広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

エアロスターがやって来た!

2012-06-28 23:19:26 | 秋田のいろいろ
秋田駅前で、冒頭の写真の秋田中央交通の路線バスを発見!
「ノンステップバス」の表示があり、「か929」という最近登録されたナンバー。
でも、中央交通で最近急増中の中型バス「いすゞエルガミオ」ではない。
エルガミオとは違うボディ
長くて大柄で平べったいボディ、向かって右側のガラスが切り欠かれたように大きくなった左右非対称の正面。そう、以前旧モデルを紹介した、三菱ふそうトラック・バス(以下、三菱)製の大型バス「エアロスター(ニューエアロスター)」だ!

デザイン的には現行車種と同じだけど、残念ながら新車ではなく、中古。
しかしながら、秋田中央交通のみならず秋田県の路線バスにとって、これはとても画期的な車両となる。
なぜなら、※一部推測を含みます。誤りがあるかもしれません。
秋田県内で(メーカーに関わらず)路線用大型ノンステップバス導入は(自家用の大型ノンステップは前例あり?)
秋田県内で路線バス用の三菱ニューエアロスター(1996年以降の車種)導入は
秋田中央交通が三菱製大型路線バスを導入するのは、少なくとも35年以上ぶり(中型や観光・高速はここ10年間ほどは継続して多数導入)
秋田中央交通が三菱製大型路線バスの中古を導入するのは(中型の中古は前例あり)
秋田中央交通がいすゞ製以外のノンステップバスを導入するのは
秋田中央交通に、新しい大型バスが導入されるのは約10年ぶり
秋田市のバス路線を三菱エアロスターが走るのは、11年ぶり(上記の通りニューエアロスターとしては初)
・中古だけど、秋田中央交通の大型路線バスとしてはもっとも新しい年式の車両
だから。

当ブログで何度も取り上げたように、ここ数年の中央交通の一般路線バスでは、新車・中古車ともサイズは中型バスのみ、メーカーは大多数がいすゞ自動車製を導入していた。(高速・貸切バスでは他社製も導入)
それに、大型バスについては、今はなき秋田市営バスから新屋方面の路線を譲受した2002年前後に、まとめて何台も中古を導入したのがおそらく最後(メーカーはいすゞが多く、三菱は1台もなかった)。以後、現在まで10年ほど、大型バスの台数は増えていないと思われる。それらの大型バスは、新造から20年前後に達するものも多く、そろそろ寿命だから、大型バスは減っていくのかと思っていた。
このままでは、あと5年もすれば、秋田市を走る路線バスは、いすゞの中型バスばっかりになるんじゃないかとさえ思い始めていた。


以前の記事の通り、秋田市営バスでは三菱(当時は三菱自動車)製のバスは多く導入していたものの、大型バス・エアロスターは極めて少数だった。
1988(昭和63)年度に1台だけ導入された(214号車)のが最後で、それは2001年春頃に廃車となった。

エアロスターは1996年にモデルチェンジし、その後いち早くノンステップ仕様を発売し、現在は全国的に多数が導入されて走っている。
しかし、秋田の路線バスでは羽後交通でモデルチェンジ前のエアロスターが走っている程度だと思われる。新型エアロスターは、一部の自家用(スクールバスや教習車)でごく限られた台数しかなく、縁遠い存在の車種だった。

ところが、今年の4月中旬頃、ある方から「ある場所に中央交通の塗装のエアロスターらしきバスが停まっている」との情報をいただいた。(改めてありがとうございます)
見に行ってみると、後部だけしか見えず、またエアロスターを見慣れていないため、たぶんエアロスターかなという感じだったが、形とサイズは、間違いなく、今まで秋田になかった新しい型の大型バス。ナンバー取得前だったが、外見はすぐに運行できそうな状態に見えた。
現在の中央交通の路線バスは、大型バスが充当される路線がかなり限定されていて、僕の行動範囲内なら、きっと近いうちに見たり乗ったりできるはずと期待していた。

しかし、それから約2か月経っても走る姿はいっこうに見かけず、何か特殊な用途・路線にでも使わてれいるのかなどど邪推していた。
先週になって、市内をエアロスターが走行していたという情報を得て(ありがとうございます)、もしやと思っていたところで、今日の発見となった。

そんな事情があって、市営バスのエアロスターのこととか中型中古のこととか、ちょっと思わせぶりな記事をアップしていたのでした。(ナンバー取得前の姿を実際に見たといっても、走る姿を見るまでは自分でも信じられなかったので…)



このエアロスターのナンバーは「929」。
増加中のエルガミオ中古は、「924」を5月上旬、「930」を6月1日に初めて見たので、929はおそらく5月中に取得したナンバーではないだろうか。
4月に整備済みらしき姿を見かけたのに、登録が少し遅い気がする。
また、5月に登録されて、6月下旬まで走る姿を見なかったのは、僕の運が悪くて見かけなかったのか、それとも何らかの事情があって運行開始が遅れたのだろうか。


さて、この車両の前の所有者はどこだろうか。
まあ、推測するまでもなく「関東の大手事業者との付き合いから、比較的新しい車両を安く購入できるルートがある。(以前の記事後半参照)」とおっしゃるだけに、これも小田急バスから来た可能性が高い。

小田急バスでは、1999年に初のノンステップバスとして、多数のエアロスターを導入したが、それが昨年末頃から軒並み廃車になっているという。
中央交通に来たエアロスターは、ドアやランプ類の仕様や配置が、その1999年導入車と同一だと思われる。
屋根前方の青いランプやドアが小田急っぽい
ドアは小田急から来たエルガミオのノンステップの1999年車と同じ、ぐるんと回転して開く(?)「グライドスライドドア」。
エルガミオでは、グライドスライドドアは中ドアだけで、前は普通の折り戸だったけれど、こちらは両方ともグライドスライドドア。
座席の布地は、青系統の模様入りで、先に(ほぼ同時期か)小田急から来たエルガミオのノンステップの「924」のと同じだと思う。
後部。リアガラス直下のランプはオプションらしく、小田急では採用されていた

小田急グループの立川バスのエアロスター(塗装や装備の細部は小田急本体と若干異なる)
929も、少し前まではこんな塗装で東京の街を走っていたかもしれない。

改めてニューエアロスター
古いバスや、新しいバスはいすゞしか見慣れていない者にとっては、ニューエアロスターのデザインは斬新。
(再掲)以前のエアロスター。ノンステップと比べて背(天井・屋根)が高い
以前のエアロスターや中型のエアロミディの面影を残し、直線的でシンプルながら柔らかさも感じ、好きだ。
ただ、後ろから見ると、一瞬、いすゞエルガミオかと思ってしまう。後部は昔の三菱のバスのイメージは薄れているようだ。
奥がエアロスター。手前は最近小田急から来たエルガミオの「915」。どことなく似てません?
屋根上の冷房装置が、前方に付いている(エルガミオなど他車は中ほど)のが識別のポイントかな。

今まで、ニューエアロスターを写真で見ると、かなり大柄で平べったく、ノンステップのためか重心が低そうで、ティッシュペーパーの箱みたいな印象を持っていた。
でも、実物を見ると、たしかに大きいけれど、それほどでもない気がした。緑色が収縮色だから?
たしかに長いことは長い

今日見た時は、新国道経由の路線を2度(2往復)走っていたようだ。そのため、929は臨海営業所の所属だと思われる。【29日追記】29日に臨海営業所線を走っているのを目撃したので、同営業所所属は確実。
臨海営業所には、市営バスから移籍した車両をはじめ、中央交通の大部分の大型バスが所属する。それらと同様、新国道のほか新屋方面を走ると思われる。
秋田駅西口を発車
上の写真撮影時は、耳慣れないエンジン音を響かせて、新国道・高専前経由で組合病院へ向かって行った。トランスミッションはマニュアル。
※そういえば、たまたまかもしれないけれど新国道経由組合病院線では中型バスしか見たことがなかった。この路線に大型バスが入ること自体、珍しいかもしれない。


今後、小田急バスはじめ首都圏の各バス会社では、初期の大型ノンステップバスが続々と更新の時期を迎えると思われる。
上記の通り、中央交通が保有する古い大型バスもそろそろ限界。大型バスを全廃するつもりでもなさそうなので、中古のノンステップで代替を進めていくのかもしれない。中型バスと同じように。

今回、いすゞでなく、久々(大型としては初)の三菱の導入に踏み切ったのは、たまたま三菱製の中古が発生したためか、あるいは試しに1台入れてみたというところだろうか。
小田急バスでは、一般路線バスはいすゞと三菱がメイン。今後は、いすゞの大型バス「エルガ」の中古が、中央交通に導入される可能性もあるだろう。(秋田県内では、路線バス用エルガもまだ導入されていないはず。デザインとしてはエルガミオと変わらないのであまりおもしろみはないですが)※エルガ導入は、その後意外に早く実現した

※続きはこちら
次のエアロスター導入は2016年
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関根屋駅弁の売場

2012-06-27 23:59:28 | 秋田のいろいろ
【7月1日追記】この記事で取り上げた内容は、7月1日には解消されて元に戻りました。以下はアップした6月27日時点の情報をそのまま残したものです。

秋田駅の駅弁売り場のお話。
この記事は、「ライター望月の駅弁E-KIBUN」というブログの今日付けの記事「秋田駅弁に異変!?~秋田駅「秋田比内地鶏のいいとこどり弁当」(950円)」(http://ameblo.jp/ekiben-e-kibun/entry-11287589627.html)で情報を得たものです。ライター望月さんが先週土曜日に秋田にいらした際の情報です。
本来であれば、ライター望月さんにコメント等でごあいさつするべきですが、アメーバ会員でないとコメントやメッセージ送信ができない設定になっているため、連絡する術がありません。この場を借りて、お礼を申し上げます。

あと、大変申し訳ないのですが、ご指摘を。ライター望月さんは記事中で、大館の花善の鶏めしが秋田駅に大々的に進出し、本来受注製品である弁当まで売られていることに驚かれていた。しかし、これは今に始まったことでなく、だいぶ前(たぶん10年ほど前)からそうなっている。(だいぶ前に受注品の特上鶏めしを秋田で買ったことがある)


秋田駅には、現在、駅弁業者が3つある。
NRE(日本レストランエンタプライズ)、泉秋軒、そして関根屋。
いずれも、ルーツをたどれば、旧国鉄時代以前までさかのぼる。

NREは旧日本食堂。秋田駅構内で食堂を経営していたことが起源のようだ。
聞き慣れない方も多いであろう、泉秋軒は、元の「伯養軒(はくようけん)」。伯養軒は仙台を拠点に東北各地で営業していて、秋田には1956(昭和31)年に進出したようだ。その伯養軒は2005年に倒産。秋田以外の各地の駅弁事業や学食・社食事業(秋田にもある)は「ウェルネス伯養軒」という企業が、現在も引き継いでいる。
秋田駅の旧伯養軒の駅弁だけは、秋田の伯養軒の社員だった人たちが新たに会社を作って、引き継いでいるらしい。それが泉秋軒。

以上2社は、秋田駅との関わりも短くないが、元々は秋田の企業ではない。
もう1社の関根屋は、生粋の秋田の企業。「秋田駅とともに百余年」というだけに、長い歴史がある。秋田駅が開業した1902(明治35)年に創業し、以前は旅館もやっていたそうだ。

現在はこのほか、上記の通り、県北部の大館駅の名物駅弁、「花善」の「鶏めし」も秋田駅に輸送されて販売されている。


秋田駅には、改札内外にいくつかの駅弁売り場がある。
その中で、当ブログでも過去に何度かおすすめしたことがあったように、もっとも駅弁を買いやすかったのが、自由通路(改札外)の中央改札口脇(新幹線側)の小型コンビニ「NEWDAYSミニ秋田1号」。(ライター望月さんは、改札内の売り場=橋上売店を「乗客の導線としては、圧倒的に」「好ポジション。」としているが、実際には乗り換え客で駅弁を買う人はそう多くはないはずで、個人的にはこちらのほうが売れていると感じる)
NEWDAYSミニ秋田1号
NEWDAYSミニ秋田1号は、商品が選びやすく陳列され、Suica決済可能(ポイントがたまる)で、列車に乗る時も自由通路を通りかかった時もふらりと立ち寄りやすい立地。
そして何よりも、品揃えが豊富だった。3社プラス花善の商品を扱っていて、秋田駅でいちばん商品数が多かったはず。

ライター望月さんによれば、ここで関根屋の駅弁を扱わなくなったという。
※ライター望月さんの記事で「マル1 改札前・キオスク」とあるのがここのことだと思われるが、正しくは「NEWDAYSミニ」です。
また、在来線改札内の小さな駅弁売店(上記「橋上売店」。たしかNRE管轄)でも扱わなくなり、ホームでの立ち売り(台売り)も休止しているという。
すなわち、関根屋の駅弁は、トピコ改札口の直営売店でしか購入できなくなったのだ。
※トピコ改札口は、いちばん西寄り、在来線1・2番線側の駅ビル・トピコにつながる改札口。改札の内外両方から購入できる。

トピコ口(とぴこ“ぐち”)は早朝は閉まっているし、トピコのホームページによれば関根屋の営業時間は「8:00~20:00」。早朝に関根屋の駅弁は購入できないのだろうか。
※記事では、新幹線ホームの「NEWDAYSミニ秋田幹線ホーム」での扱いには言及していないので不明。秋田新幹線やリゾートしらかみなどの車内販売も不明。
※関根屋のホームページは更新がとても遅いので、売り場案内は以前のままになっている。

5月まで販売していた、関根屋の「こまちらし」はNEWDAYSミニ秋田1号でのぼり旗を立てて売っていたのに。
現在はたしかに関根屋製品は置いていなかった
関根屋商品を扱わなくなったのは、最近のことだろうか。

このご時世、地方駅で駅弁を売るのは楽でないことは想像に難くない。
だからこそ、より多くの場所(店・売り場)で扱ってもらったほうがいいと思うのだが…

最近の関根屋さんは、首都圏の駅に駅弁を輸送して売ったり(NREの旨囲門)、次々に新商品を出したり、首都圏などの駅弁大会に秋田駅ではほとんど売らない製品を出したり(あまり好きなやり方じゃないけれど)、いろいろと努力はされていると思っていた。
どうなっていくのだろう。


ところで、上のNEWDAYSミニ秋田1号の写真を拡大してみると、駅弁ケースの横に「当店のお弁当売れ筋ランキング」というPOPが出ているのに気づいた。

それによれば、
1位:花善とりめし、2位:牛めし、3位:いいとこ鶏、4位:山菜わっぱ、5位:こだわり(隠れて見えない)
それぞれの製造業者は、1位は花善、4位が泉秋軒。
それ以外の3つはたぶん全部関根屋だと思う。(特製・牛めし、秋田比内地鶏のいいとこどり弁当、秋田比内地鶏こだわり鶏めし)

ランキングに関根屋の商品が多く入っているということは、それだけ関根屋の商品の実力・人気があったことになる。
このPOPが今も出ているということはは、やはりつい最近まで売られていたのだろう。それを残しているのは、単なる剥がし忘れかもしれないし、ひょっとしたらいずれ販売が再開されるということなのかもしれない。

【7月1日追記】7月1日にNEWDAYSミニ秋田1号を覗いたところ、関根屋製品の販売が再開されていた。
コメント (4)
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三島のバス

2012-06-26 23:57:02 | 旅行記
人口約30万人の秋田市には、市内の路線バスを運行する会社が1社しかない。秋田中央交通の独占。
かつては秋田市営バスもあったわけだが、行政改革の一環で市営バスのあり方が議論されていた時、中央交通の社長が「秋田市の規模の都市なら、路線バス会社は1社でよい。うちが全路線を引き受けます」と言って、現在の体制となった。(要は自分の会社の保身のような気もするけど…)そして、今のありさま…


静岡県三島市は、人口11万人。※旅行記が中途半端でしたが、直前の記事三島市についての記事
某社長さんの理屈だと、バス会社は1社で充分なことになるが、主に3つのバス会社が路線バスを運行しているようだ。(各バス会社の関連会社が運行している路線もあり、実際の企業数としてはもっと多い)
秋田と三島では、周辺市町村の人口や施設・観光地の分布、人の動きが異なるという事情(三島のほうが活発)があるのだろう。
一方で静岡市のようにもっと大きな都市なのに1社独占の町もあるわけで、単純に人口がいくらだから何社と決め付けることはできないと思う。そういう意味で、ワタナベ社長さんのおっしゃった理屈は、僕には理解できない。

そんなわけで、冒頭の写真のように、三島駅南口にはいろいろな塗装のバスが待機している。
三島の路線バス各社の車両の塗装は、復刻カラーや組織再編で以前の会社の塗装をそのまま使っているなどしているため、会社の数以上に何種類もあって、把握し切れない。※以下に紹介するバス会社名は間違っている可能性があります
オレンジ色の「沼津登山東海バス」

同じく沼津登山東海バスだけど、「箱根登山バス」から移籍し以前の塗装のままのもの

レオくんがいる“ライオンズカラー”の「伊豆箱根バス」

車両の行き先表示のスタイルも、各社で異なる。顕著なのは車両側面の矢印式の表示。
表示器のメーカーごとの差異が大きく、さらに各バス会社で使い方が異なるため。
 伊豆箱根バス
秋田中央交通利用者には、親しみを感じる表示だ。
それは、メーカーが同じ(降車ボタンでおなじみのオージ製)であり、4つの縦書き経由地が左から右の順(→)であるため。
中央交通と異なるのは、上段の横書き部分。秋田では系統番号と経由地が表示されるが、伊豆箱根バスでは「JR沼津駅 行」と行き先が表示される。
でも、上の写真の場合、縦書き右端にも「沼津駅」があってダブっていて、意味がないと思う。
なお、始発バス停の発車前は、両社とも、案内文がスクロール表示される。
伊豆箱根バスの80周年記念復刻塗装らしい
このバスは、
縦書き経由地が右から左と逆(←)! ※始発発車前なので上段はスクロール表示
オージの側面LED装置は、矢印の向きを左右両方に変えられることが特徴。
実は、全国的には左向き(←)で使っているバス会社のほうが多いような気がするが、伊豆箱根バスは右向きと左向き両方を混在させている。
もしかして、上り下りで使い分けている(文字の表示場所を固定して)のかもしれない。
秋田のような駅と団地などの終点を単純に行き来する路線形態ならともなく、ここは三島駅-沼津駅のように駅どうしを結ぶ系統もあるので、どっちが上りでどっちが下りか分かりづらく、戸惑いそう。

富士急グループ各社
富士市の記事でも登場した富士急バスグループ各社。
これは三島でなく富士市~富士宮市の路線の表示
富士急ではレシップというメーカーの表示器を使っていると思われる。
オージと並んで高いシェアを誇るが、矢印がLEDではなく蛍光シールみたいなのであるため、向きが左向き(←)で固定されている。
レシップの装置は文字が大きくて太いものの、視野角が狭く、角度によっては読みづらい場合がある。(個人的にはこっちのほうが好き)
上の写真では、上段は伊豆箱根バスと同じく、行き先を表示している。やはり側面とダブっていて無駄じゃないでしょうか。また、側面には系統番号が表示されていない。

富士急のハイブリッド車
富士急のハイブリッドやCNGなど低公害車両は「エバーグリーンシャトル」として専用の塗装になっている。
それにしても、行き先表示の内容がおもしろい。「遊園地 ぐりんぱ YETI イエティ」。
「遊園地」以外はどれも何のことだか分からない。「イエティ」ってヒマラヤの雪男?

答えは、どれも施設の名称。
裾野市に富士急行系列の「フジヤマリゾート」という観光施設があり、その中の施設。
「ぐりんぱ」は遊園地。イエティは正式には「スノータウンYeti」でスキー場。
その側面表示
今度は「サファリー」が出てきた。サファリ→イエティとなアフリカ経由ヒマラヤ行きみたいだ。
「サファリー」とは、有名な「富士サファリパーク」のことのようだ。
施設名は「富士サファリパーク」だが、運営企業名は「富士サファリーパーク」で、「リー」と伸ばすようだ。なぜか企業名を表示してしまっている。
富士サファリーパークは、富士急系列ではない。だから正面には表示せず、側面だけの登場なのだろうか。
そして、上段の行き先は「YETI」と英語(なのか正式名称なのか)。

富士急の表示は、けっこうアバウトみたいだ。
最後にこちら
縦書きの左端が「GPO」。ってなんだ?

上段の日本語で分かってしまうけれど、これも有名な「御殿場プレミアム・アウトレット」。
上のほうの写真のように、正面の表示も「プレミアム/アウトレット」と小さい字で2行に分けて、やや苦しい表示。
御殿場プレミアムアウトレットを「GPO」と訳すことは、なくはないようだが、一般的ではないようだ。表示器の文字数・ドット数の制限があるのでしょうけれど…
※秋田では、以前「ニュータウン御野場」を「ニュー御野場」と表示していたことがあった。


三島市に限ったことではないが、装置メーカー、地域や自治体内、共同運行するバス会社の間で書式や表示内容・方法について、もう少し統一された基準があってもいいかもしれない。

※静岡旅行の関連記事(食べ物編)はこちら
2017年春の三島のバス
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日銀のユッカ

2012-06-25 23:06:17 | 動物・植物
冒頭の写真は、秋田市大町、竿燈大通り沿いの日本銀行秋田支店横で撮影。
日銀の正面玄関はニューシティ跡地隣の大町通り側で、竿燈大通り側を含む他の3方は高い塀で囲まれている。
二丁目橋方向を見る
その塀と大通りの歩道の間に、少し高くなった植え込みがある。岩が置いてあったりして普通の道路の植え込みとはちょっと違う趣で、区画整理事業完工記念碑が立っていたりもする。

その植え込みの中に、冒頭の写真のような植物があって、花が咲いていた。
とがってやや厚くて硬い葉っぱが放射状に出ていて、南国の植物っぽい。
サツキとともに咲く
秋田ではヤシ類など南方系の植物は、寒さと雪によって地植えで越冬することはまず無理。しかし、この植物は、かなり以前からここで育っている。冬には雪囲いがされるはず。
花を見るのも今回が初めてではないし、写真でも分かる通り、こんもりと繁茂していてそれなりに貫禄がある。


実は、子どもの頃、秋田市内の親戚の家の庭にも、同種と思われる植物が植えられていた。(今は枯れてしまってないはず)
とがった葉の先端は、触っただけでケガしそうで怖かったのと、葉の付き方がパイナップルの頭に似ていて「パイナップル」と呼んでいたのが思い出。

その後、これはパイナップルではないことを知り、「ユッカ」という植物だと認識していた。
でも、それはプリムラ、ポプラ、プラタナスなどと同様、総称であって、特定の種を指すものではない。ユッカはリュウゼツラン科ユッカ属の植物の総称。
「リュウゼツラン科」の他の属には、観葉植物としておなじみのものやテキーラの原料になる種があるが、いわゆる「蘭(ラン科)」とは別。サボテンとも違う。(ちなみにパイナップルはパイナップル科(別名アナナス科)なのでこれまた無関係)

ユッカ属には50種程度があり、どれも北~中央アメリカの熱帯・乾燥地域が原産。「青年の木」と呼ばれる「メキシコチモラン」も含まれる。
山と渓谷社「新 ヤマケイポケットガイド 庭木・街路樹」によれば、ユッカの中で、耐寒性の強い種が2つあるそうだ。それが「イトラン」と「アツバキミガヨラン」。
葉や花の形からすると、日銀横のユッカは「アツバキミガヨラン(厚葉君が代蘭)」だと思われる。

アツバキミガヨランは北アメリカ原産の常緑低木で、日本で栽培すれば高さ2~3メートル、原産地では5メートルになるという。日本には明治中期に渡来。
地上部が枯れないからか、いちおう木の扱いなようだ。日銀横のは本体(花を除く)の高さは1メートルくらいだから、本来はもっと高くなる。
花は春と秋に咲くそうだ。秋の花は色が淡い紅紫色を帯びるのだとか。
実がなるには「ユッカガ」という蛾の媒介が必要で、日本にはそんな虫はいないから、結実しない。

原産地とはだいぶ異なる環境下でそれなりに元気に育ってしまっているのは、種本来の丈夫さ(耐寒性のほか“耐湿”性)と、東西南の3方が開けて日当たりがよく、雪囲いや北側の壁で風雪が緩和されているという条件の良さによるものだろうか。


僕はここにユッカがあることも、白い花が咲くことも知っていたけれど、咲く時期や花の細部は気に留めていなかった。
よく観察してみると、まず、花茎の高さに驚く。木本体よりも高い。
 
さらに、ひとつひとつの花も、大ぶりな釣鐘型で花弁の先端がとがったものが、密にぶら下がっていて、なかなかかわいらしい。
その色も、単なるクリーム色でなく、花弁の先端を中心に紫色の細かな点が入る。(秋に咲くのはこれがもっと多いということか?)
【26日追記】いい香りがしそうな花に見えたので、鼻を近づけてみたが、無臭だった。

先週後半の段階で、
散り始めていた
今日には、ほぼすべての花が散っていた。秋にまた咲いてくれるのかな?

【7月11日追記】国道13号線に架かる猿田川の橋(牛島交番そば)付近の堤防斜面に、ユッカが咲いていた。南東向き。
【8月4日追記】秋田市土崎南児童センター(土崎南小学校敷地北側)に何本かユッカが植えられており、数本に花殻が付いていた。
大町のみちのく銀行秋田支店前にもあった。

【2013年7月10日追記】翌年の6月には、日銀のユッカを見るのを忘れてしまっていた。7月10日に見ると、葉は前年同様元気に茂っていたが、花や花が咲いた痕跡らしきものは認められなかった。
※その後、秋に咲いた
※2016年7月に、秋田市内の複数の民家で、これと同種と思われるユッカが咲いていた。その頃、日銀のユッカは元気そうに葉が茂っているが、花は咲いていなかった。初夏か秋かどちらかに咲くということか。

【2015年5月23日追記】2015年5月下旬には、つぼみをつけた花茎が伸びていた。
【2017年7月15日追記】2017年初夏には日銀では咲かなかったが、6~7月にかけて市内の複数の民家の庭で咲いていた。
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試験会場行きスクールバス

2012-06-24 23:35:38 | 秋田のいろいろ
日曜の朝8時過ぎ。秋田駅西口バス乗り場5番線に、ちょっとした人だかりができていた。
山王・八橋方面で何かのイベントが開催されると、バスで向かおうとする参加者で人だかりができることもあるが、乗り場が違う。
5番線から出るバスは、牛島方面の一部路線と築地経由の小型バス路線。

結局、待っていた皆さんは、8時15分発の築地経由ノースアジア大学行きに、ぎゅうぎゅう詰めになって乗り込んでいった。
中型・大型バスだったら余裕で収まる人数だったが、いかんせんこの路線は小型バスだからね…


今日は、ノースアジア大学(2007年に秋田経済法科大学から改称)を会場に、秋田県職員採用試験が行われたので、その受験者だったとみられる。
ノースアジア大学は、秋田駅の真東2.5キロほどの下北手地区にある。ちょうど秋田駅から西に進んで秋田県庁付近までの距離と同じくらい。
秋田駅からノースアジア大学までの公共交通機関は、バス。以下のように乗り場や経由地が複数ある。(路線名や運賃などは、バス会社公式サイトより)
※目的地や路線によって、降車バス停が異なります。路線・ダイヤの改廃もあり得るので、ご利用の際は、公式な情報で各自確認願います。

西口13番乗り場発・321系統「手形経由ノースアジア大学線」所要16分、運賃290円
これだけが秋田中央交通オリジナル(交通局からの移管路線でない)路線。
秋田駅の北側、脳研前、手形陸橋、谷内佐渡を経由する。
昔は大型バスも走っていたはずだが、今は中型バス限定だろうか。

西口5番乗り場発・431系統「西口発ノースアジア大学線」所要20分、運賃280円
これが8時15分のぎゅうぎゅう詰め便。かつては秋田市交通局が運行していて中央交通に移管された。
321系統も西口発なのに「西口発ノースアジア大学線」という分かりづらい名称。「築地経由」と呼ぶのが普通。
こちらは駅の南側を回るもので、南通築地の秋田南中を過ぎて左折、太平川沿いに横森や桜の狭い住宅地を抜けて、大学へ至る。
南中~横森付近の道の狭さのため、小型バスが限定して使われているものと考えられる。(そのため、実際には車両に系統番号は表示されない)道がクネクネして遠回りそうに思えるが、運賃は手形経由より10円安い。

東口1番乗り場発・430系統「東口発ノースアジア大学線」所要18分、運賃250円
系統番号表示開始直後の撮影(現在は表示が異なっているかもしれません)
これも旧市営バス路線。上記、築地経由を線路を渡らずに東口発着としたもの(明田郵便局前、横森橋経由)で「明田(みょうでん)経由」と呼ばれる。南中~横森の道がもっとも狭い部分は避けられるためか、中型バスで運行される。
再掲)とはいっても、ギリギリ。これで対面通行です
こちらのように、市営バス当時は「経法大附高」行き、移管後系統番号表示前は「明桜高等学校」行きと表示されていたが、実際の終点は「ノースアジア大学回転地」で変わっていない。
なお、桜ガ丘線も途中まで同じ経路を通り、同様に西口発着築地経由と東口発着明田経由がある。

東口3番乗り場発・スクールバス 所要約5分、無料
大学を運営する学校法人が、秋田駅東口と大学の間で無料バスを運行している。「シャトルバス」と呼ぶこともあるようだが、ここでは公式サイトに従ってスクールバスとする。
大学の隣接地にあって同法人が運営する、秋田栄養短期大学と明桜高等学校を含む3校共同のスクールバスという位置づけで、秋田中央交通に運行を委託している。時刻表は各学校のホームページに掲載されている。
運行経路は、東口を出てまっすぐ東へ進み、大学へ曲がるだけ。ダイヤとか車両については後で詳しく紹介します。

以上の各バスは、本数が多くない。そこで、こんな方法もありますよ。
東口から城東十字路付近まで他路線のバスに乗り、1キロほど歩く
碇入口(赤沼線)、広面宮田(日赤病院・御所野方面行き)でバスを降り、路地を抜けて太平川の歩行者用の橋を渡ると大学。
初めてだと分かりにくいし、雨の日は大変だけど、駅からずっと歩くよりは楽。バスの運行本数も少なくはない。


今日の県職員採用試験の受験者は、9時までに入室すればよかったようだ。
秋田県人事委員会作成「受験案内」の末尾には、「試験会場案内」の中で「交通」として、秋田駅からのバス時刻が掲載されている。
「受験案内」より
7時30分の手形経由、7時55分の東口発、8時15分の築地経由の3本。たしかに路線バスはこれしかない。
なお、今回と同様、ノースアジア大学を借りて県人事委が7月に行う、警察官採用試験の要項にも、同じ内容が掲載されている。

ところが、このほかに、スクールバスが7時30分、7時50分、8時00分、8時10分、8時40分に発車する。これに乗れば、早く・タダで会場に行かれる。
ここで疑問なのが、大学へ行くとはいえ、大学とは直接的に関係のない県主催の試験の受験者が、スクールバスを利用できるかということ。
学校法人のホームページには「無料スクールバス(教職員、学生、生徒向け)を運行しております。」とある。
ホームページより
「教職員、学生、生徒向け」なら、会場を借りた試験の受験者は利用できないのだろうか?
県の受験案内には、駐車場はない旨は記載されているが、スクールバスについては触れていない。

8時10分発のスクールバスを、駅自由通路の上から見てみた。
窓ガラスが着色された中型バス(三平バス)が使われていて、よく見えなかったが、座席に座っている人の姿は何人もあった。高校生ではなさそうだったし、大学が試験会場として使われるからにはノースアジア大の学生がこの時間に大学へ向かうことはないと思われるから、乗っていたのは県試験の受験者ではないかと思われる。

学校法人としては、スクールバスをカラで運行しても満員で運行しても、中央交通へ支払う委託料は同じだろう。
また、法人にとっては、試験会場を貸与するのも“商売”(会場使用料がもらえる)なわけだから、サービスの一環として、その受験者がスクールバスに乗っても文句はないだろう。
なお、2007年にノースアジア大学で開催されたある学会の要項には、学会参加者はこのバスを利用して会場へ来るように書かれていた。試験にせよ学会にせよ会場を貸りたのは同じだから、少なくとも当時は、「教職員、学生、生徒」でなくてもスクールバスを利用できたことになる。


となると、県の試験要項の書き方には問題がある。
スクールバスがあることと、その時刻も書くべきではないだろうか。
また、一般路線バスにしても路線ごとに運賃が異なること、築地経由は小型バスなので混雑が予想されることも記載すると親切。
例えば築地経由を利用しようとした一般乗客が乗り損ねたり降り損ねたりするかもしれないし、最悪の場合、受験者が積み残されて問題になってしまうかもしれないから、その対策として。


さらに、試験を終えた帰りの足については、要項には書かれていない。
多くの試験区分では、15時55分で試験が終わる。
直近のバス時刻を調べると、スクールバスが16時30分発、一般路線バスは2時間後の17時55分発の東口行きがただ1本。行きも同じことだが、昔の一般路線はもっと本数が多かったはず。昨秋の中央交通全体の大幅な減便に伴うものだろう。
行きは時刻を示しておきながら-すなわち「バスで来い」と言っておきながら-、これでどうやって帰れっていうのだろう。


今回の試験には845人が受験を申し込んだ。
当日来なかったり、東京会場での受験者を差し引いても、数百人がノースアジア大学へ来るはず。
主催者によるその会場案内は「駐車場はありません、行きのバスは案内が不十分、帰りのバスは知りません」。
要項に記載されていた行きの3本のバスを合わせた収容力は150人ほどしかない。受験者に対してあまりにも少ないし、上記の通り帰りはもっとひどい。
誰かに送迎してもらうか、タクシーに乗るか、てくてく歩いて行き来せよと言うつもりか。
あんまりじゃないだろうか。有料でいいから特発バスを出すとかするべきではないだろうか。

秋田県の採用試験は、長年に渡って毎年、旧経法大→ノースアジア大学で実施しているようだ。県職員採用試験を人里離れた(とあえて表現させてもらいます)会場で行う理由は何なんだろう?
経法大は1983年から2000年まで、学校法人の理事長を時の県知事が2代続けて兼務していたという、珍しい私立学校ではあるわけですが…

ちなみに、国家公務員試験や秋田市役所職員採用試験は、秋田駅から徒歩圏内でバスの本数も多い、秋田大学手形キャンパスで行うのが通例のようだ。(国家公務員試験は主催者も会場も国やそれに準ずる機関だから当然かもしれない。秋田市の試験は過去に経法大で実施した年もあったはず)

車社会秋田なら、社会人が受験する資格試験などなら、駐車場を受験者に開放した上で、ノースアジア大学のような人里離れた(とあえて表現させてもらいます)会場を使用するのも1つの手ではある。
車を持たない受験者が多かったり、駐車場を閉鎖する場合でも、昔のように路線バスの本数が多かった時代なら、人里離れた(とあえて表現させてもらいます)会場でやってもよかったかもしれない。
でも、今のノースアジア大学や交通機関では…
試験の主催者には、受験者の立場に立った会場設定と案内をしていただきたいものである。

【2014年10月21日追記】2014年頃には、県人事委員会の受験案内のホームページで、バス時刻や増発バスについての情報を都度掲載することになったようだ。
【2016年5月22日追記】2016年は会場が秋田大学に変わっていた。2015年はどうだったか知らないけれど、やっと妥当になった。警察官は引き続きノースアジア大学だが、試験終了時に有料の臨時バスを運行する予定(詳細は後日発表)とのこと。
【2019年5月12日追記】2019年は、県の試験は引き続き秋田大学手形キャンパス。警察官もいつの間にか秋大に変更されていた。ノースアジア大学にとっては痛手かもしれないが、受験者にとってはこれで当然。上記の問題が、やっと解決した。



さて、ここからはノースアジア大学のスクールバスそのものについて。【末尾にリンクがある続きの記事も参照
学校が主体となって、路線バス風のスクールバスを運行するのは、首都圏の大学などではよく行われているようだが、秋田ではここが唯一だと思う。
路線バスが少ない場所にある学校ではとても有効なアクセス手段になるし、通学の足代がかからない(または軽減される)ことは学生募集上のアドバンテージにもなる。JRで近隣市町村から通学する人の中には、秋田駅から大学まで自転車を使う人もいたかもしれないが、秋田駅の駐輪場は有料だし。
高校・短大・大学が同じ場所にあるノースアジア大学の場合、効率的な運行もできそうで、運行開始の話を聞いた時は、よく考えたなと思った。

スクールバスの運行開始は、経法大当時の2003年10月。
当時は市営バスも健在で、経法大へのアクセスのメインを担っていた。
最初に説明したような現在もある、西口発築地経由や東口発明田経由もあったのだが、その他に、明田地下道を潜る「西口発明田経由」、そして「東口発中央線経由」というのもあった。
東口発中央線経由というのは、今のスクールバスとまったく同じ経路。1998年頃に県道62号線が開通して新設された系統。当時は県道62号線は「中央線」と呼ばれていたようだ。

手元の市営バス時刻表を見てみた。
見にくいですが、1998年11月改正の時刻表。
左が東口発着、右が西口発着。昔はこんなに本数が多かった(現在は1日3~5往復程度)
1998年11月や1999年4月改正の時刻表では、東口発着経法大線のうち、学校がある日の朝の秋田駅発と夕方の大学発の大部分が中央線経由で運転されている。(上の時刻表で東口発着の「中央」とある便)
その後、2001年4月に中央線経由だけが中央交通へ移管(東営業所が移管されたのに伴う措置だと思われる)、2003年4月には残りの経法大方面全路線が移管された。

おそらく、スクールバスの運行開始後、中央線経由は途中バス停の多くが他路線と重複することもあり、廃止しても影響がないとして、廃止されたのだろう。


運行開始当初のスクールバスは、オレンジ色の専用の大型バス(どこかの中古の路線バス仕様)がおそらく3台、駅と大学の中間地点にあった中央交通の秋田東営業所に配置されて使われていた。上の学校法人のホームページの画像にあるバス。バス会社名のほかに学校法人や3校の名称が車体に書かれ、正面や側面には、秋田犬のキャラクターが描かれていた。
ダイヤは昼間でも1時間に1本くらいは運行されていたと記憶しているので、3台のバスは忙しかったことだろう。今朝の三平バスもそうだったけれど、朝などのラッシュ時は、中型一般路線バスが応援に入ることもある。

平成21(2009)年6月の「ノースアジア大学自己評価報告書・本編」には、スクールバスについて、「平日などでは1時間に1~15便運行している状況である。なお、特定の時間に運行される便には「女子学生・教職員専用」のバスも運行されている。」とある。

2008年秋頃には、オレンジ色のバスのうち2台が廃車になり、代替として中央交通の一般路線バス塗装の大型バスが2台導入された。
現在はオレンジ色1台と緑の専用車両2台をメインに、路線車両からの応援で、スクールバス運用をまかなっている。
今も1台だけ残る専用塗装のバスは純正ボディのいすゞキュービック
現在残る専用塗装車では、なぜか犬のキャラクターがいなくなっていて、ただのオレンジ色バス。

代替の2台は、法人名や校名は車体には書かれず、一般路線バスとまったく同一の緑の塗装。(学校名は行き先表示に表示されるようになった)※よく見ると、通常は白文字である側面後部のバス会社名表記が、黒い文字で書かれているのが珍しい。
代替された専用バスは、ナンバーが連番の富士重工ボディのいすゞ。例によって小田急の中古?
この2台は一般路線バスとしても走れそうだが、中ドアに「出入口」と表示されていたり、行き先表示がLED化されていなかったり、そもそも所属営業所では大型バスを路線バスにほとんど使わないといったことがあって、スクールバス専用車両になっているようだ。(ひょっとして運賃箱がないかな? だったら路線は無理だ)
ワイドな中ドアは出入り兼用(前ドアは出口専用)
2011年春の秋田東営業所の廃止・秋田営業所への統合に伴い、専用車両も大川反の車庫へ転属。山王大通り~秋田中央道路(地下トンネル)や明田地下道を通って、東口や学校まで回送している。

今回、久々にスクールバスの時刻表を見てみたが、大幅に減便されているのに驚いた。ダイヤは平日2パターン、高校試験期間、休日の4本立て。
上記の通り、以前は平日昼間でも1時間に1~15便あったというが、現在は0~4便。2台態勢で運行する便はあるが、教職員専用、女性専用などはなさそう。
例えば、平日は、駅発は7~8時台に7便ありその最後が8時40分発。その後は10時10分と12時30分だけ。午後は1本もない。
大学発は昼過ぎまで1本もなく、15時から19時台にかけて計8本あるだけ。

学校側が想定したほど利用者がおらず、経費節減のために減便したのだろうか。
これではせっかくの専用車両も手持ち無沙汰だ。中央交通さんにしてもアテが外れてしまったかもしれない。

利用実態を見ると、高校生はけっこう利用しているようだ。下校時刻には大型バスが満員で秋田駅に到着している。登下校時間が決まった高校生なら、朝夕限定のダイヤでも支障はない。
でも、大学生は時間割やゼミ・サークル等の都合、休講や自主休講する場合もあるだろうから、登下校の時間は各人や日によってさまざま。せめて各コマの開始と終了に合わせてバスがないと、使いモノにならないだろう。
考えてみれば、大学生は近隣のアパートに住んでいたり、無料バスがあるといっても自分で自転車に乗ったほうが、自由に行動できて気楽で便利かもしれない。
学校がもっと山奥にあるとか、もっと学生数が多いと別なんだろうけれど、想定したほどスクールバスの需要がなかったということだろうか。

※その後、2015年春に変化があった
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道を尋ねられる

2012-06-21 23:58:13 | 秋田の地理
現在、秋田市はじめJR東日本管内の各地では、年配の旅行者の姿をよく見かけないでしょうか?
それは、一定の年齢以上の人が会員になれるJR東日本の「大人の休日倶楽部」会員向けの格安フリーきっぷ「大人の休日倶楽部パス」の利用期間中だから。
このきっぷは、閑散期を中心に年に数回、約10日間ずつ設定される。現在は6月15日から27日の期間中。

秋田駅や中心部のビジネスホテル周辺などで「観光シーズンってわけでもないのに、年配の旅行客が多いな」と思ったらパスの利用期間だったことも多いし、その期間は列車の指定席が取りにくくなる傾向もある。
また、遠来の参加者の旅費を抑えようと、同窓会などの会合をパス利用期間に合わせて開催するケースもあるそうだ。
会員の多くを占めるであろう、団塊世代の人数・行動力・経済力は相当なものだと思われる。JR東日本以外の観光関係各社にとっても、東北観光博なんかより大人の休日倶楽部パスのほうが、よほど経済効果があるんじゃないだろうか。



さて、秋田市中心部を歩いていると、旅行者とおぼしき方々などから、道を尋ねられることがある。特に大人の休日倶楽部会員のような年配の方は、躊躇なく聞いてくる傾向にあると思う。
地図とか案内表示を見たり、スマートフォンに聞いたりするよりも、近くにいる人に聞いたほうが確実で早いのはたしか。(地図好きとしては、地図を見ながら悩むのもまた楽しいけれど)
僕はせめてものおもてなしのつもりで、聞かれたら分かる限りお答えしている。
(再掲)地図の設置も必要ではあるけれど
今までに経験した、道案内をいくつか。
・カワゾエ
大町で信号待ちをしていると、向かいから「スンマヘン」と関西系なまりでこちらに向かって叫んでいる。
年配の夫婦連れで、ホテルにチェックイン後、夕食に出てきたような感じ。旦那さんのほうが尋ねた。
「カワゾエとかってのは、こっちのほうでっか?」(←関西弁はテキトーです)
えっ? カワゾエ? 川沿? 川添?
場所的、時間的に歓楽街「川反(かわばた)」のことと解釈した。それなら方向も合っているし。
圧倒されて「はあ」とうなずくと、「おおきに」とそちらへ向かわれた。

本当に「カワゾエ」を探しておられたのなら、ウソを教えてしまったかもしれない。


・渡りづらい
二丁目橋付近で、年配のご夫婦にアトリオンへの道を聞かれた。こちらは関東風の方。
うっかり「ここをまっすぐ行けば…」と仲小路を指さしてしまったが、考えたら再開発工事中のため通り抜けられない。
やや遠回りになるものの、広小路経由で行ってもらわないとならないので、訂正。

さらに、二丁目橋側から広小路側へ渡るには、地下道があったり歩道橋があったりして、けっこう複雑。知らないと遠回りしてしまう。
「この地下道をくぐってから、向こうの歩道橋を渡って…」と教えないとならなかった。

先日は、別の年配のご夫婦の旅行客らしき方々が、あの車線の多い道路を無理やり横断しているのを目撃した。危ない。
(再掲)この道を渡るのは危ない
二丁目橋は歩行者にとって、やさしい交差点ではない。例えば自転車横断帯を歩行者にも開放するとか、見直しの余地があるかもしれない。

・教えづらい
駅や千秋公園の場所を尋ねられたことは、それほどない。
けっこう聞かれるのが、大町辺りで「ドン・キホーテ(長崎屋時代も含む)」。(聞いてくる人は旅行者ではないのかもしれない)
大町からドン・キホーテは遠くはないし、一見単純な道のり。
しかし、いざ教えようとすると、道が格子状なのでかえって教えづらく(山王十字路を越えて県庁方向へ直進してしまう恐れがある)、また道が一直線でなくて見通しが効かないし、他のビルに隠れてドン・キホーテの看板が見えず、なかなか難儀する。

・分かりません
残念ながら、「分かりません」とお答えしなければならなかった場所もあった。
それは、古くからある「○○商店」といった小さなお店。
長く秋田市中心部に関わる者なのに、まだまだ知らないことが多い。勉強不足。


・知らない場所を教えた
最後に、逆に、知らない場所なのに道案内ができてしまったケース。

場所は僕のホームグラウンドではない、土崎。
歩いていると、自転車に乗ってキョロキョロしている男性がいた。
彼は僕に向かって、黙ってメモ紙を差し出した。何やら医療機関らしき名称が書かれていた。その場所へ行きたいらしい。

彼は東南アジア系の外国人のようだ。おそらく、秋田港に入港した船の乗組員だろう。(自転車には乗っているけれど)体の具合が悪いのかもしれない。
残念ながら僕は知らない場所だったので、身振りを交えて分からないことを伝えた。

人通りは多くない場所なので、どうするんだろうと思いながら見ていると、彼は近くの金融機関に入っていった。でも、窓口の営業時間外なので、手がかりにはならず、困っているようだった。

僕も同じ方向に歩いていたので、追いついて周りを見回すと、金融機関の塀際に、近隣の商店を示した地図が出ていた。
もしやと思って地図を見ると、その医療機関の名を発見!
ここのすぐ先だ。

自転車の彼を呼び寄せて、医療機関の前まで連れて行った。
知らない場所を、ほとんど言葉をしゃべらずに案内できてしまうこともあるのです。

※秋田市中心部での道案内について、その後の記事
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美大ポスター

2012-06-20 23:25:11 | 秋田のいろいろ
秋田駅自由通路「ぽぽろーど」の両端近くに1枚ずつ、冒頭の写真のポスターが掲出されている。
来春開学予定の「秋田公立美術大学(仮称)」のポスターだ。

秋田公立美術大学は、秋田市南西部の新屋地区にある「秋田公立美術工芸短期大学」を4年制大学に移行するもの。
※短大の公式な略称は「秋田美工短大」らしいが、ほとんど使われずに俗称の「美短」が浸透している
数か月前に文部科学省に設置認可申請したそうなので、目下、文科省で審査中というところだろう。

美短の4年制化は、新屋が地元で、以前から一族で美短を支援していたホヅミ氏が選挙公約に掲げて市長就任後、急速に話が進み、あれよあれよと決まってしまった印象がある。
個人的には、美短4年制化には反対ではないが、そんなに慌ててやらないといけなかったのだろうか。
だったら、もう1つの公約である外旭川新駅は…


4年制化は決定済みのことだからいいとして、この美大のポスターの印象、どんなものでしょう?
素人の第一印象としては、白い大きな縦書きの「秋田公立美術大学」の文字と、左の赤茶色っぽい像が目に飛び込み、インパクトがある。(像の背景からすると、美短学内に設置されているもののようだ)
まあ、秋田に美大がある(できる)ということは伝わるだろう。

でも、現在の美短のイメージからは、大きくかけ離れたポスターだと思う。
文字は縦書きの毛筆(楷書体)、写真は筋肉質のなんだかよく分からない像、そして全体的に暗色系で、無骨な印象を受ける。「美術大学」より「武術大学」みたいな(笑)
今までの美短のイメージを払拭したかったのかもしれないが、新しく開学する大学のポスターにしては全体的に「暗い」。


気になるのが、文字。現在の美短の公式なロゴは細身の横書きゴシック体だし、ホームページに出ている美大のロゴはやや太い横書きゴシック体(あまり個性はない)。
ポスターでは何の目的で、縦書き毛筆体を選んだのだろう?

さらにとっても気になるのが、右上の「平成25年4月開学予定」の「25」の文字の配置。とても些細な点なのですが、
これはないんじゃないの?

縦書きで2ケタ(かそれ以上)の数字を入れる場合、そこだけ半角にして横に並べるのが一般的。
こんなふうに
「縦中横(たてちゅうよこ)」としてワープロソフトでさえ、可能な技術。

僕がおかしいのかもしれないけれど、このポスターの全角数字を縦に並べる表記にはとても違和感とカッコ悪さを感じる。
おそらくデザインや印刷業界においても、縦中横は一般的かつ標準の手法だと思うのだが…

これだったら「平成二十五年」や「平成二五年」のほうがいい。
素人が作ったポスターなんだろうか?


ポスター下部の「お問い合わせ先」には、美短のホームページアドレスは載っているが、所在地や電話番号、メールアドレスは出ていない。
代わりに、秋田市役所企画財政部「大学設置準備室」の連絡先が掲載されている。
つまり、美短側ではなく、大学設置準備室とやらが作成・発注して張り出したポスターなんだろう。

※美短や美大は「秋田公立」という名称。これは、秋田市とその周辺市町村が共同で設立したことを示す。
美短の前身である美術工芸専門学校(美工専)は秋田市立だったが、市立のまま短大に移行することができず、このような形になったそうだ。(そのため、設立に関わった市町村の住民は、入学金が減免されていたはず)
ただし、開学後の短大の運営は、秋田市が直接かつ単独で行なっている。(教員は秋田市職員の身分で、事務職員も市役所職員がその身分のまま異動して来る)
したがって厳密には「公立・市営短大」ということになる。そんな経緯があって、美大への移行事務も秋田市が単独で行なっているのだろう。(美大移行後は大学法人化される)



例えば、美短のホームページ(「入試ガイド」や「資料請求について」)を見てみると、「本学は平成25年4月の4年制大学移行に向け、設置準備中です。新大学の資料請求等については、秋田市大学設置準備室に問い合わせください。 」とある。
そのページには設置準備室の電話番号やメールアドレスは出ているが、リンクもホームページアドレスも出ていない。(美短の他のページには、準備室サイトへのリンクがある)

大学設置準備室のホームページからは、(民間会社のサービス経由で)資料請求できるようにはなっているのだが、美短の入試案内のページからそこに直接つながらないのだ。

現段階では、短大側は現在の短大としての業務だけに専念し、来年度以降のことは設置準備室側で、と分担しているのかもしれないが、まさに縦割り行政だ。
美大を受験しようとする受験生の大部分はそんな“大人の事情”は知らない。こんな状況では、混乱させるばかりだ。(検索すれば分かるだろうし、高校には案内を送付しているとは思いますが)
受験生があってこその大学なんだから、もうちょっと親切に・融通を利かせてやってほしい。


こんな状況では、美大のポスターの作成も、美短側への相談なしに設立準備室が独断で行ったのかもしれない。
美短には、こうしたデザインが専門の教員も少なからずいるはずであり、そうした方々が関わったのなら、あんなポスターにはならなかったかもしれない。

他にも、短大生のまま4年制大学へ通うことになる(?)現在の美短1年生や、附属高等学院(どうなるんだ?)の生徒へのフォローも、不利益にならないようにしてやるべきだ。
目先の新しい4大のことだけにとらわれるのではなく、この辺りへの備えは万全なのでしょうか?

【8月4日追記】ぽぽろーど両端のポスターはその後撤去された模様。
別に秋田駅の改札口内にも張られていて、8月3日現在まだあった。(中央改札口側の跨線橋に1枚確認)
【9月27日追記】ぽぽろーど西端には、まだ掲示されていた。

※11月になってこんな事態になった
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洪水地図/高い三角点

2012-06-19 23:58:38 | 秋田の地理
先週、秋田市の広報紙に折り込まれて、新聞紙大の大きな地図が配られた。※市内全地域で配布されたものではないと思われます
こんなの
僕は最初見た時、「ハザードマップ」というタイトルの一部だけを見て、川が氾濫した時に浸水する地域を予想したものだと思った。
たしかに、市内の一部には色が塗られているし、避難場所なども掲載されている。

でも、よく考えてみれば、色が塗られたエリアがずいぶん少ない。
それなりに川があって平坦な秋田市なら、もうちょっと広範囲で浸水してもよさそう。

そういえば、新屋地区の電柱に、雄物川が氾濫した場合の「想定浸水深」が表示されていた(この記事下のほう)。
その部分はこの地図ではどうなっているだろう?
雄物川の下が新屋地区
新屋には、まったく色が塗られていない。

それから、地図は裏表になっているが、土崎地区など秋田市北部は出ていない。
おかしい!



改めてタイトルや説明を見て納得。
「秋田市災害ハザードマップ(旭川洪水避難地図)」
旭川の洪水に限定したハザードマップだったのだ!
この地図は、旭川流域で100年に1度程度の大雨(24時間総雨量が195mm)によって堤防が決壊した場合を想定しているという。
旭川にはキャパシティがあるのか、浸水する地点は思いのほか少ない。流域よりも山王、川元、卸町近辺で広域な浸水が想定されているのも意外。



秋田市総務部防災安全対策課のホームページ(http://www.city.akita.akita.jp/city/gn/ds/h_map/default.htm)を見ると、旭川以外の河川のハザードマップも既に作成されていた。
2006年には雄物川・旭川・太平川・草生津川の4つの浸水想定区域を重ねて示したハザードマップ、以降年ごとに新城川、猿田川など河川単独のハザードマップを作成していた。(いずれもホームページに掲載)

4河川のハザードマップは我が家にも保存してあったので、以前配布されたらしい。「秋田市災害ハザードマップ(洪水避難地図)」というタイトルで、河川名は入っていない。
こちらはいろいろ塗られていて、新屋の電柱に表示があった部分もぴったり一致


まとめたハザードマップも、各河川単独のハザードマップも、それぞれ必要なのだろう。無駄なものだとは思わない。
年ごとに少しずつ作成するのも、人員や予算などの理由があるのだろう。

でも、4河川と河川単独の地図が、数年空けて配布され、タイトルも紛らわしくて誤解されそう。
我が家の老人は、今回配布された旭川の地図が、以前配布された2006年の4河川版の改訂版だと思い込んでしまい、危うく4河川版を捨てるところだった。
冒頭の通り、僕も一瞬見た段階では、誤解した。

もう少し誤解させない努力が必要ではないだろうか。例えば、
・どの河川が対象の地図なのか、タイトル等で明確にする
・地図の掲載範囲を工夫する
上記の通り、旭川のハザードマップにも新屋地区の地図が掲載されている。
しかし、旭川と新屋の間には、大きな雄物川がある。旭川が氾濫しても雄物川を越えて水が新屋にやって来ることなど、あり得ないのではないだろうか。(同時に雄物川も氾濫すれば話は別だが、この地図はあくまでも「旭川の氾濫に限定した」地図なのだから)
だったら、新屋地区を地図から外すとか、塗りつぶすとかしたほうがいいと思う。
・バラバラでなく冊子でまとめて配布する
我が家ではそのほうが保存しやすい。張っておけとは言うけれど、場所もないし劣化するし。
津波の地図なども合わせて掲載し、これ一冊で防災対策がすべて分かるようなものがあってもいいかもしれない。

【8月6日追記】8月3日付秋田魁新報秋田市面に、このマップの記事が出た。
「流域約2万1千戸に配布した」「旭川について浸水区域が雄物川や太平川と重なって見づらかったことなどから、単独のマップを作ることにした。」とのこと。
【2014年3月28日追記】2014年3月には、津波のハザードマップがほぼ同じ形式で作られた。各世帯へは、クリアファイルに入れて届けられ、他のハザードマップもいっしょに収納できるようになった。
【2023年7月22日追記】その後、いつの間にか、秋田市サイトにスクロールできるハザードマップがアップされていた(https://www.city.akita.lg.jp/bosai-kinkyu/index.html)。水害ハザードマップでは、複数の河川を選択したり重ねたりして表示でき、かなり使いやすく分かりやすくなった。



ところで、このハザードマップの地図そのものは、国土地理院発行の2万5千分の1地形図を元にしている。
この地図、古いんだか新しんだかよく分からない。
築山小横~愛宕下橋、茨島・大住アンパスといった、2010年に開通した新しい道路は掲載されている。(国土地理院のオンラインサービス「ウォッちず」では未開通になっている)
一方、
秋田市役所周辺(山王中辺りは膝くらいまで浸水するようだ)
2008年に秋田駅東口に移転していった、NHK秋田放送局が、まだ市役所東隣に存在している!
「ウォッちず」でも、名称は出ていないがそれらしき建物がまだ残っている。※現地の現状は市役所の駐車場で、間もなく新庁舎が建てられることになっている


さて、上の地形図において、秋田市役所の裏(北西)に三角点がある。
ウォッちずより
その標高は29.1メートル。

このほか、秋田市中心部では、秋田駅南西の中通四丁目の秋田市民市場の向かいにも存在する。
こちらは46.9メートル
※ハザードマップでは、それぞれ29.0メートル、46.8メートルと1メートル低くなっている。基準の高さが変わったのだろうか。

この2つの三角点、高すぎる気がしません?
だって、千秋公園のいちばん高い地点の標高はおよそ40メートル。そこより市民市場前が高いはずはない。
実際、任意の地点の標高が分かる地図サイト「Mapion」で調べる(右クリックすると表示される)と、市役所裏は5メートル、中通は7メートル。
どういうこと?

答えは「三角点が地面より高い所にあるから」。
三角点といえば、その土地の地面(地表)にあって、そこの標高を示すと思い込んでいた。
ところが、三角点は建物の上(屋上)に設置されることもあるそうで、この2つの三角点もそのようだ。

つまり、ビルの屋上の標高を示していることになる。
市役所の裏といえば、秋田市消防本部や秋田消防署などが入る、1985年築5階建ての秋田市役所の消防庁舎。(ちなみにハザードマップを担当する、防災安全対策課もこの庁舎に入っている)
秋田市消防庁舎(右のグレーの建物)
1フロア4メートルとして計算すれば、もともとの標高5メートルと合わせると屋上(5階の上)で25メートルくらい。その上にさらに塔屋があるから、その辺にあるのだろう。
ちなみに、消防庁舎には地震計(震度計)も設置されている。※気象庁とは別に旧自治省消防庁が設置したものか?

市民市場の向かいといえば、NTTのビル(NTT東日本-秋田本社なのかな)。
向こう側の建物
6階建てに見えるが、ややかさ上げされている感じだし、屋上に突出した部分もある。それでも47メートルもなさそう。屋上に大きなアンテナがあるので、そこに三角点があるのかもしれない。

国土地理院の「基準点成果等閲覧サービス」を使うと、各三角点などのデータが分かる。
 
消防庁舎は、二等三角点(8キロ間隔で全国に5000箇所)でズバリ「秋田」という名称。
NTTのほうは、四等三角点(2キロ間隔6万9千箇所)で名称は「電々公社」と昔の名前。(一般には電“電”公社と表記したようだが、“々”にされている)
ちなみに、大森山頂上の展望台にある一等三角点は、なぜか「赤山」という名前。

どちらのビルもできる前は、三角点が地上にでもあったのだろか。
それから、三角点には重そうな標石が設置されるが、ビルの上にも同じ物があるのだろうか。ちょっと見てみたい。
【20日追記】三角点は重い石とは限らず、金属製の鋲みたいなものが埋め込まれる場合もあり、屋上の三角点にはそちらを設置することも多いようだ。

※その後、2022年までに電々公社の三角点が廃止され、鉄塔も撤去された
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勝平か割山か

2012-06-18 23:09:12 | 秋田の地理
秋田市役所では、秋田市南西部の地域をまとめて「西部地区」と呼ぶ。その中心が新屋(あらや)地区。
地名(住所)としての「新屋」は雄物川(雄物川放水路)の両側(北と南)に存在するが、一般的に「新屋」といえば(公的にも市民の感覚としても)雄物川の南側の地域だけを指すことが多い。

ここでは、新屋の一部であるのにあまり「新屋」とは呼ばれない、雄物川北側の地域の呼び方に注目してみる。
結論から言えば、秋田市役所では「勝平(かつひら)地区」と呼んでいる。

勝平地区は、日本海・秋田運河(旧雄物川)・雄物川放水路で囲まれた、島状の土地の南半分を占めている。
秋田県運転免許センターや市立秋田商業高校などがあり、かつては旧・秋田空港があり、現在は風力発電の風車が並んでいる。宅地化が進んだとはいえ、砂浜や松林も多い。
島の中央に「勝平山」があり、そこから北側は新屋ではなく「向浜(むかいはま)」地区と呼ばれるが、スポーツ施設や工業地帯があり、住んでいる人はいないはず。
Googleマップより
上記の通り秋田市では勝平地区と呼ぶこの地域だが、秋田市民もまた、日常的な会話などでここを「勝平」と呼ぶことも多い。
その一方で「割山(わりやま)」と呼ぶことも多い。

個人的な感覚では「割山」と呼ぶことのほうが若干多いような気もするし、(秋田市で言う)勝平地区の中でも「勝平」と「割山」では微妙に場所が異なるような気もする。
「勝平」と「割山」の違いって何だろう? 明確な使い分け方があるのだろうか?



ここで、ちょっとややこしいのだけど、地域の総称としての勝平・割山とは別に、現在は町名として「勝平」や「割山」を名乗るものが存在する。
新屋勝平町、新屋勝平台、新屋割山町の3つ。
勝平台は1989(平成元)年、他の2つは1964(昭和39)年に、住居表示実施によって誕生した。

川尻割山線のバス停の「割山町」(船場町経由のみ)や「勝平」(と怪しい「勝平二丁目」)は、新屋割山町と新屋勝平町のことを指していると考えられる。

住居表示実施前にさかのぼれば、大字の「新屋町」に「割山」という小字があり、1964年と1989年の住居表示実施で縮小・消滅している。現在の新屋割山町のみならず、新屋勝平町や新屋南浜町なども含んでおり、広範囲だったようだ。
「勝平」を名乗る旧所在地名はなかったらしい。



「割山」は、山を割って(切り開いて)開拓してできた土地であることにちなむという話を聞いたことがある。
「勝平」は「勝平山」が由来のようだ。ただし、現在の勝平町や勝平台は、勝平地区の中では勝平山からいちばん遠い辺りに位置する。


地域の総称の話に戻ります。
勝平地区に所在する施設や店舗には、勝平または割山の名を付けたものが多い。「勝平派」と「割山派」に分けてみた。
・勝平派
勝平寺、勝平神社、勝平日吉神社
勝平通り(県道だが命名は秋田市)、勝平新橋(秋田市道)
雇用促進住宅「サン・コーポラス勝平」
秋田県警秋田中央警察署勝平交番
市立勝平小学校、市立勝平中学校、秋田市勝平児童館、勝平屋内ゲートボール場、勝平地区コミュニティセンター、秋田市消防本部秋田消防署勝平出張所
私立勝平幼稚園、私立勝平保育園
スーパードラッグアサヒエクスプレス秋田勝平店、佐野薬局勝平店、勝平タクシー

・割山派
路線バス「川尻・割山線」(秋田市交通局が命名し、秋田中央交通へ移管)
ローソン秋田割山店、ナイス割山店、割山自動車学校
秋田割山郵便局、秋田銀行割山支店、秋田信用金庫割山支店

・両方
サンクス秋田割山店・サンクス秋田勝平店
【2017年6月6日追記】その後、サークルKサンクスのファミリーマートとの統合にともない、2017年6月22日に割山店が「ファミリーマート割山店」としてリニューアルオープン。勝平店はサンクスのまま。【2020年11月29日追記】勝平店は2018年7月5日に「ファミリーマート勝平店」に。
北都銀行割山支店・北都銀行勝平出張所(ATMコーナー。昔は勝平支店だったのかな?)
【2021年4月1日追記】北都銀行割山支店は、2021年2月22日に、山王支店内へ移転する“支店内支店”化され、この地区に実態としての店はなくなった。
地図に示すとこんな感じ。赤丸が勝平、緑丸が割山
勝平が多数派だ。
寺社や公共施設はすべて勝平で、割山を使っているのは民間ばかり。(強いて言えば、旧市営バスの割山線と旧郵政省の割山郵便局が例外)
これは、勝平山が信仰の対象であったり、上記の通り市の正式な呼称が勝平であるという理由もあるのだろう。

分布を見ると、「勝平」は新屋勝平町・新屋勝平台以外にもほぼまんべんなく分布するのに対し、「割山」は東寄り=新屋割山町周辺に偏っているものの、新屋勝平町周辺にも「割山」を名乗るものがいくつか固まっている。
“勝平”保育園と“割山”郵便局が向かい合う
同じ組織で勝平、割山両方を名乗るのは、サンクスと北都銀行。
どちらも、勝平が北側、割山が南側にあることが共通している。

最初のほうで、感覚としては「勝平」と「割山」を指す場所が違うと書いた。
個人的には、「勝平」のほうが広範囲の感じがする。そして、勝平ではなく「割山」と呼びたくなるのが、旧秋田空港跡地や運転免許センターの辺り。勝平地区の南端、雄物川放水路に面した新屋勝平町~新屋寿町~新屋南浜町付近。
「割山の免許センター」とは言うが、「勝平の免許センター」とはあまり言わないと思う。

サンクスと北都銀行の名前もそうだが、勝平地区の南寄りのことを「割山」と呼ぶのだろうか?
でも、「新屋勝平町」「勝平通り」も南側にあるし…
それに公的には、エリアの名称として「割山」を使うことはないわけで、あくまでも通称・俗称だろう。
あいまいで結論が出せません。皆様はどのようにお考えでしょうか。


さて、勝平地区の対岸・雄物川南岸の(狭義の)新屋の県道に、こんな案内標識が設置されている。
※かつては国道だったので、もしかしたら建設省(当時)が設置したのかもしれない
右折側に注目
「割山運転免許センター」とある。
これは「割山 および 運転免許センター」という意味ではないらしい。
英語で「Wariyama Driving Licence Center」とあるように、「割山運転免許センター」という組織が存在していることになっている。(正式名称は「秋田県運転免許センター」)

秋田県内で唯一の運転免許センターだから、単に「運転免許センター」と表示すればよかったのに。
好意的に解釈すれば、設置者が気を利かせて「割山へ行くにはこっちですよ」ということも伝えたくて、どこかで行き違いがあって「割山運転免許センター」になってしまったのかもしれない。
その場合にしても、上記の通り「割山」というエリア名は俗称に過ぎないから、「勝平」とするのが正当だろう。
標識設置の担当者も、「運転免許センター=勝平よりも割山」というイメージがあったのだろうか。

※勝平地区の選挙の投票所についてはこちら
【2017年7月30日追記】2017年8月4日には、サンクス勝平店【2020年11月29日訂正】ファミリーマート割山店の1本東の通り沿い・秋田銀行割山支店隣に、「セブンイレブン秋田割山店」がオープン。所在地は新屋勝平町。
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校内の家?/138周年

2012-06-16 23:34:07 | 秋田のいろいろ
秋田市中心部の住宅街にて。
「売家」
とある中古住宅が売りに出されていた。これだけなら、よくある光景。

でも、そのロケーションがとても変わっているのです。(この隣のお宅も含めて)
なんと、家が道路(公道)に面していないのです!
かといって、私設の道路や通路があるわけでもない。
じゃあ、どうやって家に出入りするのか?


学校の敷地を通って出入りするのです!
言い換えれば、このお宅は学校の敷地に向かって(=玄関が学校を向いて)建っているのです!!

正確には、学校敷地内の通路を、住宅への通路として使わせてもらっているといった感じ。校地と住宅の間には、芝生や生垣があるが、住宅の玄関前はそれが途切れていて道がついている。
※家自体は学校敷地外に建っているので、この記事のタイトルのように「校内の家」なわけではない
校舎と民家
学校と住宅の敷地どうしが隣り合っているというケースは多い。その中で、住宅の正面が学校側を向いているケースがあったとしても、間には校地とは区別された通路などがあるのが普通だろう。
でも、ここはまさに“学校の中”を通らないとたどり着けない家。(したがって、「売家」の表示があってもそれを目にする大人は限られている)
なお、このお宅の裏側には背中合わせに別の住宅がすき間なく建っているので、そちら側から道路へ出入りすることは不可能。

校地の角には人が通れる幅の小さな通用門がある。そこからすぐが、この住宅。正門は少し離れた場所にあるので、このお宅に用がある人は通用門を使うようだ。
左側まっすぐに民家がある
ただし、この通用門を通って登下校する子どももいるので、通路だけでなく門も学校と兼用ということになる。(民家と学校の玄関は方向が違うので、民家に出入りする人と学校の子どもの動線はいちおう区別されている)
また、車でこのお宅に訪問することは、物理的には学校正門から出入りして校地に駐車するか、通用門周辺に路上駐車すれば可能。でも、学校の授業・業務への影響や駐車禁止の狭い路地であることを考慮すれば、原則不可能だろう。


秋田市立の学校では、新しい学校ではフェンスなどで校地が明確に囲われた学校もあるが、古くからの学校ではそうとは限らない。
また、休日は門にロープが張られたり、用のない人の立ち入りを禁じる立て札があるところもあるが、比較的寛容なところもある。
保安面での問題があるし、一方で「地域に開かれた学校」が求められてもいて、さらに同じ秋田市内とはいえ立地や地域性の違いもあるだろうから、ケースバイケースなんだろう。少なくともこの学校の場合、一切の立ち入りを禁じてしまうことはできない。
この状況は、地域と学校がうまく共存していることの証かもしれない。


そんな学校は、市立保戸野(ほどの)小学校。
それにしても、どういう経緯でこんな風変わりな配置になったのだろう。学校が先にできたのか、民家が先なのか?
保戸野小の歴史を紐解くと、開校当初は別の場所にあり、現在地に移転したのは1888(明治21)年6月12日。秋田市の市制施行が1889年なので、その前年。今から124年も前のこと。

当時は「南秋田郡保戸野村」だったはずで、農村地帯と市街地の中間くらいの場所だったかもしれない。少なくとも、今のように住宅は密集していなかっただろう。
とすると、民家のほうが後からできたのではないだろうか。
あまり考えずに適当に分譲していたら道に接続しない宅地が余ってしまったとか、あるいは昔はもっと大らかで最初から校地を通路として使う前提だったとか、そんなことかもしれない。
【2013年12月22日追記】保戸野小の敷地には、以前は「愛宕神社」があったそうで、1922年に近くの諏訪神社に合祀されて「諏訪愛宕神社」となっている。したがって、1888年から1922年までの34年間は神社と小学校が同居していたと考えられる。この辺りも関係してくるかもしれない。


校舎は1904(明治37)年、1963(昭和38)年、1998(平成10)年に建て替えられ、現在地では現校舎が4代目。
2代目以前は知らないが、先代の3代目校舎は現校舎とほぼ同じ位置にあった。
ただし、当時は通路が砂利道で、芝生などもなかったように思う。また、メインの普通教室棟は中庭を挟んだ反対側にあり、児童数が減少した昭和末期以降はこちら側の教室を使っていたのは、1つの学年(3クラス程度)だけだった。(他には校長室や給食室があった)
現校舎では教室数が減ってコンパクトになったこともあり、すべての普通教室がこちら側に面しているようだ。


この中古住宅を扱う不動産屋さんのホームページでこの物件が紹介されていて、「子供好きな方におすすめ!きれいな校庭に面してます。」というコピーが付いている。
こういうのを「校庭」と呼ばないと思うし、「校舎に面してます」にしないと正確じゃない気がしますが…

詳細データでは、「築年数:不詳」だそうだが、少なくとも約30年は経過していることになる。
「カースペース:無(新設も不可)」「人の通行は、保戸野小学校の校庭を利用で可能。」「車輌は不可能につき、近隣で駐車場の確保が必要。」とあり、車の利便性が低い立地であることが伝わってくる。
個人的には、市街地に近いし悪い場所ではないと思う。おカネがあったら買ってもいいかも。

【9月7日追記】8月中旬の段階では、まだ「売家」のままだった。【10月8日追記】10月初めの段階でも、まだ「売家」のままだった。【12月22日追記】12月になっても、まだ「売家」で雪に埋もれていた。
【2013年9月23日追記】その後、久しぶりに覗いたら、買い手があったようで、以前と同じ状態で入居している模様。

学校の通路を民家のアクセス経路と共用している例は、他に市立港北小学校でも見られる。こちらは、校舎からは遠いグラウンドの隅であり、一見すると公道。



さて、そんな保戸野小学校は、明日・6月17日が創立記念日。1874(明治7)年創立なので今年で138周年を迎える。
この1874年6月17日というのは「保戸野小学校」としての創立ではなく、前身の「愛宕小学校」の創立日を継承している。1876年(月日不明)に「西廓小学校」と合併し、その時初めて「保戸野小学校」の校名となった。
【17日追記】今年は日曜日と重なったので開校記念日の休校がなくなって(振替休日にはしないだろう)、子供たちは残念なことでしょう。
※保戸野小の校舎についての以前の記事

お祝いに水を差すつもりも、いちゃもんを付けるつもりもないのですが…
僕は、保戸野小こそ、秋田市でいちばん古い小学校だと思っていた。それは、秋田市教育委員会が学校名を列挙する際の順番である「学校番号」が1番であるから。
しかし、実際には、保戸野小学校より古い秋田市立小学校が存在した。

秋田市教育委員会の「教育要覧」には、各学校の「創設年月日」が掲載されている。これが各学校の“公称”開校日だろう。
それを早い順に並べ替えると、土崎小(1874.4.25)、下浜小(1874.5.3)、旭川小(1874.5.25)、そして保戸野小。
したがって、秋田市で(現存する)いちばん古い小学校は土崎小ということになる。

明治7年には、保戸野小(愛宕小)開校後も、日新、太平、川添(旧雄和町)、川尻、上新城、浜田、広面、種平(旧雄和町)、大正寺(旧雄和町)と、続々と小学校が開校している。(ちなみに日新と太平は7月7日開校なので、7・7・7のゾロ目)現在秋田市にある小学校のうち、13もの学校が開校していた。
翌明治8年にも10校が開校しており、つまり現在の秋田市の小学校の半数以上が既にあったことになる。
我が国の小学校制度は1872(明治5)年の学制発布で始まったわけだから、当時の秋田において、その2年後から続々と小学校ができていったとは、意外に早い。


ところで、市立築山(ちくざん)小学校は、以前も触れたように「築地小学校」と「楢山小学校」の2校が統合して開校した。
その創設日は、1883(明治16)年11月1日。これは、2校が統合して築地小【19日訂正】築山小が発足した日のようだ。
また、日新小の7・7・7も新屋学校と表街学校が統合した日を創立日としている。

保戸野小では前身の学校の創立日を創設日としているのに、日新小や築山小は現校名になった日を創設日としており、統一性はない。
例えば、形式上、前身校を存続させて改名したか、前身をいったん廃止して新規開校扱いとしたのか等何らかの違いがあるのかもしれないが、大昔のことだから大らかだったのかもしれない。

ごちゃごちゃ書いたけれど、100年を越す長い歴史においてわずか数年の違いだし、古いからっていいもんでもない。
保戸野小はじめ、明治初期に開校した小学校はどれも「秋田市でいちばん古い小学校の1つ」ということでいいでしょう。



最後に、「学校番号」の順番は「開校した順番」のほか、「所在地が秋田市に編入された順番」も加味されている。
明治7年開校なのに土崎小が10番、下浜小が29番などと後回しになっているのは、そういう理由があるようだ。
※当記事の学校番号は昨年度のもの。昨年度で18番の山谷小が閉校したので、今年度は以下の番号が1つ繰り上がっているはず。

保戸野、明徳、築山、旭北、中通、旭南と、明治時代に開校し、かつ秋田市中心部にある学校が6番まで連なり、7番の牛島小から30番の金足西小まで昭和前半までに秋田市に合併した地域の学校が続く。
以降は、地域に関係なく開校順になり、31番の八橋小(昭和48年開校)から38番の御所野小まで。39番以降が2005年に秋田市に合併した旧河辺町、旧雄和町の順で45番まで。

■秋田市立学校に関する過去の記事■
学校名と東小の色似た校舎憧れの明徳小坂の途中の学校旭南学区は広い近い学校に通いたい)、南中と東中の校舎集合煙突最近の小学校校舎、校内の家?/138周年(この記事)
※次の記事はこちら
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10月にSL運行

2012-06-14 23:26:14 | 秋田のいろいろ
今日付けでJR東日本秋田支社から「プレ秋田デスティネーションキャンペーン期間のSL運転について」というプレスリリースが出された。
それによれば、今年10月20日(土)と21日(日)に、奥羽本線 秋田-東能代間で蒸気機関車(SL)が運行される

10月から12月まで開催される「プレ秋田デスティネーション」と、運転区間内の7駅(秋田・土崎・追分・大久保・八郎潟・鹿渡・森岳。秋田~大久保は10月21日が開業日)が今年開業110周年を迎えることを記念しての運行。
列車名は「SLあきた路号」。(あまりピンとこない列車名ですが…)

10年前の2002年11月末にも、同名の列車が同区間で運行されている。ダイヤもおおむね同じ時間帯(秋田発9時前後・着16時半前後)。
2002年の「SLあきた路号」。冷え込んだ朝だったので、煙のほか水蒸気も盛大に出ていた

ディーゼル化や電化によってSLが廃止された後に、復活したSLが秋田駅にやって来たのは、1997年7月の「SLあきた号」(秋田-横手)、上記2002年11月の「SLあきた路号」、2005年9月の「SL奥羽号」(秋田-湯沢)の3回だと思われる。(他に秋田県内では1989年に大館-弘前間でも運行されている)

それらの復活運転と今回の大きな違いが、運行する機関車が違うこと。
今までは「D51 498」が走っていた。デゴイチの愛称で親しまれるD51形蒸気機関車の498号機。
今回は「C61 20」が走る。

C61形蒸気機関車20号機は、昨年春に復元工事を終えたばかりの機関車。(復元の模様を山田洋次が記録し、吉永小百合がナレーションを入れた番組がNHKで放送された)
D51 498とともに高崎車両センターに所属して、JR東日本管内各地のイベント運転に出張している。
昨年6月に奥羽本線 弘前-青森間でSLが走った時、もしかしたら復活したばかりのC61が来るかと期待していたが、その時はD51の担当だった。

僕は蒸気機関車が現役だった当時を知らない世代なので、鉄道好きとはいえほとんど知識がない。
恥ずかしながら、最近まで「C61」という形式の蒸気機関車が存在したことさえ知らなかった。(復元されたのは「C62」形だと思っていた)

C61は、1947年から1949年にかけて33両製造されたそうだ。戦後製なので比較的新しく、数は多くない。(D51は1935年から1950年まで1000両以上製造された)
まるっきりの新製ではなくD51のボイラーを転用して製造され、東北や九州の幹線で主に急行列車をひいていたそうだ。
今回の復活運転区間を含む、奥羽本線の秋田-青森間でもC61が活躍しており、その中には、今回走る20号機自身も含まれていた。

今回のリリースには「昨年3月に復元された C61で、秋田県内を運転するのは約41年ぶりとなります。」とあっさりと書いてしまっているけれど、ここが重要なのだ。
これは「C61形という形式の機関車が秋田を走る」のが41年ぶりでもあるが、「C61形20号機自身が秋田を走る」のが41年ぶりということになる。すなわち、41年ぶりに“里帰り”することになる。(青森所属だったから秋田は「里」ではないか?)


C61 20の経歴をまとめておく。
1949年8月1日にD51 1094からの改造で製造、青森機関区に配置。
1950年に仙台機関区に転属し、1966年に再度青森へ転属。
青森在籍時は、秋田-青森間で急行「日本海」をひいたり、D51などとともに秋田・青森県境の難所「矢立峠(現在とは異なる旧線)」の峠越えに活躍した。そうした姿を撮影された方々がネット上に写真を掲載されていて、当時を偲ぶことができる。

この区間における“最後の蒸気機関車”の1台として、電化を見届け、電化直後の1971年に九州の宮崎機関区へ転属。その後、1973年8月28日に廃車となった。
廃車後は群馬県伊勢崎市の公園で静態保存(展示)され、大切に保存されて状態が良かったため復活用として白羽の矢が立って、2010年から大宮総合車両センターで復元工事が行われ、2011年に復活を遂げた。



僕の蒸気機関車との関わりは、秋田での過去の復活運転でD51 498に何度かお目にかかったのと、北海道でC11形の列車に乗ったことくらい。
他の鉄道車両にはない、煙や水蒸気を吐き出す光景とその音、汽笛、そして匂いに感激した。(乗るよりは見るほうが楽しいかも…)

今回のダイヤを見ると「リゾートしらかみ5号」とのすれ違いもあるはず(どの編成かはまだ明らかになっていない)だし、前回は秋田駅と車両基地(秋田駅の上り方向・楢山の秋田車両センター)の間も自力で回送し、そこで「こまち」と並走またはすれ違うこともあったと思う。こうした光景が見られるかもしれない。
過去の例では、本番前1週間ほどの間で4回ほど、本番と同時刻で試運転(試乗会を兼ねる場合もある)を行う。本番と違ってヘッドマークは付けないで運転するはずなので、より往時に近い姿が見られる。
多数のギャラリーに見送られる(2002年)
沿線には多くの見物人が訪れるので、安全確保のため踏切など各所に多数のJR社員が配置されるはず。譲り合って、無理をせずに楽しみたい。
天気がよくなることと、予定が入らないことを今から願っておきましょう。

試運転の様子
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謎の標識/朝だけ信号

2012-06-13 23:58:48 | 秋田のいろいろ
冒頭の写真の標識。どういう意味でしょう?
設置場所の周辺環境は、こうなっている。
歩道際に設置
下の補助標識に「自転車歩道通行可」とある通り、ここから先は自転車が歩道を通ってよいことを示しているらしい。※右向き矢印は「始まり」、すなわち上の本標識の内容がこの地点から先で適用されることを示している。

でも、自転車歩道通行可なら、上の丸い本標識は、自転車と歩行者が描かれた規制標識「(325の3)自転車及び歩行者専用」でないといけないはず。クネクネっとした親子(父娘?)の規制標識「(325の4)歩行者専用」が使われているのは初めて見たし、そもそも意味が通じない。
(再掲・国土交通省道路局サイトの資料より)

現に、同じ通りの他の箇所では、従来通りの「325の3」が設置されている。
昨日紹介した白いシランの通りなのです

以前の記事で取り上げたように、この標識は、道路管理者と公安委員会(警察)の両者が設置できるが、ここの場合は設置状況からすると警察が設置したと考えられる。
秋田県警が設置した標識には、裏面に設置年度と業者を示すシールが貼られている。見てみると…
「H24」。標識や金具はピカピカ
今年(今年度?)、設置(更新)されたものだ。
※この地点には前から標識は設置されていた。これと背中合わせで設置されている駐車禁止の標識は古そう(設置年は不明)なもの。おそらく、ポールが更新され、同時に自転車通行可の標識と下の補助標識も新しくなったのだろう。
5月下旬にここを通った時は特に気づかなかったような気がするので、ごく最近、設置されたのかもしれない。


そういえば、歩道を通るか車道を通るか、あるいは一方通行にするかなど、自転車の通行を巡って議論や社会実験が行われている。
もしかしたら、その一環で標識のルールが変わったのか?

調べたところ、おそらく変わっていない。
「道路標識、区画線及び道路標示に関する命令」の「別表第一」において、クネクネ親子の「325の4」は「歩行者専用道路」であるか「歩行者の通行の安全と円滑を図るための車両の通行を禁止する」道路にしか設置できないと定められている。
また、「普通自転車が歩道を通行することができることとすること。」すなわち自転車歩道通行可を示す場合は、今までどおり「325の3」を設置するしかない。

秋田県だけ特例でクネクネ親子でもいいなどという、紛らわしいルールがあるわけはないから、この標識は、発注または設置時の間違いの可能性が高い。
といっても、考えてみれば、自転車の人がこの標識を見れば、一瞬、自転車で歩道を通っていいのか躊躇すると思う。残念ながら、ごく一部とはいえ無謀な運転をする自転車がいる現状をかんがみれば、「歩道は歩行者が最優先」であることを示すためには、この設置方法でもインパクトが強くてよさそう。クネクネ親子に活躍していただくのも悪くないのかもしれない。(さしあたって特に危険でもなさそうなので、通報はしないでおきます)

ちなみに、この場所に本来の「325の3」標識を設置する場合は、この標識でないとならない。
再掲
元々の325の3を鏡像にしたもの。
自転車は歩道の車道寄りを通行することを徹底するため、325の3を自転車歩道通行可の目的で道路右側に新設する場合は、標識の自転車の位置を実態と合わせるために鏡像にしないといけない(警察庁通達「交通規制基準」)ようなので、ご注意願いますよ。秋田県警さん。
あと、「始まり」を示す補助標識も旧来からの右矢印(505-A)よりは、「ここから」の文字(505-B)のほうが分かりやすいかったのではないでしょうか。(というかこれも、歩道通行可の場合は通達で決められている?)
国土交通省道路局サイトの資料より
矢印の意味を知らない子どもや運転免許を持たない人だって自転車には乗るのだから。


もう1つ、交通規制関係で信号機について。
秋田市卸町~茨島を南北に貫く市道。ほぼ並走して茨島を走る県道56号(かつての国道7号線)を補う道路として、車の通行量が多い。
その途中にある押しボタン式信号
左右(東西)方向の細い道と交わっていて、形状としては十字路なのだけど、そちら側には車両用信号機が設置されていない。

たしか4月頃に通った時は気づかなかったのだが、変化があった。
押しボタンのそばに、小さな手作りラベルが…
なんだ?
「この信号機は、平日と土曜の午前7時から午前8時30分まで ボタンを押さなくとも、信号が変わります。」
へー。朝の1時間半だけ、押しボタン式でなくなるのか。
幹線道路では「夜間押しボタン式」という方式があり、車両用信号機にもその旨が表示されることが多い。
また、秋田県警では「歩車分離時間別運用」という分かりにくい表示が付いている交差点も存在する。

ここの場合、さしずめ「朝以外押しボタン式」「押しボタン式時間別運用」だけど、通常の「押ボタン式信号」だけで特に表示はなかった。ラベルライターで作ったシールを貼るくらいだから、おカネをかけたくないんでしょう。
押しボタン式の信号機の制御装置では、曜日や時間を区切った細かい動作の設定ができない構造かと思っていたが、可能だったとは感心。(普通の交差点の信号機では、管制センターとつながっていて、いろいろできるはずだけど)

では、何のためにこんなことをしたのか。
横断する歩行者がとても多いからという理由ではなく、脇道から出てくる車が多いためではないだろうか。
上の写真でも、左右両方の道から車が出ようとしているように、左右どちらも住宅地につながる道なので、曜日や時間を問わず、比較的多くの車がここを通る。
平日朝なら、出勤ラッシュで多くの車で列ができていそうだ。その合流をスムーズにし、脇道側の渋滞や無理な合流による事故を防ぐためではないだろうか。
根本的には、押しボタン式ではなく、脇道側にも信号機を設置して十字路にするべきなのだろうけれど、お手軽な方法として、朝だけ押しボタン式でなくしたのだろう。
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シラン

2012-06-12 23:53:19 | 動物・植物
秋田では今、記事冒頭の写真の花が咲いている。
「この花、なあに?」
「しらん」
「知らんって、知らないの?」
「いや、しらん」
こんな風に、植物とダジャレが好きな人なら、1度はネタにしてしまうのが、この植物。

これは「シラン(紫蘭)」という植物。
その名の通り、紫色の花が咲くラン(ラン科シラン属)。縦の筋が目立つ、やや淡い緑色の葉も特徴。

日本に野生のものがあるそうだが、準絶滅危惧種になっているという。
一方で、ランは一般に素人が栽培するのは難しいが、シランはかなり容易。我が家の庭でもほぼ放ったらかしなのに、毎年咲く。
※栽培されるシランは、人為的に品種改良されたり、他の系統との交雑種であるものも多いはずなので、それをそのまま山に植えれば野生種の絶滅が解消されるというわけではない。


冒頭の写真の場所では、たくさんのシランが咲き乱れている。これほど多くのシランを見たのは初めて。
場所は、秋田市八橋運動公園球技場の前。
昔は「ラグビー場」といっていた施設で、おそらく2004年にメインスタンドの改修が行われた際、同時に道路際の一部が公園風に整備された時に新設されたと思われる、植え込みで咲いていた。
ケヤキの根元に一面のシラン
こんな所にこんな植物があったなんて。そういえば、夏に通った時、特徴的な葉っぱの植物だけど何だっけと思った記憶はあった。

個人的なイメージでは、シランは民家の庭先の日陰でひっそりと咲いているものだった。
ところが、球技場のシランによってそのイメージが覆された。

まず、日当たりのいい開けた場所で、グラウンドカバー的に植栽されるということ。
上記の通り、シランはとても丈夫な植物であり、日陰だろうが日向だろうが構わないようだ。
日向のシラン
花の咲く時期は短いが、比較的大きな葉っぱが地面を覆うように茂り、たしか秋には黄葉するので、雑草対策や景観のために使われるのだろう。

そしてもう1つ。
これもシラン
なんと白い花のシランもある。(むしろここでは紫よりも多いかもしれない)
僕はシランといえば紫だと思い込んでいた、白花の存在自体、知らなかった。
白いのに“紫”蘭とはヘンだけど、園芸品種としてけっこう売られているようだ。

白花も品があって美しい。どことなく、サギソウ(白花のランの一種)を連想させられる。
花が終わると茶色くなって目立ってしまうけれど
紫花と白花を、仕切りなどで物理的に区分して植えている部分もあるが、同じ区画の中に2色が植えられている所もあった。(冒頭の写真では、紫の中に白が少し混ざっている)
同じ種の植物の複数の系統を同じ場所で育てる場合、放っておくとどれか1つの系統だけが他を駆逐してしまうことがよくある。そうなっていないところを見ると、定期的に適切に管理されているのだろう。(不自然に地面が露出している部分もあったけど)
ケヤキと紫のシラン

先日紹介したトチノキもそうだけれど、画一的でないちょっと珍しい植物が植えられているのを見ると、設計者や発注者のセンスや好みなのかなと、うれしくなる。


最後に、秋田市役所前の花時計。※前回はこの記事後半
文字盤周辺に植えられている植物はパンジーで、変わっていない。
パンジーのさらに外側にある刈り込まれた木。何の木か気にしていなかったが、今、花が咲いている。
ちょっとまばらだけど(咲き始めだった模様)
何の花でしょう?
赤いサツキか!
なるほど。“秋田市の花”であるサツキだったのか。

ちなみに、前回触れたように、一般的な花時計は文字盤の下にも花を植えるようになっているのに、秋田市役所の花時計は、周辺にだけ花を植えて文字盤の真下は砂利敷きなのが珍しい。
先日、テレビで秋田県外のどこかの花時計の植え替えの模様が映っていた。これは文字盤の下も花壇になっている通常のタイプで、針を取り外して植え付け作業をしていた。(付けたままやると、何かのゲームのように針から身を交わしながら作業しないといけないものね)
秋田市の花時計は「使う苗の量を少なくできる」「植え替え作業時に針の着脱が不要」というメリットがあるようだ。
コメント (2)
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中古ノンステップバス増加

2012-06-11 23:59:07 | 秋田のいろいろ
乗降口に段差のない路線バス車両「ノンステップバス」のお話。
秋田中央交通でも、遅ればせながら導入が進んでいることを今まで何度か紹介してきた。
※以下の内容は、個人的な観察に基づくものです。間違いやその後の変更等がある可能性があります。

新車では、2010年に2台(ナンバーか818、819)、昨2011年末に1台(904)の計3台を購入。
おそらく自治体の補助金を受けている関係で、天王グリーンランド発着を中心とする新国道経由の路線をメインに走っている。所属は当初秋田営業所で、担当営業所の変更に合わせて臨海営業所へ転属。



そして2010年末には、小田急バスの中古のノンステップバスが転入してきた。
その後、2011年から今年春にかけても、同じタイプのバスが秋田市内の各営業所に続々と投入されて路線を問わず走っていて、見かける機会がかなり増えてきた。
中古のノンステップバスが多数導入されるのは、全国的に見ても珍しいことのようだ。以下はこのことについて。

いずれも中型バス「いすゞエルガミオ(型式はKK-LR233J1とのこと)」で、おそらくすべてが小田急バス(または子会社の小田急シティバス)で使われていたと思われるのだが、若干の差異も見られる。
確認できた車両を以下に列挙してみる。(繰り返しますが間違いもあると思います)
2010年11月頃確認
・865 臨海営業所
・866 臨海営業所

車内の運賃表示器(譲受後に中央交通で設置したと思われる)は、866以前では「小田原機器」製の液晶ディスプレイ式(枠が黒い)だったはずだが、870以降の車両では「レシップ」製の液晶ディスプレイ式(枠がグレー)が設置されているはず。
【6月30日追記】866にはレシップ製が設置されていた。865だけが小田原製?

昔からの8セグメント【2014年1月12日訂正】7セグメント(デジタル数字)のLED式や小田原機器の液晶式では「現在表示されている運賃が適用されるバス停名(交通公社前まで等)」が表示されていたが、レシップの液晶式では「次のバス停名」が表示され、この先のバス停の順番も表示されたりする。
全国的には普通だが、秋田では少数派なので、戸惑う。
【14日追記】LED式が設置されていた車両の一部において、レシップ製液晶式への交換が進んでいる模様。


2011年3月頃確認
・870 秋田営業所
・871 秋田営業所 ←運賃箱になぜか「料金箱」と表示
870

他は青い文字で「運賃箱」なのに、871は赤で「料金箱」(箱自体の機種は同じようだ)

以上の車両は、中ドア(秋田では入口として使用)が「グライドスライドドア」という、左右に分かれて独特の動きで開閉するタイプ。座席は布地がエメラルドグリーンで、背もたれのクッションが薄いらしくすぐ下に板が入っているかのように硬い。
ここまでが、1999年に小田急に導入された車両らしい。
 (再掲)「865」のグライドスライドドア
以降の車両は、2000年以降に導入されたもので、通常の引き戸で、クッションが少し厚くなった模様。

2011年後半頃(11月末に初確認)
・896 秋田営業所
896からは中ドアが引き戸

2012年5月上旬確認
・915 臨海営業所
・917 秋田営業所(冒頭の写真)
・924 秋田営業所 ←座席の布地が異なる(青っぽい地色に柄入り?)
924

2012年6月1日確認
・930 秋田営業所【2014年3月13日訂正】臨海営業所
930

以上、確認できただけで9台が導入されたことになる。(「916」が飛んでいるのが気になる…)
旧秋田市営バスの移管で必要車両数が増大していた時期を除けば、中古といえどもこれだけまとまって車両が導入されるのは初めてだと思われる。
国土交通省が各部の寸法や車内配色などを定めた「標準仕様」ノンステップバスではない(2004年開始の制度なので)とはいえ、ノンステップはバリアフリーに貢献するだろう(足腰の悪い人には、ちょっとした段1つでもとてもつらいもの)し、より古い車両に比べれば環境負荷も軽減されるだろうから、よしとしよう。(全部同じ型であまりおもしろくはないけれど…)

【14日追記】「933」も確認。秋田営業所所属でエメラルドグリーンの座席。これで計10台を確認。
930と933があるので、間の931・932が気になる…
【26日追記】「932」も確認。同じくエルガミオノンステップで、所属営業所等は不明。これで計11台を確認。【27日追記】932は秋田営業所所属。【2014年3月22日追記】932は、車椅子スペースの折りたたみ1人掛け席のみ、水色系に柄が入った布地。後方の2人掛けはエメラルドグリーンで薄っぺらな背もたれ。(本記事中、「柄入り」と表記している他の車両は、後方の席のこと)
【7月20日追記】「939」も確認。秋田営業所? エルガミオノンステップで、エメラルドグリーンの座席。これで計12台。
【11月19日追記】「953」も確認。エルガミオノンステップで秋田営業所所属。座席は青系柄入り。これで計13台。
【2013年2月6日追記】「958」も確認。エルガミオノンステップで、久々に臨海営業所に導入。座席は青系柄入り。これで計14台。
【2013年5月2日追記】以後の導入状況はこちらの記事をご覧ください。


左が中古の896、右が新車の819。外見上の明確な違いはない(側面ガラスの着色の有無程度か【12日追記】後部ナンバープレートの照明の位置が違う)

ところで、国土交通省東北運輸局のサイトに、同局交通環境部消費者行政・情報課が今年3月にまとめた「東北地方におけるノンステップバス導入促進について報告書」が掲載されている(http://wwwtb.mlit.go.jp/tohoku/kk/nonstepbus/nonstepbus-index.htm)。
ざっとしか見ていないが、ノンステップバス導入が遅れている東北地方における事情の一端を垣間見られる。

報告書では、管内のバス会社に聞き取った結果も出ている。バス会社がある県名だけで、具体的な企業名は載っていないが、「秋田県事業者」とあるのは、内容からして中央交通だろう。
「秋田県事業者」さんが言っていることをいくつか抜粋すると、
41ページ「・ 平成22 年2 月に新車中型ノンステップバスを2 台導入。(初導入)・ 22 年度中に4 台の中古ノンステップバスを導入し、今後毎年2 台ずつ導入する予定。」
22年2月というのが、818、819で、4台の中古が865、866、870、871だろう。
だが、その後は上記の通り「毎年2台ずつ」を上回るペースで導入されている。

44ページ「関東の大手事業者との付き合いから、比較的新しい車両を安く購入できるルートがある。」
つまり「小田急と仲良し」っていうことね。
やはり、他社から中古を買うよりも「安く購入できる」のか!

43ページ「中古車の調達に当たって、仲介が入ると価格が跳ね上がるので、仲介手数料も公正透明性のある適正な中古市場が確立されることを望む。」
とも言っている。
報告書の本文では、総じてノンステップの中古車市場が未成熟なので入手は難しく、今後に期待するとしているが、その点中央交通は小田急と仲良くしてうまく入手していると言えそうだ。


45ページ「自社の幹部が県や市のバリアフリー委員に就任している関係からも、ノンステップバスの普及には積極的である。」
ふーん。
たしかに「秋田市バリアフリー協議会」や「秋田県バリアフリー社会形成審議会」の委員に名を連ねている。(ただし県のほうは名簿上では秋田県バス協会としての立場)

「利用者からは「こんな便利なバスは見たことがない」という声も出ている。」
そりゃそうだ。今まで秋田になかったんだから。でも、他の土地ではとっくにこれが普通のバスになっているところも多いのですが。

【12日画像追加】秋田高校脇の手形山の急坂・急カーブを登る896。3月末なので日陰斜面には残雪が
中古ノンステップバスは、秋田の街に溶け込みつつある。

上記、中型バスからは話が逸れて小型バスのことだけど、もう1つ「秋田県事業者」さんの言い分。
「秋田県では県の単独補助として、小型低床車購入補助制度がある。しかし、日野のポンチョしか現在販売されておらず、価格も1700 万円と高額である。また、ホイール幅が中型バスと変わらないことから小型バスに期待される狭い道での運行、カーブなどの曲がりやすさ等の機能面で今一つ優位性が見つからない。」
なるほど。
日野の小型路線用バス「リエッセ」がなくなり「ポンチョ」だけになっていて、それが高いとは聞いていた。
だから、(秋田以外でも)導入する事業者が少ないのだと思っていたが、運転機能・操作面での事情もあったのか。
バスメーカーもこういう地方事業者の声を聞いて、商品開発すればいいのに。
あるいは弘南バスみたいにもっと小さいバス(三菱ローザ)を導入するのはダメなんだろうか。(低床車の条件を満たさないのかな)


※その後、大型バス「三菱エアロスター」の中古ノンステップも導入された
※さらにいすゞの大型バス「エルガ」も導入
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ビルの改装や解体

2012-06-09 22:22:02 | 秋田のいろいろ
秋田市中心部の3つのビルの解体や改装について。下の地図上、マル1~3の3つの建物を取り上げます。
Googleマップより
●平安閣 地図マル1
昨年7月17日(リンク先の記事後半)で第一報・概要をお伝えした、山王二丁目にある結婚式場・会議場「シャインプラザ平安閣秋田」(以下、通称の「平安閣」とします)。
昨年、運営会社の冠婚葬祭会社「へいあん秋田」が、全国的な葬儀会社「日本セレモニー」傘下に入ったことに伴い、葬儀専門会場に改装されるという話があった。

当初の計画では、昨年(もしくは昨年度)内に改装が終わって営業を始めるらしかったが、昨年9月に式場としての営業を終えて空き家となったままそれっきり。※今年1月の状態
春になって、やっと動きがあり、建物が足場で覆われた。
工事看板。緑色じゃない!
「(仮称)秋田典礼会館新築工事」だそうで、7月末までかけて工事するようだ。
最初見た時は「新築」とあるから、全部解体して新しく立て直すのかと思った。でも、下の欄には「旧館・新館」などとある。
工事の様子を見ていても、壊し方が丁寧だし、ある程度壊したらやめてしまった。

結局、一部分は解体して新築するものの、ほとんどは旧来の建物を改装して使うようだ。
北東側・秋田県社会福祉会館との間の新国道の交差点から新旧を比較。
昨年7月撮影の平安閣

現在
写真左側=南東側・山王十字路寄りの新国道にせり出すようにあったピンク色の建物の一部が解体されたようだ。

南東の山王十字路から
山王十字路側から見ると、すでにてっぺんが白い色に変わって姿を現している。
建物中央部分はそのままなので、新装後も4階建て。4階全部が葬式場になるのだろうか。

新国道沿いに完成予想図付きの横断幕が出された。
「秋田典礼会館8月グランドオープン」

ここでちょっと話題が逸れます。
最近、路線バスの後部の広告でこんなものを見かける。

僕は最初見た時、遠かったためか、光線のためか、「きる、お葬式。」と読んでしまった。
「きる」ってまさか「斬る」とか「kill」? そして広告主は誰?
よく見ると、
「生きる、お葬式。」ですか
文字が細いし、黄緑の地色に白い文字の「生」が見づらい。
それにしても意味が不明。「死んだからお葬式」じゃないの?

さらによく見ると、ちっちゃい文字で「こころに、「生きる、お葬式」をプロデュースする。私たちは、典礼会館です。」「へいあん秋田/セレモ典礼会館」とあった。
へいあん秋田の広告だったのだ。「(こころに)生きる、お葬式。」ってことね。
ホームページは「典礼会館」で検索するようにと書いてあるが、「へいあん秋田」で検索したほうが早いのではないでしょうか。

こんなちまちました広告だと、追突されますよ。
※同じデザイン(背景がもっと黄色っぽかったか)の新聞広告も見かけた。

以前の、へいあん秋田のバスの広告といえば、これだった。
ブレてるけど「セレモ」と判読可能(2011年6月撮影)
「冠婚葬祭互助会 へいあん秋田 セレモ」と分かりやすかった。(この広告が現在どうなっているかは不明【10日追記】写真の「429」については、別の広告主に替わっていた)

前も書いたけれど、以前のへいあん秋田は、秋田では有名な辻兵(つじひょう)グループ(二十日会グループ)に属する企業だった。日本セレモニーグループに入ったことで、辻兵との関係がどうなったのかが分からない。
今のところ、辻兵グループの一部企業のホームページでは、グループ企業としてへいあん秋田へのリンクが張られているのだが。単に放置されているだけかもしれないし。


●長門第一ビル 地図マル2
平安閣から新国道を渡り、向かいの小路を東へ3件ほど入ったところに5階建ての「長門第一ビル」がある。貸テナントビルってやつだろう。所在地としては旭北栄町(きょくほくさかえまち)。
平安閣前から新国道越しに見た長門第一ビル

反対側から。左が秋田県社会福祉会館、奥の左が平安閣
このビルは、昨年夏頃にテナントが退去しており、今春、解体された。
5月上旬

5月中旬

現在はほぼ更地になった模様
一説によれば昨年の東日本大地震で建物がダメージを受け、解体せざるを得なかったという情報もある(※不確実な情報です)。

長門第一ビルはだいぶ古いビルのようで、窓が丸みを帯びていたり、一部の窓下にタイルが張られていたりして凝った造りだった。
 



平安閣前から長門第一ビルを見る(昨年11月撮影)

ちなみに、長門“第一”ビルがあるからには、第二以降はどうなのかと言われれば、確認できただけで「第三」まである。(本当に関連があるのかは不明だが、たぶんあるでしょう。秋田に長門さんは多くないので)
「長門第二ビル」は山王六丁目、「長門第三ビル」は八橋大畑二丁目にある。第三のほうはマンションで「長門マンション」となっている地図もある。
でも、古くからの秋田市民は、長門第一ビルを指して単に「長門ビル」と呼ぶ人も少なくないはず。


●ロイヤルイン秋田 地図マル3
「ロイヤルイン秋田」という建物も解体されていた。と言っても、名前を聞いて分かる人は少ないはず。
上記2つの建物から数百メートル北西の山王一丁目の北西端。
旧国道とけやき通り北端が交わる「八橋一里塚」交差点の南東角にあるビル。昔は1階に飲食店が入っていた。意識していなかったが、上階(2~5階)はマンションだった。
近くの秋田テレビの屋上カメラによく映る場所であり、最近、足場がかかっているのを見て気になっていた。
八橋一里塚交差点から
解体作業は始まったばかりのようだ。
けやき通り側から壊し始めていた


昨年は、通町の竹谷金正堂大町六丁目の清水良太郎家具店が解体されたことを紹介した。
また、写真はないけれど、現在は楢山登町の「刈穂橋東」交差点南西角の薄い肌色の4~5階建てくらいのビル(名称不明。以前タウン誌のオフィスが入っていたっけ?)も解体中で、ほぼ終わっている。
【10日追記】さらに、やはり楢山登町(北端で有楽町の南)の「下新橋」交差点南東にあった「ながのスカイプラザ」も少し前に解体されて、更地(駐車場)になっている。

あった頃はその存在を気に留めていなくて中に入ったこともないけれど、風景の一部だった建物が知らないうちに姿を変えたりなくなったりして、さらに記憶から消えてしまい「あそこは昔何だったけ?」ということになってしまう。こうして街の姿が少しずつ変わっていくわけか。

※3つのビルのその後はこちらの記事
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