広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

秋田駅近距離券売機更新

2018-10-30 00:18:30 | 秋田のいろいろ
最近、意識していなかった秋田駅中央改札口の近距離きっぷ券売機を、29日に久々に見たら、
新しくなっていた!
3台とも更新された。手作りラベルの注意書きが貼られていないところを見ると、交換されたばかりなのかもしれない。
(再掲)以前の同じ場所
※直近では、上の再掲写真手前の指定席券売機は、みどりの窓口内へ移設され、跡はポスターで埋められている。また、さかのぼれば、元はここにも近距離券売機があった。

新しい券売機は「EV20」と呼ばれる機種で、オムロンのV8という券売機がベースらしい。
JR東日本専用の最新機種で、2015年頃に渋谷駅に設置され、今年夏から仙台駅周辺にも設置が始まっているとのこと。
秋田駅のEV20
従来のは「EV-4」という機種だったそうで、比べるとボディの緑の部分が少なく白っぽくなったのと、タッチパネルがやや大きくなり、表示されるボタンが従来と反転した白地に黒。
画面の左に並ぶ、おとな/こどもやまとめ買いの切り替えをする(タッチパネルでない物理的な)押しボタンの数は、9個から3個に減。「おとな」「こども」「複数枚まとめ買い」と割り振られていて、まとめ買いの時はタッチパネルで細かく選択するようだ。

首都圏や仙台の駅のものは、Suicaなどでの購入とチャージにも対応しているが、秋田駅は非対応(上のパネルや画面上部に表示がない)。
少なくとも、乗車券のボタンの項目は従来と変わらない。(使っていないので分からないけれど)操作方法もおそらく従来通り。
だから、まとめ買い以外は、これまで通り違和感なく使えてしまいそう。

決定的な違いは、多言語対応。
タッチパネル上部にタブ状の切り替えボタンが表示されており、英語に加えて、簡体、繁体、ハングルに対応している。
まだ使えそうなEV-4を交換したのは、これが目的か。
多言語もいいけれど、せめてSuicaできっぷを買えるようにしてほしいな。
【31日追記】もう1つ新機能があった。
トップ画面右上に、「駅名検索で購入」というオレンジ色のボタンが表示されていた(写真では白飛びして見えない)。指定席券売機の乗車券購入時は、五十音表が出て駅名の読みで探せる。その近距離版的な機能のようだ。


今のところ、駅ビル内のトピコ改札口と北側のアルス改札口に各2台ずつある券売機は、EV-4のまま。【2019年に更新。下の追記参照】
EV-4
上部パネルの「発売中」のランプ表示が、EV20では廃止されたみたいだ。
なお、上の写真のEV-4では、オレンジカード投入部分に紙が貼られて使えないと書いてあるが、隣のもう1台のほうは紙がないので使えそう。

秋田駅の駅舎が新しくなったのと、近距離券売機がタッチパネル化されたのはだいたい同時期のはず。
秋田駅では、当初は、EV-4の画面を小さくしたようなもう1世代前(初代?)の「EV-2【下の追記参照】」というのが設置されていた。
だいたい10年くらいで交換されたと思うから、使用頻度も考えると、今回も妥当な交換ではあったのかもしれない。

【11月9日追記】JR東日本の最初のタッチパネル式券売機は、1995年の「EV1」だったようだが、EV2との違いは不明。外観は酷似しているのかもしれない。秋田駅改築後に設置されたのも、EV1かEV2かは分からない。

【2019年1月14日追記】2019年1月14日放送(ロケはそれ以前)のテレビ番組によれば、酒田駅の券売機2台も同型に更新されていた。
【2019年11月26日追記】2019年11月25日には、土崎駅の券売機2台も更新されたのを確認。2019年秋には地方の無人駅にも設置されたり、コメントによれば青森駅や弘前駅も更新された。
【2019年11月27日追記】2019年11月27日には、秋田駅のトピコ口とメトロポリタン口の券売機もEV20に更新されたのを確認(おそらく10月以降)。以前は両改札口とも2台ずつ設置されていたが、更新後はメトロポリタン口は向かって左側に1台のみ、右側は板でふさがれた(この記事中ほどに写真)。これにより、秋田駅の近距離券売機はすべてEV20で計6台になった。
2021年にはSuicaのチャージ等に対応する改造がされた。
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富田とその仲間の町

2018-10-29 00:38:11 | 津軽のいろいろ
弘前大学文京町キャンパスの前を通る路線バスは「富田大通り経由」として区別される。※関連記事
大学正門が面する青森県道127号のことを富田大通りと称するのは間違いないけれど、そのうちどこからどこまでが富田大通りなのかは、分からない【桝形交差点より北側らしい。末尾の追記参照】。
富田大通りの由来は、通りのある地名が「富田」だから。のはずだけど…

大学の所在地は、その名の通り文京町。その向かい(東)側の広い範囲が「富田」という地名なのは、漠然と知っている。
弘前駅からバスで来て、大学前の1つ手前のバス停が「富田三丁目」。
大学前の次のバス停「弘大農学生命学部前」の近くには、「弘前富田郵便局」がある。
少なくともバス停3つ分。南北方向にけっこう長く「富田」なのか?
近くに富田ではないけど、別の「富」が付く町名もあったな…

まとめてみた。
Googleマップに加筆(境界線は厳密ではありません)
北から順に、富田一丁目、富田二丁目、富田三丁目、富野町、大富町、富田町、南富田町。
※弘前市では、すべての町名に「大字」を冠するのが正式(大字富田一丁目 等)ですが、ここでは略します。
実に7つの町。丁目の区分を除いても5つ。

北は富田三丁目の1つ手前の「住吉入口」バス停付近、南は柴田女子高(2019年度から柴田学園高)、東は取上交差点(松森町)辺りまで、おおざっぱに東西・南北とも約1キロ四方が、「富田」とそれっぽい地名なのだった。
【29日追記】感覚としては、例えば弘前市中野(一~五丁目)とか秋田市保戸野(保戸野○○町各町)といった、大まかにまとめたエリアに相当しそう。公式でなく地元の合意もないと思うが、「富田地区」「富田エリア」と総称できなくもなさそう。

歴史的には、元は今より広範囲が「富田町」だったのが、1956年に富田(1~3丁目)、富野町、大富町が、1968年に南富田町がそれぞれ分離したようだ。【29日補足・隣接する他の町から編入された部分もあると思われ、旧・富田町と現在の富田エリアが完全に一致するわけでもないはず。】さらにさかのぼれば「富田村」だったらしい。
その経緯からして、富野町、大富町の「富」は、親の「富田町」からもらった命名なのだろう。富田1~3丁目を作ったのだから、富野町・大富町を4~5丁目にすればスッキリとして良かったような気も(よそ者としては)してしまうが、そうもいかない都合があったのかな。
弘大のある文京町の向かい側は、富野町なので、弘前富田郵便局も富野町にある。開局時は富田町だったのかもしれない。
【31日補足】以前のエリアから独立して新しい町ができる際、元の町名にちなんだ、もしくは文字をもらって命名するケースとしては、秋田市の下北手桜から分離した、桜、桜ガ丘、桜台がある。

それぞれの町の境界線は、道路や水路に従った所もあるが、道路にこだわらずに区分されているところが目立つ。
弘大付近は、バス通りを境に東側だけが富野町。しかし、富田一丁目~三丁目は、バス通りを越えた通りの西側もエリアとする部分もある。例えば、大学隣の弘前銘醸や焼肉モーモー&Uマート(旧・マルサン→マルエス)付近。

昔はもっと広かったであろう富田町は、今は桝形~取上の道路(薬王堂=旧・ブックマックス前)の両側に沿う細長い町。沿道の家屋の敷地に従っているようで、隣接する町との境界線はギザギザ。「街村(または路村)」の集落ということか。
また、市立第三大成小学校の敷地は、取上地区の中に食いこむような形で富田町。
富田町本体と小学校がつながっているわずかな部分は、橋のない水路らしい。だから、富田町本体から小学校へ行き来するには、南富田町もしくは取上をいったん経由しなければならないので、「飛び地」に近い。
富田町東部。薄い赤色が富田町部分

桝形~取上の通りの桝形寄り・薬王堂の近くに、信号機付き丁字路交差点がある。南方向へ曲がればハローワークや柴田女子高方向。
かつては、この突き当りに、スーパー「主婦の店マルエス」があったが、後に移転(それが上記モーモーの下)し、跡はコインランドリーだかクリーニング屋になっていたが、今は更地。
【2021年11月23日追記】余談だが、主婦の店マルエスは、さらに昔は近くの別の場所に存在したそうだ。弘前市立中央公民館のツイッターによれば、1979頃の時点で、桝形交差点の北側、道路と道路に挟まれた土地に交差点に面して店があった。現在、東奥信用金庫富田支店がある位置だが、当時は西半分だけが信金で、東半分がマルエス。
場所としては悪くなさそうだけど
更地の向こうに裏側が見える家並みは、大富町。そのすぐ左方は富野町。奥の高い建物は国立病院機構弘前病院で、そこが富野町の北端。

富田大通り経由でない路線バスといえば、本数は多くない(昔よりは微妙に増えた?)が、桝形~取上の道路を通る。「松森町経由」と言えばいいのかな。
この道路には3つのバス停が置かれ、西・桝形寄り、薬王堂と丁字路の間にあるのが、
「富田町」
通りの中間地点が、
「大富町入口」
秋田市には「~入口」という名のバス停が多いが、弘南バスでは珍しい。
たしかに大富町の入口ではあるが、富田町バス停のほうも距離としては同じ。道路に沿って細長い富田町だけに、命名は苦労したのかも。
【2022年2月28日追記】この付近に、かつて「富田温泉」という天然温泉の銭湯があった。この記事参照

あと1つは、取上交差点寄り、みちのく銀行松森町支店付近に「松森町角」(経路が分岐するため、別の位置にもある)。

それにしても、この桝形~松森町・取上の通りには、通称・呼び名がないのだろうか。古くからある通りのようだし、あったほうが分かりやすいのに。完全に富田町と重なるから「富田町通り」としたいけれど、富田大通りとまぎらわしいね。


ちなみに、湧水「富田の清水(しつこ)」(関連記事)は紙漉町、青森銀行富田支店は富士見町と、わずかに現在の富田エリアからは外れている。
この点は、文京小学校が中野にあったり、みち銀松森町支店が富田町にあったり、秋田市などよそでもよくある事例。
それから、これだけ広い富田エリアなら「富田小学校」があっても良さそうだけど、第三大成小があるし、隣接する町に大成小(旧・第二大成小)と文京小があるから、それはかなわなかった。したがって通学区も分割されていて、元は1つの富田町(村)であったであろう地域にしては、一体感は薄くなってしまっているのかもしれない。
【29日追記】記事冒頭の地図を見ても分かるように、富田一丁目と大富町の間、二~三丁目・富野町の東側は、富田エリアが切り欠かれた形になっていて、そこが大成小のある「御幸町(みゆきちょう)」。1956年にできた町で、それ以前は一部が「富田新町」だったそうだ。

【11月12日追記】第三大成小学区を指して「三大地区」という呼称があるそうだ。地域づくり連絡協議会や社会福祉協議会など、公的な組織の名称にも使われていて、公式なエリア名と言えよう。秋田市では、地域や学校名をそのまま使うのが普通で、「学校名の略称」を使うのは新鮮。
同様に「一大地区」「二大地区」も、少なくとも以前は使っていたが、両校が統合されて大成小学校となった現在はどうなっているのかは不明。

【2019年11月4日追記】陸奥新報の連載「津軽の街と風景」の10月28日アップ「「軍都」から「学都」へ=122」より。
●富田大通り
「県道127号は、桝形(ますがた)を境に北側が富田大通り、南側が松原通りと称している。」
とのことで、富田大通りは富田地区とおおむね一致することになりそうだ。
松原通りとは初めて聞いた。また、「戦前までは師団通りとも呼ばれていた。沿道に第8師団の関係施設が並んでいたから」とのこと。

●桝形の歩道橋
桝形交差点の文京小と第三中の間で県道を渡る(位置的に松原大通りということか)歩道橋は、1967(昭和42)年12月完成で、「文京歩道橋と称され、弘前市で最初の歩道橋である。」「県内では最も早い段階で設置された歩道橋の一つだった。」。
秋田市二丁目橋交差点の土手長町歩道橋と同い年。

●富野町に旧市立図書館があった!
現在弘前公園・市役所向かいの市立観光館などがある「追手門広場」で保存されている「旧弘前市立図書館」の洋館が、富野町にあったことがあったそうだ。
1906(明治39)年に、当時東奥義塾があった、現在の追手門広場に建築(義塾から市へ寄贈)。
1931(昭和6)年に「東奥義塾校舎の拡張に伴い民間に払い下げられ、富野町に移された。」「郵便局裏側の住宅街」で「歴代の所有者が下宿や喫茶店として利用してきた。大幅に改築されず、ほぼ原形をとどめ続けてきた」
1990(平成2)年に、弘前市制100周年事業で、現在地に移築。
という経歴だった。
連載では、1980年撮影の文京歩道橋から北側を見た写真が出ていて、その頭が写っている。富野町で「この建物が大切にされてきた」「現時点で図書館時代を合わせても富野町時代の方が長い。」としている。

移築されたとは聞いていたが、東奥義塾→追手門広場のほぼ同じ場所の中のことだと思いこんでいた。
しかも、近くはない富野町に移され、所有者や用途が何度かかわっているらしいのに、元の場所に(ほぼ)元の状態に復元できたというのがすごい。やはり、弘前には古いものを大切にする精神が根付いていると思わないわけにいかない。(以上追記)


桝形~取上の通りの「裏通り」について、いずれまた
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バターどら/いちじくゆべし

2018-10-26 00:05:17 | 各地お土産・食べ物
もらい物の秋田県内のお菓子2つ。
さかたや バターどらやき
潟上市昭和大久保「酒田屋菓子舗」の商品。酒田屋というのは屋号のようで、経営者は伊藤さん。
あちら方面に詳しくないとはいえ、お店も商品もまったく存じ上げなかった。

先日も述べた通り、僕はこしあん派なので、つぶあんが一般的などらやきはあまり好きじゃない。
これもつぶあん
あんこと皮の間の両側には、バターでなくマーガリン。

ところが、これがとてもおいしい。皮が個性的で、やや薄くてしっとり。中のあんことマーガリンがそれぞれ主張しすぎず、バランスがいい。ほんのりとした甘さが後を引く。
原材料には、ハチミツと黒砂糖、さらに味醂が入っている。
つぶあんなのを差し引いても、これまで食べたどらやきの中で、いちばん好き。
どらやきとしては、やや小さめで食べやすい。皮を持った時、さほど手がベタつかないのもいい。

秋田放送「ラジオ快晴GO!GO!のマキ」のブログ2014年3月29日付け「バターどらやき」によれば、
「20年程前から「どら焼き」は販売していましたが、10数年前からマーガリンが入ったこの形で販売しています。」
「お店のメイン商品で、訪れる人のほとんどがこの商品がお目当て」
とのこと。

日持ちは、製造後2~3日か。
大久保駅前の店舗のほか、道の駅しょうわ、井川町のJA産直・湖東のやさい畑でも売っているらしい。


もう1つは由利本荘市本荘。
由利地域はイチジクのほぼ北限の産地。
生食でなく甘露煮にして食べるのが主流。隣のにかほ市では、そのことをおもしろいと感じた関西出身の人がイベントを企画して定着し、イチジクの甘露煮が再注目されている。

以前から、イチジクを使ったお菓子もあって、本荘の吉野屋菓子舗の「いちじく・オ・アマンド」などが有名。
イオンスーパーセンター本荘店にも、吉野屋のお菓子は納品されていて、初夏に柏餅などがあった。今の時期は、(写真が分かりにくいですが)
いちじくゆべし餅
透明パックに三角形の餅5個入り。
ゆべしは地域でだいぶ異なり、東北地方ではクルミが入った醤油味の餅菓子。これはイチジク(の甘露煮?)の果肉が入っている。
原材料には、醤油でなく「味噌」と「クルミ」も入っているけれど、よく分からなかった。
ゆべしとしてはあまりしょっぱくなく、イチジクの種のプチプチとした食感がある。果肉がもうちょっと多ければいいけど…
さらに別のいちじくのお菓子(まんじゅう)も


秋田県内でも、まだまだ知らないおいしいお菓子があるものです。
コメント (2)
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続・塀のお知らせ

2018-10-24 00:35:24 | 秋田の季節・風景
ブロック塀の注意喚起の続き。
繰り返しますが、本来は存在すること自体が適切でないブロック塀がまだたくさん残る中、注意喚起してくれるだけでも親切と見るべきかもしれないけれど、万一の時の責任逃れをしているようにも感じられ、複雑な存在。
右側が秋田市立某中学校
道が広くて存在感は薄いけれど、古そうなブロック塀がある。
そこに掲示
「注意/地震の時は近寄らないでください」と大きく書かれ、小さく「調査の結果、改修が必要と判明しました。できる限り早急に対応しますので、ご協力のほどよろしくお願いいたします。」。
学校でなく、「秋田市 教育委員会 総務課」名義。施設管理の担当としては各校というより市教委なんだろうし、ブロック塀がある他校にも設置されているのだろう。
見栄えもいいし、注意喚起と状況説明が過不足なくされており、ソツがない。さすが秋田市。

でも、ここは中学校前ではあるけれど、公道なのだから小学生以下が通ることもある。外国人も通るかも。
そういう人たちには、意味が通じない内容かもしれない。その点の配慮(「じしんでゆれたら、はなれて」等)があってもよかったのでは。


右側が秋田県立某高等学校
学校の敷地の隅に並行する、細い道沿いにブロック塀。若干坂道になっていて、場所によっては塀が相当高い。
狭い道に高い塀で、かなり圧迫感がある。ほとんど通る人がいないものの、これが倒れたら逃げ場がない。
その掲示。
学校名が書かれてますが
「ブロック塀緊急調査結果によるお知らせ」「東日本大震災を超えるような大きな地震では倒壊する可能性があります。通行にはご注意くださるようお願いいたします。」
こちらは学校名。

書かれている内容を要約すれば、他とそんなに違わないけれど、いろいろ気になる。
今後どうするかの見通しがないのは、秋田市と比べてもの足りない。(前回の秋田県警のにもなかったが、まもなく撤去工事が行われるようだ)
「東日本大震災を超えるような大きな地震では倒壊」が引っかかる。
まず、「東日本大震災を超える」とは、その基準は何なのだろう。震度、加速度、揺れの周期等々あり得る。
そして、裏を返して屁理屈では、「東日本大震災を超え」なければ倒れることはないとも読める。そんなこと保証できるのだろうか。
あと学校名の前のナマズのイラスト。なんとも非科学的。深刻さが足りないと受け取られてしまうかもしれない。

それにしても、この高校は2000年代初めに校舎は全面的に建て替えられ、グラウンドや外構も整備されたが、塀は手つかずで来てしまったことになる。全国各地で同じことが起きている。
※この塀のその後の対応は、この記事中ほどにて。


秋田市の某街区公園(児童公園)
わりと最近、公園の敷地の一辺が、帯状にロープで囲われた。
ベンチも使えない
「危険」「囲いの中に入らないでください。」との秋田市公園課の掲示。何が危険なのかは書かれていない。

写真で分かるかと思うけれど、危険なのは後方の塀(ブロックでないコンクリート塀か?)。見るからに古く、ちょっとこちら側に傾いているように見えなくもない。
この塀は、公園に隣接する民家のものだろう。【24日補足】2つ上の写真の手前側に写っている、金属フェンス部分は封鎖されていないから、コンクリート塀部分だけを規制していることになる。
たしかに、こんな塀が公園側へ倒れたらとても危険だから、秋田市としては封鎖するのは当然の措置。でも、「隣の塀が危険だから」と理由を書くのは気をつかってやめたのかな。【24日補足】他人の塀だから、いつ改修するといった見通しを示すこともできなくて、市立学校と比べて簡素な内容なのでしょう。
※その後しばらく封鎖が続き、2020年に対応された(リンク先後半)。

大阪府北部地震を受けて、政府は学校のブロック塀対策を急いでいるけれど、こういう学校以外の危険な塀はどうなるのだろうか。※お寺の塀の事例
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ややレアな蓋

2018-10-22 23:57:22 | 秋田の季節・風景
先日好評を頂いた(?)マンホールの蓋(フタ)の続き。
今回は、秋田市にあるべくしてあるけれど、ちょっと珍しいもの。
ちなみに、マンホールは人が入るから“マン”ホールで、人が入れない小さいもの(前回の象潟町のような)は手を入れるから「ハンドホール」と呼ぶらしい。でも、ここではあまり区別せずマンホールとします。

さて、秋田市の絵入り蓋といえば、マンホールカードにも採用された竿燈2本が描かれたデザイン。「秋田市 マンホール」などで画像検索してもこれが圧倒的多数。加えて、今年から土崎地区の港まつりバージョンも登場して、カードにもなった。
しかし、秋田市の絵入り蓋は、この2つだけではない。
まず、ここでは取り上げないが、いずれは消えていくであろう、合併前の旧・雄和町、河辺町のものがある。

そして、(雄和・河辺でない)以前から秋田市のエリアでたまに見るもの。
「秋田市」の文字はないけど、中央に市章
大きいサイズの蓋で、同心円で内側がハンドホールサイズに区切られている。
こういう見かけで、小さい部分だけも開閉できる、「親子蓋」というタイプの蓋もあるが、これはそうではなく、単にデザイン上、区切られているだけのようだ。
この図柄で、ハンドホールサイズのものとか、大きくいっぱいに描かれたものは見たことがなく、このバージョンしかなさそう。※その後、別の蓋を発見

内側の円は、中心に秋田市章、その周囲を5輪の花が囲む。秋田市の花のサツキのようだ。
下には「水道局」の文字。外側の円は、「水」をモチーフにしたと思われる模様。

比較的新しそうな蓋だが、「水道局」つまり秋田市水道局は、2005年に下水道部を吸収して秋田市上下水道局となったので、それ以前の設置と考えられる。
ということは、このマンホールの下には、下水管でなく上水道の管か何かが埋まっていると思われる。

秋田市中央部を見る限り、下水道のマンホールと比べて、この上水道のマンホールはかなり少数派。
一般に、上水道用のマンホールというのは多くないそうなので、そういうもののようだ。


この蓋、前回取り上げた、埼玉県三郷市の蓋と、デザインとしては共通性がある。
(再掲)サツキの花が5輪
また、旧・雄和町の蓋は、町章を中心に似たような花が8輪描かれるが、こちらは町の花だったツツジ。


もう1つ、厳密にはマンホールではないものの、それなりに見かけるのに、あまり紹介されないもの。小さいハンドホールサイズのみ。
葉っぱ?
市章を中心に秋田名物・アキタブキ(秋田蕗)が取り囲む。
茎(葉柄)付きの葉6枚が目立つが、外周にも半分の葉が6枚、さらに市章からはふきのとうも6本となかなかにぎやか。凹凸が増えて滑り止め効果はあるかも。
なお、秋田県の花が「フキのとう」。秋田蕗は秋田市内でも栽培されている。

これは「公共汚水桝」と呼ばれる、各建物と下水道の接続部に設置されるものの蓋。ここから外が上下水道局管轄となり、道路際の民地に設置されるのが原則のようだ。
秋田市中央部では、公共汚水桝の半分弱程度がこの蓋といった感じ。残りは、凹凸模様の中央に市章だけの金属やプラスチックの蓋。


サツキとフキ、秋田を象徴する2つの植物の蓋だけど、今後は消えていく蓋かもしれない。
上下水道局になった今、上水道のマンホールの蓋が新たに設置されるとすれば、そのデザインはどうなるのだろう。下水と同じデザインというのは、イメージ的にどうかという気もするけど。
汚水桝のほうは、プラスチック製に代わっている。


秋田市郊外で見つけた蓋。
まったく初見の図柄
山と川と田んぼがあって、ホタルが光っているデザイン。
「秋田市集排」と書かれている。市章はなし。

調べてみると、「農業集落排水事業」のマンホールの蓋ということらしい。
農業集落排水事業とは、要は郊外の下水道。農林水産省管轄。余談だが、土地によっては水産庁管轄の「漁業集落~」や林野庁管轄の「林業集落~」も存在するとのこと。
「公共下水道」は市街地の汚水を処理するもので、国土交通省管轄。
秋田市では、どちらも上下水道局が担当しているらしい。

以上が、図柄入りの蓋。
マンホールカードは公共下水道だけが対象のようだから、上水道や集落排水の蓋は対象外なんだろうし、汚水桝はそもそもマンホールとは違うから、カードにはできないのだろうけど、こんな蓋も秋田市にはあります。


以下、汎用の蓋。
 秋田市の古めの下水道のマンホール2種。大きさは同じかな
最近設置されるものでは省略されている、外周の蓋を受けるほうのデザインが違って、どちらもなんか豪華。
蓋本体は、「汚水」の文字、クモの巣状の線や円の配置が異なる。

下水道のマンホールに表示される自治体のマークは、市章そのものでなく、「下水」をモチーフにした「下水構え」というデザインで市章を取り囲んでいる自治体があり、秋田市でもそうなっている。上の2つもそう。

2017年頃設置の新しいマンホール2つ。製造時に貼られたのか白いシールも見える
上の写真右が、例の竿燈の蓋(無着色版)。中央には、下水構え付き市章。

左は、汎用デザインなのに新しいという、珍しいもの。上の古いのと比べると、水抜き穴がある(受け側もない)。
その中央部は、下水構えがない、市章だけ!

ということは、隣り合っているけれど、右は下水道ながら、左は下水道でない何かのマンホールということになろう。
電線とか融雪用とかの場合もあるけれど、この設置場所では該当しなさそう。それこそ上水道なのか、農業用水・排水とかだろうか。

それから、
無印!
何もマークがないバージョン。同じ道路の中で線状に複数設置されていて、まとまって設置されたことになる。おそらく1985年頃の設置か。
市章入りのマンホールの手配が間に合わなかったのか、あるいは県道に設置されているので、もしかしたら秋田県章入りを作ることができなかったのか。ということで何のマンホールか分からない。


最後。まさに消えゆく蓋。
秋田市北部でまれにある
秋田市章入りはいいとして、その下「秋田市ガス局」。

秋田市民でも、知らない人、忘れてしまった人も多そうだけど、かつて秋田市では都市ガス事業「秋田市営ガス」も行なっていた。市営バスではなくガス。
元は旧・土崎港町の町営ガスだったものを、1941年の合併時に秋田市が引き継いだ。その経緯から、秋田市の北部を営業(供給)エリアとし、南のほうは民間の東部瓦斯(東部ガス)が受け持っていた。
最終的には、おおむね新国道より西側かつ、山王大通りより北側が市営ガスエリア(つまり秋田市役所本庁舎はギリギリ市営ガス)であった。【23日説明不足だったので追記】新国道より東側でも、土崎地区はもちろん市営ガス。新国道以東は草生津川が境目かな?【11月16日追加】さらに東・奥羽本線を越えた外旭川地区では、草生津川より南側でも市営ガスだった。
しかも、市営ガスと東部ガスで、供給されるガスの種類が異なり、秋田市内で引っ越す場合でも、ガス器具の交換や調整が必要な場合があった。

やがて、都市ガスの種類を全国で統一することになったものの、その費用負担、さらに当時の「民間でできることは民間に」という流れの中で、2001年春をもって、秋田市ガス局を閉局・東部ガスへ事業譲渡することになった。

移管から17年経った現在、土崎地区を歩いてみると、マンホールは「東部ガス」に交換されてしまっているものが多い。
栓か何かが入っているような、とても小さい蓋は、秋田市章入りのものが多く残っていて、かつて市営ガスエリアだったことを知らせてくれるのだが、上の写真のような大きい秋田市ガス局の蓋は、とても少なくなっている。
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中通歩道橋撤去

2018-10-20 00:48:33 | 秋田の季節・風景
秋田市中心部、旭川沿いの土手長町通り(県道28号)と中央通り西端(秋田市道)が交わる丁字路「北都銀行本店前」交差点に設置された、秋田県管理の横断歩道橋が撤去されている。
そのクライマックスである、歩道橋の橋桁部分の撤去が、今週、2晩かけて無事完了した。
現在は、残った脚(柱)の撤去や、各種配線などの工事が続いており、現地の看板では12月14日まで続くことになっている。
南西側から

撤去後。脚は左側は撤去されたが、右側と向かい側(バスの前)は残っている

橋桁撤去は、それなりに関心があるようで、多くのマスコミがある程度報道し、撤去作業の見物人もいたとのこと。
報道では、街の変化、車と歩行者の関係などとからめて、過去の写真や映像も見せてくれた新聞社・民放テレビ局もあった一方、NHK秋田放送局は一切、報道せず。そんなものを報道する価値はないと判断したのか、手が回らないのか…


恥ずかしながら、工事が始まるまで、この歩道橋が「中通歩道橋」という名称であることを知らなかった。
交差点名は「北都銀行本店前」と表示されているが、歩道橋には表示がない(はず)。ちなみに、製造年などを記した銘板らしきものはあったが、サビサビで判読不能だった。

たしかにここは中通である。でも、かつては中通地区に他に2つ歩道橋があったので、あいまいな命名。
2つとは、駅近く広小路の久保田町歩道橋(でいいのかな? 1969年設置、1988年撤去)と、中通歩道橋のすぐ北側・二丁目橋交差点の土手長町歩道橋(1967年設置、現存)。なお、木内前のスクランブル交差点は1978年から。

中通歩道橋は1974年に設置されたとのこと。3つの中でいちばん新しいのだった。
1974年は、広小路と中央通りがそれぞれ一方通行化され、秋田駅西側の車の流れが反時計回りに固定された年。
Googleマップ航空写真に加筆。上が北、右が東・秋田駅
この交差点は、中央通りが一方通行なのと、北側がとても道幅が広いのが特徴の変則的な丁字路で、当時はそれを解決するために、歩行者を車と分離すべく歩道橋が造られたのだろう。道路形状やスペースの関係からか、階段を除くとLでなく「へ」の字形であった。階段はいずれも途中に踊り場がある形状。北側は2方向に上り/下り口があり、南側2か所はいずれも1方向だけ。
歩道橋の上、南西側から。向かい側の階段は左右2方向に下りられる

上の写真の下。奥が中央通り
近年は、道幅が狭い南側の県道を、東西方向に横断できる歩行者用信号機・横断歩道があった。信号機は歩道橋の脚に取り付けられ、まさに歩道橋の真下。
ここはもともとは自転車専用横断帯だった。おそらく平成の初期頃に歩行者も渡れるようにされた。
今回の秋田魁新報に再掲載された、1974年の写真では、自転車用は縦型の2灯式・ゼブラ模様背面板付きの信号機が設置されていた。(歩行者用に変わる直前は、3灯だったような記憶)
中央通りの南北方向には、自転車も含めて横断できなかった。

車両用信号は、土手長町南北方向は、歩行者用が青の間はもちろん赤になる。
土手長町の北(二丁目橋)方向から、中央通りへ左折する時は、横断歩道は関係ない。だから、左折矢印信号が設置されており、赤(=歩行者が青)の間は矢印が点灯して左折できた。
したがって、3車線もある二丁目橋→中央通りの左折車線は、信号待ちをすることがなく、路面に停止線も引かれていない。

この交差点は4台中3台の車両用信号機が、歩道橋の橋桁に設置されており、秋田では数少ない横型のLED式だった。昔々(LEDの前の前?)は、京三製作所製の通称「宇宙人」タイプが設置されていたはず。


歩道橋がなくなると、中央通りを横断することができなくなった。
相変わらず秋田県による告知は不十分(撤去する旨の告知はそれなりにあった)だし、マスコミでもその点を触れない所もあり、このまま永久に横断できないと思っている人が多い。

しかし、この後、中央通り側に歩行者用信号機付き横断歩道が新設されることになっていて、待ち時間は生じるが、従来どおりに行き来は可能。
ただ、そうなると、これまで赤にならなかった北からの左折車線を、赤信号にしないといけない。
したがって、矢印信号が廃止され、停止線が引かれることになるようだ。
※現在の信号機はいずれも仮設で、今後本格設置。また、新設横断歩道は押しボタン式かと思っていたがそうではなく、交通弱者用押しボタンが設置されるのだった。

となると不安なのが、これまで通りいつでも左折できると思いこんで、青信号で横断中の横断歩道へ突っこむ車が出かねないこと。
左折は角度がやや鋭角で見通しも多少悪いかもしれないし、3車線もあるし、速度を出す車もあるし。十分注意してほしいし、対策をしてほしい。
【20日補足】左折車両は待ち時間が発生することになるが、それによる渋滞はまず発生しないと思う。赤信号の時間や、二丁目橋交差点の信号機とのタイミングにもよるだろうけど。
【18日追記】11月16日付の秋田市の広報では「11月下旬から歩車分離式になる」旨の告知が出ていた。それと、現地を見てみると、有楽町方向から中央通りへ右折する車が、その方向用の信号が黄色~赤になってからも(=歩行者用信号が青になってからすぐ)交差点内に留まって半ば強引に右折する車が見られる。現状ではそうなっても、土手長町通り側の横断者への妨害は起きにくく、中央通り側が3車線あることや交差点内の滞留スペースの配置を考慮すれば、大きな問題や危険はない。しかし、中央通りを横断する横断歩道ができた後も同じ状況になれば、左折のみならず右折でも青信号を横断しているところに車が突っこんでしまう危険性があり得る。信号サイクルの工夫や注意喚起を充分にしてほしい。ちなみに、現状(歩道橋時代)では、土手長町通り側車両用が赤になってから、3秒ほどで歩行者用が青になる。


現在までの工事の流れをまとめておく。
・9月18日から歩道橋使用停止、その後、仮設信号機設置・稼働(車両用は既存の橋桁のものも稼働継続)。
・10月10日前後に階段部分を順次撤去。
・15~16日、16~17日のそれぞれ23~翌5時に車両通行止めにして、中央通り側→土手長町側の順に橋桁の撤去作業。
撤去された橋桁は、割山の旧秋田空港跡地にとりあえず置くとのこと。
北側から

1日限定、片側だけが残る状態

撤去後。車両用信号機が1台だけになってしまった(今後増設)

個人的には、あまり渡る機会がなく思い入れがない歩道橋だった。市営バスの写真を撮影する時や、周辺風景の撮影地としては使わせてもらった。
橋桁や橋脚は、末期は土手長町歩道橋と同じ肌色というかピンク色の塗装だけど、昔はオレンジ色だったはず。それが珍しかったのは覚えている。
(再掲)農林ビル解体直前
川反に飲みに行く時に渡ったり、車やバスで駅前へ行く時にここを曲がればもうすぐ駅というランドマークとして思い入れがある人もいるだろう。

歩道橋下の川側の歩道を歩くことは多いが、脚・階段があるために歩道が狭く、特に自転車が通る/信号待ちしている時は、ジャマだった。
冬は、階段部分【22日訂正・橋桁と階段の接続部分付近の底面、というか脚の付け根付近、要は高い位置】から巨大なつららができ、歩道へ落ちてこないかと怖かった。
脚にケーブルを止めるための金属バンドみたいなのがサビて外れかけてブラブラしていて、「道の相談室」へ通報したこともあった。

階段部分には融雪装置があったとはいえ、川から吹き抜ける寒風で、雪や氷が融けづらかったかもしれない(土手長町歩道橋も同じこと)。
もちろん、足腰の悪い人にはいつでもつらかったはず。

魁によれば、中通歩道橋の日中の通行者数は1996年には1日541人だったのが、2015年には209人(川反の行き来で夜は多そうだけど)【22日補足・歩道橋以前に、単に秋田市街地が衰退して歩行者が減ったということもあるだろう】。横断歩道以外での横断も見られ、死亡事故も発生していた。
また、秋田県が管理する歩道橋の数は、1998年の20から11へ減っている(対して国管理は22→23)。

そんな状況では、中通歩道橋は撤去されて当然だろう。繰り返すけど、新たな横断歩道の安全確保は課題。
そして最後に、まったく根拠のない憶測。
中通歩道橋ができたのは、中央通りが一方通行化された時。
中通歩道橋がなくなれば、中央通りを対面通行にするハードルが低くなった【20日補足・対面通行化はできないとする理由になり得そうな、見通しの悪さと特殊な信号サイクルが、歩道橋撤去によってほぼ解消できる】とは言えないだろうか。
秋田市中心市街地活性化のため、広小路・中央通りの一方通行をやめようという声がこの10年ほどで出てきた。県議会での秋田県警の答弁は、以前は難色を示していたのが、ここ数年は多少軟化しているような雰囲気もあるようなないような。
ひょっとしたら、広小路・中央通りの対面通行化への布石だったりするのかも?!
【2019年6月17日追記】まさにこの頃、県が対面通行化を検討していたようで、その結果が2019年6月に示された。結果は車線数が足りないので「対面通行化は困難」。でも、こういうのって少し経てば忘れたかのように正反対の動きが出ることもあるからね…


※その後、11月27日はまだ従来どおりの運用だったが、11月29日には新たな横断歩道が稼働(中央通りへの左折矢印廃止、二丁目橋からの車線に停止線設置)していた。歩道部分では、ブロック敷きなどの工事が続いている。
撤去後の様子はこの記事後半に少々。
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象とネーミングライツ

2018-10-17 20:50:02 | 動物・植物
公共施設の名称に、カネをもらって企業名を付ける「ネーミングライツ(命名権売却)」。
国内ではだいぶ広まってきていて、自治体の収入源にもなっているけど、住民・利用者にしてみれば、なじみのある施設がよく知らない企業の奇妙な名前に変わってしまったり、民間施設かと勘違いしたり、コロコロ名前が変わったり、あまりいい気分でないこともある。

秋田市では、八橋運動公園の施設市立図書館などで実施されている。
秋田市大森山動物園も、2016年度から2018年度(来春)まで、秋田銀行が命名権を購入して「大森山動物園~あきぎんオモリンの森~」という名前になっている。
「大森山動物園」の名を残したのは好感が持てるが、その後にニョロニョロが続くのは長ったらしい。「オモリン」というのは、2013年に制定された動物園のイメージキャラクター。
大森山動物園には2006年に「ミルヴェ」という愛称が付けられて、市・動物園側はよく使っていた(一般の知名度はそこそこ)。ネーミングライツ後も廃止されてはいないようだが、実際のところあってないような状態。
※アルヴェは、秋田駅東口「アルヴェ」の“セルフパクり”のようだけど、アルヴェも意識した命名であることが公式に説明されている。


さて、大森山動物園では、平成初期にアミメキリンとアフリカゾウが新たに導入されていた。
市政100周年記念事業だったはずだけど、「念願」と言われたり、「ゾウとキリンがやって来た」とかいう市民ミュージカルまで上演されたかと記憶する。
県立男鹿水族館のテラタ知事(当時)による「白熊(標準和名はホッキョクグマだが、知事がそう呼んだために、一時マスコミや水族館自身もそう呼称してしまっていた)」導入に対する執念はすごかったけど、思い返せばゾウ・キリンも同じかも。

キリンは今も飼育されているが、個体は入れ替わっている。
ゾウは、生後間もなく南アフリカからやって来た雌雄1頭ずつが、この30年弱の間ずっと飼育されていた。公募で決まった名前は、その名も「だいすけ」と「花子」。誰もおおっぴらには言わないけれど、宮川大助・花子が由来であろう、なかなかセンスのある命名。
2008年撮影。後ろ姿の花子(左)とだいすけ
幼少期からずっといっしょだったせいか、だいすけ・花子の間には子ができない。国内の他の動物園でも同様で、アフリカゾウの少子化が問題になっている。
東北地方には大森山、盛岡、仙台の八木山と3つの市立動物園があるが、いずれもそうで、連携して繁殖を目指すことになった。

まずは、大森山と八木山でメスを交換する(とりあえず2年程度との報道も)ことになり、この秋、花子が八木山へ行き、リリーという同い年のメスが大森山へ来た。
2008年撮影の花子
輸送は無事終わって、今は新しい環境に慣れさせ、オスとの相性を見ている段階。


ところで、以前(2008年頃らしい)、河北新報でリリーについてのとある「疑惑」を報じていたのが記憶に残っていた。
ゾウはアジアゾウとアフリカゾウの2種が現存する。
アジアゾウのほうは、生息地によって差異があり、それを亜種として区分するかどうかは議論が分かれるらしい。
アフリカゾウのほうには、亜種とするか別種とするか定まっていない一群があり、「マルミミゾウ」またはシンリンゾウと呼ばれる。
※「インドゾウ」というのは、種名としての現・アジアゾウの旧称であるとともに、アジアゾウの中の亜種の1つとして、今もインドゾウの呼称を使うことがある。

河北新報の報道では、リリーは(狭義の)アフリカゾウではなく、マルミミゾウの可能性があるとのことだった。国内に他にマルミミゾウはいない。
現在の動物園は種の保存に厳密で、異なる種はもちろん亜種であっても間に雑種ができてしまうようなことはしないから、アフリカゾウとマルミミゾウの雌雄をいっしょに飼育するのはまずい。当時の報道では、専門機関にDNAを鑑定してもらうとのことだった。

鑑定結果など続報を見た記憶はなく、ネット上にもない。今回の交換を報道する河北新報にも出ていない。
その後、10年も雌雄いっしょに飼育され、今回のプロジェクトの対象になって秋田へ来たということだから、結局はリリーはマルミミゾウではなくアフリカゾウだったということなんでしょう。
そういえば、リリー受け入れ時のインタビューで、大森山の園長補佐がリリーについて「顔が小さくて」と話していたから、マルミミゾウっぽい顔立ちの個体だったということかな。


最後に今回の花子とリリーの移動(異動?)の報道について。ここでネーミングライツの話になる。
仙台の動物園は、正式名称は「仙台市八木山動物公園」。動物園でなく動物公園。なお、八木山ベニーランドは民営だが、動物園は市営。
こちらもネーミングライツを実施していて、2017~2019年度は「セルコホーム ズーパラダイス八木山」。

ネーミングライツが実施された施設では、企業名などが入ってもNHKでもそう伝えているから、どこのマスコミでもそのまま伝えるのだと思っていた。ところが、今回はそうでもなかった。
まず、大森山動物園の公式ホームページでは、「仙台市八木山動物公園からアフリカゾウのリリーが大森山動物園に無事到着しました。」と、意外にも正式名称のみ。セルコホームはともかく、秋田銀行にしてみれば、秋田市にカネを払ったのに使われないのは不本意かも。

マスコミでは、
河北新報、秋田テレビ(フジ系)、東北放送(仙台のTBS系)は、正式名称だけで、ネーミングライツは一切触れなかった。たしか秋田朝日放送も。
仙台放送(フジ系)は、原稿(音声)では正式名称のみ。字幕は、「大森山動物園」と「セルコホーム ズーパラダイス八木山」とちぐはぐ。
なお、別件のレッサーパンダの話題を伝えた東日本放送(仙台のテレ朝系)は「ズーパラダイス八木山」と、企業名部分を抜いた中途半端な呼び方。

NHKは、仙台放送局、秋田放送局とも、音声で1度ずつネーミングライツの名称で伝えた。原稿の他の部分や字幕では、正式名や「仙台の動物園」など。
 NHK秋田とNHK仙台
NHKのガイドラインでは「ニュースや番組の中では繰り返しを避けて、抑制的に名称を用いる」としているそうだ。今回もそれに従ってはいる。
しかし、民間報道各社でも企業名を一切使わない伝え方をするところもあることを踏まえると、公共放送のNHKでネーミングライツ名を伝える必要があるのだろうか疑問。
NHK秋田
あと、両局とも、大森山のオスを「ダイスケ」とカタカナ表記してしまっているけど、ひらがなの「だいすけ」ですよ。


そして秋田魁新報。いちばんちぐはぐかも。
16日付秋田市地域面
リード文では「秋田市浜田のあきぎんオモリンの森(大森山動物園、小松守園長)に15日、繁殖のため八木山動物公園(仙台市)から」
大森山はネーミングライツにカッコで正式名称併記かつ園長名入りなのに、八木山は正式名称のみ。
さらに本文のインタビュー部分で改めて「大森山動物園の小松園長(66)は」と年齢入りで紹介されてしまっている。※66歳なのは、定年退職後も雇用されているから。

企業・組織・団体などの名称の後、カッコでその長の氏名が掲載されるかどうか、その基準はなさそう。※過去の記事
でも、今回のように、後で園長のインタビューが出る時は、リード文には園長名は出さず、インタビュー部で初めて名前(フルネーム)が出ることが多いはず。なんで今回は大森山だけ園長名を2度も載せたのか。

ネーミングライツは「あきぎん~」だけ載せたのは、魁にもよく広告を出す秋田銀行への配慮・忖度だったりしてね?!
要は、秋田のマスコミは仙台のネーミングライツを知らず、仙台のマスコミはその逆、ということだろうけど、ネットで公式ホームページを見れば分かることだ。
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貨物がキハ40を改造

2018-10-16 00:17:37 | 秋田のいろいろ
JR東日本秋田支社が男鹿線、五能線、津軽線の一部、奥羽本線の一部で走らせている、普通列車用気動車(ディーゼルカー)キハ40形およびキハ48形。※便宜的な総称として「キハ40系」と呼ばれることが多く、当ブログでも使っています。

製造から40年経ち、改造や転属が多く、製造時以上にさまざまなバリエーションが生じている。例えばオールロングシート改造など。
たまに乗る男鹿線では、よく見れば全部の車両がどこか必ず違うのではないかと思えるほど。好きな車両ではないけれど、なかなか楽しくもある。

先日も新たな発見。
キハ40 2088
秋田には当初は配置されず、1995年頃に転属して来たという、温暖な地域向け仕様(というかこれが標準で、秋田には寒冷地仕様が配置されていた)の2000番台。※過去の記事。【16日補足】全国的に見れば、暖地仕様2000番台と寒冷地(北海道)仕様が多数派で、秋田に多い寒地(東北)仕様は少ない。
座席配置など客室部分はおおむね原型を保っているようだが、ワンマン対応、半自動ドア化がされている。
車内運転席背後の窓は、秋田に元からいるワンマン改造車とは違う固定窓。車体側面に「乗降口」というあんまり意味がない表示装置(その位置じゃあ窓から乗り降りしろってことになるよ!)が設置されているのが特徴的。

発見は正面側。
右側の運転席窓下の楕円形のもの
鉄道車両の妻面には、その車両の所有・製造・改造の履歴が表示される。名前は知らないけれど「銘板」なのかな?
車内には銘板で表示されることが多いが、取れてしまったり、複数回改造された時は最後のものだけであることが多いが、車外には全部表示するようだ。

キハ40 2088ではそれが5つもあって、目を引かれた。
右上が所有者名「JR東日本」、その下が製造者「富士重工 昭和55年」。
残り3つが改造だろう。この辺のキハ40系では2度はあっても、3度も改造されたのは珍しいのかも。

その改造が施工された箇所は、「大宮」「郡山」「土崎」と読めた。JR東日本の車両工場が所在する土地で納得しかけたけれど、「大宮」はそうじゃない。目を疑った。
「JR貨物 大宮車両所」
えっ? 旅客車両であるキハ40系を所有も運行もしない、JR貨物が改造することなんてあるのか!?
旅客でも貨物でも使う機関車だったら、転属あるいは委託であるだろうけど。

ネットで調べると、JR貨物大宮車両所は、JR東日本大宮総合車両センターに併設されている工場。元は国鉄大宮工場という同じ組織が分割された形のようだ。
だけど、キハ40系ばかりか旅客車両を大宮車両所で取り扱っているという情報はとても少ない。
烏山線で使われていた、オールロングシート改造されたキハ40が昭和62年に大宮車両所で改造されたという情報はあった。

キハ40 2088も昭和62(1987)年の改造。
1987年といえば、国鉄が分割民営化されてJRが発足した年だから、いろいろごたごたしていたのだろうか。
ほかにも何両かあるとは思うが、珍しい経歴を持つ車ということになりそう。

キハ40 2088はJR貨物大宮車両所での改造が最初。以後はJR東日本の手で、平成3年に郡山工場(現・郡山総合車両センター)、平成12年に土崎工場(現・秋田総合車両センター)で改造を受けている。具体的にはどこを改造されたのかは分からない。


秋田のキハ40系のバリエーションについては、いずれまた。
コメント (4)
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木の塩害

2018-10-14 23:41:35 | 秋田の季節・風景
もう10月中旬。すっかり秋。
遅ればせながら今年の秋田の夏を振り返れば、とても暑かった反面、その期間はさほど長くなかった。気がつけば涼しくなって、一時は盛大だったセミの声が急に聞こえなくなったような。

秋田市の猛暑日は、7月29日、30日、8月9日、21日、23日の5日で、秋田としてはかなり多い方ではないだろうか。ちなみに最初の7月29日と最後の8月23日が、どちらも37.6度といちばん高かった。
8月末、学校の夏休みが明けた頃は、例年ほどの暑さのぶり返しがなかったと思う。


9月以降は、台風や元台風の温帯低気圧が何度も接近して、雨よりも風が強くなった。【15日補足】期間を平均してみると、晴雨のバランス、気温などは平年並みといったところかな。
秋田市でいちばん強風だったのが、10月7日の台風23号~温帯低気圧。低気圧になると「台風情報」として報道されなくなってしまうのが少々困った。テレビでL字画面で情報を伝えてくれたのは秋田放送(ABS)だけで、NHKは通常モード。

秋田では大きな被害はなかったものの、散発的に家屋や農作物の被害、3連休だったので秋田市中心部のファミリーマラソン大会が中止されるといった影響も。

あとは「塩害」。
25号以外でも全国で被害があったように、電柱・電線から火花が出るなど電力供給への影響。
今回は台風が過ぎ去り、次に雨が降った9日に多発。9日午後までに県内で160件の通報があったとのこと。
報道では、発見したら東北電力のフリーダイヤルのコールセンターへ通報するようにとしていた。
160件というのは東北電力への通報ということらしいが、普通、発見した人は消防へ通報するのではないだろうか。東北電力の連絡先なんてすぐに分からないし。通報してと言うのなら電柱に電話番号を表示してほしい。


もう1つの塩害が、植物への影響。今回、秋田市街地でも、街路樹や庭木で見られた。
1991年9月の台風19号(後に「りんご台風」なんてのんきな名称が付けられるが、いつ・どこのマスコミが命名したんだろう)では、電気の塩害は記憶にないけれど、植物のほうはよく覚えている。今回はそれに次ぐくらいの影響だったのではないだろうか。【21日補足】報道によれば、2004年にも樹木の塩害が見られたとのこと。
保戸野原の町通りのイチョウ
例年なら、イチョウの黄葉は10月末~11月。ところが今年は既に葉が緑色でなくなったり、落ちてしまったりした木が少なくない。
黄葉したのではなく、枯れて茶色くなって枝にくっついているか、またはもげるように落ちている。
ほとんど落葉した木も
上の2つの写真は、左側が西で開けている。反対の東側は緑の葉が残っている。
今回は南~西方向から風が吹いたので、その側の葉が塩が混ざった風を浴びて、影響を受けたことになる。(風をさえぎる建物などでもまた違う)


保戸野小学校のニレの木(ノニレ)。高くなりすぎたのか2014年にバッサリと剪定が行われたが、今年も行われていた。2本あるうちの大きいほうの木だけ、かなり大胆に。
9月下旬。高い2本がニレ。右が枝切りされ、新しい葉が出ている
※学校向かいにあったお宅が解体され、これまでにないアングルで撮影できるようになった。
低気圧通過後
ここは校舎側が西。左の木は南西方向の潮風を受けたのか、ほとんど葉が枯れてしまった。
枝切りされた右の木は、左の木と校舎が風をさえぎってくれたのか、新しい葉で耐久性があるのか、わりと緑の葉がある。
また、ニレの左側にある低木(モミジ類とソメイヨシノ?)も葉が枯れてしまった。さすがに松は影響なし。

夕暮れの草生津川コスモスロード。後方が西
八橋地区の草生津(くそうづ)川のコスモスは、花は咲いているものの、茎はなんか枯れている。これも塩害か。【15日補足】西風をまともに受けたはずの対岸の草は、けっこう青々としている。耐塩性があるのか、さっそく新しい葉を出し直したのか。
対岸に見えているようにソメイヨシノも葉がチリチリになっているものが多い。


1991年の時はケヤキの葉がどこでも枯れてしまっていた記憶だが、今回はほぼ無傷のものもあり、当時よりは威力が小さかったのだろう。ただ、イチョウの影響がけっこう大きいと感じた(葉に油分があって耐久性はありそうだけど)。イチョウではぎんなんもほとんど落ちてしまった。
おそらく、西日本以西では、葉が厚く保護層がある照葉樹が多いからこのような塩害は発生しづらいと思う。それだけ植物も台風に対応できている。北日本では人も植物も台風には慣れていない。
1991年は、葉が枯れ落ちた木も、その直後に新しい葉を出したけれど、すぐに寒くなって再び落葉したはず。この程度で木自体が枯死するようなことは、まずない。紅葉がどうだったかは記憶にないけれど、イレギュラーだから大したことなさそう。
そんなわけで、今年の市街地の紅葉・黄葉はあんまりきれいではないかもしれない。→その後の状況
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縞台座・さらに表示板

2018-10-12 00:33:27 | 秋田のいろいろ
バス停の表示板更新の続きなど。※前回の記事
詳しく見ていないので今回は取り上げないが、10月の経路変更で新設された大学病院~谷内佐渡近辺のバス停も、ダルマ型・市営バスタイプの円形板・丸ゴシック体「スーラ」の太い文字・ローマ字併記という、最近の標準タイプの模様。

まず、表示板でなく台座のこと。
「すわ町」(神田・添川線用)上り
8月末から9月初めの間に、このような姿になった。

このバス停は、背の高いピカピカの柱、太いスーラの表示板だが、現在の一連の更新より先立って数年前、全体が新しいものになった。どうも車がぶつかって壊されたらしい(ぶつけた人は逃げたわけでなく、ちゃんと警察が来て現場検証? をしていた)。だから、下り側よりも新しい。なお、市営バス時代は、上下とも薄っぺらな二面体タイプだったので、移管後にダルマ型になったことになる。

今回何が変わったかって、台座。黄色と黒の斜め縞に塗装された。
シマシマ
8月末までは、ごく普通のコンクリートむき出しだった。
塗装済みの台座と交換したのではなく、以前の台座に塗装したのだろうか。だとすれば現地で塗装したのだろうか?

バス停の台座といえば、全国的にグレーが相場。秋田で散発的に設置される「頭でっかちタイプ」のポールは、台座の側面が金属板で覆われているが、それも色は似たようなもの。
この黄色と黒は珍しいし、目立つ。

このバス停が置かれた菊谷小路(=県道233号の通町西側交差点から千秋トンネル通り交差点辺りにかけての通称)は、歩道が狭い。そこへバス停を置くと、通行人の障害物になってしまうことはあるから、ぶつかったりつまづいたりしないための注意喚起だろうか。
でも、すわ町上り側が特別危険というわけでもなさそうで、どうしてここがこうなったのか分からない。もっと狭い場所、歩道がない場所に設置されたバス停もあるのに。
今のところ、他のバス停で同様の事例は未確認。


以下、毎度おなじみ表示板。
今年8月~9月初めの間で、土崎駅より北・飯島方面の旧国道~国道7号のバス停が、市営バス時代設置の角型共用・丸ゴシック体「ナール」タイプから円形に交換された。
(再掲)かつての「砂山」

更新後
以前も触れたように、新表示板で違和感があるのは、文字数が少ないバス停名でも、文字間隔を変えずに中央に寄せて表示していること。間隔を広げたほうが見やすい気がするけど、単なる慣れなのかな…

一方、そのお隣は文字数が多く、
「飯島コミュニティセンター入口」
日本語はこれでよしとしましょう。なお、秋田市の施設名として「コミュニティー」と伸ばさず「コミュニティ」が正当だから間違ってない。【2022年6月18日追記・厳密には「飯島地区コミュニティセンター」と「地区」も付くのが正式だが、バス停名で略するのは妥当だろう。】
問題は英語。「COMMUNITY SENTA」と、英語と読みのローマ字が混在。

中央交通では、ハローワークを「HAROWAKU」、だいぶ前の設置だが「卸センター前」もたしか「SENTA」。英語であっても、日本語の音をローマ字表記するのが基本のようだ。じゃあ「COMYUNITEXI」??
明徳コミュニティセンター前の表示板はまた別の表記
【2022年6月19日追記・飯島コミセン入口の交換前の共用タイプでは「COMMUNITY CENTER」と英語表記だったようだ。】


さらに10月前後にも散発的に交換。もしかしたらダイヤ改正関係バス停といっしょにやったのかもしれない。これらは台座は不明だが、少なくと支柱もいっしょに交換された。
両方向が共用タイプ角型だった「鷹匠橋」では、7月中旬に泉回り側だけが交換。八橋回り側は、支柱がとても錆びていたので、後で支柱も交換するのではと予想していた。今回、予想通り、柱も表示板も新しくされた。
しかし、同様であった「北都銀行前」の上り側は錆びた支柱・角型板のまま。【21日追記・その後10月20日までの間に、北都銀行前上りも交換された。】

旧国道の通町経由将軍野線の「八橋」は、上下とも交通局が設置した、円形板・透明シールにパソコン印字だったが、上下とも更新。(「面影橋」も同タイプだったので更新された可能性があるが、未確認。【14日追記】コメント欄の通り、面影橋も旧国道側は交換されていた。県庁経由が通るサンライフ秋田側の面影橋は、下り側ナール、上り側は細いスーラのまま未更新。)
「八橋」。今回も中央に詰めて表記
考えてみれば「八橋」って、とてもおおざっぱなバス停名。八橋地区は広いし、ほかにも「八橋○○」のバス停が複数あるのだから。
例えば新国道には、
(再掲)2017年秋更新の「八橋大畑」
ここで「八」の字形が違うのに気付く。2画目の書き始めの横線があるのとないのと。
以前、このフォントが「スーラ」であることを同定したが、メーカーホームページのサンプルと八橋大畑の八が違うのが気になっていた。

どうも、フォントだか文字コードだかの規格(CIDとかいうヤツ?)の違いによって、スーラではデザイン上の微妙な相違があるらしい。
カットシール文字を作成した業者のパソコンやフォントのバージョンが、八橋大畑の昨秋より後に、更新されたということかな。

いずれまた、続くでしょう。※2017年と2018年秋頃に交換されたと思われる大野口の状況。2019年秋までに更新されたと思われる土崎の旧国道
※2019年秋には、表示板更新でない対応がされた。
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駅前の里芋

2018-10-10 00:12:50 | 秋田の季節・風景
駅を降りて外に出た時、そこに生えている植物でその土地らしさを感じることがある。
高知駅のヤシ並木、三重県四日市駅のクスノキ(タブノキ?)並木、五能線の五所川原の近くの林崎駅はリンゴ畑の中、弘前駅もちょっと歩けばリンゴが植わったポケットパークがある。田んぼに囲まれた駅もそのひとつだけど、これは全国各地にある。奥羽本線の大鰐温泉と碇ケ関の間の長峰駅には(正確には駅の裏側だけど)ブドウ棚があったけど、今は普通の畑になってしまっていた。秋田駅はちょっと歩けば秋田蕗が植えられているけど、場所が分かりにくいし、今年も生育はいまいち。

※以下、2017年7月と2018年9月に撮影した写真です。逆光で写りが悪い写真もあるのでご承知おきください。
秋田駅から奥羽本線上り(通称・奥羽南線)で1駅。秋田市南東部(市役所の区分けとしては「南部」地域)に位置する四ツ小屋駅。
跨線橋から秋田駅方向
上の写真左側に1面2線島式ホーム。停まっているのが上り電車で、この左側が下り線。
そして右・東側にもう1本線路があって、とても短い屋根付きホームっぽいものがある。

右側の線路は、レール幅が広い秋田新幹線用。秋田新幹線は四ツ小屋には停まらないし、ホーム状の構造物は線路側に柵が設置されていて、ホームとしては使用できない。※大張野駅の状況
上りホームから東側を見たところ
ここは、駅の東側の出入口として使われている。
【11日補足・右記は自分の記憶にはないが、資料と現在残る痕跡から判断して】元々はここも狭軌の列車が停車して乗降できる長いホームだった。秋田新幹線用に改軌される際、ホームとしての役目を終えたのだが、こちら側に出入口を新設することになって、短縮・転用された。

ちなみに西側。
跨線橋から大曲駅方向。左の線路が新幹線
上の写真右の平屋の建物へ降車客が向かっている。そこが元々の四ツ小屋駅舎・西側の出入口。
無人駅なので、明確な改札口はなし。自動券売機はホーム上の待合室内に、食券券売機タイプが設置【その後、2019年に通常の券売機に更新】。トイレ、飲料自動販売機やコミュニティバス乗り場は西側。
【14日追記】したがって、現状では跨線橋を渡って駅・線路の東西を行き来できることになり、自由通路があるのと同じことになっている。しかし、厳密には鉄道を利用しない人が駅構内に入るには入場券が必要だし、そうせずに立ち入れば不法侵入に問われる場合もあり得る。駅南側には踏切もあるし、通り抜けはしないほうが無難でしょう。

今回は東側に注目。
元から“駅前”であった西側に比べると、東側は農村の趣きが強い。
ただ、東側から駅を利用する客も多い(もしかしたら西側よりも多いかも)。御所野ニュータウン側なので、通勤通学に利用する住民やイオンモールの買い物客がいるため。
といっても、御所野は丘を越えないとならず、路線バスの接続もない(数百メートル離れた県道61号を毎時1本程度通るので、運が良ければ接続する)【追記・この後2019年に、駅西側~イオンモール~国際教養大の路線が運行されるようになった。いちおう、鉄道との接続は考慮したダイヤだが、鉄道全便との接続ではない。】。イオンモールまでは徒歩20分ほど。
ホームから。田んぼと丘の向こうが御所野。奥の築堤が県道61号

駅の外から。
四ツ小屋駅東出入口
東側は、元ホームと道路をつなぐ、広くはない幅の10段ほどの階段で出入りする。そういえば、これといった「JR東日本 四ツ小屋駅」の看板は出ていないかな。
縁石が切られて、足型マークがペイントされている
道路と階段の間に、土の空間がある。ここはJRの土地でない(境界を示す赤い杭が埋められている)し、秋田市の道路用地でもなさそうで、私有地のようだ。舗装された通路部分だけはJR用地なんだろうか?
そこには、
サトイモが植えられている!
少なくとも、昨年と今年は1列に植えられていた。連作障害を防ぐためか、昨年と今年で位置はずれていて、残りの土地には何も植えていない。
1列なので「畑」というより「植栽」のような雰囲気も漂い、知識がない人が見れば、花は咲いていないけど観葉植物か何かに見えてしまいそう。
私有地の畑に何を植えようが、文句を付ける筋合いはないし、草ぼうぼうよりも見た目はいいけど、ちょっとおもしろい光景。現在はもう収穫されてしまったかもしれないけれど。
【11日追記】秋田県では「芋の子」と呼ばれるサトイモの一大産地は、横手市山内。旧山内村の中心地である北上線相野々駅をGoogleストリートビューで見てみた。駅正面は家や店が多くて目立った植物はなし。出入口はないようだが線路反対側には、サトイモ畑が広がっていた。山内は「駅裏がサトイモ」のようだ。
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工藤パン2018.9

2018-10-08 00:36:46 | ランチパック
9月の工藤パン商品をいくつか。
ミルクボール 256kcal
8月発売。「懐かしのベストヒット」シリーズなので復刻商品らしい。
菓子パンにしては小さめで、一見、シュークリームのよう。
だけど固い
「ルヴァン種使用のフランス生地」とある通り、フランスパンのような感触。一般的なフランスパンよりは柔らかい。
中にはクリーム
「ミルククリームを注入」とあり、見た目はこってりしていそうなクリーム。

フランス生地はほんのり甘く、クリームも見た目よりはあっさりとしていて、おいしい。
そういえば、昔食べたことがあったような記憶がよみがえってきた。

9月25日付陸奥新報のコラム「冬夏言」では、筆者が中学生時代にミルクボールが好きだったが、そのことを忘れており、会話や復刻商品を見て思い出したという内容。
「「イギリストースト」はもちろん好きだが、ミルクボールに愛着を持つ市民も多いだろう」「変わらない味に楽しかった青春時代を思い出してしまった。」としていた。
工藤パン以外でも「ミルクボール」が存在した


コッペパン(ナポリタン風焼そば) 230kcal
背割れコッペパンに麺類を挟んで、ラップでくるんでシールを貼った、常温商品。秋田のたけやでも、同じようなのをたまに見るはず。
イトーヨーカドー弘前店では「工藤」名義の札が出ていたが、シールの製造者は関連会社「(有)幸福の寿し本舗」で、工藤パンの名前は出ていない。幸福の寿し本舗は、たけやで言う「リベール(+秋田米飯給食事業協同組合)」に相当する企業。

これの中身の麺は「ナポリタン風焼そば」。一瞬戸惑う。
新潟では「イタリアン」という、ソース焼きそばにミートソースをかけた料理があるそうで、それを連想したが、少し違うようだ。
こちらはソース焼きそばではなく、単に焼きそば用の麺をトマトソースで和えたということだと思われる。
原材料名欄は「中華麺トマトソース炒め」とされていて、食べてもトマトの味が強かった。
※これは2018年1月新発売のようだ。シリーズもの別商品もある


以下は、お菓子。ヤマザキ、たけや、工藤パンが共同で展開しているらしい、「ぐるり東北食めぐり」シリーズ。※この記事後半参照。
ランナップが増えているようで、工藤パン担当分でも秋田県で買えるものもある一方、まったく見かけないものもあり、全貌は不明。
餅入り あんたっぷりどら焼 383kcal
8月発売。大きさはそこそこだけど、高さ(厚さ)が、
分厚い!
僕はつぶあんはあまり好きじゃない。
どら焼きはつぶあんをはさんだものが圧倒的に多い(こしあんのどら焼きってどうしてほぼないのだろう?)から、どら焼きも積極的には食べない。ドラえもんさんを始めとする好きな方には申し訳ないけど。
これもつぶあんではあるが、比較的粒が目立たずなめらかそう。
断面
大きめの餅がどんと中心に収まる。求肥というよりは餅っぽいかな。あまりびろーんと伸びないので。
多いかと思えたあんこも、適度な甘さ。皮、餅とのバランスも良くて、なかなか。


パイまんじゅう 青森県産りんごカスター 345kcal
「名称」欄は「菓子パン」扱い。
「岩手県三陸産藻塩 使用」とあり、三陸産根昆布を使った藻塩とのこと。
皮はわりと硬めで、「パン」ではなく「パイ」って感じかな。
カスタードクリームだけでなく、りんごのジャムと刻んだシロップ漬けも入っている。青森らしくて手軽なお土産によさそう。

9月からはシリーズ商品として「安納芋あん」と「パンプキンクリーム」も発売(いずれも三陸産藻塩使用)。
2020年の類似商品


田酒まんじゅう 192kcal
少なくとも今年3月の時点で発売されている。秋田のイオンでも、先日売られていた。
青森市の地酒「田酒(でんしゅ)」の酒粕を1.1%使用(アルコール0.3%)したまんじゅう。
中はこしあんで、あんこにも酒粕が入っている。表面には「田酒」の焼印。

一般的な酒まんじゅうほど酒臭くはなく、パッケージの通り「ほんのりしっとり」。※2019年にはこんな関連商品も。
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アルヴェ イタトマ閉店

2018-10-05 00:30:55 | 秋田のいろいろ
秋田駅東口に隣接した複合ビル「秋田拠点センター・アルヴェ」には、公共施設、ホテル、オフィスなどのほか、いくつかの飲食店が入っている。
その1つ「イタリアン・トマト カフェジュニア 秋田アルヴェ店」=イタトマのカフェが、8月いっぱいでやめてしまっていた。
店舗前の閉店のお知らせ
秋田駅自由通路からアルヴェ2階に入った正面に位置する。
固定ガラスの向こうにシャッターが下りている
上の写真後方が自由通路、右方が東横インフロント、左が吹き抜け。
アルヴェのテナント全体が、あまり目立たない配置で、ここもそうだけど、その中では比較的いい場所ではないだろうか。

イタトマの公式サイトでは、まだ営業していることになっており、それによれば年中無休で10時から19時の営業。
おそらくアルヴェができた2004年からあったのだろうか。

アルヴェ店の閉店により、秋田県内のイタリアン・トマトは、八橋店(八橋大畑の新国道から西に入ったところ。工場兼)とドン・キホーテ秋田店のどちらも「ケーキショップ」2店舗だけになる。カフェはなくなる。
かつては、イトーヨーカドー秋田店にもケーキショップがあった。2年前のミスタードーナツに続いて、秋田市中心市街地からイタトマもなくなることになる。

アルヴェのイタトマの跡地はどうなるか。
シャッターの向こうでは、何やら工事する音がしていた。
アルヴェの公式サイトでは、(まだメニューは掲載されたままだけど)新店舗が決まり次第ご案内するとしていて、まだ分からない。

一方、アルヴェに新しく出店するとして、地元資本のイタリア料理店の求人が出ているので、おそらくそれが入るのではないだろうか(推測です)。



イタリアン・トマトは1978年創業で、ほぼ全国に展開している。
秋田に進出した年は不明だが、1981(昭和56)年だと思う。その年にオープンした、大町の秋田ニューシティ(核テナント・ダイエー秋田店)にできたから。
秋田では、八橋店と同じ場所にある「株式会社エル・アンド・デー」という企業がフランチャイズ契約して展開している。エルアンドデーは、辻兵(つじひょう)系列。
だから、辻兵の本拠地であるニューシティにあったのだろうし、今は知らないけれど、同じく系列のへいあん秋田で扱う引き出物の中に、昔はイタトマのパウンドケーキなどがあった。

ニューシティオープン当初は、地階のフードコートの隣にベーカリー、2階のエレベーター・辻兵の呉服店の近くにカフェと、2店舗あった。
子どもだった僕には、まずケーキ屋・パン屋なのに「トマト」なのがよく分からなかった(トマト嫌いだし)のと、ケーキがとても巨大(今よりも大きかった)のが衝撃。チョコケーキと、少し後に新登場した洋梨のタルトが好きだった。
カフェで、見慣れぬ“白いスパゲティー(カルボナーラ?)”を食べたり、クリームソーダだと思って「メロンソーダ」と頼んだらアイスが浮いてなくてがっかりしたり(現在のカフェのメニューにはどちらもないようだ)したのも思い出。落ち着いた雰囲気の店内で、弘前のヒロロのイタトマカフェにちょっと似ていた。
やがてニューシティが閉鎖されるより前(2000年代中頃~後半? アルヴェ店とニューシティ店は同時に存在していた模様)に、残っていたベーカリーがニューシティから出て、近くのねぶり流し館の並びにあったケーキ店「ムッシュ・カトウ」を、山王の平安閣に追いやって、その跡に移転。
ムッシュカトウもエルアンドデー経営だったそうで、辻兵系列内で場所取りをしてた感じだけど、今はどれもなくなってしまった。
※エルアンドデーってのは「ランチ&ディナー」なんだろうか? ムッシュカトウってのは誰? 謎。


ところで、青森県にはイタトマが多く、弘前駅周辺にはイトーヨーカドーの1階(昔からある風除室みたいなの)とヒロロの1階という近接した場所に、2つのカフェジュニアが共存している。昔はヨーカドーの上階にも、カフェ(今はなくなった「カジュアルレストラン&カフェ」というタイプ?)があった。
弘前には駅前にミスドもイタトマもあるのに、秋田駅にはなくなってしまった。
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よその蓋

2018-10-04 00:16:31 | 秋田の季節・風景
マンホールの蓋(フタ)について。
以前もちょっと取り上げたけれど、最近は設置管理者(水道局など)がマンホールカードを作って配布するなど、愛好家を意識したサービスをしてくれている。
秋田市上下水道局では、先月、古くなって撤去した蓋を、一般向けに初めて販売(1枚3000円)したところ、10枚限定のところに県内外から22名の希望者があった(今後も発売予定があるそうで、申し込んだ全員に行き渡るらしい)。秋田市民としては、秋田市の収入に貢献してくれる購入者に感謝しないとね。
夏には、土崎地区用の新デザインの蓋も登場している。

個人的には、「ここにこういうマンホールの蓋があります」とお膳立てされたものを見るのは、あんまりおもしろくない。こういう趣味は、探して見つけることが楽しいのに。
そんな意味では、とても楽しい、でも設置した側としては知られたくないかもしれない、マンホールの蓋がある。秋田市内2か所を紹介。

まずは1年少し前の発見・撮影。
秋田市内某所
歩道がなく、わりと車両交通量がある道路。
車線の真ん中に、小さいマンホールがある。
観察や写真撮影は車に注意
このマンホールの蓋には、絵が描かれているが、ほかでは見たことがないような細かい図柄。車に注意して、上から見ると…
「きさかた 公共下水道」
秋田県象潟町の下水道のマンホール蓋。
九十九島と言われる、松が茂る小高い丘と海に沈む夕日がデザインされている。象潟らしい光景だ。

って、ここは秋田市ですよ! 写真では説得力がないけれど。
なぜか、象潟町のマンホールが秋田市に設置されているのだ。

このように、本来あるべきではない、よそ土地の蓋が設置される事例はままあるようで、愛好家の間では「越境蓋」として、まさに探して見つけることを楽しんでいるようだ。この楽しみは共感できる。
越境した原因としては、蓋の製造・流通の段階で、サイズが同じ他の自治体のものがまぎれこんだのか。
製造段階で混入を見落とすのはまだ分かる。でも、施工業者が、仮にいくらやっつけ仕事だとしても違うことに気づかないもんだろうか。さらに、おそらく施工後の工事写真を発注者(役所)へ提出すると思うが、それを見た発注者も、以下同文。
となるともう1つ考えられるのは、流通~施工のどこかで本来の蓋が不足するなど用意できず、意図的にあり合せの他の蓋で間に合わせたのかもしれない。分かっていながら、あえて。

いずれにせよ、設置者が越境蓋の存在を認識したとしても、蓋としての機能は変わらないし、繁華街など不特定多数の目に触れる場所でもない限りは騒ぎにはならないだろうし、見て見ぬふりということになるのだろう。
ただ、まれに自治体名を削ってしまうケースもあるそうだ。

なお、最近は、自治体どうしが交流のために、イベントとして公式に蓋を交換することもあるようだが、それは例外。


象潟町は2005年に合併によりにかほ市になった。
この図柄の蓋は、まだ使われているだろうけれど、新設はされず減っていく一方のはず。貴重な蓋が、少し離れた秋田市にひっそりと残っている。


もう1つの越境蓋は、秋田市内の別の地区で、最近発見。
これは象潟のより大きい(標準的な)蓋であり、歩行者の目に入りやすい場所だから、近隣の人たちはご存知かもしれない。
手前は秋田市章入り仕切弁。その向こうにあるマンホール

花がぐるり
一瞬、秋田市水道局時代に設置していた(下水道部統合前だから上水道用なんでしょう)、サツキの花柄かと思ったが、それより大胆なデザイン。やはり初めて見る柄。中央に文字が見えている。

「みさと おすい」
ははーん。「みさと」だから秋田県美郷町か。

と思いきや、美郷町にはこのようなマンホール蓋は存在しない!
ご近所で、この蓋の存在を知っている方がいたとしても、秋田県美郷町のものだと思いこんでいるかもしれない。

全国には「みさと」と読む市町村は複数あるので調べてみると、埼玉県三郷市のものだった。
三郷市の花であるサツキをデザインしている。
秋田市の花もサツキだから、絵柄としては筋が通っている。【4日補足】三郷市と秋田市の間で、姉妹都市提携とかその他何らかの協定といった、特別な結びつきはないはず。


秋田市内でもこのほかにも、それにどこの町でも、“よその蓋”がひっそりと存在していることだろう。
気になるのは、制作費用。文字だけの基本の蓋なら、自治体を取り違えてしまっても値段は変わらないだろう。
しかし、図柄入りの蓋は、デザインや特別製造のための費用が加算されるはず。本来は象潟町なり三郷市なりに限定して設置するためのものが、秋田市設置分も余計に製造してしまったことになるわけで、その加算額は、もしかしたら象潟町や三郷市が負担してしまっているのだろうか。【4日追記】著作権の点でもどうなんだろう。
あるいは、特注であっても何百枚も製造すれば、追加コストは無視できる程度なのだろうか。

マンホール蓋の続き(上の上水道の蓋のリンクと同じ記事)
別の越境蓋を発見
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弘前MAX地帯

2018-10-02 23:57:31 | 津軽のいろいろ
「マックス(MAX)」といえば、「最大」の意味のほか、ホチキスなど事務用品・機器メーカー、オール2階建て新幹線、沖縄出身の女性音楽グループ等々。
新幹線はJR東日本のE1系電車が1994年に運行開始、1997年にE4系も登場したがその後の後継はなく、東北新幹線からは撤退、上越新幹線からもいずれなくなる運命。
音楽グループは、「安室奈美恵withスーパーモンキーズ」の安室奈美恵を抜いたメンバーで活動する時のユニット名で1995年結成。当初はグループ内ユニットという形だったようだが、後に実質独立。安室さんは引退したが、MAXのメンバーは多少の出入りはあるもののほぼ変わらず、9月30日もNHKBSの番組で歌っていた。

さらに、1990年代前後の弘前を知る人なら「ブック」、さらに現在も含めて弘前大学文京町キャンパスの学生や近隣住民なら「ハウス」も連想するかもしれない。
「ブックマックス」「ハウスマックス」、さらに「カフェマックス」というが、弘前市のある場所に集中して存在している/いたのだった。そのお話。

僕が弘前にいた1990年代後半は、新幹線と音楽グループのMAXの登場~全盛期だったから、弘前のマックスはそれらを借用というか便乗というか影響された命名かなと思っていた。ところが今回調べると、それ以前から存在していたことが分かった。だから由来は不明。

場所は弘前市富野町と富田町。この辺りは「富」が付く町名が多くて、ピンと来ない。
弘大農学生命科学部や(文京町キャンパスとは別にある)教育学部附属特別支援学校からは、いずれも数百メートル、ハローワーク弘前も近いけれど、道路の配置的にやはりピンと来ない。
枡形交差点~松森町の取上交差点(さらに奥羽本線の踏切、弘南鉄道弘南線弘前東高前駅)を結ぶ道路とその裏道の枡形寄りといえば、伝わるか。でも分かりにくいかも。

僕たちの頃は、スーパー「主婦の店マルエス」が近くにあったものの、後に移転(さらに後に廃業、Uマートに引き継ぎ。跡地は今も空き地)しているし、しかも他にもマルエスの店舗があったから、場所を伝える時は誤解を招く。
結局は「ブックマックスの近く」「ブックマックスの通り」など、特に表通りに面していたブックマックス自体がランドマークになっていた。自動車教習所の送迎バスの乗降場としても使われるほど。
はす向かいにしじみラーメンの「和歌山」があるが、開業は2000年以降のはず。


ブックマックスは、富田町にあった書店兼レンタルビデオ屋。文房具もけっこう扱っていた。
先に述べてしまうと、現在、ブックマックスの店は廃業、建物も解体された。跡地は、
薬王堂。奥突き当りの左方が枡形、右方が農学生命科学部
ドラッグストア「薬王堂 弘前富田店」になっている。
建物の大きさ、敷地内の位置関係はブックマックス時代とおおむね同じだが、やはり違う建物だから面影は薄い。


思い出とネットやGoogleストリートビューの情報を基に、ブックマックスの歴史をたどってみる。
2014年9月撮影のストリートビューより。この時点で看板はあるが廃業後
ブックマックスは、広い駐車場を備えた、平屋の大きな店舗。
全体の雰囲気としては、秋田駅東側にある加賀屋書店東通店っぽいけれど、店も駐車場ももっと大きいと思う。
今は、秋田市茨島や八橋のような、独立した建物が並んだショッピングモールの構成店舗の1つとして書店があることがあるが、ブックマックスの店の雰囲気はそんな感じ。
営業時間はおそらく21時までだった。

今は珍しくない形態だが、当時としてはあまり多くないタイプの書店だった。前の道路の通行量がわりとあるのと、周囲が学生街という立地を活かした書店だったのだろう。
考えてみれば、弘前大学より南(弘前駅と反対)方向には目立った本屋はないはずだし、大学生協の書店とは違う品揃えなので、こちら方面に住んでいた(ちょっと離れていたけど)僕は、たまにお世話になっていた。
2013年5月のストリートビューより
店舗に向かって左側(枡形寄り)・駐車場前の道路沿いには、電話ボックスとともに自動販売機がずらりと並んでいた。飲料のほかこの辺りでは他に西弘前駅前くらいにしかないセブンティーンアイスもあった(今はどちらも撤去)。閉店後のストリートビューではアイス1台・飲料7台。

僕が弘前を離れるまでは、ブックマックスは営業していたが、いつの間にか廃業していた。
調べると、2004年6月20日閉店との情報があった。思ったより早い。
閉店後も、建物・駐車場は長らくそのまま手付かずであった。ストリートビューで分かるように、屋根などサビが出ていた。
2014年のストリートビューでは、自動販売機は営業中のようだが、壁面の店名や駐車場入口の「本」の看板類は残されたままで「テナント募集中 土地860坪・建物175坪」の看板が立っていた。
さらに、2013年5月までは駐車場が使えた(月ぎめ??)ようだが、2014年6月には「本」の下の「P」の看板が外され、チェーンが張られて中に入れなくなった。
電話ボックスは2014年6月から2015年8月の間に撤去。
自販機群は、2015年8月でも営業をしていたようだ。

2016年になって、やっと建物の解体が行われ、新しい建物ができて2017年3月29日にドラッグストア「薬王堂 弘前富田店」がオープンした。
最近の別記事の通り、青森は地元拠点のドラッグストアがしのぎを削る中、薬王堂は岩手の企業。弘前市内では4店舗目。
まあ、ドラッグストアもこの辺にはないから、場所としては悪くなさそう。【3日追記】と思ったら、遠くはない、第三中前から学園町へ曲がる角に、ツルハドラッグ弘前豊原店が何年か前にできていた。ほんとに最近はドラッグストアが増殖する。



2014年6月ストリートビューより店舗の看板
書店名としては「BOOK MAX.」と英字大文字で最後にピリオドが入るのが正式らしい。Mだけ赤で他は緑色の文字。
上の看板で、左にあるのがロゴ。なんとなく記憶にあったが、今改めて見ると、MとXを組み合わせたもので、岩木山もイメージしているみたいだ。
「BOOKS MAX=ブック“ス”マックス」でなく単数形なのは、語呂が悪いからかな。

ところで、ブックマックスの運営企業というか経営者は誰だったのか、漠然と疑問だった。
全国チェーンや成田本店、今泉本店のような地元大手書店とも関係はなさそうで、他にブックマックスという書店はない。ロゴが岩木山風なことも合わせて、地元の個人経営だったのか。

今泉本店をかつて経営していた、弘前市議会議員 今泉昌一氏の2012年1月6日付ブログで、次のようなことが分かった。
・ブックマックスの創業者は山崎幸治氏で、一代限りで廃業した。
・ブログがアップされた2012年始に、山崎幸治氏の死亡広告が地元紙に掲載された。
・ブックマックスは、紀伊国屋書店弘前店の開店(1983年)より後に開店した。
ということで、ブックマックスは、20年弱営業した、地元の書店だったことになる。

書店としてのブックマックスについてはここまでだけど、後でまた同じ名が登場します。


今回、解体前の元ブックマックスが写る、Googleストリートビューを見ていて、気付いて思い出したのが「カフェマックス」。
ブックマックスの隣(道路から見て右隣・松森町方向)に、2階建ての民家のような建物があって、その1階に「カフェマックス」があった。名前の通り喫茶店らしい。
2014年6月撮影ストリートビュー
2015年8月のストリートビューでは、店は営業していないが、10時~19時営業、第2・4火曜日定休、「BOOK MAXの駐車場をご利用下さい。」の表示が残っていた。
看板のロゴは、MAX部分はブックマックスと同じ。ブックマックス廃業時にカフェもやめたとの情報があり、同経営だったのだろう。

薬王堂開店後の2017年もそのままで、「テナント募集」の紙が張り足されていた。その後、2018年8月に「ステーキ食堂 ミートソルジャー」がオープンした。(冒頭の写真手前に少し写っている)



以上を踏まえると、当時を知る方々の中には、ブックマックス、カフェマックスがなくなった今、ハウスマックスはどうなのかと、心配な方もおられよう。
ハウスマックスは健在です!

ハウスマックス・カフェマックスがある枡形~松森町の道路は、広くて一直線だけど、歴史としては新しくもないようだ。
しかし、あたかもこの道の旧道であるかのように、この道の北側を並走する、狭くてカーブが多い道もある。位置関係としては、秋田大学近くの手形陸橋の通りと、三吉神社前の旧道みたいな感じ。
しかもこの道は、ほかの道に対して斜めに交わる、ちょっと不思議な道。枡形から弘前駅方面へ行くときは、多少の近道かと思って、僕はよく歩いていた(いずれまた)。

ハウスマックスは、この狭い道に面して、ブックマックスと背中合わせに位置する。所在地は富野町。
吉田ハウスの向こうがハウスマックス。その裏がブックマックス、道路奥が農学生命科学部方向

道路左側がハウスマックス
ハウスマックスとはアパート。場所的に大学生がメインターゲット。表通りに出て渡ればすぐ文京町キャンパス。道路の配置上、文京町3番地の農生・理工学部はもちろん、正門側1番地の各学部やミニストップ、Uマートも思ったより近く、なかなか好立地。
上の写真では、手前に淡い色の建物と奥にグレーの建物があるが、どちらもハウスマックス。しかも、この奥(左方)にも、同じ造りの建物が並ぶ。

淡い建物が4棟、グレーの建物が3棟あり、それぞれハウスマックスA~D、E~Gと棟の名前が表示されている。
ハウスマックスとは、アパート群の総称になるわけだが、僕が大学に入った時はA~Dしかなく、在学中にE~Gができた。
各不動産情報サイトによれば、前者は1988年4月、後者は1998年4月にできた(Aは1987年4月との情報もあるが、怪しい。Eは1997年11月との情報も)。
どれも1Kで、1棟当たり、A~Dは16戸、E~Gは12戸の模様。【3日追記】全体でちょうど100室。
現在の家賃月額は、A~Dは3万円台なのに対し、E~Gはその+1万円で4万円を越える。どちらも相場の範囲内【3日追記・でも4万円超は高いかも】ではあるが、築年数が10年違えば1万円違うのか。
【3日追記】余談だが、秋田市でも弘前市でも、都市ガスが引かれている地域なのに、そこに建つアパートでは都市ガスを引かずにプロパンガスを使わせているケースが多い。理由は知らない。ハウスマックス各棟は、珍しく都市ガスが使える。


反対側から
7棟のうちA棟にだけ、外壁に「ハウスマックス」の名が表示されている。
「ハウス・マックス」。20年前もこれだった
ブックマックスと同様の色使いで「マ」だけ赤文字。でも、こちらは日本語表記で間に「・(中黒)」が入る。しかも独特の書体。
アパート名にありがちな「ハイツマックス」「コーポマックス」とかでなく、「ハウス」にしたのが少々珍しい。

さらに、下にある管理者名の表示。
なんとブックマックスのロゴマークと「BOOK・MAX(中黒が入る)」!
カットした下には、電話番号が書かれているが、営業していた頃のブックマックスと同じ。

どうも、「株式会社ブックマックス」という企業が存在するらしい。
つまり、書店を廃業した後も、ハウスマックスを管理する会社として、「ブックマックス」の名前は今も残っているということのようだ。

大学生協は、以前からアパート仲介の不動産業をやっていたが、2000年以降、アパートの管理受託にも力を入れるようになった。該当アパートには壁面にその旨の表示板(秋大も弘大も同じデザイン)が設置されているが、ハウスマックスにはなさそうだった。仲介は生協でもやっている。


まとめると、
・ハウスマックスのほか、かつてはブックマックス、カフェマックスも、同じ一角にあった。
・マックス群は、昭和末期(ブックマックスは1983年より後、ハウスマックスは1988年)にできた。
・現在はハウスマックスだけが残っているが、ブックマックスも企業としては存続し、ハウスマックスを管理しているらしい。
といったところ。

あと気になるのが、これら各マックスができる前は、何があったのか。
1975(昭和50)年、1982(昭和57)年の航空写真を見てみた。既に現在並みに家が多く建っているが、後にマックス群となる敷地には、大型の建物と家ではない箱状の物体が並んでいた。おそらく製材所。
敷地は広い通り側と狭い通り側で一体化しているようで、できあがった板を狭い道側(現・ハウスマックス)に積み上げていたように見える。
実際はどうだったのだろう。


大学を挟んで反対側のバカヤローカーブ寒沢スキー場ほどのインパクトはないけれど、「マックス集中地帯」も、弘前大学周辺では特徴的な場所ではないだろうか。
狭い道の話題は続く
コメント (2)
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