広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

なくなったもの'19~'22 秋田1

2022-12-30 23:12:03 | 秋田のいろいろ
「後日アップします」としながら、かなわないことも多い当ブログ。中でも気になっていたのが、店舗や施設などやめてしまったものを、年ごとにまとめて記録する、「なくなったもの」シリーズ。
2018年分を最後に、2019年をアップしそびれた後、2020年以降は新型コロナウイルス感染症流行の影響によると思われる閉店が増えて、収拾がつかなくなってしまっていた。
このほど、2019~2022年分を、何度かに分けて、やっとアップしたいと思います。今回は、秋田市内の店舗や施設編。市外・全県や青森分については、後日順次。

取り上げたのは、個人的に印象に残ったもの(思い入れがあるものとは限らず、行ったことがないものも多数)、あるいは後でいつなくなったのか知りたくなりそうなものです。施設の経歴等は、秋田魁新報を中心とした報道を参考にしたものがあります。
掲載は順不同。なんとなくジャンルで分けた感じで、日付順ではありません。

・大衆食堂「大吉食堂」閉店 2019年3月20日
広面土手下、1973年開店。店主は9年前(2010年?)に80歳で他界していた。
「広面小南」交差点近くの旧道(県道41号)沿い。郵便配達員の昼食場所になっていて、昼時はバイクが集結していた。


・「レストハウス井畑」 閉店 2020年1月31日
国道13号「大住入口」交差点角(現地周辺の記事)。
1969年9月開店で、当初は国道のドライバー相手の食堂のつもりだったようだが、近くの県立秋田南高校の運動部員の合宿時などの食事場所として親しまれた。
開店時は夫婦で経営し、後に閉店時80歳の奥様が店主だった。


・割山の秋田県運転免許センターの食堂 閉店 2019年3月29日
1976年開店。79歳の女性が切り盛り。
カレーやうどんなど十数種類。「近年は客足が減り」閉店と報道されたが、秋田県運転免許センターは建て替え(同じ場所で2024年1月供用開始予定?)に入っているので、そのからみもあるのでは。
正面入ってすぐを右に曲がった、階段とトイレの間だったか。閉店後はフリースペースみたいになってたか??【1月8日追記・講習室になったのではないかとのコメントをいただいた。】


・秋田空港 和食レストラン「杉のや」閉店 2021年1月末
元々は、ミスタードーナツのフランチャイジーでもあった「鎌田会館(後でまた触れます)」の経営で、中央通りの中通四丁目に店舗があった。秋田空港には1981年開港時から出店。
2009年に当時の鎌田会館調理部長が、鎌田会館から継承、新会社「杉のや」設立(この時点で中通はとっくに閉店)。コロナで打撃を受け破産申請、3月19日破産開始認定、負債総額2500万円。
杉のやブランドが消えた。


・食堂「とんかつあべ」閉店 2022年9月
秋田大学手形キャンパス近く、手形新栄町。「あべとん」の名で、大学生以外にも広く親しまれた。
9月30日付魁北斗星によれば、当初は2022年末閉店予定だったが、「気力、体力が衰えた」。創業から47年。店主は77歳。とんかつ定食は700円で、半世紀で200円の値上げ。


・「うどんの舘屋(やかたや)」閉店 2020年秋頃
通町商店街の保戸野通町側。「せきや」向かいの角地の立ち食いそば屋のような見た目の店。看板には「体にやさしいうどんです」「こしのあるシコシコ麺」。
タクシードライバーなどにも利用され、長く営業していたと思う。ひょっとしたら2000年前後の道路拡張時から?
【1月12日追記・2023年年明け時点でも、跡地は空き店舗のまま。】

なお、拡張前の昭和末期には、似たようなスタイルのラーメン店があった。これは何度か食べたことがあり、しょうゆラーメンがおいしかった。


・「銀河館」閉店 2021年3月20日
大町ニ丁目、秋田ニューシティ跡地の裏側、「茶町通り」。
「ビア&レストラン」と称していたはずだが、看板は「洋風居酒屋」。100人が入るホールで、立地もあって各種二次会でも使われた。スペアリブが評判だったらしい。
32年間の営業とのことなので、ニューシティにダイエー秋田店が入っていてにぎやかだった、1989年=平成元年頃開店。

跡には、「旬とスパイスのお店」(インド料理?【1月1日補足・インドに限らないようだ。コメント欄参照】)が入った。
【1月3日補足・いただいたコメントによれば、銀河館の従業員が外旭川地区に食堂を開業し、そこで銀河館から継承したスペアリブを出しているとのこと。】




・「菓子舗榮太楼 大町店」閉店 2019年6月29日
さなづら秋田マリーナ【1月3日補足・秋田マリーナは「秋田ミルフェ」にリニューアル】などが商品の榮太楼(栄太楼、えいたろう)。
今の本社工場(幸町店)は1980年から高陽幸町の新国道沿い。秋田市内に複数店舗があり、市内各スーパーのテナントとしては、けっこう出したりやめたりを繰り返しているようだ。

明治16年の同社創業地に、大町店ができたのが1981年オープンだそうで、ホームページの年表では「大町本店」としている。
幸橋(→現・大町公園橋)や、名店街(→ファッションアベニューAD→イーホテルショッピングモール→閉鎖)という、かつての秋田市中心市街地のにぎわいのど真ん中にあった。
1階が店舗、2階は旭川を眺められる喫茶室であった。喫茶は先になくなって、2005年から「東海林太郎音楽館」となり、1階は営業を続けていた。
閉店後、1階は秋田銀線細工の工房になった。残る最寄りの店舗は、秋田駅ビル・トピコ。

また、泉中央五丁目、泉いちょう通りに1992年にできた、榮太楼のサブブランド(?)「松寿庵(しょうじゅあん)」も2020年に閉店。こちらは住宅街に少ない菓子店で、親しまれていた。


・「ミスタードーナツ 秋田南ショップ 」閉店 2020年1月31日
イオン秋田中央店の1階西口そばにあった。
ミスドの秋田でのフランチャイジーであった、KAMADAスマイルコーポレーション(旧・鎌田会館)が2016年に倒産した後も継続していた。

1995年に秋田サティとして開店した当初はまだなく(何があったのか不明【1月3日追記・いただいたコメントによれば、花店があったこともあった。】)。
2000年に「秋田サティショップ」としてオープン、2011年のイオンへのブランド変更にともなって「秋田南ショップ」に。
各店に割り振られるショップNo.はキリ良く「0600」。1998年閉店の広小路ショップから受け継いだ番号であったが、現在は空き番号。
跡には「ガチャ専門店 TOYS SPOT PALO 秋田中央」ができた。



・フォンテAKITA2階 薬店「ドラッグなかよし」閉店 2019年12月22日
・同 化粧品店「マインなかよし(mein=ドイツ語で「私の」?)」閉店 2021年6月30日
元イトーヨーカドー秋田店だったビルに入っていた、地元資本の店。
運営していたのは「株式会社なかよし」で、玩具店として創業(後に「チャイルドセンターなかよし」ブランド)。紳士服婦人服、薬、食品スーパーも経営した。
また、秋田駅前のジャスコ秋田店(現・秋田オーパ)が入っていた「なかよしターミナルビル」の所有者でもあり、昔はてっぺんに「なかよしビル」の表示があった。
そのジャスコと、イトーヨーカドー秋田店の地下食品売り場はなかよしが担当し、昭和50年代は駅前の食品スーパーを独占していたことになろう。※ジャスコは1985年のファッションビル化にともなって閉店、ヨーカドーは2001年頃に撤退して直営化。
長崎屋秋田店(現・MEGAドン・キホーテ秋田店)の食品売り場なども。ブルーチップをくれていた。

2007年に、なかよしビルを売却、その後倒産。
近年は、フォンテのこの2店舗が、なかよしブランドの最後の店舗だったはず。
企業のホームページが存在(https://nakayoshi.co.jp/)し、マインなかよしの閉店告知と企業概要のみが掲載されている。1961年法人化(創業はもっと前らしい)で、現在の本社はフォンテと同じ住所。
【2023年5月23日追記・フォンテのマインなかよし跡は、2023年5月時点でも空きテナントのままで、仕切られて立ち入りできなくなっている。その部分の外壁(アーケード・大屋根向き)には窓があり、そのガラスにマインなかよしのロゴが残っている。】


・画材店「秋田彩画堂(さいがどう)」閉店 2021年11月末
大町三丁目、竿燈大通りのお茶の「半田園【1月1日訂正】繁田園」の角を曲がった隣。
秋田の美術家・美術愛好家御用達だったようだが、素人には額縁の扱いが豊富なことで有名だった。賞状を飾る時など。
2階はギャラリーで、アートスクールも開催していた。
閉店後2022年1月撮影。看板は「ガクブチ 画材」
11月12日付魁地域面によれば、1954年、山形市にある「彩画堂」の支店「誠画堂」としてオープン。彩画堂経営者の親類が1966年に独立して「秋田彩画堂」と改名。
経営者の病気に加え、ベテラン従業員が亡くなり「店を切り盛りできる人がいなくなってしまった」ため閉店。

【2024年2月9日追記】店舗跡は、2024年2月時点でもそのままで看板も残っている。店内は片付けられている感じで、ガラスには政治家のポスターが貼ってあった。


・「ブックスささき トピコ店」閉店 2020年10月14日
秋田駅ビル唯一であり、近年では駅前唯一の地元資本の書店だった。駅ビル2階北側にあり、列車に乗る前に本を買う人もいて、ジュンク堂や宮脇書店と比べると小さいながら、にぎわっているように見ていたのだが。
跡地は、隣接していた輸入食料品店「ジュピター」が拡大。ワインなどのコーナーに。

ブックスささきは、かつては、イトーヨーカドー秋田店にも店があった。現在は、東通四丁目に「(株)ブックスささき 東通営業所」があるようだが、詳細不明。


・「星の湯」廃業 2021年2月25日
南通みその町の楢山側。2009年以降は、秋田市内唯一の銭湯であり、廃業により秋田市から銭湯がなくなった(日帰り温泉等を除く)。
廃業の告知には「90有余年」の営業。400円。

廃業時点の報道では、秋田県内に残る銭湯は、大館市と能代市に2軒ずつ、潟上市とにかほ市に1軒ずつだけ。
【2023年1月25日追記・能代の1軒も閉店】翌年1月29日をもって、能代市の銭湯「巴湯」が営業終了することが、魁で報道された。1886年創業で「燃料価格高騰や(店主の)体の不調を理由に店を閉じる」。能代のもう1軒、大館2軒、潟上、にかほの銭湯は健在のようで、県内の銭湯は5軒となる。

【2023年1月26日追記・星の湯建物の活用決定】魁によれば、クラフトビール醸造所・販売所として使われることになった。内装工事後、仕込みを始め、2023年5月頃に販売開始予定。「秋田あくらビール」で長年醸造責任者を務めた人が新会社を設立、浴室に醸造設備、脱衣所を販売スペース、番台を事務スペースとして使う。


・「ファッションギャラリー カトレア本店」閉店 2021年6月10日
中通二丁目・仲小路にあった女性衣料品店。かなり古くからあったと思う。
角地の「角繁ビル」1階にあり、角部分のショーウィンドウが目を引いた。
2020年10月撮影のGoogleマップストリートビューより
仲小路が緩い坂になっているため、2か所の出入口とも、左右両側に数段の階段があった。左右の階段のぶつかるところには、鎖樋(NHK秋田放送局にもあった)があった。

閉店後、店舗跡は改装され、ガラス全面が壁になって塞がれてしまい、なんかヘンな見た目になってしまった。
南側の出入口はふさがれ、東側は狭いドアに替わった。どちらも階段はタイルがはがされ、植え込みは穴になった。鎖樋だけは変わらず残された。
改装後、「貸します」看板が出たが、店舗として貸すつもりがないのだろうか。今日時点で空きテナント。
右の東側に小さなドア

南側植え込み跡と鎖樋
仲小路の向かい側の「武藤商事ビル」には、2017年に「セブン-イレブン秋田仲小路店」ができたが、これも2022年3月で閉店した。これも今も空きテナント。
かつては、商店街らしい雰囲気の一角であったが、寂しく殺風景になってしまった。

【2024年3月31日追記・セブン仲小路店跡地について】2023年12月(9日?)に美容室がオープンした。ビルの名称は、セブンができたのと同時期(2017年7月~2018年7月の間か?)に武藤商事ビルから「シロガネビル」に変わったようだ。


・岩手競馬 場外馬券売り場「ディック秋田」 2022年3月18日馬券販売終了、31日廃止
大町三丁目、日本銀行秋田支店前交差点角。
2015年4月にできたので、7年間。跡は空きビル。

【2024年2月27日追記】建物には、2023年11月1日に就労支援B型事業所「ONEGAME秋田大町(ワンゲーム秋田大町)」が入った。高崎の企業が展開し、秋田では札幌の企業が運営。


・「いきなりステーキ秋田東通店」閉店・秋田県撤退 2022年8月31日
東通五丁目、城東消防署の通り。
2018年11月30日にオープンした363号店で、これをもって全都道府県への進出達成。その後、秋田土崎店、秋田横手店もできた。
2020年頃から業績不振により閉店が増えていて、日本海側では撤退した県が出ていた。秋田でも、土崎と横手は先に閉店済みで、最後の東通も閉店。


・【来年】「タワーレコード 秋田オーパ店」閉店 2023年2月5日
秋田オーパの地下1階、秋田県内唯一の店舗。
秋田フォーラス時代の1997年3月オープン(フォーラス→オーパ改装時に一時閉店)だった。



・「秋田建築デザイン専門学校」閉校 2021年3月
秋田経済大学(現・ノースアジア大学)の移転前の場所なのか、国道沿いの茨島一丁目の教育施設が多い一角にあった。
1967年秋田工学校として創立、1981年に秋田建築専門学校、2009年に現校名。2年制で2級建築士受験資格を得られた。
ここ2、3年で入学者大幅減、2019年度は定員20人に対し9人。2020年度は募集停止。2019年度までの卒業生1114人。

運営は学校法人峰本学園で、同経営の秋田太陽幼稚園が卒業生対応を行っている。茨島の隣接地にある専門学校とは関係なし。


・「(私立)秋田県調理師専門学校」閉校 2021年3月
過去の記事で触れたように、イオン土崎港店の近隣。
県内の調理師専門学校がなくなった。



・雄和「山水荘」廃止 2021年頃? 2021年度中に解体?
雄和女米木字高麓沢25番地にあった旧・雄和町の施設で、合併した2005年から秋田市の施設。
秋田市の条例では「秋田市雄和山水荘」という名で、「農業の生産性の向上ならびに農家の生活の改善および合理化を図ることにより、地域コミュニティを育成し、もって総合的な地域定住の条件の整備を促進するため」設置。
研修室、調理室、運動施設などがあったようだ。

「農村環境改善センター」みたいな施設だったのか?
場所は、秋田空港とは雄物川対岸の少し上流、高尾山のふもとと、まったく土地勘のない所だが、実は僕は行ったことがあった。
1984年、小学校2年生の春の遠足(関連記事バスの話)で。秋田空港、秋田県立中央公園が目的地だったのだが、雨天時の昼食場所として押さえてあった。
事前に遠足のしおりを見て、「雨の時は 山水そう でお昼ごはん」などと書いてあって。「水そう」を「水槽」かと思って、どういう所なんだと不思議だった記憶(さかなクンは「水槽」があると思って、「吹奏楽部」に入ったそうだけど)。
当日は、幸か不幸か雨。
念願の“山水そう”へ行ったはずなのだが、その記憶がほぼない。
このことから、1984年度にはすでに存在し、小学生100人が弁当を食べられる場所(体育館みたいなものか? 畳敷きの部屋もあったような気がしなくもない)はあったことになる。


・プール「雄和B&G海洋センター」廃止 2019年3月末
利用減と老朽化。
全国各地にある「B&G海洋センター」。「公益財団法人ブルーシー・アンド・グリーンランド財団」が建設して、そこの自治体に譲渡して、その自治体の施設として運営されているそうだ。秋田市周辺ではほかに、潟上市の天王と飯田川、男鹿市、八郎潟町などにある。
雄和は、旧・雄和町時代1986年6月にできて、2005年の合併により秋田市管轄に。25メートル6コースと幼児用プールがあり、夏場の60日ほど営業。一般客のほか、地元の保育所、小中学校でも利用。


・警察共済組合秋田県支部 宿泊保養施設「ふきみ会館」 2020年10月営業終了 2021年3月完全閉館→解体
山王五丁目。1980年開館、組合県支部と県が所有し、地上4階地下1階、延べ床面積2657平方メートル。
洋室8、和室4で25人宿泊。レストラン宴集会場は洋室6、和室6。

現在も存続する山王四丁目の地方職員共済組合秋田県宿泊所「ルポールみずほ(旧・みずほ苑 )」とともに、会議・会合に使われ、一般人も利用できた。
最後は、ルポールみずほとともに、新型コロナウイルス感染者の療養施設として活躍した。


・秋田県警察本部「チャイルド・セーフティ・センター」廃止 2021年3月
秋田駅東口の秋田拠点センター・アルヴェの3階に、2009年4月開設。
電話や来訪の相談とともに、おじさんおばさん(県警OBらのセンター員)が3人組程度で、秋田駅周辺をのんびりと(?)パトロールするのを見かけた。
廃止理由は「子どもの非行の減少」。2008年と比べると、非行少年は517人→約100人、不良行為少年は7301人→589人。センター員も27人→9人となり、24時間対応だった業務は昼のみ(電話は24時間)になっていたとのこと。


以上、コロナに加え、それ以前から問題になりつつあった、後継者がいないこと、建物の老朽化による閉店・廃業が多い。人口減少やネット通販の影響もあるだろう。時代と世の中の変化だし、客といえども、軽々しくやめないでとは言えない。
そして、閉店・撤退した跡の活用が決まっていないものが多いのが特徴的で、この後、どうなっていくかが気にかかる。

続きは、年明けになるかもしれないので、ごあいさつ。今年もご覧いただき、ありがとうございました。良いお年をお迎えください。
コメント (38)
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やっとシニアアキカ

2022-12-26 19:59:46 | 秋田のいろいろ
65歳以上の秋田市民が、秋田市内の路線バス(秋田中央交通の一般路線と、廃止代替の秋田市マイ・タウンバス)に1回100円均一で乗車できる「高齢者コインバス事業」。秋田市が発行する、顔写真入り資格証明書を提示して、現金100円を支払う方式だった。
2022年春から始まった、地域連携Suicaの1つ「AkiCA(アキカ)」から遅れること半年、2022年10月には、高齢者コインバス用のAkiCA「シニアアキカ」も始まった。証明書不要で、乗車時と降車時に専用カードをタッチすれば、チャージ額から100円が差し引かれる。
2023年3月31日までの半年間を移行期間とし、来春以降は紙の証明書+現金払いは使えなくなる。

2022年7月上旬には、対象年齢のすべての秋田市民に申込用紙が郵送され、返送すれば2022年9月下旬以降、シニアアキカカードが送付されるという手はずだった。
ここまでは7月に記事にしていた


10月には予定通りシニアアキカがスタート。秋田駅前でテープカットが行われ、春のAkiCAスタート時には代理出席だった、中央交通の社長もついに登場。
なのだが…
遅くはない時期(例えば7月中)に申込用紙を返送したにもかかわらず、10月1日時点でカードが届かない市民が少なからずいた。10月後半になっても、11月になっても。

小さく報道されたり、中央交通100周年記念作文コンクールの新聞広告の片隅、車内掲示で告知されたように、カードの発送が遅れているという。
9月24日の新聞広告より
どのくらい申し込みがあって、どのくらいカード発送済み/未発送なのかは不明。
ただし、10月9日付 秋田魁新報の社説によれば、「高齢者コインバス事業の対象者は約9万5千人。(注・申し込み者数ではないので、65歳以上の市民の人口?)」で、「9月末時点で発送が済んだのは1万人余りにとどまる。」。
「見込み以上の申し込みがあり」と理由付けた新聞記事もあったかと思うが、半年後に紙証明書が使えなくなると期限を示されたのだから、その半年に、少なくとも現在の紙証明書所有者の大多数から申し込みが殺到するのは当然では?
紙証明書はまだ有効なこともあり、大きな問題にはなっていないが、テープカットまでしておきながら、なんだかなぁと思う。
マイ・タウンバス車内ではチャージできないとか、使いかたが不安な人もいる(市民サービスセンターで説明会は開催)なども問題とされたが、カードがなければそれ以前の問題。

上の写真の、中央交通の新聞広告では「(カードの)到着が遅延する場合があります」と、遅れは限定的かのような言い回し。実際には、そんなもんじゃない。我が家の申し込み者も一向に届かない。
コールセンターへ個別に問い合わせれば教えてくれそうだが、それも手間だし、さらに業務を滞らせそう。そこで、11月に秋田市役所へ「送付状況について、見込みや目安を公表してはどうか」と提案した。10日ほどすると、
秋田市サイト ページ番号1034693より
「シニアアキカ発送の見通し」を掲載してくれた。全戸配布の広報あきたにも掲載。
「申込書受領時期」ごとの発送予定を掲載。「申込書受領」とは、委託した東京多摩郵便局のトッパン・フォームズの私書箱に届いた日だろうから、秋田市からだと投函後2~3日はかかろう。
11月9日時点で発送済みなのは、最初の10日ほどに送った人だけ。それ以降、7月中に送っても、届くのは年明け1月下旬になる人がいるとは。ほんとになんだか。マイナンバーカードよりも遅い。

コインバス事業は、秋田市役所が主体であり、当初は高齢者カードは市が発行主体になると聞いていた。しかし、実際には、一般AkiCAと同じく、シニアアキカも秋田中央交通が発行元になった。その両者の連携がうまく行っていない、互いに遠慮なのか牽制なのか押し付けなのか、そんなような感じがしなくもない。
結局のところ、発行遅延の責任の所在はどこ(どっち)なのか分からないが、不安になる市民もいるのだから、もう少し状況説明や親身な対応が、あってもいいのではないか。


ただ、着々と順次、送付はされているようだ。
バスに乗り合わせた高齢者を拝見していると、シニアアキカで乗る人は、10月初めではほぼ見かけなかったが、11月辺りから増えてきた。まだ慣れず、乗車後にあわてて財布からカードを出すような人もいるけれど。

そして我が家にも、クリスマスにやっと届いた。
長形3号封筒でゆうパック
封筒は「秋田市役所 長寿福祉課」と「秋田中央交通 株式会社」の連名。
ゆうパックの送り状は、ご依頼主として「秋田中央交通株式会社」とその住所、品名欄に「秋田市長寿福祉課」。

申込書を引き受けた、トッパン・フォームズが引き続き発送までするのだと思いこんでいたが、そうではないのか?
送り状の番号から、「郵便追跡サービス」で履歴を調べてみると、

秋田中央郵便局で引き受けているから、中央交通で送っているらしい。(同じ局区内なのに、配達に3日もかかるのか!)

封筒の中身
「シニアアキカが届いたら…」のリーフレットと、バス車内やサイトにもある「シニアアキカご利用ガイド」、そして厚めの紙=これが台紙でカードが収まっている。
3つ折り
カードは裏向きにくっ付けられ、ほかにレシート状の「カードご案内」という紙2枚も。一般AkiCAを買った時に渡された紙に似ているか?
また、台紙の左下には、「番号」欄として、手書きで「CA+10桁の数字」。送り状の品名欄にも同じものが印字され、リーフレットにはその一致を確認せよとのこと。ほかに、カード裏面の「E」で始まるカード番号(地域連携カードとしての番号)が、ご案内のそれと一致していることも確認。いずれも中央交通側でのチェック欄もある。
【26日補足・以前、他人のカードと取り違えても、(カード番号を自主的にメモしない限り)気付きようがないのではと不安を呈したが、チェックとご案内の記載により、その可能性は低いことになる。それでも、使用開始後に番号をよく確認せずに、夫婦間でうっかり入れ替わるようなケースはあり得る。】

レシートは、「取扱日時」として郵便局に渡される3日前の日時。
発行した機械の個体番号と思われる「福祉課 6号機」とも。

少し前の魁の市議会の記事では、シニアアキカに手作業でデータを登録していて、それで発送が遅れているようなことが書いてあったが、それを裏付けている。※新聞記事では「磁気情報」を登録とあったが、Suicaは磁気は使わない。ICチップへのデータ書き込み。
中央交通に福祉課という部署があり、少なくとも6台を使って1枚1枚カードにデータを登録して、手書きもして、チェックして、送ってと、せっせと何万枚も繰り返しているのだろうか。ご苦労さまです。

カードご案内の1枚目は、ありふれた内容。一方、2枚目。
「定期情報」が記載される。

発行種別:事前、定期券種:定額収受券、割引種別:無割引、通勤/通学:通勤、片道/往復:往復、利用可能日:全日。
利用可能区間/エリア 高齢者コインバス。
有効期間 (取扱日)~2099年12月31日

なるほど。
シニアアキカは、システム上、定期券の一種(100円を差し引き、設定されたエリア内で利用可能で、有効期間がものすごく長い)として扱われるらしい。

2枚とも、上部の注意事項には、「本紙を常にICカードと一緒に携帯してください。」とある。
このペラペラの感熱紙をいつも持ち歩いていたら、印字が薄れたり(※)、擦り切れたり破れたりしそう。
※「印字面を内側にして保管してください。」ともあるが、分かりにくい言い回し。「『折って』印字面を内側に~」とするべきでは?

でも、これは秋田市と中央交通が決めたことではないようだ。
例えば、青森市企業局交通部(青森市営バス)のICカード「AOPASS(アオパス)」の「定期券ご利用の注意点」には、
「カードの券面にはご利用区間や有効期限が印字されません。お買い求めの際に「定期券明細書」を発行しますので、カードと一緒に必ず携帯してください。(乗務員が確認させていただく場合がございます。)」
とある。「定期券明細書」とはレシート状の紙ではないかと推測する。
地域連携Suicaの定期券では、目視でそのカードが定期券設定済みと分かる情報はないから、こうせざるを得ず、シニアアキカも定期券の仕組みを使う以上、こうなってしまうのだろう。【1月2日補足・紙を携帯させるのは、不正利用の防止およびチェックと、車載機器やカードの不具合により、電子的に確認ができなかった場合の対応用だと思われる。】
シニアアキカにしても、各地の定期にしても、(タテマエ上だけど)カード1枚だけでは乗れないとはスマートではない。JR東日本も関わって、検討の余地ありでは。


その定期券。AkiCAでも提供されるが、開始時期は後日とのことで、まだ明らかになっていない。【末尾の追記参照】
上記を踏まえて推測すると、シニアアキカの大量発行が落ち着いたら、始めるのではないだろうか。
「福祉課」に6台も発行機はいらないだろうから、それを窓口へ回すなどして。
また、仕組み上、すでに定期券となっているシニアアキカに、一般定期券(秋田市外の区間)を載せることはできないだろう。【31日補足・Suicaとして鉄道の定期券(券面印字あり)は搭載可能。】
シニアアキカとAkiCA
シニアアキカのオレンジ色は、印刷物では鮮やかなオレンジ色に見えた。実物は、光が当たらないとなんかくすんだ色に感じる。「エイジフレンドリーシティあきた」のマークは、シールではなく、印刷してある。

シニアアキカ裏面のご利用案内は、一般AkiCA(この記事参照)とまったく同一。秋田中央交通株式会社名で、「SF発行元」として東日本旅客鉄道株式会社。
ここには、個人情報を登録したカードでも、「持参人式定期券として利用する場合」は誰でも使える旨が書いてあった。シニアアキカは「持参人式ではない定期券である」ということで、矛盾はしないのだろう。

となると、一般AkiCAとシニアアキカの違いは、表面のデザインと、中に登録された定期券情報だけになりそう。
シニアアキカは、コインバス「専用」ICカードとされているが、それは見かけ上だけなのでは。つまり、他の定期券情報を書き込ませないロック機能みたいなのは装備されておらず、やろうと思えば、シニアアキカ情報を消して、一般AkiCAにできてしまうかもしれない。
反対に、一般AkiCAを使っている人が、対象年齢になったら、従前からのカードにシニアアキカ情報を書き込んで、引き続きシニアアキカとして使い続ける、というやりかたも可能だろう。将来的にはそうなるかも?
【2023年10月8日補足・イオンのG.G WAONについて】55歳以上に特典がある「G.G WAON」は、従来は専用のカードを売っていた。2022年頃になると、専用カードのほか、手持ちの一般WAONに「G.G特典をプラス(G.G WAONへの切替)」することができるようになっていた(WAONステーション設置店舗のサービスカウンターで手続き)。シニアアキカでも、同様のことはできるはず。(以上追記)


ところで、全国各地の交通系ICカードの収集を趣味とする人はけっこういらっしゃるようだ。2022年に東北各地で始まった地域連携Suicaも、各地を回って集めているというツイートなど見かける。
そんな方々にとって、シニアアキカは、収集不可能なレアカードだろう。

しかし、発行枚数としてはレアではない。
一般AkiCAは、9月30日付秋田魁新報によれば「発行枚数は9月25日時点で約7750枚。」
シニアアキカは、上記の通り「9月末時点で発送が済んだのは1万人余り」なのだから、現状ではダブルスコアは優に越えていそう。
バスは高齢者だけの乗り物ではないのだけど。※秋田市民でも、本家SuicaやモバイルSuicaで乗っている人もけっこういる。ポイントは一切付かないのに。


AkiCAがスタートしても、秋田市も中央交通も、記念キャンペーンは何ひとつやってくれなかった。
だけど、JR東日本はやってくれる。春(この記事中ほど参照)に引き続き、「シニアアキカサービス開始記念! Suicaでスイスイお買いものキャンペーン」を実施。
ポスター
基本的にシニアアキカ限定。だけど、いちばん遅いものでの11月30日で終了。
このキャンペーンの恩恵にあずかれたシニアアキカユーザーはどれほどいたのだろう。

【27日追記】つい先日、政府が、マイナンバーカードと交通系ICカードを連携させ、地方自治体による住民対象の公共交通割引ができるサービスを、2023年度以降全国展開する方針であることが明らかになった(前橋市では実証実験中)。これが実現すれば、マイナンバーカードと手持ちのAkiCA(本家SuicaやPASMOでも?)を紐づけるだけで、郵送のやりとりなしで高齢者コインバス事業ができてしまうことになるのだろうか。

【2023年1月28日追記・IC定期開始延期について】バス車内に掲示が出ていた。ホームページでは告知なし。
2022年度中としていたIC定期導入は、「諸般の事情により」延期。2023年度上半期を予定しているとのこと。

【2023年4月25日追記・IC定期開始時期について2023年5月13日利用開始。発売は5月1日から。紙定期券は5月12日で発売終了(一部路線、種別等のみ継続)。
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町内のクリスマス会場

2022-12-23 22:37:11 | 旅行記
JR東日本パスの旅、+クリスマスにちなんだ話。
静岡鉄道に乗った後、翌・3日目にかけて静岡市清水区(旧・清水市)を歩いた。
ただ、清水港や三保の松原などはこれまでに訪れているので、今回は行かない。
清水と言えば、次郎長、サッカー、はごろもフーズ等々いろいろあるけれど、やっぱり「ちびまる子ちゃん」。

中学生だった1990年1月に放送が始まったアニメで作品を知り、特に初期作品で強い、シュールな世界観に惹きつけられた。
その舞台である、清水という街の存在も、ほぼ初めて知り、港があって富士山が見える暖かい土地として、印象付けられた。以前の記事のように2001年に初めて訪問し、その後も何度か訪れることになるきっかけは、「ちびまる子ちゃん」。

ちなみに、この旅行で先に訪れた長野県諏訪市と岡谷市も舞台となった、教育テレビの「たんけんぼくのまち」。岡谷の前年度・1989年度は、清水市が舞台だった。まる子よりひと足早く放送されていて、僕も多少見たはずだが、「清水」はあまり意識していなかったと思う。


今回するのは、いわゆる聖地巡礼。
忘れてはいけないのは、ちびまる子ちゃんは、完全フィクションではないが、ノンフィクションでもないこと。作中と同じ町が広がるわけではない。例えば「巴川」は、川田さんひとりできれいにできるような河川ではない。
また、反対に作中と同じものがあったとすれば、それは実際に生活する人がいる町の一部であるわけで、観光地気分で深入りするべきではないとも思う。※この点から、この記事中では、具体的な町名や施設名の文字での記載を避けることとします。【と思ったが、実際には公表されていた。末尾リンク続きの記事の後半参照。】
それでも、この街で暮らした人があの作品を作り、作中のあれのモデルがこれかと思うと、想像が広がって楽しい。

ちょうど先日、一般社団法人 アニメツーリズム協会が「訪れてみたい日本のアニメ聖地88(2022年版)」を発表した。その1つに「ちびまる子ちゃんランド 」が選ばれている。これは、清水港の商業施設内にあるミュージアムで、その名の通り、作品ありきの施設。ここが舞台になったわけではない。


作者・さくらももこが生まれてから高校まで過ごし、ちびまる子ちゃんの舞台でもある土地は、清水区の中でも、静岡鉄道の入江岡駅~桜橋駅にかけての一帯。旧東海道が通る。
JR清水駅~静岡鉄道新清水駅周辺の繁華街や、海とは、若干距離があり(遠くはない)、古くからの住宅街+ちょっとした商店街といったところ。港町や宿場町を象徴するようなアイテムは多くなく、どこにでもありそうな街並みでもある。
さくら先生の生家(以下、さくら家)は、実は青果店。入江岡駅からほど近い所にあったが、だいぶ以前に店をたたんで、父ヒロシら家族は引っ越している。昔は生家の場所を知らせる看板(公的なものではなさそう)があったようだが、今はなくなっていると思う。知らなかったが、建物は今も残っているそうだ。


さて、アニメでは1990年12月23日に放送された、51話「まるちゃん町内のクリスマス会に参加する」の巻 というのがある(後年のリメイク版もあるはず)【原作漫画については末尾の追記参照】。
町内主催の、ツッコミどころが多い、子ども向けクリスマスイベントのお話。

その会場からしてツッコミどころで、神社の「社務所」。
「まるちゃんたちの町内では、町内のあらゆる行事を社務所で行う。クリスマス会とて例外ではない」みたいなナレーションが入る。節分の豆まき大会もやったんだっけ?【末尾追記の原作の内容についても参照】
その社務所のモデルが実在するらしい。

ちびまる子ちゃんの聖地巡礼をした人たちによる訪問記を、ネット上でいくつか見ることができる。社務所については、複数の説が存在していた。
作中での「町内」とは、町内会=自治会か町内子ども会だとすれば、「町内」に所在する「神社」だろうから、数は限られ、特定は難しくはなさそう。

作中では、まる子の家は、架空の町名「入江町(いりえちょう)」にあることになっている。
実際の清水の町名には、「入江○丁目」や「入江南町」は実在する。また、大正時代に清水市が発足する以前は、この一帯は「入江町(いりえまち)」という自治体だった。
さらに、まる子もさくら先生も通った小学校は「入江小学校(現・清水入江小学校)」であり、地域の総称(小学校の通学区単位)として「入江地区」と呼ばれるようだ。

実際のさくら家があった住所は、「入江」が付かない町名。そこの町内会はどういう区割りなのか。【1月15日追記・アップ当初は町名を文字にしないことにしていたが、地域の案内地図に生家の位置が記され、町名を特定できることが分かったので記載します。新富町】
秋田市などでは、住居表示実施後も、実施以前の町名単位のまま町内会が組織され、地図上の町名と町内会の名称・区域が一致していないケースもあり、よそ者には把握困難。
ところが、静岡市では、市民局 市民自治推進課運営のサイト「ここからネット(https://kokokara-net.jp/map/story/list)」に、「自治会・町内会マップ」があり、市内の町内会の区割りと名称(さらに小学校区も)を調べられた。
それによれば、さくら家一帯では、町名と一致するエリアと名称で、自治会が組織されていた。

以上を手がかりに、ネット上で挙げられている“候補”に当ってみる。
1.淡島神社
虚空蔵尊も祀り、大きなクスノキがある。
1997年放送「こくぞうさんの木」の巻の舞台で、まる子ファンにはよく知られる。僕は青森にいて見ていない時期だけど。
したがって、クリスマス会会場とは「別の神社」であることは明白、ということになっているようだ。時々、混同してしまう人がいる程度で。
場所は入江岡駅の近くだが、さくら家とは道路の向かい側で、その道路が町境界なので「町内」でもない。

2.淡島神社の北の住宅地にある八幡神社(入江南栄町公園)
淡島神社同様、町内が異なる。
Googleマップストリートビューで見る限り、社殿のみで、「社務所」に該当するような建物はなさそう。

3.白髭神社
大きめの神社で「しらひげ神社通り」も存在。ここがクリスマス会会場だと思っている人は多いようだ。
だけど、町内会を調べる以前から、違うと思っていた。なぜなら、一帯の道路配置と町の構造を踏まえると、同じ町内とは考えにくい位置関係にあるから。さくら家の町内とは、旧東海道で隔てられている。新興住宅地ならともかく、古くからの町で、こんなに広範囲で、まとまりが悪そうな町内会は考えにくい(上記の通り、実際に違う町内会であった)。
神社の所在地が“入江”一丁目であること、隣接する幼稚園・保育園にさくら先生が通っていたという説(実際には別の園らしい)があること、この神社も作品中には登場するらしいこと、などから誤解されやすいのだろうか。

4.【1月15日追記・アップ当初は名称を文字にしないことにしていたが、地域の案内地図に記載されていることが分かったので記載します。若宮八幡神社】
さくら家の町内会のエリアにある、唯一の神社だと思われる。さくら家とこの神社は、町内のほぼ対角線上に位置する。
4番目の候補を否定する理由がないので、そこを現地確認。
この大木もクスノキか
過去に何度か通ったことがある大きい道路からも、見えることは見える。
だが、その入口は小路からさらに入った所に所在し、ストリートビューでもほぼ見えなかった。民家の間からおじゃま。

神社の格や名称を示した、石柱などは見当たらない。鳥居は、境内(敷地)の入口というよりは、社殿の直前にちょこんと立っている。小さめの木製の鳥居で、赤く塗られているが、2021年頃までは無塗装だったようだ。
石灯籠は歴史がありそうだが、社殿は、まだ新しそうでコンパクトながら立派。賽銭箱前の格子戸はアルミサッシで、無人の神社なので閉まっている(規模からすれば当然)。格子戸に開いた穴から賽銭を投入できる。雪国の者からすれば、瓦屋根なのが珍しいが、こちらでは当たり前か。

その左側に、別棟で、新しくはない建物がある。同じく瓦屋根で、社殿に接するように入口(玄関)があって、きゅうくつそう。これは、
「(町名)公民館」
ここで言う公民館とは、職員や管理人が常駐する市町村の施設ではなく、町内会館、自治会館、町内の集会所のこと。
ほかに建物も見当たらないし、これこそが、町内のクリスマス会の会場のモデルに違いない!
そして、ちびまる子ちゃんの設定年である1974年時点でも、同じ建物だったに違いない(社殿は違う建物だったことになろう)。

秋田市でも、町内ごとの稲荷神社などに隣接して、この規模の町内会館が建てられていることがある。竿燈まつりに参加する町内では、練習や準備の拠点にもなる。
考えてみれば、無人の神社に社務所はさほど必要ではない。町内のよりどころとして存在する無人の神社の管理を、町内会で行うのと、ある意味引き換えに、その敷地に町内会館を建てさせてもらっているような感じか。
作中では、分かりやすく、かつツッコミやすくするために、「社務所」としたのだろう。【末尾追記の原作の内容についても参照】
それでも、キリスト教の行事を、違う宗教施設の敷地内で行う(しかもほとんどの参加者が仏教徒)のは、シュールかもしれない。だけど、その寛容さが、日本らしくもあろう。

玄関前のきゅうくつさは別として、町内の広さを考慮すれば、一般的で妥当なサイズの公民館だと思う。
でも、作中のクリスマス会では、かなり大勢の子どもが参加していたが、この建物では収容できなそう。

鳥居の外というか横だけど、境内は駐車場として貸しているようだ。これも秋田でもある
自治会と八幡神社による看板
車が通行できる幅の出入口もあり、そこの注意書きは、自治会と神社の連名だった。
遠慮して、境内のクスノキのあるほうには行かないでしまったが、位置によっては富士山が見えるはず。

周りの道路も含めて、作中とはちょっと違って、下町っぽいというか歴史がある町の雰囲気があった。そんな違いを感じるのも楽しかった。もう1つ、まる子の舞台を訪れたので続く

【2023年6月4日追記・原作での描写・表記について
原作本は、第1巻「その5『まるちゃん町内のクリスマス会に参加する』の巻」。「りぼん」では1986年に掲載されたようで、最初期の作品。
クリスマス会場について、姉が「せまい町のくせに会場は思いっきりはずれにあるのよね……」と発言しており、実際の若宮八幡神社の位置と一致する。
アニメでのナレーションに相当する説明では「町内の神社にある集会所を“社務所”といってクリスマスの会場もそこである」。社務所の絵は、社殿とは別の建物として描かれ、実際にどことなく似ている。
したがって、作中ですでに、社務所は通称であって、神社本体とは別物であることが説明されていたのだった。そして、それが若宮八幡神社の実情と一致しているととらえることができよう。
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泉外旭川 70km/h 834m

2022-12-21 23:28:00 | 秋田のいろいろ
秋田市のJR奥羽本線・泉外旭川駅の上りホームの先に、いつの間にか新しい表示(列車の運転士向け)が設置されていた。2021年春の開業時にはなかったかと思う。
上りホームから上り方向。今年10月撮影
ホーム端のすぐ先、左の電化柱(架線柱)に黄色い縦長のもの、盛りのススキで隠れるが、その手前の線路際の地面に、白いもの。

白いほうは大きく「70」と書かれた、「速度制限標識」。道路標識のそれと同じように、70km/h以下で走行しなければいけないことを示す。
下の小さい「834」は、その制限が適用される距離。列車の最後尾がここから834メートル先を通過するまで、70km/h以下で走らなければならない。
泉外旭川駅開業以前、旅客列車は、この付近ではほぼフルスピードで通過していた(貨物列車は、秋田貨物駅を出発して間もないため、加速途中)。標識設置後は、泉外旭川駅を通過する列車も含めて、以前より速度が遅くなったような気がする。
ここから834メートルの間が速度制限される理由とは?
速度制限される理由でよくあるのは、きついカーブ、ポイント、工事現場がある箇所だが、834メートルの間にはない。

その間には、架線に電力を供給する区分の境目(デッドセクション、交交セクション。その施設としてJR秋田泉き電区分所=関連記事。)がある。セクションでは、加速しながら通過してはいけない(壊れる)し、緊急時以外は停車してはならない(立ち往生する)ことになっているはず。しかし、そこを通過しても速度制限は継続する。
地図上の計測や、並行する自転車歩行者道を歩いて実測したところ、この標識から834メートル先付近にあったのは…
泉踏切だった!
速度制限については、また後ほど。


黄色いほうは、標識というより、注意書き的なものだろう。
イラストと「?」が入っているのは珍しいかもしれないが、全国的には「停車?」とかもある。
上の信号機の絵は、道路用の縦型交通信号機と比べると、上下が逆さだが、鉄道用信号機の配置はさまざまで、これも間違いではない(だだし、この先に実際にある信号機は4灯式=黄が2灯?)。
「現示」とは、信号機が今、示している指示、要は「今点灯している信号の色」のこと、かな(警察の道路用だと、また意味が少し違うのかも)。
つまり、「信号機を確認しましょう」と言っている。

泉外旭川駅は、本線上にホームを設けただけ(分岐や待避線がない)で、列車交換ができない「停留所」。したがって、駅を発車する時に従う「出発信号機」は存在しない。※出発信号機があるのは「停車場」。
下り線では、秋田貨物駅の中に、泉外旭川駅が位置する形。
泉外旭川を発車して下り方向へ進む列車は、秋田貨物駅の出発信号を見ることになるが、カーブがあって、ホームからは見えないため、その中継信号機が設置されている(開業前の記事)。

上り線は、秋田貨物駅の外にある。
ホームの先方にある信号機は、第一閉塞信号。
※「閉塞」とは、駅でない部分の線路をいくつかに区切った1つ1つの区間のこと。1つの閉塞には、1本の列車しか入ることができない。
しかし、泉外旭川駅上りホームからは、その信号機が見えず、中継信号機も設置されていない。

第一閉塞信号は、泉踏切の300メートルほど先、秋田工業高校のグラウンド脇のカーブの始まりに設置されている。泉踏切手前でも少しカーブがあるため、泉外旭川駅から見えない。
泉外旭川上りホーム先端から。すぐ先から右カーブしている

(再掲)上り列車後部から。右が第一閉塞信号

線路脇の道から、第一閉塞信号
調べてみると、鉄道の信号機は、600メートル手前から見えれば良いらしく、泉外旭川駅上りホームからは見える必要がないようだ。
でも、鉄道は、発車する時に、時刻、戸閉めとともに信号を確認するものだと思っていた。こういう条件では、信号確認は不要というか青(緑)信号とみなしていいってことだろうか?

とすれば、「信号現示は?」の看板は、「もうすぐ、この先で信号機が見えるから、忘れずに確認しなさい」ということ?

鉄道の信号は、道路の信号と、意味が違う点もある。
黄色点灯では、止まる必要はないが、減速しなければならない(点灯パターンと制限速度は複数ある)。赤信号の1つ手前の信号は、必ず減速を示している。など。
ここの第一閉塞の1つ先の信号は、秋田駅の場内信号。場内信号は、反対列車の遅延などにより赤になっていることもあるため、第一閉塞信号で減速を求められる場合が少なくないはず。
というわけで、漫然と運転していれば、第一閉塞信号を信号無視してしまう可能性が比較的高く、その注意喚起か。


さらに、834メートルの70キロ制限も、第一閉塞信号が関係するかも。
この区間で許容されるフルスピードの95km/hで走行中、第一閉塞信号が赤や黄だった場合、信号機手前で止まるまたは減速するのが難しい(あるいは条件によって、難しくなる場合がある)から、制限をかけたのでは。
834メートル地点ならば、第一閉塞信号は確実に見え、かつまだ300メートルあって、70km/hなら停止可能。※ネット上の情報では、一般に80km/hでブレーキをかけると270メートルほどで停止できるとか。
ただ、それだと、第一閉塞信号の600メートル手前=泉外旭川駅から500メートル先辺り=デッドセクション辺りまでの制限でいいような気もする。となると、デッドセクションを過ぎるまで、加速させない狙いもあるのか?


いずれにしても、線形も信号の位置も、泉外旭川駅ができる以前と変わっていないはず。
駅ができたことが原因で、速度制限されて表示が設置されたのではなく、たまたま時期が重なったのだろうか。ヒヤリハット事例などから判断して、念のための対策みたいなもので。
だけど、設置位置は、駅の停止位置を考慮しているだろうし、通過と違って、泉外旭川駅に停車して発車する場合だと、運転士の心理的に違うものがあって、それで設置したのかもしれない。

【31日追記・乗車して前面展望を確認】
上記の通り、泉外旭川駅のすぐ先で右カーブしているが、さらにその先で左カーブがあって、泉踏切。
第一閉塞信号は、左カーブ後、泉踏切の直前にならないと見えなかった。その付近に、小さな黄色い三角の標識があり、信号喚呼地点を示す「信号喚呼位置標」。
感覚としては、カーブが終わると、直ちに信号が見え、直ちに泉踏切に達してしまった。やはり、直前ギリギリにならないと信号が見えず、減速が間に合わない可能性があり、速度制限されたのではないかと思えた。
そして、黄色い看板のほうは、「この先に信号あり」を伝える予告ということになろう。


【2023年5月5日追記・もう1つの理由を推測】まったくの憶測ですが。
泉踏切の閉まる時間(車を待たせる時間)の調整という可能性もあるかも。
「広報あきた」2021年2月19日号によれば、泉外旭川駅開業に伴い「上り列車通過時の遮断機の降りている時間が、現状の1本あたり約1分から、開業後は、2分15秒程度になります」。
2分待ちはあんまりだと、車を待たせる時間を短くするため、列車の感知位置を踏切側へ移動させ、その分の“時間稼ぎ“として、速度を落としたということもなくはないかもしれない。※そもそも2022年時点での踏切の待ち時間は未確認であり、根拠はありません。
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アニソン以外の水木一郎さん

2022-12-19 20:38:38 | 昔のこと
歌手の水木一郎さんが12月6日に亡くなった。
アニメソング界の「帝王」と称される一方で「アニキ(兄貴)」とも呼ばれ、持ち歌は1200曲。
秋田の「超神ネイガー」、弘前の「超城合体タメノブーンV」など、ご当地ヒーロー/キャラクターの歌も歌った。

しかし、水木さんはアニメやキャラクターの歌ばかり歌っていたわけではない。
NHK「おかあさんといっしょ」の、2代目うたのおにいさん(歌のお兄さん)も務めていた(1976年4月~1979年3月。初代・田中星児、3代・たいらいさお 両お兄さんと隔週出演)。
「アニキ」の由来は、これだという。
水木さんの代表作の1つである「マジンガーZ」は1972年だから、アニソン歌手になった後で、歌のお兄さんとなり、その後、アニソンに戻って、さらに精力的に活躍していったことになろう。


各マスコミにおける水木さんの訃報記事では、歌のお兄さんについては触れたところと、触れずにアニソン歌手としてだけ伝えたところに分かれる。
確認できた限りでは、読売新聞やテレビ朝日、秋田魁新報に掲載された共同通信配信の評伝では、簡単に言及があった(アニキの由来うんぬん等はなし)。

「おかあさんといっしょ」の放送局である、NHKでは…
伝えていない。
これには苦言を呈さざるを得ない(実際に呈しました)。
昔のこととはいえ、自局の専属契約だったであろう人。しかも、当時の映像は残っており(多くはないだろうが)、「ぼくは忍者」を歌うシーンは市販DVDにも収録されている。
NHKだからこそ、伝えられる情報と映像なのに。

それに、これを伝えることで、「水木一郎=アニメソング」の印象しか持っていない視聴者に、新たな情報がもたらされる。
おかあさんといっしょは、物心つく前から見られる番組(NHKとしては2~4歳児対象らしいが、その前後でも見る子は多いだろう)なので、「自分の記憶にはないが、生まれて間もない頃、実は水木一郎お兄さんを視聴していたのかも」と、水木さんとの新たな接点に気付かされる視聴者もいるはずである。
「浅い」報道だった。



以下、個人的な思い出。
僕が「水木一郎」の存在を意識したのは、大学生の時だった。小さい頃に見たアニメ番組の偏りのため、それに昔はそれほど「アニソン」や「アニソン歌手」がもてはやされなかったこともあると思う。

それ以前にも知らないだけで、関わりはあった。
まずは、上記、「自分の記憶にはないが、生まれて間もない頃、実は水木一郎お兄さんを視聴していた」世代に当たる。僕にとって、初めてのうたのおにいさんであったはずなのだが、DVDで映像を見ても記憶がよみがえるようなことはなかった。※明確に記憶があるのは、幼稚園入園時の5代目・かしわ哲お兄さんから。


もう1つは、小学校中学年頃に見た、藤子不二雄(※)原作のテレビ朝日のアニメ「プロゴルファー猿」のオープニング曲「夢を勝ちとろう」。歌手は知らないが、かっこいい歌だと思って聞いていた。
※藤子不二雄のコンビ解消以前。1987年頃のコンビ解消後は、藤子不二雄A(正しくは○にA)作品。

「プロゴルファー猿」は、テレ朝では1985年から1988年に、藤子アニメ複数作品がオムニバス形式で放送される30分番組「藤子不二雄ワイド」→「藤子不二雄ワールド」の1つとして放送された。1作品ごとの放送時間が短いため、オープニングのみでエンディング曲はなし。
秋田朝日放送開局前の秋田では、少し遅れて放送されたと思われるが、Wikipediaによれば最初は秋田テレビ、途中から秋田放送がネットしていたとのこと。

1988年には、同じ枠で「新プロゴルファー猿」が10話だけ放送され、別の歌を水木さんが歌ったそうだが、記憶にない。
おそらくこの2曲が、水木さんが歌った唯一というか唯二の藤子アニメソングではないだろうか。【21日訂正】ドラえもんの派生作品「ドラえもんズ」の映画の1つ、1999年「ザ☆ドラえもんズ おかしなお菓子なオカシナナ?」の主題歌が、水木さんと堀江美都子さんの歌唱だった。ほかにもあるだろうか。


そして大学生の頃。
以前も触れたが、1995年から10年ほど放送された、NHK教育テレビの幼稚園・保育園向け学校放送番組「なんでもQシリーズ」。「むしむしQ」→「あにまるQ」→「むしまるQ」などと変遷(一部並行して放送)。
弘前大学農学部の城田助教授(学部名・職名は当時)が、その構成や監修を担当されており、授業で紹介されたのをきっかけに視聴していた。

CGアニメのキャラクターが、昆虫や動物についてのクイズを出す番組で、合間に歌のコーナーがあった。番組向け書き下ろしの、やはり虫や動物にちなむ歌が、たしか月替りで流れた。
その1つ「アリとアリクイ」が、水木さんと橋本潮さんの(「エスパー魔美」主題歌や「ともだちいっぱい うたってあそぼ」のお姉さん)デュエットであった。
Wikipediaによれば1996年4月~1998年3月の間の「あにまるQ」が初出。

なんでもQの歌は、曲調も内容もコミカルな歌が多い中、「アリとアリクイ」はバラード調の落ち着いた曲であり、歌詞はコミカルでいながら、食物連鎖や食べることの意味について考えさせられる内容であった。放送されなかった後半部では「医食同源」「大権現」が登場する。そして、2人のハーモニーがきれいだった【21日補足・ヒーローものとは違う、優しい歌いかたで、水木さんの違った一面が出ている】。


今まで知らなかったが、水木さんはほかにも、なんでもQの歌を歌っていた。
初期のむしむしQで「フン・フン・フンコロガシ☆」。言われれば、タイトルは聞き覚えがあるが、歌やCGは思い出せない。

そして2000年に、魚のフグとアンディ・フグを掛けた「Fighter the FUGU」を歌ったものの、そのアンディ・フグが急逝してお蔵入り、放送されないまま終わったという。
CDには、みんなのうたで歌った「なんのこれしき ふろしきマン」のカップリング曲として収録。
ちなみに、水木さんがみんなのうたで歌ったのは、この1曲だけ。

そして、おそらくその頃から、「アニソン」という分野が広く知られるようになり(フジテレビ「快進撃TVうたえモン」は1999年)、水木さんの知名度と偉業が高まっていったのだと思う。



最後に、もう1つ、水木さんの思い出。
2000年代後半かと思う。大宮から横浜方面への移動に、湘南新宿ラインのグリーン車を使った。横須賀線直通・逗子行きの電車だった。

電車が渋谷駅に到着した時。昼下がりで乗客が少ないホームのグリーン車乗り場に、存在感を放つ男が立っていた。
それが水木さんであった。
黒い革ジャンみたいなのを着て、電車に視線を向けてカッコよく待っていて(単に空席を探されていただけかも)、テレビで見るのと違わないお姿だった。

グリーン車は2階建て×2両だから、僕が座っていた部屋には来られなかった。
鎌倉にお住まいとのことだから、NHK辺りで仕事を終えて、帰宅するところだったのか。


それと前後する時期、超神ネイガーのイベントで、秋田に来られたことがあって、その時の目撃情報も耳にした。
イベントが終わった頃、秋田駅前のナガハマコーヒーのカフェで、ひと息つかれていたとのこと。やはりテレビで見るのと変わらぬ姿で、オーラを放っていたという。



ところで、水木さんに先立って11月28日には渡辺徹さんも亡くなった。
生前、最後の仕事が、秋田大学医学部のフォーラム(秋田市には来たものの、体調不良で別室からのリモート出席だったようだ)。帰路には米の新品種を使った「サキホコレ弁当」を食べたという。

徹さんといえば、僕は1990年代中頃のテレビ朝日の視聴者投稿番組「邦子と徹のあんたが主役」の司会。
とおるという名の芸能人はほかにもいるけれど、「とおるさん」で通るのは渡辺徹さんだけではないだろうか。

そして、こんな思い出。
小学校中学年頃だったか、秋田県河辺町(当時)の岨谷峡へ行った。紅葉の時期だったはずで、駐車場から川沿いに入っていくところには、何人かがたたずんでいた。
その中に、バイクで1人で訪れた、ジーパンの男がいた。ヘルメットを外して、周りを眺めている。
この人、テレビに出るあの人では?
「あの人」とは渡辺徹さんを指すのだが、当時、お名前を知らなかった。だけど周りの大人は誰ひとり気付かない。芸能人なのに誰も気付かず騒ぎもせず、おかしいなと思った。

思い返せば、岨谷峡なんか(と言っては失礼)に徹さんがわざわざ、バイクで来るとは思えない。時期的には榊原郁恵さんと結婚するかどうかの頃。
徹さんに髪型が似た、小太りのお兄さんだった可能性が、極めて高い。
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秋田駅に「とらん丸」

2022-12-15 23:34:01 | 秋田の季節・風景
秋田駅東側の留置線。
E6系新幹線の手前の赤と黒のモノ
雪国ではおなじみの、手押しのロータリー式の「小型除雪機」のように見える。
手作業よりはるかに効率的に除雪でき、たぶんここ20年くらいで普及した。今や、秋田市程度の積雪量の土地でも、公共施設や敷地が広い民家では、必需品ではないだろうか。鉄道でも、ホームの除雪用に置かれていることがある。
各農業機械メーカーやホンダなどが作っているが、ボディーカラーはたいてい赤い。ヤマハ発動機は青いようだけど。雪の中でも目立つようにだろう。

それが、秋田駅のホームでなく線路部分に置かれているのかと思ったけれど…
線路に乗っている!

反対側から

手押し除雪機と比べると、やや大きく、人が乗って操作できそうな箱が付いている。
乗用の自走式小型除雪機で、線路を除雪する機械ということか?

真横から側面
青い車輪があり、別にゴムタイヤもある。
こちらが後部


緑色の秋田市ナンバーが付いているから、小型特殊自動車。鉄道車両らしい書体で「自重 2.4t」の表記もある。
道路も線路も走行できるようだ。
四国で世界で初めて営業運転が始まったDMVと同じだけど、線路保守用の車両(作業機械)としては「軌陸車」として、トラックの改造などで昔からわりとある。

お尻のボンネットには、白で「とらん丸」と書かれている。
書体は「HG創英角ポップ体」に似ているが、線が丸いし、「丸」の右下が丸まっているのが違う(HG創英丸ポップ体でもない)。

そして、運転席の裏側には「NIIGATA」。車両や機械のメーカー「新潟トランシス」。「新潟鐵工所」の後身で、昔も今も、気動車や路面電車など鉄道車両メーカーとしては知っていた。除雪機器も製造しているとのこと。
「とらん丸」自体が同社の商品名で、ホームページによれば、ゴムタイヤだけのものが市販されている。
したがって、とらん丸は鉄道用除雪装置の商品名や、JR東日本が命名した愛称ではない。新潟トランシスの社名が由来なんだろうけど、除雪機との関連性はなく、イマイチなネーミング。

JR東日本では、2018年頃から、積雪地にとらん丸の軌陸仕様を導入しているようだ。市販品を軌陸仕様に改造しているのだと思うが、改造したのは新潟トランシスなのかJR東日本なのか。
2019年1月10日の産経新聞「小型除雪機導入、順次救出で再発防止 JR信越線立ち往生から1年(https://www.sankei.com/article/20190110-QS5AYUENLJI2BKYHU7ST5VQDQ4/)」によれば、2018年始の信越本線での豪雪による立ち往生を教訓に、とらん丸を導入。現場へ運んで、立ち往生した列車の前後を素早く除雪して復旧させるという。
立ち往生するほどでなくても、ドカ雪でポイントが埋まったような場面でも使えそう。
使い方の練習みたいなのが実施されていた
冬の間、秋田駅に常駐ということなのか。また横手とか弘前とか、秋田支社管内のほかの駅にも配備されたのか。


線路の除雪といえば、昔はディーゼル機関車に、除雪用のアタッチメントを付けた「除雪車(雪かき車)」だった。
最近は、車籍がない作業用機械(モーターカー)としての除雪車が増えているようだ。
秋田駅の西側(1番線の北)にもいつもいる。

「第一建設工業」所有らしい。片側がロータリー、もう片方がラッセルになっていて、1台2役。【16日追記・「MCR-600A」という型番で、これも新潟トランシス製らしい。】
反対側

いよいよ本格的な雪と寒さがやって来た。これらの機器が、ほどよく活躍する、ほどよい雪と寒さの冬であってほしい。

【2023年3月11日追記】雪が消え、新たな積雪のおそれがほぼなくなった3月8日に見ると、とらん丸は車止めの先、線路の外に置かれていた。
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21年ぶりの静岡鉄道

2022-12-13 22:33:11 | 旅行記
JR東日本パスの旅。新静岡駅から、2001年以来21年ぶりの静岡鉄道に乗車。
静岡鉄道の鉄道路線は、現在は新静岡と新清水(旧・清水市)を結ぶ「静岡清水線」のみ。バス部門の子会社「しずてつジャストライン」が、静岡市周辺の路線バスを独占している。
新静岡駅同様、新清水駅も、JR清水駅とは別の場所にある。静岡駅~新静岡駅よりも、清水駅~新清水駅のほうが距離があって700メートルほどで、道も分かりにくい。

21年前は、全線を乗り通した(たぶん新静岡→新清水片道)だけだった。今回は、最初に新静岡→新清水、翌日に新清水→桜橋、桜橋→草薙と3回乗車できた。
新清水→桜橋で乗ったのが、先にアップしたハロウィン電車。そのほかをまとめてこの記事で。

21年の間に、新静岡駅が新しくなり、車両が新しくなり、ICカードで乗車できるようになった。
2001年は、「ちゃっきりフリーきっぷ」だったか、鉄道とバスのフリー乗車券を使用。磁気情報のない紙のきっぷで、ほかの乗客が皆、自動改札機を通過する中、有人通路に回った。
今回はSuicaをタッチするだけで、運賃がいくらかも気にせず(フリーきっぷでも同じだけど)、気軽に乗ってしまった。新静岡~新清水は330円、JRの静岡~清水は240円。

車両は、1973~1985年に導入された「1000形」を、2016~2023年にかけて「A3000形」に更新途中。新旧とも2両編成×12本。
2001年撮影。たぶん新清水駅付近
↑写真の1004-1504の第4編成(1004号編成と呼称するようだ)。この編成が、いちばん最初に廃車された。
また、清水でロケされた1985年の映画「ビー・バップ・ハイスクール」の、走行中の電車から川(巴川)へ飛び込む【19日訂正】投げ落とされるシーンでは、1004号編成と1010号編成が映るようだ。どちらの編成から飛び込んだのかは、よく知らないので不明。

1000形は、地方私鉄にありがちな大都市圏の中古車ではなく(理由の1つは後述)、自社発注のオリジナル。角張って窓が大きい正面のスタイルは独特。ただし、東急車輌製造が手がけたため、側面や車内は東急の車両に似ている点が多い。
A3000形も、製造元自体は同じだが、企業は2011年にJR東日本系列に替わって「総合車両製作所」となった。

A3000形は、7本は「shizuoka rainbow trains」として、1本ごとに静岡にちなんだ7つの色で塗装(ラッピングシール?)されている。
ハロウィン電車だったのは、みかんをモチーフにしたBrilliant Orange YellowのA3004号編成。
最初に乗ったのは、水色の電車。富士山にちなんだClear BlueのA3001号編成。これがいちばん最初に導入されたA3000形(この代替で、上の1004号が廃車)。
新清水駅到着後、折り返し待機中
正面下のスカート(排障器)右側に、白い文字が書いてある。
ドア横にも
「Laurel Prize 2017」。
A3000形は鉄道友の会による「ローレル賞」を2017年に受賞している。車内には、友の会から贈呈されたであろう、その旨のプレートが貼られるのが通例で、A3000形は水色にも、みかん色にもあったはず。車外の白い文字は、静岡鉄道独自かと思われ、A3001号以外の編成にはなかった。


7色でない残り5本(3本導入済み、2本未導入)は、無塗装でラッピング広告に対応するそうで、よく考えている。そして、銀色だとまた印象が違う。
A3010編成
↑広告主はトヨタユナイテッド静岡。静岡県最大手のカーディーラーで、静岡鉄道の関連会社とのこと。
無塗装の編成とすれ違った時、一瞬、リゾートしらかみ(HB-E300系)とかE233系とか、JR東日本の車両と錯覚しかけた。フロントガラスの傾斜なんかが、似ていると思う。

車内は各編成とも共通(ハロウィン電車の記事も参照)で、青いロングシート。「全席優先席」ということになっている。
荷棚
今どきの標準的な車内だが、荷棚(網棚)が、ロングシートの中央部分にしかないのがおもしろい。
吊手(つり革)
紐を束ねる部品(?)は、レインボートレインの7色が並んでいる。無塗装編成ではどうなっているだろう【15日追記・ネットで調べると、静岡鉄道100周年記念のラッピング編成では、この部分に「ありがとう」のシールが貼られていた。広告と連動させることが可能なようだ。また、何も貼らないグレーのままの写真もあったので、それもあるのかも】。
東急系の電車のこれと言えば、広告が入っているもの(弘南鉄道譲渡車)。1000形にも地元の広告が入っていたが、A3000形ではやめたということか。

握る部分の形がユニーク。全国初の「2段つり革」。個人の身長や手の大きさに合わせて、いろいろつかめるということらしい。
ドア付近は、一般的な三角形(おむすび型)。

また、上の写真奥のドア付近天井際で、吊手の支柱のパイプが、壁とつながっている。これが、今の総合車両製作所のステンレス車両の特徴で、衝突事故時の安全性を高めている。


A3000形の座り心地、乗り心地は、まあ普通かなと思っていたのだが、最後の桜橋→草薙で、1000形に乗ることができ、それと比べると、やっぱりいい。
1000形は加速がガクガクするし、座り心地は悪くはないが「古い」。確実に進歩している。
草薙駅。1000形とA3000形
冒頭の2001年の1000形には、サイドミラーというかバックミラーが付いていて、スカートはない。現在はミラーがなくなり、スカートが付いた。ミラーは2011年に撤去、スカートは2008年から設置されたらしい。
写真の1000形1012号編成は、キリン午後の紅茶ミルクティーのラッピング広告。廃車になったが、午後の紅茶レモンティーの編成もあったとのこと。
黄緑のA3000形は、山葵(わさび)をモチーフにしたFresh GreenのA3008編成。詳細は不明だが、清水エスパルスのヘッドマークが付いていて、運転室内にマスコットのパルちゃんと旗がある。お茶モチーフは、別に濃い緑のNatural Green編成がある。


前日は、残る1000形のもう1本・1011号編成、ピンク色のちびまる子ちゃん(アニメ仕様)のラッピング編成とすれ違った。清水港の「ちびまる子ちゃんランド」とのコラボレーションで、まる子による車内放送もある(時間帯による)とのこと。
A3000形(A3009号編成)にも、「ちびまる子ちゃん静岡音頭」として、3DCGのまる子たちが描かれたラッピング編成(静岡市による?)があった。各編成の運用は、静岡鉄道のサイトで公開。


新静岡~新清水は、11.0キロ、途中13駅を23分で結ぶ。昼間でも8分間隔で運行。
JR東海道本線の静岡~清水は11.2キロ、途中2駅を11分。
両端の駅は、静岡鉄道とJRで別なわけだが、途中2キロほどでは、ぴったり並行する。上のトヨタのラッピング編成の隣を、JRの貨物列車が走っているように。
桜橋駅新静岡行きホーム
↑左側2本が東海道本線。中央奥が新清水行きホームだが、こちら側とズレた独特の配置。
並行区間にJRの駅はないため、ここで乗り換えはできない。乗り換えできる駅は、長沼駅~JR東静岡駅と草薙(くさなぎ)駅~JR草薙駅。
草薙駅での乗り換えが便利なので、今回最後の下車駅が草薙駅だった。それでも、駅がつながっているわけではなく、100メートルほど歩いて横断歩道を渡らないといけない。
草薙駅新静岡行きホーム
↑構内踏切を渡った向こう側が駅出口で、その左方がJRの草薙駅。ちなみに「くさなぎ」のアクセントは平板ではなく、「宮崎」と同じ。
車内放送では、JRのほか、しずてつジャストラインの路線バスと乗り換えられる駅で案内放送が入った。そこでは「ジャストライン各路線(はお乗り換えです)」と言っていた。よそから来た人には、ジャストライン=バスとは思われなそう。


大都市静岡。沿線の家並みが途切れることはない。下町というほどではなさそうだが、生活感がある街が続く。スーパーマーケット「しずてつストア」や静鉄自動車学校もあって、しずてつグループは静岡市の生活に欠かせない存在のようだ。※しずてつストアは沼津駅前などにも店があって、県内広範囲で展開。
今回乗った限りでは、両端のターミナルでの乗降ももちろんあるが、途中駅から乗って、途中駅で降りる人がだいぶ多く感じた。地方の小都市の鉄道やバスでは、中心市街地と沿線各地の単純な行き来がメインになってしまうが、そうではないのは、やはり大都市だからだろう。そして、たった8分前に前の電車が行ったばかりなのに、何人も列車を待っている。【19日補足・2度しか経験できなかったが、始発の新静岡や新清水発車段階では、ガラ空きだった(それで車内を撮影できた)。時間帯にもよりそうだが、途中駅からの乗車が相当ある。】

駅には頻繁に停まることになり、対向列車とも頻繁にすれ違うが、複線なので待たされることもなく、きびきびと進む【14日補足・ワンマン運転だが、各駅に自動改札機類が完備され、車内で運賃収受を行わない「都市型ワンマン」方式】。駅に近づくたび、運転席でぷーぷーブザーが鳴っていたのは、誤通過防止装置のようだ。
静岡鉄道では、停車駅が少ない「急行」が運行されていた。新型コロナによる利用減を理由に廃止されたが、急行対応として、装置が搭載されているのだろう。駅通過時などに鳴らすミュージックホーンも搭載。


これまで、静岡鉄道は、弘前市~大鰐町の弘南鉄道大鰐線とちょっと似ているかなと思っていた。本数と利用客数の差は別として。ちなみに、輸送量(本数)としては大鰐線の7.5倍。
ターミナルがJR駅と別の位置にある(中央弘前駅)、距離や駅数が近い(13.9キロ、途中12駅、約30分)、東急系列の車両(初代7000系中古)、2両ワンマン運転(車内収受方式)など。
でも、新しい電車で、各駅の乗り降りが盛んなところを見てしまうと、あんまり似ていない。【14日補足・最高運転速度は静鉄70km/h、弘南60km/h(実際は55km/h?)と大差ないが、弘南鉄道は揺れる揺れる。線路の規格や保守体制の違いによるのだろうけれど、この点でも違う。】

それに電化方式(電圧)。弘南鉄道は、JRや大手私鉄でも主流の、直流1500ボルト。
静岡鉄道は、今は少数派の直流600ボルトなのだった。だからこそ、中古車入手が難しく新車を入れたのかもしれない。高頻度運転路線の最新車両が600Vなのが意外だった。

今度訪れた時は、ほかの途中の駅でも降りて、市内をいろいろ回ってみたい。
今回は、清水の街をうろついた。続く
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泉外旭川 準備工事?

2022-12-10 20:10:44 | 秋田のいろいろ
2021年3月に開業した、秋田市にあるJR奥羽本線・泉外旭川(いずみ そとあさひかわ)駅。
11月下旬頃から12月初めにかけて、ちょっとした工事が行われていた。
無人駅なので改札口はないが、見た目上は改札口である部分の、ホーム側。
2021年5月撮影。左が駅の外(地下通路への階段)、正面が上りホーム、背後が下りホーム

この部分で工事が行われた。シャッターの中には除雪機でも入っていそう?
↑工事前/工事後↓
現在
工事後、まず目立つのは、床面が横長に新しくなった。
そして、緑色の箱=「運賃箱/きっぷ入箱」が、1メートルほど、左側に移動した。以前は床から脚だけ生えていたのが、工事後は台座がボルトで固定されているのが見える。
※きっぷだけでなく、きっぷ類を持たない客が無人駅からワンマン列車に乗って、ここで降りた場合は、運賃(現金)もこの箱に投入することになっている。盗難等を不安視する労働組合に対し、JR東日本は“強固な運賃箱”を設置すると回答していたのだが、それがこれ。

ほかにも。

左端奥の白い柱に、床とつながった配管が2本、荷作り紐で仮止めされている。
工事前に箱があった右端では、
床面に小さな円?
おそらく、左側の管につながっているのだろう。
穴はふさがれている
この管の役割は?
2023年春から、秋田市周辺など北東北の一部区間でも、ついにJRの乗車にSuicaが使えるようになる(発表時の記事)。
それに対応する、改札装置用の配線スペースだと考えられる。

Suica導入済みエリアの無人駅では、きっぷを投入する自動改札機ではない、Suicaをタッチするだけの「簡易Suica改札機」という装置(つまりリーダーライター)が設置される。入場用、出場用1台ずつ。
泉外旭川駅でもそうするならば、位置的にここだろうし、回収箱が以前の位置のままではジャマになるし。

泉外旭川駅開業時点では、2023年春利用開始だとはギリギリ決まっていなかったかもしれないが、当時のJR東日本では最終的には全駅でSuicaが使えるようにする方針だったはず(今年になってQRコード乗車券の導入が発表されたが)。1年半後にこの程度の工事をするくらいならば、新築工事の段階でまとめてできなかったのか、とも思うけれど。


Suica利用開始の日程はまだ発表されていない(2023年春ダイヤ改正の中身は、来週金曜発表だろうから、それと同時かな?【末尾追記参照】)が、そろそろ準備にかからないといけない時期。
泉外旭川駅も含めて、近距離自動券売機のSuica対応(チャージ等。秋田駅等新幹線駅は対応済み)もしないといけないが、未確認。
秋田駅中央改札口や土崎駅の自動改札機では、まだ変化はなさそう。※別の話として、土崎駅で2022年10月から、駅員不在の時間帯が設定されたため、緑の回収箱が設置された。
自動改札機がない、秋田駅のアルス口でも特に動きがないが、どのような対応になるか。その他の駅も、最近は通ることがないので不明【末尾追記参照】。
新たな動きが分かれば、続きにて。


【12日・利用開始日について追記】12月12日、JR東日本から北東北でのSuicaサービス開始日が発表された。
2023年5月27日(土曜日)開始
ダイヤ改正と同時でなく、5月下旬とはなんか中途半端。
範囲が狭いので、現在の広いサービスエリアと異なって、サービス内容に制限があるのではと心配していたが、Suica定期券、オートチャージ、乗車に伴うポイント付与なども変わりなく実施される。
また、3県とも、現在自動改札機が設置されていない駅は、すべて簡易Suica改札機での対応になる模様。男鹿、羽後牛島、新屋、浪岡、雫石等々、子会社駅員がいる駅も簡易改札機。

2023年4月の各駅のSuica準備状況
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21年ぶり? 新静岡駅

2022-12-06 22:37:41 | 旅行記
JR東日本パスの旅。東日本エリアを飛び出して、静岡駅に降りた
静岡市内でも清水区(旧・清水市)にはわりと訪れているが、旧・静岡市の駅の外へ出るのは、かなり久しぶり。旅行記番外編・エクセルワードビルの記事の通り、初めて静岡県に来た2001年や2003年以来のような気がする。
と言っても、翌日改めて来ようかと思ったもののかなわなかったため、今回も短時間歩いただけなのですが。

この時は、特急ふじかわに終点まで乗り通したくて静岡まで来たようなもの。さっそくだけど、宿泊地の清水区興津に向かって戻る。
JR東海道本線の普通列車で戻るのもおもしろくないので、私鉄の静岡鉄道で清水まで行ってから、JRに乗り換える。

静岡鉄道の駅は、JR静岡駅から400メートルほど離れた、新静岡駅。
地図を軽く見て、20年前のおぼろげな記憶とすり合わせて、移動。エクセルワード静岡ビルの1本隣、御幸通りを進んで、曲がると新静岡駅。
その向かい側が、駿府城公園の外堀。
新静岡駅ビルを背に撮影
↑右奥が静岡県庁。その別館21階に「富士山展望ロビー」がある。以前行ったことがあるし、甲府とふじかわで存分に眺めたので、今回は行かず。
また、以前はその向かい(上の写真には売っていないが、左側)にある静岡市役所 静岡庁舎新館・葵区役所の17階にも、以前は展望ロビーがあったが、2015年で廃止されたらしい。

写真左、外堀沿いの歩道から、デッキが堀の上にせり出している。
2021年できた「SUMPU HORINO TERRACE(駿府ホリノテラス)」。歩道の拡張と、出店やイベントスペースにする目的。
秋田市でも、千秋公園の外堀にデッキを造ったから、流行りかもしれないが、ホリノテラスは歩道が広々と歩けるのがいい。
ただ、以前は対岸の石垣と対比できるような味わいのある道路で、シダレヤナギが植えられていて(下の写真参照)、それらがなくなってしまったのは、ちょっともったいない気がしなくもない。

反対側から。奥左に新静岡駅ビルが写っている

戻って、新静岡駅へ。
新静岡駅ビル
今の駅ビルは、2011年にできた「新静岡セノバ」。
それ以前は、1966年開店の「新静岡センター」。JR静岡駅ビル・パルシェよりも歴史がある。

2001年に撮影していた。
右が今のホリノテラスで、ヤナギがある
左手前のビルは「静岡県教育会館」。これも建て替えられて「静岡県教育会館すんぷらーざ」となったようだ。

新静岡センターは、大きなセイコーの時計が特徴的で、細かい窓など昭和の趣あふれる建物だった。
センター、セノバとも、駅自体よりも駅ビルやバスターミナルのほうが大きい。
上の写真で見ると、セノバよりセンターのほうが大きなビルのように見えるが、実際にはセノバのほうが大きい(と感じる人が多い?)らしい。また、センター時代はビルと駅が直接はつながっていなかったのだとか(そう言われれば、なんとなく記憶があるようなないような)【7日コメントいただき訂正・駅は地上にあるのに、センターの地下売り場を通らないと、改札を出入りできない構造だったとのこと。】。

セノバの中は、しゃれたお店が連なる、今どきの商業施設。少し歩いて荷物を重く感じたのと、人が多いので、そそくさと電車乗り場へ向かうことにした。続く
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ぐるる「休憩中」

2022-12-04 22:25:54 | 秋田のいろいろ
秋田市が秋田中央交通に委託して運行(赤字分は市税から補填)する、秋田市中心市街地循環バス「ぐるる」。
あきた芸術劇場 ミルハスに乗り入れるようになった2022年6月にダイヤが改変され、2022年10月からは車両の行き先表示が更新されてロゴマークが入るなどしている。
おそらく、その10月の表示データ更新時に、新たなコマ(データ)が1つ追加されたようだ。

起終点となる、買物広場バス停で待機中のエルガミオ1522号車。その表示は「回送中」かと思いきや、
「休憩中」!?
英語表示は、回送と同じ「OUT OF SERVICE」。
オレンジ色LED・小型表示器のポンチョ1344号車でも、同じ内容。方向幕式の834号車は未確認だが、おそらく入っていなそう。

それに、フロントガラス向かって右下に、紙が掲出されている。これも今までなかった。
「休憩中」「恐れ入りますが、乗務員の労働時間管理上必要な休憩のため、ご乗車はしばらくお待ちください。」
834号車ではこれだけを出すのだろう。

乗り場のポールにも、同じ趣旨の「お客様へのお願い」が出ている。
「法定労働時間」としている

ぐるるは、1日に2台が運用に入るが、どちらか片方または両方が、買物広場で待機していることが多い。昼休みなど乗務員の休憩中も、車両は買物広場に置くのが原則のようだ(まれに秋田駅西口にいることもあり、厳密には決まっていない感じ)。
6月のダイヤ改正により、乗務員の拘束時間は増えたと思われるので、その分、休憩時間も増えたはず。
買物広場からぐるるに乗車しようと待っている客にしてみれば、「あそこにぐるるの車がいるのに、乗せてくれないの?」と疑問を抱くこともあろう。

従来、待機中は「回送中」を表示していることが多かった。
「このバスには乗れない」という点は伝わるものの、日本語として「回送」=「その場に停まって休憩」では、意味が通りにくい。英語の「OUT OF SERVICE」はまだしも。
そこで、乗れない理由を明確に示すために、「休憩中」のコマを作ったのだろう。

ネットなどでは、全国各地のバス会社で、始発バス停で発車のだいぶ前から待機・休憩しているバス(※)に、乗客が乗せるよう要求したり、休憩時間に車内で飲食やスマホ操作や読書している運転士について、バス会社にクレームを付けられることがあるそうだ。
※暑い時、寒い時、雨雪の時など、「いるんだったら乗せてくれ」と思う気持ちは分かるし、運転士の裁量でそうしてくれることもあるが、法令の定めは定め。

全国的には、回送とは別に休憩中を知らせる行き先表示を用意しているバス事業者が、ちらほら存在する。
平成エンタープライズ(埼玉県)「休憩中」、伊豆箱根バス「待機中 OUT OF SERVICE」、岐阜バス「休憩中 Not in Service」、富士急シティバス(静岡県)「OUT-OF-SERVICE ごめんなさい・休憩中です」など。
さらに、ドイツやベルギーでは、湯気を上げるコーヒーカップの絵と「Pause」「Break」を表示するバスがあるとのこと。
ぐるるでも、犬のキャラクターの寝顔とか、「お待ちください」とかも表示すれば、楽しいのに。

今のところ、秋田中央交通の一般路線バスは、従来どおり「回送/回送中(※)」や次の運行の行き先表示で待機しているので、「休憩中」のコマは使っていないと思われる。【6日訂正・一般路線バスでも「休憩中」を表示できるようだ。ただ、秋田駅周辺では、今のところ目撃していない。】
※秋田中央交通の場合、「回送」はコード番号を入力して表示させた時、「回送中」はテンキー横のダイレクトボタンで表示させた時らしい。
したがって、上記のような全般的な問題への対応ではなく、車両の運用や待機場所が特殊なぐるる特有の事情への対応として、「休憩中」が加わったのではないだろうか。あと、関連するのかどうか、以下のような出来事もあった。


6月のミルハス乗り入れ&ダイヤ改正時に、もう1点、ひっそりと変更されたことがあった。
買物広場での乗り場が、5番から4番に移った。
6月撮影。移動後の5番乗り場

5番乗り場掲出の移動告知
以前の4番は、秋田県の失策・EVバスの充電器が設置され、乗降場所としては使っていなかったはず。
5番は、以前から手形山・秋田温泉方面と臨海営業所線の乗り場でもあったようで(知らなかった!)、変更後も変わりなし。

6月撮影。移動後の4番乗り場。ポンチョは「回送中」を表示
買物広場のぐるる乗り場には、2021年5月頃にダルマ型ポールが新たに置かれた。それには「買物広場マル5」と番号まで表示してしまっていたが、今回の変更にともない、「買物広場」だけのシールを上貼りして対応。

6月以前、待機(休憩)中のぐるるは、その4番付近によく駐まっていた。乗り場変更後は、必然的に従来よりも少し後方のカーブした部分で待機するようになった(冒頭や上の写真の位置)。コーンが置かれるのは、目印なのか、他の通過車両を支障しないためか。4番乗り場の上屋にミラーを接触させない目的もありそう。


そんな変更があって間もない、暑い日。
買物広場4番からぐるるに乗車したことが2度あった。休憩中表示が設定される前。
上の写真のような状況で、1台が、運行中の表示を出して待機位置にいた。じゃあ、もう1台が到着して、それが引き続き次の周回に入るのかと、待っていたのだが…

1度は、待機中かと思っていた車の運転士さんが、わざわざ降りてきて、「お客さま。時間調整中ですがご乗車できますのでどうぞ」と迎えに来てくれた。ほかのお客は何人も乗っていて、涼みながら発車を待っていた。
もう1度は、待機中かと思っていたバスがパッシング。別の運転士さんだったが手招きして、やはり乗せてくれた。
冷房中でドアを閉めていたのと、1522号車は側窓が黒いので他の客が乗っているのが見えなかった。

つまり、ダイヤ改正で余裕ができたため、買物広場到着後、引き続き次の周回に入るまでの(営業運行途中での)時間調整=発車待ち時間が増えた。その間は、4番乗り場に着けるのではなく、4番手前の待機位置に、客を乗せたまま停まることになったらしい。
でも、その意味が分からない。乗客にも運転士にも、余計な手間をかけさせてしまっている。
4番は空いているのだし、4番に停まっても他車のジャマにはならないだろうし。まさか運行途中&客を乗せたままで休憩はしないだろうし。謎。
買物広場でしか見られない、レア表示なのでしょう
「休憩中」表示を作ったのは、乗り場ではない同じ位置にバスがいるのに状況が異なる、運行途中での「時間調整の待機」と、運行していない「休憩」とを明確に区別するという意図があるのだろうかとも考えた。だったら、やっぱり時間調整は4番ですればいいのでは…
「休憩中」表示は労働環境と乗客への分かりやすい説明という点では、改善策の1つではあろう。だけど、もっと根本的な点で、改善の余地があるのでは。
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初雪初積雪2022

2022-12-02 20:42:53 | 秋田の季節・風景
初雪が遅かった今年の秋田市も、11月30日に観測。平年+15日、昨年+4日。
12月1日は淡雪が降り続け、夕方から積って、積雪は最大13センチに達した。
初雪が初積雪になるのは多くないし、1日時点では秋田県とその周辺の県の中では、秋田市付近がいちばん雪が多いのも珍しかった。
2日になると、湯沢、横手、阿仁合、青森市では30センチ程度積もったが、そのほかは少なめ。弘前は10センチに達していない。

秋田市としては風は弱く、そんなに寒くもなく、マイルドな冬の訪れだと思う。
2日は午後になると晴れ間も出て、車道の雪は消え、歩道は融けてぐしゃぐしゃになった。
秋田駅東口・アルヴェ14階から北東・太平山方向

東方向
↑奥の雪原は、駅最寄りの水田。その奥が市立下北手中学校。2023年度末で閉校、城東中に統合。

県道28号、手形陸橋。
北側歩道。奥は千秋公園
北側の歩道は、今年10月に、歩行者部分と自転車部分を分けてカラー舗装する工事が行われた。ロードヒーティングは緑色の歩行者部分にのみ入っている。
ただ、写真奥、中央近くはあまり融けていない。
南側は、
線路の上部分がまったく融けていない
ここに限らないが、1本の道路内でも、ロードヒーティングはブロックを分けて敷設されるのが基本で、その中で効きに差が出てしまうことはよくある。といっても、手形陸橋は南側が2017年に新設北側が2019年にリニューアルされたばかり。坂道だし小学校の通学路でもある。何とかならないものでしょうか。

今回の積雪で、秋田市中央部で除雪車は見かけていないが、土手長町通り・二丁目橋周辺の県道28号では、除雪された痕跡があった。
歩道との境に寄せられた雪山
寄せられた雪が、点字ブロック上まで転がったり、横断歩道橋階段の上り下りに少々支障したりしてしまっている。ロードヒーティングがある歩道だが、センサー部に雪がないと停止してしまうから、この状態。

これは何?

ハボタンに積もった雪でした

3日以降は雨のほうが多く、雪は全部消えてしまいそう。
今年もいよいよ冬が来た。どんな冬になるだろう。
コメント
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