広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

田んぼまでの距離

2017-06-30 00:09:05 | 秋田の地理
田植えから1か月ほど経った、秋田市内の田んぼ。
水面を覆う緑が増えてきた
上は、秋田市東部・下北手松崎から東方向の写真。中央右奥・送電線鉄塔の下の白い建物は、下北手中学校。
写真では伝わらないと思うが、秋田駅より東に行けば太平山がぐっと大きく見える(ような気がする)。
撮影場所の背後には太平川。対岸は秋田駅まで家並みが続く。右側には秋田駅東口からまっすぐ秋田中央インターチェンジへ向かう県道62号線(川を広面大橋で渡る)とノースアジア大学がある。左側には松崎団地や広面地区の住宅、秋田大学医学部附属病院。
田んぼに住宅地が迫る
この田んぼ、おそらく「秋田駅からいちばん近い田んぼ」。
距離にして2.2キロ。(駅から道路も一直線だから道のり=直線距離)
秋田駅東口のビル・拠点センターアルヴェの14階展望室からも、目を凝らせば見られる。
時期外れの写真ですが、赤い枠辺り
ズーム。※上と下は撮影日が違います。
雪で白い部分が田んぼ。左に下北手中、右の肌色が下北手小

地理院地図より。赤い★が冒頭の写真の撮影場所

秋田駅から南東方向では、一つ森公園ふもとの秋田新幹線の車窓から見える田んぼも、直線距離はほぼ同じ。ただ道が一直線ではないから、気分的にはちょっと遠い。
添川の秋田道の下付近や外旭川中学校周辺では、直線で4キロ前後。どちらも本数の多いバス路線沿線だから、訪問するには便利かも。

ほかの方向へ秋田駅から直線2キロ強の距離にあるのは、県庁(第二庁舎辺り)、秋田高校、城南中学校といったところ。
40年くらい前には秋田駅の東側はすぐ田んぼだった(上の地形図で今はオレンジ色の場所もほとんど水田だったのだろう)そうだし、60年くらい前は県庁市役所がある山王も一面の田んぼだった。30年ほど前の昭和末~平成初期までなら、山王と川尻の境とか保戸野千代田町辺りにも、局所的ながら残っていた。
その後、宅地化が進み、ここが秋田駅最寄りの田んぼとなった。


米どころ秋田の県庁所在地の駅から2.2キロに田んぼ。近いのか遠いのか。
秋田市では、中心市街地のダイエーもイトーヨーカドーもなくなって、秋田駅からいちばん近い総合スーパーが遠くなってしまった。
「食料品、衣料品、家電、文具などひと通りのものが、1つの店で購入できるもの」を総合スーパーと定義すれば、ドン・キホーテ秋田店が直線で1.7キロ、イオン秋田中央店が2.2キロ。近いのか遠いのか。いや、近くはない。


青森県弘前市の場合。
田んぼは駅東側・福田とか新里辺り。青森ならではのリンゴ畑だと、弘前大学の寮がある桔梗野の南、緑ヶ丘辺り。(少し近い文京町の弘大農学生命科学部の学内圃場には、水田もリンゴもあるけど、別として)どちらも弘前駅から直線で2キロ強。

秋田市と弘前市は、線路が南北に貫き、駅の西が旧市街・東が新興住宅地といった構造は似ているが、規模としては、弘前市のほうが少しコンパクト。それなのに、駅から田んぼまでの最短距離はどちらの街もほぼ同じというのは意外だった。駅東側の新興住宅地の開発度合いは同じということか。一概に比べられないし、近いから遠いからどうこうということではないけれど。

駅からの総合スーパーの距離では、圧倒的に弘前の勝ち(これは勝ち負けとしていいでしょう)。駅前300メートルにイトーヨーカドーがあるのだから。

この田んぼの秋の様子
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夏の臨時列車/ハーバー函館

2017-06-28 00:00:20 | 秋田のいろいろ
JR東日本秋田支社の臨時列車。
最近は、各地のイベントなどに合わせて、秋田駅から往復する「クルージングトレイン(元・リゾートしらかみ青池編成の2両)」を使用した快速列車が設定されることが多い。毎年定番となっているものもある。
(再掲)クルージングトレイン
今年夏は、秋田から奥羽本線・大館経由で青森県津軽方面へクルージングトレインの快速列車が以下の2つ設定されている。いずれも全席指定、停車駅は土崎、追分+特急停車駅。
青函アフターDC号
7月15~17日、9月16~18日
秋田8時54分→青森12時14分、青森17時50分→秋田21時35分

田んぼアート号
7月1、8、22日、9月9日
秋田7時19分→弘前9時45分、弘前17時08分→秋田19時31分

この2つとほぼ同じ趣旨の列車は、昨年夏にも運行されていた。
・クルージング青函DC号
2016年7月16~18日
秋田9時33分→青森12時41分、青森17時50分→秋田21時30分

・田んぼアート号
2016年7月27日(水)、8月22日(月)、9月30日(金)
秋田7時19分→弘前9時48分、弘前17時08分→秋田19時44分

青森まで行く列車は、昨年は津軽海峡をはさんだ青函デスティネーションキャンペーン、今年はそのアフターキャンペーンに合わせて、3連休に運行。
日帰りでも、泊りがけでもということだろうか。
JR東日本秋田支社のホームページには「新青森駅での「北海道新幹線」への乗り継ぎも便利です。青森、函館へのご旅行にぜひご利用ください。」とある。なるほど北海道にも行ける。
上りの秋田着が遅めだが、弘前始発の最終普通列車よりは30分ほど先行。

弘前までの列車は、田舎館村の田んぼアートを、日帰りで見に行きましょうということになる。設定日がちょっと不思議で、特に昨年は曜日がまちまちで3回。今年は土曜日に統一されたものの、7月3回、9月1回。稲の生長具合からして、7月よりは8月以降のほうがベターな見え方になるのだけど、その期間の設定は少ない。車両や夏祭りなど他のイベントの都合なんでしょうけど。
こちらは下りの秋田発が早く、日帰りにふさわしい。ただし、10分後に定期普通列車の弘前行きがある。

各地で行われる田んぼアートの中でも、田舎館村はその先駆けかつレベルの高さで有名。しかし、秋田県民にとっては会場へのアクセス方法(JRから、弘南鉄道または弘南バスに乗り換えが必要。下の※参照)を知る人は少ないし、秋田内陸縦貫鉄道沿線でも田んぼアートを実施していてそちらのほうを連想してしまうかもしれない。
したがって、「田んぼアート号に乗れば、田舎館村へ直行できる」とか「田んぼアートで内陸線の田んぼアートを見られる」と誤解・早とちりされてしまう可能性がある。
※田んぼアート号での往復に、弘前-田んぼアート駅間の弘南鉄道乗車券をセットにしたびゅう旅行商品も出てはいる。個人的には、夏の弘南鉄道は冷房がないのがキツイので、弘南バスで訪れたいものです…(ちなみに、「津軽フリーパス」ならどちらも乗れる。第1会場の村役場にはバスが、第2会場の道の駅へは弘南鉄道が最寄りで、両会場を結ぶ無料ワゴン車が運行されている。)
【28日追記】まぎらわしいことに、秋田内陸縦貫鉄道でも「田んぼアート号」が運行されていた!(少なくとも2016年、2017年)。7・8月の土日祝日に、角館-阿仁合の定期普通列車1往復を阿仁前田まで延長するもの。


クルージングトレインは、特急と同じ座席が、ゆったりとした間隔で設置されており、座り心地は良好(車両としての乗り心地はキハ40系なので、そこそこ)。
乗車券+指定席券520円で乗れるのだから、“乗り得”な列車。どれかに乗ってみようかな。


なお、9月23日・土曜・秋分の日と24日・日曜には、秋田-弘前で高崎支社の「リゾートやまどり」を使った旅行商品専用の列車が運行されるそうだ。
どんな旅行商品かはまだ分からないけれど、内容(弘前でフリーとか)と値段によっては、これもいいかも。

欲を言えば、アフターDCでも夏休みでもいいから何か理由をつけて、フリーきっぷを発売してくれればいいのに。
あと、元リゾートしらかみ・ブナ編成だった車両は、引退後、秋田車両センターと秋田総合車両センターの間で行ったり来たりしているようだ。元青池編成のように「クルージングトレイン2」として使えば、このような時に重宝するのではないでしょうか。車齢はほぼ同じなんだし。



ここから思い出話。
青函アフターDC号や田んぼアート号の、「週末の朝早くに秋田から北へ向かう臨時列車」というダイヤ、「函館へのご旅行にぜひご利用ください。」という宣伝文句を見て、とある列車を思い出した。
ハーバー函館」である。

ネット上にもあまり情報はない。「ハーバー(HABA)」という化粧品メーカーの函館の店のことが出てしまったりする。
「ハーバー函館」とは、秋田-函館間を青函トンネルをくぐって直通運行されていた、臨時列車の愛称。
はっきりとした運行期間は分からないが、青函トンネル開業(1988年)間もない頃から21世紀まで運行されていた。少なくとも1991年から2003年までは確実。
主に観光シーズンの週末に設定され、期間中は毎週走っていた時もあった。
土曜日や3連休初日の朝に秋田を発って函館へ行き、休みの終わりの日の夜に秋田へ戻るダイヤ(Wikipediaによれば、夜行で運行された時もあったらしいが、記憶にない)。

青函トンネルができても、秋田から北海道へ直通する列車は、寝台特急「日本海」1往復だけだった中、臨時ではあるが実質的に唯一の直通列車だったと言えよう。
また、当時の青森-函館では、特急「はつかり」のほか快速「海峡」が運行されていたから、青森-函館であえてハーバー函館を利用する人は少なかったと思われる。秋田から北海道へ向かう人のための列車であったのだろう。
なお、札幌-青森の夜行急行「はまなす」を秋田まで延長したこともあったが、短期間で終わったはず。
※津軽海峡線や快速海峡についての過去の記事

ハーバー函館の列車種別は、初期は急行、末期は特急。急行の期間のほうが長かったはず。
使用車両は、初期は14系座席車(機関車にひかれて走る客車)、末期は485系電車。いずれも全席指定のはず。
485系は「はつかり」(の予備?)用だった青森の国鉄色6両編成で、ヘッドマークは「臨時」。
14系時代が急行、485系になって特急になったのかもしれない。ただし、14系座席車の設備は485系とほぼ同じ。
14系時代は、初期は5両編成、後に3両編成程度で運行されていたようだ。団体(貸切)用として、ボックスシートの12系客車を併結したこともあったとのこと。

ハーバー函館は、急行「ハーバーレインボー」として運行される時もあった。
1992年に登場したJR北海道のジョイフルトレイン「ノースレインボーエクスプレス」が使用されることがあり、その時の列車名。
Wikipediaには、途中から列車名が全部「~函館」から「~レインボー」に変わったかのように受け取れる記述があるが、そうではなく、車両によって使い分けていた。
余談だが、「ハーバーレインボー」という競走馬がいたらしい。列車との関係は不明。
(再掲)ノースレインボーエクスプレス
ノースレインボーエクスプレスはキハ183系気動車(ディーゼルカー)。青函トンネル内は火災防止のため気動車は自走できないことになっていて、函館-青森は電気機関車にひっぱられて走行したそうだ。
一部サイトでは、青森-秋田も機関車牽引だったとの情報もあるが、奥羽本線は自走していたと思う。
1997年には、北海道内の踏切事故によってノースレインボーエクスプレスの1両が破損。修理の間、普通の特急用のキハ183が代車として連結され、その状態でハーバーレインボーに使われたこともあったはず。


今夏の臨時列車からハーバー函館を連想したのは、田んぼアート号の秋田発土曜7時15分というのが、かなり似た時刻のような気がしたから。
実際はどうだろう。ネットや自分の記録から、ハーバー函館のダイヤ(設定日も)を拾ってみた。

・1994年9月~10月 秋田7時31分発→函館14時26分着
毎週運行。うち10月の2度はハーバーレインボー。

・2001年11月 秋田8時11分発
毎週運行。485系化されていたはず=レインボーはなし?

・2002年7月 秋田8時24分発
下旬の金曜と土曜に2回ずつ運行。

・2003年7月25日・金曜 秋田6時30分発→函館11時59分着
上りは27日・日曜 函館13時56分発→20時09分着。期間中、この上下1回のみ運行。

客車時代は7時間もかかっていた。485系でも5時間半。
末期には函館にかろうじて午前中に着くまで時刻が繰り上がったのは、函館での滞在時間を少しでも多く取ろうとしたのだろうか。
ちなみに、今夏の秋田8時54分発のアフターDC号で新幹線、函館本線を乗り継ぐと、函館着は14時06分。


実は、昔「ハーバー函館」に乗ったことがある。あいまいな記憶ですが。
1992年の夏~秋かな。
たしか鷹ノ巣【28日訂正】大館まで行った時で、下り寝台特急の立席特急券による座席利用(いわゆる「ヒルネ」)をしようと、当日朝に窓口へ行ったら、売り切れ(立席特急券は枚数が決まっていたらしい)。
続行でハーバー函館があることを教えられ、指定席急行券(自由席と同額の立席特急券よりは高い)を買って、ガラガラの14系座席車に乗った。
ダイヤは覚えていないが、「寝台特急の続行」ということからすれば、7時頃の「あけぼの」の後か、8時半過ぎの「日本海3号」の後か。
1994年には7時31分発だったそうだから、あけぼのの後かな…【28日補足】当時はまだ上野-青森の急行「津軽」が定期列車で走っており、日本海3号の続行(秋田で9時前後?)だったはずで、そこにさらにハーバー函館を走らせないだろうし、我々も最初から津軽の自由席にしていたはず。やっぱりあけぼの後か。
乗車率は低かったけれど、その後10年は運行が続けられた。たまたま空いていたのだろうか。

そして、今夏の臨時列車。来年は青函デスティネーションキャンペーンはないわけだが、運行は続くだろうか。
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広面近隣公園2017

2017-06-25 19:33:28 | 秋田の季節・風景
東北地方北部は6月21日(平年+7日、前年+8日)に梅雨入り。今のところ少し気温が高くなって、雨は少なめ。
恒例の秋田駅の東2キロ「広面(ひろおもて)近隣公園」のハナショウブ。
現在は、
こんな感じ

全体
まだつぼみが多く少々早いものの、咲き出してきたところ。
昨2016年の今ごろは見頃だったから、今年は遅れている。
アジサイが色づき始め。この株は毎年早咲きのようだ
ということで、ハナショウブ以外の広面近隣公園のこと。
この公園には、大昔の太平川だった河跡湖(規模は河跡“池”ってところ?)が残っている。
ハナショウブの左側が池なのだけど
例年よりぐっと水が減っている。
昨年の記事を見ると、ここではホテイアオイのような水草が水面を覆っていた。その対策(駆除)として、水を抜いているのだろうか。

また、この河跡湖は、ハナショウブ付近に仕切りが設けられており、昨年はハナショウブのない南側(太平川下流側)には、水草はまったくなかった。
現在は、南側は水が抜かれておらず、今度はそこをびっしりと水草が覆っていた(下に写真あり)。昨年とは種類が違う水草(ヒシとか??)のようにも見えたが、時折葉のすき間からぽこっと空気が湧いていた。あと、ぶぉっというウシガエルの声もどこかから。

さて、上のアジサイの写真で、後ろにアジサイよりは背が高い木があって、花が咲いている。タニウツギ(この記事最後で少々)。
園内の通路の一部では、
生け垣風に
タニウツギをまとめて植栽するのは珍しいかも。
 
1本の木でも白っぽい花とピンク色の花があって、開花後に色が変わるようだ。散り始めた花もある。
ブンブンとクマバチ【26日補足・大型で黒い体だが、人を刺すことはほとんどない】が何匹も来て、花を飛び交っていた。

左右奥の下側が、水草で覆いつくされた南側水面

2021年の状況
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少し昔の弘前駅

2017-06-22 23:16:45 | 津軽のいろいろ
前回に続き、15年ほど昔の弘前の記録。今回は弘前駅。
現在の橋上駅舎ができたのは、2004年12月。4代目だそう。
(再掲)西側・中央口。ホテルルートイン弘前駅前から撮影
駅舎・自由通路は、上の写真右・南側の黒い箱型の建物。
左側の茶色い建物は、1987年にできた駅ビル「アプリーズ」。新旧駅舎いずれとも、つながっていた/いる。

僕の利用回数としては3代目駅舎のほうが多いわけで、もちろん記憶しているものの、例えばアプリーズとどうつながっていたかといった細部の記憶はない。これは先代の秋田駅舎でも同じことだけど。
大雑把には弘前も秋田も、横に長い建物で、ホームに面して改札ブースがずらりと並んでいた。国鉄のある程度の規模の地方駅は、どこも似たようなものだけど。

3代目駅舎は1981年完成だったそうなので、20年ちょっとで解体されたことになる。
一方、先代の秋田駅舎は35年ほど使われた。一般に秋田市より弘前のほうが古い建物を大事にする傾向があるけれど、駅舎は逆だったみたい。

では、当時の写真をいくつか。まず、参考として、
(再掲)現在の弘前駅中央口。ホテル東横インは2007年オープン
上の写真とほぼ同じアングルの15年前がこちら。
2002年4月
バス乗り場などは既に新しくなっている。駅舎より駅前広場整備のほうが先だった。
写真を改めて見て気がついたことが2つ。右手前にケヤキだろうか木があって、その周囲に座れるようになっているが、今はなくなってしまった。
それと、左の「1」乗り場の奥(見えないけど2番乗り場前)に、小さな建物があった。バスの案内所らしい。現在は、同じような建物が南側(写真の背後)、地下道出入口付近にあるので、後で移築されたのだろうか。分かりやすさとしては、駅出入口正面すぐのこの位置のほうがいいな。

旧駅舎が明確に分かる写真はこれぐらいしかないのだけど、雰囲気はお分かりいただけるだろうか。
上記の通り、まだ20年しか経っていない建物だから、外観に古さは感じない。駅の構造としては古くなってしまったが、2017年の今でも通用しそう。
駅舎とアプリーズの色合いが統一されていたのはよく覚えているけど、微妙に色合いは違ったようだ(順番からすれば、アプリーズが駅舎に合わせたということか)。茶色系統の細かいタイルを並べた壁面は、当時の流行りだったのか、秋田空港なんかもちょっと似た感じ。
両者の境に白い部分があって、その上に「JR弘前駅」とのネオンサイン。そこがコンコース・改札口への入口だったか。

駅舎前にはアーケード状の屋根付き通路があり、現在もあるリンゴが載った郵便ポストが置かれていた(写真では白い服の人で隠れている)。南側には喫茶店(JRが運営?)があった。2階建てか3階建てだったようだけど、2階以上は客は立ち入れなかったかな。

屋上にはねぷたの写真入り「We Love HIROSAKI/地域とともに歩む 東奥日報」の看板があって、下の壁面に改めてJR東日本のロゴと、アナログ時計、その下に逆三角形のマークがあるが、正体不明。
2002年10月。東奥日報のねぷたは色あせ気味?
現在の駅舎は、JRと並んで「弘南鉄道」の文字も出ているが、先代駅舎には見当たらない。

東奥日報の看板の下のJRの宣伝は「ヨーデル&やまびこ」。
東北新幹線八戸開業はこの年の12月。それまでは、高速バス「ヨーデル号」で盛岡へ行き、新幹線「やまびこ」に乗り換えるのが、仙台・東京へのメインルートだった。

【2020年9月15日追記】弘前市立中央公民館のツイッターで、平成2(1990)年の弘前駅舎の写真(大町町会「大町・わが町~平成二年の町並から」の転載)が紹介されていた。時期的に、建物は本記事で紹介しているのと同じ。
それを見ると、上の写真の「JR弘前駅」の緑色のネオンはなく、その下の白い壁の部分に赤色で「弘 前 駅」と表示されていた。また、その右のアナログ時計から下に、白い看板状のものが取り付けられ「21世紀まで  日です」のカウントダウンがあった。2002年に時計直下にあった逆三角形のマークは、その看板の中にある。もしかしたらライオンズクラブとか?? 僕が弘前にいた、21世紀直前の1990年代後半に残っていてもおかしくないが、見覚えはなし。


2003年夏でも3代目駅舎がまだ使われていた。内部を少々。
コンコース。2003年7月(以下同)
昔の秋田駅もこんな感じだったはずだし、今の大館駅なども似ているが、思っていたより広い。自動券売機やみどりの窓口の窓口は右側だった。
ラッチと呼ばれる駅員が入って改札業務を行う箱と通路の扉がずらりと並び、その向こうは1番線ホーム。冬は風が入って寒そうだけど、風よけなどは別段設置されなかったっけ。【23日補足】現在の大館駅などでは、アルミサッシの引き戸が後付けされているようだ。寒い日は閉めるのだろう。
ラッチ・通路の数もかなり多い。最近の記憶では、新幹線開業前の富山駅並み。

改札口はJRと弘南鉄道で別だったが、改札内に入れば区切りなどなくJRと共用。単にきっぷを見せる場所が違うだけ。
外から見て左側が弘南鉄道の改札口(券売機や窓口も左側だったはず)だったはず。それ以外はすべてJR分だが、時計の下に「JR改札口→」とあるように、JR利用時に通る入場用改札口は、右端。写真に写っている中央部のラッチは出口(集札)として使われ、列車到着の都度1つからせいぜい3通路ほど開き、それ以外は閉まっていた。
他のホームへの跨線橋の階段は左右両方にあったが、弘南鉄道のホームへつながるのは弘南鉄道改札口から遠い右(南)側だけ。動線としてはやや難ありだった。

下の写真は列車到着時だが、降車客が少ない列車だったようで1つのラッチにだけ駅員が入って集札している。
この写真だけ2003年8月

JR改札口周辺。右が入場口
上の巨大な時刻表も懐かしい。
入場用改札口だけは透明な風よけがある。その上に、方面別の3色LEDの発車標。原則として発車10分ほど前にならないとホームに入れてくれなかったので、「改札中」を表示するようになっている。(昔の秋田駅もそうだったし、現弘前駅舎でも自動改札設置前はそうだった)
「あけぼの」が懐かしい

ところで、2つ上の写真では、入場口左・時計の下に何やら装置があり、赤LEDで「お得なきっぷの」と表示されていて、その下が大きな横長画面のようになっている。

これは「電子掲示板」と呼べばいいのだろうか(現在ではネット掲示板と混同されそうだけど)。「デジタルサイネージ」の走りといったところ。通常はお得なきっぷなどの紹介、遅延運休発生時にはその告知をしていた。

この装置は表示方式がユニーク。「書いて消して消して書ける」というキャッチコピー(今は使ってない?)のタカラトミーの「せんせい」という磁気を使って文字や絵をかける玩具(磁石の粉が入った小さなカプセルが並んでいる)があるけれど、それを大きくしてコンピューターと接続したもの。液晶ディスプレイが高価で視野角が狭いなど未熟だった当時は、判読しやすく、表示内容を保持するのに電力がかからない(写真では照明は点灯している)メリットがあったのだろう。
なお、スコアボードやスポーツ試合での大型デジタル時計には、「磁気反転式」の表示装置が使われているが、それとは別。

1995年開学の秋田公立美術工芸短期大学(現・秋田公立美術大学)にも、弘前駅と同じくらいの大きさのものが2台あって、学生向けの情報(休講や呼び出し等)を伝える掲示板として使われていた。短大最後の年・2012年秋に撤去されたようだが、その年度までの学生には「マグメディア(パイロットの商品名? 現在は他社へ事業譲渡?)」として認知されていたようだ。
また、秋田テルサにも「マグメディア」があったものの、2012年の包括外部監査で使っていないことを指摘されている。
秋田駅にはなかったはず。弘前駅でも新駅舎へは継承されなかったはずで、美短と比べても短命だったようだ。


そして、2003年8月19日をもって3代目駅舎は役目を終えた。以下、2003年10月撮影。
3代目駅舎が解体されていた。これは南端?
工事中は、南側の現在駐車場になっているところに、仮駅舎が置かれた。
仮駅舎
リンゴポストも移設、「弘南鉄道」の表示あり。
仮駅舎改札口周辺。発車標は旧駅舎のものを移設したようだ
上の写真で改札内に見えている車両は弘南鉄道の電車。仮駅舎が南側にあることが分かる。

JRのホームそのものは、上屋以外は新旧駅舎で基本的に同じ。
1番線。線路寄りの一部を除いて屋根がなくなった。
写真の奥が南側・秋田方向なので、見えている跨線橋が、旧改札口右の弘南鉄道にもつながるもの。その奥右に仮駅舎の改札口があった。
この時は(おそらく2・3番線に着いた)列車を降りて改札口へ向かっているのだが、これまでならあまり利用者がいない、北側の跨線橋を渡って来て、1番線上をぞろぞろ歩いている。工事に伴い、9月1日から列車の停車位置が北(青森)側へ移動していたため、そのほうが近かったようだ。

掲示を抜粋。左が南・秋田方向。ピンク色が仮駅舎で、内部の配置が分かる
掲示の写真を見て思い出したが、弘南鉄道弘南線乗り場は、この工事でホームが新しくなったのだった。
JRと完全に分離され、弘南鉄道の弘前駅としての機能はすべて線路東側へ移った。


もう1つ、昔の弘前の話題をいずれまた
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少し昔の弘前のバス

2017-06-19 20:55:48 | 津軽のいろいろ
15年ほど前に撮影した弘前の写真がいくつかあり、今となっては懐かしいものが写っているので、何度かに分けてアップします。
当時のカメラの性能や腕のため、いい写真ではないものも多いですが、思い出と記録として。

今回は弘南バスの路線バス。
同社の路線バスでは、かつては貸切格下げ車も使われていたが、弘前に住んでいた1990年代後半頃からは、中型車や小型車が多数導入されるようになって、現在の体制になりつつあった。しかし、撮影した2000年代前半時点では、今ではほとんど存在しない、路線仕様の大型車も比較的残っていたようだ。
当時も珍しいと思って撮影した記憶はあるけれど、今は大型車に遭遇することすら難しい。

以下の3台は、いずれも新しい塗装で、中ドアがあり、側面の行き先表示器を撤去した痕跡があるので、いずれも他事業者の中古。正面の行き先表示の両脇や、側面表示器跡を、蛍光色のような緑色で埋めるのは、当時の弘南バスが好んでやっていた。
悔やまれるのは、ほぼ真正面からしか撮影していないこと。側面も写していれば、社番が分かって、年式や所属がはっきりするのだけど、当時は重要だと思っていなかった。
日野ブルーリボン「青森22 か11-86」2002年4月撮影
現在もブルーリボンがほそぼそと残っている(この記事中ほど)が、それは1989年製の横浜市営バスの中古。
これは、それとは別の車で、ヘッドライトの間が真っ黒なのが特徴的。元画像を拡大すると社番は「56113-5」か? とすれば1986年製造。都営バス辺りの中古かな??
「青森22」だから1999年春以前に転入してきたことになる。
社番からしても、行き先からしても、藤代車庫所属。


いすゞ+富士重工5Eボディ「青森22 か12-54」2003年7月撮影
1990年頃まで製造されていた、愛好家には人気がある古い富士重工の車体。個人的には、秋田では新車での導入事例はないのでなじみが薄く、古臭いデザインで好きじゃないけれど…
これの中型版の6Eボディは、5Eよりも5年ほど後まで製造されていたため、今でも散見され、弘南バスでもいくつか残っている(上と同じ記事ですがこの記事中ほど)はず。

秋田の中央交通では、中古導入の5Eボディの最後の1台が4年前に廃車になっているが、6Eボディはけっこう現存する。
中央交通の5Eは、川崎鶴見臨港バスの中古で窓枠が茶色だったが、この弘南バスのは窓枠が銀色。後輪のタイヤホイールが赤い。
狼森行きということは、弘前営業所所属だったのだろう。


最後は特に貴重。
三菱「青森22 か874」2002年10月撮影
エアロスターという車種名が付く前、1984年以前のモデル。
当時のバスはどのメーカーも同じようなものだったけれど、とりわけ三菱のはヘッドライト周りに凹凸があっていかついことから「ブルドッグ」と俗称される。
写真では前ドアが開いているが、その枠が幅広くてガラスが小さいのも、昔のバスならでは。取ってつけたようなバンパーも。
【20日追記】この後継車種が初代エアロスターなのだから、デザイン的には一気に時代が進んだ。

ネット上の情報によれば、これは神奈川中央交通の中古で、複数台在籍。1984(昭和59)年製、つまりエアロスターに代わる直前・最末期のブルドッグで、ギアはフィンガーシフト(レバーが床から生えていなくて、軽く操作できるもの)だったそうだ。
向かって右のヘッドライト上・ウインカー左に、黒い枠があるが、それが神奈川中央交通独特の、乗車ドア位置・運賃支払い方式の表示板を埋めた跡。

これらの所属は「弘前と藤代」だったとする情報もあるが、別の情報では「か874」は「35904-12」号車だったそうで、「-12」とは「高崎営業所」所属を意味する。その高崎営業所は1998年に廃止されている(駅の反対側・さくら野周辺?)。
撮影時は桜ヶ丘行きの表示だし、当時は車両配置があった桜ヶ丘案内所所属だろうか。
桜ヶ丘案内所は1998年までは高崎営業所の管理下だったそうで、その頃から桜ヶ丘線でよく見かけた記憶がある。弘前に住んでいた当時の桜ヶ丘線といえば、この車が、桔梗野十文字~樹木の狭い道をぐわんと走っていたイメージ。
一方、弘前営業所所属車が多く走る富田大通り経由では、この車はあまり見なかったかもしれない。乗ったこともない。


中央交通では三菱と取り引きがなかった頃で、中古車も来ていない。秋田市営バスにはワンロマ車など何台か在籍したものの、1990年代のうちにすべてなくなっていた。
後部もまた独特のデザインなのだけど、それは前部と比べてちょっと斬新な後のバスに通ずるスタイルで、好きだった。

この車は、正面の行き先表示の幕が横に細長い。秋田市営バスでは、現在と同じサイズの大きい幕の車もあったが、ワンロマ車は小さい幕でもっと左右の幅が狭かった。
それと、現在は「金属団地・桜ヶ丘線」として、全便が南高校・金属団地に立ち寄って桜ヶ丘へ向かう経路だが、この当時は、経由しない直行便があった。この車は「(桔梗野)桜ケ丘」という表示だから、直行便だろうか。【2022年3月1日追記】この時点では、金属団地を経由しない「桔梗野経由桜ヶ丘線」と桜ヶ丘へ行かずに金属団地で折り返す「桔梗野経由金属団地線」の2路線に分かれていたのだそうだ。2003年に統合。この記事も参照
現在の金属団地・桜ヶ丘線は1時間に2本程度(1時間来ない時間帯もある)になってしまったが、当時は本数はもっと多く、名実ともに主要路線だったものだ。

今にして思えば、弘南バスの現行塗装とブルドッグの組み合わせは意外だし、昭和50年代のバスが21世紀に走っていたのも不思議な感じ(当時は車齢20年未満だから不思議ではないのだけど)。
※ブルドッグと同じ頃製造のいすゞのバスについて。

以上3台、どの車両も、いつの間にか姿を消してしまった。


最後に、バス停の表示板を1つ。
「市立病院前」バス停。2002年4月撮影
土手町の通り側の循環バス用ではなく、病院の真ん前にある、ほとんどバスが通らないほうのポール。

1990年代後半時点では、ミニバス城南線の城南地区などと同じ背が低い四角いポールだったはずだが、ダルマ型に更新され、かつ表示板の書体が珍しかったので撮影した。
「弘南バス」の社名はステンシルテンプレート(型紙)を当てて、スプレーをかけたようだ。
バス停名は、ものすごく味があるというかなんというか。楷書とか行書とか分類できない、普通に筆をふるっては書けない文字。よほどの書の名人の作か、ハサミで切って作ったかのような文字。

このポール自体は、比較的新しくかつ少数。現在あるものは、社名表記は同じながら、バス停名は細い丸ゴシック体風の手書き文字の表示板。市立病院前も、現在は丸ゴシックになっている。
(再掲)「千畳敷」。「西弘前駅前」もこのタイプ

そういえば、市立病院の前に、「ひまわり号」だか「ひまわりバス」とかいう、旧塗装の路線バス(専属車両?)が停まっていたのを見たことがあった。
弘前市が関わる通院支援か何かのバスだと聞いたような気がするが、今はどうなっているだろうか。


バス以外の昔の弘前の写真は、いずれまた
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笑っせ さなづら

2017-06-14 23:42:15 | 各地お土産・食べ物
ヤマブドウ果汁を使った秋田のお菓子「さなづら」。
秋田市の菓子舗 榮太楼では、元々の板状のゼリーだけでなく、近年はいくつかの派生商品も発売している。(この記事この記事参照)
全部でいくつあるのか知らないけれど、新たなもの。
笑っせ さなづら
「笑っせ」は「わらっせ」かと思った(青森風の読み方?)ら、ローマ字で「wasse sanadura」とあるので「わっせ」と読むらしい。「ブッセ」の「ブ」を「ワ」に替えたということか。
「あきた和風ブッセ」というサブタイトル(?)もある。
裏面の表示は「笑っせ(さなづらジャム)」。【17日追記】「和生菓子」扱い。

さなづらを使ったブッセということらしい。
見かけはよくあるブッセ

中身
間にはさまれているのは、ゼリー状のさなづらそのものではなく、色は同じペースト状のもの。表示では「ジャム」となっているが、ジャムというよりペーストっぽい。

味は酸味が強くゼリーのさなづらによく似ている。ややねっちょりした食感であることも似ているし、皮とマッチする。
原材料名欄のペーストに相当しそうな部分は、「ジャム(杏、水飴、みかん)山葡萄液、寒天、みりん、」。みりんが意外。
オリジナルのゼリーのさなづらは、「ミックスジャム(水飴、杏、みかん、)山葡萄液、寒天、」となっていて、笑っせは他の派生商品よりも共通点が多い。


日本では、クリームとかジャムをはさんだブッセが各地に存在する。味の違いはあるにしても、個性が薄く、どこのものも大して違わないと思う。
でも、さなづらをブッセにするというのは他に例がないだろうし、元のお菓子の味を損なうことなくブッセにしているという点で、オリジナリティあふれるブッセだ。
秋田のおみやげとしておすすめできるけれど、賞味期限はさほど長くない(1週間か10日程度??)ようです。


公式サイトも含めて、ネット上に笑っせの情報は少ない。
2011年2月には既に存在したようで、新しい商品でもなさそう。
さなづらじゃない、別の何かをはさんだ笑っせがあるようにも受け取れる商品名や記載方法だけど、真相は不明。

惜しいのは商品名。せっかくの特長が分からず、そもそも読みにくいし覚えにくいしなんかピンとこない。
他の派生商品は「さなづら○○」という商品名なのだから、これも素直に「さなづらブッセ」にしたほうがいいのではないだろうか。
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駒込ピペットと秋田の関係

2017-06-12 23:56:10 | 秋田のいろいろ
中学校の時か。理科の時間に、実験器具の絵入り一覧表が配られた。名称や使い方が試験に出題されることもあり、あなどれないわけだけど、いろんな実験器具があって、僕は見るだけでも楽しかった。
その中で、名称が不思議だったものが2つ。
1つは「ペトリ皿」。ドイツ人の発明者の名前にちなんだそうだけど、当時は知るよしもなかった。ちなみに「シャーレ」と同じもの。

もう1つが、ゴム球【正しくは「ゴム帽」。追記参照】が付いたガラスのスポイトみたいな「こまごめピペット」。
一覧表では「こまごめ」とひらがな表記されており、何のことだか分からなかった。元は「細かい米を吸うため」の道具なんだろうかと想像を巡らせた。


後に、「駒込ピペット」と漢字表記すること、それは東京の地名であり、そこにあった「駒込病院」で開発された器具であることにちなむのを知った。
※駒込病院は明治時代のコレラ流行を受けて設立。現在も都立駒込病院として存続。

海外でも「Komagome pipette」で通用するらしい。僕がペトリ皿を不思議に思ったように、Komagomeに悩む外国人もいることだろう。
また、吉本興業の20歳代の女性(お笑いではない?)タレント2人が、「こまごめピペット」というユニットを組んでいるそうだ。ユニット名の由来は知らないけれど、言葉の響きのおもしろさもあって命名されたのだろう。


インターネットとは便利なもので、最近、駒込ピペットのさらなる由来を知った。
※Wikipediaやがん・感染症センター都立駒込病院ホームページ(http://www.cick.jp/referral/history.html)を参考にしました。
駒込ピペットは、駒込病院長だった二木謙三(ふたきけんぞう。1873~1966年)という細菌学者・医師が1920年代頃に考案したという。
病原菌を含む検体を扱う現場において、安価で使い捨てられ、容易かつ安全に操作できる、当時としては画期的な器具だったようだ。
その二木先生は控えめな方で、自分の名前などでなく、勤務先の名前を付けたという経緯。


さらに、二木先生は秋田市の出身なのだった!
生誕地は秋田市土手長町、現在の千秋明徳町、秋田中央警察署の辺りらしい。
秋田藩の御典医であった樋口家の二男で、土崎の二木家へ養子に出され、現在の秋田高校の前身・秋田尋常中学校を卒業。以後、山口を経て東京へ行って、駒込病院へ勤務した。


二木謙三氏の存在自体、僕をはじめ多くの秋田の人は知らないと思うが、彼の有名な駒込ピペットを、その秋田の人が発明というか考案していたとは驚いた。
※もちろん、二木謙三氏は細菌学・医学の分野でも多大な功績を残している。
駒込病院と秋田中央警察署前に駒込ピペットの石像を建てたり、駒込ピペットのゆるキャラを作ったりしたらいいかも?!



と言っておいてなんですが、以下、駒込ピペット自体のこと。
僕は中学校の理科の実験で使ったのを最後に、駒込ピペットにはお目にかかっていない。
2時間続きの理科の授業の合間の休み時間に、他のクラスの生徒が理科室に乱入して、駒込ピペットで水鉄砲遊びをやらかした(ゴム球の中に液体が入るからやってはいけない)くらいの思い出しかない。
そういえば、ピペットのガラス部分は、サイフォンの原理を使った専用の洗浄機で洗うのが一般的なのだけど、中学校ではそんなもの見たことがなかった【下の追記参照】。適当に洗ってたんだな。

駒込以外にもいろいろなピペットが存在するが、その多くは、液体の量を正確に計り取るために使われる。
駒込ピペットにも目盛りは付いているものの、実はさほど正確ではない。100年前はそれでよかったのかもしれないが、現在はそうもいかず、しかも使い捨てならプラスチック製のほうが安くて使いやすい。
おそらく、今は駒込ピペットは多くの研究分野で使われなくなっているのだろう。せいぜい、スポイトの代用程度か。
中学校の理科では今も使うようだけど、現在ではそれが駒込ピペットのいちばんの活躍の場所かもしれない。
【2020年6月16日追記・文部科学省 国立教育政策研究所の「理科ねっとわーく」サイトで「スポイト、こまごめピペット」の説明ページを見つけたので追記】
ゴムの部分は「ゴム帽」という名称。そう言えばそうだった!(下記、ホールピペットで使うものはまん丸で「ゴム球」と呼ぶ)
スポイトとの違いは「スポイトはこまごめピペットよりも小さく、目もりのないものが多」い。
小中学校での扱いを説明するサイトだが、「洗うときは、ゴム帽で水を出し入れして中の溶液を洗い流し、その後ゴム帽をガラス管から外して水洗いする。」とあり、洗浄装置は使わなくてもいいのか。
「プラスチック製は膨張するので誤差があるが、割れにくいので小学校での使用に向く。」ともある。材質を問わず、こまごめピペットで計量すること自体、正確ではないはずだけど。(以上追記)


僕は大学ではそれなりに実験を行う機会があったけれど、上記のような事情から駒込ピペットは一度も使わなかった。
お世話になったのは、長いガラス棒の中央だけ膨らんだ「ホールピペット」。
吸い上げるのには、オプションのゴム球もあるのだけど、有害な液体でなければ口で吸うことも多い。
したがって、うっかりすると口に液体が入ってしまうことがある。慣れない最初の頃と慣れてきた頃の2度ほど経験したけれど、おいしくはなかった。

時々は「マイクロピペット」も使った。メーカーの1つの商品名は「ピペットマン」。
チャッカマンみたいな形状のプラスチック製の物体で、ボタンを押すだけで規定量を吸い上げてくれるという、便利な道具。小容量を計り取る。
形状からしてカッコよくて憧れていたし、実際、とても便利だった。
先端の液体が入る部分はチップと呼ばれ、使い捨て。だから洗浄する必要もない。
でも、貧乏な研究室では、チップを洗って再利用していた。(液体の性質や研究分野によっては、再利用はわりと行われているようだ)

マイクロピペットの先端がフォーク状に分かれていて、同じ量を複数の容器に同時に計って注入できるものもあり(オボカタさんも使ってた)、これもカッコよかった(そして高価そう)けれど、使う機会はなかった。
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市役所前に謎のポール

2017-06-11 23:25:33 | 秋田のいろいろ
先日コメントで教えていただいた、県庁市役所前上り側(市役所側・秋田駅行き方向)バス停の変化。
昨2016年5月に、秋田市役所の庁舎が隣接地から移転したことにともない、バス停も移設。新しい待合所ができた。
しかし、当初はそのバス停名などの表示はなく、後に設置されたのも急ごしらえのもので、今年年明け頃になって、やっと本格的な表示板が設置されていた(この記事中ほど)。
それで安泰かと思っていたら、
これが置かれた
時刻表掲出枠がない、バス停名だけのダルマ型ポールが置かれていた。

ポールは、最近メインで新設される頭でっかちタイプではないものの、時々登場する背が高いタイプ。
台座や反射シール3か所付きの支柱は、新品かそれに近い新しいもの。表示板も新しそう。
表示板はローマ字あり、太丸ゴシック体

全体の構成も、表示板のデザインも、昨秋設置された泉八橋環状線の新規区間のうち、頭でっかちでないものが置かれたバス停のポールによく似ている。
でも、表示板の赤い面積が違う(八橋環状線は赤が狭く、市役所前のほうが一般的)。
ところで、八橋環状線区間も含めて、頭でっかちと背が高いタイプとで、反射材の位置が違う。
頭でっかちは上部1本・下部2本で、背が高いほうは逆になっている。意図しているのだろうか?


ポールの右側、上屋の柱の外側向きに、縦書きの「バス乗り場」の表示があった。これも前はなかった気がする。
ポールは、待合所の東・秋田駅側の端、屋根下ギリギリに置かれた。
中央の点字ブロックからは距離がある。

下り県庁側・上りの旧庁舎時代、さらにさかのぼって市営バス時代も、県庁市役所前停留所には上下ともポールがなかったので、初めてもしくはかなり久々にポールが置かれたことになろう。

壁面には立派な表示があるのに、どうしてわざわざポールを置いたのだろう。
以前も少し触れているが、この待合所は、
1.道路方向に長い上、屋根が深くて乗客とバス運転士が互いの存在に気付きづらい位置がある。
2.表示板ができたといっても、一見、単なる通路や自転車置き場のように見えなくもない。車道部分の切り欠き(バスベイ)は、位置的に自家用車の乗降場所や左折レーンの一部だと勘違いされなくもない。(「バス停」という路面標示があってもよさそうだが、ない)
という特徴というか欠点があると思う。
そのどれかを解消する意図があるのではないだろうか。すなわち、
1.ポールで場所を指定(置かれたのは死角にならない位置)することで、乗る客も止まるバスもそこへ誘導する(ただし点字ブロックと位置がズレており、戸惑うことがあるかもしれない。自衛隊入口のように)
2.見慣れた中央交通のポールを置くことで、一般車両にここがバス停であることを知らせ、停車や誤進入を防ぐ。
ということ。

そういえば、向かいの県庁前・下り側の待合所は、県も絡んで木材を使って昨年夏にリニューアルされた。
ところが、法令で定められたバス停への表示要件を満たしていないように見受けられてならなかったのだが、
現在も変化なし
むしろこっち側にポールを置くべきではないでしょうか。
3.本当は県庁側に置くことになっていたのに、手違いで市役所側に置かれてしまった。
ということもあったりして…
7月になって、やっと県庁前にも変化が。
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かりんとうが出演

2017-06-09 00:11:41 | 秋田のいろいろ
NHKの連続テレビ小説について。
あらかじめ断っておきますが、僕は元々ドラマ全般を見ないし、昨今のNHKのドラマへの力の入れ方には疑問を感じている。
NHK内の別番組にドラマ出演者がゲスト出演する“番宣”的番組のみならず、他局の番組(TBS「ぴったんこカン・カン」等)においても、誰もがそのドラマを見ている前提で話を進めるのには、嫌悪感すら覚える。
昔の「おしん」は大ブームになったけれど、現在のように他の番組で騒ぎ立てることはほとんどなく、自然発生的にブームが起きて広がったと思う。
今は、騒ぎ立てることで無理やりブームを作って視聴させようとしているように感じる。


6月6日付秋田魁新報 県央地域面に「朝ドラ登場のかりんとう!?/独特の形状、放送後話題に/五城目町 伊藤菓子店」が掲載された。
5日に放送されたNHKの連続テレビ小説「ひよっこ」の中で、円盤状(と記事では表記しているが、単なる板状では?)で渦巻き模様のものを、「秋田のかりんとうなんだって」「うめえな」と主人公らが食べるシーンが放送されたという。
五城目町の夫婦で営む菓子店が同じようなかりんとうを製造販売しており、放送後に購入場所の問い合わせ電話や、得意先から追加注文が入っているというニュース。
※秋田市のアトリオンの県産品プラザ、東京の秋田ふるさと館でも扱っているとのこと。

記事によれば、
五城目の店には、「ドラマ関係者から3月上旬に「劇中でかりんとうを使用したい」との申し出があった。どの場面で使用するかなどの説明は一切なかったという。その後、連絡はなく」、実際に放送されたことは視聴していた「友人の電話で初めて知った。」
ネット上ではこの店のかりんとうだと指摘する声があったそうだが、「NHKによると、劇中のかりんとうが同店のものかどうかは記録がないため分からないという。」
店のご主人(67)は喜んで張り切っているようだが、タイミング悪く「6日に白内障の手術をするといい、」一時休業。「追加注文には来週以降に対応したい」という。

NHKの対応が、傲慢に感じてしまう。
ろくに説明もせずに使用許可だけもらったのもなんだかなと思うが、了解をもらってそれっきりというのが冷たいし相手のことを考えていない。改めて「使わせていただいたシーンは、5日に放送します。ありがとうございました」ぐらいのあいさつがあってしかるべきだろう。
それがあれば、あらかじめ多めに生産したり、店主の手術日程を変更したりして、需要に応える(&より儲かる)こともできただろうに。

また、(おそらく魁の取材に対して)「記録がないため分からない」というのもおかしい。
何年も前のことならともかく、現在進行中の番組。経費を精算する必要もあるだろう。ほんとうに記録がないのなら問題だし、不正経理などの可能性もある。原資は受信料なんだし。
要は、「公共放送だから特定の企業や店の宣伝になることはできない」「ドラマというフィクションの中のこととしてとらえてほしい」ということなのだと思う。そこのところを上手にコメントできないものだろうか。

まあ、秋田の宣伝になったのならば、素直に喜ぶべきなんでしょうけれど。
もし、秋田がドラマの舞台になったら、ものすごい経済効果がもたらされるのだろう。それは否定できない。

前から述べている(この記事末尾)ように、個人的には、連続テレビ小説ベスト作品は「あぐり」。
ちょうど20年前のことになる。そういえば、その1997年は、ほかにもおもしろく見たドラマがあった。いずれまた。
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クリーンアップとリフレッシュインあきた

2017-06-08 00:02:23 | 昔のこと
前回の「雄物川流域一斉清掃」で思い出したのが「クリーンアップ」。
秋田市では、毎年春~初夏の日曜日に、市街地の旭川の護岸の下・水際まで人が下りるなどした大々的な一斉清掃活動が、恒例のイベントとして実施されていた。そのイベントの名称が「クリーンアップ」だったはず。
僕が子どもの頃には市民に定着していて、僕はこれでクリーンアップという言葉を知ったし、「(環境美化の)クリーンアップ」といえば旭川でやるものを連想する。参加したことはないですが…

でも、近年はやったという話を見聞きしない。
北都銀行の行員や関係者が似たようなことをやっているのが報道されるけれど、それは北都銀行独自の行事だから違うだろう。

過去の「広報あきた」などで調べた。
まず、正式名称は「クリーンアップ作戦」。「作戦」が付くとは、今まで知らなかった。
1971年に「旭川クリーンアップ作戦」として始まり、その後(遅くとも1979年)旭川以外の市内のいくつかの河川、公園、海岸にも対象を拡大し「クリーンアップ作戦」として続けられた。
言い出しっぺは秋田青年会議所だったようだが、後に(遅くとも1976年)市民憲章推進協議会、町内会、婦人会なども加わった実行委員会を組織。
なお、「クリーンアップ作戦」は全国各地で行われているが、開催地どうしの横のつながりは、別段ないのだろう。秋田で始まった頃は、時期的に「スパイ大作戦」の影響だろうか?

秋田市役所は主催など直接的には関わらなかったのが意外。もちろんゴミ回収では市が関わらないとならなかっただろう。なお、旭川など雄物川の支流の管轄は、秋田県。


第2回である1971年は5月7日に開催されていたが、遅くとも1976年には6月開催になり、以降、6月第1日曜日で定着。
少なくとも1972年や1998年には、当日早朝に決行を知らせるのろしを打ち上げていた。運動会のように。

1984年には3万5千人が参加。【2018年6月2日追記】20周年の1991年6月2日も3万5千人が参加したらしい。
初期~1980年代頃には、クリーンアップ終了後に、千秋公園などで写生大会、フォークダンスやゲームといったレクリェーション、茶会などのイベントが開催された。
旭川にコイを放流したのも、クリーンアップの一環だったようだ。

クリーンアップ開始10周年を記念して1981年からは、秋田青年会議所が毎年4月に旭川上流でサケの稚魚の放流も実施。

上記の通り秋田市は主催者ではないが、1990年代までは、広報あきたでクリーンアップの実施を告知していた。トップ記事だったり、ほぼ1面全面を使ったり、大きく扱うことが多かった。
ところが、1999年辺りからは、広報の告知が見当たらなくなる。
ネット上では、2002年にはクリーンアップが開催されていたようなページが存在するが、それ以降は不明。
クリーンアップ作戦はフェードアウトしていったということだろうか。

サケ稚魚の放流は現在も行われており、報道されることがある。
また、現在、6月始めに千秋公園で流派を越えた野点「千秋茶会」が開催されている。今年は6月4日開催で悪天候だったため、秋田市文化会館内で実施したとのこと。
千秋茶会は1979年に始まったそうだが、これって、もしかしたらクリーンアップ後の茶会が、独立して今も続いているということなんだろうか。【2018年5月26日追記】2018年5月26日付秋田魁新報に、40周年に当たっての茶会実行委員会会長へのインタビューが掲載。茶会が始まった経緯についての話の中では、クリーンアップうんぬんは出てこない。単に県内の流派合同茶会が企画されたがふさわしい建物がなく、野だてになったのが今も続いているとのこと。(←表向きの理由であって、実際にはクリーンアップもからんでいたのかもしれないけれど…)

前回の通り、2009年からは「雄物川流域一斉清掃」が、(かつての?)クリーンアップと同じ日に実施されている。
主催者は違うけれど、クリーンアップ作戦の流れを汲んだイベントということなんだろうか?
旭川のほうは、昔に比べればきれいになって、大々的に掃除する必要もなくなったのか。
6月6日の旭川・五丁目橋上流側。水かさは通常よりちょっと多い程度まで減った
ゴミは少ないけれど草が伸びているのが気になる。これは道路管理者である県の仕事なんだろうけど、ボランティアでなんとかできそうでもある。
【19日追記】忘れていたけれど、この道では、おそらく個人でボランティアとして掃除や草刈りをされている方がいらして、上の写真の草も、6月中旬には刈られていた。ボランティアがもっと広がってもいいとも思うが、道路管理者はそれに任せきりでいいのかとも思ってしまう。




一方、「クリーンアップ作戦」とどこか混同しがちなものが、もう1つあった。
「春に市内一斉で町内ごとに掃除する」ヤツ。名称は変遷があるので、後述。
僕が子どもの頃は、自動車の冬タイヤとしてスパイクタイヤが使われていたため、雪融け後には、舗装が削られた粉じんが道端で真っ黒くなっていた。雪に隠れていたゴミとともに、それを一掃するものだったのだろう。【8日補足・スパイクタイヤは1991年春から使用禁止となった】

遅くとも1981年には始まっていたが、当時は「全市一斉清掃運動期間」として、数週間の期間内に清掃することになっていた。末期には、市内を4ブロックに分けて、3月末~4月の日~火曜の3日間ずつを割り当て、トータル4週間かけていたようだ。回収や処理の都合か。
市民憲章推進協議会と市の主催。

秋田市制100周年の前年である1988年からは、「全市一斉清掃」として全市で同じ4月の日曜日の午前に行うことになった。「リフレッシュ・インあきた」が合言葉。
初回は4月10日で、やはりのろしが打ち上げられた。

以降、4月の第2日曜日で定着し、1992年から1998年頃までは、一斉清掃の名称というか愛称を「リフレッシュ・インあきた」としていた。
2000年代になると、第3日曜日に繰り下げられる年も出てきて、現在では「毎年4月第3日曜日に」といつの間にか1週間遅くなってしまった。
同様に2000年代には「リフレッシュ・インあきた」の名が聞かれなくなるが、2006年辺りからは「春の全市一斉清掃(あきた・ビューティフル・サンデー)」という、別の呼び名が出てくる。

この日程とビューティフルサンデーは、秋田県が関係してくる。
あきたビューティフルサンデー」とは、秋田県が2002年から全市町村に呼びかけている、雪融け時期の一斉清掃のこと。初期は4月第2日曜で、現在は第3日曜だが、雪の状況等により別の日に行う市町村もある。
秋田市では、意義も日程も、前から独自にやっていたものと同じなので、単に愛称が付いた(変わった)だけの形。

ビューティフルサンデー自体の実施日が第2第3日曜をうろうろしている。
これは、秋田県知事選挙の影響だろう。選挙期間中~投票日と重ならないようにしたと思われる。

2017年もあきたビューティフルサンデーは実施されたが、秋田市の広報ではその表記はない(2015年から)。
しかも、県のホームページでは秋田市は「春の一斉クリーンアップ」を行うとしているが、実際には「全市一斉清掃」である。


全市一斉清掃の主催者は、上記の通り、「~期間」だった頃は秋田市と市民憲章推進協議会が主催し、同一日実施になってからもそうだった。広報では2003年まで確認。
2005年からは、市と市民憲章推進協議会の名を出さない、何かあいまいな表記になっていた。「町内で力を合わせて(2005年)」とか「町内のみなさんで(2016年)」とか。【8日追記】2005年には雄和町と河辺町が秋田市に合併している。旧両町だった地域への配慮があるのかもしれない。
今年は「各町内会が主体となり、毎年4月第3日曜日に~」かつ「実施の有無は各町内会で決定し」という記述が登場。
実際には何年か前からやるかやらないかはご自由にという感じだったけれど、それが公式に認められたということか。
街がきれいになったということもあるかもしれないけれど、日曜日は誰でもヒマなわけではなく、参加できるほどの人がいなくなったり、それぞれ事情がある町内・家庭が増えたということだろう。


まとめると、
6月は「クリーンアップ作戦(現在の実施は不明)」と「雄物川流域一斉清掃」。
4月は「あきたビューティフルサンデー」の1つである「全市一斉清掃」で、(昔の)愛称は「リフレッシュ・インあきた」。

【2021年2月25日追記】2021年度から、秋田市の「全市一斉清掃」が「春の清掃月間」に変わる。ホームページで「例年実施している全市一斉清掃について、令和3年度は各町内会の実情に応じて清掃活動を行えるよう、実施期間を4月の1か月間とすることといたします。」と告知。
4月1日から30日の間で、やりたい町内はやってください。出たゴミは市が集めます。という形。
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ずっと雨

2017-06-06 00:08:31 | 秋田の季節・風景
梅雨入り前なのに秋田市は6月1日から5日午前まで、ほぼずっと雨降り。アメダスのデータでは総計61.5ミリの降水。
風はあまり強くなく、雷やゲリラ豪雨のようなものもなく、三日三晩以上、しとしとと降り続けた印象。我が家の庭では、乾燥状態で眠っていたカタツムリたちが活動再開し、大量発生した。
3日以降は最高気温が10度台前半と4月並みで寒かった。
6月3日の二丁目橋付近。奥が上流
中心部を流れる旭川の水量も、年に何度かある大雨レベルまで水位が上がり、流れは早くなった。
「中島(指定)」水位観測所では、穏やかに増えて、穏やかに減っている。3日23時の1.96メートルがピーク。
水は濁ってはいるものの、ピークを過ぎてからは茶色い濁流ではなく、普段の雄物川中流部みたいな深い緑色の水だった。
6月4日の保戸野新橋・鑑の松。左奥は千秋公園。手前が上流
上の2つの写真は、いずれも中島(指定)観測所の近くで、ピークより30センチほど水位が低い状態。ピーク前後で水の色が違う。

さて、5月31日以降、秋田市のホームページや魁新報の秋田市広報板欄で、こんな告知がされた。
秋田市ホームページより
2009年から、国土交通省、県、流域8市町村が連携して、住民に参加を呼びかけて実施している、「雄物川流域一斉清掃」。
「一斉」の意味は、「8市町村が同時に」ということではなく、「それぞれの市町村ごとに(その自治体内で)同時に」ということらしい。
秋田市の場合、5月最後の日曜日の朝に、茨島の羽越本線の橋から秋田大橋の間で行われていた。保険の関係で事前申し込みが必要。近年は400~500人が参加している。
9回目の今年は、6月4日。5月28日は同じ場所で「雄物川総合水防演習」が開催されたので、遅れたのだろうか。

ところが、開催4日前になって、それが中止。
秋田市では「諸般の事情により中止」としか説明していない。
悪天候を見越したのかもしれないが、仮にそうだとしたら明確に「悪天候が予想されるため中止」とするだろう。※要項では「小雨決行」。
なんか不可解。
結果的にはあの雨の中でやらなくて正解だったけれど、気になる。
6月5日の雄物川・雄物新橋上流。左奥は大森山
雄物川はほんとうに増水した時は、広い河川敷まで水につかるが、今回はそうならなかったようで、草が青々と茂っていた。【6日追記】水の量や速さも、旭川ほど極端な変化はなかったようだ。旭川は雄物川水系ではあるが、源流は離れているし、写真の雄物川本流部分とは直接つながっていない。

続きというか思い出した関連した内容
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秋田駅前小変化

2017-06-01 23:48:15 | 秋田の季節・風景
秋田駅西口の変化の続き。※前回は4月25日
まず、フォーラスからオーパへの改修工事。
前回は正面(南面)の1~2階部分だけが白いもので囲われていたが、5月中旬以降、
5月24日
徐々に上も囲われた。
6月1日
気がつけば、壁はすっぽり覆われてしまった。屋上の「FORUS」はそのまま。
アルス側東面はグレーのもので覆われているが、西面と北面は覆われていない。【5日追記】この週末には、西面の一部が白いシートで覆われていた。
白いパネルは微妙に色合いが異なる
正面の歩道沿いには、

ちょっとしたイラストと「秋田オーパ今秋オープン/ふるさとで働きませんか?」と表示された。
店舗名は「秋田オーパ」になるのではないかと予想していたが、ここにそう表示されたということは、それで決定しているということだろうか。「働きませんか?」の具体的な内容は不明。

※この後、6月11日の週末(16日頃)までに、屋上の「FORUS」のサイン部分にも足場が組まれ始めた。
続きはこちら


ここで2014年11月の続き。
フォーラスの西隣の秋田駅前ビルが道路建設にともない解体されたため、そこにあったローソン秋田駅西口店が、道路をはさんでさらに西隣の「三宅ビル」1階にローソン秋田駅西店(西“口”ではない)として、実質移転した。
5月の連休明け頃、変化があった。
遠くからの写真で恐縮です
以前は、広小路に面したビル南面だけがローソンだったのが、駅寄りの東面もローソンになっている。
中に入っていないので詳細は不明だが、店舗を拡大し、イートインスペースを設置、薬と「マチの本屋さん」も始めたようだ。秋田市内のローソンでは薬は3店舗目、書籍は唯一。
この記事に近くで撮影した写真があります
(再掲)ローソン移転直前の三宅ビル
店舗が広がった部分には、居酒屋「日本海庄や 秋田駅前店」があったのが、閉店した。これにより、日本海庄や以外のブランドも含めて、株式会社大庄が経営する「庄やグループ」の店舗は、秋田県内からはなくなった。ここの日本海庄やは、おそらく2003年頃にオープンしていたはず。
【10月9日追記】上の日本海庄や当時の写真で、ビル角・進入禁止の道路標識がある付近、かつて日本海庄やの出入口(広小路に面する)だったところには、新たにローソンのドアが設けられ、入口専用扱いになっている。従来からローソンだった柱より左側の広い部分は、出入口として使用。従来は広小路から見て右側(駅寄り)にレジがあったが、リニューアル後は左側に移動している模様。


再び4月25日の続き。
フォーラス向かいの「エスポワール緑屋(旧称・緑屋ビル)」6階から、近くの「フォンテAKITA」地階へ移転した「アニメイト秋田」。
食品スーパー「ザ・ガーデン自由が丘西武」のすぐ隣というユニークな立地になった。
ガーデンとの間には簡易な壁が設けられ、互いに見えない造りになっていた。【5日追記】壁の上部は空いており、向こう側の音は聞こえてくる。

フォンテの1階は、小さい出入り口もいくつかある。その1つ、シースルーエレベーターの南側、タクシー乗り場前にある、階段に直接出入りできるところは、
ガラスにアニメイトの表示が設置された
あたかもアニメイト専用出入口かのようだが、階段なのでここから他のフロア・テナントへ行くこともできるし、他の出入口からアニメイトに行くこともできる。
アニメイトにいちばん近い外部との出入口ということでしょう。
なお、エスカレーターで地階へ下りた場合は、アニメイトと反対側へ出るので、ガーデンかフードコートを通り抜けることになる。
コメント (7)
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