広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

ハンドウ・バンドウ/スイートコーン

2019-08-31 23:10:13 | 動物・植物
8月28日のNHK秋田放送局のローカルニュースで、投稿サイト「スクープBOX」に視聴者から寄せられた映像を使った話題が放送された(秋田局ニュースサイト、スクープBOXサイトとも未掲載)。
男鹿半島の戸賀湾にイルカの群れが現れたというもの。

それによれば、男鹿水族館でもその状況を直接確認しており、イルカの種類の見当をつけていた。
「ハンドウイルカ」ではないかとのこと。

最初、キャスターが読み上げる音だけ聞いていて、引っかかった。
「“バ”ンドウイルカ」というのは知っているけど、「“ハ”ンドウイルカ」とは?
読み間違いかと画面を見ると、字幕でも「ハンドウイルカ」。

これはまたNHKの間違いではないかと疑ってかかり、Wikipediaを見てみた。
すると、項目名が「ハンドウイルカ」となっていて、「半道海豚」だそう。

その本文中に「バンドウイルカ(坂東海豚)と呼ばれることが多い。」「現在では「バンドウイルカ」という呼称が一般に広く使われており、論文でもこちらが多数派となっている。」「新聞も主に「バンドウイルカ」表記を使用している。」とあった。
もともとはハンドウで、現在はハンドウ、バンドウどちらでもいいのだった。NHKさんの間違いではなかった。自分の無知を棚に上げて疑ってしまって、ごめんなさい。

どうして「バ」が出てきたのかは、学会誌において誤植で「ハ」が「バ」にされてしまった(学術的には生物の和名はカタカナ書きが原則だから)のがきっかけという話もあるものの、その信ぴょう性に疑問を示す意見もあるようで、定かではないようだ。
ちなみに、他の魚の体の掃除をする「ホンソメワケベラ」という魚は、元々は「ホソソメワケベラ」で、ソとンを読み間違えて、それが和名になってしまったというケースもある。

生物の名前は、学術的にはラテン語の学名を使うのが本来だけど、それでも異論があって1つの学名でないものもたまにあるようだ。和名ではなおさらなのだろう。


翌日以降、男鹿水族館が船で近づいて撮影した写真や動画が公開されたらしく、NHK以外のマスコミも報道。
29日の秋田魁新報社会面によれば、戸賀公民館から水族館に連絡があり、スタッフが漁船上から撮影したとのこと。
魁のサイトにも掲載
魁では「はっきりとした種類は不明だがバンドウイルカかミナミハンドウイルカとみられる。」とあった。

近縁種と思われる「ミナミ~」も登場。これもハでもバでも許容されるととらえるべきだろう。
そして、ミナミじゃないほうは「バ」で、ミナミのほうは「ハ」とそろっていない。


30日には、秋田放送(ABS)と秋田朝日放送(AAB)も報道。AKTは未確認
AABサイトより抜粋
この民放2局はどちらも「バンドウイルカ」「ミナミバンドウイルカ」と「バ」で統一。
AABでは男鹿水族館の人の電話インタビューも流れていたが、種名を話す部分は放送されなかった。


以上、種名の推測を行ったのは男鹿水族館という同じところなのに、報道機関によってバラバラ。
各マスコミの表記のルールに従った結果なのだろうか。
どっちみち、どれでも間違いではないわけですが。




もう1つNHK秋田のニュースから。
28日に北秋田市で、畑を見回っていた人が、クマの親子と鉢合わせ。傘で撃退したものの軽症を負った。
その畑で作ってた作物(植物)名。
NHK秋田ニュースサイトより抜粋
「スイートコーンを植えた畑」「スイートコーンがクマに食べられる」

魁は原稿締め切り時間の都合か、第一報程度の記事で作物までは言及していないが、民放各局は、
ABS「男性は畑でトウモロコシを栽培していて」、AKT「畑で栽培したトウモロコシ」、AAB「トウモロコシ畑を見回っていたところ」。
そう。「トウモロコシ」という立派な日本語があるのに、NHK秋田局はどうして英語にしたの? 欧米か!

ただ、スイートコーンのほうが「トウモロコシ」より、より詳しいとも言える。
トウモロコシは人間が粒のまま食べるだけでなく、デンプンの原料や飼料にも使われ、それぞれの用途に適した品種がある。ポップコーンもそれ用の品種でないとうまくできない。
そうした品種をデントコーン(馬歯種)、ポップコーン(爆裂種)などと、大まかに分類することがある。人が食べる品種がスイートコーン(甘味種)。
だから、今回の現場となった畑では、人が食べるためのトウモロコシを栽培していたことが分かる。

って、秋田で(おそらく北海道以外の国内各地で)栽培されているトウモロコシの大部分が、スイートコーンではないだろうか。そもそも、このニュースでそこまで詳しく報道する必要がない。クマにとっても、甘いスイートコーンは大ごちそうではあったのだろうけど。
最近、ある国で余った飼料用トウモロコシを、別の国に売ることが、某国大統領と某国内閣総理大臣の間で決まったけれど、そのニュースでは「トウモロコシ」としているマスコミが多い。飼料用であることすら、少ししか触れていない。大統領が演説する英語でも「コーン」としか話していないようだ。
飼料用だと「デントコーン」か「フリントコーン」辺りではないかと思うけど。【9月24日追記】緊急輸入されるのは「デントコーン」だそうだ。

NHK秋田は、トウモロコシの種類にはこだわる方針なのか。
だったら、今回ひっかいた動物を「クマ」としているけど、それは「(ニホン)ツキノワグマ」としては? ※北海道にはヒグマ、それ以外の日本各地にはツキノワグマと分布が明確なためか、県外や他のマスコミも含めて「クマ」で済ませることが多い。
田んぼが現場となるニュースや話題を伝える時は、「水田に車が転落しました」じゃなく「食用うるち米(またはもち米とか酒米とか)を作る水田に…」と伝えないといけなくなるのでは?
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半額いなほの旅

2019-08-28 19:54:24 | 旅行記

新潟旅行記本編(前回の記事)。
ここ2年ほど、夏に青春18きっぷで旅行していた。今年はどうしようかと考えていた時、「お先にトクだ値スペシャル」の発売が発表された。

JR東日本の予約サイト「えきねっと」では、たまに期間・列車限定で乗車券・特急券込みで半額の商品を売り出す。これまでは、○○新幹線開業何周年といった名目で、座席数も多くはなかったらしく、すぐに売り切れになって、取れたためしがなかったのだけど。

今回は、首都圏-新潟の上越新幹線と、新潟-山形県庄内の特急「いなほ」が対象。
「6月18日に発生した山形県沖地震により落ち込んだ観光需要の回復及び2019年10月1日から12月31日まで実施される「新潟県・庄内エリア デスティネーションキャンペーン」に向けた機運醸成を図るため」という名目。地震の被害が大きかった新潟県村上発着もあればいいようにも思うけど、ない。
7月30日から8月8日、19日から31日の乗車で、乗車20日前までの発売。お盆は除くものの繁忙期に半額とは太っ腹。
上越新幹線は例によって一部列車限定だが、いなほは全列車で発売。
※この後、キャンペーン本番中の10月19日から11月27日乗車分でも、同じ内容で半額が実施された。

新潟方面も旅先の候補にあったので、秋田から酒田まで別払いで行って、これを使っても、だいぶ安く付く。
予約状況を確認してみると、売り切れの列車はあまりなく、△と○の列車が多かった。発売数が多いのか、売れ行きが悪いのか。これは使える!


この商品は、新潟と鶴岡、余目、酒田の庄内地方3区間で設定されていて、微妙に価格が違う。【30日追記】「いなほ」への通常のトクだ値は今年春から発売されているが、それも同一の3区間。
一方、秋田から庄内へ通常のきっぷでは、酒田でも余目でも、乗車券も特急券も同額。したがって、余目を境にきっぷを分割するといちばん得。
秋田-新潟を繁忙期にいなほ指定席で乗り通すと7410円のところ、
秋田-余目いなほ自由席 + 余目-新潟トクだ値で5790円、
秋田-余目を普通列車 + 余目-新潟トクだ値で4450円となる。

ダイヤの制約もある。行きは秋田発でいちばん早い8号だと、時間が遅くてもったいない。
秋田を7時前の普通列車で発って、接続する酒田始発の6号にした。この場合は酒田で接続する普通列車がないので、酒田からのトクだ値にして、計4670円。
帰りは秋田行き最終の7号。これは余目と酒田で普通列車にうまく接続するので、トクだ値を余目までとした。当日、普通列車に乗る気分でなければ、自由席特急券を買い足して(余目から自由席へ移って)、そのまま秋田まで乗り通すこともできる。
トクだ値50(乗車券つき)
今年の春からだそうだが(例外あり)、JR東日本の車掌用の検札スタンプ(スタンパー)の日付が廃止され「入鋏済」に変わった。

座席位置の希望をせずに予約したら、偶然にも行き帰りとも、3号車11番D席になった! D席は山側だけど、半額なんだからぜいたくは言いません。
別に半額だから山側席にされわけでなく、通常どおりの予約順の割り当て(前方から左右窓際互い違いに)が行われたようで、あくまで偶然。また、行き帰りとも、乗車率は特別多くは感じなかった。


行きは、前夜からの雨が上がった頃。
秋田から順調に進み、乗り換えたいなほ6号は、新潟県の間島駅で停車。
「この先、大雨により線路が影響を受けており、この先の運行を打ち合わせ中」との放送。そう言えば、新潟県ではかなり降るという天気予報だった。運行情報サイト「どこトレ」を見ると、遅延の表示で運休にはなっていないので、ひと安心。
「(2駅先の)岩船町駅まで速度を落として運転」するとのことで、9分遅れで発車。

車窓から見る限り、道路・集落や田んぼそのものが冠水しているような場所はなさそうだったが、
小さな水路があふれた?
徐行運転に遭遇したのは、20年以上前に、奥羽本線の秋田・青森県境(白沢か陣場-碇ケ関間かな)以来。
個人的には、新潟到着後に急ぎの予定もなかったので、のんびり構えていたけれど、乗り継ぐ人や踏切で待たされている人は、落ち着かなかったことだろう。

間島駅の次が、停車駅の村上。この間に、電源が交流50ヘルツから直流に切り替わる「デッドセクション」がある。架線に電気が流れていない部分があり、そこを余力(惰性)で通過している間に、車両側で切り替えを行う。その場所であることに気付いたら、若干気になり出した。
いつもより遅い速度で通過するわけで、途中で力尽きて止まってしまわないだろうか。デッドセクション内で止まったら、自力で動き出すことはできない。

そのタイミングで、車掌から「まもなく電源切り替えのため、車内の照明が消えます。通路の自動ドアも使えません」と放送。
あれ? 485系では、セクション通過中は照明が消えていたけれど、E653系になってからは消えなかったはず(以前の旅行記にも、空調は止まったが照明は点いていたと記してある)。
今回は通過に時間がかかる分、バッテリーが持たなくて消えるのか?
たしかに照明が消えた。もちろん空調も止まる
あと通路の自動ドアも使えなくなるとは初めて知った。トイレに急ぐ人は大変だね。
通路ドア上の文字情報装置や村上到着の自動放送は、セクション通過中でも作動。

結果として、徐行でもデッドセクションを無事通過できた。そりゃそうでしょうね。

ところで、帰りのデッドセクション。徐行はしていない。
やはり車掌から照明が消える旨(自動ドアは言及なし)の放送が入った。なお、行きも帰りも酒田運輸区の車掌だった(秋田行き7号でも、酒田までは酒田運輸区担当とのこと)。
また消えた
停電中でも、予備灯と呼ぶのか、最小限の明かりは灯るようになっている。485系では、家庭用灯具の常夜灯(ナツメ球)のような蛍光灯でないものがぼーっと灯っていたが、E653系ではごく一部の蛍光灯が残る仕様になっていた。
E653系なのに、通常の速度なのに、車内照明が消えた。どうして?
E653系は、フレッシュひたちで常磐線を走っていた頃は消えなかったが、いなほに転用されてからは消えることもあるらしい。バッテリーが劣化したの??


岩船町駅を21分遅れで通過。あとは快調に飛ばす。
所定では新潟駅で10分で接続する上越新幹線がある。いなほは新幹線接続が大事な使命だし、新潟駅では同一ホームで乗り換えできるようになった。接続は後で案内するとのことだったが、上越新幹線はそんなにダイヤが密でもないし新幹線を待たせるかなと想像。

ところが、所定の新幹線には接続しない、次に乗れとの放送。高崎より先、大宮より先のダイヤの都合もあるだろうけど、昼間の上越新幹線は1時間に1本しかないわけで、「次」と言われても…
冷酷な宣告をされても、3号車では特に反応なし。驚いたり落胆したり怒ったりする客はいなかった。村上より先の各駅から乗った人には、乗車駅で断りがあったのかもしれないが、我々酒田や鶴岡から乗った客は、車内で初めて知ったのに。我慢強い東北人だとしても、多少のため息ぐらいは出そうなのに。

遅れは取り戻せず20分遅れで新潟に着いたので、新幹線が出たのは10分前。次の新幹線まで66分待ち。
新潟駅の新しくなったホームに初めて降り立った。
左側が新幹線ホームで間に乗り換え改札口
隣のホームに新幹線の姿はなく、乗り換え改札口も閉鎖されていた。
指定席券振り替えの窓口に行列ができたが、思ったよりは短い。いなほから新幹線に乗り継ぐ人より、新潟で降りる人のほうが多いのかな。


今年大幅に縮小された車内販売について。いなほでは新潟-酒田間で、ペットボトル飲料やお菓子程度が残った。7月からは「JR東日本サービスクリエーション」という新会社が実施している。
販売員の制服はNRE時代と同じ。車販の代名詞とも言えるワゴンはなくなっており、透明な肩掛けバッグでひっそりと車内を巡回する。男性の販売員でバッグを2つ使う人もいた。乗務前後に駅構内を移動する時は、肩掛けバッグとともに黒いキャリーバッグ状のものを押していて、ワゴンよりかえって大変そうに見えた。
発車後の販売員による車内放送は、行き帰りともなく、車掌からのみ。
肝心の売り上げは下りでは、新幹線から乗り継いだ客だろうか、新潟発車後最初の巡回でちらほら売れていた。それ以外ではさほど…
車販以外で酒田駅では以前と変わらず売店も自販機も貧弱。新潟駅の新しいホームも、新幹線と乗り換える人には駅弁も自販機も買いづらそうな構造(後日)。新潟駅はおいしい駅弁が豊富(これも後日)で、かつては乗換通路に駅弁の出店があったのに。一考の余地がある。

新潟駅はまだ工事が続いている(これも後日)。
現状では、市街地側の万代口から新幹線や新しい在来線ホームまでがとても遠い。改札口からホームまで徒歩3分以上は見ておくべきだろう。下りのいなほでは、発車間際に駆けこむ人が複数いた。

帰りは普通列車に乗り換える気分になれたので、余目と酒田で乗り換えて普通列車で秋田へ。
やはり在来線特急、特に「いなほ」の旅には、新幹線とも普通列車とも違う、独特の楽しさがある。

※旅行記次は新潟駅について

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GV-E400系乗車

2019-08-26 23:46:58 | 旅行記

新潟へ行ってきたので旅行記を。まずは、営業運行を開始したばかりのJR東日本の新型車両に乗車した話。
来年2020年度、五能線などにも導入される「GV-E400系」電気式気動車。※2015年の導入発表時の記事

この車両は、普通列車用気動車(ディーゼルカー)・キハ40系(キハ40形、キハ47形、キハ48形をまとめた便宜的呼称)の代替。
新潟地区では、2018年度から試験を行い、2019年度に本格導入、2020年春にはキハ40系がなくなる。
秋田地区では2020年度に導入。五能線(リゾートしらかみ以外)のほか、津軽線、秋田以北の奥羽本線の各一部のキハ40系を置き換える。【27日補足・津軽線と奥羽本線では、701系電車に混ざって一部のダイヤに気動車が使われている】
※秋田地区でほかにキハ40系が走っている男鹿線は、今回の導入対象外。
※電気式気動車はリゾートしらかみなどの「ハイブリッド車両」とは別物(だけど通ずる点もある)。男鹿線の蓄電池式電車EV-E801系とも別。


新潟での営業運転開始は8月19日。
JR東日本新潟支社が6月27日に発表したものの、磐越西線のSL運行開始20周年イベントをメインにした文書の中で、新型車両展示会が告知され、営業開始はさらにその中で告知されているという、分かりづらいやり方。
しかも当初の投入ダイヤは現地に泊まらないといけなそうな、よそ者には乗りづらい時間帯。

それでも、運行初日には記念ハガキの配布が行われ、初乗車狙いの人が集まった(立ち客多数)とのことだが、全体的にはさほど注目されていない感じ。
これからどんどん増備され、春にはイヤでも乗れるからということはあるだろうし、新しいものより古いものを好む鉄道愛好家のほうが多いだろうし。
個人的には、あまり好きじゃないキハ40系の後継かつ新技術の車両ということで、期待をこめて早く乗ってみたかった(今後秋田に導入されても、秋田駅まで来るのは1日1往復だけのはずで、乗るのは難しそうだし)。
新潟への旅行を計画していた時に、運良く情報を得て、行程をやり繰りして乗ることにした。

19日から投入されているダイヤは、磐越西線と羽越本線の各一部。所属基地のある新津駅を拠点とし、新潟駅には乗り入れない。
17時台に磐越西線の新津-馬下(まおろし)1往復、新津に戻って羽越本線で新発田へ1往復、再度羽越本線で山形県境の鼠ケ関まで行って滞泊。翌朝9時前に新津へ戻って車庫に入るという運用。
新津も新発田も新潟駅から近いものの、この日は新潟市内の宿はほぼ埋まってしまい、長岡市に宿泊することになった。そのため、少しでも早い時間である磐越西線に乗り、終点の少し手前・五泉(ごせん)駅で降りて折り返すことにした。

運行開始からまだ1週間経っていないものの、新津駅にはそれ目当てで来た人は少なそう。高校がまだ夏休みなのか、新津発はこの時間にしては乗客も多くなかった。戻りの新津行きは、思いのほか行きより乗客が多かった。
両運転台のGV-E400形
GV-E400系は、両運転台・片運転台トイレあり・片運転台トイレなしの3形式があり、それぞれ1両ずつつないだ3両編成での運用。
片運転台トイレありのGV-E401形
GV-E400系はステンレス車体。先頭部がカクカクして「顔」が四角形じゃなく八角形のような斬新で独特なデザイン。「金属の塊から削り出した」というイメージだそう。
事前に写真を見た限り、どう評価していいのか分からない感想を持った。実物を見ても、同じだった。そんなに嫌いじゃないけど、そんなに好きでもない。

キハ40系や最近のJR東日本の普通列車用電車の車体断面は、車体の幅を限界までいっぱいに取って車体上部を広く、下のほうだけを狭めた「裾しぼり」形状。701系電車などはストンと一直線の箱型の断面で、その分、少し車体幅が狭い。GV-E400系は、最近には珍しく箱型。

前面から無塗装の側面にかけて、小さい正方形というかドットが並んで帯状になったものが6段。
そのドットの色は、上下方向に淡い色あいのグラデーション。新潟地区のE129系電車の帯(稲穂の黄色とトキのピンク色)と共通性を持たせている。秋田地区では青系統にでもなるかな?
正面右の帯の部分に「GV-E400」と書いてあるが、401や402形でも同じなので、ここは「形式」でなく「系」を記していることになる。ガラス左上に形式と製造番号を表記。


車内へ。新車の匂いが漂うが、男鹿線EV-E801系(2年以上経ってもまだ多少香っている)とは違う匂い。GV-E400系は川崎重工製造、EV-E801系は日立製作所だからメーカーの違い?
ボックスシートとロングシートが混在するセミクロスシート。オールロングじゃないのは何より。車内の全体的な光景は、最近のJR東日本の普通電車とほとんど変わらない。特に、新潟地区のE129系電車とは、座席布地の柄も同じ(優先席を除く)なので、統一感がある。【28日追記】外観と打って変わって、中はオーソドックスなのに安心。
※以下、写真は両運転台のGV-E400形。
ロングシート部分。左手前は排気筒か何かで出っ張っている
ロングシート部分では、車体幅が狭いことがなんとなく分かる気がする。
ボックスシート部分。右奥はトイレ
天井中央にピンク色の帯が入っている。床面の色が違うことはあるけれど、特に普通列車でこういう天井は珍しい。
ボックスシートは車体の半分弱ほどのスペースを占める6ボックス。片側が1ボックス4人掛け、もう一方は2人掛けでキハ110系と同じ配置。車体幅の狭さを補い、通路幅を確保するためか。
でも五能線のような閑散路線では、両側4人掛けでも間に合う気がする。

参考までに
E129系の車内。3ドアで中ドア向こうがボックス
E129系は、左右とも4人掛け×4ボックス。

客席の窓は間隔がまばらだったり、銀色の太い窓枠が目立ったり、ちょっと古くさい感じもしなくはないけど、特に暗くはなさそう。窓は下側が固定、上3分の1くらいが、内側に倒れて開くという、珍しい作りだそう。例によってカーテンはない。

ボックスシートは、そのまばらな窓割りに合わせて配置されているため、だいぶゆったりとしている。E129系も座席間隔としては同じではないだろうか。テーブルや小物置きはなし。
最近のJR東日本の普通列車の座席は、硬い座り心地が標準。ただ、見た目は同じでも、形式や製造時期によってクッションは別物のようで、微妙に感覚が違う。
仙台のE721系電車のボックスシートに座った時は、もうちょっと柔らかいほうがいいのではと感じた。でも、今回E129系に乗ったら、そんなに悪くないような気もした。

GV-E400系は、ボックス、ロングとも他形式よりもややクッション性・反発感があり、ホールド感が薄いように感じられた。ロングシートでは、背もたれの角度が急なような若干低いような気もした。気のせいか、新しくてこなれていないせいかもしれない。


ワンマン対応だが3両編成なので車掌が乗務。それでも日本語と英語の自動放送(男鹿線EV-E801系と同じ声か)が流れ、液晶ディスプレイの運賃表示器で駅名を案内していた。
EV-E801系では、ドアボタンがドアの右側にあるところと左側にあるところがあって、戸惑うのが難点。GV-E400系では、車内側はすべてドアの右側で統一されているようなのはいい【27日訂正・左側にボタンがあるドアもあるようでした。片開きドアだからそのほうがいい場合もあるのかもしれない】。車外側では左にあるドアも。


走行。現行では旧車両用のダイヤをそのまま使っているため、新型車両では余力があってフルパワーではないはずなのは踏まえたほうがいいだろう。
詳しい知識はないが、電気式気動車とは、ディーゼルエンジンを発電機として電気を作り、その電力でモーターを回して走行する、「発電機付きの電車」といったところ。
日本では戦前~戦後すぐにも開発されたものの、当時の技術ではうまくできなかったのが、21世紀になって実用化。電車と共通の部品やメンテナンス技術が使えるので、コストダウンになる。ハイブリッド車のバッテリーがないものとも言えるが、バッテリーが高価ということらしい。

座ったのはロングシート部分【28日補足・排気筒? 機器室? らしき出っ張りがある、ボックスシートとの境付近。近くのボックスシートにも少しだけ座った】。走り出すと、エンジン音と振動はけっこうある。変速したりうなったりするようなことがない単調なもの。ツイッターによれば、かすかにモーターの音が聞こえることがあるそうだが、分からず。
速度が出て加速をやめると、一転、とても静か。減速時も目立った音はなかった。
そう言えば、冷房が作動しているが、その音も耳障りではない。
さらに、気動車と言えば駅で停車中にアイドリングしているものだが、それがなかった。【27日補足・停車中に空調などで電力が必要になった時は、起動するのだろうか。】
あと、エンジン以外のレールから伝わる揺れや振動もおとなしい。

つまり、加速時だけがうるさい。加速時だけ意識すれば従来の気動車とあまり違わないけれど、それ以外の場面は電車と同等。
ホームで発車していくのを見送ると、ガリガリゴリゴリとかなりうるさい。小さい子どもの中には泣く子もいるかも。

この翌日、秋田への帰路でキハ110系気動車と701系電車に乗った。
キハ110系は加速が良く居住性も良い、好きな車両であったが、GV-E400系の後だと、いろいろ音がするし、ボックスシートは狭く、ヘタってしまったのかふにゃっと感じられた。
701系は、速いのはいいけれどモーターやレール・車輪の音が車内に響き渡り、とにかくうるさい。冷房もうるさい。そしてふわふわと揺れる。

フルパワーを出せるダイヤや上り坂での性能は気になるものの、第一印象としてGV-E400系は居住性も性能も悪くない。
秋田向けも帯色(と座席の色?)以外は同じものが来るだろうか。ボックスシートがもう少し多くてもいい気もするが、期待できる新車両だと思う。
※予定通り、翌2020年に秋田地区に導入された。

4方向から路線が集まる新津駅。向こうのホームにはキハ110系とキハ47
そのほか新潟方面の話題をおいおいアップします。※次の記事

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秋大ブロック塀 その後

2019-08-23 00:00:00 | 秋田の季節・風景

※この記事は、都合により2019年8月23日0時00分付でアップさせてもらいますが、実際には22日23時03分にアップしています。
昨2018年6月の大阪の地震がきっかけとなって、長らく放置されている危険なブロック塀が注目された。この1年ほどで、公的機関のブロック塀については、撤去や安全な高さへの改造がかなり進んだ。

昨年、秋田市内の塀を紹介した時、対応に疑問を感じたのが、国立大学法人秋田大学。
保戸野の教育文化学部附属各学校・園の道路に面した塀には、地震より後に不思議な掲示が貼られた。
(再掲)
「ブロック塀の改修工事を予定しております。工事計画については、決まり次第お知らせします。国立大学法人 秋田大学/問合せ先 施設企画課」
文面を素直に読めば、塀の工事の事前予告。
でも、これまではこのようなことはしていただろうか。
地震の後ということを念頭におけば「この塀は危険だから工事をします」、さらに深読みすれば「今、地震が起きたら塀が崩れるかもしれないけど、こうして掲示しているんだから、通行人がどうなっても知らないよ」ということではないかと勘ぐってしまった。

だって、いずれも危険なブロック塀を所有していた秋田市教育委員会、秋田県立各学校(の一部)、秋田県警察本部、そして国立大学法人弘前大学では、「地震があれば崩れるかも」もしくは「地震があったら塀から離れて」という内容の掲示を出していたのだから。
どっちみち責任逃れではあろうが、「危険であること」「万一の時は離れてほしいこと」ははっきりと伝えてくれていた。
秋大附属校園【26日補足・もしくは施設企画課など大学本部事務局】では、それらを隠して「工事します」だけで済ませようとしているように感じられてならなかった。

その後、掲示はそのまま、「工事計画」の「お知らせ」もされないまま、2019年度になったと思ったら、
「この先 工事中 通行注意」
例の道路の秋大附属校園の区間をはさむように、5月13日から7月31日まで工事する旨の看板が設置された。
ただ、「誰が」「何を」工事するのか分からない。だから、注意しろと言われても、上か下か横かどこに注意を向ければいいのかも伝わらない。
道路や各ライフラインの工事なら、こんなおかしな看板は設置しないはずだし、位置的に秋大発注の工事の可能性が高い。やっと塀が何とかされるのだろうか。でも「工事計画については、決まり次第お知らせします。」と言っていたお知らせはない。

その後、工期が進むと、
例のブロック塀が全撤去!

中央の白い一直線がブロック塀の跡
↑塀の代替として、生け垣より内側に網状の囲いが仮設された。
やっぱり塀の工事じゃないか!
秋田大学当局は、あの看板をもって「工事計画を知らせた」つもりなのだろうか。看板は「計画」ではなく決定して実施されている工事の期間の周知と注意喚起でしかない。近隣世帯や町内会には説明があったかもしれないが、最初のお知らせを目にした通行人にはそれ以外の人もいる。「工事計画については、決まり次第お知らせします。」は実行されなかったと言わざるを得ない。
例の「お知らせ」が1枚だけ放置されていた

さらにその後、
金属パネルのフェンス(?)が設置
上の写真では、右の大通り側と左の曲がった小路側とで、フェンスの上辺に段差がついている。これは、地面もその分高低差があるため。ブロック塀時代は、ブロック塀の高さを調節して、上辺はそろっていた。

撤去したブロック塀の土台部分は(敷地内の地面と同じレベルまで削って)残し、それより内側にフェンスを設置している。
フェンスはベージュ色で、スリット状の穴が空いているが、向こう側はほぼ見えない。
歩行者としては、いくぶん明るく軽快になった気もするが、やはり閉塞感のある一本道というイメージは変わらないかな。

この通り沿いには、門が3つある。端の1つは現役。残りの2つは、小学校の(敷地内での)移転前に使われていたということか、現在は常に閉じられているようだ。
表札が撤去された石の門柱は残った

こちらは全金属製の門
既存の門の金属部分は、以前はサビが出ていたが、今はきれいになった。新しいフェンスと同じ色で塗り直したようだ。
どちらの門も、すき間なくギリギリまでフェンスが設置された。学校の安全管理上当然ではある。門の注意書きはペットを連れなきゃ立ち入ってもいいように受け取れてしまうけど。

一方、大学本部や学部がある手形キャンパス。
(再掲)
その裏側には、大きな地震があれば、見るからに崩壊しそうなブロック塀があったが、注意も工事予告も掲示はなかった。
そちらは今、
撤去された ※上の再掲写真とは別の場所・別のバショウの木です
こちらは金属製の網のフェンスだが、保戸野と同じくブロック塀を撤去し土台を残し、その内側に設置している。

結論としては安全になって良かったという話だけど、その途中対応は、地域住民としては心もとない(学生児童生徒、職員にしても同じかも)。たった紙1枚貼れば、見る人を安心させられるのに、どうしてやらないのだろう。
秋田市教育委員会、秋田県立各学校(の一部)、秋田県警察本部、そして国立大学法人弘前大学にできて、国立大学法人秋田大学だけできないということはないはずなのに。
(再掲)弘前大学の掲示。今はどうなっている?

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南通りのバド缶

2019-08-22 00:12:10 | 秋田の季節・風景
秋田市中央部・南大通りの東寄り、南通築地の「中通六丁目」交差点付近。
向かい側・角から2件目の3階建てビル
1階はテナント3区画に分かれているようで、西側が酒店。その隣が楽器店だったがいつの間にかやめていた。東側は何年も前から空きテナント(元は楽器店の一部だった?)。秋田にセブン-イレブンが初進出した頃には、ここに入るのではないかとのウワサもあった。2・3階は住居か。
ビルの上に円筒形の物体
ビルのてっぺん北面には、巨大な「缶」がめりこんでいる。見慣れて気にかけないでいたが、改めて意識すると斬新。
現在は、写真のように足場が組まれている。
缶を拡大
350mlアルミ缶がモデルだろうか。底部の形状はリアル。天面のプルトップがどうなっているのか、気になる。
缶の図柄は文字が薄れた痕跡があるが、残った赤の形で、何の缶かお分かりの方もおられよう。

東と西の壁面に答えが書いてある。
「Budweiser」だけど最後の「r」が窓と重なって欠損
足場で隠れている下には「KING OF BEERS」。

なお、下のひさし状の部分に「373」とあるが、このビルは「373共同ビル」という名前だそう。373の由来は(地名としての)南通または南大通りの「みなみ」かな。ちなみに所在地は南通築地3番5号。

アメリカのビール「バドワイザー」。
飲んだことはないけれど、1990年代後半頃は、梅宮アンナなどによる「バドガール」のCMが流れるなどしていて、名前と缶のデザインははっきりと記憶に残っている。
その缶のデザインで、文字など青い部分が薄れたのが、現在のめりこんだ巨大缶。ロゴは壁面にリボンのような形の赤地に白抜きされている「Budweiser」を青文字にしたものだった。

バドワイザーは今も世界一の販売量だそうだが、最近はCMは見ていないし、存在感がなくなったような。
調べてみると、かつてはサントリーやキリンが、ライセンス契約して日本で製造販売していた。1996年が日本での売り上げピークで、その頃はキリンだったようだ。
そして、昨2018年いっぱいで、キリンとの契約を終了。現在は輸入販売されているとのこと。

さらに缶のデザインが、かなり以前に変更されていた。1997年には、横に90度回転させた横長のデザインになったらしい。
その後も変遷があり、現在は再び縦長なものの、「Budweiser」が筆記体風になり、赤と青の配分もだいぶ違って、いきなり見せられてもあのバドワイザーだとは思えないデザイン。
壁面にあるリボン状の形は、今も使われている(文字は筆記体)。

したがって、めりこんだ缶を見て、バドワイザーだと分かるのは、一定の年齢以上の人ということ。
それが工事されているのは、薄れて古いデザインになってしまった缶を新しくするため?
ではないかもしれない。

東面には窓がなく「Budweiser」が欠けていない
1階の空きテナントだった部分で、内外装の工事が行われている。
「ツルハドラッグ 近日オープン予定」
ドラッグストアが入る。
秋田市内ではいちばん店舗数が多いドラッグストアだと思われるツルハドラッグ(現在15店舗?)では、昨年9月に仲小路という、市街地ど真ん中の意外な場所に、駐車場が少ない小さめの店を出していた。
ここも似た立地で、近くにスーパーもないので、便利になる高齢者などがいそう。
空き地に建物を新築するのでなく、既存ビルのテナントに入るというのは、秋田では初めてではないだろうか。駐車場は裏手にあるのか。
バックヤードなど使い勝手はどうでしょう?
この場所では、地上に看板を立てるのは難しそうだから、バドワイザー缶を撤去して、そこがツルハマークになってしまいそうな予感。

【22日追記】これまで漠然と、この缶看板は下の酒店のものだと思いっていた。だけど、缶の周りに店舗名の表記はないし、お店のほうは日本酒のほうを多く扱っているような雰囲気でバドワイザーとはそぐわない気もする。じゃあ、酒店と関係のない、バドワイザーの企業・ブランドの広告かと思ってしまうが、上記の通りバドワイザーの日本での販売形態は変遷しているし、缶デザインが変わったり塗装が薄れたりしたのをほったらかしにするとは考えにくい。やっぱり酒屋さんのものだったかな。

【9月2日追記】その後、案の定、バドワイザーが消えて平らになり、そこにツルハのマークが設置された。夜間はスポットライト方式でライトアップ(バドワイザー時代は照明はなかった)。
9月2日に「調剤薬局ツルハドラッグ 秋田南通店」としてオープン。
普通のツルハドラッグでは、調剤はやっていないか、調剤コーナーを併設しているかのどちらかだが、この店は「調剤薬局」を冠するブランドで、調剤専門という位置づけらしい。よく知らないけど、それにしては大きい店と言える。多少は調剤でない薬も買えるけど、食品や雑貨は扱わないということなんだろうか。そんなわけで土日祝日は休み(土曜は診察する医療機関は少なくないけど…)。
普通のツルハドラッグと勘違いして来店する人がいそう。

【2022年8月5日追記・ツルハドラッグ秋田南通店の閉店について
その後、2022年5月13日(公式サイトでは15日・日曜日の営業が最後となっているが、土日はもともと休みなので13日が最後)で閉店した。跡は2022年8月時点では空き店舗。
コメント (9)
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あやめ団子の今

2019-08-21 00:20:22 | 秋田のいろいろ
秋田市中央部にある久保田城跡・千秋公園。
個人的には子どもの頃から親しんできた場所ながら、知らないこと(抜け穴とか)や中途半端な知識も多い。その1つ。

千秋公園の中には、いくつかの飲食店が散在している。
昔から存在している店がほとんどだけど、どれも利用したことはない。我々近くの者にとっては、千秋公園はちょっと散歩に行く場所であって、そこで食事をしようとは思わないからだろうか。料亭やフレンチレストランなど庶民には縁遠い店だったり、営業日が限られていたり、ひっそりとたたずんで入りづらかったりということもある。

御隅櫓の下、二の丸の階層に、あやめ園(植わっているのはハナショウブ?)がある。
木々がうっそうと茂り、地元の人以外はあまり来ないであろう西側の中でも、いちばん奥に相当する北寄り。僕は子どもの頃は来た覚えがない。あやめ園自体は1953年頃にできたそうで、2000年代に遊歩道など再整備されている。

千秋公園の「名物」として「あやめだんご」を挙げる秋田市民もいる。公園の中で売っていたもので、おそらくこのあやめ園にちなむのだろう。
だけど、上記のような経緯で、僕はあやめだんごの印象はほぼない。何か食べたような気がしなくもなく、串にささった団子でなく、あんこの中に団子が入った「しんこ餅」のようなものだったような気もしなくはないが、確証はない。常時購入できたわけではなく、いつの間にか廃業したり、当初とは別業者製造のものが売られるようになったりしたと聞いたこともあった。
名前は知っているけど、正体はよく分からない、あやめだんご。

右奥白く飛んでいる右奥があやめ園。その上に御隅櫓が位置する
あやめ園と相対するように、平べったい建物がある。

向かって右の玄関は民家のそれのようで、左側は横に長い大広間のような部屋。
現在は空き家になっていて、「建物管理者」として不動産会社の名前が表示されている。空き家になる前の看板は残っている。
「茶屋あやめ」
そう。ここがあやめだんごの店だったらしい。現在は、この通り、製造も販売もしていない。
実は、数年(2~3年?)前、ここから荷物を運び出しているという話を聞き、見に行ったらすっからかんになっていたのに遭遇していた。


秋田県立図書館の秋田魁新報見出しデータベース(本文を読めば詳しく分かるはずですが、そこまでやっていません)や、ネット上のブログ等を参考に、ざっと調べてみた。
・1980年8月28日魁・随筆欄「名物あやめだんご消ゆ」
店を経営してた片岡さんという人が亡くなって、だんごもなくなったらしい。

・1985年11月2日魁・読者は語る「作るのは年二十日だけ あやめだんご」
5年後までに復活したということなのか、過去の思い出を語っているのか、どちらか。この頃から既に、だんごは期間限定だったようだ。

・1988年4月22日魁「観桜会初日に新装オープン」「名物だんごの味に自信」「秋田市千秋公園の茶屋「あやめ」」
昭和最後の春には、確実に復活している。

・2006年のブログ「数年前に経営者が代わり山菜料理の店になった」
だんご屋としては再び廃業。
21世紀初めまでの間に、名前はそのまま山菜料理(田舎料理との表現も)を食べさせる店になったらしい。これ以降の情報は、ネット上にちらほら。

・2009年で67歳の女性が1人で切り盛りしている(片岡姓ではない)
・予約制で1日1組限定。畳敷き・長テーブルに大皿で山菜料理などを並べて宴会する形式。
・中にはグランドピアノがあり、コンサートを開催(2013年秋など)したことも。
・確認可能な最後の宴会は、2014年6月4日。

・山菜料理店になった後(2010~2011年頃を確認)も「あやめだんご」を発売していた。
花見シーズンには、看板などはないものの、宴会のかたわら販売。
新屋の「かなや菓子店(現在はない?)」という店が製造しただんご。
「あやめだんご」というシールがパックに貼ってあり、串にささってあんこを塗ったタイプの団子。桜の塩漬けが入っていたとのこと。


以上、団子屋として廃業・復活を何度か経て、山菜料理店になり、10年少しして廃業・空き家になった流れ。
恥ずかしながら、山菜料理店のことはまったく知らなかった。知る人ぞ知る店だったようだ。
それにしても、マイナーな場所というだけでなく、基本的に車は入ることができず、夜は多少明かりはあれど明るくはなく足元も良くはなく、冬(も営業していたのならば)は雪をかき分けてたどり着くこともあったはず。カモシカと鉢合わせするかもしれない。すごい場所にあったものだ。【21日補足・散策の場所としては、自然豊かで適度な運動量で最適だけど、酒を伴う飲食の行き帰りとしてはすごい場所】

上の写真の看板は「茶屋あやめ」。状態からしてだんご屋時代からのものか。
秋田市民では、この店を指して「あやめだんご」と呼ぶ人が多いはず。一方で「あやめ茶屋」との呼称も見られる。しかし、看板と同じ「茶屋あやめ」表記は多くない。
山菜料理店になってからも、「茶屋あやめ」とともに「あやめだんご」と称することもあったようだ。
正しい店舗名・屋号はどれだったのだろう。



千秋公園を管理する秋田市では、昨2018年に「千秋公園再整備基本計画」を策定した。
千秋公園の魅力を向上させるべく短・中・長期それぞれにやるべきことをまとめたようだけど、どこまで実現するか…

その中には、園内にある民間の店とも連携して行うことも盛りこまれていた。廃業した割烹松下を、秋田舞妓の施設にしたような感じで。
それには「あやめ茶屋の移転又はデザインコントロール」も挙げられていた。※ここでも「茶屋あやめ」ではない。
あやめ茶屋の外側の樹木を伐採や剪定して眺望確保したり、同じ階層の南側にある市の公園管理事務所を移転させた跡に茶屋を移転させたり(和洋高校とマンションがあるので眺望は?)といった構想。
この時点では、あやめ茶屋は営業していて、将来も営業を継続するつもりだったのだろうか。あやめ茶屋がやめてしまった以上、これはナシになるのか。

市の計画は別として、空き家となった建物の宴会場だった部屋を見て、外向きにも窓が多いのは分かった。窓からは木々の緑しか見えない。
今の季節、公園の外から来てこの木々の中に入るとひんやりする。だから宴会場の室内も、きっと涼しい。【21日追記・強い西陽も、木々がさえぎってくれる。】この窓を網戸にして開け放てば、自然のクーラーの極楽ではないだろうか。飲食なんかいらないから「お昼寝部屋」として使わせたらいいかも。管理は大変かもしれないけど、夜も泊まれる場所にしてもいいかも。千秋公園で寝る(野宿じゃなく)なんて、かなりぜいたくな体験になるのでは?

※その後、この年の秋には建物が解体されてしまった
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新秋田犬バルーン

2019-08-18 20:12:56 | 秋田の季節・風景
昨2018年秋の秋田県の観光キャンペーンの時、秋田駅中央改札口前に秋田犬の巨大バルーンが設置された。
観光キャンペーンが終わった12月以降も、JR東日本の冬の東北キャンペーンのためとして、引き続き置かれ、さらにもう1体増えたナマハゲの巨大面も置かれた。
いずれも秋田県が所有するもので、JR東日本が借りている形らしい。
最初からいたおすわりした秋田犬が2016年、立ち姿の秋田犬が2017年の制作。別の場所で開催されるイベントなどでの展示のため、どれか1つがいなくなることもある。
冬のキャンペーンが終わり、春になって令和になって夏になっても、そのまま。秋田駅を訪れる人たちに人気ではあるが、いつまでもこの状態なのだろうか。

そして8月(7月29日にはこうなっていたようだ)。
新たな巨大秋田犬現る!
伏せて舌を出した姿勢。左前足で骨をおさえている。
最初からいた、おすわり秋田犬はなくなり、立った秋田犬は続投。

以前の2体は、浮き輪みたいなビニール系の素材で、常に送風されて膨らんでいる「バルーン」であった。一方、新しいものは、
ぬいぐるみ??
表面がテカテカしていなくて、ふさふさしたように見える。送風機も見当たらない。中に綿が入った巨大ぬいぐるみかのようにも見えた。
目も、これまでのかいたものとは違う。全体的にぐっとかわいらしくなった。


今までのバルーンは、夜の間は送風を止めて、バルーンをその場(台上)で小さくたたんでカバーをかけていた。なお、膨らんでいる時間帯は観光シーズンなどによって異なり、一定ではない。
新しい秋田犬は、夜間は…
やはり小さくなって布をかけられている!

背中などに継ぎ目があるし、右後足付近に空気穴らしきものも
新しい秋田犬も、ぬいぐるみではなくバルーンのようだ。起毛素材で作った、常時送風しなくてもいいタイプということか。

お尻もバルーンっぽい
しっぽの下の「×」、足の裏の肉球、足の先の爪などアクセント。

秋田犬ブームに乗って、秋田県が3体目を作ったということなのだろうか。秋田駅で撮影する人たちには、立ち姿よりも新しいほうが圧倒的に人気(ナマハゲもなかなか人気です)で、とりあえず意味はある。
でも、4体目、5体目と作るべきものではないと思うし、いくらするのか知らないけれど、観光のためでも違うおカネの使いみちもたくさんあると思う。弘前駅の巨大リンゴも同じような存在だけど、あれは1つしかないはず。
秋田犬バルーンにはさらに別の…(リンク先後半)、そして2022年にはこのバルーンが分裂?!

【2021年1月15日追記】2021年1月15日付秋田魁新報によれば、起毛バルーンは高さ2メートル、横3.9メートル、奥行き2.1メートル。JR東日本秋田支社の所有らしい。
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菅野地下道まもなく廃止

2019-08-15 23:41:37 | 秋田の季節・風景
秋田市北部と中央部の境、泉地区・外旭川地区に2021年春開業予定のJR奥羽本線の新しい旅客駅。
JRによる駅施設の着工は今年11月頃だそうだが、秋田市による駅前広場など周辺施設の工事は、いよいよお盆明けに始まる。
「通行止のお知らせ」「新しい駅前広場を作っています」
駅前広場の工事看板が2枚あるのは、泉側と外旭川側が別発注のため(同じ業者が受注したけど)。これは土木工事のもので、この後、建築工事もそれぞれ行われるとのこと。

新駅は、線路や鉄道施設の下をくぐる、市道のアンダーパス「菅野地下道」の上にできる。
菅野地下道を廃止し、両側を埋め立てて駅前広場に、線路の下は駅利用者や歩行者の自由通路にするのが、これらの工事。

菅野地下道は、8月19日から、車両も、歩行者も全面通行止めになる。
通行止め区間は「令和3年3月31日まで」となっているが、これは誤解を呼ぶ。上記の通り市道としては廃止されるので、車はもう永遠に通行できない。歩行者(自転車も?)は、駅開業のあかつきには、自由通路として再び通り抜けできることだろう。
【20日追記】8月20日付秋田魁新報 秋田市地域面によれば「歩行者や自転車が通れる約100メートルの地下自由通路」。

再掲)菅野地下道
泉と外旭川を結ぶアンダーパスは複数あるが、(北側の外旭川アンパスは別として)いずれも昭和30年代後半の建設で、歩道がなく、道幅も広くない。車がまだ多くない時代であるばかりか、泉も外旭川も一面の田んぼだった時代だから、それで足りたのだろう。
菅野地下道は、アンダーパス部分での車のすれ違いは不可能で、対向車がいれば入口で待つ必要がある。取り付け道路部分はカーブがあり見通しが利かず、車も歩行者も注意を要する。
細い道路が入り組んだ泉側。中央奥を左にカーブして地下道へ
菅野地下道の利用者は極端に多くはないが、車は昼間なら1分に1台くらいの割合で通るのではないだろうか。大通りからは分かりにくいためか、両地区住民の通り慣れたドライバーがほとんどのようで、うまく譲り合ってはいる。
ここ20年ほどは、泉菅野側にスーパーやドラッグストアができたこともあるのか、外旭川から自転車や徒歩で行き来する人もちらほらいる。
「通学路」との看板が出ているが、外旭川のごく一部のエリアでは寺内小学校→泉中学校が通学区として指定されており、菅野地下道でないにしてもいずれかの地下道を通らないと、現実的には通学できない。(外旭川小→外旭川中のほうが安全で、何より近そうだけど…。秋田市の学区分けはたまに不思議な場所がある)
住宅に囲まれた外旭川側。奥で右にカーブし地下道へ
菅野地下道の廃止については、地元では反対の声も出ている。この北側に新しいアンダーパスの計画(グランマートと菅野郵便局の間の草地みたいな所に出るはず)があるが、まだ先の話になりそう。他の地下道に車が増えるかもしれない。
車はいいとしても、歩行者は、工事中は遠回りさせられる人もいるはずで、大変。
いずれにしても、人口も車も増えてしまったこの場所で、この地下道をこのまま使い続けるのは、無理があり危ないと思う。
【18日補足】新しいアンダーパスは「都市計画道路泉外旭川線泉工区」。今年度に支障物の撤去工事を行い、来年度2020年度に鉄道の下部分を着工する計画のようだ。開通は新駅開業より後になるのは確実。


さて、今年春、駅予定地付近の既存のJRの建物が壊されていると取り上げた。
本線の上下線が離れて通っている間のスペースに建つ、古くて使われていない、かつて「秋田機関区」や「秋田運転支所」であった建物がある。それが外旭川側(上り線際)から解体されているように見えた。
(再掲)骨組みだけで中が丸見えになっていた
ところが、外旭川側の壁がなくなった後、初夏になっても解体はいっこうに進まず、足場が組まれた。7月には、
壁がきれいになった!?
新たな壁が張られ、サッシ窓が取り付けられた。他の部分は以前と変わらず。

上り線際に、低い部分がせり出していたのだけは、なくなった。「部分解体」ということか。
今後、この建物は使うつもりなのでしょうかね
この建物の泉側(上の写真では裏側)には、別棟で似たような建物がある。そちらはガラスが割れるなど状態が悪いが、それは手付かず。

駅の完成予想図を見ると、この建物の場所は、新駅のホームがかかりそうだが、駅舎はこの北側にできるので全部解体する必要はない感じ。ホームの邪魔にならないように、建物を小さくしたのかもしれない。
外旭川側・北側から。茶色柵の下が地下道。右側に駅舎ができるはず

続きはこちら
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鏡天/盆とうろう

2019-08-13 18:57:02 | 秋田の季節・風景
お盆の仏事の風習。
秋田やその隣県の一部地域では、全国的に見て珍しい供え物や飾りが行われることを、これまで何度か紹介してきた。
2016年の記事など参照。
※秋田県内どこでも同じではなく、地域や宗派、家庭ごとに違いもあります。我が家独自のルール(無意味なこだわり?)であったり、誤りもあるかもしれません。一例としてご覧ください。

まず、これまで取り上げていなかった「鏡天(かがみてん)」。これも地域限定なのだった。
我が家では、お盆に仏壇に供えるお膳料理(※)の1品として、欠かせないことになっていた。
※ネットによれば、全国的には「霊供膳(りょうぐぜん)」または「御霊供膳(おりくぜん)」と呼ぶそうだ。うちの年寄りは「おれきぜん」または秋田弁らしく「おれきぜんッコ」と呼ぶ。

鏡天はスーパーで売っている。
かがみ天
秋田では最大手であろう豆腐類メーカー、秋田市の「臨海食品協業組合(ブランド名:りんかい食品)」の商品。浅い豆腐容器みたいなのに200グラム(サイズは11センチ弱×8センチ、厚さ3センチ弱)入って100円ほど。常温保存。

お盆前の期間限定生産・販売のようで、お盆用品コーナーに置かれているが、冷蔵の豆腐・コンニャク売り場に置く店もあった。
消費期限欄はスタンプなどでなく、「2019年8月31日」とバーコードや各種表示と同時に印刷されていることからも、お盆限定生産であることがうかがえる。
【18日追記】下の写真の通り「消“費”期限」となっているが、消費期限は5日程度で品質が低下する食品用。この寒天は「賞味期限」のほうが妥当ではないだろうか。

ほかに、りんかい食品製で同サイズで赤や緑に着色したもの(鏡天じゃない商品名だった※=下の追記参照)、秋田県内陸南部のメーカー製で、着色だけでなく部分的に色を濃くして溶き卵を流したような見かけのものも見かけた。

りんかい食品のは、大きく書かれた商品名は「かがみ天」、品名欄は「かがみてん」となっている。
そして原材料名欄は「寒天粉」のみ!

そう。鏡天の正体は「味なし寒天」!
カビの観察とか、植物片から植物体を作る組織培養などでは、こういう見た目の寒天培地に植え付けるが、あれはそれぞれの生育に必要な成分を寒天に溶かして固めている。こっちは寒天のみ。
味なし寒天なら、安い寒天粉(粉寒天)を買ってきて、お湯に溶かして冷ませばできてしまうから、これで100円は高い気もするけれど、値段は手間がかからない分ってことでしょうね。
これを適当にカットして、盛り付けることになる(他の方法は後述)。

【18日追記】※りんかい食品の色付きは「色かんてん」という商品名で、ピンク(赤)と緑を確認。期限はやはりいっしょに印字されていて、8月31日まで。寒天と着色料だけが原料で、やはり味なし。
かがみ天にはなかった「カットしてサラダ、デザートに。」という使い方の説明書きもあった。
【2020年8月12日追記】りんかい食品のスーパーでの販売価格は、無着色のかがみ天が100円程度、色かんてんはやや高く130円程度。
2020年版のかがみ天は大きな変更はないが、食品表示法の経過措置終了を受け、ラベルの内容が若干変更。商品名の書体とイラストは同じだが、印刷がやや青みが強くなった。変更点は、「品名/かがみてん」の代わりに「名称:寒天」になり、原材料名は「寒天粉(韓国、チリ)」と原産地が表示され、栄養成分表示を新設。100gあたり推定値で炭水化物1.8g、その他は全部0。


さて、鏡天の意味など。
お盆は暑い時期だから、涼しげな寒天は見た目にもふさわしい。だから全国的な風習かと思いがちだが、違うらしい。
秋田の特に内陸部では、食文化として寒天が根付いている。野菜や玉子など、なんでも寒天で固めると言われるほど。それも関係しているのか、とすれば秋田限定なのか?

ネットで調べると、秋田と青森(西側の津軽地方?)だけで見られるようだ。どうも秋田より津軽のほうがより盛んな感じ。
山形県庄内地方でも、鏡天を供えるとの情報も少しあった。モナカの皮の「盆とうろう(後述)」の分布と、おおむね重なるのかもしれない。

秋田ではあまりないが、津軽では「法界折」という折り詰め料理をお盆にお墓に供える。その1品として鏡天を入れるのが、津軽ではオーソドックスな供え方のようだ。
津軽でも、秋田と同様な四角い鏡天もあるようだが、水まんじゅうのようなドーム形のものもあり、そちらのほうが本来の形という情報もあった。秋田では水まんじゅう形は見たことがないが、ネット上の写真ではまさに水まんじゅうとかゼリーみたいで、おいしそうに見える。
それに、鏡天は「寒天」ではなく、突いて糸状にする前の塊の「ところてん」が本来らしい。※ところてんを凍結乾燥させたのが寒天。
鏡天の意味は、「仏様を映す鏡」「仏様は普通の鏡には映らないので、鏡天に姿を映して身なりを整える」とするサイトがいくつかあった。
お盆は、仏様(故人)が自宅へ帰る行事だから、帰宅するご先祖が身なりを整えられるようにという配慮なのか。昔の鏡といえば円形だろうから、それが本来の形ということか。
【28日追記】鏡天と関係あるかは分からないけれど、秋田では、具が何も入っていないみそ汁(醤油仕立ての汁物なども含むのかも?)のことを「かがみ汁」と呼ぶ。これは水面が鏡のようだからということなんだろうか?

2012年の「青森県立郷土館研究紀要第36号(31-36)」に「城下町の商家の年中行事-青森県弘前市石場家調査報告-」という、弘前公園近くの旧家の風習をまとめた報告があった。その「盆」。
「料理は、仏壇、タナッコ、「ほっけおり」(法界折)3つの計5食を用意し、内容はすべて共通である。」
「ただし、法界折1つについては、鏡天をゼリーで代用する。」
どうして?
「理由は、スーパーで販売されている鏡天が1パックに4個しか入っていないため、2パック購入すると3個が無駄になるからである。」
おおらかなのですね。(じゃあ、全部ゼリーでも…)
したがって、石場家では、豆腐容器入りでない、水まんじゅう形のものを使っているようだ(論文にはモノクロ写真が掲載されていて、そう見える)。

そう言えば、青森で市販される法界折のセットには、1口大のカップに入った色・味付きゼリー、いわゆる「メン子ちゃんゼリー(宮城のメーカーで東北中心の流通らしい)」タイプのものが添えられていることも多い。
生きた人間がデザートとして食べておいしいようにということかもしれないが、鏡天の代用の意味もあるのかもしれない。でも、寒天よりゼリーのほうが高温に弱いから、真夏の屋外では溶けるかも。



後半は、おなじみ「(盆)とうろう」。さげもの、とろんこ等異称多し。
仏事にちなんだアイテムなどをかたどった、厚手のモナカの皮状のもの(色が着いているのが基本)を、仏壇や盆棚につり下げるもの。
北海道から山形にかけての日本海側を中心に行われるようで、特に秋田県と青森県津軽で盛んな模様。山形県庄内では、モナカでなく落雁状らしい。岩手県では一般的ではないらしいが、近年は秋田のものを販売するスーパーもあるそうだ。

製造業者は複数あり、形や色が違うが、秋田ではたけや製パンのものがメジャー。
ところが、青森県ではたけやと中身も袋もそっくりなものが「かさい製菓」から発売されており、どちらかが製造を請け負っているのか、両社とも第3の業者へ委託しているようだ。

青森市の「(株)種金 山野辺商店」もしくは「八甲堂」ブランドのとうろうもあり、ザ・ガーデン自由が丘西武秋田店では、毎年、たけやのよりも多く取り扱っていた。たけやのと同サイズのものと、少し小さいのと2種類あり、たけやより色が鮮やか。
(再掲)2016年の種金 山野辺商店名義の小さいもの
「山野辺最中種製造所」というモナカの皮専門メーカーだそうだ。

2018年12月1日付朝日新聞東北ブロックの特集で、ここ(と思われる製造元)が取り上げられていた。
「青森市でこの最中を6月まで作っていた山野辺さん…」
過去形になっていて、廃業したかのように読める。2018年のお盆用は売られていたのに。2019年はどうなるかと思っていた。

2019年のザ・ガーデンでは、2018年よりたけやの扱い量が増えた感じはしたが、昨年までの山野辺さんのと同じに見えるのも、大小それぞれ売られていた。
2019年購入
中身も、商品名「お盆供養とうろう」も、袋のデザインもほぼ同じ(中央の菊のイラストが立体的になった。こういう形の最中は実在するね)だが、北津軽郡鶴田町の「サトウ商事」に代わっていた!
サトウ商事は、もともとはしめ縄・しめ飾りを製造販売する企業。
【12月30日追記】2019年末にイオン秋田中央店の正月用生花コーナーで売られていた、ユズリハと松の枝を1本ずつセットにして140円の「ゆずり葉」に製造販売者名はなかったがバーコードが付いており、それによればサトウ商事の商品のようだ。松ヤニが多かったけど、モノは良かった。

これにより、バーコードも変わったほか、原材料が表示された。「もち米・ワキシースターチ・(以下着色料)」。
食べられない旨も書かれており、非食品だから表示の義務はないのだろうが、たけやでは以前から表記されていた。たけやでも、もち米、ワキシースターチの順だった。

朝日新聞によれば、「元々は農家が副業で作っていたもので、山野辺さん自身も秋田県の農家から手焼きの型を買い取り、1960年代に造り始めた。」。
60年近く前の秋田の型を今も使い続けているのかは不明だが、現行の型や袋のデザインは、青森市の山野辺さんから鶴田のサトウさんに引き継がれたのだろう。
秋田と津軽。盆とうろうでの結びつきは深いと言える。

2020年の盆とうろう事情。消費税率、サトウ商事の製造風景など。
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続・封鎖階段と惣菜シール

2019-08-11 20:41:56 | 秋田の季節・風景
前回の封鎖された(させた)階段の続き。
前回の掲載写真は、竿燈まつり直前までの撮影。その後、少々変化していた。
ベニヤで閉鎖されたニューシティ側下り口
ベニヤ板に、何か張られた。
右の大きなポスターは、ダンスイベントの告知。文化庁はじめ公的機関が関わっているようなので、勝手に張ったのではないのでしょうね。金属製の画びょうで留められている。
左側にも、同じサイズの輪郭に合わせて画びょうだけ刺されている。何か張られていたのが画びょうを残して撤去されたのか、今後、掲示する時のために画びょうだけ準備しているのか。
じゃあ、ここは「掲示板」になったの?
【21日追記】その後、8月20日には、ダンスイベントのポスターがなくなって、何も貼られていない状態。イベントは9月初め開催のはずだけど??(前売り券完売とか?) そして、板の左側に黒いペンで落書きがされた。

そして中央の小さい掲示。
「透明部分=危険●近寄厳禁」「さわるな危険」
ラミネートされ、プラスチックの画びょう留め。
「近寄厳禁」とは聞き慣れない言い回し(Google検索結果57件)だが、意味は分かる。その一方、近寄らないと触れないのに、「さわるな」とも。

「透明部分」とは? この面では分かりづらいが、側面を見れば、
これのことね
前回も指摘したように、側面や背面のガラスに、ヒビが入っている。だから、近寄ったり触ったりしたら、割れるかもしれないから、危ないよと言いたいのか。たしかにそうだ。

公道の歩道の代替として機能し、誰でも通行できる場所に所在し、かつ自分たちの都合で廃止後もずっと放置している階段入口なのに、それにしてはきつい言い回しというか仰々しいというか、そんな感じも受けてしまった。「ガラスに触らないで」くらいでいいのでは?
【11日追記】それと、誰が掲示したのか、つまり管理者の名前とできれば連絡先も表記してほしかった。仮にさらなる劣化・破損を通行人が発見しても、知らせようがない。

ひと月前までは、近寄って触るどころか、階段を下りて地下へ出入りすることすらできる状態だったのが、この激変ぶりには、申し訳ないけれど笑ってしまった。
何かあったらまさに危険だし、現状ではこれが妥当な対応ではある。やはり、長期的には、撤去するか、きれいにして再活用するか、考えてほしい。


向かいのニューシティ跡地側は、
同じ掲示
封鎖している板の見た目がそれぞれ違うから、両側で管理者が別々なのかと推測したが、注意書きは共通だった。
側面のガラス越しに階段内部を見ると、ニューシティ側は、正面から見ると白いパネルで封鎖されているが、その裏側は木の板であった。内壁の落書きは消されていない。

↑この写真で気付いた。階段入口の構造物は、細かい正方形の格子のタイルになっている。そのタイルは、イーホテル側は外側も内側(=階段内)も白で、これは建物本体の壁や通路の路面とそろえていることになる。同時に竣工したのだから当然。
ニューシティ側では、内側は白ながら、外側は薄いピンクというか肌色のような色。これは地下道建設時のニューシティの建物の色。こちら側も、既存の建物とそろえようという気持ちがあったようだ。
なお、建物の外壁は、ニューシティオープン時から肌色で、ダイエー末期にクリーム色に塗り替えられた。路面のタイルは最後まで肌色~茶色系統だった。
(再掲)ニューシティ解体前に看板がはがされ、塗り重ねたクリーム色の中に当初の壁の色が現れた

地下道階段についてはここまで。
前回、イーホテル側の階段が封鎖されたのと同じ頃、その柱に、沖縄のスーパーマーケット「サンエー」のものと考えられる「惣菜」の納品時の仕分け用らしきシールが、なぜか新たに貼られたことに触れた。

すぐ近く、竿燈大通りの日銀秋田支店前交差点では、
ここにも「惣菜」!
大通りを渡った先の歩行者用信号機の下に設置された、交通弱者(青延長)用押しボタン箱の側面にも貼られていた。

さらに1ブロック東・1ブロック南、川反の中の料亭濱乃家の角の道路標識の柱にもあった。
さらに1ブロック南の電柱のパイプにも、
ここにも「惣菜」!

少なくとも4枚も貼られている。おそらく歩いて移動しながら貼ったのだろう。
しかも、いずれも反時計回りに90度回転した向きに貼られ、本来は店舗名を書きこむ余白には、黒で「Z゛」のようなものが書き足されている(濱乃家のははっきりと確認していないがおそらく)。

最近(ここ10年とか?)、街中の柱や標識などに、意味の分からない記号のようなものが小さく落書きされていたり、それが書かれたシールが貼られているのを見かけないだろうか。今の「落書き」と言えば、こういうのが主流(?)のようだ。壁にスプレーで「夜露死苦」とかじゃなく。

犯罪行為ではあるが、「Z゛」の意味、なぜ沖縄のスーパーなのか(千社札のような感覚で貼ったのか)。いろいろ気になる。

【12日追記】ちなみに、サンエーの惣菜は、なかなかおいしいらしい。中でも鶏の唐揚げは、からあげグランプリで金賞を受賞したり、マツコ・デラックスの番組で取り上げられたりしたそうだ。
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行き止まり階段の先には

2019-08-08 22:40:19 | 秋田の季節・風景
秋田市大町二丁目。
左がイーホテルショッピングモール、右が大町イベント広場(+月ぎめ駐車場)
上の写真では、イベント広場で、竿燈まつり協賛のグルメフェスティバルの会場設営中なので若干にぎやか。

昔の秋田市を知る人からすれば、イーホテルショッピングモールと大町イベント広場ではなく、「(ファッションアベニュー)AD」と「秋田ニューシティ」もしくは「ダイエー(秋田店)」のほうがしっくり来る。※秋田ニューシティの核テナントがダイエーで、途中でダイエーが撤退したという流れ。
もっと古い人には、「本金(ほんきん。西武秋田店の前身)」と「辻兵(つじひょう。イベント広場の所有者であり、現在の制服などの店舗はイーホテル内)」。

イーホテルショッピングモールといっても、ホテル以外の商業施設はほぼ空き家【9日補足・商業施設は、1階だけ通路として通り抜け可能】。
イベント広場といっても、イベント開催は年に数えるほど。【11日補足・近隣別会場でのイベント時や周辺ホテル宿泊客の貸切バスの「臨時駐車場」として使われることのほうが多い】
30年前、いや20年前と比べたら、寂しいエリアになってしまった。
それぞれの所有者・管理者たちは、今後、ここをどう使いたいのかまったく見えてこない。市民としては、かつてのにぎわいの復活とまではいかなくても、もう少し使いようがあるように思えるのだが。

さて、ここの市道には歩道がない。ニューシティがあった頃は、その建物沿いのひさし付き通路が歩道の代わりを務めていた。
イーホテルショッピングモール側も同様(屋根は一部のみ)で、今もそう。
路肩を歩くより広くて安全
上の写真、通路の市道際・電柱の横に、通路上に突き出た構造物がある。道路斜め向かい(写真右奥)、ニューシティ跡地の日本銀行秋田支店寄りにも、逆向きに同じものがある。
これは何?

ADができた後(1987年)~ニューシティ閉鎖(2010年)前を知る人なら、正体はご存知だろう。

市道の下をくぐって、ADの地下フロアとニューシティの地下フロアどうしを結ぶ、地下道というか地下通路があったのだ。私設の地下道ということになろう。
地上の道路(通路)から、直接地下道へ出入りできるようにもなっており、その階段の下り口がこれ。

真上の市道上に横断歩道があるので、単なる道路横断目的のみで使う人はいなかったはずだし、階段が狭くけっこう急で、それぞれの店内のエスカレーターなどで地下へ行ったほうが何かと楽で、そんなに使う人はいない階段だったと思う。夜間は閉鎖されていた。【9日追記・冬の除雪・融雪はどうなっていたのだろう。滑って転落しそう】
そんな階段が、しぶとく残ってしまっている。両方の商業施設が閉鎖・解体されて地下道として機能しなくなった後も。

存在が当たり前になっていて、目に入ってもまったく意識しないでいたが、今年7月、上の写真の状態を見て気がついた。

この状態では、階段を下りることができてしまう!
ニューシティ閉店~解体の段階で、地下道も使用停止とされ、閉鎖された。閉鎖直後は、階段を下りられないように何らかの措置がされていたはずだけど、それがなくなっている。注意書きもない。

Googleストリートビューで確認すると、2018年7月には、通路中央に色あせたコーンが置かれていた。改めて上の写真を見ると、市道の路肩・電柱の前にそのコーンが動かされてしまっている。

階段の上から下(底)をのぞきこむと、さらにびっくり。
階段の底、地下道本体の入口のところにはシャッターがあって、地下道廃止時には下ろされていた。階段は下りて行き止まりの状態だった。
それが今は、半分以上上がってしまっている。これでは、階段の下からさらに地下道内へも立ち入りできてしまう。
画面中央の真っ黒い部分が地下道内。その上の白っぽいのが上がりかけのシャッター
見下ろした限りでは、地下部分は当然真っ暗で、往時のままのタイルが張られ、うっすらと水がたまっているように見えた。

階段地上部の位置する通路が、実質歩道代替として機能していることを踏まえれば、一般歩行者が、閉鎖されているはずの階段を下りることが可能で、閉鎖されているはずの地下部分へも進入することが可能な状態。封鎖されず注意書きもないのなら、それをとがめる根拠もない。
単なる好奇心、あるいは人目がない場所で何らかの悪事を働こうとして、そうしてしまう危険性がある。
はたまた、酔っぱらいや認知症の人が、人知れず階段に入って転倒して下まで転げ落ち、誰にも気付かれずにそのまま…ということだってあり得る。

では向かい側は?
ニューシティ側は、位置的に歩道代替にはなっていないが、すぐ横にバス停や自販機があり、誰もが容易に近付くことが可能。
こっちも
ストリートビューでは、2018年7月には黄色と黒のロープで封鎖されていたが、今はそれがずり落ちてしまって、やはり出入り自由。
こちらの階段の底は、シャッターが下りていて地下へは入れない。その一方、階建の手すりが外れて階段をふさぐように横たわったり、内側の壁に落書きされている。昔はコーンがあったようで、それも階段途中に存在。階段はこちらのほうが“荒れて”いる。
再掲)ニューシティ閉鎖直後。ロープに札も下がっている

安全と美観の点から、これはよくない。仮にも秋田市中心市街地で、竿燈まつりの時には多くの人が集まるのに。とりあえずがっちり閉鎖してもらわないと。
でも、この地下道は誰が管理しているんだろう?
両商業施設(跡地)の所有や管理をしているであろう、辻不動産やイーホテルなんだろうか。それらに伝えたとしても、ちょっと心もとない予感もした。
市道の歩道代わりの通路上にあるのだし、竿燈まつり直前、中心市街地の活性化というこじつけで、所管外なのは承知の上で、秋田市役所に対し、管理者へ仲介なり伝達なりしていただけないか、お願いしてみた。

その後、7月末には、
イーホテル側
イーホテル側がベニヤ板で全面封鎖。これなら階段を下りようとする人はいるまい。
なぜか、以前は何もなかった柱部分に、
「惣菜」のシール?
「サンエー」というロゴマークもあり、それによれば沖縄県のスーパーマーケット。商品の納品時に貼るシールっぽいけど、それがどうして秋田に突然現れたんだ??【末尾にリンクを載せた、続きの記事も参照】
この段階では、ニューシティ側は変わらず。

8月に入り、竿燈直前。
ニューシティ側も全面封鎖
イーホテル側より立派な白いパネル。

まずは、的確に対処いただいた市役所に感謝。迅速に対応いただいた管理者にも(ただ指摘される前に気付いてほしいというか、あんな状態にしない努力をしてほしかった)。
両側で対処の時期と方法が異なったのは、今も管理が両側でそれぞれ分かれているということなんだろうか。
長期的には、もう地下部分を使わないのであれば、せめて地上構造物は撤去・埋設することも検討すべきだろう。サビが出た支柱やガラスのヒビなどの危険もある。このままでは意味のない謎の構造物(路上観察趣味の世界では「トマソン物件」と呼ぶのかな?)だ。


さて、この地下道の地下部分は、階段と比べてもかなり広く「イベント広場」の意味もあった。【9日追記】地下道閉鎖後、上のニューシティ跡地が「イベント広場」になり、交代したような形になったのは、意図したのか偶然なのか。
再掲)背後がAD、奥のドアの向こうが営業中のニューシティ
おそらく今も地下部分はひっそりとそのまま残っているのだろう。
本体が解体されたニューシティ側は別として、イーホテルショッピングモール側は、建物自体は営業時のままのはずだから地下フロアと行き来できる構造は保たれていると思われる。そのショッピングモール本体は、所有者や警備保障会社が維持管理しているだろうけど、地下道部分はどうなっているのだろう。上がったままのシャッター、たまった水からすれば…
それに、素人目には、このまま50年100年と経てば、上の市道への影響、すなわち陥没するようなことにならないのか心配。


階段の下でシャッターが上がっているのに気づいた時、その中へ入っていきたい衝動に駆られた。
そこには、今もかつてのにぎわいが続くパラレルワールド、あるいはにぎやかだった数十年前へタイムスリップできる、そんな異世界への入口があるような気がしたのです。
階段が厳重に封鎖されて(させて)しまった今も、その中では…

【9日追記】ツイッターには、県外から訪れた人が「秋田市の街中にある不気味な地下道。入りたくはないけどついつい覗き込んじゃう」として、階段下り口の写真をアップしていた。夜の撮影で、たしかに不気味。昨年秋のようだが、その時のイーホテル側にはまだコーンがきちんと置かれていた。

※封鎖された階段と「惣菜」シールについて、このすぐ後の新たな記事
コメント (4)
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盆バスダイヤ/kagoya中央交通?

2019-08-06 20:47:32 | 秋田のいろいろ
来週は月遅れのお盆。
お盆で仕事などが一斉に休みになるとすれば、これまでの感覚では8月13~15日の3日間もしくは16日までの4日間が多かったはず。
ところが、2016年から8月11日が新たな祝日・山の日にされ、働き方改革もあって、お盆休みの概念は拡大されつつあるのかもしれない。
今年2019年は、11(日)・12(振替休日)・13(火)・14(水)・15(木)・16(金)。週休二日かつお盆休みが4日間なら、そのままで9連休になる。

さて、バスのダイヤのこと。
お盆中は、平日でも土日祝日ダイヤを適用する事業者が多いが、年末年始がそうであったように、対応は各社まちまち。
秋田市では、秋田市営バス時代から、13~15日の3日間を土日祝ダイヤとしていた。少なくとも昭和末期からずっと。中央交通へ移管後もそれは変わらず(移管前の中央交通は知らない)、2018年も。

2019年7月22日付で中央交通ホームページに掲載された「お盆期間中のバス運行について(2019.8.13~8.16)」を見て、引っかかった。
「8月13日(火)~8月16日(金)の間、土日祝ダイヤで運行させていただきます。」だそうで、適用期間が16日にも拡大されて4日間に!
【10日補足】したがって、今年は前後の土日と合わせて、10日から18日まで土日祝ダイヤが9日連続。
バス停掲出の時刻表では、
不鮮明で恐縮ですが
2018年10月改正の時刻表の注記に「8/13~8/16は、土日祝ダイヤで運行します。」と既に出ていた。小さく。
中央交通の場合、年末年始の対応と合わせて考えると、毎年の曜日配列に応じて変えているのではなく、来年以降も含めて16日まで伸ばして固定した可能性が高い。

多くの人の休暇期間とバス利用状況、バス会社側の休暇も考慮すれば、やむを得ないとすべきだろう。
ただ、この周知でいいのだろうか。
この程度の告知では、昨年までと同様に16日は平日ダイヤだと思いこんでしまう人もいるかもしれない。平日のみ運行路線に乗って16日に通院しようとか、平日のみ運行の便(始発/終発便など)でどこかへ出かけようなどと、計画してしまっているかも。
中央交通としては、10か月も前から時刻表に書いてあるし、ホームページでも告知していると言いたいのだろう。その裏には、前向きな変更ではないから、ひっそりと済ませたいという心理もあるはず。
だからこそ、「今年から16日にも適用させてもらいます」と断りがあれば、見た人も分かりやすいし、より理解してもらえると思うのだけど。
マックスバリュ東北の第2日曜5%引きの廃止とか、NHKの休日の県域ニュース縮小などと同じことを考えてしまう。


上記は秋田中央交通の一般路線バスの話。
秋田市内でも、秋田市が運行主体の郊外部の「マイタウン・バス」は違う対応。
地域ごとに委託先が違うので時刻表も違い、お盆の適用日が明記されていないものもあったが、秋田市交通政策課のホームページに、
「秋田市マイタウン・バスの各路線は8月13日(火曜日)から8月15日(木曜日)まで、土日祝日ダイヤで運行いたします。」
と掲載されており、マイタウンバスではどの地域でも、これまで通り3日間だけ土日祝ダイヤで、16日は平日扱いになるようだ。
16日のマイタウンバスと中央交通一般路線バスとの乗り継ぎ拠点では、平日ダイヤと土日ダイヤの間での乗り継ぎになってしまい、うまく接続できないケースが出てしまう可能性がある。

西部地区、東部地区は中央交通の子会社が受託しているので、親会社と子会社で扱いが異なる。
マイタウンバスのほうは受託の契約の都合などで安易に変更できないのかもしれないが、中央交通本体路線と乗り継ぐ客もいるのだから、足並みをそろえることもできたかもしれない。


ちなみに、中央交通以外のバス会社の、今年のお盆の対応(休日ダイヤ適用期間)。
・羽後交通 13~16、昨2018年で既に4日間だった
・秋北バス ホームページでは10~18とあるが、平日なのは13~16
・山交バス 13~16(元日は全便運休というすごいことをしているが、お盆は普通)
・青森市営バス 13~15
・弘南バス ?(もしかして平日ダイヤ?)

・東京都営バス
路線によって対応が異なり、土曜ダイヤか特別ダイヤを適用するところ、平日ダイヤのままのところもある。期間としては13~16。

以上、期間としては16日まで含めるのがトレンドのようで、中央交通もそれに合わせたのだろう。問題は周知方法。

※この年の年末から、年末年始特別ダイヤの適用期間も1日拡大されて12月30日からになった。この記事中ほどにて。

【2022年8月3日追記・その後の秋田中央交通のお盆ダイヤ適用日】
2020年、2021年は記録・記憶し忘れ。※東京オリンピックとその延期により、この2年は山の日が8月10日と8日に移動。
2022年は、11日(木・祝)~16日(火)に適用。いつの間にか、12日にも拡大したようだ。
なお、2022年の秋田市マイ・タウンバスは、13日~16日の適用(12日は平日ダイヤ)で、またズレが生じている。



昨日、Googleで中央交通のホームページを検索したら、
検索結果のアドレスに注目
緑色の文字のURLが、記憶にあるのと違っている。「kagoya.akita-chuoukotsu.co.jp/」。
なりすましサイトだったらどうしようと思いつつ接続してみると、http://kagoya.akita-chuoukotsu.co.jp/index.htmlに接続され、以前と変わらない同社公式サイトが表示された。

以前は「http://www.akita-chuoukotsu.co.jp/index.html」だった。検索結果2番目と3番目の時刻表検索はそのアドレスになっている。(廃止された秋田駅からの検索もまだ載っていて、いちおう動作する)
アクセスすると、以前と変わらず表示される。

さらに「www」が付かない「http://akita-chuoukotsu.co.jp/index.html」でもつながる。
つまり、ホスト名(というのかな?)では、www.akita-chuoukotsu.co.jpとakita-chuoukotsu.co.jpとkagoya.akita-chuoukotsu.co.jpの3つが共存していることになる。
それぞれのトップページから、時刻検索(廃止されて残骸が残る駅からの検索も含む)、各種お知らせ、関連会社などのリンク先をたどっていっても、トップと同じホスト名がずっと引き継がれる。

ネットワークに関する知識に乏しいけれど、同じ(単一の)サーバーが3つのURL表記を受け入れているということなのか、それとも同じ内容のサーバーが複数存在するミラーサーバーみたいなものなんだろうか。昔の東奥日報ホームページでは、ミラーサーバーがあって、「混雑時はミラーサーバーもご利用ください」みたいなのがあったけど、最近は聞かないか。

それにしても、検索結果最上位のアドレス頭の「kagoya」って何だ? 乗り物だから「籠屋」と掛けたの?
「レンタルサーバーのカゴヤ・ジャパン」という企業が京都にあった。そこのサーバーを借りてるってこと?

それにしても、以前のアドレスも機能しているのに、どうして検索結果上位にカゴヤが付いてしまったんだろう。不思議。
【7日追記】ツイッターを検索してみると、2016年11月に「kagoya.akita-chuoukotsu…」のURLを示したツイートがあった。使用例としてはとても少なく、前面には出ていなかったようだが、アドレスとしてはけっこう以前からkagoya付きが存在したようだ。

【20日追記】その後、お盆明け頃には、Google検索結果上位のアドレスにカゴヤ付きは表示されなくなった。URLとしては引き続き有効。
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竿燈2019

2019-08-04 19:08:53 | 秋田の季節・風景
竿燈まつり初日・3日の模様を簡単に。※昨2018年の記事
3日は昼間も30.7度、夜には27度を下回り、竿燈を倒すほどでもない心地よい風も吹いて涼しかった。
土曜日ということか、初日にしてはやや人出が多かったかな。






3日の開始からしばらくは、まだ明るい空に、月齢2の細い三日月が沈もうとしており、竿燈との共演が見られた。
右上に月




今年は4日間とも雨の心配はなく、暑くなりそう。


混雑状況や規制のメモ。
・地下横断歩道のうち、山王十字路地下道は閉鎖されていた(大町西は開放)。歩道の通路部分の右側通行はおおむね徹底されていてスムーズだが、山王十字路寄りでは滞り気味。
・ただ、左側通行や通路部分(コーン・バーの外)で見物する人もちらほら。右側通行と、通路部分で立ち止まらないことを、場内放送と各所配置の警察官・警備員で、もっと呼びかけたほうがいいと思う。もっと人が多い時にあの状態では、危険。
・大通り北側(大町一丁目・二丁目境界)の一方通行路の各交差点では、以前は警察官が1~2名ずつ配置されていたが、今回は警備会社の警備員に代わっていた。
交通規制区間内へ出入りする車両の誘導(ゲートの開閉)が主目的だから、警備員でもいいのだろうけど、信号が赤(=交通規制されていない一方通行側が青)でも、歩行者を横断(あるいは横断を黙認)させていたのが気になった。
警察官がいた時も、特に指示や誘導はなかったが、車が通らなくてもきちんと信号を待つ人が多かった。その当時を知る者としては、拍子抜け。万一事故になった時は責任問題になるのでは。でなければ、信号を黄点滅/赤点滅動作にするとか。

翌2020年は、新型コロナウイルス感染症のため、戦後初の中止となった
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屋台村代替地

2019-08-03 00:21:32 | 秋田の季節・風景
梅雨が明けて、暑い日が続く。
秋田市は、適度に雨が降ったメリハリのある梅雨だったと思う。今は全国的に連日35度越えも珍しくない猛暑だが、秋田市は30度前後。熱帯夜が続くのは堪えるものの、恵まれているほうだろう。

3日から竿燈まつり。
今年気になるのが、産業会館跡地の屋台村(中央会場)。県民会館跡地に建設中の新文化施設の工事事務所が建てられてしまい、面積が狭くなっているのだ。
歩道橋の上から
二丁目橋交差点側の仮囲いの外のわずかなスペースにテントが3張り。6店舗が営業するとのこと。
裏の東面などにはテントはなく、産業会館跡地の屋台村はこれだけのようだ。予想は付いていたが、昨年以前と比べると激減。

まつり実行委員会のホームページや秋田市の広報では告知されているが、産業会館跡地の代替となる会場が新設された。
それは、道路と二丁目橋を渡った、竿燈大通り沿いのJTB秋田店の跡地。
昨2018年始めにJTBが移転し建物が空き家になり、昨年の竿燈まつり後に解体されて更地になり、最近、砂利敷のまま貸駐車場の看板が立っていた(駐車されているのは見たことがない)。
JTB跡地。左奥が産業会館跡地

「あきた竿燈屋台村2019」の看板
普段は大通り側にはロープが張られて出入りできないようになっていて、その一部を取り外して支柱に紅白テープを巻いて出入り口にしていた。未確認だが、裏側(赤れんが館通り)からも出入りできるのかな。
テントはそれなりの数が設置されている(14店舗とのこと)ものの、産業会館跡地全体を使っていた昨年までと比べると、いかんせん狭い。

屋台村は、もう1つの市役所会場【3日補足・35店舗】とともに、竿燈まつりの会場から若干距離を置いたところにあったが、ここは会場沿い。飲食しながら竿燈を見られるといういい環境ではあろう。

秋田駅に近いこの付近は、歩道の混雑が激しいはず。そこから屋台村への出入りで混乱したり、屋台村内に人が入りすぎたりしないだろうか。
タイミングよくJTBが更地になったのは良かったけれど、ちょっと不安な場所かも。

それに、案内図などではこれまで通り「中央会場」の名前のままで、産業会館跡地とJTB跡地をまとめて扱っているようだ。
昨年を知る人なら産業会館跡地に行って「これだけなの?」と驚きそうだし、初めての人なら「中央会場」が分散していることになり戸惑いそう。会場の名前を変えるなり、もっとはっきり周知するなりしたほうが良かったと思う。

※JTB跡地から会場を横断して少し入った、ニューシティ跡地では、秋田商工会議所による42店舗の「ご当地グルメフェスティバル」も開催。
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