広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

秋田駅自由通路天井工事

2020-03-29 19:40:48 | 秋田の季節・風景
先週のJR秋田駅・中央改札口前の自由通路の写真。
左が改札口、奥が東口
これまでと変わらない光景のようだが、変わったところが2点ある。
(再掲)南側の待合室などが一新された3年前・2017年。上の写真とは逆方向
これまではカーブした天井は全面が白だった。
現在は、梁(?)のような細長い部分は白いが、天窓の周りなどそれ以外が木のような色合いに変わった。【末尾の追記のとおり、木質化したわけではなく、木目調のシートを貼ったとのこと。】
それと、写真では判別不可能なのだけど、吊るされた竿燈の提灯(もしかしたら竿部分も?)が新しくなったようだ。

1月から3月にかけて、「天井耐震補強」工事が行われ、それが終わってこのようになった。
自由通路は秋田市の管轄だが、JRへ委託して(=おそらくJRの線路をまたぐ場所だから)実施。

自由通路はできて20年少しだから、耐震基準は満たしているはず。「耐震補強」というより「天井板の脱落防止」工事のようだ。東日本大震災では、揺れで体育館などの天井板が落ち、犠牲者が出た(秋田県外)事例もあった。秋田市立学校の体育館でも、天井板の対策(撤去?)を行っている。
秋田駅自由通路では、のべ2900平方メートルを、4年度(実質3年)4期に分けて施工。
今回の中央改札口前が1期で、2期が今年5月~12月の中央改札口隣接の東西(みどりの窓口~トイレ、新幹線ホームの上辺り)、3期が2021年5月~12月の西端(トピコ~階段)、4期が2022年5月から2022年5月~12月の東端(留置線上付近~階段)。
【2021年8月25日追記・その後、実際には3期と4期の順番が入れ替わったようで、2021年に東側が工事された。】

工事中の模様。
みどりの窓口側から東方向
中央改札口前で、自由通路に立ちはだかるように、仮設の白い壁というか柱が林立というか、そんな状態。天井もぐんと低くなった。
東側から。仮壁の壁面に広告を出している
柱の影から人が出てくることがあるから、気をつけて通らないといけなかった。
改札口もさえぎられる
狭くなった以外には、大きな影響はなく、工事終了。
再び広々とした
3月20日頃に仮の壁・柱が撤去されたようだが、上の写真のように、こんなに広かったっけと思った。それもそのはず、この時点では、竿燈がなかった!

改札口前の置き竿燈は、夏の竿燈期間中だけ設置していると勘違いされる(魁さんもたまにそう書く)が、通年常設されている。この工事では、当然ジャマだから撤去されていた。ナマハゲの巨大面や、秋田犬バルーンも姿を消した。バルーンのうち1体はいなくなり、もう1体はこれまでの夜間と同じくしぼんだままカバーをかけて置きっぱなし。
それから数日して、
竿燈とナマハゲが復帰(秋田犬は29日時点でまだ)
竿燈は以前と向きなのか高さなのか、微妙に違うような(低くなった?)気もするが、気のせいかも。
東側から
竿燈の根本側は、照明の柱にロープでくくりつけて固定している。常設するなら金具でも作ればいいのに。このロープの加減で、高さなどに微妙な違いが出るのでしょう。
そして裏側から見て、提灯の違いに気づいた。
(再掲)以前の同じ側
ここの提灯は、改札口向きが佐竹家の家紋「扇子に日の丸」、その裏が矢留の秋田市章だった。
市章は、自治体としての秋田市のマークのみならず、竿燈においては参加者・団体をまとめる「秋田市竿燈会」を示す提灯の紋にもなっているようだ。さらに、秋田市役所職員有志が竿燈に出る「秋田市役所竿燈会」の紋にも使われている。
うち、市役所竿燈会のものは、市章そのものとは若干違い、外周の円が緑色で蕗の葉のようなデザイン。
(再掲)秋田市役所竿燈会の提灯
また、市竿燈会としての提灯の紋は、黒い色が一般的だと思っていた。かつての改札口のように。
ところが、新しくなった提灯は、緑色の市章。秋田市章を公式にカラーで示す時のように。
竿燈の提灯でこの色というのは見た記憶がないので、これは公式な市章ということ? 秋田市挙げて歓迎する意味では、これでもいいと思う。→その後2021年頃に、また別の提灯に替わった


自由通路の工事と並行して、在来線改札内では、
トイレが工事中。右奥がトピコ改札口
みどりの窓口の裏側に当たるトイレが、仮設の白いドアで閉鎖されていた。3月始め頃までには使えるようになり、設備など見た感じは以前と変わっていない【31日補足・いただいたコメントによれば女性側個室便器がセンサー水栓に変わったとのこと。男性用は未確認、小用や手洗い、床や壁は工事前と同じはず。】ので、やはり天井関係の工事だったのだろうか。
工事中、改札内のトイレへの誘導表示は隠されていた(上の写真でも壁に突き出た表示板は白くなっている)けど、トイレ入口の赤と青の枠はそのままだから、ここがトイレということを知っている人なら、思わず白いドアを開けてしまいそう。
考えてみれば、秋田駅改札内のトイレはここだけ(新幹線側にはないんだね。まあ車両のを使えばいいけど)。改札口の外側に「中にトイレはありません」と表示をしてもよかったのでは。


最後、再び自由通路。
西寄り、トピコ側へ下る階段・動く歩道の南壁
ここは天井工事はまだ。
その壁にシャープの液晶テレビが取り付けられている。
2015年に駅舎の屋上というか屋根に、小型風力発電機や太陽光パネルを設置し、外の駅名表示の照明に使うという仕組みができていた。その発電状況を知らせるためのディスプレイがこれの役割だった。

工事の影響なのか、最近はいつも画面が消えていた。赤く点灯したスタンバイ状態で。
階段の壁際を歩いてふと目をやると、
ほこりだらけ!
背面、取り付け器具、コードに綿ぼこりが盛大に付着していた。
一般家庭のテレビの裏のほこりとは、環境が違うせいか、質が違うように見えた。コードはまるで手芸用モールを大きくしたような感じで、びっしりと綿ぼこりで覆われていた。

消灯しているテレビだし、気付かない人は多いだろう。でも、東から西へ手すり側を歩く時は気付くこともあるはず。
自由通路の他の箇所は、清掃担当の方々が丁寧にきれいにしてくれているのに、ここは担当外なのか? 警備員や駅と支社を行き来するJR社員が、何度も何人も通っているのに、誰も気付かないのか?
汚いうんぬんよりも、コンセントとプラグにほこりが付くと漏電して発煙・発火する(トラッキング)こともあり得ると思う。先日、本荘へ行く前に時間があったので、ご意見箱へ投書した。その後、
きれいになった! プラグも抜かれた
今後ともよろしく。

薬丸裕英氏は「配線が見える」ことが嫌いだそうで、自宅のテレビは壁掛けにして、配線はすべてその壁の中へ入れていた。
機器のつながりがまったく見えないというもの、ブラックボックスのようで怖いと思う。
線が見えたほうがメンテナンスには便利。トラッキングのほか、コードにクセや傷が付いて断線するのも危ない。掃除が面倒なのはたしかだけど、こまめに確認しましょう。

【2020年4月6日追記】2020年4月6日付 秋田魁新報 秋田市地域面で「天井に木のぬくもり 秋田駅ぽぽろーど 22年度まで順次改修」として遅ればせながら取り上げられた。工事中の低い天井の写真も掲載。
4年間の対象距離は「約180メートル」「総事業費は約6億1千万円」。今回は約17メートルの区間。
「屋根から天井をつる金具を交換・補強し」「天井板に木目調のシートを貼った」。

続きはこちら
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双子の歩行者用信号

2020-03-27 00:16:42 | 秋田のいろいろ
秋田市の通称・旧国道、高陽幸町、高陽青柳町、山王一丁目、二丁目の境界に信号機付きの交差点がある。北側の秋田市役所方向からの道が、旧国道にぶつかる丁字路(十字路とも取れるが、1方向はややずれていて狭くて信号がない)。
(再掲)右が市役所、奥が新国道・鉄砲町交差点方向

ここを横断する歩行者の視点で見てほしい。
Googleストリートビューより
画像左右方向・旧国道を渡る時は、どちらの横断歩道にも歩行者用信号機が設置されている。道が狭く、柱の位置の制約もあって、信号機の角度にやや無理があるけれど。
一方、右側の前後(旧国道と並行)方向を横断する時。横断歩道は長めだけど、歩行者用信号機がない。

全国的によくあることだと思うが、車両用信号機のある交差点で、横断歩道もあるのに、赤と青の2色の歩行者用信号機が設置されていない場合がある。同じ方向の赤黄青3色の車両用信号機に従って横断することになる(この場合は「車両用」信号機と限定できない)のは常識のような気もするけれど、育った地域差か年代か、どうやって(どのタイミングで)横断すればいいか分からないという人もいるらしい。

たしかに、歩行者の視点では、車両用信号機が見づらい位置に設置されていることはある。
さらにここのように、同じ交差点内で、歩行者用信号機がある側とない側が混在している所では、なおさら戸惑わせるかも。

歩行者用の2灯式の信号機は、1965(昭和40)年の道路交通法違反【28日予測変換による余計な語句を削除】改訂を受け、1966年に仕様が決まり、以降設置されていったそうだ。
おそらく、それ以前でも、歩行者に限定した信号機の概念はあって、低い位置に縦位置の3灯式信号機と「歩行者専用」の表示板を設置して対応していたのではないだろうか。現在の自転車専用と同様で。

2月以降か、この交差点の信号機が新しくなった。※段階的に更新され3月に入って完了。
すべて電球式からLED式に。手前2本は柱も更新

反対側から
旧国道と並行な横断歩道にも、歩行者用信号機が設置された!
秋田県警では、2018年度頃から、このような状況の交差点に歩行者用信号機を新設することを進めているようで、その一環か。

珍しいのが、歩行者用信号機の設置方法。秋田県では初めてかもしれない。


 
違う側の横断用(=向きが90度違う)の2台の信号機を、まとめて同じアームで取り付けている。【31日補足】アームの上部先端寄りと柱の間にワイヤーが張られているのも特徴的。1台だけ設置であっても、アームが長いとワイヤーがある場合が多いと思う。
信号機は4台とも、2018年度から採用されている、信号電材製の低コストタイプ(フードなし、LEDの粒が見える)。【27日補足・上の写真は雨天時に撮影したため、表面に水滴が付いて、中のLEDの粒がにじんで見えています。】

なお、更新された車両用も信号電材の低コスト。
おもしろいのは、従来どおりの設置方法で更新された向かい側の2台。裏面に凹凸がある京三製作所製の短いフードで、よく見なかったけど転用品かもしれない。識別シールが貼っていなかった。※アームや取り付け方が違う少数の信号だけ、中古転用品になる事例は、秋田県警ではたまにあるようだ。

このような取り付け方法を、信号機愛好家は「双子歩灯」「双子設置」と呼ぶそうだ。
【29日補足・双子といっても、後付けなどにより2台の信号機が同時に誕生していない場合、親(メーカー)が違う場合もある。1つのアームを供用していることに着目すればシェアハウスならぬ“シェアアーム”のほうが分かりやすいかも?!】
秋田県では、駅前のスクランブル交差点など、デザイン化された吊り下げるタイプの設置方法で双子設置が見られた。ごくまれにという感じ。
また、2018年度に狭い道で歩行者用信号機がなかった側に増設した交差点では、それまで抱えこみ設置だったのを、吊り下げ式に変更して(+なかった向きに新品を1台足して)双子にした箇所があった。繁華街以外の住宅街などでの双子は、おそらくこの時が初。
秋田市寺内堂ノ沢の交差点。吊り下げの双子
上の写真では、左側の短いフード付きが従来からの信号機(コイト電工製)、右が新設された信号電材フードなし。
吊り下げタイプは、吊り下げ金具にバネが入っていて、車が引っかけても信号機が破損しにくい。また、アーム途中にぶら下げるほうの信号機の、位置の微調整がしやすそうに思われ、なるほど、秋田県警はこのやり方で双子設置を広めていくのかと思っていた。
【5月1日追記】うっかり忘れていた。今回取り上げている旧国道の交差点から南に伸びる道の、1つ隣の市役所裏の交差点でも、これまで歩行者用信号機がなかった側にも新設されて、吊り下げ式双子設置になっていた。

ところが、2019年度は、通常の上下で抱えこむ設置になった。
この抱えこみの双子設置は、全国的には、福島県や四国各県(徳島は除く?)などで、電球式信号機の時代から行われていた設置方法だそう。10年前に高知県で見て感心した

秋田県警では、フードの長さや車両用のアームの形など、ころころと変えたがる傾向があるから、これもそのひとつだろうか?
細かい点はともかく、別々に設置するよりは安く付きそうだし、なんと言っても狭い道路ではすっきりしていいと思う。
例えば、秋田市楢山の狭い道では、
高い位置に設置


電球式時代からこの取り付け方だった。アームを交換すれば、双子にできるだろう(あるいは隣の電力柱に設置するのも良さそう)。
【27日追記】近年の秋田の双子設置で新品の信号機は信号電材のもの。このことから、信号機本体とアームのメーカーの互換性・相性みたいなのもあるような気がしなくもないが、通常品ならメーカー問わず設置できるはず。双子用アームだけを買って、楢山のような既存の信号機を取り付けるということもできると思うのだけど…→2021年度に実現した!

2021年の歩行者用信号機新規設置例(双子ではない)。
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羽後本荘駅2020.3

2020-03-25 00:08:24 | 秋田のいろいろ
由利本荘市にある、JR羽越本線・由利高原鉄道鳥海山ろく線の羽後本荘駅舎が、2021年【28日追記・「くい基礎工事」の遅れにより、2021年8月供用に延期された】完成予定で建替え中(橋上駅舎と自由通路)。※旧駅舎最後の頃

旧駅舎の南隣(酒田寄り)、本荘駅前交番との間の駐車場だった所に仮駅舎が建てられ、2019年6月15日から営業開始。旧駅舎は解体が始まっていた。
(再掲)着工前。右が酒田方向
↑現在は、↓
すっかり解体された
重機が入っているが、現状では駅の跡はほぼ平ら。向こうに見えているのはホームの屋根。駅舎跡のすぐ前の柵沿いが歩行者通路。
左が従来からの跨線橋・間が仮駅舎・右が交番
交番より南側は行き止まりになっているはず。これまでよりも「奥」に駅がある感じ。
仮駅舎前からの風景
仮駅舎の前の広いスペースは、以前は駅レンタカーだったようだ(現在は少し離れた所へ移転)。左端の建物は本荘ステーションホテル。

仮駅舎出入り口
寒さ対策で二重ドアなのは分かるが、内側が病室みたいな引き戸なのが珍しい。(他の仮でない駅では、同じような吊り引き戸が使われていることはあるが、むしろ外側がそうで、デザインも病室とは違うはず。)
【27日追記】改札外のトイレは仮駅舎の交番寄り。改札口やきっぷ売り場からはいったん外に出ないといけない。数は多くないが広く、仮にしては充分でなかなか立派だった。改札内側は不明。

改札口方向
上の写真右が1窓だけのみどりの窓口、その手前に近距離自動券売機(たしか2台)。指定席券売機は従来通りなし。
【25日補足・みどりの窓口で出されたきっぷの発行箇所表示は「羽後本荘駅E1」、太めの文字でやや赤紫がかった印字。従来と同じ端末?】
隠れているが左奥が、由利高原鉄道のきっぷ売り場や改札。
左手前には、狭いながらそこそこ入る待合室。飲料やセブンティーンアイスの自販機あり。
なお、羽後本荘駅にも、酒田駅同様acureの自販機はなかった。ただし、ベンダーは大手飲料会社系で、酒田とは事情が違うようだ。

自動改札機を通って改札内へ。
旧駅舎は地上駅であるが、改札口に面したホームはなく、JRも由利高原鉄道もいずれも、必ず跨線橋で渡らないといけない構造。仮駅舎でも変わっていない。
だから、改札を入ってすぐ、壁に突き当たる。旧駅舎では突き当りの右が階段だったが、仮駅舎では左(秋田方向)へ曲がらされる。
プラスチック波トタンに囲まれた狭い通路を行く
しばらく線路と並行にまっすぐ進むと、また突き当り、今度は左(線路と反対)で、180度【26日訂正】正反対へ向きを変えさせられる。
そこが跨線橋上り口
ここで旧駅舎時代の動線に合流する。

跨線橋から北・秋田方向
上の写真左側の線路は使っていない。右が1番線。左奥が旧駅舎跡、左手前の白い屋根が仮駅舎改札口からの通路。

羽後本荘終点・始発の列車は3番線に入るようだ。鳥海山ろく線の4番線と同じ面。
4番線には鳥海山ろく線の列車
これまでなら、鳥海山ろく線と並んだ位置にJRの電車も停まっていたが、今はずっと奥(秋田寄り)に停車。「階段を降りて100m先」と案内されているのでホーム上を進む。
途中で4番線が途切れて狭くなる。右のコンクリートは鳥海山ろく線の車止め
しかも屋根もなくなる(向かいの1・2番線でも)。右の東側でも工事が行われている。自由通路の反対側の工事だろう。
振り返って跨線橋方向

やっと電車に到着
3番線の停止位置標識(少なくとも上り向き)は2両用だけのようだ。3両以上は入らないことにしているのだろうか。

駅舎建て替え時には避けられない苦労だけど、屋根がないから冬や雨の日はたいへんだろう。そして時間に充分に余裕を持ってご利用を。3番線なら5分余裕を持つつもりでないとあせるかも。

続きは1年後
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本荘おはぎ・たけやぼた餅

2020-03-24 00:18:37 | 各地お土産・食べ物
春彼岸が明けた。かなりの回数アップしている(2019年秋)気がしますが、今回もおはぎ・ぼたもちの話。本荘へ行ったこともからめて。
【3月29日追記】今回はアニメ「サザエさん」での彼岸・おはぎネタはなかった。

6年前に、秋田県内の一部地域では、彼岸に「だんし/だんす」と呼ぶ、米粉で作った餅(しんこ餅)を供えることを知った。
今回、秋田市内や由利本荘のいくかの店を見た限り、おはぎは置いていても、「だんし」の名の商品は1つも見なかった。
以前あったイオン秋田中央店でもなく、代わりなのかお供え向きのパックに入って、あんこを少量かけた「しんこ餅(角館のメーカー?)」があった。秋田市泉のJAの産直にもなし。
由利本荘市大内では、だんしの風習があると聞いていたが、道の駅おおうちの産直でもなし(他の餅菓子についてはいずれ)【2021年春彼岸には変わったおはぎを見つけた】。本荘のカダーレにもなし。
ということで、以下、おはぎ・ぼたもちについて。

本荘市街地で3つのおはぎを入手。
いずれも透明パックに4個入り
左から高正菓子店、吉野屋菓子舗、日進堂
高正菓子店のはカダーレの由利本荘市物産館ゆりぷらざ、他の2つはマックスバリュ本荘中央店(元つるまい→ジャスコ)で購入。
マックスバリュでは、彼岸菓子コーナーを設けて、たけやや千葉恵製菓の量産系商品を並べていた。地元製おはぎがないので見回すと、少し離れた、吉野屋、日進堂それぞれのレギュラー商品(いちじく菓子など)といっしょに並んでいた。見落とすところだった。別に店内製の惣菜扱いのおはぎもあるので、売り場が分散してしまっている。
吉野屋が残り2パック、日進堂は見切り品になった最後の1パックだったので、売れ行きは量産品よりいいのかも。
マックスバリュでは、店舗によっておはぎ類の扱いがだいぶ違うと感じる。
秋田市内では茨島店がいつも豊富(今回は未確認)、泉店は貧弱(まんじゅうなどのほうが多い)。泉店で彼岸中日の20日夕方には、どれも売り切れてしまっており、高齢女性が店員に尋ねて知らされて、残念そうだった。


高正菓子店は、1年前にうさぎ形の大福で初めて知った。かわいらしく、おいしかった。
今回のカダーレでも、おはぎとうさぎと、あんこで包んだ串団子(おいしそう)の3つがあった。
おはぎはつぶあん4個入り200円と、かなり安い。アルミホイルを使わずコストダウンしているのかもしれないが、大きさは他と変わらないし、「十勝小豆」を使っている。原材料には「黒ごま、白ごま」も。

吉野屋菓子舗もつぶあん4個入り346円。
原材料は「餅米(国産)、つぶあん」のみ。でも「つぶあん」に砂糖とか最初から入っているということかな?

日進堂はこしあん、きな粉(中にこしあん)が各2個ずつ、430円ほど(から値引き)。
こちらは餅米でなく「餅粉(国産)」となっている。

3つとも、名称がぼたもちでなく「おはぎ」。大きさもだいたい同じ。餅をあんこでぐるりと囲んだのではなく、底部にはあんこがないのも同じ。
吉野屋と日進堂の断面
あんこの味も、それぞれ微妙に違うが、各社傾向は似ていたと思う。
餅は、日進堂のがやや粒感というか硬めというか、多少食感が違った。餅粉のせいか、製造日時の違いか。上の写真でも粒がはっきりしているようにも見える。

柏餅とは違い本荘ならではのものというより、ごく標準的なおはぎではないだろうか。どれもおいしかった。
【翌2021年3月22日にイオンスーパーセンター本荘店に行くと、吉野屋菓子舗と日進堂の同じものを置いていた。春分の日を過ぎていたが、たけやのおはぎや彼岸団子も含めて、品揃えは良好。日進堂はあんこにやや塩味を感じた。】


最後は、たけや製パンの商品。
本荘だけでなく秋田市内のスーパーでも、「ぼたもち」よりも「おはぎ」が圧倒的に多い。
両者の違いには諸説あり、春彼岸はぼたもちとする説もあるし、ぼたもちのほうが大きいという話もある。

たけやでは、多様な組み合わせのおはぎをよく見かける。ドジャース(旧ト一屋含む)では、2個入り70円くらいでセールをしていたそうだ。
おはぎでなく、ぼたもちも製造している。
扱う店は多くなく、マックスバリュの茨島店と、ザ・ガーデン自由が丘西武秋田店では、おはぎとぼたもち両方売っていることが多いようだ。
たけや 三色ぼた餅 ごま・きなこ・こし
たけやのおはぎと比べると、だいぶ大きい。2回りは違い、楕円形の長いほうは7センチほどある。本荘の3社のおはぎと比べても、明らかに大きい。
手作りのおはぎではこのくらいのサイズのものもあるけれど、最近の量産品おはぎは1口で食べられそうなものが普通。



ザ・ガーデンでは、三色ぼた餅は288円(の半額で買った)。同じ組み合わせのおはぎもあって208円。
栄養成分表示がちゃんとあり、こしあん227kcal、ごま271kcal、きなこ229kcal。
これはあんこが1周していて包んでいて、厚め
餅の具合やあんこは、おはぎと変わらないと思う=たけやとしては大きさがぼたもちorおはぎの違いということ? 大きさやバランスのお好みで選んでくださいということか。
毎回同じ結論になる気がするけれど、たけやのあんこと餅って、おいしいと思う。好きだ。


工藤パン製品を期待して、ハッピー・ドラッグにも行ってみたけれど、今回は何もなかった。【2021年春分の日も同様】

【9月24日追記・画像追加】2020年秋彼岸の、たけやのおはぎを購入。本文の春彼岸と同一だと思う。
直径5センチ程度。高さもぼたもちより低い

1個127kcal
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東大館駅/青ガエル移設 雑感

2020-03-22 23:37:00 | 秋田のいろいろ
秋田県大館市と鉄道に関係した、最近気になった話題2つ。
2点について、根本から反対するつもりはありません。でも、違う側面でとらえたり、もっと広く多くの人に知ってもらうべき点があるのではないかと思い、よそ者の勝手な考えを述べさせてもらいます。

●東大館駅無人化を知っていますか?
2020年3月14日のJRダイヤ改正については、概要をアップ済み
大館では、運転士・車掌の基地である大館運輸区が廃止されることは、公式には発表されなかったが、前から分かっていた。このことは、乗客にはほぼ影響はないから、いい。※思い出などいつか別記事で。

ダイヤ改正の1か月ほど前、乗客にも関わるであろう変化があることが分かった。駅に掲示が出されたのを、ネット上で複数の人が紹介していた。ホームページには情報なし。
花輪線・東大館駅が、無人化された。
これまではJR東日本子会社の社員がいたが、改正後は終日いなくなり、きっぷを売る窓口もなくなった。券売機も先立って撤去されたそうで、現在は車内か降りた駅で精算することになる。

花輪線は列車本数は少ないが、東大館駅は、奥羽本線も通る大館駅よりも大館市街地寄りにある。
最近の1日当たり乗車人員(=降車は含まない)は200人ほど。高校や病院へ通ったり、買い物で利用する人もいたことだろう。中には、定期券や長距離旅行のきっぷを買う人もいたはず。乗降に介助が必要な人もいたかもしれない。

花輪線はすべて(大館駅構内に入る直前まで)盛岡支社の管轄なので、東大館も盛岡支社所属。そのため、秋田支社の大館駅ではなく鹿角花輪駅の管理下。※そもそも大館駅も2018年末から子会社委託・東能代駅管理。
歴史としては1999年暮れまでは、直営で駅長もいて、その後、子会社委託。売店(キヨスク、後に子会社運営)もあったそうだ。


ところで、15年ほど前に、秋田県内陸南部の奥羽本線・湯沢駅が早朝夜間だけ無人化された。そのことが明らかになった時は、湯沢市役所など地元から大きな反発が出た(結局、予定通り実施された)と記憶している。
今回はそのような反応は聞こえてこない。

それは、大館市役所や地元のみなさんの理解が得られているということなのだろうか。
JR関連会社が窓口を引き上げた後、地元市町村がきっぷ販売を引き継ぐ(近隣住民へ委託する等)ケースもある。もちろん、その費用は自治体が出すことになるのだが、東大館の規模なら、平日朝夕だけでもやったら…とも思えるのだが。

ひょっとしたら、大館の多くの人たちは、東大館の無人化自体を、まだ知らないのではないかと、心配している。秋田支社ではなく盛岡支社であるため、地元と距離感があり、充分に説明がされなかったのではとも、考えてしまう。
久しぶりに花輪線に乗ろうと、東大館駅へ行ったら、きっぷが買えなくてあわてた! とならないか。



今や小さな駅の無人化は、珍しくもない。今回の改正では東大館以外にも、全国各地で無人化が行われた。
近場では、青森市の奥羽本線・津軽新城駅も、子会社委託から券売機なし・完全無人化。
津軽新城は秋田支社の管轄。隣の駅が新青森で、そこから盛岡支社になるので、秋田支社最北端の駅。1日平均乗車人員は350人前後。

東奥日報では、3月12日付で「青森・津軽新城駅、14日から無人に」が掲載。
紙面は見ていないので、リード文程度のサイト掲載では、昨年無人化された三厩と板柳も挙げ「高齢化に伴い公共交通機関の役割が増す中で、地域の玄関口から駅員が相次ぎ消える状況を懸念する声も上がっている。」としている。
津軽新城では、そして青森では、多少は不安の声が出ていて、そのことが報道されている。

一方、少なくとも秋田魁新報では、東大館無人化自体がまったく掲載されない。魁が無人化を知らないわけではない。
実は、3月に入って少しした頃、魁へメールで情報提供というか要望を送った。「東大館が無人化されるらしいですが、地元の反応を知りたいです。昔の湯沢みたいなことになってないのでしょうか」と。
魁では、ニュースにする価値がないと判断したのだろうが、それでいいのだろうか。「花輪線が廃止」にでもならないと、魁は報道してくれない、あるいは沿線自治体は動かないのだろうか。


●青ガエルが来るけれど
もう1つはJRではなく、現役でもない鉄道の話題。2月に報道各社が「渋谷の青ガエル、大館へ」と報道。

「渋谷の青ガエル」を知らない人にはちんぷんかんぷんだけど、知っていても、ネット記事の見出しを見て驚いた。
テレビで渋谷駅前の映像が流れると、その背後によく映りこんでいる、独特の風貌の緑色の電車のこと。それが、大館駅前の観光施設「秋田犬の里」へ移設されることになったという話。

まず青ガエルのこと。
この電車は、東京急行電鉄(東急)の初代5000系電車(現在は2代目5000系があるが、別物)。
1954年に製造が始まり、当時としては画期的な技術や斬新なデザインの車両で、色と愛嬌ある風貌から「青ガエル」の通称で親しまれたという。※他社でも似たデザインの車両がある。
1980年代中頃まで東急線を走り、全国の地方鉄道へ譲渡されたものもあるが、現在は営業運転する車はなし。

長野の上田交通へ譲渡された「デハ5001号」は、1993年に廃車された後、東急へ戻されて保管、2006年から渋谷駅前ハチ公前広場「青ガエル観光案内所」として使われている。
渋谷駅周辺の再開発の一環で撤去されることになり、「青ガエルプロジェクト」として大館への無償譲渡が決まった。大館市と渋谷区は、忠犬ハチ公を仲立ちとした交流が続いている。
2020年5~6月に大館へ移設、芝生広場に置いて、7月から休憩場所として使う予定。


渋谷へは数度した行ったことがなく、なじみがないが、いつの間にか渋谷駅前のシンボルになったなという印象だったが、それも14年弱で終わる。撤去自体が唐突に思えたが、まさか大館へ来るとは!
こうした経緯を知って、正直な感想を3つ挙げさせてもらう。
・なぜ大館へ?
ハチ公と渋谷は縁があるが、青ガエルと大館には(おそらく)何の縁もない。
秋田犬の里に、縁のない古い電車をぽつんと置いたところで、どれだけ注目や人を集められるだろうか。
はっきり言えば、再開発で置き場所がなくなって、秋田犬の縁を口実にして、大館へ「押し付けた」ように感じなくもない。

むしろ、隣の青森県弘前の弘南鉄道なら、5000系の後継である6000系と7000系が譲渡された、ということで、いくぶんつながりはあるかな…
あるいは、縁はないが隣町の廃線・廃駅を活用した鉄道保存展示施設「小坂鉄道レールパーク」に置けば、大事に保存してくれそうだし、鉄道好きが訪れるだろうから違った目で見てくれることだろう。

【23日補足】東急には、川崎市宮前区(田園都市線宮崎台駅)に「電車とバスの博物館」があるが、5000系の実物の展示はないようだ。そっちに持っていけば良かったのでは…と思えてしまうのだが。


・無償でもらっても…
動かなくても金属の塊である鉄道車両を、特に屋外で保存し続けるのは、労力と費用がかかる。各地で保存されている蒸気機関車の中には、錆びてボロボロになったり、故意に破壊されたりしているものがあるように。
大館は雪国。積雪による車体へのダメージも少なくないはず。劣化しても黒いSLなら遠目には目立たないが、青ガエルでは色あせたり錆びが目立ったりすることもあろう。

タダでもらったはいいが、将来もずっと維持管理できるのか。できなくなったらどうするのか。大館市役所はそこをどう考えているのだろう。


・実はその姿で走っていたのではない
上記であえて書かなかったこと。見た限り、どの報道でも触れていないのだが、この青ガエル、実は5000系(の先頭車)1両をそのまま保存しているのではない。
渋谷に置かれることになった際、一部をカットして短くしているのだ。【24日補足・手法としては後部をぶった切ったのではなく、中ほどを取り除いて残りをくっつけたのだと思う。観光案内所の出入り口になっている後面は、原型のままのように見えるので。】

本来は長さ18.50メートルだったものが、11.22メートル(ちなみに重さ11トン)にされ、乗降ドアが片面3つから2つに減、台車(車輪)や床下機器も撤去されている。
だから、現役のまま保存しているというより、ある種オブジェのように雰囲気を保存していると言ったほうが適切かもしれない。
そうした保存方法も、スペースや費用の都合上、なくはないとは思うけれど、いちおうはその旨を説明板などで明示はするべきだと思う。

縁がない場所に置かれれば、知らない人も多いだろうから、あの姿のまま走っていたと誤解する人がいそう。青ガエルのことが分かるような解説を表示するべきだ。
【23日追記】東急初代5000系は、日本の鉄道史に残る名車であることは間違いないと思う。縁がない土地にただ置かれては、よく分からない廃車と認識され、雑に手荒に扱われる心配がある。大館で管理する側も、一般の人たちも、その価値を忘れないでほしい。

【11月21日追記】その後、8月6日に大館市へ移設。11月には車内も公開。その後、塗装状態が悪いため、冬の間にサビ落とし・再塗装を実施することになり、11月20日に大館市内の業者へ運ばれた。2021年3月中旬頃に戻る予定。

以上、長々と失礼しました。
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本荘へ2020春

2020-03-19 23:56:03 | 秋田の季節・風景
新型コロナウイルスによる自粛で、外を歩く人は減っている。バスや電車の乗客も、学校が休みである分を差し引いても、いつもより少ない印象はあるが、皆無ということでもない。長距離旅行の人はさすがに激減していそう。
震災や自然災害後の自粛は、ほぼ無意味で過剰な自粛と言い切っていいと思うが、今回はそうも言えない。まだ収まっておらず、しかも自分が気づかないうちに感染し、他人に感染させるか分からないのだから…【20日補足・ただ、少人数で注意して行動すれば、現状の東北地方辺りならば、通常通り(=不要不急)の外出や移動は、ほぼ問題ないとも思う。それもあって悩ましい。】

そんな中、JR羽越本線でちょっと本荘へ。
やはり青春18きっぷなどの旅行客は数人、出張など業務のような人は若干。我々、所用の地元の人たちはそこそこ。1~2席の適度な間隔をおいて座れる状態。

乗り物では、換気が行われ、客どうしの会話がなければ、そんなに感染を広げないようなことを言う専門家が多い。新幹線は気密性が高いから危ないという人もいた。
701系電車は?
デッキなし・すきま風少々だからいいのかな? 半自動ドアでも停車中はあえて開けっ放しのほうがいいのでは? おしゃべりが止まらない出張2人連れとは距離をおいたほうがいいのか? エレベーター同様、ドアボタンを押すときは、指先でなく第二関節で押したほうが安全かも(実行していた人が数人)。でも手すりやつり革をつかんでしまったら、それも無意味になるか【22日補足・でも安全上は、つかまるべき。ウイルスを恐れるあまり、つかまらずに転んでケガするのも困る】。
等々考えながらの車窓。

桂根駅通過後、海が見えて、その間に国道7号が並走。
その車の通行量が異様に少ない。でも、少なくともここではコロナウイルスとは無関係。
3月14日に「下浜バイパス」が開通し、そっちへ流れているため。
車が見当たらない下浜駅前。向こうの海が海水浴場
これまでの国道7号は、下浜地区では歩道が不充分な狭い道路が集落の中を抜けており、下浜駅前などで事故が何度も起きていた。
そのため、線路より山側に6.2キロのバイパス、愛称「下浜サンセットロード」が造られた。両端とも、既存部分との接続部(分岐・合流)から近い所で線路をオーバークロスしている。
本荘側では一瞬、バイパスがいちばん海側で写真では2台確認。手前の旧道は車なし

旧道になった道(国道のままなのか??)も、たまには車が通る。業務用では、セブン-イレブンの配送や、
羽後交通 急行本荘秋田線はこれまで通り

下浜バイパスは秋田市内で完結。由利本荘市に入った道川駅付近では、従来の道。
道川駅前も車が…
ここはバイパスに流れていないのに、車が走ってない。やっぱり車の通行量自体も減ったか?
駅の真向かいに「道川ドライブイン 食堂砂丘」という古びた建物がある。同じ建物右側には、隠されているようだが「純喫茶ポプラ」とも。
ドライブインはホルモンで知られていたようだが、今は営業しているのか?

「内道川JRアンダー」の上から。体育館みたいなのは「岩城自然休養村センター」で老朽閉鎖中らしい
ここから山側に曲がった岩城インターと行き来するのか、信号待ちではトラックなどがたまっていた。

18日は天気は悪くなく、風も少し強い程度だったが、海の波は荒かった。
二古信号場付近

二古信号場停車中。海との間に松があり、その手前に枯れた木?
この木はカシワ。カシワは冬の間、前年の枯れた葉が落ちずに残り続けるので、これが正常(分類としては落葉樹)。この枯れ葉で防風効果があるため、松が育たない北海道の一部(網走など)では防風林に使われるのだが、ここでもその意味で植えているのだろうか。

内陸へ入って、多くの列車が通過する折渡駅に珍しく停車。【20日補足・もちろん(?)、折渡での乗降はゼロ。】
ホームは新しそう。駅舎は小さくて古そうだけどわりと立派?

羽越線で久しぶりにワンマン電車に乗った。
JR東日本秋田支社のワンマン放送は、701系導入当初から、声も内容も変わっていないように感じられる。でも、内容はたまに変わっているし、701系でも編成によって微妙に違う場合もある気がする。
今回のN14編成では、「電車(は事故防止のため…)」と「羽後岩谷」が以前と違うアクセント(以前は羽後亀田と同じだった)に変わったような気がしたのと、「下浜」が違和感のあるアクセントだった。「新屋」は地元標準アクセント。

本荘の話は続きます
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高校合格特集2020

2020-03-18 00:31:56 | 秋田のいろいろ
新型コロナウイルス(への過剰な対応?)により休校が続く中、秋田県公立高校の一般入試が行われ、13日に掲示をせずホームページを使った合格発表が行われた。
14日の秋田魁新報は、36面の本紙のうち、内側の13~18面に恒例の「高校合格特集」が掲載された。
2014年に取り上げているが、基本は今年も変わらない。扉の写真が今年はカラーだった。

2015~2019年がどうだったか未確認だが、今年、メインである4面を割く「県内高校紹介」に2014年版と違う点があるのに気づいた。
2014年版では、すべての県立高校と秋田市立秋田商業高校はもちろん、私立5高校、さらに秋田市立御所野学院高校が掲載。
うち、御所野学院は中高一貫校であり、当時は中卒者の募集を行っていなかった、つまり内部進学者のみで「御所野学院高校に合格する人」が皆無なのに、合格特集で紹介されていた。
これは、御所野学院の開校当初は中卒者の募集も行っていて、「御所野学院高校へ合格する」こともできたため、その名残りというかなりゆきで残っているのではないかと推測した。

さて、今年2020年。
14・15面。顔写真は生徒会長でその歓迎の言葉が掲載
御所野学院は引き続き掲載されているが、今回から、中卒者の募集が復活したため、再び辻褄は合った。
生徒会長の言葉は「本校は次年度より、他の中学からも入学できるようになりました。」で始まっている。

そして、新たに3校が掲載されるようになった。

うち2校は「広域通信制」の高校というか、その分校・キャンパス的なもの。「秋田クラーク高等学院」と「第一学院秋田キャンパス」。
それぞれ、2001年に秋田市大町のサンパティオ【2021年1月25日訂正・2001年に中通にでき、サンパティオには2005年にできたとのこと。コメント欄参照】、2005年に広面に開校している。2014年時点でも存在したのに、非掲載だったことになる。
そもそもこういうタイプの高校のことをよく知らないけれど、校長名の項目は、クラークでは他校同様人名のみ(本体は三浦洋一郎氏が校長で、秋田校も三浦姓の人だけど、関係は?)なのに対し、第一学院はカッコで「キャンパス長」とされている。
【4月13日追記】その後、4月に学校公式サイトや魁の報道で、県から高等専修学校として認可を受け、校名が「高等専修学校 秋田クラーク高等学院」に変わったことが分かった。
「高等専修学校」とは、「高等課程を置く専修学校」の呼び名として定められた呼称。美大附属と同じ分類の学校になったということのようだ。校長も置かれたことだろう【2021年1月25日削除・第一学院と混同していました】。
複雑で理解できないが、これまでは通信制高校のキャンパスという名目で、それは学校そのものではなかったのが、今回の認可で、正式な学校になったということなんだろうか。(以上追記)

残る1校は「秋田公立美術大付属高等学院」。正式には「附」だが、魁のルールで「付」なのだろう。
なお、聖霊短大付属高校は「付」が正式だが、魁では「聖霊」のみで済ませている。
以前からNHK秋田放送局が間違いを繰り返すことに苦言を呈してきたように、美大附属高等学院は、中卒で入学でき、卒業時に大学受験資格は得られるものの、「専修学校高等課程」であって高等学校(高校)ではない。(卒業制作展は今年も開催されたようだが、NHKで報道したっけ?)
入学試験も公立高校とは別に行っている。

それなのに、掲載された。生徒会長の言葉では、「県内で唯一の美術系の専修学校(高等課程)です。」と説明している。
今になって掲載されるようになったのは、高校ではないけれど中卒で入学するのは同じだから、のけ者にするのがかわいそう、とでも魁が考えを改めたのだろうか。
でも、そうなると、今度は国立秋田工業高等専門学校(秋田高専)が載っていないのはいいのか。修業年限は5年ではあるが、やはり中卒で入るのだし、部活動が高体連に加盟する場合もあるらしい。美大附属が載るのなら、高専は? とならないだろうか。


全体としては、湯沢高等学校稲川分校が2018年3月で閉校しているので、その分枠は減った。各校の枠サイズは2014年と変わらず。余った枠はところどころ写真(キャプションはないが、課外活動や奉仕活動などのスナップ)を入れて調整。
学校の掲載順は、北からなどでなく、秋田市周辺(潟上市を含む)→男鹿南秋(秋田市隣接を除く)→本荘由利→鹿角→大館北秋→能代→大曲仙北→横手平鹿→湯沢雄勝の順。

秋田市周辺の学校順は、秋田→秋田北→秋田南→秋田中央→新屋→秋田工→秋田商→金足農→聖霊→国学館→秋田令和→明桜→御所野学院→秋田明徳館→秋田西→秋田クラーク高等学院→第一学院秋田キャンパス→秋田公立美術大付属高等学院。
必ずしも歴史の古い順でもないし、所在地としては潟上市の秋田西(金農もだけど)が微妙な位置であるなど、よく分からない順番。【19日訂正】金足農業は所在地は秋田市内でした。ただし、県教育委員会がよく使う、おおむね北から南への学校順では、男鹿工業→秋田西→金足農業→秋田と、西と金農が秋田市より北に位置するような扱い。

最後は湯沢→湯沢翔北→湯沢翔北雄勝(※)→羽後の順。
※「湯沢翔北雄勝」について。
「これまでの雄勝高校が新年度から湯沢翔北高校雄勝校、呼称「雄勝キャンパス」となります。」だそう。
校長欄は「未定」。前も書いたけれど、ここに載っている校長氏名は2019年度の人。氏名が載っている他の各校では、今後発表の人事異動で代わる可能性もあるし、定年退職で空くのが確実であっても名前が載っている。つまり厳密にはすべての学校(私立は違うかもしれないけど)が「未定」なのに。
また、大曲農業太田分校では、大曲農業(の本校)と同じ名前が載っている。分校には校長が配置されないため。
湯沢翔北高校雄勝校がどういう扱いのなのか知らないが、もしかしたら校長はいないのでは?
【4月2日追記】4月2日付秋田魁新報 県南地域面より。
「雄勝校は湯沢湘北高校の地域校という位置付け。県教育庁高校教育課によると、法制度的には分校と同じだが、より地域に根差した教育を推進しようと、独自の名称を用いた。」「教職員は本校兼務の校長を含め21人」。(以上追記)

それから生徒会長は、明徳館高校だけは「生徒会長(定時制I部)」とカッコ付き。同校は定時制3部と通信制からなるので、生徒会長が複数いるということだろう。
それを言うなら、他の県立高校で全日制と定時制が共存する学校が秋田市外に6校ある。掲載されているのはおそらく全日制の生徒だと思われるが、それにはカッコはいらないのか。
以上、重箱の隅をつつくようなことばかりで恐縮です。


秋田市と本荘の学生服店の広告は、確認できた限り2014年と位置も変わらず。各社の中身も西武以外は同じかも。
15面の広告
高校紹介の学校順は、もしかしたら広告との対応も考慮しているのかもしれない。秋田市~由利の高校が掲載される面には、その地域の店の広告。
本荘からはありさかとアカネヤが掲載。両社とも、場違いな「小学校体育着」も宣伝してしまっている。
県北、県南の高校紹介がある16・17面は、制服屋さんだけで埋まらないようで、生花店(複数)、美容室、酒造会社「北鹿」、東北労働金庫、秋田市の加賀谷書店なども掲載。
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木内前交差点 通行注意!+思い出

2020-03-16 00:04:38 | 秋田のいろいろ
秋田市中心部・広小路の西寄り、元百貨店(現・衣料品店)、新型コロナウイルス対策で休業中の「木内(きのうち)」前のスクランブル交差点のこと。
※交差点名(主要地点名)表示はないので正式名称ではないが、「木内前交差点」で広く通用するはず。
歩行者・運転者とも、現地を通行する人に注意喚起をしたく、この記事をアップします。
特に高齢者などお知り合いで歩いて通る人がいらした場合は、ぜひとも気をつけて渡るように伝えてあげてください。

最近、木内前の交差点で信号無視する車が多い。
スクランブルで全方向の歩行者用が青になったのを、自車側の車両用信号が青になったと勘違いして、交差点内に入るのだ。青信号で渡っている歩行者が車にひかれる恐れがある

この1か月ほどの間で、3度も目撃している。いずれも、南(仲小路)からの一方通行の市道から来て、交差点を左折して広小路西交差点へ向かう車だった。
広小路を横断する歩行者がいたこともあるが、その車は、いったん停止して渡らせた後、何のためらいもなしに普通に左折していった。ここがスクランブルであること、歩行者用と車両用で現示が違うことを認識しておらず、普通の方向別に歩車同時に青信号が出ていると思いこんでいたのだろう。
南進車の視点。ちなみに昔は左角に「甘栗太郎」があった
上の写真のように、正面の車両用信号機はよく見えていて問題がないと思う。左向かいの低い位置の歩行者用信号機が青になったのを見て、発進してしまうのか。

※この交差点は完全な歩車分離とも言えない信号サイクル。青になる順番は、
東西歩行者と東西(広小路)車両→全歩行者→南北(市道)車両
つまり、車が信号無視するのは2番目のところ。

特に危険なのが、広小路南側の歩道を、秋田駅・木内側から広小路西方向へ向かって横断する歩行者。交差点南東角が危ない。
青い矢印方向に横断する歩行者は特に要注意
南東角は木内の建物があるため、駅からの歩行者も、南から来る運転者も、双方視界が遮られる。青信号を渡っている歩行者と、信号無視して南から来た車が、出会い頭にぶつかってしまう危険がある。

他の交差点で歩車分離式信号の誤認はままあるものの、同一交差点・同一方向でひと月3度は多すぎる。秋田県警察本部へは伝えた。年度替わりでご多忙だろうが、何らかの対処をしていただけるだろう。差し当たっては、歩行者も運転者も、自分用の信号機を確認し、周囲の安全を確認して、横断・進入しましょう。


具体的対策は県警が考えることだけど、素人目にまず対策するべきなのが、車両用信号機周辺への「歩車分離式」または「スクランブル式(秋田県警では設置例なし?)」表示板の設置だ。
秋田県内の他の歩車分離式交差点には、おそらくすべて設置されているのに、ここにはない。

特に南進車向け信号機は、アームが短く、道路標識もあるため、設置スペースがなさそうだけど、そこは考えてください。
「盲人用信号付」は柱に設置
まあ、付けたところで、それでも誤認する運転者は誤認するから、他にも対策は必要だろうけど。
【16日補足】3つ上の写真の通り、直進の道路がやや右方向に寄っている道路形状なので、車両用信号機が一般的な交差点よりもやや右寄りに設置されていることに加え、左折車にしてみれば広小路が一方通行で右からしか車が来ずそれが赤信号で停まっていることにより、左側に注意が向いてしまうので、歩行者用信号機を意識してしまうのかもしれない。例えば、左側にも車両用信号機あるいは「歩車分離式 信号確認」といった看板を設置するとか、現行の車両用信号機にいわゆるゼブラ板を取り付けるといった対応が、検討に値すると思う。※とは言え、車両は正面の車両用信号機に従うのが鉄則で、歩行者用誤認や見切り発進はいけません。


それにしても、かつては秋田県内随一の繁華街だった広小路。数十年前は、駅から木内へ、さらに協働社へ、あるいは旭川の幸橋を渡って名店街へ、そしてダイエー(秋田ニューシティ)へと向かう歩行者が、途切れなかったことだろう。
そして、ここが秋田県初かつ、その後長らく唯一のスクランブル交差点であったはず。
だから、県警も「歩車分離式」の表示板を設置するタイミングを失ってしまっていたのかも…

いつからスクランブル化されたのかは、調べても分からなかった。
1965年まであった路面電車(秋田市電)が走っている写真では、スクランブルにはなっていない。そもそも日本初のスクランブル交差点が熊本で1969年だから。
ということで昭和40年代後半~50年代初め頃だろうか。


かつて歩行者が行き交っていた頃ならば、それに圧倒されて信号無視できなかったかもしれない。あるいは運転者もここがスクランブルだということが常に頭に入っていたかもしれない。
こんなに寂れた今では、いっそスクランブルや歩車分離を解除して、普通の信号サイクルに戻したほうが、安全で効率的だったりして…
【16日追記・人が激減したのはまぎれもない事実だが、今見れば、サイズがとても小さい交差点に見える。それは子どもと大人の視点の違いだろうか。往時を知らない人には、どうしてこんな交差点がスクランブルなのか理解できないだろう。】



最後に、趣味的に。
この交差点の信号機、現在は茶色のデザイン化されたもの。
信号機自体は部分的に何度か更新され、電球式とLED式が混在している。歩行者用の一部は、2014年に経過時間表示(待ち時間カウントダウン)付きになった。

それ以前は、普通の信号機。
平成元年時点では車両用は横型のいわゆる樹脂製灯器、さらに以前(1980年代後半頃まで?)は、四角い日本信号製だった。歩行者用は、おそらく四角い車両用と同世代のものを長く使っていたか。

そして、盲人用信号=音響式信号も古くから付いていた。しかも特徴的なものだった。
今は全国的にもピヨピヨ/カッコーが主流になり、メロディーによる通りゃんせ/故郷の空を知らない人もいるようだ。一方で、青森県など残っている地域もある。※過去の記事
秋田市内では1994年10月5日に、35か所中7か所が、メロディーからピヨピヨ/カッコーに切り替わったそうで、木内前はその7つには含まれなかった(当時の広報あきたより)。でも、その後10年もしないうちに、全部が更新された(+設置箇所が増えた)のではないだろうか。

鳴き声にしてもメロディーにしても、警察庁の定めた規格の違いや機器のメーカーによって、音色に違いがある。
木内前は通りゃんせのみだったが、それは差の範疇を越えた違う音色だった。

青森など現存するもの、ネット上の動画、そして我々の記憶に残っている信号の通りゃんせは、ブー/ビーというかテレテレというか、そんなブザーあるいは電子音で音階を奏でているような音だった。
ネットに「古い音響式信号」として上がっているのでも、確認している限りではそればかり。【16日補足・動画投稿サイトで「昭和の木ノ内前横断歩道を再現」といった音声をメインとした動画がアップされているが、その音は一般的な音色を使っていて、正確な再現ではない。そもそも「木ノ内」じゃなく「木内」だし。】

昔の木内前は、もっと柔らかな「とー」「ぽー」みたいな音。僕は「♪とーんとんと とんとんとー」と聴きなしていた。スピーカーの形状も違った(ナショナルの砲弾型=ジェットエンジン型ホーンスピーカー CY-51SDとか?)。
今にして思えば、よく知られたのはデジタル音源で、木内前のはアナログ音源だったのかもしれない。

また、山王の県庁前(県庁西)交差点の北側横断歩道(けやき通りの市役所~八橋運動公園間)には、同じ音色の故郷の空版が設置されていた。※他の3方向の横断歩道には設置なし。
盲学校があった自衛隊入口交差点も、音色は分からないがスピーカーは同型だったと思う。
この2か所は1994年に更新されている。

県立図書館のサイトで、秋田魁新報の見出しを検索したら、1977年4月26日に「メロディー変だぞ 盲人用信号機/三年目で音階ずれる/曲にも意見さまざま」があった。これが、木内前などを指すのだとすれば、1974年頃設置?
全国的には、ベルとかオルゴールなどまちまちだったのを、1975年に警察庁が、例の2曲または鳥の鳴き声とすることを決めたようだ。
総合すれば、規格統一前後の時期に試験的に製造・設置された音響装置が、長く使われたのかもしれない。

さらに余談。広小路にはなかったかと思うが、中央通り(日赤病院近くなど)には「触知式信号」あるいは「振動ポール」というらしい物があった。昭和末~平成初めの茶色い信号機への更新時頃に、撤去されたようだ。
要は音響式以前の盲人用信号。歩行者が信号待ちする位置に、腰ぐらいの高さの黄色い傘立てみたいな筒が設置されていた。その天面がフタされていて、青信号の時にバイブレーターで振動する。てのひらなどで触れることで、青信号を伝える方式。
現在も、大阪府では音響式と並行して設置されているらしい。
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ナニワズ/令和高校舎

2020-03-15 00:12:16 | 秋田の季節・風景
秋田市の千秋公園の斜面に、
黄色い花の低木
5年前に初めて知ったのだけど、「ナニワズ」という植物。春真っ先に葉と花を付け、夏には葉を落としてしまう。
自然に任せたエリアだけに5年前に比べると、笹が茂った分、ナニワズは若干減ったような気もする(場所が微妙に違うか、時期的なものもあるかも)が、ひっそりと春を告げている。

時鐘
鐘撞き堂は、落葉している時期は、公園の外からもはっきりと目視できるのだった。県民会館が解体されて新しい建物がまだの今は、広小路からでも見えた。
昨年秋に鐘守さんが引退し、今春から自動鐘撞き機で対応とのことだが、現時点ではそれらしき装置は未設置(またはとてもコンパクトで分からないか)。
※3月11日の東日本大震災発生時の黙祷時は、今年は鳴らされなかったようだ。自動化後も、このような定例外は手動で対応するとのこと。


そして、
この建物は? ここはどこ?

千秋公園西側のふもとスレスレに建設中の、秋田令和高等学校の校舎。
いつの間にか、覆いや足場の多くが取れ、外観を現していた。

私立秋田和洋女子高等学校が、現校舎を県民会館跡地の新施設の駐車場として明け渡すことになったため、同校多目的グラウンドの場所に新校舎を建築し、2020年春に移転・共学化・改称するもの。※前回の記事
上の写真は南側(道路がカクカクした、和洋高体育館~ライオンズマンション側)から。右手前の柵で囲まれた箱は、東部ガスのもので以前からある。
学校のホームページには、校舎正面の完成予想図が出ているが、それは反対の北側になるようでまだ覆われていた。北側にしか玄関がないのであれば、秋田駅から来る生徒は遠くなる。

西の旭川・鷹の松方向から来る道路からの眺めは、
(再掲)建設前

千秋公園は本丸の木の頭が見えるだけになった
上の写真左手前は「矢留改良住宅」。県営住宅に準ずるものらしい。このエリアは県職員公舎だと思っていたら、この棟だけは違うようだ。初めて知った。

公園のふもとの遊歩道沿いには、まだ仮囲いが残っていたので行かず。
千秋公園二の丸から見ると、
まだ覆われている北面

公園事務所から校舎真横へ下りることになる階段
窓の大きさからして、こちら面も教室だろう。やっぱり通りづらくなるな…

本丸に上がる階段から
本丸よりも下に校舎屋上。周囲のマンション群と比べると、4階建ての校舎は低い。
また、思ったほど大きくもなく、きゅうくつさはさほど感じなかった。色合いや形状も奇抜でなくていいだろう。でも公園とくっついて学校があるというのは…

校舎屋上には、高い支柱が張り巡らされている。網を張って屋外運動場的に使うのかもしれない。北側には空調の室外機がたくさん並んでいて、冷房完備なのだろう。
東面も西面も、2階と3階の窓の上にグレーの帯が入っていてアクセントになっているのはいいけれど、その部分に1スパンにつき4つの円形の出っ張りがあるのが気になった。これもデザインなのか、換気か何かの装置なのか(とすれば4階にないのはおかしい)。

4月頭に新校舎が完全に完成は間に合わないかもしれない。それ以前に、新型コロナウイルスにより、学校が始まるのか。

旧校舎解体の様子
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浄土ヶ浜2004年

2020-03-13 00:06:29 | 昔のこと
東日本大震災から、もう9年も経った。
同じ東北でも、日本海岸の秋田から太平洋側へは距離があり交通の便も良くなく、訪れる機会は多くない。中でも、岩手県の沿岸へは2度しか行ったことがない。
2004年に岩手県宮古市へ行った時の古い旅行記をアップさせてもらいます。あまり調べずに書くので、記憶違いや間違いがあるかもしれません。

三連休真ん中の2004年7月18日、日帰り。
宮古を目的地にした理由は思い出せないが、未訪だった秋田市からほぼ真東の太平洋側へ行きたかったからか。
盛岡までこまち、盛岡からまだキハ58・52形だった山田線に乗り換え。冷房がないから窓を開けて、まとまった雨の後で、途中の川が増水していたのは覚えている。昼過ぎに宮古着。
ホームには大漁旗

宮古駅
1934年開業で、駅舎はその時からのものだろうか。
駅前
それにしても人が多い。夏休み直前の三連休中日に、鉄道で宮古に来る人ってそんなにいたのか。

宮古といえば浄土ヶ浜。ちょうど路線バスがあったので、乗った。車両のことなど機会があればまた。
バスの乗客もけっこう多かったが、座れた。
車窓。漁港をかすめて
いつの間にか、道路は海寄り高い位置になり、浄土ヶ浜へ。
道路より下の海辺に建つ浄土ヶ浜ターミナルビル
駅から20分ほどで終点「奥浄土ヶ浜」。近くなって木々の間から視界が開けた。
車窓
写真やテレビで見た浄土ヶ浜の風景だ。美しい。
近くの席に座っていた、欧米系外国人の若い女性2人連れが「Oh My God!」と小声をもらした。
バスは海辺まで下り、終点。
浄土ヶ浜
バスから見下ろした最初の眺めに感動してしまったので、下りてから見るとさほどでもなかった。でも「浄土ヶ浜」の命名に納得。
この日は写真のとおり天気はくもり。暑かった記憶はないが、アメダスのデータでは30度近かった(秋田市のほうが涼しい日だったらしい)から海水浴客もそこそこ多い。

海沿いに遊歩道があり、奥浄土ヶ浜からターミナルビル方向へ戻る形でたどった。
遊歩道から見下ろす。ボートも多い
小一時間ほどうろうろして、ターミナルビルからバスで宮古駅へ戻ったはずだけど、記憶がない。
盛岡への山田線はちょうどいい列車がなく、「106急行バス」を利用した。


その後、東日本大震災。宮古も津波で大きな被害を受けた。
ただ、宮古駅は被害は少なかったようだ。駅舎は今も建物自体は同じながら、震災後にリニューアル。2019年には釜石方面の山田線が三陸鉄道へ移管され、JR側の駅業務も三陸鉄道が行うようになったそうだ。

浄土ヶ浜は、浜も道路や施設も被災。
そして浄土ヶ浜ターミナルビルは2011年5月に倒産し、2014年に解体。(1974年オープンだったようだ)
復旧は進み、2013年に「三陸復興国立公園」として再編(上の写真の看板では「陸中海岸国立公園」だった)され、ビジターセンターも落成。
2019年には台風19号で被害を受けてしまったが、自然の景観としては、おおむね昔に戻っているのではないだろうか。
なかなか遠いし、常磐線沿線なども行きたいが、岩手沿岸もまた訪れたい。
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イオン東北発足

2020-03-10 00:30:52 | 秋田のいろいろ
2020年3月1日「イオン東北株式会社」が発足した。
仙台市にあった「イオンリテール株式会社東北カンパニーの食品事業」と、秋田市に本社のあった「マックスバリュ東北株式会社(MV東北)」を統合したもの。
MV東北は上場廃止し、(持株会社)「イオン」の完全子会社化。

イオンリテールは、本州と四国で、旧・ジャスコ、サティ、ダイエーであった総合スーパー「イオン」などを運営。
マックスバリュ東北は、青森、秋田、岩手、山形各県の「マックスバリュ」、「ザ・ビッグ」などを運営。
イオングループでは、首都圏以外の各地でスーパーマーケット事業の再編を進めており、その一環。イオンリテールも含めて再編されるのは東北だけのようだ。
イオンリテールとマックスバリュ東北は、親子の関係ではなく、兄弟のような関係だったはず。営業エリアと、MV東北は株式上場していた(株を売買できた)のが違いだったということかな。

ただし、東北6県すべてのイオンが、イオン東北運営になったわけではない。
宮城と福島のザ・ビッグ店舗(マックスバリュブランドの店はない)は「マックスバリュ南東北」社が、山形以外の5県にある「イオンスーパーセンター」は同名の企業がそれぞれ運営を続ける。【2025年3月に、スーパーセンターがイオン東北と統合することになった。末尾追記参照】
逆に言えば、山形県では、すべてのイオン系スーパーがイオン東北運営になったはず。


イオン東北合併後の存続会社はMV東北で、本社も引き続き秋田市。
社長は東北カンパニーの支社長だった人。マックスバリュ東北の社長だった人は取締役副社長兼営業本部長になった。
つまり、これまで4県だったのが東北6県に拡大し、例えば仙台のイオンも含めて、秋田市の企業の配下にあると思えばなかなかすごい。県別の店舗数では秋田がいちばん多いようだし、各種状況を踏まえているのだろうけれど。
【10日補足】県別店舗数は秋田45、山形31、青森30、宮城25、岩手15、福島8。魁の社長へのインタビューでは、秋田に本社を置いた理由は「東北は人口減少や少子高齢化、1次産業の後継者不足、広範囲にわたる物流の問題など課題が多く、最も深刻な秋田で課題に向き合いたいという結論に至った」としている。実際には、上記店舗分布やMV東北時代の施設や人材を有効活用したかったとか、競合他社との関係とかもあるに違いない。

秋田から東北全域を管轄する組織って、ほかには林野庁東北森林管理局くらいでは?【10日訂正・東北森林管理局は福島県を除く5県が管轄だった。東北6県全部ではイオン東北だけかも】

マックスバリュ東北→イオン東北の本社は、秋田市土崎港にある。JR土崎駅の真裏で、ホームからよく見える。
1番線から
広くはない道路に面した、平べったい社屋。広い平面駐車場もある。
もともとスーパーマーケットとして建てられた建物を、本社オフィスに転用しているのだ。

マックスバリュ東北の前身の1つである企業「つるまい」運営の「サンプラザつるまい」という店だったらしい。
ただし、つるまいは本荘創業であり、かつイオン傘下に入ったのは1994年頃。企業も、各地のスーパーが何度もくっついて「北日本ウエルマート」になり、山形にあった「東北ウエルマート」と合併するなど、かなりごちゃごちゃと変遷していて、いつまでここがスーパーだったのか、いつからここが本社になったのかはよく分からない。
マックスバリュ東北という社名になったのは2000年5月だから、名前としては約20年続いた。

土崎駅跨線橋から。裏の建物は土崎中学校、その向こうに太平山の山並み
マックスバリュ東北時代は、車寄せのひさしに「マックスバリュ東北」と記され、その左の壁に赤紫の「MaxValu マックスバリュ」のロゴ、右に「マックスバリュ東北株式会社 環境国際規格ISO14001認証取得」の看板。
どこにも「本社」とは書いていない。見た目が地味だけど形状はスーパーだから、ものすごく早とちりな人は、スーパーと勘違いして入ったりしなかっただろうか…

2月最後の週に見ると、
ひさしの「マックスバリュ東北」が消された

現在は、
ひさしは白いまま
左のロゴは白地に「AEON イオン東北株式会社」となり、右のISOは上段の社名だけを書き換えた。
ほとんど費用をかけていない。店じゃないからこれでいいのかもしれないし、建て替えなど検討しているのかも。
それにしても、土崎のここ、こんな建物(失礼)で、東北6県のイオンの大部分を管轄していると思うと、感慨深い。
【10日追記】本荘にゆかりのある者&秋田市民としては、秋田県の限られたエリアだけのローカルスーパーだった建物が、数十年間の紆余曲折を経て、日本最大の小売店の一翼を担う場所になったと思うと、ひとごとながら誇らしい。
【4月15日追記】その後、3月末頃から、本社の駐車場にプレハブの建物が置かれ、4月中旬には工事関係者が本社の中の建材を運び出している雰囲気。プレハブは1つは工事事務所、もう1つは本社の代わりのようで、本社社屋の解体もしくは改修が行われそう
【7月24日訂正】さらにその後、7月頃までに本社の工事が終了。外観上は以前と違いが分からず(近づいて工事の看板・表示類を見る機会もなく)、結局は内部の工事だったらしい。


客として気になるのは、この合併により何が変わるのかということだった。
MV東北は2013年に新潟県に進出したものの、2015年にイオンリテールに引き渡して撤退している。今の新潟県では、ジャスコサティのような大きな店も、マックスバリュのような小さな店も「イオン」になってしまっている。東北でもそうなるのか?

でも、イオングループのスーパーと言っても、イオンリテールとマックスバリュ東北では、相違点も多かった。
ユナイトホールディングスに経営統合しながら、ポイント制度すら統一しない、いとくとタカヤナギほどではないが…
例えば、
・MVだけ実施する月木日曜のポイント5倍デー。
・感謝デー5%引きは、MVでは酒類はすべて対象外、リテールではビール類のみ対象外。【2021年3月28日追記・2021年3月には、MVでも日本酒などは対象になっていた。変更の告知が明確にされないのも問題。】
・「イオンお買物アプリ(リテール)」などスマホ関係の優待は両者別。
・MVの火曜・土曜の卵100円、火曜はどちらも野菜が安いけどジャガイモはMVのほうが大きいなど、定例セールは両者それぞれ。
・プライベートブランド商品でも、一部は価格設定が異なる。
・従業員の制服が違う(後述)。
・店頭での資源回収品目の違い(スチール缶とか)や回収方法(リテールでは関連会社の清掃専門スタッフがこまめに、MVはサービスカウンターなどの従業員が片手間に担当)。
等々、統一されていないことも多く、これをどちらかに合わせるとなると、分かりやすいといえなくもないが、困る場合も多いと思った。
【10日追記・関係ないけれどイオンスーパーセンターは、従業員の制服はリテール寄り、食品の品揃え・価格はMV寄り、チラシや企画は独自という感じで、付かず離れずというか独特。】

結論としては、客としては2月までとほぼ変わらず。
店舗ブランドだけでなく、5倍デー(例の歌も変わらず)とかチラシとかも。

3月1日には「イオン東北誕生祭」としてチラシが折りこまれたが、それも両者別(ザ・ビッグはまた別だったようだ)。
 
中身も、紅白まんじゅうプレゼントと、日替わりなど特売商品とその値段がだいたい共通な程度。
以降のチラシは、従来通り両者別物。ネットのチラシ掲載サイトも旧リテールが「シュフー」とMVが「トクバイ」で異なっている。


強いて変わった点を挙げれば、
・レシートの企業名表記(これは当然)
統合前

統合後
イオンリテールでは衣料品のホームページのQRコードが印字されていたのがなくなって、「お買い上げありがとうございます。」に統一。ホームページアドレスも当然変わった(マックスバリュでは合併直前は掲載していなかったようだ。昔は出ていたけど)。
ただし、バーコードと商品名を対応させるPOSデータは、従来通り両者別らしい。マックスバリュで何年も前から「ハピネッツ」とするべきところ「八ピネッツ」になのは、イオン東北になってもそのまま。【4月9日追記】この後、4月8日のレシートでは「ハピネッツバナ」と、ついにやっと修正された!! 何年越しだろう。新会社の効果?!

・マックスバリュでのレジ袋有料化
イオンリテールではレジ袋が有料化されていたが、マックスバリュでは(青森県内や由利本荘市内を除き)無料かつ辞退で2円引きだったのが廃止。
オリンピック便乗の国の方針で、今年7月から全小売店で有料化が義務付けられるそう(100円ショップでもそうなるとのこと)で、それを前倒しした意味もあるだろうが、同じ企業内で統一する意図もあるのだろう。

・マックスバリュでも眞島秀和放送
これまで、イオンリテールの店内では「お買い物中のみなさん、東北出身の俳優マシマヒデカズです」というアナウンスが流れていた。「東北出身」とは大雑把だけど米沢出身の人で、イオンの「にぎわい東北アンバサダー」。
その放送が、イオン東北発足にも言及した内容になり、マックスバリュ店舗でも流れるようになり、さらに眞島氏のポスターみたいなのも店頭に出ていた。
【10日追記】現行の放送は「お買い物中のみなさん、『にぎわい東北』のアンバサダーを務めます、東北出身の俳優 眞島秀和です」で始まっていた。にぎわい東北キャンペーンは今年で5年目とのこと。これまでも該当商品の販売は、MVなどリテール以外の店舗でもやっていた。


今後、徐々に変化して、気づけば「いつの間に?」という変化は出てくるかもしれない。
さらによく分からないのが、「食品事業」以外の「イオンリテール株式会社東北カンパニー」は存続しているのだろうか? とすれば、旧・イオンリテール各店舗の食品売り場とそれ以外の売り場で、運営会社が異なるということになるのだろうか?【末尾の追記参照】
【10日追記・少なくとも食品に限れば「イオンリテールが東北から撤退した」ことにはなるだろうが、既に別会社になっている北海道や九州沖縄ほど隔離感もないようだ。】
変化があるにせよないにせよ、客に対して事前にもう少し説明してくれてもいいと思った。
【10日追記】店頭やチラシでの統合の告知は、2月中はかなり控えめだった。2月末日は準備作業で21時に繰り上げ閉店になったが「システムメンテナンスのため」とだけの説明が多かった。紅白まんじゅう配布の予告も、MVでは「イオン東北誕生記念」としていた(上のチラシでも)が、リテールではあいまいになっていた気がする。3月に入ってからも多くなく、いちばん大々的に合併を伝えるのは眞島氏の店内放送。


あとまったくどうでもいいことだけど。
マックスバリュの店舗の従業員は、例の紫色に「MaxValu」の白いロゴのジャンパーを年中着ていて、これが制服。イオン東北になっても変わっていない。
マックスバリュ東北に限らず、他地域の別会社運営のマックスバリュでも同じようだ。マックスバリュ東海運営で、別企業を吸収した「キミサワ」というスーパーでも、同じだった。
ただし、マックスバリュエクスプレス店舗では黒いジャンパー。ザ・ビッグは?
マックスバリュ東北時代の本社前にいる方
マックスバリュ東北の場合、本社オフィスに勤務する人たちも、上の写真のように店舗と同じジャンパーが制服らしかった。合併後はどうなっているだろう。

【10日追記】この統合にともない、経営陣や幹部の異動はあったが、本社管理職や各店舗の異動は発表されていない。秋田市内の旧イオンリテール店舗でも、3月以降も同じ人が店長を務めているようだ。所属だけリテールから新会社へ変わっているのか。

【14日追記】3日アップの河北新報サイトによれば「イオン東北はリテール東北カンパニーの食品・日用雑貨事業とデベロッパー部門を継承。」「リテールは同日、衣料などを担当する東北事業本部を仙台市に新設した。」とのことで、リテールが東北から全面撤退したわけではない。でもそれだとやはり、旧リテール店舗ではフロアによって運営会社が異なることになるのだろうか?

【15日追記】イオン東北、イオンリテールそれぞれ12日付で、一般人事異動が発表された。秋田魁新報では14日付でイオン東北の秋田県関係分(転出元・先が秋田の人)のみ掲載。
イオン東北では、マックスバリュ各店舗間(もしくは本社と店舗間)の店長の異動が多く、県をまたぐものも多い。青森の野辺地店長→山形の南陽店長といったのもあれば、本荘店長→本荘中央店長というごく短距離のもある。これはMV東北時代同様。
旧イオンリテール店舗の店長は、MVとは格が違うようだ。イオンリテール近畿カンパニー→青森の藤崎店長など、MV側とは別系統の感じ。
イオンスタイル御所野店長→イオン仙台中山店長があるが、後任の御所野店長が出ていない。イオン東北の発表資料自体にも。
イオンリテールのほうの資料で分かった。(東北事業本部の?)Eコマース部から異動。
ほかにも、つがる柏、下田、郡山フェスタ、イオンスタイルいわき小名浜、山形南の各店長が、イオンリテール内での異動として掲載。
つまり、東北6県の旧ジャスコ・サティ・ダイエーの「イオン」の店長は、イオン東北所属の店長が就く店と、イオンリテール所属の店長が就く店があるようだ。↓続きの追記参照。

【16日追記】コメントで情報をいただいた。
旧イオンリテール店舗では、食品売場はイオン東北、その他はイオンリテールと分けていて、それぞれに店長がいるとのこと。東京駅にJR東日本の駅長とJR東海の駅長がいるのと同じ理屈だ。
また、店舗全体の管理は、イオンモール内の店(イオンスタイル御所野など)は、イオンリテールが管理し、食品売場のイオン東北がテナント扱い。単独の店では、逆にイオン東北が管理し、イオンリテール担当の売場がテナント扱いになっているとのこと。
分かったけど、ややこしいというか、かえって複雑な状況では?

【25日追記】イオン土崎港店は、イオン東北管理で、食品以外の売り場はテナントとしてイオンリテールが入っていることになる。
店頭のご意見箱には、以前から店長の名前と写真が出ているが、それが両社それぞれの店長になっていた。書き方や写真の大きさは同じで、向かって左がイオン東北、右がイオンリテール。社名だけで分野の棲み分けなどは説明がなかったと思うので、知らない人は理解できない。
土崎港店の場合、2月までの店長だった人(混雑時は食品レジを担当することもあった)は、引き続きイオン東北側の店長になっていた。

【2021年6月17日追記】2021年3月に「イオン東北株式会社とイオンリテール株式会社東北事業本部の事業統合について」が発表された。
2021年9月をめどにイオン東北に一本化することになった。イオンリテールが東北から撤退ということになる。社名、本社等は変更なし。
回りくどくなく分かりやすく効率的だと思うが、東北以外と関連が薄くなって、店やサービスがガラパゴス化してしまいそうな気もする。

【2024年3月12日追記】秋田魁新報が、イオン東北が、イオンスーパーセンターとの経営統合に向けた準備委員会を設置したことを報道。2025年3月頃の統合を目指す。
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弘前交通マップに誤り【修正済】

2020-03-08 23:50:38 | 津軽のいろいろ
バスの路線図のこと。
よそ者などその土地の路線網に不慣れな人とって、路線図があれば助かる。ただ、昔は作成しているバス会社は多くなかったと思うし、入手も難しかった。
近年は、バス会社でなく自治体が作成したり、ネット上で見られたりするようになった。それでも、それぞれのデザインや思想によって、見やすさ・分かりやすさはまちまち。
路線図に限らないが、いちばん迷惑なのが誤った情報が掲載されること。残念ながら、弘前市が作成する「ひろさき公共交通マップ」に間違いがあるので、指摘させていただく。【その後2020年4月までに修正されました。以下は修正前のマップに対する内容です。】【さらにその後、2023年11月から経路とバス停位置が変更されました(末尾追記参照)。以下は変更前の内容です。】

弘前市が2010年から作成しているもので、毎年改訂を行っているという。市の施設、バス・弘南鉄道の窓口で配布し、市のサイトでダウンロードできる。
観光都市らしく日本語より簡略化した4か国語版、それに「こども版」もある。
弘前市は、弘南バスのほか弘南鉄道もあるし、最近は郊外の乗り合いタクシー類もあり、それらをまとめる必要性はある。

現行の2019年版日本語版おもて面
おもて面では、郊外部の経路、全バス停が地図に記されている。乗ったことがない区間がほとんどだけど、まさに「可視化」されていて分かりやすい。でも…

弘南バスで弘前駅から、大学病院前、市役所・公園前、茂森新町、常盤坂入口と進む路線は2つ。相馬庁舎まで行く相馬線と、田代経由西目屋村役場線。
相馬線は昨年秋からりんご公園の中に立ち寄るようになったが、このマップはそれ以前の発行なので反映されていないのは当然。
さらに進んで、常盤坂、悪戸。
その先で2つの路線が分岐し、相馬線はそのまま西進、西目屋へは岩木川を渡る。マップでは、
拡大
青い線をたどれば、分岐点は「神社入口」バス停通過後。西目屋線は神社入口→鳥井野と運行することになる。
不思議なのが、水色の岩木川沿い、「神社入口」の北に「下湯口南口」なるバス停があるような印があるが、そこを通る路線はないことになっている。
この一帯が間違っている。

弘南バスホームページの運賃表を見て分かった。
正しい分岐点は、手前の「悪戸」。西目屋線は悪戸→下湯口南口→鳥井野と走るのだった。つまりこうなる。
マップを加筆・修正

相馬線の「下湯口」より北にあるバス停が「下湯口『南口』」なのは命名がおかしいとか、下湯口南口は川の堤防みたいな所にあるから、いっそ誤った路線図のようにほぼ並行している下湯口~神社入口側を通ればいいのではとか思ってしまうけど、実態とマップが違っているのは事実。
「こども版」でも、バス停名称は省略されているが、線やバス停位置は同じで間違っている。

なお、平日朝に西目屋村役場→相馬庁舎→常盤坂入口→聖愛高校という、両路線の折衷の系統がある。このマップでは、このような通学特化の系統は掲載しない方針のようだ。
その系統は下湯口南口は通らないようだ。Googleストリートビューを見ると「湯口」バス停は岩木川の橋からまっすぐの道(アップルロード)に別に置かれている(JA産直「林檎の森」の隣辺り)らしく、なかなか複雑。


この誤りによる、利用者への影響はどうか。失礼ながらこんな“田舎”ではよそから来る人など…いやいや。そこそこいるはず。
まず、アップルロード沿いのJA相馬村「林檎の森」。現在建替え中でそろそろオープンらしいが、いろんなリンゴなどが買えるから、バスで行く人もいるかもしれない。実は僕も、その検討中に、誤りを見つけた。
※このルートを通って相馬地区へは何度か行ったことがあるが、この付近の風景は明確な記憶はない。あと、地図を見ると、常盤坂・悪戸を過ぎるとわりあい短距離で相馬に入ることも意外だった。

さらに、アニメ「ふらいんぐうぃっち」の第1話で、主人公が降り立つバス停が「下湯口」だそうで、“聖地巡礼”する人もいるそうだ。
ツイッターでは、下湯口へ聖地巡礼に訪れた人が、このマップを見て西目屋行きに乗り、下湯口南口通過時に誤りに気づき、対岸の鳥井野で降りざるを得なかったという投稿が2019年2月にあった。
実際に“被害者”がいることになるし、少なくとも2018年版でも同様の誤りがあったと考えられる。


間違いを見つけた以上、直してもらいたい。
弘前市役所ホームページのアンケートフォームに、間違っていることと聖地巡礼で実際に影響を受けた人もいることを指摘するとともに、マップ自体の修正がすぐにはできないだろうけど、ダウンロード元のホームページに文字で間違っていることの注記の掲載はできるのではないかと、1週間ほど前に送信した。今のところ、対応はされていない。

なお、以前、秋田県大館市発行の同様の路線図で、間違いではないが、一方向運行になる区間の線が分かりづらいのを指摘したことがある。その結果、ダウンロード元のページに画像付きの注意書きを追加していただけた。
弘前は明らかな間違いだし、ぜひとも、迅速なホームページでの訂正(と次の改訂での印刷版の対応は当然)をお願いしたい。
【4月3日追記】4月2日付で市のサイトに2020年版マップがアップされており、上の修正例の通りに変わっていた。
指摘から1か月ほどで迅速に直してくれたのか、あるいはその前から把握していてたまたまタイミングが合ったのか、配布版ではどうなっているのかは知らないけれど、ネット版に関してはこれで安心。

【2023年10月17日追記】2023年11月1日から、相馬庁舎線と西目屋村役場線が統合され、弘前~相馬庁舎~西目屋村役場線となることになった。駅から相馬庁舎へ向かった後、湯口付近まで戻って西目屋へ向かうルートになったので、湯口周辺で経路とバス停の変更がある。下湯口南口バス停は廃止
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角地解体2つ

2020-03-07 23:39:09 | 秋田の季節・風景
最近、秋田市内で解体された建物が2つあった。
解体前の画像はGoogleストリートビュー頼りとなるが、記録しておきたい。
どちらも「県立高校の近く」「幹線道路の交差点角」「比較的知られた店」という共通点があった。

まずはここ
スクランブル交差点、右に教会。
将軍野と土崎の境界・新国道「自衛隊入口」交差点、南西角である。細い道路を直進して右側が秋田中央高校。
市道側から
けっこう広い。何があったっけ…

2019年9月ストリートビュー
そうそう。交差点角には生け垣があった。市道は狭いながらも歩道があった(かつて県立盲学校もあったため、安全上の配慮だと思われる)が、生け垣で余計に狭く・見通しが悪く感じられたものだった。
意識していなかったが、生け垣の中は民家だったようだ。

2015年8月ストリートビュー
市道中央高校寄りは、ごく簡単に触れたように、2018年10月末で“自主休業”した「武石豆富(たけいしとうふ)店」があった。
休業後も建物はそのままだったが、解体されたということは、“廃業”ということか。隣接する角の家が、豆腐屋さんのご自宅だったのだろう。
見通しは良くなった


次はここ
スーパー「ナイス」の古い店舗があり、やや変形した丁字路交差点をバスが右折。
仁井田の国道13号「大住入口」交差点の南西角である。丁字路が変形しているのは、市道が猿田川に沿っているためか。
奥に見えているオレンジ色の建物が秋田南高校・同中等部。バスは大住・みなみ野団地線、かつては旧道から国道へ南高前で折り返し、この交差点向こう側から左折していたが、2017年から国道経由で交差点を右折する経路に変更されている。

交差点角がナイスではなく、角には別に1軒あったようで、そこから国道沿いが三角形の更地になった。細かく写真撮影しそびれたが、ここもわりと広い。
角地が何だったか思い出せないが、その隣(南高寄り)は分かる。報道もされたので、ご存知のかたも多いだろう。
2019年9月ストリートビュー。南高校側から交差点方向
「レストハウス井畑」があった。
1969年9月開店で、当初は国道のドライバー相手の食堂のつもりだったようだが、南高校の運動部員の合宿時などの食事場所(高校の学食もなくなったのだろう)として親しまれた。
開店時は夫婦で経営し、後に80歳になった奥様が店主だったが、今年1月いっぱいで閉店した。

ストリートビューを見れば、レストハウス井畑の交差点側の隣には、棟続きで民家があった。井畑さんのご自宅だったのだろう。建物は国道と直角ではなく、ナイスの側面とぴったりくっついている。その前の三角の部分が駐車場だったようだ。

でも、交差点側からレストハウスが見通せた記憶はなかったような気がした。それもそのはず、
2015年8月ストリートビュー
角には広告看板や木が立っていた。


2つの角地が今後どうなるか。
【6月29日追記】コメント欄の通り、武石豆富跡には介護施設ができることになり、初夏時点で工事が進んでいる。
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美心タバコ袋

2020-03-05 00:18:09 | 昔のこと
もらいものの紙袋
お店で品物を入れてくれる袋によくあるサイズ。使い古しで新品ではなさそう。
緑色で印刷されたデザインに興味をひかれた。裏表とマチそれぞれ違うイラストや文言が印刷されている。
「花と緑の街」「吸いがらの投げ捨てはやめましょう」

「「美心」いっぱいの秋田市でお待ちしています」「新幹線の走る街」「たばこは秋田市内で買いましょう」

イラスト。
1つは「市の花 サツキ」。塗りつぶしすぎているし、正面がちに描きすぎて花弁がつながっていることが伝わらず、葉っぱも光沢感がありすぎるようで、いまいちサツキらしくない。
もう1つは、秋田新幹線「こまち」の初代車両E3系電車。モデルは量産先行試作車(R1編成)ではない、量産後の編成だと思われる。こちらはうまく描かれている。
JR東日本系列の店舗でレジ袋にE3系が描かれていたのを紹介したが、この袋にも。
地元での秋田新幹線への期待と親しみを感じさせられる。今だったら、JR東日本の許諾が必要で、やりづらいかもしれない。


そもそも、この袋の用途は?
下に市章とともに「秋田市」、そしてキャッチフレーズの「吸いがら」「たばこ」。

タバコを買った時に入れる袋だ。
たばこ税は市町村にも入るから、かつてタバコに寛容だった時代は「たばこは市内(町内、村内)で買いましょう」と書かれた看板、パンフレット、ライターなどが全国的に見られたようだ。この袋もその一種だろう。
税金をもらう秋田市側が作ったのか、生産や小売の団体(今はなきたばこ会館)が作って、市は名前だけ貸したのか。


側面や文章も見ておこう。※画像を小さくしすぎました。
「あなたの街です。自然です。」「吸いがらの投げ捨てはやめましょう。」

「「美心」いっぱいの秋田市でお待ちしています。」

書体。側面の「あなたの街です。自然です。」だけ明朝体で、ほかは角ゴシック体。秋田新幹線開業直後だとすれば、写植からパソコンへの移行期間だろう。フォントを特定したいところ。
雰囲気としては、古臭さは感じないが、今風でもない。ワープロ専用機の文字も連想させる。
現行の主要メーカーのフォントと突き合わせると、同一の書体は見つけられなかった。写植メーカー「写研」でもなさそう。
明朝体もゴシック体も、リョービイマジクス(現在はモリサワに譲渡)やモトヤ(昔のワープロ専用機でよく採用された)の製品に似ているものの、微妙に違う。分からなかった。


最後はキャッチフレーズ。
「「美心」いっぱいの秋田市でお待ちしています。」が気になる。
秋田市内で使うはずの袋に「秋田市でお待ちしています」と書いても意味がなさそうなのもそうだけど、何より「美心」って何?

調べると、1998年3月策定「秋田市観光振興計画」が出どころ。「びごころ」と読む。
同計画の「メインテーマであり、美酒・美食・美林を彷彿させる「美」をコンセプトとしたもの」。
秋田県の「美の国あきた」も意識していたのかもしれない。
「美の国あきた」は1990年度「秋田県新総合発展計画に関する提案」で知事賞優秀賞となった「美の国あきたづくり」を活用したキャッチフレーズが初出で、その後広まった。現在も公式に使われるのは県のホームページ「美の国あきたネット」くらいかな。

その後、2001年の「第9次秋田市総合計画」にも出たり(上記の読みや意味は、ここで解説されていた)、2001年3月にリニューアルした秋田市観光案内所で「美心いっぱいの担当者が丁寧に秋田の魅力をご案内しています。」とされたり、ソウル便就航を受けて2002年度に「あいさつ言葉や習慣の違いなどをまとめた「美心ふれあいガイドブック」を作成」したりしていた。
でも、当時も「美心」を見聞きした記憶はないし、その後はとんと使われなくなって現在に至る。

秋田新幹線開業は1997年3月。その時点では「美心」は未登場だった可能性が高い。1998~2000年辺りで作られた袋ではないだろうか。あまり後になると、E3系のブームもさめただろうし…
袋をどのくらい作ったのかにもよるが、その後しばらく各店舗で使われ、タバコ屋さんによっては今も未使用で残っていたりするのかもしれない。
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701系小ネタ

2020-03-02 23:50:27 | 秋田のいろいろ
JR東日本秋田支社、奥羽本線・羽越本線・津軽線を走る701系電車のちょっとした話。
車体側面の行き先表示器は、両側面ともクモハ701形の内側寄り隅(パンタグラフ下)に設置されている。2両編成でも3両編成でも、1つの面に1つしか行き先表示がない。当初はフイルムに国鉄書体で印字したほんとうの方向幕であったが、後に(もう10年近く経つ?)3色LEDに交換されている。
N30編成の日本海側
上の写真のように、2両編成のN30編成・クモハ701-30の秋田駅で西側面の行き先表示の周りが、ちょっとおかしい。
ステンレスボディの中で、表示器の左右だけ明治チョコレートの包み紙のような茶色になっている。
ありあわせの部材でも使ったのか?

そうではなかった。2015年に奥羽本線全線開通110周年を記念して、701系の何本からにラッピングがされた(一例)。N30編成は「奥羽本線110年の歴史を振り返るギャラリー列車 壱号」となった。
その時のラッピングが、ここだけはがされずに残っているのだ。
JR東日本さんともあろうものが、はがし忘れに気づかない、気づいているのにはがさないということがあるだろうか。
意図的に残しているのかもしれない。ラッピングの耐久試験とかで??

5年近く経つわけで、
右上がめくれ始めています

【追記】その後、12月23日時点でも、そのまま。そしてその後2021年についに

ラッピングがそのままの車両といえば、弘南バスの「51301-9」号車(この記事中ほど)。
だいぶ前(2000年代前半?)に、たしか携帯電話会社のラッピング広告がされ、それが終わってからも、窓より上の車体部分が紫色のまま(下は通常塗装)、少なくとも2018年秋でも走っていた。
あちらはラッピングシールでなく、車体に塗装してしまって、塗り直していないのではないかと思う。


遠目の写真ではあまり目立たないかな
ところで、上の写真を見てもう1つ発見。前寄りドア(写真左)と中ドアの間の帯の下にあるべき「クモハ701-30」の番号表記がない!
ここにあるべきなのに
写真で見る限り、痕跡すら見当たらない。
701系など最近の車両は、カッティングシートの文字を貼り付けているから、経年ではがれることはあり得るが、こんなにきれいに取れるもんなのかな。

ところで、
N104編成。尾灯の位置が高いマイナーチェンジ版
この番号表記は、
白い文字

こっちも。つり革の形と配置が違うのも100番台の特徴。仙台に行って戻った経歴があるので、ドアのシールも違う
701系の番号表記は、普通は黒い文字なのに、これは白い文字。意味があるのか?
1番違いのN103編成では、
半分白、半分黒

全部黒
なーんだ。経年により黒かった文字の表面だけ徐々に落ちて、カッティングシートのシール部分が白く残るようだ。N103編成はその途中、N104編成は完全に白くなったのだった。もっと進めばN30編成のように痕跡もなくなるのか?

上の写真のクモハ701-103のように、ステンレスの地色が変化しているものも見受けられ、見た目としては美しくない。
雪や潮風を受けながら、毎日長距離を走っている701系電車。本格的な定期検査(全般検査)に入るまでは、このままなのだろうか。
コメント
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