広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

閉店した店の歴史

2023-08-23 22:36:07 | 秋田のいろいろ
手形陸橋の東側、秋田大学近くの秋田市手形山崎町。
陸橋の下を並走する小さな道があり、その片側は陸橋の壁、もう片側には住宅に混じってちらほらと企業や店がある。その1つ。
右が手形陸橋
2階建てで2階は不動産屋。1階は…がらんとしていて、ドアには、
「閉店のお知らせ」
大雨の前日、7月14日で閉店していた。

看板類はきれいに取り払われ、お知らせにさえ店名が書かれておらず、何屋だったのか分からない。
でも、覚えている。自転車店だった。
2020年10月 Googleマップストリートビューより。平日午後だけ営業していたようだ
なぜ覚えているかというと、壁の「新車も安い店」。パソコンで横書きに2文字ずつ印字した紙を並べて貼って、縦書きにしている。そのためか、文字の縦ラインが揃わず、しかも文字間隔(縦書きとしては行間隔)が詰まってしまって、「いも(いも店)」が目についてしまって、印象付けられたから。
ストリートビューをさかのぼると、2017年7月では「新車の安い店」となっていた。「いの」ではインパクトが弱い。


場所柄、大学生などに長く親しまれた自転車屋さんだったのかと思って、さらにストリートビューをさかのぼると、
2015年8月
やけに和風なたたずまい。「貸店舗」の掲示も出ていて、別の店が出た後の空き店舗。
というか、以前入っていた店の看板が残っていて、そば屋であったことが分かる。そうだった。このお店は、さらに以前は保戸野の菊谷小路沿いにあり、手形から移って現在は中通の中央通り沿いにある。
その当時は、ひんぱんに通る場所ではなかったから、同じ物件がそば屋から自転車屋に変わったとは気付かなかった。


自転車屋さんについて検索すると、リクルート「お店のミカタ」サイト内に、公式情報があった。
ここにあったのは「手形店」で、外旭川八柳三丁目の帝石踏切の通りに「外旭川店」も存在した。外旭川のほうが本店的扱い。
そして、外旭川店も2023年8月いっぱいで閉店するという。

「閉店のごあいさつ」によれば、元々は1980年に「居酒屋 無法松」としてスタートし、そのかたわらで自転車修理を始め、自転車店に転換したようだ。居酒屋は外旭川店の隣接地のようだが、いつまでやっていたのかは不明(2012年のストリートビューでも居酒屋は確認できないが、2020年頃に投稿されたような口コミもある)。
創業者である店主が亡くなったため、閉店するとのこと。


近くの手形新栄町には長く営業したであろう自転車店があった。
今回のお店は、手形では10年も営業しなかったことになると思われる。だけど、思いもしなかった外旭川で、歴史を積み重ねていたのであった。それがひっそりと幕を閉じる。
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イーホテルじゃなくなった

2023-08-21 19:10:46 | 秋田のいろいろ
秋田市中心部・大町二丁目、昭和に百貨店「本金(ほんきん。駅前に移転し現・西武秋田店)」とアーケード商店街「名店街」があった場所にあるビル内のホテルの話。

これまでの流れ(前回2021年の記事やWikipediaも参照)は、
1987年にできた時はとファッション系中心の商業施設「ファッションアベニューAD(通称・AD)」と「秋田ワシントンホテル」。
2007年にワシントンホテルが撤退して「イーホテル秋田」に。
2009年にはADも「イーホテルショッピングモール」に改称。
2012年にショッピングモール部分がほぼ閉鎖。

2020年に新型コロナウイルス感染症流行により、ホテル休館。
2020年末頃に、リニューアルして「巨大複合型医療モール」とすることが、ひっそりと発表。オープン予定としていた2022年春になっても、目立った変化なし。

ホテルは2021年には営業再開。朝食と、イーホテル化時にできた大浴場は提供されなくなり、部屋数も減り(後述)、フロントが3階から1階(秋田観光コンベンション協会事務所跡)へ移った。同時に名称が「イーホテル秋田アネックス」となったようだ。
営業再開後は、県のコロナ感染者の療養施設として全館貸し切りになったり、再度休業もあったりしたようだ。

紆余曲折となったのは、建物の所有者の区分がごちゃごちゃしていたとかで、そのせいもあるかもしれない。
それだけでなく、イーホテルを運営する企業のほうも、持株会社社長が出資法違反で捕まるなど【22日コメントいただき訂正・イーホテル側で逮捕者が出た事実はありませんでした。訂正します。】資金繰り悪化でごたごたして、イーホテルグループ全体として2021年5月で活動を停止していたのだった。Wikipediaによれば、秋田は2020年に売却済みだったそうなので、営業再開・アネックス化後は、違う企業がやっていたのだろう。


今年(2023年)の春頃だったか、現地にちょっとした動きがあった。
それまで、1階の正面・西面に向かって、左(北)に「辻兵商事(つじひょう)」の学生服などを扱う店舗があった。過去にはファミリーマートの事務所などが入っていた場所で、向かいの秋田ニューシティ解体後、辻兵が入った。
その右がホテル玄関。さらに右、ショッピングモールの出入口(閉鎖中)との間が、アネックスのフロント(2021年まで観光コンベンション協会のあった場所)であった。
今春、そこが改装された。
辻兵が、玄関右のフロントだったところに移動。玄関左の辻兵だったところの一部が、新たなフロントになったようだった。旧辻兵跡の北側は、使われていない感じ。
現在の北西角
↑「辻兵」の表示がある部分~その右の辻兵店舗玄関だった一帯は、今は使われていなそう。その右が、アネックスのフロントだと思われる。
アネックス転換時に改装して間もないのに、辻兵と入れ替えるようにする必要があったのか謎だった。未だに謎だが、辻兵側の都合もあるのかも。


先週、前を通りかかり、玄関のガラスドアを見ると、
イーホテルの名前も残っているけれど
「イーホテルアネックス」ではない名称が書かれていてびっくり。
調べると、竿燈まつり直前、2023年7月26日から「ホテルメルディア秋田」として営業。ホテルメルディアは、東京に本社があり、関西と東京で5店舗を経営。東北初というか地方都市初店舗が秋田。

ホテルの運営や名称が変わった(リブランド)時は、以前からの客を混乱させないよう、宿泊予約サイトで「ホテルメルディア秋田(旧イーホテル秋田)」みたいな表示にすることが多い。
ところが今回はそれは見られず、楽天トラベルでは、イーホテルのページを残したまま、メルディアのページが新設され、旧イーホテルである言及はない。
公式サイトでは、「旧イーホテル秋田リブランド」「イーホテル秋田、イーホテル秋田アネックスとは別運営会社となります。」と、あまり目立たない位置に掲載。アネックス時代は、また別の運営会社だったということ?

そのほか、断片的な情報を拾い集めると、
・電話番号は、イーホテル時代、アネックス時代、メルディアと3世代それぞれ違う。なお、秋田ワシントンホテルとイーホテルは同じ番号。
・部屋数は、ワシントンホテル時代(最末期)391室 (511人収容)→ イーホテル時代 391室 → アネックス時代 109室 → メルディア 113室。
・現在のメルディアの客室は5、8、9階しか使っていないようだ。もしかしたら、順次、リニューアルしているのかも。
・8月から朝食提供開始。きりたんぽや稲庭うどんもありそう。
・メルディアのフロントは再び3階。1階のアネックスのフロント跡はどうするのか【末尾の9月1日付追記も参照】。
・旅行需要回復の影響もあるだろうが、楽天トラベルでの宿泊代(シングル素泊まり)はアネックス時代は税込み6000円~、メルディアは8000円~(朝食付9200円~)。

この記事に掲載した写真は、すべてメルディア化後の撮影。

それなのに、「ホテルメルディア」の表示は、正面玄関にしか見つけられなかった。目に付くのは「イーホテル」や「アネックス」(あと「AD」)の名ばかり。宿泊する人は、予備知識がないと、ここがホテルメルディアとは分からないだろう。
秋田市民の立場としては、そうした人から「ホテルメルディアってどこですか?」と尋ねられて、答えられる人は少ないことになる。【21日追記・そして、メルディアの名を覚えられる自信がない。】
 
壁面から突き出た縦長の「E HOTEL AKITA」の看板は以前からあった(2012年の強風で一度壊れた)。いつの間にかその下に「ANNEX←」の看板が付加されていたが、これも用済みのはず。【末尾の9月1日付追記も参照】


ホテル名が4代目となって、市街地の巨大な空きビルが少しでも活用されるのはいいとしても、依然として、昔の名前を示したままのビルで空きフロアがあり、その向かいは広大な空き地(秋田ニューシティ跡地)。
前にも書いたけれど、数十年前までのにぎわいを知る者としては、残念で寂しい。何とかならないものでしょうか。

【9月1日追記・ドア左のアネックスのフロントだった部分について】
改めて外から見ると、引き続きフロントがあった。また、辻兵時代からあった、フロントに直接出入りできる小さな玄関のガラスには「イーホテルアネックス」のロゴのみが表示されている。
アネックスの表示が残っていることと併せて考えると、実はイーホテルアネックスは今も存続していて、アネックスとメルディアが、同じ建物内で共存しているのかもしれない。ただ、公式サイトや各予約サイトにおいて、アネックスのページは存在しても、宿泊予約はできない状態になっている。
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青棚2023

2023-08-15 23:38:03 | 秋田の季節・風景
秋田などのお盆の風習。
この記事などの通り、東北地方日本海側・津軽~秋田~庄内辺りには、お盆の“アイテム”に独特なものがいろいろとある。その2023年の状況。

モナカの皮状のものを吊るす「盆とうろう」などと呼ばれるもの。
たけや製パンの商品(青森のかさい製菓でも同一のものが売られる)は、2023年もこれまでと変わらず。しかし、昨今の物価上昇の影響がここにも。
消費税率が10%になった2020年から2022年までは、1セット税込み220円程度だった。
今年は260円。2割も値上がった。


「青棚(あおだな)」は、秋田独特のものなのか、ネット上に情報はとても少ない。
ハスの葉で、数種類の果実を包んだ状態で売られる。それを広げて、お盆のお供えとするもののようだ。
(再掲)スーパーで「青棚セット」として売られる状態
2015年は400円ほどだった。
(再掲)袋から出して、ハスの葉を広げたところ【16日補足・もちろん、袋から中身を出して、葉に広げて供えます】

我が家では、秋田市内のマックスバリュで買うのが恒例だった。お盆はポイント10倍(今は実質8倍?)になるので。
昨2022年は、他店のものをもらったので買わなかったはず。今年はまたマックスバリュで購入しようと出向いた。

例年のように、入口そばの青果売り場に特設コーナーが作られ、生花や抹香などとともに、それらしきものが並んでいたのだが…
いつもの青棚セットがない。

それでも、代替は2つあった。
1つは、プラスチック製の青棚セット。
以前から、ナスとキュウリの精霊馬のプラスチック版はあった。精霊馬は全国的なものだけど、ローカルな青棚もプラスチック化されるのが意外。
毎年繰り返して使うのなら、それはそれで意義があるけれど、毎年捨てる(精霊流し)のならば、時代の流れに逆行している。それに、見た目がツルツルして色が派手で、いかにも作り物っぽくて、良くない。
控えめに数個しか並んでいなかったので、売れ筋ではなさそう。

もう1つは、中身とハスの葉、それぞれ単独での販売。
買った
以前からハスの葉は、賞状のように筒状に巻いて、1枚単位で売っていた。商品名「蓮の葉」、税込み217.8円。青棚の中身は自宅で用意するような人向けだったのか。【16日補足・再掲写真のセットはハスの葉の表面を外向きにして包んでいる。今回の単独商品は、葉の裏面を外向きにして巻いている。】
そして、たぶん今回初めて見たのが、青棚の中身だけ、1組分を袋に入れた商品「お盆セット」。税込み437.8円。10個以上は並んでいたと思う。
2015年には、中身と葉のセットで400円ほどだった。今回は合計650円。※非食品扱いで消費税率は10%。

「お盆セット」には、「青棚セットの中身と同一です」という手書きポップが付いていた。
でも、その時点ではプラスチック製青棚セットしかなかった。
ということは、もしかしたら、本物の青棚セットも入荷していたが、先に売り切れてしまったのかもしれない。過去には8月9日頃から売られていたし(今回は12日購入)。

今年の「お盆セット」の構成。以前の葉っぱに包まれていた当時のものと共通点が多く、製造元は同じだと思われる。
ペポカボチャ・おもちゃカボチャは、縦長で縦縞や色が以前と同一。
未熟な青リンゴは2個から1個に減ったが、少し大きい。
その他、数や量は以前と多少変化しているが、「ササゲ(豆)」の代用と思われるインゲンマメ2本、オレンジ色のミニトマトのようなハマナスの果実2個、未熟なホオズキ1個、未熟なブドウ少々。
あとは、以前は入っていたりいなかったりした(冒頭の再掲写真にはない)、赤や黒の小さな果実(上の写真リンゴの下)。ガマズミ、サンゴジュ、ゴマギ辺り(いずれも同科同属)の果実だろうか。たぶん食べてはいけない。セットの中では、ほかにホオズキが有毒。


お盆の風習は脈々と受け継がれているけれど、価格や売りかたには小さな変化が繰り返されていた。
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昔の秋田の暑さ

2023-08-11 23:26:34 | 秋田の季節・風景
居座る台風によるフェーン現象のためか、最近の日本海側は猛暑。
秋田市は、8月7日から11日まで、5日連続の猛暑日。12日は猛暑日にはならなそうだが、おそらく連続猛暑日日数の記録。最低気温は5日から、連日熱帯夜継続中。寝苦しいのもイヤだけど、連日の35度越えはやはり堪える。

8月9日の最高気温は38.2℃で、観測史上最高値となった。
実際には1978年8月3日と同値なので、1位タイ記録。そのことには触れないマスコミがあるのが、ちょっと気になる。
昭和53年とタイ記録という情報がなければ、「昔はこんなに暑いことはなかった」と思いこんでしまう人もいるだろうし、反対に「40年以上前、ものすごく暑い日があったけど、あれは何度だったのだろう」と悩む人もいるのだから。
ちなみに、1978年は8月2日は32.7℃、4日は28.5℃までしか上がっておらず、8月3日だけ突出した猛暑だった。
【8月23日追記・記録更新】この後、2023年8月23日の最高気温が38.5℃となり、観測記録を更新した。この記事の内容は、それ以前のデータに基づいているので、下のランキングや統計値は“古いもの”になってしまいます。


こうした昔のお天気は、気象庁ホームページの「過去の気象データ検索」を使えば、容易に調べられる。便利な時代になったものだ。
さらに便利なことに「観測史上1~10位の値(年間を通じての値)」ページもあって、観測地点を選べば、すぐにランキングが表示される。秋田の場合は1882年10月からの141年が対象。
「日最高気温の高い方から」では2023年8月9日と1978年に次ぐ、残り8つ分(タイ記録があっても10枠しか表示されない)は、1999年以降の値ばかり。というか8月9日以外の2023年でさらに2枠も(+次点・11番目も)占めている。
やっぱり昔(=平成初め・1990年代以前)と比べて、ここ数十年は暑さが厳しくなったのかなと思わされ、ていいのだろうか。

こうなると気になるのが、ランク外の暑さあるいは1998年以前の暑さがどのくらいだったかということ。
少なくとも気象庁ホームページでは簡単には調べられないようなので、141年間(1882年10月観測開始なので、同年は除いた)の毎年の年間日最高気温の値を、表計算ソフトで並べ替えてみた。
今年のような「同一年内に高温の日が複数ある」場合は、その2番目以降を把握できないことになるので、厳密な(日ごとの)最高気温ランキングではない点はご留意願います。記事内での転記ミスや、気象の知識がないので、見落としやデータの見方を誤解しているかもしれません。
【初回アップ・8月11日時点のデータ。この後、8月23日に最高値が更新
【12日補足・↑1位のところを2023年→1978年の順で記していますが、他のタイ記録の年に合わせて、逆にするべきでした。】
自分が小さかった昭和末期~平成初期は、秋田市では30℃を越える日は珍しくなったが、35℃になった日はなかったような気がしていた。
また、最高気温35.0℃以上の日のことを「猛暑日」と呼ぶようになったのは2007年から。
だから、秋田市で猛暑日が出現するようになったのは、10位までのランキングのように、ここ20年くらいのことだと思いこんでいた。

ところが、並べ替えてみると、141年のうち、猛暑日(という名がまだなかった頃も含めて)があった年は45年。3分の1以上。
古くは1885年から明治・大正・戦前でもそこそこある。
ただ、36.0℃を越えた19年のうち、1998年以前なのは1978年と1944、1950、1954、1971年の5年だけ。36とか37とかバカ高くなったのは、21世紀に入ってからと言える。逆に言えば、秋田市では35℃台の日は、昔から2~3年に1回くらいあってもおかしくはない土地のようだ。

平均値は34.2℃。
最頻値は34.1℃(8回。平成以降では1995年と昨2022年=令和になってから唯一、猛暑日がなかった年)。
中央値も34.1℃。

いちばん低かった年(55位)は、1934年の30.2℃【11日補足・東北地方太平洋側を中心に、大凶作となった年だ】。
141年の間には、冷夏とされる年が何度かあったが、秋田市では、真夏日が1日もなかった年はなかったのだった。少々意外。
低いほうは、昭和以前の年が目立つ。平成以降で低いのは、44位・1993年 32.3℃、43位・2008年 32.6℃、42位・1996年 32.7℃。

35℃を基準にするかどうかは別として総合的に見れば、やっぱり昔よりは気温が高くなり、また高くなる年が増えている傾向にあるのは間違いない。


ちなみに、
昭和最後の夏・1988年は34.0℃(30位。8月14日)、平成最初の夏・1989年は35.5℃(15位。8月6日)。記憶にない。
冷夏で“平成の米騒動”となった1993年は32.3℃(44位。8月26日)。8月前半など20℃台前半の日もあって、寒い夏だった記憶ばかりがあるが、ピンポイントでこんなに上がっていたのは記憶にない。

終戦の1945年は34.8℃(22位。8月24日)。なお、終戦の日1945年8月15日は27.1℃。当時秋田市やその周辺にいて、「終戦の年(もしくは終戦の日)は暑かった」という人が複数いる。感じかたは人それぞれだし、心理的要因も少なくないのではないだろうか。


などとデータで遊んでみても、涼しくなるわけでもない。
夏はほどよく暑く、冬はほどよく寒く・雪が降る、秋田の本来の気候で過ごせる年は、次はいつになるだろう。
2023年夏の暑さの総括と過去との比較
コメント (2)
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リゾートしらかみ2023.6

2023-08-08 20:36:30 | 旅行記
2023年6月の弘前訪問(前回の記事)。天候などにより、あまりさえない旅になってしまって、ほぼネタが尽きました。
千畳敷海岸散策の植物を中心に先に紹介していた、帰りの「リゾートしらかみ4号」全般について最後に。
陸奥岩崎→十二湖間
車両は2代目「ブナ(正式には漢字)編成」。2020年正月以来の乗車。フローリングの床の傷が気になっていたが、今回は目立って増えてはいなそうだった。
ハイブリッドシステムも変わりなさそうだったが、止まっていたエンジンが動き出す直前に、小さく(車外・床下で?)「ピピピ」と警告音が鳴っていたような気がした。


他の列車同様、リゾートしらかみではワゴンによる車内販売はなくなった。地元の団体等が、短区間乗りこんで、記念グッズや地元のお菓子を売る「ふれあい販売」は続いているが、この日はなし(スケジュールはJR東日本のサイトで公開)。ほかに、スマホアプリで弁当などを予約して、ホームなどで受け取れるサービスもある。

ブナ編成には、3号車の2号車寄り3分の1ほどを占める「ORAHO(おらほ)カウンター」があり、2020年時点では売店として、いろいろ販売していた。
その後、新型コロナウイルス感染症などの影響もあったのだろう。売店営業は廃止され、2022年12月24日からセルフレジによる無人販売が始まった(2021年10月から試験搭載)と聞いていた。※無人売店は青池編成でも実施。くまげら編成はなし。

まず、ORAHOカウンターの跡は、
すっからかん

かつて左側には商品が並んでいたのに
五能線内で山側となる売り場部分は、カウンターと作り付けの装飾や棚が虚しく残っていた。カウンター内に立ち入ることはできない。
海側は、窓向きのテーブルと椅子があるフリースペースで、引き続き使用可能。
大きな窓を独占できて悪くないけれど
ちょっともったいないスペースになってしまった。売店営業に必要な冷蔵庫などが残っているのか不明だが、今後の使いみちは要検討。

無人売店はここにはない。カウンターに小さな案内が出ていたが、気付かない人も多そう。
連結を渡って、ボックス席(セミコンパートメント)の2号車に入ってすぐの海側にある。予備知識があっても、気付かないで通り過ぎてしまいそうな場所。
狭い!
奥行きも長くはないが、間口が狭く、ひと1人分。元は車内販売準備室のような部屋だったのか。

左側がセルフレジで、売り物は正面部分のみ。
下の冷蔵庫には、緑茶(ボトル缶コーヒーも?)と沿線のリンゴジュースなどソフトドリンク。冷蔵庫の上が、お菓子・おつまみ、グッズ類。弁当やアルコールを売るのは無理にせよ、ラインナップは貧弱。アイスクリームも、ホットコーヒーもない。
支払いは、現金は不可。交通系電子マネーとクレジットカードが使える。

ひと昔前の特急列車や新幹線には、飲料の自動販売機があったものだが、管理が大変なのかなくなってしまった。こういう小規模無人売店のほうが、管理は楽なのかもしれないが、これだったら自販機でもいいような気もしてしまう。


青森・弘前側で、奥羽本線と五能線が接続する川部駅。2023年3月に無人駅となり、5月27日にコンパクトな新駅舎ができた。
この時点では、役目を終えた旧駅舎がまだ残っていた。

この辺りの、小さめの古い有人駅によくあるような、木造白壁の駅舎。形式上は、駅開業と同じ1894(明治27)年の建物で、全国的にも相当古い駅舎らしいが、その後、いったん焼失したとの話もある。
駅事務室のドアに大きな「かわべ」


リゾートしらかみ4号は、青森・新青森・弘前から乗車して、五能線内各駅で降りていくという使いかたをする乗客が多い。先に進むにつれ、車内の乗客は減っていく印象。
今回、おそらくいちばん多くが降りたのが、ウェスパ椿山駅だった。
写ってないけど20人は降りた
ウェスパ椿山といえば、その名の由来となる施設が、2020年10月に閉鎖され、大部分が解体されることになっていた。写真左の「物産館コロボックル」は営業存続。
奥・海寄りには建物(コテージ?)がまだ残っていたし、スロープカーも残っていたと思う。車窓からは解体工事現場などは分からなかった。

下車した人たちは、駅前で待機していた黄金崎不老ふ死温泉の送迎バスに乗りこんでいた。
ウェスパ椿山駅は、単なる送迎地点になってしまった状態。不老ふ死温泉へは、隣の艫作(へなし)駅のほうが近く、ウェスパ椿山駅開業前は、リゾしらも停車していた。

乗客がまばらになって、十二湖駅では乗降ともなく、秋田県内へ。能代駅・東能代駅から、直通列車&特急列車代用として秋田まで乗る人がちらほら乗車。
奥羽本線を南下し、終点秋田の1つ前の停車駅、追分到着を告げる、堺正幸さんの自動放送が流れていた時のこと。
「まもなく追分です。お出口は右側です。男鹿線はお乗り換…急停車します。ご注意ください。(全部堺さんの声)」
聞き流しそうになったが、通常とは違う。
列車は急減速。
もう一度「急停車します。ご注意ください。」が流れ、ジーン・ウィルソンさんの英語で「Caution. エマージェンシーブレーキなんとかかんとか」と続いた(2回繰り返し)はず。

その後、車掌から、踏切の異常検知で停止する旨放送。幸い、支障はなかったようで数分後に運転再開。

JR東日本の最近の車両では、非常ブレーキ操作に連動して、注意喚起の自動放送が流れるようになっているとのこと。車両型式によって言い回しは異なり、英語はCautionでなく「Attention please」で収録されているほうが多いらしい。
今回は、追分到着の通常の自動放送の途中に重なって流れ、(堺さんのトーンもさほど違わなかったので)目立たない注意喚起になってしまった。


ところで、JR東日本は7月24日、リゾートしらかみのような「のってたのしい列車(いわゆる観光列車)」の指定席料金を値上げすることを発表した。
これまでは、通常530円・閑散期330円だったのが、2023年10月から通年で840円になる。

わずか500円で長距離でも快適に移動できるので、乗り得だと思うとともに、もう少し“受益者負担”があってもいいとも考えてはいた。
座席レベルはだいたい同じ、首都圏の普通列車グリーン車料金は、51キロ以上で800円(休日)だし、JR九州なんか、キハ40系を改造して、特急料金を取るような観光列車があるのだから。
ただ、上記、秋田~能代など、観光目的でない、短距離の快適な移動手段、あるいは列車本数が少ない五能線内相互での普通列車代わりとして利用する人には、少々手が出しにくくなってしまうかもしれない。
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イギリストーストたまご

2023-08-06 20:03:22 | ランチパック
秋田市内のスーパードラッグアサヒの特売で、工藤パンイギリストーストを買った。※イギリストーストの直近の記事
2022年春には100円だったのに、今はセールなのに128円もする。

イギリストースト 小倉&マーガリン 410kcal / イギリストースト たまごサラダ 340kcal
どちらも期間限定商品(2023年6月か7月発売開始だと思われる)だが、初登場ではない。小倉&マーガリンは準定番ではないだろうか。ジャリジャリ感なし。

たまごサラダのほう。
イギリストーストでは数少なく、さらに秋田へ来ることはほとんどない、菓子パンではなく調理パン(惣菜パン)扱いの商品。調理パンは、例によって、関連会社の有限会社幸福の寿し本舗が製造。
アップしていなかったが、2021年12月に弘前に行った時も買っていた。
2021年版
JANコード(バーコード)が変わっていないし、包装もほぼ同一だが、2023年版は「ふんわりやわらか」のフレーズが追加。最近の調理パン系イギリストーストでは、こうなっている。
公式サイトでは「しっとり柔らかな食感のふんわりイギリスブレッドで、たまごサラダをサンドしました。ひとくち目でわかるミミの柔らかさが従来品とは異なるおすすめポイントです。」と説明。

ところで、冒頭の小倉&マーガリンと並べた写真。袋は同じ大きさだけど、中のパンの大きさに注目。
たまごサラダのほうが、特に上下方向に短い。イギリストースト(の食パン)といえば、少し縦に長い印象だったのに。
半分ずつ切って並べても縦が短い
物価高の昨今、コスト削減の意味もありそう。

中身

2021年版【9日補足・これは従来の縦に長いパン】
2023年版のほうが、たまごが多いかな。
ヤマザキランチパックのたまごと比べると、ちょっと少ない感じがするし、刻んだ白身が多いような気がするが、気のせいかも。
栄養成分は2021年版が305kcal、タンパク質8.0g、脂質15.1g、炭水化物34.3g、食塩相当量1.3g。2023年版が340kcal、8.6g、18.4g、34.9g、1.6g。やっぱりたまごが増えた?

「ひとくち目でわかるミミの柔らかさが従来品とは異なる」そうだが、その通り。というか、指で触れた瞬間に、従来のイギリストーストの耳とは違って、やわらかいのが分かった。従来のイギリストーストも、一般的な角型食パンの耳よりはやわらかいけれど。
たまご、味はランチパックのそれと大差なく、量も足りなくはなく、おいしかった。

調理パン系イギリストーストにも期待。
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弘南バス2023.6

2023-08-03 20:05:43 | 津軽のいろいろ
2023年6月の弘前(前回の記事)。
今回は弘南バスについて。現地訪問としては2021年12月以来。土手町循環100円バスに2度しか乗れなかったが、新たなものにも遭遇・体験できた。

雨の中、見ただけなのは、
マイクロバスの新車!
弘南バスでは2000年前後から、それまで大型・中型バスが走っていた路線にも、小型バス(日野リエッセ)やマイクロバスを投入している。
マイクロは、三菱ふそう「ローザ」を中心に、2000年代は毎年のように増備されていたのだが、2011年頃を最後に止まっていた。

久々に購入したローザが、この車。写真は「30404-2」号車なので、2022年製か。ナンバーは絵柄入りでない「弘前210あ3」。五所川原かどこかにも、同型ローザがあると、ツイッター(当時)で見た気がする。
なお、この間、秋田市に来ていた、図柄入り「弘前210あ1」のエアロエースは「30401-2」だった。

ローザは2018年に、ツリ目&黒い帯の前面デザインにマイナーチェンジされている。秋田市では、秋田アスレティッククラブ(運営会社は2021年までは三菱マテリアル傘下にあり、その関係で買ったのかもしれないが、他社製も入れている)の送迎バスで見かけるが、マイクロバスとしてはかなりかっこいい。後部はさほど変わらないけれど。
その路線バス仕様(特装車扱いらしい)も、かっこいい。
これまでのローザ路線仕様は、丸っこいボディに、行き先表示が取って付けたように突出していた。
(再掲)旧車体のローザ
現行モデルは、行き先表示が車体と一体化し、周りは黒く引き締まって見える。
行き先表示器自体は大型に見えるが、実際には従来と同程度の小型で、白色LED。白文字表示は、弘南バスの一般路線車では初だろう。

側窓の枠も黒に。側面に行き先表示器はなく、パソコンで印字してラミネートした紙を、窓の内側に掲出するのが弘南バスらしい。経由地を細かく案内できるので親切でもある。
客席の座席は、従来のローザよりは簡易(一般的な路線バス風)に見えた。トランスミッションはMTの設定がなくなったようなので、ATか。


次に、中古で来た中型バス。土手町循環バスで乗車できた。
三菱ふそうエアロミディ、ノンステップ
「31504-2」=2003年製、図柄入り「弘前210あ16」。京都市交通局(京都市営バス)の中古。
近年、弘南バスや秋北バスでは、京都市バスの中古がちらほら入っている。

中型バスだけど、見慣れたそれとはバランス感が違う。短いようで長いような。
ホイールベースや中ドアの配置が異なり、違った印象を受ける。一部の現場や愛好家では「ダックスフンド/ダックス」と呼ばれたとのこと。
製造当時のエアロミディでは、車体長7メートルのエアロミディMJがあったが、それを9メートルまで伸ばしたKK-MJ27HLがこれ。普通の9メートル車よりも、前のノンステップエリアが広い(長い)メリットがあったようだ。

京都市からは1番違いの「31505-2」・図柄入り「あ17」と、2022年秋ころから復刻塗装2台目として「31604-2」・図柄なし「か24」、さらに五所川原営業所に「31603-3」・「青森200か1374」も来たとのこと。


雨の平日昼前。
弘前市街地を歩く人はまばらだったが、土手町循環バスの利用者は多め。地元客が大部分のようだったが、弘前公園への観光客らしき人も2人ほど。そこへ来たのがこの車で、けっこう立ち客がいた。
前乗り前降りの弘南バスでは、どうしても前寄りに客がたまってしまう。ノンステップエリアが長い分、いくらかは中ほどへ分散できているような気もしたが、大差ないかな。座席は、前方のノンステップエリアが1人掛け、高い後方が2人掛け。2人掛け座席は少ない上に、ややきゅうくつに感じられた。

トランスミッションは、公営事業者らしくAT。
エアロミディのオートマと言えば、名古屋市交通局でも見かけたし、何より秋田市交通局(~秋田中央交通へ譲渡)でお世話になった。エアロミディならではのエンジン音に加え、トルクコンバーター式ATによる、ぐぉーという爆音が懐かしい。
秋田市の車は1993、1995年度製だったので、この車は10年程度新しい。その間で、エンジンの排気量が減ったせいか音が軽くなった印象はあるが、三菱らしいオートマの音の流れは汲んでいた。オーソドックスな形のシフトレバーは、秋田市のと形は同じかもしれないが、色が黒からグレーに変わっていた。

ローザやリエッセなど20年前に買った、小型バス・マイクロバスが代替時期に入っているし、バリアフリー化もあって、こういうタイプを入れたのだろうか。弘南バスは三菱ふそうを好む印象があるから、京都以外の同型も入れるようなことがあるかもしれない。
一方で、最近、国際興業中古の大型車・エルガが2台入った(弘前と青森に1台ずつ??)という話もある。五所川原にいた都営【4日訂正・西東京バス?】中古の中型ロングも弘前に移ったらしい。



そして、青森市、八戸市、秋田市などに遅れること約1年。2023年2月25日から、弘南バスでもついに地域連携SuicaによるIC乗車「MegoICa(メゴイカ)」が始まっていた。津軽弁の「かわいい」を意味する言葉(いわゆる「めんこい」)が由来の愛称は公募。
カード券面は、雪をかぶったピンク色の岩木山がポップにデザインされている。頂上が3つに分かれているので、五所川原辺りでなく弘前市から見た形。

弘前市だけではなく、弘南バス全エリアが対象。秋田市のように役所の金銭的支援は受けていないのかもしれない。
弘南バスでは、深浦町とともに「MegoICa体験会」を開催したり、PDF以外の説明ホームページを作ったり、説明動画をアップしたり、宣伝も積極的な印象。PDFを上げただけで、ほかは秋田市役所に任せっきりの秋田中央交通にも見習ってほしい。

あと、昨年導入されたどの地域でも、バス乗車で貯まる独自のポイントのことは「交通ポイント」としか称していなかったと思う。Suica本体のポイント(JREポイント)と区別しづらく、親しみももてない。MegoICaの交通ポイントは「メゴポン」という名前が付いている。そのセンスがどうかはともかく、名前があるのはいい。

土手町循環バスでは、高齢者も含めて多くの乗客がICで支払い。100円バスは、IC化以前は、原則現金払いで回数券もなかったことを考えれば、導入後4か月でかなり浸透している。

車載機器。
乗車用カードリーダーは、秋田中央交通と同じもの。レシップがOEM製造する、JR東日本メカトロニクスの「縦型アンテナ部」だと思われる。
※秋田市の高齢者の場合、青いタッチ部でなく、その上の画面部分にタッチしてしまって、エラーになる人がちらほらいる。
中央交通では、整理券発行機のすぐそばにリーダーが設置される。ところが中央交通では、整理券がドアの右側にある車と左側にある車が混在するため、リーダーも左右まちまちで、惑わされる。

弘南バスの場合(前乗りなので前ドア)、中型バスでは、従来から整理券は左側で統一されていた。カードリーダーは、その反対の右側の、客席との仕切りの板に設置されていた(数台見た限り、全車)。配線が大変そうだけど、分かりやすいかもしれない。

ただ、マイクロバスでは左側。
ローザ32104-2号車。運転席の仕切りパイプに設置?
路線仕様を前提としていない車種なので、運賃箱もなかなか無理のある設置だし、ドアの開き方などで、こうなったのでしょう。

秋田中央交通では、AkiCA導入に際し、旧型が残っていた運賃箱と運賃表示機を新型に交換。整理券発行機は、感熱紙タイプ(バーコード印字なし)への置き換えは済んでいて、交換されなかった。
弘南バスでは、整理券は普通紙・インク式の車両が大部分(2016年の新車から感熱紙)であった。MegoICa導入時に、すべてを、バーコード付きの感熱紙式に交換したようだ。

弘南バスでは、始発の運賃区間では、整理券を出さないことになっていた。運賃表示機も「券なし」から始まる。バーコード印字に合わせて、始発でも券を出すようになった。
100円均一のバスでは、一切整理券を使わなかったが、発券するようになった。運賃表示機も、秋田市中心市街地循環バスのように、「100」がずらりと並ぶようになった。
整理券を取らずに乗りそうになり、運転士に「100円バスでも(整理券を)取ってもらうことになりました」と説明されていた客がいた。


運賃箱は、従来は小田原機器製とレシップ製(藤代車庫の車に多い?)の、古い廉価なものだったが、小田原機器製で、バーコード読み取り&投入された硬貨をカウントできる自動計数対応の「RX-FCM型」に換わっていた。
ボディ上部が弧を描き、現金投入口が出っ張っていない(どこに入れるのか分からない客が多いようで、現金客には運転士が指さして教えていた)、小田原らしからぬデザイン。
ICカード読み取りユニット本体の黒い箱は、秋田同様、短辺の車内後方側にごちゃっと配線が見える形取り付けられているのは変わらなかった。※秋田中央交通は、計数なしのRX-NZS型。

運賃表示機は、弘南バスも中央交通も、従来は、レシップの7セグメントLED式50コマと、レシップの15インチ×2画面液晶の「OBC-VISION"D"」が混在。
中央交通は、一般路線では全車がOBC-VISIONに交換。一方で郊外の廃止代替バスでは小田原機器製の27インチ1画面「BFD型 液晶運賃表示器」が採用された。
弘南バスでは、上記、京都市営の中古では小田原BFD型だった。全交換かは分からないが、総合的には、ICカード導入で小田原機器がもうかったのかな。


秋田では、IC決済時に「ピピッ」のほかに「ピンポーン」という音も鳴り、それが何を意味するのか、またそのことの告知もされないのが気になっていた(この記事など)。
弘南バスの説明サイト・説明書では、「「ピッ!ピンポン」という音が鳴れば、運賃のお支払いは完了です。」と言及あり。
そして、現金で支払った時でも、「ピンポーン」が鳴っていた。整理券番号と投入金額が一致すると鳴るのだろう。
ということは、ICカード側の仕様ではなく、小田原機器製運賃箱の仕様として、支払い手段に関わらず、正当に支払われたことを認識すれば、ピンポーンが鳴るのだろうか。秋田の場合、現金の投入は数えられないので鳴らないけれど。
でも、秋田の場合、ICから正しく引き去られても、鳴らないことがあったような気がするのだけど…

【8日追記】スマートフォンで交通系ICカードの履歴を見られる「みるCa」アプリ(2022年以降のアップデートや最新版Androidへの対応はなく、もう更新しなくなったようだ)で、AkiCAエリア(秋田中央交通、秋田市中心市街地循環バス、秋田市マイタウン・バス)での履歴を読むと、事業者名部分は「3-090E」と表示された。
MegoICaエリア分は「3-0919」だった。

※弘前訪問記の続きはリゾートしらかみ
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対面通行初日

2023-08-01 23:08:42 | 秋田の地理
昨日の続き。8月1日6時から対面通行化された、秋田市の寺町~大町五丁目交差点の道路。
同時刻に、大雨の被害で通行止めになっていた、秋田中央道路地下トンネルが開通(時間を区切って片方向ずつ)。そちらばかり報道された。
半田葬儀社向かい側から東方向
1日午後時点では、山王五丁目→大町五丁目へ東進する車はまばら。
対面通行化が周知されていないことに加え、最終的には大町五丁目交差点で突き当たってしまうため、恩恵を受ける車はそれほど多くないのだろう。
7月31日時点では、白線が一切引かれていなかったが、道路管理者管轄分・警察管轄分とも一晩できれいに引かれた(交わる道側の一部横断歩道は除く)。各交差点・両方向とも、右折レーンが設けられている。
それに、31日時点では、半田葬儀社前とその西の交差点には、歩行者用信号機が未設置(アームのみ設置)の箇所が多かった(はず)。1日には、すべてのアームに信号機がぶら下げられ、稼働していた。

大町五丁目交差点 東方向
歩道の工事は続くと聞いており、柵による封鎖がまだ続くのかと思っていたら、これも一晩で撤去・開放された。これなら文句なし。※所々、配管などの都合でコーンが置かれた箇所あり。

歩道の路面は、歩行者側がグレー、自転車側が淡いピンクでタイル? ブロック? 敷きに見える。
秋田市道では、近年は、アスファルト舗装にタイルの目地っぽい線を描いた、タイルもどきがよく使われている。
この区間は、道路建設は秋田県が行ったためか、見た目は純粋な秋田市道とは違う雰囲気。本物のタイルかどうかはしっかり確認しないでしまった。【後で追記します】


未拡幅の五丁目橋→横町から西進し、大町五丁目交差点を直進する車は、対面通行化区間に入る時に、少し左にハンドルを切らないといけなくなった。
この東西方向側の車両用信号機は、時差式や右折矢印とはならなかった。上記のように現時点の通行量では、そこまでしなくてもいいという判断だろう。

大町五丁目交差点の突き当りには、31日にはなかった、進入禁止と指定方向外進行禁止の道路標識が設置された。でも、色合いなどからすれば、どこかから寄せ集めた中古品。進入禁止のほうには「軽車両を除く」の補助標識がない。
2029年には横町側も対面通行になるからかもしれないが、歩行者用信号機のほうは新品が設置されている。

その歩行者用信号機。大町五丁目交差点は、先立って設置され、カバーが掛けられて待機中だった。
向こう側が双子設置
なぜか未稼働のまま。
以前指摘したように、ここの南北方向は、時差式制御であるのに歩行者用信号機がなかったので、“歩行者も時差式”になってしまっていた。歩行者用を稼働させればそれが解消されるし、何より他の交差点は稼働しているのに、どうしてここだけ、設置だけ先にして稼働は後回しなのか。なにか不都合があるのだろうか。【追記・この後8月8日までに、カバーが取れて、歩行者用信号機が稼働していた。】
コメント (2)
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