広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

ザ・ガーデン秋田店 閉店

2021-02-27 19:14:43 | 秋田のいろいろ
秋田駅前(西口)の、かつてイトーヨーカドー秋田店が入っていた「フォンテAKITA」地階の食品スーパー「ザ・ガーデン自由が丘西武秋田店」が、2月28日で閉店する。今回は、ガーデンの思い出など。以下、「ガーデン」と略す場合があります。
閉店は2019年秋に早めに告知。空いた食品売り場は改装して、5月以降【3月2日追記・3月2日の魁では「4月下旬」】に地元スーパー「ナイス」が入ることが決まっている。従業員募集告知では、店舗名は「ナイス フォンテAKITA店」とされている。

フォンテ西側入口のひさしのロゴ。「SEIBU」が入るのが特徴
西武秋田店はフォンテの隣のビルで地下通路でつながってはいる。ガーデンは西武秋田店としては飛び地の売り場。
レジで貼られるテープは、他店と共通らしくSEIBUなし
ガーデン秋田店のこれまでは、上記2019年の記事参照。
簡単にまとまると、2010年12月に新規進出・オープン。その時点以降現在まで、関東地方以外では唯一の飛び地のガーデンであった(過去には滋賀県大津にあったが撤退済み)。
当初は、関東地方と同じ、西武傘下「シェルガーデン」運営だったのが、2013年9月に秋田店だけ西武本体へ移管された。(今のシェルガーデン公式サイトの店舗一覧では、秋田店はもう見当たらない。)
若干の売り場縮小(アニメイト進出)を経て、現在に至る。

「西武」を名乗り、運営も西武直営ながら、場所は隣の建物、しかも西武自体にも食品売り場がある。
2019年には、同じフォンテの1階にセブン-イレブンができて、セブン系どうしの競合も発生していた。いろんな意味で特殊な環境の店であった。
フォンテ西側・買物広場バス停寄りの小さい出入口
ガーデンの看板は建物のあちこちにあったが、このようなひさしタイプはここだけ。実質的にここがガーデンとしての正面玄関だったのだろうか。入って左側の階段を下りないといけない。
その玄関の上や周りは、3色ライン&レンガ模様のセブン-イレブン仕様になっていて、まるでコンビニの中にスーパーがあるような、なんとも不思議な光景でもある。実際のセブンの店舗は右側の専用ドアから右方向。
セブンの3色帯は、店でない左側・大屋根下の北面にも侵略している

そんな事情と状況で、秋田店はザ・ガーデン自由が丘としては“ガラパゴス化”していたとも言える。
そもそも、店名の「西武」の位置づけというか区切り方が、最後までどうもよく分からなかった。
冒頭の写真のロゴ、それに下に写真があるレシートを見ても分かる通り、「ザ・ガーデン自由が丘 の 西武秋田店」ではなく、「ザ・ガーデン自由が丘・西武 の 秋田店」ということらしい。でも、チェーンとしては「ザ・ガーデン自由が丘」なんだし、「ザ・ガーデン自由が丘・西武」でほかに○○店があるわけではない。西武秋田店との密接さを示したかったのだろうけど取ってつけたような。

あとは「カレンダークーポン」。
毎月25日に買い物した人に、翌月の1枚ものカレンダーを配る。その裏面は、翌々月(=カレンダーとして使った後)に使えるクーポン券。クーポン券は、当該月の各週の日曜から土曜まで(月初・月末は月をまたぐ場合あり)使える券が5枚ずつ(その月の週×5枚)の構成。ザ・ガーデン全店舗で有効で、1枚で1点だけ10%引きになる(セブンプレミアムや見切り品等は対象外)。
ただし、1回の会計につき1枚しか使えない。つまり1週間に5回買い物に来てねという意図。

ところが秋田店では、1会計で5枚まで使うことができた。毎週1度で使い切ることができる。おそらく、シェルガーデン運営時代からそうだったかと思う。
客としては融通が利くありがたい配慮ではある。ただ、そのことが明確に告知されていなかった。店内の掲示などもなし。
僕は最初知らなくて、律儀に1枚ずつ使っていた(そして使い切れずに余していた)。レジの前に並んでいる人が、当然のようにまとめて出して、問題なく割り引いてもらっているのを見て、「これってもしかして…」と気づいた。ほかにも、教えたら同様に「もっと早く教えてよ!」と言った人もいた。知っている人だけ得するというのは、不公平。


他のガーデンがどうなのかは知らないが、イトーヨーカドーの雰囲気をかすかに残すスーパーでもあった。イトーヨーカドー秋田店の忘れ形見のようにも感じられた。
秋田店がなくなることで、イトーヨーカドー時代から続いた、セブン&アイ系列のスーパーマーケットが、秋田からなくなることになる。といっても地下食品売り場がヨーカドー直営になったのは、2001年頃(それ以前は地元スーパー「なかよし」)のようなので、20年間程度だけど。
となると、もう買えなくなる商品もある。
まずは、プライベートブランド、セブンプレミアム商品の一部。スーパーだからなのか、売り場が広いからなのか、コンビニのセブン-イレブンでは扱わない商品も、いろいろと売っていた。

そのほかに“隠れプライベートブランド商品”もそこそこあるようだ。セブンロゴなどなく、ナショナルブランド商品の見た目なのに、セブン系スーパーでしか扱わない商品。アイス類なんかで「ファミリーマート限定味」とかあるけれど、それに近いのかもしれない。
元雪印食品だった「銀河フーズ」のソーセージとか、今はなくなったようだが、3食入りの「マルちゃんの生ラーメン」も、数年前は他チェーンで販売される商品とそっくりの見た目なのに、バーコードや細部がわずかに違っていた。

たまにお世話になったのが、安い「成分調整牛乳」。※ここでは一定の範囲内で脂肪分を抜いて「薄くした」牛乳のこと。何かを加えてはいないし、低脂肪乳ほど薄くはない。
2013年に記事にしていたように、その頃まではセブンプレミアムの「軽やか仕立て(高梨乳業横浜工場製)」という成分調整牛乳を売っていた。
ちょうどその後頃からこれを見なくなって、代わりに置かれた(他のイトーヨーカドーなどでも同様らしい)のが、
タカナシ 北海道さわやか酪農
「牧場」とかならともかく「酪農」という“産業の種類”に「さわやか」を付けてしまうネーミングが、なんかおもしろい。
北海道というのは原料の産地ということらしく、高梨乳業横浜工場製。

秋田の他の店では、そもそもタカナシの牛乳をほとんど見ないから、こういう商品もあるんだなと思いつつ、レシートを見れば、
「7I タカナシ ホッカイドウラクノ」頭に3ケタ数字が入るのも、ヨーカドー風
POSでは、「7I」とセブン限定を示唆する商品名(ラーメンなど他商品ではそうでないはず)が入っていた。
ネットを調べたら、さわやか酪農の情報が多くない。一部で、ヨーカドーやヨークベニマル限定との情報があった。
タカナシでは「北海道さわやか家族」という成分調整牛乳を、販売店制限なしに作っているそうで、それと成分などは酷似(あるいは同一?)しているとのこと。パッケージも似ている。
なんでか知らないけれど、軽やか仕立ての代わりとして、セブンの名を前に出さずに、さわやか酪農を作ってもらっているようだ。
ほかにも、秋田では扱い店が少ないと思われる、タカナシやよつ葉乳業の製品を、ヨーカドー→ガーデンではわりと扱っていた。


あと以前から気になっていた商品。秋田ではとても珍しいはず。思い切って買った。
大館の花善の鶏めしの隣が売り場(鶏めしは、後継のナイスでも扱うはずだし、西武や秋田駅にもある)。
たなかの柿の葉すし
奈良名物柿の葉寿司。五條市の「柿の葉すし本舗たなか」はその大手の1つ。正式な駅弁ではなさそうだけど近鉄の駅売店でも扱っていて、東京の百貨店や駅弁屋祭でも購入できる。
どういうわけか、それがザ・ガーデン秋田店で恒常的に売られていた。紙箱7個入りの「さば・さけ」と「さば」の2種(デザインが同じで区別しづらい。写真はさばオンリー)。毎日入荷ではないようで、売り切れだったり、見切り品になっていたりする時もあったが。
なお、先日、秋田のスーパー「マルダイ」の駅弁祭りのチラシにあった柿の葉寿司は、別メーカーだった。
高校の修学旅行で、奈良公園の中の店(? 今調べたけど、詳細不明)で柿の葉寿司を食べたのが、最初。量が多めで時間がなくて急いで食べたけど、おいしかった記憶。その後、ずっと食べてなかったような気がする。高いけどやっぱりおいしい。
【2023年4月10日追記・上野駅などのザ・ガーデンでは、各地の駅弁を常時販売している。そのおこぼれが、秋田へ来ていたということかもしれない。】


イオン秋田中央店の進藤水産(過去の記事)のように、ガーデン秋田店でも食品売り場内の一部のコーナーを、直営でなくテナントが担当していた。会計は他とまとめてする方式。
青果は「南国屋」(卸会社「松紀」系列)、精肉や惣菜(の一部?)は「伊藤ハムフードソリューション」。【3月2日追記・いただいたコメントによれば、シェルガーデンから西武へ移管された時からテナント化されたとのこと。】
これらは、ヨーカドーではなく、西武秋田店とのつながりかと思う。西武本体の地階にも、それぞれ出店している。ナイスになると、フォンテからは撤退ということになるか?



2月早々に、セブンプレミアムと生鮮食品などを除き、全品20%引きになり、徐々に棚の空きが増えていった。いつの間にか30%引きになり、今日時点では、生鮮やパン以外のほとんどの売り場はスカスカだった。のわりにはけっこう客がいたような。早くも改装業者(とナイスの人?)が下見にも来ていたようだ。
長かったのか短かったのか、10年間、秋田駅周辺の数少ないスーパーとして、周辺住民、勤務者、JR・バス利用者や旅行客に、広く親しまれた店だった。改装中の買い物難民が少し心配。市街地へは初進出となるナイスに期待。

続きはこの記事後半
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県道照明シール

2021-02-24 23:31:25 | 秋田のいろいろ
今年2021年の年明け(あるいは2020年末)、秋田市中央地区で、こんなシールを見かけるようになった。
竿燈大通りの緑色の柱(信号機と竿燈風街路灯=関連記事

通町(東側)の行灯風街路灯
ハガキを横にしたくらいの白いシール。

手形陸橋手形側の通りの街路灯

いずれも「管理番号」として数字が振られ、「照明灯に異常があった時には、管理番号をお知らせ下さい。」、フリーダイヤルの電話番号。
そして「東京センチュリー株式会社/秋田地域振興局建設部」。

「東京センチュリー株式会社」は、旧第一勧銀系、伊藤忠商事系列の大手リース会社。秋田市のメガソーラーも、ここ所有のを借りているらしい。
「秋田地域振興局建設部」とは、秋田県庁の秋田県中央地域の道路管理などを行う出先機関。
シールの意義はちょっと置いておいて。以前の繰り返しの、秋田県庁に対する苦言。
「秋田地域振興局」だけ示されて、それが県の機関だと認識する一般県民がどれほどいるだろうか。今回の書き方では「東京センチュリー株式会社」なる会社の出先で「秋田地域振興局~」があるように見えなくもない。「(秋田)県」の文字、あるいは県章でも入れるべきである。
3年前、道路工事の看板で同様のことを県庁へ指摘し、「随時表示していく」という回答をいただいたのに、このありさま(道路工事看板でも、「県」が抜けているのが今でも新設され続けている)。今回はまったくの新規事業なのだから、「随時」でなく即時できるはずなのに。やる気がないようだ。

秋田県道(全域なのか、秋田地域振興局管内なのか)の照明に限定した保守管理業務が、県から東京センチュリーへ一括して委託されたようだ。その一環で、故障などを見つけた人からの通報を受け付けやすくするために、シールを貼ったのだろう。
秋田市の防犯灯では、2012年から10年契約で保守を委託している(これは灯具に管理番号のみ表示)が、それと似たような仕組みだろう。

竿燈大通りや手形の通りでは、すべての照明柱にシールが貼付されている。貼るのも楽ではなかっただろう(曲がったりずれたりはなさそうで丁寧な仕事)し、はがす時も大変そう… 有楽町~土手長町通りも同様で、先立って1本1本の地際の点検蓋を開けて、何かの電気工事的な作業が行われていた。
連続した照明がない道路では、ピンポイントで交差点にだけ設置される照明に貼ってあった。
しかし、通町では、県道区間でも貼られていない柱もあると思うけど、残りの柱の管理はどうなるの【3月17日追記・後述のように道路ごとに、車道と歩道に対するシール貼付の向きが決まっているが、通町では向きが混在していた。照明が箱型であることもあって、シールがない面からはその存在がまったく分からない。】。※西側・大工町は、照明は同型ながら秋田市道なので、対象外でシールはまったくない。


何度か指摘したように、秋田県道の道路管理体制は、いいとは言えない。「そこが県道であること」が分かりづらい上、不具合を発見しても連絡先が分かりづらいのが問題点。
そんな中、照明限定ながら、このシールがあればだいぶよくなる。

シールが貼られた向きは、通町や竿燈大通りは、歩道側。
手形では車道側。歩道からは車道側に身を乗り出さないと、判読できない。
車に乗っていて、照明の不具合に気づき、わざわざ停めてシールを見て連絡する人っているものだろうか。こういうのは、近隣住民や通行人が頼りになるはずで、歩道から見やすい位置に貼ったほうがいいと思う。
※この点を秋田県へ指摘したところ、2021年秋に歩道向きにもシールを貼ってくれ、「秋田県」も表記。

8ケタの管理番号の法則。
確認したものは、いずれも「4-1xxx-xxx」と4-1で始まっている。秋田地域振興局管内を意味するのか、秋田市所在を意味するのか。【4月1日追記・「4」は秋田地域振興局を意味するようだ。下の続き記事参照】
1に続く3ケタは、県道番号だ。竿燈大通り(山王大通り)は26号で026、通町は233号、手形は28号と一致する。
ハイフンの後、最後の3ケタは、道路(もしくは区間)内での1本ごとの識別番号。手形の通りの場合、車線に関わらず、西から東に向かって増えていく。
長距離の県道では、1000本以上照明があるようなことはないだろうか? そういう時は、4か1の部分が繰り上がったりするのか?
【26日追記】有楽町のさらに南側の区間、古川添交差点方向にも設置されていた。ここは手形と同じ28号。古川添交差点から、車線に関係なく番号が増えていく。26号は竿燈大通りは二丁目橋から西に向かって増えていく。つまり、各県道の「起点」側から数字が進むようだ。
秋田市外の番号などについて続編はこの記事後半(以上追記)


実はこれまでも、照明の個別番号らしきものはなくはなかった。秋田県道でも秋田市道でも。ただ、どちらも気まぐれで、表示がないほうが多く、あまり意味がなさそう。
秋田市道では「秋田市」と縦書きした下に、小さく4ケタくらいの数字。道路だけでなく公園でも見かける。
秋田県道では、
手形の一部にはあった
これはちゃんと「秋田県」と「(主)秋田岩見船岡線」の路線名も表記。4-5-2ケタの仰々しい数字。今回の管理番号との関連性はなさそう。

道路を安全に大事に長く使い続けるために、利用者の目をもっと活用するべきだ。秋田県に限らず、柵や路面の穴でも、通報しやすい体制を構築してほしい。
コメント (2)
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神田線 平成史

2021-02-23 17:44:06 | 秋田市営バス
2019年秋で廃止された、秋田市の秋田駅西口と土崎駅前を、外旭川地区を経由して結ぶ路線バス「神田土崎線」。
秋田駅と外旭川の間は、「神田旭野(団地)線」が多数走っているので、実質的にこの時の廃止とは、外旭川病院前~土崎駅の区間をバスが走らなくなること。「神田土崎線」という「路線」扱いするべきなのか、神田線の1つの「系統」扱いするべきなのか難しいところ。
個人的には、「神田線」と大きくくくるべきであって、土崎線は系統レベルかとは思う。しかし、1954年の運行開始時は、この系統しかなかったはずであり、元祖で本家の神田線という意味では、軽視したくもない。
2年前に経路や廃止直前のダイヤを記事にしたが、今回は遅ればせながら、記憶と資料が手元にある、昭和末から廃止までの(平成の30年間が中心)歴史を振り返ってみる。

ここでは、元祖神田線である土崎線と、現在の主系統である旭野団地線を主に取り上げる。
そのため、現在はマイタウンバス化された「笹岡線」については触れないことにするが、1988年春から2011年3月まで、神田線の1系統「神田笹岡線」として秋田駅まで来ていた(それ以前とマイタウンバス化後は、外旭川地内~笹岡~土崎方面で運行)。泉外旭川駅開業によって、変化があるのだが、開業後にまた。

略図。赤い線(実線も点線も)が神田土崎線の経路。一方通行や直接関係しない路線・系統は省略

神田線の運行開始は、1954(昭和29)年1月らしい。当時は外旭川村で、同年10月に秋田市に合併されている。当時は、秋田と土崎の直接の行き来には市電があったし、外旭川は農村だったから、外旭川止まりの系統はなく、秋田と土崎(すでに秋田市と合併済み)の2つの町と外旭川を結ぶ路線だったのではないだろうか。
昭和40、50年代になると、外旭川地区の宅地化が進み、対秋田駅方面の需要が増えて、外旭川止まりの系統ができたのだと推測する。
【24日追記】神田線沿線には、秋田大学教育文化学部附属学校(原の町~保戸野八丁)以外には、児童生徒の多くが通学にバスを利用する高校のような学校はない。したがって、乗客に占める沿線在住の住民の割合が高い路線だと思う。そんな性格の路線において、これほどの本数があるのは秋田市では珍しいのではないだろうか。


まずは昭和末以降の(記録でなく)記憶をたどる。
・初代バスロケーションシステムの接近表示器(1981年12月運用開始?)には、土崎行き、卸売市場経由土崎行き、卸売市場行き、さらに八柳二区(現・八柳三丁目)行き、それぞれにランプがあったか。
・1983~1984年頃に見られた方向幕(行き先表示。旧型表示器は内容が異なったので、新しい大型の表示器)は、「神田・土崎」「卸売市場 神田・土崎」「神田・卸売市場」。八柳二区行きなどほかの幕は見たことがなかった。
卸売市場経由の方向幕のイメージ ※書体やバランスは実物と異なる
・その後、1986~1988年辺りになると卸売市場行きに代わって「神田・旭野団地」が登場。バスロケ表示は機器更新まで変更されなかったはず(卸売市場行きのランプで代用?)。
また、それと同時期か少し後、全路線で方向幕の内容を見直したタイミングだと思うが、「神田・土崎」が「神田・土崎駅」に変更。
末期の「神田.土崎駅」(以前の掲載写真の別カット)。休日朝で誰も乗ってない。2002年9月
以前記事にしたように、秋田市営バスでは、同サイズの方向幕でも、文字の区切りや割り付けに少なくとも2種のバリエーションがあった。廃車の流用や途中での交換もあったようで、同じ車でもいつの間にか変わっていることもあった。
これは「神 田・土崎駅」。夕方便なので乗客は多い。2002年8月
土崎発秋田駅行きは、他系統(卸売市場発や旭野団地発)と共用の「神田・秋田駅」。卸売市場経由は土崎駅行きと同様「卸売市場 神田・秋田駅」。ちなみに「天徳寺・秋田駅」も使えなくはないが、基本的に添川線用。

・卸売市場止まりがなくなって、旭野団地止まりに代わった後も、土崎線には、卸売市場を経由する便が存続。
曜日などによっては、卸売市場に代わって旭野団地を経由する便もあり、その方向幕は「神田・土崎駅」「神田・秋田駅」で代用(「旭野経由」とかの紙掲出?)。
そしていつの間にか、卸売市場経由が消滅。

・いつの間にか、土崎線は激減し、2019年秋に完全廃止。

そんな流れと記憶するが、細かくは覚えていない。神田線は身近な路線ではあったが、どこ行きでも変わらない環境だったこともあって。
秋田市中央卸売市場は1975年開設。※現在は花き部門のみ存続し、青果・水産は2012年に秋田市公設地方卸売市場に転換。
旭野団地行きと言うが、実際にはその次の「外旭川市営住宅前」が起終点(2017年からは団地内を周回し回転地終点)。外旭川市営住宅は1981年に最初の棟が完成。
卸売市場周辺には、今もさほど住宅はないので、1980年代にたくさんバスが乗り入れる(折り返し便と経由便)必要はなかった気もする。時間帯によっては市場へ通勤する人はいたかもしれないけれど。1980年代中頃では、市営住宅の道路や周辺整備がバスが入れる状態でなく、とりあえず秋田市役所内で融通が利く、卸売市場を折り返し・待機場所として使ったのかも。【24日追記・当時は、今ある広い道路多くが未整備で、ルートやバス停位置も今と若干異なったので、卸売市場で乗降して田んぼの中(?)を突っ切るのが、市営住宅への近道という意味もあったかも。】
卸売市場も市営住宅もなかった頃は、秋田駅~土崎駅の路線は、どこにも立ち寄らず、直行していたのだと思う。


今度は、昭和末以降の時刻表から、上記の記憶を裏付けるべく、神田線の変遷を拾ってみる。
【3月2日コメントの情報から追記】1987年4月
・系統図(路線図)に「卸売市場前」と「旭野団地」が表記。起終点なのか途中経由地なのか等詳細は不明だが、この時点で旭野団地へバスが乗り入れていた。(以上追記)

1988(昭和63)年3月29日改正
※当時は平日/休日ダイヤが同じで、一部便を休日運休とする形式。
・昼前~夜は曜日問わず同じ本数運行。日曜祝日運休となるのはわずかで、秋田駅発は朝1本、秋田駅行きは朝6本(うち1本は土曜も運休)だけ。秋田駅発では土曜日のみ13時00分発が増便。
・土崎着発のうち、秋田駅発10時10分、土崎駅発14時55分の上下1本だけ旭野団地経由、ほかは卸売市場経由。=無経由の土崎線はない。

昼間は土崎駅着発毎時1本、旭野団地着発毎時2本が基本。=卸売市場止まり、八柳二区止まりはない
昼間の秋田駅発は、土崎行き毎時10分、旭野団地行き毎時30分、50分発で統一(ほかに添川線が毎時40分、笹岡線などイレギュラー便も)。=神田線だけできれいに20分間隔。

・冊子時刻表で途中バス停も出ているので「神田」における平日朝の秋田駅行きは、
6時28、53。7時03、13、18、23、35、36、45、53。8時05、25、45、58。
→現行(2020年秋改正)の八幡田二丁目では、6時47。7時07、17、27、42。8時00、17。=半減しているが、秋田市内全体で見れば、現状では多い方でしょう。

・自衛隊入口始発秋田駅行き便(旭野団地経由せず)あり。7時25分(日祝運休)と7時43分(毎日)の2本。市場入口始発7時40分(日祝運休)もあるが、後述の野村始発の注記漏れかも?
→一方通行の関係で、上り便のみ新国道の自衛隊入口を通る。土崎駅発も毎時1本あったわけで、新国道経由駅行きと誤乗する人はいなかっただろうか。駅までは神田線では遠回りで運賃も高くなる。


以降は冊子でなく、大判1枚もので、始発バス停の時刻のみ掲載。
1988年12月21日改正
・「神田線」として一括掲載。上りの始発は「旭野団地発」を掲載しているが、土崎駅始発は当然土崎駅の初時刻だろうから、まぎらわしい。
・昼間の基本の秋田駅発時刻が変更。土崎行き毎時00分、旭野団地行き毎時15分、45分(添川線30分)に。
→土崎行きが毎正時(00分)発なのは、それが元祖神田線だからこそのステイタスだと思っていたけど、昔からというわけではなかったのか。でも、これが大幅減便時まで定着することになる(休日は次改正から)。神田線としては15分の次が30分空いてしまうが、添川線と合わせて天徳寺前まではきれいに15分間隔かつ覚えやすいダイヤで、とても便利だった。
【23日追記・以下、秋田駅『行き』の時刻については取り上げませんが、秋田駅発のような等間隔のダイヤではなかった。】

・前改正で市場入口始発かのように記載されていた便は、「野村」始発7時38分(日祝運休)に。
→野村バス停の場所が不明。当時は外旭川アンパスはまだなく、バスが通れる道といえば帝石踏切の道路くらい?
いずれにせよ、外旭川から秋田市街地への登校・出勤需要が旺盛だったようだ。
【24日追記・野村バス停について、コメントの情報などから補足】当時の地図や冊子時刻表によれば、やはり帝石踏切の反対(新国道)側に「野村」、さらにこちら側に「堂ノ前」バス停があって、八柳二区につながっていた。これらは、堂の沢県庁線(当時は駅~県庁~面影橋~堂の沢~自動車会館前~八柳二区~神田~斎場前~八幡田。後に自動車会館発着に短縮)が使っていたバス停。
堂の沢線で野村の1つ手前は、新国道の日産サニー前(現・日産サティオ前)だったようだ。つまり、野村始発神田線は、帝石踏切の通りの全バス停から神田経由で駅までの輸送を担っていたことになる。新国道経由では少し遠い人たちへのきめ細かい配慮だったようだ。(以上追記)


1989年4月4日改正
・ここから平日/休日ダイヤを分離した2本立てに。ただし土曜日は平日扱い。
休日ダイヤでは、旭野団地止まりは毎時1本に。土崎駅着発は平日と同じ毎時1本(自衛隊入口始発1本もあり)。
・日曜祝日の昼間は10分土崎、(添川線30分)、50分旭野に。
神田線全体として平日毎時3本、休日毎時2本に。休日の旭野団地系統がほぼ半減。天徳寺前まで20分間隔、神田線としては10分の後は40分空く。休日ダイヤはこれが定着。
 
1990年12月15日改正
・時刻表が土崎線と旭野団地線に分割。表記は「神田線(土崎駅前)」「神田線(旭野団地)」。
→分離時期が思ったより早かった。自衛隊入口、野村始発便は旭野団地欄に。旭野団地は経由しないのだから、土崎欄のほうが良かったのでは?

・土崎線の休日は、卸売市場経由に代わって全便旭野団地経由に。
→前年に旭野団地止まりが半減された代替ということか。

・平日に旭野団地(外旭川市営住宅)17時20分始発 卸売市場経由秋田駅行き設定。
→通勤帰宅の足?


1992年4月1日改正
・時刻表表記が「卸売市場経由神田線(土崎駅前)」に。
→基本的は卸売市場経由ということなのだろうけど、土日は通らない。

1992年12月15日改正
・時刻表表記が「神田旭野線」「卸売市場経由神田土崎線」に。
→「旭野団地」という言葉自体、由来がよく分からないが、さらに略して「旭野」にする違和感。これも思ったより早い時期。


1993年4月1日改正
・土曜日も休日ダイヤ適用に。
ただし、土崎線は土曜日は1往復が旭野団地経由、残りは卸売市場経由という、平日並みの扱い。日曜祝日は全便旭野団地経由。
旭野団地止まりは、駅発毎時20分が土曜日のみ運行。土曜日の駅発は土崎10分、旭野20分、(添川30分)、旭野50分とアンバランス。
自衛隊入口、野村始発、旭野団地始発卸売市場経由は、土曜日も平日と同じく運行。
→公立学校は第2土曜だけ休み(1995年から第4土曜も)だったし、まだ土曜は完全な休日ではなかったようだ。

1993年12月15日改正
・自衛隊入口、野村始発便に「旭野団地は経由しません」の注記。以降、あったりなかったり。

※この間目立った変化なし※

1996年3月28日改正
卸売市場経由がなくなる。
・表記も「神田土崎線」だけとなって経由地の表記なし。直通になったのか?
・野村始発が廃止。自衛隊入口始発は平日と土曜2本、日曜祝日1本のまま存続。

※1997年の時刻表は保存していないので不明※

1998年11月1日改正
・旭野団地止まりの土曜日のみ運行の毎時20分発が廃止。土曜も日曜祝日と同本数に。
→公立学校はまだ隔週土曜休みだった(2002年から毎週)。供給過剰だったのか。
・自衛隊入口始発は平日と土曜の1本だけに。
 
2000年4月1日改正
・秋田組合総合病院(現・秋田厚生医療センター)移転に対応。
土崎線が大幅減便。平日は朝と夕各1往復の計2往復、土日は朝1往復。
旭野団地線は土崎線分をある程度増発、一部を病院延長(当時は市営住宅には入らず、旭野団地通過後直行)。
平日昼間も毎時2本(駅発15分、45分)となる時間ができる。土日は毎時20分が復活し、旭野団地までは改正前とほぼ同本数。
→病院移転だけでなく、利用実態と中央交通移管を見据えた、適正化やリストラの意味もあったのだろう。

・自衛隊入口始発の土曜廃止。平日のみに。

※この間時刻表保存なし。以降保存なし多し※

2005年4月改正
市営バスから秋田中央交通へ路線移管。
この時点(移管初年度は市営バス時代を踏襲することになっていたはず)では、秋田駅~土崎駅(笹岡線除く)は、秋田駅発平日2本(7時00分、17時00分)、土日1本(7時05分)、土崎駅発平日3本(7時50分、14時30分、18時00分)、土日1本(7時45分)。ほかに自衛隊入口発平日7時35分(土崎線の欄に記載)。
→いつの間にか平日土崎駅発14時台が増便されている。廃止前に新国道で見たかけた時はほぼ誰も乗っていなかった。附属小学校の帰宅用としては使われていたはずだが、別に旭野団地発でも構わないのに。
旭野団地線(組合病院行き含む)は、平日毎時2~3本、休日毎時2本程度。

※以降旭野団地の本数やバイパス経由については省略※

2009年4月改正
・2005年とほぼ同じ。自衛隊入口始発も存続(この後いつ廃止かは不明)。

2011年春の次の改正~2014年3月の前の改正の間
・土崎線 平日夕方の1往復廃止

2014年3月
・土崎線 土日廃止

2016年9月
・土崎駅発14時35分廃止。朝の1往復のみに

2019年9月
完全廃止。

神田土崎線廃止により、ほそぼそと続いていた、外旭川と土崎を結ぶ公共交通機関がなくなってしまった。外旭川は、秋田市の地域分けでは、土崎を中心とする「北部」地域になるのに。秋田市役所などのある山王へもバスの便はない。(線路を越えて新国道へ出れば、土崎も山王も行くことはできますが。)
そして来月、泉外旭川駅が開業。外旭川と土崎を鉄道で行き来できるようになる。秋田駅へも早く、(市民の高齢者以外は)安く行くことができる。通学を中心とした神田線の利用動向がどう変わり、それが数年後のバスダイヤや外旭川の町にどう影響するだろうか。さらには、イオンタウンやサッカースタジアム計画も。
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秋田駅券売機 Suica対応?

2021-02-20 22:44:34 | 秋田のいろいろ
現在の、秋田駅メトロポリタン改札口の近距離自動券売機の姿。
上の緑の部分
3か所、何かを隠している。
その下は「・チャージ」「Charge」と「IC」のマークで間違いなかろう。
(再掲)中央改札の設置当初の同型機


3月13日ダイヤ改正から秋田駅もエリア内となる「タッチでGo!新幹線(この記事後半)」対応のため、秋田駅でもSuicaへのチャージ(とタッチでGo利用開始登録)をするための機器を設置するとのことだった。それがこれのようだ。
秋田駅では中央改札口が2018年10月、他の2改札口は2019年秋頃に、新しい「EV20」型券売機に更新されていた。今回、それを改造して、というよりも今まではSuica機能を止めていたのを解除して、対応させるようだ。改修済みで、緑のを(と挿入口の「オレンジカード専用」ラベルも)はがして、ソフトウェアを切り替えれば、すぐに移行できる状態なのでしょう。
未確認だけど、中央口、トピコ口も同じなのだろう。

ということは、秋田駅の近距離券売機は、在来線Suicaエリア内の同型券売機と同じ状態になるはず。ということは、在来線のきっぷも、SuicaなどICカードを入れてその残高で購入できるようになるはず。
これはうれしい!
オレンジカードなき(まだ使うことはできるが、発売終了)後、ビューカードのポイントを貯めつつ近距離乗車券を購入するのは、難しくなっていた。窓口か指定席券売機で大判のきっぷを買うしかないが、月間合計額1000円単位のポイント付与で、端数は無駄になる。ビューカードからSuicaへは1000円単位のチャージなので、無駄にならない。

そのほか、首都圏などから来る人も、多少は便利になるでしょう。だけど、タッチして乗車してこそSuicaで、そもそも「きっぷを買う」ことに違和感どころか知らない人もいるでしょうね。
1年前の「第30回秋田市地域公共交通協議会」で、同会長が「小銭を持たずに鉄道を利用しようとする方も少なくないので、券売機でのチャージおよび切符の購入だけでも導入を検討していただきたい。」と言ってくれたのが実現する。実態はタッチでGo!新幹線の副次的な“おこぼれ”なのだろうけど。
とは言うものの、在来線Suicaエリアでは、乗車でも(ビューカードとは別に、Suica自体に)ポイントが貯まるようになり、利用回数に応じてさらにポイント還元(回数券的なもの)されるようにもなるとか。結局、相変わらずエリア外は差をつけられており、早くエリアを拡大してもらいたい気持ちは変わらないのだけど。

この券売機の下方右側、テンキーの右にフタのような場所があって、その上部に同色の養生テープが貼られている。
テープの下に凹凸あり
テープが貼られていない下には、点字で「そーさ てじゅん」などと刻まれている。
フタの右下には小さく「IC券」と表示。これは前からあったはずで、Suicaエリア内で稼働中の機械も、外観上は同じで詳細不明。養生テープは、単にICカード関連で追加される操作方法を記した点字を隠しているにすぎないのか。【22日追記】IC非対応の土崎駅の同型機ではここが「非IC券」と書かれ、秋田駅の養生テープ部分に点字はなかった。ということは、このフタは点字表示板で、その識別のためにIC券/非IC券表示があるのか?

大曲など今回エリア拡大される新幹線停車駅でも、同様なのだろう。新青森は新/在の改札口が離れているけど、どうする。
では、新幹線停車駅周辺で同型券売機がある駅はどうなるか。青森、弘前、土崎、無人駅ながら同型がある上飯島、四ツ小屋など。
秋田駅の指定席券売機や在来線改札内ののりこし精算機には、何か変化があるのか(盛岡駅の指定席券売機は一部が更新されたとか)。
さらに注目。
【22日追記】秋田駅では、中央改札口の近距離機も同じ状態に改造済み。指定席券売機やのりこし精算機には、特に改造や準備の気配なし。
土崎駅の近距離券売機は未改造。

券売機Suica対応後の詳細

【4月6日追記】4月6日になって、2023年春以降、秋田駅など北東北3県の県庁所在地周辺駅で、ついにSuicaで在来線列車に乗車できるようになることが発表された。まだ2年も先のことで、このことからも今回の券売機のSuica対応と在来線のSuicaエリア拡大には、直接の関係はないことになる。(以上追記)


直接関係ないけれど、2022年春に導入予定の秋田市の路線バス等のICカード(秋田市が費用負担して、コミュニティーバスも含めて、Suicaの地域連携ICカードを導入。秋田中央交通の独自事業ではない)。秋田中央交通の一部の車両では、運賃箱のIC対応が行われたものが見受けられる【21日補足・今年1月に初確認】。新品でなく、既存の新しめの運賃箱の改造だと思われる【21日補足・今はIC機能は作動しておらず、増設された画面は消灯、増設されたタッチ部は塞がれている】。秋田でも、ようやく着々と、その時が近づいてきている。


話は変わって、2020年11月で営業終了した「びゅうプラザ秋田駅」。代わって2021年春に「JR東日本 駅たびコンシェルジュ」ができるとのこと。場所の明言はないが、おそらくびゅうプラザ跡だろう。少なくとも昼間はシャッターが下りて、工事の気配などなかったが、1週間ほど前、
シャッターが上がっていた!
すっからかんで、クリーニングなどしていた模様。今はまたシャッターが下りているけれど、中で改装中でしょうか。
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生鮮市場 火災

2021-02-19 20:24:03 | 秋田のいろいろ
2月18日21時頃、秋田市保戸野原の町(道路向かいは泉南三丁目)にある、スーパーマーケット「秋田生鮮市場 保戸野店」で火災が発生した。
消防車のサイレンを聞いて、秋田市消防本部のテレホンガイドにかけて、原の町の火事であることは分かった。1キロ弱離れた所から、原の町の方向を見ると、煙や火は見えなかったが、臭いはした。
ツイッターを見ると、生鮮市場が火元ながら、外観は無傷で激しく燃えるような状態ではないことは知ることができた。全焼とか半焼とかには及ばない、ボヤ程度といったところか。

19日朝の新聞には、少なくとも魁なら第一報レベルなら間に合う時間だと思うが、掲載なし。
秋田放送(ABS)のニュースで詳細が分かった。他のテレビ局は報道せず。秋田魁新報はホームページに19日14時44分になって、やっと「秋田市「生鮮市場保戸野店」で火事 200平方メートル焼く」を写真付きでアップ。
2社の報道内容はおおむね同じで矛盾はない。
19時半に閉店して無人で、けが人等なし。
火災報知器の鳴動がきっかけ。約1000平方メートルのうち200平方メートルを焼いた。消防車が10台(魁。ABSでは9台)出て、約2時間半で鎮火。
青果売り場の燃え方が激しく、原因を調査中。

火事の報道では「現場は一時、騒然としました」が決まり文句だが、今回はなし。
駐車場が広いし、時間が時間で車通り・人通りもなかったことがあるだろう。
営業時間中だったら大変だったし、すぐ裏は秋田大学附属学校・園だから、周囲への影響もあって、それこそ騒然としたかもしれない。

もちろん、19日・金曜日は臨時休業。
昼前後時点では、従業員が水を掃き出すなど後片付けをしたり、冷蔵機器会社や東北電気保安協会の車が来たりしていたとのこと。

でも、火事を知らずに、買い物しようと店に来てしまった客もいたに違いない。
なぜなら、報道がほとんどなかったこともあるし、運営会社のホームページにも情報がない(19日19時時点)し、さらに運が悪いことに、毎週金曜日の新聞にチラシが折りこまれるから。
火災以前に、すでに金曜分のチラシはセット済みだろうから、配達直前に抜くのは無理なはずで仕方ない。さらに、運悪く、
19日の折り込みチラシより
「リニューアルオープン2周年祭」のセールが始まる日だった。いつもは青1色刷りなのが、赤と2色刷りで気合が入っていたのに。
19日はまぐろ解体販売、盛岡の福田パンの特別販売、メロンパンの移動販売が予定されていたのに。
そのメロンパン屋さんのツイッターで「都合によりお休み」と朝の時点で告知があり、それが数少ない生鮮市場臨時休業を予感させる投稿。福田パンには、盛岡を出る前に連絡することができただろうか…
あと、建物内(入口は別)のくめかわクリーニングの被害はなかっただろうか。同社公式ホームページには「火災復旧工事のため本日2月19日は臨時休業とさせて頂きます。」と掲載され、20日以降は時間変更ながら営業する由。
理髪店やコインランドリーは、敷地内ながら離れた別棟なので影響はないはず。


チラシの通り、生鮮市場は2年前=2019年2月22日にリニューアルされている(この記事後半)。
ただ、建物全体や売り場の基本的なレイアウトは、2000年11月の新築オープン時から変わっていないから、電気系統や暖房などは古いものもあったかもしれない。
燃え方が激しかったという、青果売り場は、入口を入ってすぐ、まっすぐの左右。右には青果のバックヤードがある。照明や配線以外では、冷蔵ケースくらいしか火の気がなさそうだけど。
トイレやレジもその近くなので、火や水でやられていないか。
クリーニング屋さんは再開し、水を掃き出す作業をしていたくらいだから、被害は多くはなく、営業再開は遠くないのだろうか。でも青果売り場は直さないと営業できないでしょうし。
高齢者も多く、スーパーが少ないエリアだけに、早期の営業再開を期待。


秋田生鮮市場は、JR東日本系列。かつては「ジェイアールアトリス」、現在は「JR東日本東北総合サービス」が運営。
(昔は土崎店もあったが)保戸野店が唯一であり、今の本社は仙台と遠く、ホームページなどでの営業状況の告知がうまくできないのかもしれない。だからと言って、JR東日本トップページに載せるほどでもないですが。

生鮮市場保戸野店は、開店から間もない頃(2000年代中頃か?)に、泥棒が入って金庫ごと持ち去られたことがあり、それに次ぐ災難。
JR東日本東北総合サービス秋田支店としては、2018年の土崎駅の火災で、(火元かどうかは不明)運営するそば店がダメージを受けたのに続く、火難。
お見舞い申し上げますとともに、情報提供と早めの復旧・再開もお願いしますよ。

【追記】19日夜になって、店の前には「当面の間 休業」との掲示が出たとのこと。
20日昼には、ガラス業者やプロパンガス業者らしき車が来ていた。

22日になって、JR東日本東北総合サービスホームページ内に、ひっそりと「営業休止中のお知らせ」がアップ。「2/18の店内火災により2/19から営業を休止しております。」などで、今後の見込み等新しい情報はなし。

3月始めには、中の冷蔵ケースなどが前の駐車場に出されたほか、工事現場事務所のようなコンテナが置かれた。本格的な復旧工事に入りそうだが、再開に時間がかかりそうでもある。

7日時点で店頭に新たな看板が置かれた。コンテナは工事現場事務所ではなかった。
「営業再開までには、今しばらくお時間をいただかなくてはならないため、」「店頭等にて3月8日(月)~しばらくの間」「臨時販売」をするとのこと。
火災で生じた在庫処分品を、詰め合わせなどで格安販売、各日9時30分から(その日分の?)販売品がなくなるまで営業。
コンテナは商品の保管や作業場所として使われ、臨時販売は建物本体の軒先~駐車場で行っているとのこと。青果類も多少あるらしい。

3月31日・水曜日から店舗での営業再開】3月31日の新聞に、A4版両面の「大変ご不便・ご迷惑おかけいたしました。」とのお詫びと告知のチラシが折りこまれた。
3月31日から(店前の臨時営業でなく、改修を終えた店舗内での)営業を再開。土曜の「生鮮朝市」や随時の出張販売も再開。しかし「冷蔵陳列棚等が揃わず仮オープン」「仮営業」との言葉もある。
4月16日・金曜日に、やっと従来同様の折込チラシが再開。火災への言及はなし。
5月15日・土曜日 グランドオープン】5月10日~14日に「店舗改装」のため休業し、冷蔵機器を本格的に設置したようだ。火災から3か月で完全復活。
【2021年10月7日追記】本格営業再開後の店内は、火災前と一部売り場配置は変わったが、大筋は同じ。建材のにおいが漂い、火災の痕跡は一掃されている。レジ類は無地だったようで、火災前と同じ構成のもよう。ただ、古くなっていたSuicaリーダーはいつの間にか新しくされ(従来通り2つのレジのみ)、薄れていたSuica対応を示す天井からの表示も新しく(布だったのが紙に)された。

2022年には生鮮市場の敷地内にドラッグストアができた
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月1巨大メロンパン

2021-02-16 23:52:32 | ランチパック
店頭でたまに見かけていたが、自分で買う気にはなれなかった菓子パンをもらった。
バターメロン
メロンパンが1個。といっても巨大で直径15センチほど。工藤パンの巨大メロンパンよりも大きいと思う。
バターロールが複数個入っているような、大きな袋に入り、例のプラスチックのヤツ(バッグ・クロージャー)で留められている。
大きすぎて買う気になれなかったので、それ以上気に留めないでいたのだった。

シライシパンこと、岩手の白石食品工業の商品。
シライシのメロンパンといえば、普通のサイズの「ホイップメロンパン」シリーズは、秋田でもよく見る【3月23日追記・ホイップメロンパンは2011年7月発売開始だそうで、意外に新しい】。
この巨大パンは、秋田市内では一部のスーパーでしか見たことがなく、しかもたまにしかなかった。
袋には「限定販売」とある。
袋裏面には「毎月12日〈パンの日〉限定商品なんだ♪」とあり、納得。

ネット上の情報では、少なくとも2011年頃には存在していたが、数年前では毎月発売ではなかったような話もある。
店に納品されるのが「12日」で、消費期限は「14日」になるらしく(夏場は短いかも)、売り切れなければ3日間は買うチャンスがあるのだろう。もちろん、売る(仕入れする)かどうかは、各小売店の判断。岩手県内のほうが多いかもしれないが、他のシライシ商品と同じく東北各県(プラス北関東の一部?)にも流通している。
1個180円前後。856kcal、炭水化物111.7g、食塩相当量1.1gと、少なくはないが大きさの割には控えめなのでは?

つるんとした表面には、レーズンが混ざっている。横方向にカットされていて、マーガリンがぐるりと1周したのをサンド。
このマーガリンを指して「バターメロン」では、正しくない商品名と思ってしまうが、裏面には、
「レーズンを入れたバター風味のビスケット生地をかぶせてしっとりと焼きあげ、マーガリンをサンドしたよ。」
とあるので、間違いではない。

見た目よりは軽い食感で食べやすい。だからこそ、食べ過ぎ注意。
全体にしっとりしている。皮もビスケット生地にしては存在感が薄く、ベタベタもしないし、極端に甘くもない。

僕はたけや製パン「かた焼きメロンパン」を基本のメロンパンと認識してしまっているが、それとは違うし、シライシのホイップメロンパンなどともまた別。これも嫌いじゃないし、この大きさならこのほうがいいでしょう。
また食べてもいいかな。

ところで、秋田市内で確実にバターメロンが売られるのを知っている店(他にもあるでしょうけど)は、秋田駅前フォンテAKITAの「ザ・ガーデン自由が丘 西武秋田店」。この店は今月で閉店してしまう。改装後、春には地元スーパー「ナイス」が入るけれど、扱うだろうか。
【5月14日追記】5月12日午後にマックスバリュ泉店に行ったら、3個ほど置いてあった。
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新川橋の隣の水中

2021-02-15 21:02:29 | 
秋田運河に架かる「新川橋」の架け替え工事が進んでいる。
昨年秋(この記事その続き)と比べると、確実に進んではいるのだろうけれど、目立った変化はなく、供用開始はもう少し先=2021年度のどこかになるだろう。【18日追記】15日の秋田建設工業新聞サイトにちょうど出ていて、「来月に供用を開始する予定」つまり2021年3月。間に合う?
【19日追記】秋田市の月間行事予定によれば、3月20日11時から「新川橋供用開始式典」が川尻側で行われる。
【3月12日追記】秋田市の週間予定によれば、供用開始は3月27日の予定。式典と1週間差があるとは珍しい。
現状。勝平側から。左の下流側が新しい橋。接続部は未舗装
今回は新しい橋のことではない、かといって現行の橋のことでもない。

現橋の上流側の歩道からの眺め。
運河は奥右から。左からの旭川と合流
旭川合流点直下には、渡し舟跡があり、中洲には春先にウミネコが集結していた。今はカモ類すらいないようだった。
さらにその下流、写真手前、橋のすぐ上流。
川尻側から

上の写真で見えるものを、真上の橋から

川中央付近
流路方向に飛び石のようなもの並んだものが、川尻側岸寄りから中洲直下にかけて、3セットほど見えた。飛び石ではなく、丸太を埋めた「杭」のようなもののようだ。頭はギリギリ水上に出ないくらい。
ズーム
日本の河川は、冬に水量がいちばん少なくなるそうだ。ここも水位が低下して、かつ晴天だったので、川の中がよく見えたのだろう。秋田運河の水はいつも濁っていて、水中を見たこと自体初めて。
ウミネコの記事で、中洲と別に枝が集まった浮島のようなものができていたが、それは流木などでなく、この杭に枝が引っかかっていたのかもしれない。
(再掲)手前に浮島。この時は水中は何も見えない
杭の正体。勘のいい方、もしくは前の記事を熟読いただいた方なら、察しがつくでしょうか。

現橋より前の新川橋の橋脚(の名残)に違いない!
勝平側の水中にもあるかもしれないが、そちらは水深があって見えないのかもしれない。

以前の繰り返しになるが、新川橋は1892(明治25)年に初代の木橋が架橋。今のトラス橋は1963(昭和38)年にできている。
初代は秋田運河ができておらず、雄物川本流に架かっていた。地形図を重ねると、現在の橋のすぐ上流側にあり、河川敷が広かったので今より長い橋だった。1937年に雄物川放水路と秋田運河が完成。
木橋の耐久性も考えると、初代の橋が昭和まで使われ続けたのではなく、少なくとも運河化の時にも1度架け替えたのではないかと推測していた。つまり、今のトラス橋は、2代目ではなく少なくとも3代目。
川尻側から。電線の下付近が旧橋
水中に見える橋脚は、いかにも木橋のそれ。位置的には明治の初代の橋と重なる。ひょっとしたら初代のもので、勝平得之の版画に描かれた橋脚だったりするかも… でも、版画で描かれていて確認できる橋脚は、1か所につき4本ささっていて、その回りに支えの丸太が付いており、今回の跡とは一致しない。いつのものなんだろう。

こういうふうに水中に、撤去された橋の橋脚だけ残ることはままあると聞く。雄物川放水路の雄物新橋の横にもあるそうだ。
旧新川橋の橋脚跡は、一般には知られていないが、河川管理者(県)や船で通る人(いるのかな?)などは知っているのだろう。歴史、土木学などの分野における資料価値としてはどんなもんなんだろう。

一部だけとはいえ、3世代の新川橋が上流から下流に向かって隣り合って並んでいる。
新しい新川橋が共用されれば、トラス橋は撤去されてしまうわけで、少なくとも今のように歩道の真下に橋脚を見ることはできなくなる。
それ以前にトラス橋撤去工事時にジャマになり、木橋の橋脚まで撤去されてしまったりする可能性もあるかも。反対にトラス橋も橋脚だけは残って、引き続き3世代並ぶ可能性もあるか。

※新川橋の続きは2022年4月
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2001年 銘菓/雪印 続き

2021-02-14 23:08:16 | 昔のこと
先日アップした、昔の飲食物の思い出記事に関係して、新たな写真が発掘できたので続報。

まずは2001年の秋田銘菓の続き。
菓子舗 榮太楼のチョコタルト「秋田城菓 大工町」。ナッツ入りだと記憶していたのに、2001年5月の写真では、そうでなくハスカップが入っていた。
2002年7月の写真があった
大きさや包装は変わっていない。タルトの縁の質感が少しごわごわ(?)した感じがする。そして、
ほらナッツ!!
こんなに目立つほどたくさんの量だとは思わなかった。生地に混ぜこんで、さらにトッピングもされていそう。
砕いたアーモンドのような気がしていて、写真もそれっぽく見えるが、原材料欄では「くるみ」。ハスカップは使われなくなり「ブルーベリージャム」使用。
色の違いは写真の都合によるところが大きいはずです
2001年5月から2002年7月の間に、仕様が変わっていたのでした。「新大工町」だ。※大工町の西側、かつて市電の支線があった付近が新大工町。
(再掲)2001年の大工町
どっちにしても大工町との関連はないと思うけど。


次に、その記事のコメントで話が少し出た、新屋表町、旧道にあった菓子店「高島松月堂(たかしましょうげつどう)」。やめて10年以上経っているのだろう。
「吟醸酒入り酒ケーキ」のほか、サブレ生地が入ったパイ「カリッとPAi」、黒糖使った虎柄の皮でバターもサンドした「とら焼き」などがあったそうだ。
1つだけ、2001年2月に商品の写真を撮っていた。
糸ぐるま
とても上品な袋入り。
袋に比べて中身は小さい?
ブッセの縁をホワイトチョコでコーティングしたような見た目。形として「糸車」っぽくなくもない。
中にはイチゴジャム
食べたことさえ忘れていたけれど、写真を見て、思い出した(気がする)。おいしかったはず。一般的なブッセよりはちょっと硬めのクッキーっぽい感じだったような??



別の記事では秋田市にあった雪印グループの拠点を取り上げた。
雪印は2000年と2002年に、不祥事を起こした結果、会社が再編された。いろいろあって、旧雪印乳業は雪印メグミルクとなった。
2003年3月に撮影していた写真。
懐かしい!
ちなみに、横に置いたナショナルの乾電池も懐かしい。パナソニックブランドになった今も製造はされているようだが、見る機会は減った。

昔の「雪印牛乳」の紙パックである。大容量も同じデザイン。「MILK」と赤で書かれた面があるものも存在したが、これは小容量だからか時期の違いかなし。
白と青、それに赤い文字。これこそ、(雪の結晶マークと並ぶ)雪印の代名詞、いや、牛乳全般を象徴するデザインといっても過言ではなかった。20世紀~当時は。

「近いうちに、不祥事の結果、牛乳パックのデザインが変更される」との報道を見て、記念にわざわざ買って撮影していた(にしては光線などもっと気を使って撮れ!)。
改めて調べれば、2003年始に再編で「日本ミルクコミュニティ」が設立、「メグミルク」ブランドの発売が開始されていた。一気にメグミルクに切り替わったのではなく、商品や地域によって順次変更されていた。
写真の商品では、販売者は「日本ミルクコミュニティ株式会社」、製造者は宮城県岩出山町の「みちのくミルク(株)本社工場」=現存。容器の印刷が新会社名になっているわけだから、単にパッケージの準備が間に合わなくて、メグミルクへの切り替えが遅れていたわけではないのだろう。

このサイズのパックって、上の接着部分が後ろに倒れているのが標準なんだよね(メーカーによっては違うかも)。垂直に起こしたくなる。
裏側の天面には「大地とあなたを、おいしさでつなぐ。」。2000年末時点では「雪印のブランドメッセージ」だったようだが、再編後も有効だったのか?

今なら「賞味期限」である部分は「品質保持期限」。
さかのぼれば、1995年までは「『製造』日」表記だった。その後、消費期限(日持ちしない商品)または品質保持期限表示となった。
品質保持期限とは、賞味期限と同義なのだが、当時は食品衛生法とJAS法で用語が異なっていて、分かりづらいとして、2003年(2005年まで猶予期間)から賞味期限に統一されたとのこと。

そのほか細部は変更があるのだろうが、白と青の容器は物心ついた時から変わっていなかった。
かつて秋田工場があったこともあり、小中学校の給食の牛乳も雪印牛乳であった。小学校に入学してすぐは、これとかなり似たデザインのパックだった。その後、わりと早期(1983~1984年?)に、赤色を使わない、青だけで子どもの顔なども描かれた学校給食専用にデザインに変わって(全体的な雰囲気はそんなに違わない)、中学校卒業までそれだった。

撮影後、店頭ではいつの間にか、青い雪印牛乳を見なくなり、赤いメグミルクばかりに。
ヨーグルト「ナチュレ」も昔は青系統の容器だったのが、赤い「ナチュレ 恵」に。
雪印の不祥事を払拭するために、青と正反対の赤に変えたのではと勘ぐってしまう。名前や商品に親しみはあるけれど、総合的には好印象ばかりではない、複雑な気持ちだった。
今の乳飲料「毎日骨太」は、かつての雪印牛乳を彷彿させるデザイン。1993年発売当初(~再編前?)は、もっと旧雪印牛乳に近い、文字を変えた程度のパックだった。

いかにも昭和のデザインでもあり、不祥事がなくても、21世紀中には変更されていたのかもしれないが、あれほどの存在感と認知度。旧デザインでも充分通用するのでは。
実は、2021年現在でも、北海道など地域によっては、まだ青と白の紙パックで市販されているそうだ。


【2022年7月9日追記・ゲータレードと雪印について】
アメリカではスポーツドリンクの代名詞だという「ゲータレード」。
日本では1970年発売開始。当初は大正製薬が販売。後にスポーツシューズメーカー「スポットビルト」が、スポーツ用品店で発売して広まり、日本のスポーツドリンクの草分けになった。瓶入りや粉末。
その後、雪印食品→雪印乳業が扱うことになる(いつからかは不明)。缶入りになってコストがかさんだり、ポカリスエット(1980年発売開始)が出現したりで苦戦を強いられ、2000年の雪印の食中毒も追い打ちをかけて、終売になったらしい。
その後、2004年にサントリーから発売されるも、2015年にライセンス契約終了。今は日本では購入は困難。

僕がゲータレードを知って初めて飲んだのは、1990年代前半~中頃か(ポカリよりも後)。ダイエー秋田店で、きんちゃく袋みたいな販促品付きで売っていた。缶か大きいペットボトルだったか形態は忘れたが、嫌いな味ではなかった。
1995年3月には雪印食品扱いで、「ゲータレード」を大幅にリニューアルした「ニューゲータレード」が発売という情報もネット上にあった。
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JRダイヤ改正 周辺情報

2021-02-11 22:15:05 | 秋田のいろいろ
JRグループダイヤ改正まで、およそ1か月。
秋田地区だけに限っても、公式に発表された以外にも、けっこう変化(一部は2月末や4月付)があるようだ。利用客には大きな影響はなさそうな点が多いが、時代の変化を感じさせられそうなこともある。
労働組合やツイッター等の投稿を元に、まとめておく。
情報を調べ、公開してくれた皆さまにお礼申し上げます。細部まで確定していなかったり、現段階の見込みとは違って実施されたりする可能性もあるので、参考程度にご覧ください。勘違いや間違いがあったらごめんなさい。

ジェイアールバス東北 秋田支店廃止 とはいうものの…
JR東日本とは別会社の、バス部門。以下、JRバス東北と表記。
1月26日に、公式サイトにおいて「【お知らせ】当社秋田支店の廃止について」が発表され、驚いた。
「2021年2月28日をもちまして、全ての業務を当社仙台支店へ統合して廃止いたします。」、廃止後の「お問合わせにつきましては、下記の仙台支店にて承り対応いたします。」などとあった。

秋田県内では国鉄バス時代から、それほどシェアは高くなかった。秋田市進出はJR化後1994年12月(1996年までは営業所)で、仙台への高速バス仙秋号(3社共同)と首都圏への夜行高速バス、それに貸し切り。
秋田支店は、奥羽本線沿いの秋田貨物駅(泉外旭川駅)の秋田寄り、天徳寺地下道の上(所在地としては保戸野桜町のギリギリ端)にあり、奥羽本線の列車からも線路と平行に置かれたバスを見ることができる。
再掲
JRバス東北では、昨年秋に宮城県の古川営業所を、仙台支店に統合している。遠くない距離だから分からなくもない。
でも、秋田支店がなくなったら、高速バスの運行に支障が出そう。仙秋号のJRバス東北担当ダイヤは秋田を拠点にして、仙台へ行って戻る運用。変えるとすれば、共同運行先との調整も必要になる。公式発表にはその言及もなく、しかも2月末という急なことで謎だった。

労働組合報でほぼ解決。
「秋田支店管理業務の仙台支店への移管」「秋田支店が行っている運行および車両管理業務を仙台支店へ移管・統合」という名目だが、
「秋田支店は現業期間として廃止」であり、
乗務員は「仙台支店所属に変更」「出退勤は現行通り」「大幅な人事異動を伴わない」、秋田支店は「秋田乗務員宿泊所となる」のだった!

完全撤退ではなく、見かけ上は秋田支店時代と変わらないようだ。
素人として疑問なのは、まず貸し切りはどうなるか。今のところ公式ホームページの貸切の担当一覧には秋田支店も載っているけれど、営業とか集金とかもあるだろうし。乗務員宿泊所レベルでそれができるのか。
あとは、クリアできるからこうなるのだろうけど、乗務員の点呼や車両整備。バス業界では、泊まりがけの貸し切りなどで、遠隔で点呼できる(2018年から「IT点呼」として認められるようになった。今風ならリモート点呼)ようになった。車両は鉄道でよくやるように、仙台に行った時に車両を差し替えて整備することもできよう。

秋田支店廃止後の状況


●駅窓口の縮小
昨年は東大館駅などがひっそりと無人化されたが、今回も完全無人ではないが類似例あり。
○奥羽本線・二ツ井駅 簡易委託化
2003年から、JR東日本の子会社(JR東日本東北総合サービス)への業務委託。昼間は改札口で改札・集札を行い、近距離券売機とみどりの窓口もあった。直営だった1990年代後半時点ですでに、朝夕などは無人になっていた。

今回、東北総合サービス委託をやめ、地元能代市への簡易委託に。
近距離券売機は撤去され、窓口の発券システムも簡易化(マルス→POS)されるらしい。おそらく、他の簡易委託駅同様、指定席券は購入できず、クレジットカードが使えなくなる。
秋田地区の“風習”として、簡易委託でもきっぷの回収は行う駅も多いので、その点はどうなるか。

このタイミングでこうなるのは、おそらく県立二ツ井高等学校の影響。今年3月をもって閉校(と表現していいはず)となるため【同校の道路標識に関する記事】。
全日制課程はすでに募集停止していて、今春の卒業生が最後。2021年度からは能代高校の定時制分校になる。
ここ数年でも、1990年代後半に比べると、通学時間帯に乗り降りする生徒が少なくなっているな(定員減のため)と感じてはいたけれど、来年度からは激減するのだろう。

加えて、昔は旧・二ツ井町の中心駅だったのが、能代市への合併で格が下がってしまったこともあるだろう。観光地・きみまち阪へは最寄り駅ながら、けっこう遠い。ほとんどの乗降客が地元の人の駅になってしまうのか。
【3月19日追記】ダイヤ改正直後に二ツ井に行く機会があった。窓口が開いている時間帯でも、改札業務は行っていなかった(秋田地区では簡易委託駅にも関わらず集札をする駅も一部ある)。したがって、ワンマン列車では、先頭車両後ろドアがら乗車、前ドアから車内で乗車券・運賃を渡して降車。他のドアは開かない。なお、二ツ井周辺に住み、能代市内の高校へ通う人は今もかなりいるようだ。

以下2駅は、とりあえずは大きな不便にはならない。
○男鹿線・男鹿駅 日勤化(営業短縮)
2018年に直営から子会社委託になっている。
改札口での集改札は、現行の終日(始発~最終まで)→6:50~18:10で早朝夜間無人に。指定席券売機の稼働は現行4:45~18:50→4:45~18:30とわずかに短縮【12日補足・考えてみれば改札開始は2時間も遅くなるのに、券売機稼働が変わらないのはおかしいかも。労働組合報のミスプリントの可能性があるかも?】【2023年1月12日訂正・この時点では、5時00分の始発に合わせて、4時45分から稼働していた。2023年春改正で6時30分からに変更。またSuicaは2023年5月から導入】。
新車両・全列車ワンマン化に加えてこれでは、早朝深夜に戸惑う客が多発しそう。やっぱりSuica導入が必要では?

労働組合報には、男鹿駅「下り1番線が使用停止」になるとの記述もあるが、これは1番線ホームということでなく、ホームがない車両留置用の線路を指すらしい。
【3月31日追記・ホームは1番線と2番線があるが、充電設備は1番線側にしかないので、EV-E801系は基本的に1番線にしか入れない。すべてEV-E801系になる改正後は、2番線に入る定期列車はなくなったことになる。】
今は、翌朝の2本の列車が男鹿駅で夜明かし(夜間滞泊)しているそうだが、車両もダイヤも変わることだし、そこも変わるのかも。

○奥羽本線・湯沢駅 業務委託化
4月1日付で、直営から子会社委託へ。2018年の大館駅などと同じ形で、駅長がいなくなる。
2004年の早朝夜間無人化の時は、地元の反発が強かったが、労働組合報によれば、今回は営業時間は変わらないこともあり、理解を得られているようだ。


客としてはまったく関係ない、乗務員行路の変化。
●東能代運輸区 乗務拡大?
秋田車両センター入区(出区はしない?)と、車掌が大館~弘前も担当。運転士からは大館方面乗務希望の声も。

奥羽北線を長年利用する客として、複数の運輸区が担当していることは知っていたし、運輸区によって運転操作(ブレーキのかけかた等)や車内放送の言い回しが違うのは分かっていた。でも、どれがどの区かは完全には把握できていない。
てっきり、東能代運輸区も、五能線のほか、車掌・運転士とも奥羽本線を大館か弘前くらいまでは乗務していると思っていた。今回の変化からすれば、改正前時点では、車掌は大館止まり、運転士は大館方面は担当していないのか。
五能線の減便と新車両によるワンマン拡大の影響もあるのだろう。【18日補足・車両センター入区は、五能線用気動車の整備回送を兼ねて、奥羽本線・東能代~秋田を営業運行する列車が、1往復から2往復へ増えることによるものか?】

労働組合報には、(東能代区に限らず)秋田~弘前間のワンマン運転について「150kmなので通しでは今のところ考えていない」と会社から回答を得たような記述。
でも20年前(1998~1999年頃)は、昼前の弘前発新屋行きで、弘前から秋田まで、交代なしの通しでワンマン運転の列車がありましたよ。いつ復活してもおかしくないかも?!


あとは発表や動きがあると期待しているのに、まだないこと。
●男鹿線 中編成ワンマン用の無人駅運賃箱(回収箱)
これは見に行っていないだけですが。
車内で運賃収受をしないので、無人駅に「運賃ほ脱対策として強固な運賃箱」を設置するとのことだったが、どんな箱か。→この記事にて


●秋田駅にSuicaチャージ機設置???
改正時から、JR東日本エリアすべての新幹線の自由席(こまち等は空席に着席できる特定特急券/立席特急券)に、Suica(カード、モバイルとも)で乗車できるようになる。「タッチでGo!新幹線」というサービス。
在来線ではまだだけど、ついに秋田駅でも、事前予約なしにSuicaで改札を出入りして、乗車できるようになる。

そのために、「拡大したSuicaエリア外の新幹線停車駅にも入金(チャージ)ができる自動券売機などを設置いたします。」と発表された通り、秋田駅などでもチャージできるようになる。
※チャージ自体は、コンビニやセブン銀行ATMなどで、すでに可能。
また、初回だけ、自動券売機を使って、そのカードや端末の「利用開始登録」手続きが必要(モバイルは近日、アプリ上でもできるようになる)なので、その対応機も必要。

盛岡駅では、1月中旬に、新幹線改札内にチャージ機が新設されたとのこと。ピンク色パネルの、現金チャージ専用機。改札内ということは、残高が足りない状態で乗ってきた客が、改札を出るためのチャージ用か。【12日補足・改札通過時に自動的に指定額をチャージする、オートチャージは、新幹線改札ではやっていない。】

秋田駅では今のところ気配なし。
実は1年かそれ以上前から、秋田駅の新幹線改札内に、新しく券売機っぽい機械が設置されている。でも、その向きが絶妙で、在来線側や改札外からは、裏面と側面しか見えず、機能は確認できず。おそらく乗り継ぐ在来線用の近距離券売機かと思う。その隣にでも置かれるか?
改札外にも必要だろうけれど、既存の近距離券売機を改造しても対応できるはず。あと1か月、注目。→さっそく変化があった


●泉外旭川駅の距離???
新駅のダイヤは分かったから、あと知りたいのは運賃。そのためには駅の距離(キロ程)が必要。
近年のJR他社の新駅では、開業1月前でとっくに発表されているのに、泉外旭川駅はまだ。

ところがWikipediaには、2019年1月18日の日本経済新聞を出典として、キロ程が出ていた! あくまで非公式ではあるが。
それによれば、奥羽本線起点の福島から301.8km地点。
秋田駅が298.7、手形陸橋の下が300.0、秋田貨物駅が302.3だから、辻褄は合いそう。

秋田-泉外旭川は3.1キロ、泉外旭川-土崎は4.0キロ。
運賃計算では、小数点以下の端数は切り上げとなるので、運賃表に当てはめると、どちらも初乗り(3キロまで150円)の次の190円。
秋田からだと、土崎までと10円違い、新屋までと同額と思うと、ちょっと高い気もしてしまう。あと100メートル秋田寄りにあったら…
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2001年 秋田銘菓

2021-02-09 23:56:43 | 昔のこと
ご当地銘菓のネーミングの話の続き。
今回は撮った自分も忘れていた秘蔵画像から、今はもう発売されていないと思われる、20年前・2001年の秋田県内のお菓子をいくつか。
いずれも、ネーミングを予想していただけるよう、中身→包装・商品名の順に紹介します。

まず、秋田マリーナ→秋田ミルフェでもおなじみ「菓子舗 榮太楼」の商品。
2001年5月撮影
1人分サイズのチョコタルト。

ナッツ類が入っていたように記憶していたが、そうではなかった翌年には仕様が変更されていた】。中央の丸いものは「ハスカップ」らしく、ゼリーコーティングしたのか。

この商品名は?
ヒント:秋田市の旧町名。
答えは…

秋田城菓 大工町
裏面シールの品名欄は「秋田城菓(大工町)」と主客転倒。

秋田市の旧町名・大工町とは、通町(菊谷小路との交差点より西)と保戸野鉄砲町の間を指す。広義では通町の一部に含められる。
江戸時代は大工が住んでいたそうだが、今はいちおう商店街。道路拡張後しばらくは、その奥様たちが「マダム・カーペンターズ」という名前で、イベント時に出店をやるなどしていた。
竿燈に出ているわけでもなく、市民全般の認知度は低い旧町名かもしれないのに、どうしてお菓子の商品名にしたのだろう。「中通町」「上通町」みたいな旧町名シリーズでもあったのだろうか。
大工町には菓子店として川口屋がある。通町全体まで広げれば勝月と高砂堂もある。榮太楼は当時は大町店がやや近い所にあったものの、大工町が地元とは言えまい。どうして他の菓子店が存在する、よその地名をお菓子にしたのか。

ついでに「秋田城菓」も違和感ある名前。城下とかけたのかもしれないが、それはいいとして、一般に「秋田城」とは寺内の高清水公園の奈良平安の城柵のこと。江戸時代、ここが城下町だったのは、千秋公園の「久保田城」だ。せめて「久保田城菓」でないと。

そして、今回もやっぱり想像できないのが、ハスカップ入りチョコタルトが、どういう連想で大工町になったのか。


次は、秋田市外の店。
2001年8月撮影
サブレーである。前回の記事に追記したが、全国的にご当地お菓子でいちばん多いのがサブレーかもしれない。何かをかたどった形で、命名は「○○サブレ」が多いので、ストレートに分かって戸惑いは少ないでしょう。
このサブレは円形に近い形状で、写真のせいもあって葉っぱやメロンに見えなくもないが、魚の形。切れこみが口、出っ張りが尾びれ。
モチーフになった魚は何でしょう? 商品名はその魚の名+サブレーなのですが。フグじゃありません。

ヒントは製造元。男鹿市のゴンタロー。
つまり男鹿で獲れる魚なのだけど、ハタハタじゃありません。
答えは…

男鹿銘菓 鯛サブレー
鯛でした。
男鹿ではマダイもよく水揚げされ、初夏に「男鹿の鯛まつり」が行われるほど。近年特に知られるようになったと思うが、まつりは2020年で第44回だったらしいので、歴史がある。
現在のゴンタローでは、ナマハゲの顔の「男鹿の面々 なまはげサブレ」というのを売っているので、鯛サブレーはやめてしまったようだ。

包装正面は真っ白で中身が分からないためなのだろう。裏返すと、
サブレ表面がこちら
あえて裏返して袋に入れていたのだと思う。

それにしても、パッケージこそ商品の重要な要素とされる現在の感覚では、却下されちゃいそうな包装デザイン。
「レトロ」とは違うと思うけど、シンプルでかわいらしくて、これはこれでいいのでは。「鯛サブレー」の丸ゴシック体はナールでしょう。

ゴンタローのことは、昨年記事にした。そこで主に取り上げたお菓子を、2001年9月に食べていた。おそらくこの時が初。
男鹿銘菓 えぐり舟 ※2021年時点でも発売されています。
えぐり舟は、バターの入った生地であんこを包んで、ホイルで包んで焼いた和洋折衷菓子。「ホイルケーキ」「ホイル焼き」といったくくりになり、名前(一部は中のあんこも)違いで全国にそこそこある。
昨年の記事の繰り返しだが、えぐり舟はこしあんと白あんの2種があるのに、包装表面での識別が難しい。どうも舟の絵の色が違うのではないかと推測した。
昨年食べたのは、白っぽい舟で、中身はこしあんだった。
この時のものは、舟が黄色っぽい。今は裏面の表示で識別できるはずだが、当時は裏面にも表示がなかった。
果たして中身は、
白あんだった!
ぜひとも、表を見てすぐに分かるようにしていただきたい。


最後。秋田市内へ戻って、2001年6月。
これもホイルケーキ
えぐり舟と比べると、細長くて、春巻きみたい。
生地の色が薄く、厚さも薄いようで中の黒いものが透けている。
中はこしあん?

昨年のえぐり舟の記事の通り、秋田におけるホイルケーキといえば、えぐり舟と、くらたの「おばこナ(黒砂糖あん)」「ひでこナ(白味噌あん)」に二分される。
その時、かつてさらに別のホイルケーキが、かおる堂にあったようだと、触れていた。ネットで調べても写真はなかった。

なんとこれこそが、
どじょっこふなっこ
自分で撮影して食べていたとはすっかり忘れていたけれど、記録していた自分を褒めたい。
当然、味など記憶にない。
昨年、おばこナひでこナのように、どじょっこ/ふなっこで味が違うのではと考えたが、おそらく1種類だったようだ。
えぐり舟、おばこナひでこナは、紙も使われた袋だが、これは完全なプラスチックの袋。
裏面シール
裏面の商品名は「どじょっこ,ふなっこ」とカンマで区切っている。
原材料には「コーヒー」がある。隠し味だったのか、意外なコーヒーあんだったのかも?

「どじょっこふなっこ」とは、今は童謡みたいなものだが、元は民謡というか地元に伝わる歌。
作曲家・岡本敏明が玉川学園の演奏旅行で、今の秋田市北部・金足(かなあし)地区を訪れた際、歓迎会で歌われたものを譜面に起こしたことで、広く知られるようになった。
かおる堂と金足は秋田市内ながらやや距離はあるが、秋田市内の菓子店が秋田発祥の歌の名前を付けたのは分かる。
だけど、どうしてこんなホイル焼きがどじょっこふなっこなのかは、例によって分からない。細長いのがドジョウっぽくなくもない?

※大工町の仕様変更ほか、ちょっとした続き
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マリーナ→ミルフェ/あんパイ

2021-02-08 19:07:12 | 各地お土産・食べ物
秋田市の2店のお菓子について。
「秋田マリーナ」の名前が変わって、リニューアルしたことを知った。港湾施設じゃなく、その名を借りた、「菓子舗 榮太楼」のお菓子のほうですよ(2015年に紹介)。リニューアル後の写真は公式サイト等を見ていただくとして、情報のみ。
(再掲)リニューアル前
リニューアルについてのいちばん古い情報は2020年12月22日。
公式サイトには「秋田マリーナが味わいそのままに【秋田ミルフェ】にリニューアル! ※パッケージと商品サイズが変更になっております」「およそ2.7cm×7.5cm」で250円。以前より少し長くなった白い袋に入る。
秋田マリーナ時代のサイズは「9×3×2.5センチ」との情報があり、価格は180円ほどだった。若干、値上げかな。

ミルフィーユでなく「ミルフェ」は聞き慣れないが、秋田マリーナ時代もシールでは「秋田マリーナ(ミルフェパイ」と表記されていた。
「ミルフェ」というフランス語はないそうで和製語っぽいが、函館の五島軒でもチョココーティングでない「ミルフェ」を作っていて【9日追記・村上開新堂という店(今も東京や京都に同名店があるが、商品は違っている雰囲気)が、明治後期にミルフェの名で売り出したことがWikipediaには出ている】、日本の洋菓子業界ではある程度使う名前なのか。【8日補足・ちょっと秋田弁っぽい響きもあるような】
また、秋田マリーナよりも昔は「ミルフェパイ」という名称で発売されていた、との不確かな情報もあり、榮太楼としての伝統みたいなのもあるのかも。

秋田マリーナ時代もそうだったようで知らなかったが、通年でなく期間限定発売らしい。夏は溶けやすいからね。
秋田マリーナのイメージがある人は、「秋田ミルフェ」の名にも、白い袋(ホワイトチョコレートを連想する)にも、戸惑うに違いない。もう少し宣伝してもいいのでは。

※この手のチョコがけミルフィーユを、ブルボンでも発売していた。この記事後半。



秋田マリーナ当時の記事でも触れた、お菓子のネーミングのこと。
チョコがけミルフィーユを「秋田マリーナ」と名付ける意図というかセンスというかは、理解できない。実力=おいしさがあって、多くの客に定着はしたが、「名は体を表わ」してはいない。
せっかく定着したのを変えてしまうのはもったいない気もしなくはないけれど。

ほかにも、全国的に同じような例は見られる。
ブルボンのお菓子は全般にそうだし、お菓子じゃないけどフォントワークスの書体名も。名前と商品が結び付けられずに、いつも苦労する。僕はエリーゼとアルフォートとスーラ以外は即答できない。
秋田市のお菓子で最近食べたものから1つ。あえて中身から。
平べったい円形のパイ風

中は白っぽいあんこ
その名は…
秋田 赤れんが館 426kcal
通町の「勝月(しょうげつ)」のお菓子。
ちなみに、赤れんが館のすぐ隣には「かおる堂」があり、その次に近い菓子店が勝月。【8日追記・かつては榮太楼大町店もあったが、閉店。】

「登録銘菓」とあるが、商標登録してある菓子という意味で、菓子業界ではわりと使う表現らしい。
中は白あん系だが、杏やみかんも使われていて、ホームページでは「あんずの香り豊かな白あん」となっているが、気付かなかった…

袋の絵の通り、明治に建てられて元秋田銀行であった「秋田市立赤れんが郷土館」からの命名。
ホームページでは「明治の香りを今に伝える洋風建築「赤れんが館」をお菓子に映してみました。」としている。「形/見た目」や「原料/味」由来の名じゃなく、その点はブルボンの多くのお菓子とも同じか。
例えば形を四角くしてレンガっぽくするとかもできたかも。



ところで、やはり秋田市内の菓子店「杉山壽山堂」にもこれとほぼ同じお菓子がある。焼色が少し薄く、中は普通の白あんかな。袋は色違いがあるが、中身は同じらしい。
その名は「秋田ロマンス」。

由来は歌の曲名。曲名としては「秋田・ロマンス」表記が正当。
1989年の秋田市制施行100周年に向けて、1988年に作られた歌(過去の記事)。
ホームページでは「曲の持つ、爽やかでロマンあふれるイメージをパイ生地と白餡で表現しました。」。これも理解し難い。

【8日追記】このような「あんこ入り円形パイ」のご当地銘菓は、全国に無数にあり、全部名前が違うことだろう。新宿中村屋「うすあわせ」など。それらを趣味で収集・調査する人なんていないだろうか。みうらじゅん氏とかやりそう?! ブッセ、ゴーフル、ホイル焼きなども同じことだけど、あんこパイがいちばん多い気がする。【9日追記】サブレーはもっと多いかもしれないけど、たいてい「○○サブレ」という商品名なので、サブレーであることだけは容易に分かる。


こういう商品で気になるのは、関係各方面への了解や許諾はどうなっているのだろう。「プロパティライセンス」的なもの。赤れんが館は、正式呼称ではないがそれを指すのは明白だから、秋田市役所と、もう無関係かもしれないけど秋田銀行。秋田ロマンスなら秋田市役所と作者(JASRACとか)。秋田マリーナなら、あれって県管轄?(「マリーナ秋田株式会社」なる3セクが指定管理者になっている?)
秋田マリーナは1995年にできたが、その頃を最後に、このような公共のモノに由来したお菓子はないような気がする。「セリオン」「アルヴェ」「なかいち」みたいなのはないはず。
秋田県のマスコットだった「スギッチ」は、条件や手続きを経て商品化されていた。「JR東日本商品化許諾済」表示の商品は全国的によくある。国鉄時代はそもそも同様の商品の数は多くはなかったが、そんな表示はなかったはず。
ライセンスやデザインに対する考え方が、時代で変化したということはある。そのほかにも、ハコモノなど公共事業がいい目で見られなくなったり、お菓子の命名にも流行りがあったりするのかも。

※現在は販売終了してしまった、2001年の秋田のお菓子とネーミングについて
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路肩の赤い雪山

2021-02-06 22:47:56 | 秋田の季節・風景
1月9日に積雪60センチになった秋田市。
その後、晴天、プラスの気温や雨もあって道路の雪はほとんど消えて(積雪量としては15センチ程度)2月に入った。

そして2月3日から再び厳しい寒さになり、4日には積雪42センチに。
4日の中古車販売店
秋田市付近に雪雲が停滞し、2月の12時間降雪量として観測史上最大の27センチ。
1月9日は観測史上最高の12時間に34センチ。それとさほど違わない新規積雪なわけで、街や道路は再び混乱するかと思いきや、それほどでもなかった。除雪がとても迅速だったわけでもないと思う。
平日なので動く車が多くて、うまく圧縮されたのか。路線バスの迂回も限定的。
4日午後の新国道「新川向」交差点。路面は白いが大きな支障なし、バスは平常レベル(?)の遅れ

その後、5日には気温が上がって雨。5日早朝に30センチあったのが、6日夜には9センチに激減。
その結果、大きな車道は路面が出たものの、小さい道はぐしゃぐしゃ。
6日。山王大通り南側の細道。向こうは山王第二街区公園

竿燈大通り
上の写真では、車線数が多く支障が少ないこともあるかとは思うが、やっぱり除排雪は充分ではなく、歩道側1車線が半分近く雪山でふさがれている。延々と続く山脈のよう。おそらく、ロータリー式の除雪車が路肩に吹き付けてできたもの。
歩道橋からみずほ銀行秋田支店・二丁目橋交差点付近
二丁目橋では、左右で雪山の色がきれいに違うのが分かる。歩道側はロードヒーティングで除雪不要なので、雪山の大部分は、車道由来の雪のはず。
歩道側はその上に新たに雪が降り積もってきれいに白いのか。
茶~黒っぽい車道側は、積もった雪にタイヤや路面の汚れが混ざった状態になってから除雪されたものだったり、除雪後に通行する車のしぶきがかかったりして、汚いのだろう。
昔(平成初期まで)、スパイクタイヤが使われていた頃は、もっと真っ黒だったのではないだろうか。

竿燈大通り・日銀前交差点付近
竿燈大通りや山王大通りなどの一部では、写真のように汚れた雪山が、黒とか茶色というより「赤い」。
山王大通り・裁判所仮庁舎前
これらの道路は、車道が「ワインカラー」と呼ぶはずだけど、赤茶色のような色で舗装されている。上の2つの写真では、歩道寄り車線がバスレーンの意味で着色されているのだが、色が薄れてしまっている。【7日補足・薄れたわりには雪への着色は濃く感じる。路面が色鮮やかだった頃は、雪ももっと赤かったのだろうか。】
舗装の塗料は、雪や水分に溶け出してしまうらしく、雪を赤くしてしまっている。夏場の雨でも少しずつ同じことになっていそうだし、環境への負荷がないのか、気になってしまう。
なお、全国的には、表面の見た目がツルツルで滑りやすそうなカラー舗装も存在するが、ここはそうではなさそうな表面。また、歩道のブロック・タイルは、色が落ちることはないようだ。
【7日追記】上で紹介した、二丁目橋~日銀前の雪山は、7日午後までには車道側が削られて、赤い雪がほぼなくなって車線が復活していた。

週明けはまた真冬日まで冷えこんで、週後半はまた緩む。今冬はめまぐるしい。
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三平パン/ちょうどいい大きさ

2021-02-03 21:01:51 | ランチパック
久しぶりに、たけや製パンの商品紹介。まずは2月の新商品。
バターフレーキ 434kcal
中味は層状のパン生地に溶かした砂糖をかけたような珍しくはなさそうなもの。でも「バターフレーキ/Butter Flaky」というなじみのない名前。
Flakyは「薄い幕状の」みたいな意味で、フレーキ、フレーキーというパンは存在する。同一ではないがヤマザキやローソンで売っていたこともある模様。
包装には、鳥海山を見上げる釣りキチ三平とじいさん。上の赤い果実はイチゴじゃなく、砲弾型の柿。

2020年11月に亡くなった、秋田県出身の漫画家・矢口高雄氏の追悼の意味があることは、多くの秋田県民なら察しがつくだろう。
パッケージ裏面には、横手市増田まんが美術館の説明があるだけ。ホームページにも説明はない。

既存商品のバリーエーションとして、ほかにも2商品、釣りキチ三平の違う絵の商品も同時発売されている。
アベックトースト シュガーバター」と「カステラサンド コーヒー」。
シュガーバターはイギリストースト類似品? コーヒー(同名のパンが出ている)はあの苦ーいクリーム? そんなわけで、あまり興味がない。

2日付秋田魁新報 経済面で「「釣りキチ三平」の菓子パン3種発売」として報道された。
新聞でも明確に追悼とは書いていないが、「美術館と共同開発」。
カステラサンドはなぜコーヒーなのかは書いていないものの、アベックトーストは「雪に見立てた砂糖を入れた」、バターフレーキは「砂糖と卵白を混ぜた「アイシング」をパン表面に塗り、山頂の雪を表現した。生地を何層も重ねて焼き上げたデニッシュを漫画のページをめくるように剥がしながら食べることもできる。」と理由付けがされている。こういうこともホームページなどで自ら発信してほしい。
バターフレーキのパッケージは、美術館で販売するポスターで一番人気の「鳥海山初冠雪」より。
雪を戴く鳥海山?!
パイとは違ってあまりこぼれず、たしかにきれいにめくることはできる。軽くて食べやすい。カロリーは高いけど。



この機会に、紹介しそびれた2020年の商品も。
たけやのロングセラーの1つが、背割れコッペパンに具材をはさんだ、冷蔵販売(※)の調理パン。※これまで「要冷蔵」だと思いこんでいたが、「要保冷20度以下」となっている。
代表が「学生調理(この記事中ほど)」。あとは「おいしいどック(「ど」はひらがなが正当)」「サラダパン」、そして「3色ドック」。
ここでは3色ドックで紹介。ポテトサラダ、ナポリタンスパゲティ、卵フィリングで3色(=魚肉ソーセージフライの代わりにタマゴなのが学生調理との違い)。
2019年5月の「3色ドック」
まあ昔からこんなもんかな。
2020年8月の「3色ドック」
包装に「超ロングセラー商品」「自家製発酵種ルヴァン使用」が表示された。
中味は個体差かもしれないが、ルヴァンの効果かパン表面にしわが出てふにゃっとした感じになった。

この間にリニューアルされたようだ。バーコードの番号(JANコード)は変わらず。
旧/新の栄養成分表示は、熱量324/290kcal、たんぱく質9.3/7.8g、脂質13.2/12.2g、炭水化物42.2/37.2g、ナトリウム555mg(食塩相当量換算1.4g)/食塩相当量1.4gと、若干ヘルシーになった。
新旧とも、たけや製パンは「販売者」名義。旧包装では「KR」と印字されていて、ヤマザキの製造所固有記号から判断すれば、たけや系列でサンドイッチや調理パンが得意な「リベール」。新包装では「製造者 株式会社リベール」と明示される。
2019年の3色ドック
味の違いが分かるほど、頻繁には食べていなかったのでなんとも言えません。

これとは別に、2020年9月に新たな方向性の商品が出た。学生調理、おいしいどックも同時展開。
3色ドック ちょうどいい大きさ
長さ15センチほどの小さい版が登場。単独の写真や店で見るとサイズ感が分かりづらいが、手に取るとだいぶ小さく感じる。
208kcal、た5.6g、脂7.9g、炭28.4g、塩1.4g。食塩は同じ量なのか。リベール製造。
調理パンシリーズに食べ応えを求めていた客層には「小さすぎる大きさ」かもしれないが、うれしい人もいる。

大きさ以外にも違いがあり、常温保存可能。お出かけの持ち運びにも安心で便利。でも、その結果、従来版とは店舗での売り場が違うことになるのは、いいのか悪いのか。
「名称」欄は従来版とも「調理パン」。
3色ドックちょうどいい大きさ
保存法も違うから原料や製法もいくぶん違い、味も違うのでしょう。
パンは昔の本家のようにシワがない。ポテトサラダには本家に入るニンジンが見当たらず、イモのブロックが入っている。本家より甘くないという声もあるようだ。スパゲティが短く、タマゴの光沢が違うようにも見える。

ちょうどいい大きさシリーズでは、2021年1月に新発売されたものも。(9月発売の3種は、今どうなっているか不明)
サラダパン ちょうどいい大きさ
滋賀県では、たくあんのマヨネーズ和えをはさんだ同名商品が親しまれるそうだけど、たけやではスパゲティサラダ。マヨネーズ、ニンジン、タマネギ、からしドレッシングなど使用。
235kcal、た7.0g、脂4.9g、炭40.5g、塩0.6g。3色ドックとサラダパンでは、包装の「ちょうどいい大きさ」のフォントが異なる。
製造者はリベールでなく、学校給食のごはんでおなじみ、同じくたけや系列の「秋田米飯給食事業協同組合」。リベールとの分担が不明だけど、こんなものも作るのか。
端から端までサラダオンリー

【2月13日追記】2月11日にデイリーヤマザキへ行くと、袋でなくラップで包んでシールを貼った「ラップパン学生調理」「同おいしいどック」「同サラダパン」が、常温で129円で売られていた。3つ目の形態だ。「ちょうどいい大きさ」シリーズよりはやや小さいか。「ちょうどいい大きさ」は見当たらなかったが、袋入りの通常は150円。
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節分の日付/縁起巻

2021-02-02 23:56:24 | 昔のこと
2021年2月2日は節分。今年は「124年ぶり」として、少々騒がれている。
2日が節分になるのが、1897(明治30)年以来ということ。

節分は立春(他の3つの季節でもそうだけど)の前の日のこと。
立春は二十四節気のひとつ。
地球の動きと、二十四節気と、今のカレンダーのグレゴリオ暦は、どれも完全に連動してはいないから、ズレが生じる。その結果だと思えば、そんなに騒ぐほどでもないのでは…

スーパーなどがそう騒ぎ立てるのは、商売の宣伝文句でもあるから、分からなくはない。
マスコミは、ニュース本文で触れるのはいいとして、見出しやスタジオトークなどで「124年ぶり」と過剰気味に繰り返すのは気になる。マスコミ側に勘違いしている人、それを見て勘違いさせられる人もいそう。

勘違いというのは、「1898年から2020年までの節分は、ずっと同じ日だった」、もしくは「節分の日付が変動することは、とても珍しい」と思って/思わされていないかということ。
2020年やそれ以前しばらくは、2月3日が節分だった。でも、123年間、すべて2月3日だったわけではないのに。
直近では1984年は2月4日。それ以前も長らく、4年に1回は2月4日であった。
つまり、今年は「2月3日でない日が節分なのは、1984年以来37年ぶり」とも言える。平成はずっと3日だったのか。

そんなわけで、若い人たちは、近年の経験で節分=2月3日と思ってしまうのは当然。
我々世代では、4日だった頃の記憶、加えて二十四節気や節分の日付の中途半端な知識(立春の当日との混同もある)があって、「124年ぶり」と聞いても、「そうなの? 昔は【9日補足・=自分が小さかった・若かった頃は、3日ではない】違う日だったような…」と思うかもしれない。

未来の話。※以下、日付はWikipediaより。
来年以降は4年に1回は2日が節分。今世紀後半には、だんだんと2日のほうが多くなっていくが、長年同じ日に固定ということはなくなる。
そして22世紀に入ると、また2日の節分はなくなり、久しぶりに4日が出てくる。
これはグレゴリオ暦とのずれ、特にうるう年が関係して来るのだろう。2100年は4で割り切れるが、うるう年にはならない等。

今年からしばらくは2日か3日が節分。
4日の節分は、次は2104年。1984年以来120年ぶりとなる。
僕は小学校1年生の時が、生涯最後の4日の節分となるのだろう。


2日付秋田魁新報 秋田市地域面「きょう節分」のリード文は、「きょう2日は、例年より1日早い節分。」で始まる。124年ぶりであることや、その仕組みの説明はあるが、未来のことには触れていない。
「例年」の定義があいまいだが、「節分は3日なのが原則」と誤解させかねない。言葉選びは難しいだろうけど。

マスコミには「124年ぶり2日」ばかりでなく、「これまでは3日か4日だった」とか「3日でない日の節分なのは37年ぶりでもある」とか「来年以降は2日の節分が多くなる」みたいな補足もしてほしいものである。
秋田県内某スーパーの折込チラシより
よく見れば間違ったことは書いていない。でも「節分が動いた!」「124年ぶりの2月2日」だけ見ると、ちょっと誤解させやすい。「節分が動いた!」のは37年ぶりだし、来年以降は動くことが多くなるのです。
そして当然、翌日の立春も、同じ変化をする。


節分と言えば、今は「恵方巻」。
今日の魁の地域面コラムにも出ていたが、元は関西の海苔業界が広めた地域限定の風習だったのを、コンビニやスーパーが2000年代以降に全国に広めて定着、といったのが定説。
Wikipediaにも同じような感じで、1989年にセブン-イレブンが、追ってジャスコやダイエー(今はどちらもイオン)も西日本から全国に広めていったようなことが出ている。
「恵方巻」という言葉も、この全国拡大の中でできたようで、それ以前はない言葉だったらしい。
1990年代に大手が全国展開していたのだから、東日本でも「2000年以降」よりは少し前に、定着はともかく認知はされていたのではないだろうか。

さらに、前も触れたけれど、秋田でも、節分に(決まった方角を向いて一気に)太巻き寿司を食べることは、1989年より前、昭和末の段階で知ることはできた。
持ち帰り専門チェーン店「小僧寿し」によって。
僕は今まで、その時点の小僧寿しも「恵方巻」の呼称を使っていたと思っていたが、上記の通りそうではなかった!

小僧寿しでは「縁起巻」と呼んでいたそうで、混同していたらしい。商標として1986年出願、1989年登録。
縁起巻はさほどブームにはならなかったが、セブン-イレブンがそれに目をつけたらしい。縁起巻が商標登録されたので、恵方巻となったのか。

小僧寿しの縁起巻きを調べていて、そうそうと思い出したこと。
・小僧寿しでは、関西の言葉で丸かじりを指す「丸かぶり」のフレーズを使っていた。
・その初期にはドラえもん(アニメ仕様)とタイアップした商品があった。
今年は違うようだが、数年前にはイオンがドラえもんの恵方巻を売っていた。
【2024年2月15日追記】本来の恵方巻は、玉子焼き、かんぴょう、シイタケ、でんぶ、キュウリなどを巻いた、ごく普通の太巻き寿司であり、小僧寿しが始めた縁起巻きもそうだったかと思う。しかし、2020年代では、丸かじりするには気が引ける(丸かじりはないことにされている?)、海鮮太巻きなど豪華なものを勧める店が大多数。さらに2010年代後半頃からは、売れ残りの廃棄が問題視されるようになった。恵方巻を取り巻く環境の変化が続く。(以上追記)


ついでに小僧寿し関連。
小僧寿しは、昭和には秋田市内にいくつか店があった。
回転寿司はほぼなく(SL寿司吾作くらい?)、宅配寿司もコンビニも、スーパーの惣菜にも寿司はたぶんないような世の中で、数少ない庶民的で自宅で食べられる寿司を売る店だった。
学校が半ドン(午前中で終わり給食なし)の土曜日、家のお昼が小僧寿しだと、うれしかった。店に行ったら小学校の先生も買いに来ていたこともあったり。
昭和末には、今コンビニで売っているのと同じ、海苔とシャリの間にシートを入れた手巻き寿司を売り出して、「シーチキン(R)」巻きを初めて食べた。
縁起巻のほか、ひなまつりとか、山口の郷土料理だという「幽霊寿司」を夏に売るなど、いろいろやっていた。【3日追記】変わり味の稲荷寿司もやっていたと思う。五目ごはんとかカレー味なんてのもあったようななかったような???
1980年代後半頃に、稲荷寿司のシャリに刻んだショウガが入るようになって、子どもには辛くて困った思い出も。


数年前、親戚宅から発掘されたもの。
箸袋
これが残っていたのに驚いて、忘れていたことを思い出した。
「sushi花館」
「すし はなかん」と読む。

小僧寿しは、ある時から「sushi花館」を名乗るようになって、店舗の看板が変わったのを覚えている。
テレビCMで「sushi花館、小僧寿しチェーン」と言っていたはずなので、愛称とか副名みたいなのかと思って調べたら、1990(平成2)年から順次、「小僧寿しチェーン」から「sushi花館」へ移行していたらしい。企業名は小僧寿しのまま。
つまりCMは移行途中で新旧両方の名前を言っていて、sushi花館になった時点で、その店は店名としてはもう小僧寿しではなかったのか。

そしていつの間にか、秋田市にあったsushi花館はなくなった。
上の箸袋には、「紙」のリサイクルマーク(リサイクル識別表示マーク)も印刷されている。紙マークは1995年に制定されたらしいので、1990年代後半時点ではまだ秋田にあったのだろうか。
1990年代後半時点では、弘前市にも店があって、しかもsushi花館ではなく「小僧寿し」。食べたことはなかったが雰囲気もちょっと違う感じ。フランチャイズとかの関係なのだろう。秋田よりも後まで存在し、今はない。【2023年5月10日補足・Wikipediaによれば、弘前市の城東高田店は「2007年初頭まで存在」。】

その後、21世紀には、経営が悪化してすかいらーくと提携するなどいろいろあったが、小僧寿しは今も存在する。弘前にはなくなったが、東北地方では青森県には今も店がある。
公式ホームページを見れば、今は「sushi花館」ではなく、再び「小僧寿し」が屋号で、ロゴは見慣れないもの。
ただ、ネット上の写真によれば、今も「sushi花館」の看板の店がそこそこあるらしいし、小僧寿しではなくsushi花館と呼ぶ人もいるようだ。
メニューは地域や店で違いがあり、カレーや揚げ物を売ったり、ホームページのメニューに寿司が1つもなく弁当ばかりの店も。
青森などの店では手巻きの「シーチキン(R)」が今もあり、商品の青い楕円形のシールもたぶん昔と同じ。一方、四国の店では「ツナ」。あと、玉子がでんと目立つ「小僧の太巻」は見覚えがあるような。昔あった、細い巻きずし(かんぴょう巻きなど)は今はないけど、手巻きと引き換えになくなったような気もしてきた。【2023年1月31日追記・店舗によっては細巻きが存続しているようだ。それでも、種類は少なく、手巻きの影に追いやられている感じ。】
味は変わっているかもしれないし、記憶もないだろうけど、いつか小僧寿しを再び食べてみたい。→食べることができた

【4日追記】八戸市内に「小僧寿し東北地域本部」があるらしい。
【24日追記】八戸の隣、三沢市にも小僧寿しが2店舗ある。これは「三咲羽や(みさわや)」という企業によるフランチャイズのようで、八戸の店とはメニューが異なる。仕出し弁当や駅弁(三沢駅でなく、八戸や新青森などで販売)も作っており、小僧寿しの店で購入できるのかも?

【2021年6月17日追記】2021年3月に八戸市の「湊高台店」、4月に青森市の「小柳店」が閉店。いつの間にか、青森県内(=東北6県でもある)では八戸市1店舗(根城店)と、三沢の2店舗だけになってしまっていた。

【2023年1月31日追記】八戸の根城店が、2022年8月31日をもって「休業」したとのこと。公式サイトの店舗一覧からは消えている。
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ポストベルト/局看板

2021-02-01 23:38:21 | 秋田のいろいろ
秋田市内の郵便局から2題。
昨年末にサンタクロースに装飾されたポスト(この記事など)。今はもちろん、いつものポストに戻った、はずだけど、一部、テープの跡が残っているのがある。さらに某局では、
何か余計なものが?
前面の赤い部分の上中央に黒い帯がある。サンタポストだった時のベルトのパーツ。
(再掲)
元からあまり意味がないパーツだと思ったけれど、はがすのを忘れた?
さらに目立たないのだが、黒い部分の両側には赤いベルト(?)も貼っていた。それは向かって右だけはがし、左側が残っている。ということは、はがしかけて途中でやめたのか?

塗装もいっしょにはがれそうで、やめたとかだろうか。
【追記】この後、はがされたのを4月26日に確認。その後、5月29日までに塗り替えられていた。この記事に写真あり。



2007年に郵政民営化で日本郵政グループが発足した時、郵便局の看板が新しくなった。「JP」ロゴが入り、道路に面して設置されるものでは、赤色のものとオレンジ色のもの(さらに銀行や保険はまた別)が存在する。
現状では、郵便事業と郵便局運営を行う「日本郵便株式会社」のコーポレートカラーは赤。どの郵便局も、本来ならば看板は赤でないといけないらしい。
オレンジは、2012年10月に吸収合併した「郵便局株式会社」のコーポレートカラーだった。旧特定郵便局を中心に、民営化時=郵便局会社時代に設置されたオレンジ色看板が、日本郵便吸収後も残っているのが実態らしい。

サンタポストついでに秋田市内を見たところ、赤い看板なのは秋田中央局、土崎局は当然として、特定局では外旭川局くらいだった。
サンタポストではなかった、特定局。
この局もオレンジ色看板
壁の縦長のオレンジ色看板に注目。
「茨島郵便局」
では、民営化以前からあったであろう、ドア周りの表示。
ドアガラスとドアの上(味のある独特の書体)
どちらも「秋田茨島郵便局」。

看板とドアで「秋田」がなかったりあったり不統一。
赤やオレンジの看板には、郵便局の正式名称が表示されるはずだし、それは玄関の表示だって同じはず。

郵便局の命名には、明確な決まりはなさそうで、所在する市町村名が付いたり付かなかったりアバウト。コンビニやスーパーなどの店舗名とさほど変わらない。
この局は「秋田茨島郵便局」が正式。

したがって、10年少し前に作られたオレンジ色の看板が間違っていることになる。気付いていないのかもしれないが、通用するから修正しないのだろう。いつか、赤い看板に変わる時には「秋田茨島」になるはず。
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