広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

竿燈大通りの塀

2021-07-30 23:54:33 | 秋田の季節・風景
秋田市中央部、竿燈大通り(県道26号、広義には山王大通り)の北側歩道の西寄り。
先方が山王十字路、車道中央部が中央道路地下トンネル下り口
この数か月、通らないでいたうちに、風景がちょっと変わった。

以前は、
(再掲)
道路外側の塀が新しくなった。
近年各所で進められている、地震で倒壊する恐れがあって、ということでしょう。

この塀の設置者=道路外側の施設は、お寺「當福寺(当福寺、とうふくじ)」。
お寺の山門は大通りに面さない(小路へ曲がってすぐ)東側で、この塀の向こうはほとんどが墓地。大通りに面する敷地南辺は、130メートルほど塀が続いている。

以前の塀は、横長で大きい、石風のブロックを積み上げたもので、歩道から見て高さ2メートル弱はあったと思う。見る位置や身長にもよるが、中の墓石の頭がちょっと見えるかどうか。
新しい塀は、コンクリート打ちっ放しの建物の壁のような見た目で、低くなった。歩道から墓石に彫られた文字が読めるようになったものもある。

大通りは1970年頃に拡幅されたので、古い塀はその時に設置されたはず。
僕がここを歩くようになってからでも30年。毎日のように通っていた時期もあった。当たり前の景色が初めて変わって、感想はなんか無機質で殺風景になった。
石っぽいものが質素なコンクリートに代わり、それがまだ新しいこともあるが、それだけではない。
まず、工事の支障だったのだろう、墓地内塀際にあった、いくつかの木がなくなった。印象深いのは、数本のカンザン(関山)と思われる遅咲きの八重桜、今の時期ならノウゼンカズラが、塀を越えて歩道側にも少しだけ枝を伸ばして、歩行者の目を楽しませてくれていた。

もう1点。
南辺は130メートルずっとブロック塀が続いていたわけではなかった。西寄りと東寄りに1つずつ、こんなのがあったのを忘れていた。
Googleストリートビューより東側
通用門のような小さい門があった。お寺らしく、木造で銅葺き屋根。存在感は薄かったが、潜在的なアクセントになっていたようだ。お盆や彼岸も含めて、この門が開いているのは見たことがないので、廃止したのだろう。


塀の東端(敷地南東角)。右がすぐ山門
山門左にあった、大きなケヤキも伐られてしまった。
(再掲)2012年。手前の木


塀の西端(敷地南西角)
お寺の敷地の南西角から、敷地西辺沿いに北方向へ、水路に蓋をしたような人が通れる通路がある。上の写真左方向。
西辺は、以前は南辺と同じ高さで、さらに古そうな一般的なブロック塀だった。それも今回新しくなって、こちらはブロック塀+茶色い金属板の塀。民家の塀なんかで、よく見るタイプ。
茶系統のほうが、雰囲気にマッチしているような。大通り側もこれでよかったのでは?

人通りが多い道路に面した長い塀ということで、交換の必要性は高かったと考えられ、これで安心できるのは間違いない。
お寺側のさまざまな事情もある中で、参拝者や通行人の安全を確保した結果がこれということになり、部外者はなんとも言えないが、塀の交換に伴って、これだけ風景が変わったことは記憶に留めておきたい。


そして、本来であれば、今の時期、當福寺の周りは騒がしくなる。
竿燈まつりの会場として。
例年ならば、観覧席や転倒防止柱の設置工事が終わる頃だが、昨年に続いて、新型コロナウイルス感染症のため中止された。

竿燈と當福寺の関係は、会場が近いというだけではない。
毎年、まつりを控えた7月に、當福寺で「追善供養」が催される。
1972年からここが会場になったが、当初は雨に祟られる日が増加。1970年の道路拡張の時、墓地の一部が大通りにされ、その跡で騒ぐことに霊が怒ったのでは、との話が持ち上がって、1980年から供養が続いている。中止になっても、2020、2021年とも供養は実施。

そして、物理的に会場と墓地が隣接しているわけだから、まつり当日の塀の外では観客が見物したり、ひっきりなしに行き交ったりする。塀の内側はいつもの静かな墓地。今までは高い塀が厳重に仕切っていたのかもしれない。
塀が新しくなって低くなった分、乗り越えて墓地内に侵入して竿燈見物しようという不届き者が出ないだろうか。

山門より東側。奥が大通り
山門のある東辺の市道沿いのブロック塀は、西辺と似たものだが、さらに低い。こちらは未更新で、ツタに覆われる。
竿燈の時は、この塀の前に仮設トイレがずらりと並ぶ。ご先祖様はちょっと迷惑かも(この点も供養でお断りしてるのかな)。
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OHPの思い出

2021-07-28 22:28:17 | 昔のこと
「OHP」をご存知でしょうか。
世代によって認知度が分かれるらしい。知っている世代はほぼ全員知っているはず。
機器の名で、少し前まで学校には必ずあり、企業・団体でもよく使われていた。現在はほぼ使われなくなっている(死蔵はしているかも)。

日本では1960年代頃から広まったらしいが、全国の学校にあまねく配置されたのはもっと後だと思う。宇都宮市の作新学院小学部のサイトには1973年に全教室にOHPを設置したとある。そんな感じで1970年代に普及した雰囲気。団塊の世代が在学中は、まだなかったかもしれない。ただし、卒業後、就職先等で知った人は多いだろう。
下の世代では、昭和生まれ/平成生まれが、知る/知らないの大雑把な境のようだ。地域差はあまりなさそう。
そんなわけで1970年代~2000年頃が、OHPの全盛期だったようだ。


OHPとは「Overhead projector(オーバー・ヘッド・プロジェクター)」。
なお、OHPは知っていても、何の略かは知らない人も少なくないようだ。
プロジェクターの一種なのだが、基本的には映写機などとは違う見た目をしていて、知らない人は、プロジェクターと分からないかもしれない。

OHPは、写真とか動画ではなく、透明なシート(※)に記した文字や絵を、投影する装置。授業・講習やプレゼンテーションに重宝された。
学校教育向けには、教科書に連動した資料を印刷したシートや、エンジンの構造と動きを説明するような動く指導用教材も発売されていたようだ。
【30日追記・コメント欄のように、動くパーツを使って、子ども向けのお話を、動く紙芝居というか影絵劇のように上演することもあった。】
※無地のOHP専用シートが市販されていた。実態は無色透明の薄いプラスチック。平成に入る頃までは手書きが基本だったはずだが、色ペンを使えばカラー表示できる。【30日補足・OHP用を謳うペンも市販されていたが、油性ペン(細字マジックなど)で代用可能。】
OHPシートは「OHPフィルム」とも呼ばれるほか、「transparent(=透明な)」から「トラペンシート」「トラペン」「トラペ」などと呼ぶこともあったとのこと。業界や組織で、呼び名に偏りはあったと思われる。名残りで、今のプレゼンソフトのファイルや(プリントアウトした?)資料のことも「トラペン/トラペ」と呼ぶ企業や人もいるらしい。


ネット上に手頃なOHPの画像がなかったので、自分でかいてみました。
単純化した典型的なOHP
このほか、進化形のOHPもあるので、後ほど。
ちなみに、どんな絵でもありそうな「かわいいフリー素材集 いらすとや」には、現時点でOHPのイラストはなさそう(ワープロやVHSは掲載)。過去の遺物なのか。

上の絵のようなOHPは、人が両手で抱えてギリギリ持てる程度の箱から、棒(ヘッドアームと呼ぶらしい)が突き出たもの。
箱の中に電球や冷却ファンが入っていて、天面が原稿を載せる平らなガラスの台=ステージ(コピー機の原稿台のような感じ。絵の黄色い部分)。電源コードが出る。
アームの上のほうに、台の原稿をスクリーンへ反射するミラー(やレンズ?)が付く。
下からの光と原稿の像が、ミラーで90度前方のスクリーンに投影される、みたいな構造。

話者が説明する時、スクリーン(に映った像)ではなく、プロジェクターに置いた原稿を指し示しながら、(スクリーンを背にして)聴衆のほうを向いて話できるということで、Overhead。
説明しながら原稿を指し示すだけでなく、その場でペンで書きこんだり、複数のシートを重ねたりもでき、当時としては画期的なプレゼンテーションツール(という言葉はなかったけど)だったようだ。

2000年代になると、書画カメラ(OHPと通ずる点はある)や、PowerPointなどプレゼンテーションソフト、パソコンと直結したプロジェクターや電子黒板が出現。その普及でOHPの役目は終わった。
ただ、プロジェクターや電子黒板だと、基本的に指し示す時は画面を向いてやらないとならず、Overheadではない。レーザーポインターも普及した。Overheadはそれほど要求される条件ではないのか。また、Lifehacking.jpの「いまでも参考になる OHP 時代のプレゼンの「ダメ」な例」では、OHPであってもスクリーンのほうを指し示すべしとしているように読める。この辺は分野の慣習や流派・流儀のようなのもあって、見解は分かれそう。


以下、OHPの思い出を織り混ぜつつ。
OHPに出会ったのは小学校。
1980年代の秋田市立の小学校では、各教室の前(正面の黒板と重なる位置だったか、その横だったか?)に、スクリーンが備え付けられていた。【2022年7月5日言葉足らずだったので補足・スクリーンは巻取り式で、教室の天井に取り付けられていた。それに引っ掛けて下ろすための、金属製のフック付きの棒も、各教室に配備されていた。】
OHPの機械は、全クラス分ではないがけっこうな台数あった。どこかのクラスに置きっぱなしにして、ほかのクラスが借りに来ることもあった。

Wikipediaのオーバーヘッドプロジェクタの項に、
「金属製の頑丈なキャビネットを兼ねた台の上に乗せて利用する。使わないときは、キャビネットの中に入れて施錠することで高価なOHPの破損や盗難を防ぐことが出来る。」とある。
小学校ではたしかにキャビネットとOHPがセットだったと思うが、中に入れずに、上に載せて、ビニールカバーをかけて、教室前の廊下に置くこともあったはず。重くてガラスで危なそうだけど、やんちゃな子が抱きついてひっくり返すようなことは、ありそうでなかったのか。

小学校のOHPは違うメーカーのものが何種類かあったが、機能は変わらないはず。
内田洋行(1976年制定の「UCHIDA」ロゴ)やOEMだろうけど学研(当時はブランド名で社名は学習研究社)のもあった。
1つだけちょっと変わったのがあった(内田のだったか)。メイン電源を入/切すると、「チーン」とベルが鳴るもの。緑色系統のボディで「Chime」とか書いてあったか。※上のイラストは、これをイメージしました。
電球切れは珍しくないようで、本体に2球をセットし、レバー操作ですぐに交換できるものもあった。

ネットで調べると、リコー、プラス、富士フイルム系列(後述)、3M、理想科学工業、とオフィス用品メーカーなどがOHPに参入していた。キヤノンなんかも作れそうだけど、同社は未参入っぽい。
小学校にはなかったが、原稿台が上下するズーム機能付き、ヘッドアームが台側に倒れてかさばらずに収納できるものなどもあった。


小学校では、先生にもよるけれど、頻繁・定期的ではなかったが、たまにOHPを使った。
戦前生まれ・当時50歳前後の先生は、1人に1枚ずつシートを配って、好きな絵をかかせて上映会をした。
OHPの名前は先生にも児童にも浸透していた。「オーバーヘッド」と呼ぶ先生も一部いた。
【30日追記】教室で先生が準備している間などに、(スクリーン前もしくはステージ上で)手でキツネやハトの形を作って手影絵する子もいた。あと、校内テレビ放送が試験的に実施された時には、スタジオの照明の代わりとしてOHPを使っていた気がする。


秋田市立中学校は、各教室の前方右側にスクリーンがあったと思う。
OHPは全教室に1台ずつ配備され(テレビはなかったけど)、Wikipediaの通り、台兼用のキャビネットに入って、教室右前に置かれていた。
1年生の時の新採用の英語の先生が熱心に使ったが、それ以外はほとんど使わず、稼働率は小学校より低かった。
技術科でも使ったことがあったようで、スクリーンに向かって説明する生徒を見て、身振りを交えて「OHPってのはな、オーバー、ヘッド、プロジェクターなんだぞ!」と、前を向いて話させたのを記憶している。そこでオーバーヘッドの意味を初めて知った。

斬新だったのが、学級目標の紙製横断幕作成。担任の先生が段取りした。
本の字典(書体見本)から、必要な文字をOHPシートに転写。
黒板に色画用紙を貼って、そこに文字を投影して、輪郭をなぞる。その画用紙を切り抜いて、ほかの紙に貼り付ければ、きれいな活字の横断幕ができあがるというもの。
当時のワープロ専用機やパソコンでは、拡大に耐える文字はまだなかった頃だから、そうするしかなかったのだろう。

字典からシートへの転写方法は、職員室のレーザーコピー機(トナーを使う普通のコピー機)で、シートに複写したはず。こんなツルツルしたものにコピーできるのかと、感心したはず。
でもコピー代やシート代を考えれば、無駄が少なくない。
このやり方は、手がきの看板屋さんが使うことがある(あった)らしい。

【8月2日追記】中学校では可搬式スクリーンとともに体育館へ運んで、学校祭の時にテーマソングの歌詞などを投影したこともあったと思う。小学校の学習発表会でも、同様に使ったような気もする。


秋田県立高校は、貧乏だったのか、1度もお目にもかからなかった。校内どこかに何台かはあって、可搬式スクリーンはあったかもしれないけど。


そして大学。ここで画期的なOHPに出会った。
両開き冷蔵庫、明朝体のリュウミン、マイクロピペット、インクジェットカラープリンター、デジタル・グランドピアノ等々と並んで、これまでの人生で「感動した工業製品」の1つ。

入学早々の授業で、(当時はまだ普通にあった)プリンター一体型・大型液晶画面のワープロ専用機のようなサイズと見た目の、持ち手が付いた機械を持ちこんだ先生がいらした。
それを広げると、
Internet Archive(後述)より
なんとOHPが完成!(広げても、点灯するまで分からなかったかもしれない)
あの抱えなければならない分厚い原稿台部分が、厚さ5センチあるかどうかまでコンパクト化されている。
投影するミラー部分、アームもそれぞれ折りたたむことができ、電源コードは本体に巻き取り収納。
光源やファンは、上のミラー部分へ移されている。原稿の上から光を当てて、反射させる方式のようだ。
このタイプを「ポータブルOHP」と称するようだ。僕は、持ち運べること以前に、分厚いOHPをここまで小さくたためる構造にしたことに感激した。
赤矢印を加筆
たたむ時は、上から順に、ミラーを光源部分へ、光源をアームへそれぞれ収納し、アームをステージまでぴったり倒して、蓋をする。広げる時はその逆。上の写真では、蓋が写っていないことになる。


Wikipediaには、
「超広角ミラーを利用した軽量薄型の機種も存在した。薄型の機種の場合は専用のキャビネットを使わずに、通常の机やレクチャーテーブルなどに置き使用し、使用する箇所に持ち込む事が容易なため、高価なOHPの台数が削減できたり、盗難から守りやすくなる。また、OHPを備えていない会場に持ち込み使うこともできる。 」と記述あり。
なるほど、ミラーがコンパクト化の肝だったのか。でも、光源を下から上へ移すという、発想の転換もポイントなのではないかな。
記述の通りで、大学では講義室ごとの配備ではなく、使う教員が都度、事務局から借りてくる方式。ただ、講義室の机に置くと、スクリーンに比べて低い投影位置になってしまうので、画像がゆがんでしまったり、対策として物を置いてかさ上げしたりしていた。


弘前大学では少なくとも2機種のポータブルOHPが存在し、どちらも「FUJI」ロゴがあった。
教養部(共通教育棟)備品は、まさに上の写真のもので間違いない。薄いグレーのボディで、アームがキリンの首のように斜めに持ち上がる機種【30日補足・アームは片側に寄って取り付けられるので、左右非対称のデザイン】。こちらのほうが新しそう。
農学部備品は、当時のパソコンのようなクリーム色っぽいボディで、アームが面のような作りで、光源部分を2本の細い棒で支える機種【30日補足・左右対称のデザイン】。

調べると、農学部のものは、当時の富士写真フイルム株式会社(現・富士フイルム)の「FUJIX」ブランドで、1985年にグッドデザイン賞を受賞した「フジックス OHP CP-1(13万5000円)」というのがあり、それに似ている。もう少し柔らかい形状だった気もするが、構造は同一。

インターネットアーカイブで、2000年8月17日の富士ゼロックス(今春から富士フイルムビジネスイノベーション)のサイト「商品一覧(http://www.fujixerox.co.jp/product/index.html)」を見ると、OHPが4機種載っていた。上の写真はそこから転載。これら4機種は、2002年2月までは、掲載されているのを確認できた。
分厚い従来型(アームが倒れる)で、ステージが上下するズーム付きZ2が21万8千円(税別。以下同)。
その上位機種で、メタルハライドランプにより「3,200ルクス。明るい部屋でも鮮烈な画面を投影。」を謳うZMが44万8千円。
ヘッドアームをステージの下に内蔵した、液晶プロジェクターと変わらないような姿のM250が24万8千円。

そして、いちばん安い「L2(FUJI XEROX OHP L2)」が、このポータブルで14万5千円。
「ワンアクションでアームアップ。ワンアクションでスペアランプ交換。しかも携帯に優れた軽量・コンパクトなOHP。」
ステージサイズ285×285mm、ハロゲンランプ搭載なのは、従来型のZ2と同じ。
投影距離・拡大率は1.4~3.0m、4~8.5倍。Z2は1.5~6.0m、4.3~16.8倍(最大ズーム時8.6~33.6倍)なので、ポータブルには制約もある。
サイズは幅330×奥行440×高さ545mm(携行時129mm)・6.9kg。Z2は387×584×680mm(アーム収納時264mm)・16.5kg。数値にすると大したことない感じもするが、あの見た目とギミックは衝撃的だった。


さらに、中古品販売サイトなどには「FUJIX OHP CR-1」という、これとそっくりなのも見られた。当時のフジフイルムとゼロックスの棲み分けがよく分からない。
そこでインターネットアーカイブで「富士フイルム ビジネスサプライ株式会社(http://www.fujifilmbusinesssupply.co.jp/OHP/frame-ohp.html)」のサイトを見ると、1997年から2004年まで、CR-1が出ていた。サイズ、重さ、価格はやはりL2と同一。
ゼロックスより詳しい仕様があり、投影方式:反射式(従来形は透過式)、ハロゲンランプ300W、5m自動巻き込み式(コードリール)など。
交換ランプは1個7千円、複写機用フイルムA4判100枚6千円。

結局どっちかは分からないが、FUJI XEROX OHP L2 もしくは FUJIX OHP CR-1 のはず。当時最新機種であり、OHPの最終機種だったかもしれない。


ポータブルOHPも、複数メーカーが製造していた。確認した限りでは、フジと同一デザイン(OEMの可能性がある)のものはない。
グッドデザイン賞では、1984年のリコーの17万9千円が最初。1988年にもリコーが受賞していて9万5千円と低価格化。フジも含めて価格はだいぶ上下している。
内田洋行のサイトには、1997年12月5日「「ウチダ ポータブルOHP HP-300」新発売~3.5kgの軽量・小型OHP(オーバーヘッドプロジェクター)~」というのがあった。かなり軽い。



大学の授業でOHPで投影されるシートは、手書きでなく、ほとんどが資料をコピー機で転写したものだったはず。
大学だからということもあるだろうが、コピー機やOHPシートが、互いに対応するようになったという技術革新なのだと思う。
※昭和60年代の小学校では、レーザーコピー機自体は使われていた。OHP印刷には対応していなかったということかもしれない。

大学の授業では、これまでほぼ見たことがなかった「スライド映写機」を使うこともあった。1コマずつプラスチックの枠にセットされたポジフィルムを投影するもの。
(医学部の教官だったと思うが)今のパワーポイントのように文字や図表を焼き付けたフィルムを用意する人もいた。
写真はそのまま投影でき、画面送り【30日補足・いわゆる「スライドショー」】が容易で決まった順番で表示しやすい(リモコン付きもある)というメリットはある。OHPより輝度は低く、部屋をだいぶ暗くしないと見えない欠点もあった。
【30日追記】事前の設定通りに順送りで表示するスライドショーは、プレゼンソフトでもできるが、OHPではできない。OHPの欠点。


さらに、1990年代後半は、パソコンとインクジェットプリンターが普及した。
OHPシートも、インクジェット対応のものが出回るようになった。これも時代の変化を感じた。※OHP対応シートでも、レーザープリンター用とインクジェットプリンター用は別物で、使い回しは不可。
研究室内でささやかな卒業研究発表会を行った時は、データやグラフはOHPで示すこととされ、研究室のインクジェットプリンターで印刷。それをFUJIXのポータブルOHPで投影して、どうにか発表して、卒業できた。


2000年代以降にテレビで見たのが、演芸の紙切り。
林家二楽師匠が、切った紙をOHPのステージ上で動かしながら、ストーリー性のある作品を上演していたのが斬新だった。切った紙そのものは直接観客に見せない、ある種の影絵劇みたいなもので、本来の紙切り芸とはちょっと違うかもしれないけど。その時は、ポータブルでない普通のOHPを使っていた。
林家正楽師匠など一門全体でも、通常の紙切り作品(観客の注文を受けて切ったもの)を、完成後にOHPで投影して大きく見せることをしているそうだ。

OHPそのものはほぼ消滅してしまったが、上記の通り、書画カメラなど基本的な思想は残っているとも言える。
しかし、透明シート、手書き・コピー機転写・プリンター印刷による原稿作成、電球といった、OHPならではのものは過去のものだろう。
その1つに「トラペンアップ」なるものもあるのですが、これは知らない人が多いでしょう。いずれまた。【2022年7月5日リンク追加・続き記事へのリンクを張り忘れていました。】

【2022年2月6日追記】アニメ「ちびまる子ちゃん」で2005年1月30日に「影絵で遊ぼう」の巻が放送されていた。
次の授業でスライドを見るとして、段ボールっぽい(もしくは木製の)箱に入った「プロジェクター」をどこかから教室へ運んでセットして、休み時間中に手や体を投影して遊ぶ場面から始まる。授業中の場面はなし。
プロジェクターの見かけは、ごく一般的なOHP。スクリーンは、黒板の前に置かれ脚があるので可搬式(運んだ描写はなし)。
1974年度が舞台だが、当時OHPがあってもおかしくはない。
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調理学校解体・イオン拡大?

2021-07-25 23:48:43 | 秋田のいろいろ
昨2020年末、秋田市北部にある総合スーパー(旧ジャスコ)、イオン土崎港店の敷地が拡大したことを取り上げた。
新国道から奥まった位置に建物があり、建物と新国道の間が平面駐車場だったが、全部がイオンの敷地ではなかった。そのうち、一部の民家が解体。また、敷地東隣にあった養老乃瀧も解体。いずれも、イオンの既存駐車場を拡張した形で、駐車場の一部になっている。

その後、コメントや追記では触れているが、さらに拡大しつつある。
養老乃瀧跡のさらに東隣は、もう次の交差点の角。土崎港南二丁目と土崎港南三丁目の境。その角地に、オレンジ色の5階建てのビルがあった。
イオン正面の交差点からは150メートルほど。
2021年5月撮影

「学校法人大内学園 秋田県調理師専門学校」
看板はまだあったが、学校は2020年度(2021年春ということだと思う)で閉校していた。

ちなみに、これにより、秋田県内で調理師資格を取得できる学校=調理師養成施設は、国学館高等学校の調理科だけになった。大館市にも調理師専門学校があったが、数年前に閉校(幼稚園等で学校法人は存続)している。

2021年6月から、学校の解体工事が始まった。
イオン発注の工事だそうで、養老乃瀧跡部分を閉鎖して工事スペースとしていた。
6月下旬。
新国道・港南二丁目バス停から

駐車場養老乃瀧跡近くから

東側の道路から
↑道が狭いので、曲がってくる車とかち合わないためか、停止線がやけに交差点から離れた位置にある。

7月に入って建物は姿を消し、整地作業が続いていた。イオン店内には8月10日頃まで工事と告知されていたが、現状では、
更地になった
あまり広くない面積。
東側交差点向かい側から

右にポートタワーセリオン
こちらからイオンの建物が見えるようになった。
駐車場内からも新国道が見通せる

イオン正面のスロープ・小さい1本桜付近から。
4月



太平山がよく見えるようになった

解体した土地はどうするのだろう。さらに駐車場にすれば、東側からも出入りできるようになりそうだが、この南寄りには裏側の出入口がすでにあるし、交差点が近くかつ道が狭いので出入りに難がありそう。
以前の繰り返しだが、そもそもこんなに広い駐車場が、この店に必要だとは思えない。店の玄関までも遠い。
となると、新しい建物とか店舗建て替えを計画しているのではないかと考えてしまう。
取り残されて食いこむように、新国道に面した金融機関(けんしん)と民家があるのも気になるが、そのままでもなんとかなりそうだし。
土崎港店は耐震改修工事(2016年)からまだ5年しか経っていないし、外旭川のイオンタウン計画との関係もあるだろうけど。
大規模小売店舗立地法に基づく届出は、今のところ出ていないようだけど、注目。

【9月8日コメントをいただき追記】調理学校跡に、けんしん(秋田県信用組合 土崎支店)の新築工事が始まったとのこと。となると、現けんしんの場所を空け、そこも含めてイオンに…となるのか。

【2022年3月21日付 秋田魁新報の広告、3月9日付公式サイト告知より追記】2022年3月22日・火曜日に、けんしん土崎支店が調理師学校跡に「移転新築オープン」。所在地は土崎港南二丁目3番45号から53号に変更。

その後、2023年の動き
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旧AD 医療モールに?

2021-07-23 22:42:46 | 秋田のいろいろ
秋田市大町二丁目2番地、秋田ニューシティ(6月の思い出記事)向かいに建つ「イーホテル秋田」と「イーホテルショッピングモール」。
昔は、百貨店「本金(ほんきん。西武秋田店の前身)」とアーケード商店街「名店街」があった場所。
1987年に「秋田ワシントンホテル」とファッション系中心の商業施設「ファッションアベニューAD(通称・AD)」が入るビル(正式名「秋田大町第一生命ビルディング」)ができた。
ニューシティ跡地越しに、イーホテル西面
その後、2007年にワシントンホテルが撤退して「株式会社グローカル・ホテルグループ」の「イーホテル秋田」に改称。2009年にはADも「イーホテルショッピングモール」になった。
ニューシティ閉鎖など大町地区全体の低迷が著しくなった時期と重なることもあるのだろうが、ここから旧ADの迷走と衰退が進む。

2012年には、ショッピングモール部分がほぼ閉鎖。
2013年には、コンサルタント会社に所有権が移り、イーホテルを存続しながら、商業施設としての活用を検討していくと報道されたものの、大きな変化なし。
そこへ2020年の新型コロナウイルス感染症流行。ホテルは4月24日から「当面の間、全館休業」となっていた。
ショッピングモール部分は、店が閉まっても、名店街の名残りなのか東西方向に歩行者が通り抜けできるよう開放されていたのだが、同日からそれも取りやめ。
今年1月西側モール出入口の掲示
したがって、この大きなビルは、辻兵の店舗(制服など)、秋田観光コンベンション協会(事務所)、補聴器センターの3テナントが1階西側で営業するだけになってしまっていた。コンベンション協会は、2021年春に、近くに移築された旧・大島商会へ転出。


実は今年始め、イーホテルショッピングモールに動きがあるのをネットで知った。
しかし、秋田魁新報など地元マスコミの報道は一切なく、現地の動きもなさそうだったので、様子見していたのだが、今回、ちょっとした変化を確認したので、アップしておく。【30日追記・コメント欄の通り、2021年4月初めに、秋田朝日放送では報道したとのこと。】

秋田以外も含めてイーホテルの運営企業は、いつの間にか「株式会社COLOURS INTERNATIONAL」というものに変わっていた。そこが2020年12月18日に「巨大複合型医療モールが秋田市に誕生します!」を発表。抜粋すれば、
・全面的なリノベーションを行い、地域を代表する大規模な医療モールとして新しくオープン致します。
・『秋田メディカル複合施設プロジェクト』として完成を目指します。
・50億円規模の投資を行うことにより、施設には各種医療・美容クリニック、患者及びその家族向け宿泊施設、スポーツジム等が参加し『健康と美容のデパート』とも言えるような巨大な医療モールの誕生です。
・他に、病児保育、病後児保育、保育園、一時預かり、学童保育、塾等の参加も計画
等々。
いつ着工とかいつオープン予定といったタイムスケジュールの言及はなし。ただ、「建設新聞社」サイトの12月25日付記事には「2022年春の供用を目指す」とあった。


今日、イーホテルショッピングモールの前を通ると、まず空きテナントになったはずの、コンベンション協会だった部分に照明が灯っていた(人の動き等は未確認)。そのほか、
ショッピングモール西入口。上の「AD」がかなり色あせて残っているが、知らない人には三角形
通り抜けできない旨の掲示はなくなり、コンベンション協会移転の告知が貼られている。
その左のドアのガラス。
「医療モール開業準備室」
ほかに看板などはなさそうだが、本格的な表示。医療モール構想が動き出していると解釈していいのだろうか。2022年春に間に合うのか…


蒸し返して恐縮だが、ここでは、2000年代後半に「秋田中華街構想」を示したものの、実現せずに終わった前例もあるので、素人目では少々不安ではある。
だけど、実現すれば大町地区に、一定の活気が出るだろう。向かいのニューシティ跡地の空き地にも波及効果があるかもしれない。
【2023年8月21日追記】2023年時点でも、上記の状態から変化なし。イーホテルの運営会社が2021年に経営者逮捕など【8月22日訂正・逮捕されていませんでした。】資金繰り悪化により事業停止するなどして、医療モール構想は頓挫したようだ。一方、ホテルのほうは経営が変わって、名称も変わった
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コロンボと古畑のエレベーターの話

2021-07-22 23:39:09 | その他もろもろ
今春、田村正和さんが亡くなった。
田村さんと言えば「古畑任三郎」。古畑ばかりが田村さんではないのだが、僕も大好きである
昨2020年には、古畑任三郎をリメイクするという噂があり、新しい俳優の名前まで上がっていたが、作者・三谷幸喜氏の「古畑さんは田村さんだけ」という考えがあるとかで、実現しなかった。

古畑任三郎は、アメリカの「刑事コロンボ」の影響を受けている。パクりという人もいるだろうが、オマージュであろう。
犯人が最初から分かる「倒叙」という作りもそうだけど、舞台や状況の設定、さらに細かなエピソード的なものまで、コロンボと古畑で同じもしくは似たものが多い。
明らかにコロンボからの借用だと分かりやすいものもあれば、なんとなく似ているな程度のものもある。見落としている点も多いに違いないし、単なる偶然のものもあるかもしれない。

僕はコロンボもひと通り見たものの細かくは見ていないので、見落としも多いはずだが、思いつくままに挙げてみる。各2行目は該当するコロンボ(日本版)/古畑の話数とサブタイトル。
・閉じこめる
19別れのワイン、41死者のメッセージ/1死者からの伝言

・全寮制の学校が舞台
28祝砲の挽歌/13笑わない女

・組織の後継者の方針に対する反発が動機
28祝砲の挽歌/7殺人リハーサル

・共同作業者を殺害
3構想の死角/13笑うカンガルー、42ラスト・ダンス

閉じこめる話は全体も細部も共通点が多いが、そのほかは、舞台設定は似ているが動機や証拠はかなり違ったり、その逆だったりする。

細かいけれども、重要な証拠となる部分的な共通点。
・殺人後に手が震えて、普段は自分で行う行為を、他人にやらせる
19別れのワイン/11さよなら、DJ

・本来と違う用途で使われていた物の呼び名
39黄金のバックル/14しゃべりすぎた男

・時間的/場所的に知り得なかったことを、録音/放送でしゃべってしまう
34仮面の男/11さよなら、DJ

コロンボの愛犬Dogと、古畑の愛する部下・今泉慎太郎が体調不良になった時には、
・殺しそこねた被害者の意識が戻るのをおそれている犯人に、別件で加療中の飼い犬/部下の容体回復を伝えて勘違いさせる
16断たれた音/10矛盾だらけの死体

三谷幸喜氏が、いかにコロンボを熱心に見て研究したかが分かる。
古畑任三郎では、「間違われた男(間違えられた男)」みたいなコロンボにはない性格の話もあるし、時代や国の違いもあろうが、古畑のほうが全体の作りがしっかりしている(コロンボではストーリーが破綻したようなのもたまにある)傾向があって、コロンボの模倣が古畑のすべてではないのだが。


あと余談だけど、コロンボ24話「白鳥の歌」。1974年3月放送(アメリカ)。
カントリー歌手が、自ら操縦する自家用飛行機からパラシュートで飛び降りて助かり、飛行機を墜落させて同乗者を殺害する。なんとも大胆な命知らずのやりかただと思っていた。
ところが、最近、おそらくそれのモチーフになったであろう事件が実在したことを知った。
1971年11月にアメリカで起きた「D.B.クーパー事件」。
旅客機をハイジャックした男が、身代金とともにパラシュートで飛び降りたもの。犯人の身元もその後の安否も不明で、唯一の未解決ハイジャック事件。



ここから本題。
NHK BSプレミアムで、毎週水曜に何度目かの再放送されていた刑事コロンボも、終盤。21日は68話「奪われた旋律」。【その後、また最初から放送が始まり、2023年1月14日に放送】
作曲家が、ゴーストライターをさせていた弟子を、撮影所の特殊なエレベーターを使い、屋上からの転落に見せかけて殺す話。
上記、構想の死角、笑うカンガルー、ラスト・ダンスは、2人はゴーストではない関係性だったので、そこは違う。

特殊なエレベーターで被害者を運ぶ、そんな話も古畑にあった。
2話「動く死体」。エレベーターは正確には舞台の「すっぽん」。
歌舞伎役者(堺正章)が、自分が起こした交通事故を暴露しようする劇場の警備員(きたろう)と言い合いになって殺してしまい、すっぽんで運んで、舞台天井からの転落に偽装する。

芸能の大御所、芸能の場の特殊な昇降装置、転落に偽装、と共通点がある。
一方、エレベーター/すっぽんについては、正反対の位置付けになっているように思う。
コロンボでは、昔、一発屋に終わった新人監督が設置させたが、その後使われず知る人が少なくなっていた。作曲家は撮影所歴が長く、知っていた。
古畑では、歌舞伎役者自身が使うために導入させて、使っている。誰もが知る存在。

その操作。
歌舞伎役者は、その操作方法を熟知しておらず、元の位置に下げることができず、それで古畑に気付かれることになる。
作曲家は、かつては自ら使うことはなかったと考えられるが、犯行時は難なく使いこなしている。

コロンボのほうで、個人的に見落として謎だった点が、今回解決。
撮影所のエレベーターは、屋上で突き落とした後、元の位置へ下りて戻っていて、コロンボたちもすぐには気付かない。これまで、無人のエレベーターがどうして戻るのか分からなかった。
作曲家が屋上に向けて動かすために(カゴ内でなく地下のカゴ外にある)「UP」ボタンを押した直後、「DOWN」ボタンを押していた。ということは、無人運転できるように、屋上到達後に留まるか戻るかを指定する機能が備わっているということなのだろう。
作曲家は、突き落とす前に2度、自分が乗った状態でエレベーターを操作しているが、そういう戻る機能があることはどこで知ったのか、ちょっと疑問。表示があったり、アメリカもしくは映画関係者では常識なのかもしれないけど。


といった感じなので、コロンボの「奪われた旋律」に影響されて、古畑の「動く死体」が作られた? それは絶対にない。
古畑「動く死体」のほうが先だから。

「動く死体」は初期の2話、1994年4月20日放送。なお、初期の古畑の放送順は、時系列ではなく入れ違っていて、これがいちばん最初の話。
「奪われた旋律」は、2000年5月12日。この次の2003年の69話で、コロンボシリーズは幕を閉じる。
古畑のほうが6年先行。

たまたま似てしまったのかもしれない。
だけど、これまでと逆に、古畑の存在を知ったコロンボ制作陣の、返礼というか、オマージュ、リスペクトだったりはしないだろうか。ネット上にはそんな指摘はないけれど。
コメント (2)
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工藤パン2021.7

2021-07-20 22:45:24 | ランチパック
工藤パンの7月の新商品紹介。その前に2題。
●工藤パン公式ツイッター開始(@kudopan_aomori)
7月19日付けが最初の投稿。
個人的には、企業がSNSをやる意味がどうも分からない。ライフラインなど緊急時に情報を伝える必要があるとかでない限り。
隣県のTや製パンは2016年から開設しているが、一般人の投稿のリツイートがほとんど。商品情報なら自社サイトに載せたほうが分かりやすいと思うのだが。
工藤パンさんはどう使っていくか。

●イギリストーストリニューアル
常時発売の通常版のイギリストースト。以前、栄養成分の数値が変わったのに気付いたが、たまにリニューアルしているのだという。
弘前経済新聞サイトの6月26日付「青森「イギリストースト」がリニューアル 地球1周分の販売数を達成」によれば、2021年7月にもリニューアルを行った。

・1967(昭和42)年発売のロングセラー商品で、年間500万枚を売り上げる。
・(今回のリニューアルは)パン生地に使う自家製発酵種ルヴァンの量を増やし、生地中の塩分を0.4%減らした。
・パッケージデザインも変更し、山型の輪郭が分かるようなデザインとしたほか、商品名を大きくした。→サイトの画像を見た限りでは、どこが違うのかよく分からない。
・前回のリニューアルは2019年で「初めて自家製発酵種ルヴァンを使った。」。
・それ以前は明確な記録はないが、2度リニューアルがあった


ここから本題。
秋田市内で売られていた3商品は、偶然なのか意図的なのか、いずれも、包装に青森ねぶたの絵や写真が使われた商品。ねぶた以外も含めた青森の夏祭りパッケージ商品は、ここ数年夏場に何度も行われている。

イギリストーストから2点。公式サイトによれば、2021年7月の新商品はこの2つだけ。
イギリストースト 青森県産りんご入りホイップ 328kcal
スーパードラッグアサヒ恒例のイギリストースト各種96円特売のほか、ハッピー・ドラッグでもこれ1点だけは常時入荷している。
中身も青森ならではのイギリストースト。以前にあったような気もするけれど、実際にはジャムだったりカスタードだったり組み合わせが違うはずで、これは初のはず。
リンゴの品種や産地の言及はなし。
シロップ漬け角切りリンゴ入り
ホイップクリーム自体はリンゴ分なしのようだ。角切りリンゴは、食感とともに味もはっきり感じられ、充分。砂糖のジャリジャリは感なし。


スペシャルイギリストースト チョコスプレー 452kcal
一見、イギリストーストと変わらないが、「スペシャル」が頭に付くのがたまに出る。
チョコスプレーを表面にかけるのも何度か出ている(2016年はホイップ入り)。今回は?

おそらく初めて、カラーチョコが混ざってまぶされた。そして、間にサンドされたのはクリーム類ではなく、ザラメとマーガリン。つまり通常版イギリストーストにチョコをまぶした感じ(チョコの下にもマーガリンが塗布されているようだ)。
相応の味だけど、ジャリジャリ感はなかったと思う。


最後はもらいもの。ナイスやドン・キホーテ秋田店で売っているらしい。
7月には、北海道産メロンのパン、福島県産もものパン、青森県産りんごのパンというのも出たが、それらとは包装に共通性がないので、シリーズ品ではない単独商品のようだ。
青森県産りんごのメロンパン 255kcal
やや小さめのピンク色のメロンパン。「青森県産りんごの角切りを入れたメロンパン生地」と明記されている。
平べったい

中に角切りが入っている
イギリストーストに比べれば、角切りリンゴは少なめで、味も弱い。同じくシロップ漬けだけど、焼く時に水分が飛ぶようで、ドライフルーツみたいな食感。ほのかなリンゴ味のメロンパンといったところ。

ところでこのパンの包装。
「新発売」のシールが、工藤パン標準とは異なる。その横には、点数シールが付いている。「ヤマザキ夏のおいしさいきいき!キャンペーン」、ヤマザキ系商品の詰め合わせ「お菓子のびっくり箱」が当たる。これがその対象なの?

「たけや春のパンまつり」を思い出した。※以前の記事。工藤パンも同じ流れかと思う。
20年以上前は、秋田県ではヤマザキブランドの流通が今より少なかった。その埋め合わせなのか、秋田県内では「ヤマザキ春のパンまつり」を「たけや~」に替えて展開していた。たけやブランドの商品にも、点数シールが貼られていた。テレビCMも差し替えていた。

それがいつの間にか(2010年より前)、秋田でもヤマザキ製品が増え(たけやの受託製造を含む)、「ヤマザキ春のパンまつり」が展開されるようになった。引き換えに、たけや製品には点数シールを貼らなくなって、今に至る。
今回のような春以外にも点数キャンペーンが行われるようになったが、それも同様。

工藤パンでも、近年は同じだったし、今回もイギリストーストには点数シールがない。でも、りんごメロンパンは対象とは、ややこしい。(シールが欲しければ、店頭で貼ってあるのを選んで買えば済む話ではある)

そして、包装右上には「東北夏祭り」なるマークが入っている。昨2020年のような、ヤマザキ、工藤パン、たけや共同のキャンペーン(?)が行われるのだろうか。だから、これをキャンペーン対象にしたのか? だけどキャンペーンは7月末で終わりらしいけど。
そういうことをツイートしてもいいのでは?
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1番線のアジサイ

2021-07-18 22:29:19 | 秋田の季節・風景
植物カテゴリーにした前回の続き
秋田駅の1番線は、北(土崎)方向にだけ出入りできる行き止まり式のホーム。

番号通りにいちばん西側に位置し、ホームの外は駅の敷地外。そこも、基本的にはJR東日本やその関連会社の用地のようだが、秋田市管理の東西自由通路「weロード(関連記事)」の階段が隣接。上の写真右側のガラス張りのものが階段。

そのホームの仕切りの柵のすぐ外に、アジサイがあるのに気付いた。
左の階段下の舗装部分は市有地だろうか
円柱のプランターというか大きな鉢が10個以上【22日追記・16鉢あった】、整然と並んでいる。その中にさらに小さい鉢が置かれたものも。

鉢と比べれば、どれもまだ小さい株で、花はさまざま。オーソドックスなものも、だいぶ品種改良されたものもある。
小さいけれど白い花がたくさん咲く株も
鉢が置かれるのは、ホーム(の外)と、weロード階段の間の、細長い未舗装の土地。JRの土地っぽいから、JRが置いて管理しているのだろう。
ホーム外側も柵(冒頭の写真参照)で囲われているので、公道から部外者は立ち入れないし、JR用地側にも柵があるようで、基本的には誰も立ち入らない場所だろう。

weロード階段下からはこんな眺め

遊休スペースの活用ではあるが、通行人にしても乗客にしても、手どころか目も届きにくい、柵や高低差があって少々遠い場所だし、木もまだ小さいので、ちょっと物足りない。アジサイと列車をからめて写真に収めるのも難しい。あと何年かすれば見応えが出てくるかな。


これと関係するのかは知らないが、JR東日本秋田支社では男鹿線の各駅にアジサイを植える事業をしているとのこと。男鹿市北浦のお寺の一面青のアジサイが注目され、その延長のようだ。(青花ばかり、アジサイばかりで男鹿全域を盛り上げるというのは、多様性じゃないけれど個人的にはちょっと引っかかる。例えば男鹿といえば椿だってオオサクラソウだってあるのだし。)
15日には、泉外旭川駅(男鹿線じゃないけど直通列車が停まる)に新たに作られた花壇に、JR社員、地元住民や園児が18本のアジサイを植えたことが報道された。お寺の人が苗木提供と指導。
新聞の写真と、車窓から眺めた限りでは、まだ葉が5枚くらしかないとても小さい株で、やはり柵の外で客からは遠い位置の花壇。来年には咲くとのことだけど、もうちょっと大きい株を、もう少し近い位置に植えたほういいのではと思ってしまった。
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アジサイさまざま

2021-07-15 23:00:38 | 動物・植物
大雨の危機はとりあえず落ち着いたようで、暑くなった。秋田市は、晴れて連日真夏日。平年には10日以上早いが、梅雨明けしてもおかしくない【16日追記・16日に梅雨明けした。平年より12日早く、史上7番目の早さ。四国、近畿、東海はまだ明けておらず、東北北部が先行するのは24年ぶり(1997年)だそう。】。アブラゼミも鳴き出した。
そんな気候なので、もう終わりつつあるが、秋田市内で見つけたアジサイのある風景。

アジサイは、在来のガクアジサイと、それが改良されたセイヨウアジサイに大別される。昔は、庭植えされるのは赤か青の花、せいぜい葉が斑入り程度だったと思う。
後に、鉢植えで「ヒドランジア/ハイドランジア」などとして、さらに品種改良されたのが出回り、最近はそれが地植えもされるようになったようだ。色の入りかたや八重咲きなどさまざまなアジサイがあるのに気付かされる。

昔ながらのセイヨウアジサイ
こんもりと大玉のアジサイが道端に咲いていた。紫系の花。
アジサイは、土壌のpHで花色が変わると言うけれど、それ以前にそれぞれの株(品種)の固有の色あいがあるので、リトマス試験紙のように、単純に赤と青を行き来するわけでもない(しかもリトマス紙と逆で、酸性土壌で青寄り、アルカリ性土壌で赤寄りになるらしい)。

この場所は、
仲小路のアトリオン駐車場前
アジサイは、花がなくても葉や樹形でそれと分かるが、花がないと存在感が薄くて見落としてしまう。
この辺の半年前は…
再掲)雪の中


何でも植わっていそうな泉のハミングロード。もちろんアジサイがある。
ガクアジサイ
保戸野千代田町から泉へ渡って、泉小学校の手前の区間に多い。品種も複数あるが、20年以上前に植えられたはずで、そう珍しいものはなさそう。葉っぱがキザギザ気味のなどはあった。
ここで取り上げるのは、額が青いガクアジサイなのだけど、
ピンクの花(額も中も)が混在
花の咲き始めと終わりの違いではない。長期間観察してみたが、常に色が違っていたので。
違う株と一体化している可能性もなくはないが、1株の中で部分的に花色が違うのか。枝変わり/芽条変異?
全景
中央付近が全体に赤みがかっているようにも見える。うち2輪が明確にピンク色。
1輪だけまだつぼみのもある


旭川沿いの歩行者が通れる河川管理用通路。その手形側にも、アジサイがまとまって続いていた。
第一新中島踏切

青系セイヨウアジサイが多い
その中に、初めて見たアジサイが。
花は普通

こんなアジサイ見たことない
どこが違うかって、茎(枝)の色。
普通は葉と同じ緑なのに、これは黒い!
【17日追記・第一印象としては、違和感があってぎょっとしてしまった。】

園芸品種に「黒軸アジサイ」とされるグループがあるそうだ。花色は、ほかにもさまざま作られていた。
木質化した木の色ではなく、黒というか濃い紫色。
花は、アントシアニン系色素の中でもデルフィニジンという色素だと思われるが、デルフィニジンではこんな濃い色にはならなそう。茎ではまた違うアントシアニン類が出ているのか。花や葉の色は影響されずに、ごく普通のアジサイというのがおもしろい。


男鹿市のお寺など、同じ色の株ばかりを植えて埋めつくすのもきれいだけど、ひとつひとつの花を見比べるのもいい。それも梅雨時限定の楽しみで、まもなくほかの草木の緑にまぎれてしまう。
アジサイの風景は続く
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千秋公園に表札

2021-07-13 23:02:27 | 秋田の季節・風景
秋田市中央部、久保田城址「千秋公園(せんしゅうこうえん)」。
江戸時代は、黒門というのがあった東側(旧脳研向かい)から入るのが、正式な登城ルートだったという。公園化された近代は、南側の市立中央図書館明徳館前から「大坂(おおざか)」を上るほうが、市民にはより身近だろう。
その大坂では、融雪装置(ロードヒーティング)設置工事が行われていた。
再掲)今年の花見の頃
花見後、再び通行止めにされていたが、7月初めまでに工事が終わって開放(歩行者は6月下旬から)された。
まだ工事途中
駐車禁止の道路標識が、工事後はなくなっている。ここって公園内で公道ではない(後述)と思うが、道交法が適用されていたのか?
(再掲)2014年
見た目は、以前とほとんど変わっていない。
アスファルトが新しくなったのと、がけ状になった側の路肩にある柵が新しくされた。以前は、擬木にチェーンを渡したもの(秋田だけなのか、時代の流行りだったのか、この辺は擬木が多い)だった。

新しい柵は、全金属製で、上部が傾斜した、黒に近い茶色のもの。上の写真ではまだ支柱だけだが、後でそれをつなぐ横棒2本が取り付けられた。
今春供用された手形新栄町街区公園の外周の柵、それに昨年度、市内の県道の交差点(2か所で確認)角のガードレール的意味合いで設置された柵と、同一もしくはシリーズの製品だと思う。今はこれが流行りなのか?


そのほか、図書館前の坂の上り口に今までなかった物が設置されていた。
でーんと2本
この時点ではブルーシートで包まれていた。人の背丈以上の柱状のものが、両端に1本ずつ。

予想はついた。以前から、千秋公園にありそうでないものが、ついにできるのかと思った。
特に報道などされなかったが、7月に入ってから行くと、
シートが取れていた。コーンはまだ置かれている。柵は横棒も取り付け
材質は石か金属かと思っていたら、木メインだった。左右とも同じで、
「千秋公園」
千秋公園の、表札というか門柱というか。
千秋公園には、案内地図や由来を記した看板はあったが、「ここが千秋公園だ」という表示は、これまでなかったと思う。
中土橋通りの穴門の堀にある石柱は「久保田城址」だけ表記。久保田町交差点寄りの大手門の堀を見渡す場所の横書きの石は「千秋公園ポケットパーク」であって、千秋公園本体ではない。みたいに。

旅行客は(実は市民も?)、どこから千秋公園なのか戸惑うかもしれないし、千秋公園に来た記念に写真撮影するにしてもそれと分かる場所はあまりない。
秋田市では、街区公園にも基本的には標柱があるのだから、大規模で、秋田市を代表する観光地でもある千秋公園に、表示があってもいいと考えていたが、実現された。

ただ、こんな形で、この位置に置かれるのは、どうなんだろう。江戸時代にはあり得なかったと思うけれど、お城ではなく「公園」としての表札なのだから、いいのだと思う。よその城跡でも、こういうのもなくはないようだが、石柱が多いようだ。石柱だと重々しすぎる感じもする。並んで記念撮影するには、若干表示位置が高いかな。

次に、表札の文字。白っぽい木目板に白い文字で、ちょっと目立たないと感じた。
活字の毛筆書体で、楷書体の事実上定番、ダイナコムウェア「DFP太楷書体」の古いバージョンのフォントだと思う。「秋」の「火」の点の位置や、「公」の「ハ」右側の入りかたが、「P」でないフォントや新しいバージョンとは異なる。
もう1つ程度太いウエイト(極太)でも良さそうだし、黒でもいいかも。誰か秋田市にゆかりある筆の立つ人に揮毫してもらえば、話題になったのでは。

それと、左右とも同じ「千秋公園」なのは、ヘンでは?
一般家庭でも企業・学校でも、左右に門柱あっても、表札は片方にしかない。両側表札は、自己主張が強いというか芸がないというか。片方を「久保田城址」とか「Senshu Park」とかにすればいいのに。
なお、弘前公園では石柱1本だけで「史跡 弘前城址」。←弘前公園も、きちんとした公園名表示はないのかも。

横から
門柱は、木そのままではなく、外観上は各面2枚ずつの細長い板を、金具か何かで打ち付けて、柱型に成形しているようだ。地際と天面は銅板で覆われている。芯というか中身はどういう材質・構造なのだろう。
文字を印刷した板は、門柱本体とは別に出っ張っているが、引っ掛けているわけでなく、3か所でがっちり固定しているようだ。

裏面下に銘板があった。
「株式会社ザイエンス」
広島発祥の、防腐木材で住宅資材や公園施設を手掛けるメーカー。2021年2月製で、製造番号は両側とも2153234と同番。カタログには出ていないので、特注品なのだろう。


裏側から中土橋方向。左が図書館、向こうが県民会館跡地のミルハス工事現場
この時点では、門柱の園外側(向こう側)、グレーチング(網蓋)のところで、路面の白線が終わっている。工事前もほぼ同じ。そこまでが公道で、グレーチング・門柱から公園内ということなのだろう。

大坂は花見期間以外は一般車両の通行も可能なのだが、通る車はかなり少ない。
ただ、坂の下側では、業務や送迎の時間つぶしらしき車が停まっていたり、警察の取り締まり車両(一時停止、横断歩道、一方通行の違反があり得る場所)が隠れて(=知っている者にはミエミエ)いたりした。
門柱ができても、それらをしようとすれば、門柱が障害になるかも。道幅も、門柱とその外側分、1メートルちょっとは狭くなった。門柱に衝突とか、門柱を避けようとして歩行者にぶつかるとかしないようにお願いします。

【15日追記】秋田市の入札資料によれば、名称は「門柱」とされており、地上部の高さ2.5メートル、各辺の幅は40センチ。表示板は1.2メートル×24センチ。
【8月9日追記】2本の門柱は、道路に対して平行に揃って並んでいるのではなく、向かって左側のほうが、門柱1本分ほど前寄りに設置されていた。真横から見ないと気づきにくいけれど、どうして揃えなかったのか。
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巣立ち後/河川通路工事

2021-07-12 21:47:37 | 秋田の季節・風景
全国各地でピンポイントの大雨被害が出ている。秋田県内でも、11日夜~12日未明にかけて秋田市、12日昼に由利本荘市で、それぞれ6時間や12時間の降水量で観測史上最大を記録。
秋田市では、短時間の豪雨というより「強い雨が長く降り続けた」感じがした。雷も鳴ったが、風は弱かった。
人的被害はないようだが、道路の冠水や家屋の浸水が散発。明田地下道や南通など、川と直接関係なさそうな場所も被害があった。
旭川は、今回も旭川ダムの威力なのだろう、濁って水位が上がった程度で済んでいる。梅雨はまだ続くので安心できない。



秋田市の土手長町通り(県道233号~28号。本件は28号区間のみ)の街路樹に、いくつかカラスの巣が作られたらしく、道路管理者の秋田県秋田地域振興局建設部(に委託された業者?)が、立て看板を設置していた。
7月初めには、それが増備され、CDまで吊り下げられた。

それが、遅くとも7月9日までに、すべての看板が撤去された。
看板とCDを増設したわりにあっけなかったが、巣立って、歩行者の安全が確保されたということか。

それと同時に、二丁目橋交差点・みずほ銀行前では、
(再掲)看板があった頃

看板撤去後
信号柱のすぐ後ろにあったイチョウが1本、伐採されてしまった。カラスが巣立つのを待って行ったのか。
こちら側に4本あったイチョウのうち、いちばん大きく枝を伸ばした木で、カラスが営巣するのを確認していた。

信号機の視認や銀行駐車場の出入りに支障がある位置ではない。一見、健康そうだったが、状態がよくなかったということか。
切り株
道路がこの形に整備されたのは、昭和40年代のはずなので、50年前後はここにあったはず。年輪もそれ以上はある。
土手長町歩道橋から
【13日追記】みずほ銀行宝くじ売り場にとっては、西日よけの役目を果たしてくれていた木だったかもしれない。

再掲)2002年3月。みずほはまだ第一勧銀、奥は農林中金
再掲写真は落葉時なので存在感がないが、周りの建物のほかに、今回また、少しだけ風景が変わった。

【13日追記】五丁目橋交差点側では、ケヤキの木の太い枝が剪定されていた。巣立ちを待って、樹木の手入れを行ったことになる。

翌2022年は、土手長町通りにはどこにもカラス注意の看板は設置されなかった模様。2023年も同様。




この機会に、秋田県管轄の河川の話も。
二丁目橋からさかのぼった対岸、保戸野の旭川右岸。保戸野新橋の少し上流の河川管理用通路(歩行者通行可)で、5月末頃に、通行止めを含む工事が行われていた。
なぜか○○を××しています形式の看板はなかったが、通行止め予告には「護岸補修工事」とあった。

秋田市長公舎跡にできた保育園、その隣の保戸野街区公園、さらに反対隣の別の保育園付近。
工事現場 ※対岸の木に関する記事
道路同様、秋田県の河川管理体制には疑問を感じており、ここの通路でも、アスファルト舗装にいくつか穴が開いていた。上の写真のコーンが並んだ辺り。
通路の隅なので、足を取られることはないが、何年もそのままだったのが、やっと直してくれるようだ。ちなみにど根性水仙もここから少し離れた同じ通路だが、未確認。
公園寄りでは、
通行止め
ここでは目立った不具合はなかったと思うが、保戸野新橋へ抜けられなくされていた。
ただ、上の写真右手前から、保戸野街区公園の中へ入ることができ、公園正面側~市道(道幅狭く注意)と迂回可能。

今は、
工事が終わった
部分的に新しく舗装されている。以前は未舗装だった部分もあるはず。
目新しいのは、オレンジ色のラバーコーン(ポールコーン、車線分離標)が設置されたこと。

川と反対側の路肩に15本ある。
通路の外側に、浅いながら側溝があり、そこに向かって傾斜があるので、人や自転車が転落しないようにという配慮かもしれない。
でも上の写真のように、傾斜と側溝は、コーンが設置されなかった部分にも続いている。
設置された箇所で通路がややカーブし、公園出入口もあるので、人とぶつからないよう注意喚起の意味もあるのか。

通路から街区公園裏への出入口。特に表札などはない
保戸野街区公園は、2010年度末にバリアフリー工事が行われた。園内の段差がなくなり(元からさほどなかった?)、通路部分はクッション素材になった。
しかし、裏口とはいえ河川管理用通路との接続部は、クッション路面がぷっつりと途切れ、川に向かってちょっとした上り坂。基本的に昔と変わっていない。
クッション路面までが公園(秋田市管理)で、斜面を含むそうでない所は河川敷(秋田県管理)なのだろう。
公園内から
斜面部分は、上の通行止の写真に写っているように、工事前は土で、通路のアスファルトと多少段差があった。
今回の工事では、ラバーコーンのほか、坂の部分に砂利が敷かれるか、樹脂製の凹凸のあるシートで覆われるかして、段差(傾斜はそのまま)はおおむね解消。砂利の方を歩けということっぽいが、シート部分も歩いてしまえる。そんなに耐久性がなさそうなシートで、いつまで持つか疑問。
コメント (2)
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レトロシャトルバス

2021-07-10 23:47:04 | 秋田のいろいろ
新型コロナウイルス感染症のワクチン接種。相変わらず国の見通しや詰めが甘い中、各自治体と医療関係者はほんろうされている。秋田市は高齢者向け(予約開始時の記事)は、まあなんとか進んでいるようだ。

現在の秋田市では、集団接種は、広面の秋田大学医学部体育館と土崎の北部市民サービスセンターが、メイン会場。
どちらも接種以外の利用者も来る施設であるのに加え、接種予約時間のだいぶ前に来てしまう人もいるそうで、駐車場は慢性的に不足。
公共交通機関も鉄道や徒歩だけでは行きづらい場所で、路線バスは予約時間に合わせて行き来できるほど、便利ではなくなった。
そんなわけで、秋田市は対策をした。
土崎では今週から、土崎みなと歴史伝承館裏、旧・チャレンジオフィスあきた(=さらに前は秋田市ガス局庁舎)の駐車場を、接種者臨時駐車場として開放。
そこと会場を結ぶバスを、10分間隔で運行。魁の写真では、貸切専業の工藤興行のマイクロバス。

例えば土崎駅などにも立ち寄れば、より便利そうなものだが、2点を行き来するだけで、車利用者のためだけのようだ。
秋田市ワクチンポータルサイトでは「循環バス」と称しているが、こういうのは「シャトルバス」とか「送迎バス」とするべきではないでしょうか。

バス運行には、当然、費用はかかるわけだが、国に請求できるものなんだろうか。
後述の通り、市がバス会社と直接契約したのではなく、間にJTBが入っている。全国的には接種予約や会場運営も、旅行会社など民間企業に委託しているところがあるが、秋田市のその辺は知らない。
コロナで客が減った、地元バス事業者への支援にはなるし、旅行会社にも、経営支援とともに本業のノウハウを活かしてもらいたいのだろう。

医学部体育館会場も、バスがある。
新聞で報道され、ワクチンサイトにも出ているのが、秋田駅東口と会場のシャトルバス。これはサイトでもそう称している。この件はいったん置いてまた後で。
もう1つが謎のバス。
ワクチンサイトには「秋田大学構内の循環バスのほか(に東口のバスを運行)」という言い回しがある。
これがどうにも分からない。秋大の循環バスなど聞いたことがないし、ネット上にも一切情報がない。【末尾の追記参照】

秋田市保健所保健総務課のメールフォームから「意味が分からない、情報が足りない」と返信不要で送ったのだが、サイトは変わっていない。あちらもたいへん多忙なのは分かるし、なまじJTBが入ってしまってすぐできないのかもしれないけど…
実際には、これも工藤興行のマイクロバスが使われているらしく、医学部敷地内の附属病院正面付近と、敷地内ながら離れて場所が分かりづらい体育館とを結んでいるような感じ。大学病院前の一般路線バスの停留所の裏に乗り場があるので、車で来ても、路線バスで来ても、歩かずに体育館へということなのかもしれない。


再び東口とのバス。30分間隔で運行され、所要15分ほど、若干遅れることもある
ルートは、東口~手形山崎町交差点~手形陸橋の通りは、往復とも共通らしい。
駅行きは未確認だが、体育館行きは、広面小南交差点→広面小学校前→横金線を越えて手形山団地線の通り→大学糠塚宿舎側入口から敷地内へ、というルートのようだ。【10月11日追記】駅行きは、医学部敷地の東側を半周し、路線バス停の隣の出口から公道へ。以降、三吉神社前経由の路線バスと同ルートで手形山崎町まで。
車両の表示
上の「秋田市コロナウイルスワクチン接種会場シャトルバス 様」の札(業界用語で「バスステッカー/ステッカー」と呼ぶそうだ)の右下に「JTB」とある。
下の大きい縦書き両矢印のものは、中央交通本体が受託する、イオンモール秋田のシャトルバスに掲出されるのと同じ形式。
どちらも「秋田大学医学部会場」に言及していないのは、若干問題あり。ほかの接種会場もあるのだし、そこ行きと誤解して乗る人もいないとは言えないのだから。
【8月30日追記・さらに、御所野のイオンモール秋田行きシャトルバスが、同じ乗り場・同じ時刻発となる場合がある。乗り間違えないよう確認を!

運行初日に、たまたま身内が接種を受けることになっていた。車で行こうか路線バスで行こうかと思っていたが、シャトルバスは本数も多く、帰りに駅前で買い物もできると、喜んで利用した。
結果。体育館直結でとても便利で楽だったが、東口での案内が少なくて、戸惑ったし、ほかにも同様の人がいたとのこと。
そのことも保健総務課へ要望した。これらの点は、当初よりは案内表示(乗り場への看板式の時刻表や、アルヴェ玄関の誘導など)が増やされ、おおむね改善してくれた。


本題は、その車両。報道では「定員20人」とされていた。
こちらは中央交通系列に委託。半日運行の平日でも、1日2台が使われる。
場合によっては、秋田中央交通本体の大型貸切バスが入る日もあるが、多くが、子会社・秋田中央トランスポート(秋田中央観光)の担当。※イオンモールシャトルバスも、火曜日に運行していた当時は、トランスポートが担当することもあった。
ある日の使用車両はこの2台
中央交通本体とは、色づかいは似ているがデザインが異なる「AKITA CHUO KANKO」の、小さい観光バス。観光仕様車には詳しくないので、小型か中型の短尺か微妙なサイズ。
左奥で待機しているのは、公式サイトで「小型スケルトン」と紹介される、正座席24席の車。

こんな2台のほか、たいへん珍しい車も、けっこうな頻度で使われている。
路線バスに混じって異彩を放つ1台



ボンネットバス!!

と言っても、何十年も前に製造された、ほんとうのボンネットバスではない。まあ、ボンネットは存在し、そこにエンジンが入っているようなので、「ボンネットバス」なのは間違いないが。
ボンネットでない普通のバスを改造し、ボンネットを作ってしまった特装車。結婚式場の送迎とか観光地の路線バスなどでたまに見かける。「レトロバス」と呼ばれることもあるが、「レトロ風/レトロ調」でしょう。
この車は、日産のマイクロバス「シビリアン」を、日産系列の「オーテックジャパン」が改造した、正式には「クラシックバス」と呼ばれるもののようだ。車内はほぼ原型のままらしい。
【11日追記】秋田中央交通グループのバスとしては、唯一の日産車(旧・日産ディーゼルは除く)かもしれない。タクシーでは日産車もあるので、取り引きはあるだろう。


そんな車を、どうして秋田中央トランスポートが持っていて、ワクチン接種会場シャトルバスに使っているのか。
ネット上の情報では、もともとは山形県の庄内交通が、鶴岡市の観光客向け「庄内藩レトロバス」用(+貸切用)に2009年に購入した車。庄内日報サイトによれば、20人乗り750万円(改造費込みなんだろうか? もうちょっとしそうだけど)。
塗装の色合いは、今と同じで、正面上の黄色い部分に太い楷書体で「庄 内 藩」と書いていた。
庄内藩レトロバスは、利用低調で2012年頃で運行終了したらしく、その直後どうしていたかは不明。

その後、秋田中央トランスポートが中古で購入。
庄内交通には、中古バスの仲介をする関連会社があるそうで、中央交通の路線バスの何台かはそこ経由のものがあるそうだけど、庄内交通自身の中古は初めてでしょう。
秋田での用途は、2018年秋に試験運行を開始した、南秋田郡五城目町のコミュニティーバス「きゃどっこ号」。
正面の「庄内藩」跡には「きゃどっこ号」と書かれたが、黄色地に、縁取りが黒いだけで黄色い文字なので、あまり目立たない。だけど、HG創英角ポップ体なので、独特の存在感。
庄内時代には後方に控えめに書かれていた側面窓下は、前寄りに黄色いHG創英角ポップ体で「五城目町コミュニティバス きゃどっこ号」。
運行開始時には、秋田魁新報で「ボンネットバスで運行」と報道されていた。写真も載ったが、ほんとうの古いボンネットバスなのかと、誤解した読者がいそう。

ところが、きゃどっこ号の利用もまた低調で、試験期間内の2019年6月で運行終了。またも使いみちを失ってしまった。
中央交通創業地である五城目は、町内のバス路線がどうにも定着しない。2019年秋には、八郎潟町と大潟村とともに「南秋地域広域マイタウンバス」が運行を開始し、約2年は持っていることになるが、今後はどうなるか。

すっかり忘れていた昨2020年6月頃、NHK秋田のニュースにこの車が映った。
トランスポート社では、県立特別支援学校のスクールバス運行を受託している。車両は県所有の白ナンバーバス(それを受託運行することが可能ならしい)。
新型コロナウイルス感染症流行で、「密」を避けることが求められるようになり、児童生徒の通学時の不安を解消しようと、スクールバスを増車して分散しているという報道。それに抜擢されたのが、元きゃどっこ号だった。その時点で「きゃどっこ号」表示は消え、現在と同じになっていたと思う。
今、正面のナンバープレートの右上に、何かを表示できそうな金属板がある。きゃどっこ号時代にはなかったので、スクールバス関係の識別表示をしていたのか。

スクールバスがその後どうなったか知らないし、存在をまた忘れていた。報道から1年後、今度は秋田駅に現れ、やはりコロナ絡みながら別の用途に使われていた。以前は五城目営業所所属だったが、今は秋田へ転属したのか?

地方のバス事情により2度、役目を失い、コロナウイルス感染症により2度、活躍の場を与えられた、なんとも波乱万丈なバス。トランスポートとしては、きゃどっこ号がポシャった時点で、持て余しているのだろうけど…
通学やワクチン接種という目的で乗るバスが、レトロ調なのはどんな気分でしょう。とりあえず、外からは注目はされる。東口では、待機中の宮城交通の高速バスの運転士さんも降りてきて、見学していた。

個人的には、これに限らず、レトロ風バスは好きではない。
たいていT型フォードみたいな戦前&外国っぽい雰囲気があって、国産の昭和半ばのボンネットバスとは違い、日本の町並みを走っても、懐かしさより違和感が出てしまうと思うので。

なお、能代市二ツ井の第一観光バスでも、大きさや色合いがそっくりな「白神ボンネットバス」を所有していて、2019年からきみまち阪の観光シーズンなどに運行している。
トランスポートのは「秋田200 あ255」、第一観光のは「同258」と別だし、細部の作りは異なる。
運行開始当時の秋田魁新報では、1998年日産製で「九州や群馬県などで観光施設の送迎用」だった中古と、マニアックに紹介していた。


側面
きゃどっこ号を消した跡に「貸切」の用途が表示された。バス協会のNBAシールは、ドア前から後ろに貼り直し。
ツーステップで、運賃箱は残っている。一般のマイクロバスでは、運転席より後ろにドアが来てしまい、運賃収受がスムーズでなくなるが、ボンネット改造では普通のバスのような配置になるのか。

後ろはレトロ感は薄い
きゃどっこ号時代は、リアウインドウ下の黄色い部分に「きゃどっこ号」、下の枠の中に「五城目町コミュニティバス」。
おもしろいのがナンバープレートが付いている部分。木目柄の茶色い箱になっている。庄内時代から変わっていない。

持ち手が付いて、ベルトが2本巻いてある。「手提げトランク」か。
本来のシビリアンでは、ここが用具などを収納するトランクルームになっている。この車でも鍵穴と開くための取っ手があり、緑の車体ごと上に開きそう。トランクとトランクを掛けたダジャレ?

見た限り、東口シャトルバスの利用者は、皆無のことは少なそうではあるが、せいぜい1~5人程度の乗車。マイクロバスでなくてもワゴン車のジャンボタクシーで済みそう。【13日追記・乗車が短時間で、高齢者や足の悪い人の乗車もあるので、一般路線用のワンステップ/ノンステップ車を使うという手もある。】【9月3日追記・この後、実際にノンステップ路線車も使われていた。末尾追記も参照】
ただ、接種直後に車を運転するのは不安だ(実際の事故の話などは聞こえないが)し、地理不案内や車が使えない人もいる。今後、接種対象年齢が下がっても、ある程度は会場への移動手段を確保してほしい。


そして、日産シビリアン。2021年6月で製造販売を終了したという。
幼稚園や宿泊施設などの送迎バスでよく見かける車なのに、普通のシビリアンも、いずれなくなってしまうのだった。


【8月24日追記】その後、接種する世代が下がると、予約システムが変更されて、アクセスの説明も変更された。
秋田大学医学部会場については、
【シャトルバス】
秋田駅東口5番乗り場より、会場へ直通のシャトルバスをご利用ください。
【路線バス】
手形山経由大学病院秋田駅西口12番線→手形山団地→大学病院前
赤沼、太平、松崎団地、各線秋田駅西口11番線→三吉神社前→谷内佐渡→大学病院前
赤沼線秋田駅東口2番線→碇→南団地→大学病院前
路線バス乗り場から接種会場の「医学部体育館」までは、構内の巡回バスをご利用ください。
と詳細に。やっと医学部構内バスが説明された。路線バスは経由地まで示してやたら丁寧だけど、今は経路が変わって、西口→大学病院では谷内佐渡は通らなくなったのですが…

一方、八橋の秋田市保健センター会場は、
中央交通 寺内経由土崎線 秋田駅から15分
(秋田市保健所・サンライフ秋田前下車)
市役所から徒歩約10分
医学部に比べて大雑把。市役所から歩かせるのならば、路線バスなら本数が多い、県立体育館前も挙げるべき。

【9月3日追記】9月2日には、トランスポートの小さい貸切車とともに、中央交通の一般路線車両も使われていた。
臨海営業所の小田急中古の中型ノンステップ10-79号車。行き先表示は、イオンモールシャトルと同じ「シャトルバス」表示。【11月3日追記】このほか「貸切」や「秋田中央交通」表示の場合もある。
【9月9日追記】9月9日には、中央交通秋田営業所の一般路線仕様の小型車、日野リエッセ12-69号車が使われていた。前週までは、秋田市中心市街地循環バスの代走に多用されていたが、新車が入ったため、新たな任務。
【10月9日追記】10月6日には、トランスポートの小さい貸切車と、中央交通秋田営業所の一般路線用中型ノンステップ924号車が充当。両車とも、札はJTBロゴがなく秋田中央交通名義。いつの間にかJTBが抜けたのか。
【10月11日追記】レトロ風バスは、トランスポートが受託するスイミングスクールの送迎バスの代走もやっていたようだ。そこそこ使いみちがありそう。

接種を受けに行った時の記録

2022年に、レトロ風バスはまったく別の新たな用途に使われることになった
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柴又団子 秋田で販売

2021-07-09 22:57:41 | 各地お土産・食べ物
食べ物カテゴリーですが、食べそこねた話です。
今日、昼。秋田駅中央改札口横の「NewDays秋田中央口」の前を通ると…
駅弁の冷蔵ケースが?
「駅弁」の文字が隠れるほど、見慣れぬ横断幕やのれんで装飾されている。

「高木屋老舗」って、あの!
東京葛飾、柴又帝釈天門参道にある草だんごの店(和菓子と喫茶の店)。映画「男はつらいよ」で寅さんの実家のモデルになったとされる。
「高」は「はしご高」が正式、「老舗」は「しにせ」ではなく「ろうほ」と読むらしく、「たかぎやろうほ」。
映画では、ロケ時の出演者・スタッフの控え場所として使われたとのこと。劇中のだんご屋は39作までは「とらや(本家とらや老舗)」。ところが実世界の別の店が「とらや」を名乗ってしまい、40作以降は「くるまや(本家くるま菓子舗)」と改称。

柴又の草だんごは粒あんではあるのだが、草餅好きとしては、いつか食べてみたいと思っていた。
※余談だが足立区西新井大師も草だんごが名物で、そちらは2店舗ともこしあんとつぶあんを選べる。
それがなんと秋田駅で買えるって!!
ということは、駅弁ケースにだんごが並んでいるかとのぞいたが、いつも通り駅弁ばかり。

横断幕類を見直してがっかり。
下の外れかけ横断幕(その下の顔はおーいお茶の海老蔵さん)だけははしごでない高
「7月9日(金)16時08分、秋田新幹線こまち到着後、準備出来次第販売開始
16時以降に再び駅へ来ることはかなわず、泣く泣くあきらめた。

例の、コロナウイルス感染症で空席が増えた新幹線で、運んで売るシリーズ。
「東北初出品」とあるのがすごい。たしかに柴又の草だんごをよそへ運んで売るという話は聞いたことなかった(都内の百貨店では売るらしい)し、JR東日本沿線ではない柴又の物というのも意表を突かれた。斬新な発想だと思う。
だけどいかんせん、宣伝、告知が足りない。
あと、これだけベタベタ貼っているわりに、入数や値段を書いてないじゃないかと思ったら、ケース中央の小さい手書きPOPに「12粒700円」とあった。餅とあんこが別々に入った折りのいちばん小さいので、現地と同額。
横断幕の外れた部分には、みたらしだんごの写真もある(店では草だんご以外にもいろいろある)けど、それは売らないってことでしょ。
消費期限は当日限りらしい。「数量限定200個!!」だそうで、売り切れただろうか。


5月に新潟から輸送した時は、JR東日本公式サイトのプレスリリースにはいちおう事前に掲載されていて、運良く知ることができた。
その後、告知手段の改善を要望したのだが、今回は、それさえなし。いつまたあるかと、毎日公式サイトをチェックしていたのに、無駄だった。
NewDaysのサイト(今春からJR東日本クロスステーション リテールカンパニー)にも、JR東日本秋田支社の公式ツイッター(@Akita_Rail_Trip)ができたが、そこにもなし。

今週は、改札口前をあまり通らなかったけど、店の前の告知はいつからあったのだろう。日時を記した横断幕などずいぶんしっかりした作りだが、あまり役立っていない。
6月頃はレトルトカレーを売るという、小さい紙をずっと貼っていた覚えはあるのだが。

大都市圏と違い、鉄道利用者が限定される地方では、こういう催しは普段駅に来ない人にも来てもらうことが大切だと思う。それに、消費期限が短い食べ物だから、たまたま通りかかっても買うのをあきらめる人もいる(別のお菓子を買ってあるとか)はずだが、告知があれば計画的に買おうとする人が来るだろう。だからこそ、事前告知を充分にしてほしい。
この調子では、この次も意外な土地の意外な物が新幹線で運ばれてきそうだけど、それがいつか分からず、また人知れず終わりかねない。期待はしていますよ。
8月6日には、さっそく次が
※9月17日には、高木屋のだんごを「やまびこ59号」輸送で盛岡駅(北口23号店、15時半頃から)で270個販売。JR東日本本社サイトに13日付でリリース掲載。
※2022年3月に秋田駅ビルトピコで、高木屋のだんごが再び発売されることになったが、地震で新幹線が不通になったため延期。→2022年5月27日、ついに秋田で再販売して、やっと購入できた
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きみまち阪 黄色標識とニューバンビ

2021-07-07 23:34:04 | 秋田のいろいろ
3月の能代市二ツ井(前回)の続き。今回で終わりです。
初回で取り上げた、きみまち阪の「道の駅ふたつい きみまちの里」周辺のこと。
【8日訂正・初回アップ時「きみまち坂」としてしまっていたのを「きみまち“阪”」に訂正します。】

トンネルを抜けて道の駅ふたついにたどり着く直前の車道に、ヘンな道路標識、いや“道路標識もどき”があった。
初めて見る
黄色い三角(厳密には五角形)に、自転車と歩行者。
これの青いのなら「横断歩道・自転車横断帯」、警察が設置する「指示標識」。秋田県内ではさほど見ないけど。
国土交通省「道路標識一覧」より抜粋
それを黄色くしたものだが、路面のラインを模したと思われる線が少なくて、余白(余黄)が多い。

黄色い標識といえば、道路管理者が設置する「警戒標識」のくくり。でも、警戒標識はすべてひし形。これは正式な道路標識ではないことになろう。
そう思えば、一般的な警戒標識とは黄色みが少し異なって、若干オレンジ色っぽいかも。

設置環境。標識本体の下に「補助標識」としていいのだろうか、縦書きで「歩道注意」。
背後は歩道橋の階段

Googleストリートビューより。道の駅からトンネル方向
トンネルに続くカーブの手前に、歩道橋の下をくぐって道路沿いの建物へ出入りする曲がり角が2つあり、1本ずつ設置されている。※1つの角の左右のように見えるが、隣り合った別々の角、それぞれの左側に立っている。
歩道を横切って民地へ入るのだから、横断歩道ではない。カーブや歩道橋の脚により、運転者から歩行者自転車が見えづらいまたは注意が薄れるので、注意喚起のためだろう。

横断歩道ではないから、横断歩道の青い標識は設置できない。秋田県警管轄の道路標識ならばある、裏面の設置年や業者を示すシールもない。
道路管理者、ここは県道だから秋田県山本地域振興局建設部が、考案して設置したのだと考える。警察管轄の青い標識を設置するわけにはいかないから、形とデザインだけ転用し、道路管理者に権限がある警戒標識を模して黄色にした、特注の「標識風看板」といったところではないだろうか。
路面をカラー舗装するという手段もある。雪が積もれば分からなくなってしまうものの、歩/車双方の注意喚起になるし、やってはいかがでしょう。


そんな看板を見ながら車が入る先。そのうち1つは、今は一般車は通らなくなってしまったようだ。最後にその話。
あまり来たことがなかったきみまち阪。沿道には公園と道の駅しかないと思っていたが、そうでもなく、いくつかの店などがあったのが意外だった。県道のトンネルを抜けて、(川側移転後の新しい)道の駅が見える手前一帯。
横断歩道橋のところ=道の駅直前に位置する。
左奥は道の駅
平べったい新しくはない建物。使われていない雰囲気で、看板は残っていた。
歩道橋下から入ったところには、
「きみまちホール」
その左側面は、
左が米代川、背後が道の駅の側面
上にボウリングのピンが載っていて、看板は、
「レジャーセンター ニューバンビ」

「カラオケ ボウリング」「アミューズメントステーションOTTO」「YA-YA DINING」
こんなものがここにあったのか。
調べても分からなかったが、建物全体やニューバンビのロゴからすれば、明らかに道の駅(初代)より古く、昭和40年代築だろうか。まずはきみまち阪にボウリング場があったことに驚いた。
一方、OTTOやYA-YA DININGの看板は新しい。YA-YA DININGは、秋田市内でなじみがある。ここのような「YA-YA DINING」という名前の店は今はなくなったようで、現在はコンセプトを分けた「YA-YAなんとか」やまったく別名の飲食店をいくつも運営しているようだ。

ヤヤダイニングが二ツ井にあることにも驚いたが、実はあって当然だった。
運営会社は「YA-YA DINING GROUP 株式会社フード・ボックス」というもので、公式サイトによれば本社所在地は能代市二ツ井字三千苅、二ツ井駅近く。ただし、社屋のようなものはなさそうで、別に「秋田本部」が秋田市のエリアなかいちにある。
沿革によれば、2004年8月に二ツ井でYA-YAダイニングを開いたのが最初のようで、意外に新しい。きみまち阪の店が1号店なのだろうか。
新しくなった後の、道の駅ふたついの飲食店の運営もしている。

2012年撮影Googleストリートビューより
上の画像、左がニューバンビ、右が旧・道の駅。ほぼ向かい合っていた。

少ないネット上の情報では、
・「きみまちホール」は貸し切り用の大ホール。
・パチンコ店「ニューバンビ 二ツ井店」もあり2010年5月まで営業?
※同経営で二ツ井や三種町鹿渡に「バンビ」「バンビセゾン 鹿渡店」もあったそうだが、今は閉店。
・2010年時点では、ダイニング、ボウリング場も営業。
・2012年2月時点では、ボウリング場は閉鎖済み、ダイニングは営業。
といった程度。

地元で問題になっているのかどうか知らないが、このままでは「廃墟」になってしまいそう。
風光明媚な観光地きみまち阪、しかも道の駅の隣にこんなボロっちい建物があるのは残念。
コメント (6)
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土崎セブンの店名

2021-07-06 23:02:13 | 秋田の地理
コメントで教えていただいて知ったのだが、秋田市北部・土崎に新しくセブン-イレブンが1店舗できた。2021年6月24日オープン。

4月21日に秋田駅前のホテルメトロポリタン秋田(別館・ノースウイングができたので、以前からある建物「本館」の)1階にオープンした、「セブン-イレブン ホテルメトロポリタン秋田店」が、秋田市内36店舗目、秋田県内108店舗目のセブンだそうなので、その次か。
メトロポリタンのセブンも少々触れておく。
駅舎を背に
歩道は、店の前だけブロック敷きでなくカラー舗装。以前、ここは裏側の駐車場への出入口が通じていて、部外者も徒歩で通り抜けられた。そこを埋めて店が造られた。だから、ここだけブロックでなく、セブンへの改装時にカラー舗装された。人通りが多い歩道を横切って車が出入りしていたのがなくなって、安全になった。

看板が控えめで、【7日追記・ひさしが深くて店のドアが奥まった位置にあり、】間口が狭くて奥行きがある店舗なので、目立たない。初めて来た人だと、ここを見落として三宅ビルのローソンを先に見つけそう。


本題の北のセブン。
国道7号の「相染(そうぜん)こ線橋北」交差点を、東に曲がると狭いながら県道231号。すぐに旧国道(市道)との交差点があり、その東はすぐに飯田街道の虎毛山踏切で、港北(こうほく)、秋田高専方向へつながる。
道が狭く、交差点が続き、踏切手前は急な坂で、交通量もそこそこあって、注意すべき区間。

セブンができたのは、旧国道との交差点の、北西角。国道から見ると左手前、踏切から見ると右奥。
以前は、角ギリギリに古びた家屋などいくつかの民家、あとは空き地というか荒れ地があった、そんな場所。
旧国道交差点から。左右が旧国道、奥が国道、背後が踏切
店の敷地は、県道に沿って細長い。店舗は県道向きが正面で、旧国道からは離れた国道寄りに建つ。こんな狭い道路に面して、道路幅よりも広いコンビニができるのは珍しいと思うが、角地ならではか。
旧国道側角地は駐車場。赤信号のショートカットに使われるおそれがあるが、店舗をこっち側に建てると見通しが悪くてさらに危険だったかもしれない。旧国道も県道も歩道がない道なので、駐車場内を歩けば、いくらかは安全になりそう。

国道側から来る視点だと、
踏切まで一直線ではなく、逆「く」の字の道路だ
こちら側にも駐車場があるし、やはり建物は側面しか見えず、高い看板が目に入る程度。店舗は目立たない。
国道の交差点に看板はないし、わざわざ曲がって来店する客も少なそう。知る人ぞ知るセブン-イレブンのような雰囲気。
この時はけっこう来店客がいたようだ

そんな新しいセブン-イレブン。ホームページで店舗名を知って、愕然とした。
「秋田土崎港店」
実地の表示やレシートでは未確認なので、サイトの誤記(もしくは仮称のまま)かと思った。だといいのだけど、現実なのだろう。
だって「土崎港」というのは、いわゆる「土崎」とおおむね同義。
地名の「土崎港~」だけに絞っても、中央と東西南北それぞれに丁目が付くし、住居表示未実施の相染町などもあり、広範囲。
「泉店」「牛島店」とするようなもので、「セブン-イレブン秋田土崎港店」では場所を特定しにくい。

といっても、土崎にセブン-イレブンは少ない。営業中なのはこの店で3店舗目。
新店舗から北へ600メートル、飯島郵便局の裏の国道に「秋田土崎港北7丁目店」。その名の通り、土崎港北(つちざきみなと きた)七丁目に所在。
土崎港西一丁目には「秋田セリオンタワー前店」。ポートタワーセリオンが正しいのに、略して入れ替えた「セリオンタワー」を店舗名にしたことに苦言を呈した店。
ほかに、土崎港相染町にあった「秋田浜ナシ山店」は閉店済み。秋田市進出1号店の1つだった「秋田土崎港東1丁目店」は道路向かいに移転して「秋田将軍野南3丁目店」に変わっている。

新店舗・秋田土崎港店の所在地も、既存店と同じ土崎港北七丁目。北七丁目はここが南限で、県道向かいは土崎港中央七丁目。
同じ町内に2店舗できることになってしまい、店舗名で悩んだのは想像できるし、同情できる。
だけど、よりによって結論が「土崎港店」はないでしょう。
北が秋田土崎港北7丁目店、南が土崎港店
ファミリーマートのような、他チェーンとの統合歴があるコンビニでは、店舗名の重複や矛盾が出てしまうのはやむを得ない。「ファミリーマート秋田手形店(元サンクス)」と「ファミリーマート秋田手形山崎店」があるように。
しかし、セブンはそうでないし、そもそも新しい店なのだから、自由に分かりやすいネーミングにできるのに。
旧町名になるが「相染町」とか、「虎毛山踏切」「飯田街道」を用いた店舗名にしたほうが、少なくとも地元住民には覚えてもらいやすいはず。

この後、土崎港○○を所在地とするセブン-イレブンが新規オープンした時は、どういう店舗名にするつもりなんだろうか。土崎港店が浮いた存在になるか、まさかこれ以上土崎にセブンを出店しないわけでもないでしょうに。その点を考えれば「土崎港店」なんて壮大な店名にはできないと思う。
あと、既存の秋田土崎港北7丁目店のほうだって、混同や取り違えられて困るかもしれない。

セブン-イレブンの店舗名は、地名を基本にして、そんなにおかしいのはないと思っていた。
実はそうでなく、セブン-イレブンでは、都市名+所在地名というルールは厳密だが、それを外れた店舗名では何もルールがなくて、このような後先を考えない、その場しのぎの場当たり的店名になってしまいがちなのか。でなければ、画数占いの結果にでも従ったのか。
セリオンタワーに続いて土崎港。本部担当者かオーナーか、ネーミングセンスを疑う。
コンビニの店の名前など気にしない客もいるだろうけど、名前は大切でもあるはずです。
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EV-E801 G1編成復帰

2021-07-05 22:52:28 | 秋田のいろいろ
JR東日本・男鹿線で、キハ40系気動車に代わって今年2021年春から、全列車に使われているEV-E801系蓄電池式電車。
2017年から2両1組=1本「G1」編成が使われていて、2021年春に2両×5本、G2~G6編成が追加投入された。
キハ40系時代に比べるとやや少ない、6本・12両態勢で男鹿線全列車をまかなうことになる。

同時に、4両編成でもワンマン運転し、無人駅でも車内で運賃収受を行わない、「中編成ワンマン運転」が始まった。そのため、車両には後方確認カメラなど安全装置が必要であり、運賃箱などワンマン車載機器は不要。
G2~G6編成は、最初から中編成ワンマン対応で落成したが、G1編成はダイヤ改正前日まで、従来方式のワンマン運転を行っていた。G1編成には、改造というか対応工事を施さないと、営業運転できない。
そんなわけで、ダイヤ改正後、G1編成は秋田総合車両センター(旧・土崎工場)へ入っていた。
※G1を「量産先行車」、G2~G6を「量産車」、G1の改造を「量産化工事」と呼ぶこともできそうだが、そもそもG1編成が量産先行車という位置付けなのかは公式には明らかになっていないと思う。下記のように、今回の工事は「中編成ワンマン対応工事」程度のような気もする。

G1編成が抜けた間、男鹿線は5本・10両で回していたことになる。6本必要というのは、故障や定期検査で抜ける分の余裕=予備車を含めた必要数なのだが、もし、何かあったら困ったことになる。
実際、G1編成がいない間、知る限りで、
・秋田駅で停電が発生。構内にいたEV-E801系の電源を落としたところ、復旧。 ※最終的な原因は報道されなかったので、EV-E801系の不具合なのかは不明。
・男鹿市内の踏切で、車との接触事故。
という事案が発生している。
当該車両が運用離脱しかねない事態だと気をもんだが、幸いにもどちらも軽微だったようで、長期的な運休・減車などはなかったようだ。
踏切で車とぶつかったのは「BLOOMING TRAIN OGA」のラッピングがされたG4編成。秋田寄りの青いEV-E800-4側。
テレビニュースの現場映像では、前面がつぶれたりへこんだりはしていなかったが、連結器横(向かって左側)の、ホーム検知装置の箱が、ぽろっと外れてしまったのが確認できた。
事故後のEV-E800-4
ホーム検知装置は取り替えたのか、付け直しただけなのか、復旧。その上のボディの青い枠状の部分、
傷跡
下のほうをがりっとかすったような事故だったのか。後ろの側面のラッピング部分は、角が少しこすれたほかは無傷。
6月中頃までは、この状態で走っていたのを確認。最近は見ていない。その後の動き


そしてG1編成。6月15日に総合車両センター内で試運転しているのを目撃した。その後、3か月ぶりに(思ったより時間がかかった)土崎を出場し、6月28日頃から、営業運転に使われているとのこと。
この記事後半の通り、G1編成は、ワンマン関係以外にもG2以降と相違点が多少あったのは、どうなったか。
乗車することができた。ワンマン関係はもちろん、基本的にはほとんどがG2以降に合わせた改造がされていた。ただし、元から差異は少ないので、詳しくない人は乗っても意識できないだろう。
復帰したG1編成
車体は洗ってもらえなかったようで、正面・貫通扉にヘッドマークのシールを貼っていた跡や、茶色い汚れが付着してしまっている。
他編成との相違点を挙げたほうが早い。
・行き先表示機は従来のまま。他編成よりも文字が細い。

不要になった運賃箱や整理券発行機は撤去された。運転席内の客席確認ミラーも撤去。車外のドア横、
左側のドアボタンの上に、縦長に黒くふさいだ部分
従来ワンマンで、無人駅で「出口」「入口」を表示していたLEDが埋められたようだ。そういえば、G2以降には最初からこれがない。
だけど、車内ドア上の「ワンマンカー乗り方&降り方」の掲示はそのまま。誤解を招くから外してよ。
番号表示以外でG1編成を識別する点としては、以上、行き先表示の文字、出入口表示の跡、の2点だけではないだろうか。


中編成ワンマン対応(カメラ、ホーム検知装置、自動放送)以外で変わった点。
・ホームからは見えないが、ネット上の指摘によれば、青い車の床下にある蓄電池が交換された。G2以降とも違うものらしい。
以下はG2以降と同一仕様への変更。
・正面では、幌/幌受け取り付け、電気連結器取り付け、渡り板の交換。(これらは連結して4両編成で使うために必要。)
・以前はむき出しだったワイパーの付け根に、カバー取り付け。【2022年4月27日追記・いただいたコメントによれば、ワイパーのすぐ横に幌があるため、接触防止のカバーではないかとのこと。幌とセットで付けたことになる。】
根本を覆うような部品

運転席後ろ
・助士席背後のガラスをふさいで、機器(カメラ関係?)設置。
・運賃表示器を中央寄りへ移設し、車内カメラと一体化した黒い箱に収納。
・運転席の日除けを、青い透明板からロールスクリーンに交換。(最近のJR東日本の好みと、カメラ用モニターとの干渉対策でもあろう)

・車内側のドアボタン周りに箱状の出っ張りができ、ボタンの台が壁から少し飛び出た位置に変更【6日補足・すべてのドアのボタンかどうかは未確認】。ボタンも「<>」「><」に。(車外側は以前から<>)

トイレや運転席内では、まだ相違点があるかもしれないけれど、この程度。

キハ40系ほど旅情はないけれど、EV-E801系の走行は静かで快適。冷房が作動し、窓も開いているのに、うるさいとは思わなかった。秋田~追分の移動で時間が合えば、701系よりEV-E801系に乗りたくなる。と言いつつ、701系の豪快な走りもたまには乗りたいし、GV-E400系も楽しい。空いているのがいちばんという気持ちもあるし、要はどれもいいのですけどね。
コメント
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