル秋田)。その向こうの建設中のが協働社跡の高層マンション。
懐かしい、「D」と上弦の月がモチーフの以前のダイエーマーク。1975年から2005年まで使われた。と思ったら、2020年から復活し、新マークと併用されているとのこと! どっちみち東北では見られないけど。

屋上に飛び出た建物本体(=塔屋)が白く、その上に看板。その間が肌色(ペールオレンジ)でおかしな感じだが、当初は外壁が全部肌色だった。ある時に白に塗り替えられて、最後まで続いた。じゃあここも白く塗ればいいような気もするけれど、間延びして見えるのか。【4日追記・ダイエー撤退後は、肌色部分に黒で「NEW CITY」と表記された。】
北面と南面が、緑色マークに「ダイエー」、東面と西面が、オレンジ色マークに「Daiei」だった。
弘前店では箱の形状も異なるが、マークは全面がオレンジ色だったようで、Dの色に何か意味があるのだろうか。

「辻兵」のほう。
2010年2月。西向きに撮影

デカいと感じた
こちらは鉄骨を組んだ上に載っている。鉄骨も肌色のままだ。


ここで下へ降りて、玄関。
2010年。エレベーター隣の東辺北側
1階の出入り口は3か所。北辺の一方通行路に小さめのが1つ、東辺は南北に同じ規模のが1つずつ。

寒冷地のせいなのか全国的なのか、秋田の総合スーパーの出入り口は、ドアが二重になっているのが一般的。ニューシティは途中で改装(おそらく壁が白くなった時)されて、内側だけ両開きの自動ドアになった。上の写真のように玄関左右が赤くなったのもその時のはず。
自動ドア以前は、内側も外側も同じ、手押しの両開きドア。上の写真の通り、大きい玄関は3組、小さい方はおそらく2組分の幅【続編にて】。
ドアの手で押す部分は、イトーヨーカドーだと鳥のマークだったりするが、ここは台のような形で、押す部分が梨地のようなザラザラした質感。その横に白地に赤で「AKITA NEW CITY」のロゴがあって、さらに「いらっしゃいませ」と書いてあったのは、よく覚えている。

屋上駐車場の出入り口も同じだが、枠が茶色いドア。こちらは自動化されなかったようだ。
「AKITA NEW CITY」のロゴは最初から最後まで一貫して不変だった
記憶になかったが、ドアの内側は「ご来店ありがとうございます」だった。青系統に白抜きの丸ゴシック体だったのか、なんとなく覚えている。書体は「ナール」、じゃない!
フォントワークス「スーラ」だ。スーラは1990年に世に出たフォントだそうで、途中で替えられたことになる。やはり改装時か。

館内を簡単に。
2010年4月=閉店時の「店内ご案内」
ちゃんとした案内の上に紙を貼って対応。どんどんテナントが抜けていって、最後はこの状態。地下、2階、3階は「閉鎖中」。
お店は1階に8店か。地元2行のATMや、インフォメーションカウンターを兼ねたプレイガイドはなくなっていたのか。
あとは5階に秋田市中央公民館、女性学習センター、青少年センターからなる「サンパル秋田」もあるが、そのほかはオフィス。
かつては飲食店街だった5階も様変わりして、
公民館の和室など

2009年11月はちゃんとした案内
てっぺんに「n」と「c」を重ねたロゴマークらしきものがあるが、これは見覚えない。
この直後に2階(地下も?)が閉鎖されるのだが、すでに3階は空白。
地下には、フードコートの名残か、丼とラーメンが1店ずつ。
1階は「お茶 辻吟」など13店。ATMとインフォメーションカウンターもある。
2階は辻兵のギフト・スクールの店、「コーヒーレストラン」のイタリアントマト【4日補足・イタトマも辻兵系列企業がフランチャイズで運営】。この2つは当初から同じ場所で通したはず。ほかにザ・ダイソー、エレガンスコニシ、マブチファブリックス。
4階には、保育所「第一ルンビニ園」の「分園ちゅうりっぷ」もあった。

トイレは開いている各階にあるが、地下と1階は女性用のみだったらしい。当初はどのフロアも男女ともあったはず。
イトーヨーカドーでもやっている(現・フォンテも)、女性用を増やす取り組みがされていたのか。

2002年8月=ダイエー最後。非常に見にくく、オリジナルでも判読不可能です
開店当初と比べると、ダイエー末期は縮小されていたものの、上と比べればこの充実ぶり。
上の表で、各階左側がテナントで「~の街」、右側がダイエー直営で「~のフロア」としているようだ。なお、5階以外は、基本的に中央のエスカレーターを境に、東側がテナント、西側が直営という割り振り。
順に記すと、※見間違いなどあるかもしれません。
地階 フードショップの街、食料品のフロア
明確に「フードコート」とは記載がない。
テナントには辻兵による「リカーショップねごしあん」、イタリアントマトのベーカリー、地元菓子店、土崎のそば店「こんどう」など。
直営側にはダイエーのサービスカウンター、「ハンバーガー・ドムドム」、「スピードプリント ダイエーフォト(DPE)」なども。開店当初は55分だかで写真が現像・プリントされるのは、とても画期的だった。
【6日追記】地下のメインは食品売り場なわけだが、ごく標準的なものだろう。早い時期にはサラダバーがあって、ヤングコーンやミニトマトが目新しかった。
当時、ジャスコ秋田店やイトーヨーカドー秋田店の食品売り場は、地元スーパー「なかよし」がテナントとして運営していたので、秋田市中心市街地における大手スーパーによる直営食品売り場は、ダイエーが初めてということかと思う(北部のジャスコ土崎港店はすでに直営だったはず)。
僕が大きくなれたのは、ダイエー秋田店食品売り場のおかげもある。(以上追記)

開店から少ししてから、「愛着仕様」というダイエー版無印良品みたいなブランドが立ち上がって、地下の北東側がそのコーナーだった。この頃にはなくなっていたか。【2022年12月18日追記・当初の愛着仕様は、無印良品同様、文房具や食品も扱っていたが、後に女性用衣料品のプライベートブランドとなり、2000年代にはダイエーでも取り扱わない店舗があったようだ。十和田市にあったダイエーとうてつ駅ビル店跡の記事も参照。】

1階 レディースファッションの街、婦人服飾雑貨のフロア
中央の2階までの吹き抜けの一角にあった、アイスクリームの「ディッパーダン」も。
【4日補足・ディッパーダンはダイエー子会社運営だが、案内では左のテナント側に記載。
案内では「アイスクリーム&????(クレープ?)」とされている。ディッパーダンは今は「クレープ」のイメージだが、1981年からしばらくは(クレープの扱いは記憶にないが)アイスのほうに重きを置いていたと思うし、それを裏付ける表記。看板というか店の色合いは赤っぽかった気がする(途中から現行のような青系統になったかも)。
いろんな種類から選んで、コーンに盛り付けてもらうアイスを初めて食べたのがここで、その後、それがダイエー(ニューシティ)に行く楽しみであった。
なお、ディッパーダンは、2021年時点も変わらずダイエー子会社「オレンジフードコート」が運営し、ダイエーのイオン傘下入りでイオン店内にも出店しているようだが、東北地方の店はいずれもフランチャイズだ。秋田県内がイオン3店とナイス土崎店と秋田駅トピコと、東北の県別ではいちばん多い。どこがフランチャイジーなんだろう。】

2階 ミッシー・ミセスファッションの街、婦人ファッションのフロア
「ミッシー」は初めて聞いた。
2014年の「ライフコラムことばオンライン(https://style.nikkei.com/article/DGXMZO80043220S4A121C1000000/)」によれば、「いわゆるヤングミセスを指す業界用語だ。一昔前までどこの百貨店のフロア案内でもよく見かけた言葉」。

3階 (テナント4店)、紳士ファッションと子供・おもちゃ・文具のフロア
直営売り場が詰めこんだ感じ。元は、おもちゃと文具は4階にあったのが下りてきたため。

4階 ホビーライフの街、家庭電器と暮らしのフロア
「家電」と言わないのがおもしろい。文具類を下ろした分、当初より家電を充実させたということなんだろうか。末期はパソコンもあった。
判読できないのだが、テナントは、当初はレコード、玩具、書店、時計、それに催事場があった。
個人的には地下と4階が思い出深い。

5階 (テナント3店)、屋内遊園地D.L.L
レストラン街・飲食店街。昔はもっとあったはず。

【4日追記】↑このフロアガイドは階段付近か何かの壁の案内。同時期のエレベーター前にも、書式は違うが同内容のものがあった。しかし、エレベーターの中、ドアの上の階数ランプの表記はまた異なるものだった。一部判読できないものもあるが、テナント部分は以下の通り。
地下:フードショップの街、1階:レディスファッションの街、2階:シティファッションの街、3階:和装(以下判読不可能)、4階:ホビーライフの街、5階:グルメ10番街。(以上追記)


多少続きます
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