広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

最近の導入車両

2017-03-31 00:13:58 | 秋田のいろいろ
久しぶりに秋田の中央交通の路線バス車両の話題。※写りが悪い写真ばかりですが、参考までに掲載します。

まず、いただいたコメントや弘南バスで同型車に乗ったことをアップ済みの通り、昨年末(12月21日)、新車の中型バスが2台導入された。
フルモデルチェンジされたノンステップのいすゞ「エルガミオ」で、「12-27」が秋田営業所、「12-28」が臨海営業所配置。

弘南バス(日野レインボー名義)との相違点は、バンパーが弘南バスではシルバーに対し、中央交通は黒。塗装の違いのせいかもしれないけれど、中央交通のほうがより引き締まったというかキツイ顔つきに感じる。

行き先表示器の取り付け位置の違いのせいか、ドア側の側窓の配置も異なる。
弘南バスは、前ドア-表示器-縦長固定窓-戸袋-中ドア-上部スライド窓-上部スライド窓
中央交通は、前ドア-縦長固定窓-ほぼ正方形固定窓-戸袋-中ドア-表示器-縦長固定窓-上部スライド窓
中央交通では、いちばん後ろの窓しか開閉できない。
【2021年9月6日追記】1227号車は、この1年ほど後に臨海営業所へ転属。秋田営業所へは、この車をマイナーチェンジした日野レインボーの新車が2台入った。


年が明けて2月末には、中古の大型バスが入った。
三菱エアロスター「12-38」臨海営業所配置
エアロスターも3台目となり、だいぶなじんできたものの、これまでの2台とは若干印象が違う。側窓の枠の色が、従来の黒からシルバーに変わったため。【4月6日追記】写真はないですが、運転席側窓の塗り分けが、特に斬新というか独特というか。
塗装変更時の前面やミラーの塗り分けは、2台目11-87に準じている。
(再掲)最初の1台。屋根上の冷房やランプも異なる
これも小田急バスの中古だそう(小田急では窓枠の色はちょくちょく変わるらしい)。
ネットの情報によれば、吉祥寺営業所の2003年式「03-A6025」号車だったとのこと。


さらにそれと同時期にもう1台。
日野ブルーリボン「12-43」臨海営業所
いすゞと製造部門が統合する以前の、日野オリジナルの車種。ワンステップ。
中央交通で路線用ブルーリボンは、大昔は別としてここ10年ほどでは、秋田市交通局の中古車のみ。秋田八丈塗装だった貸切兼用(ワンロマ)と通常仕様をちょっと豪華にしたのと、いずれもツーステップ計8台(かな?)。
それらも廃車が進み、2015年秋までにすべてなくなっていた。
(再掲)元市営バスのブルーリボン
それから1年ちょっと経って、ブルーリボンが復活。
この車、全体的に小田急っぽくないし、そもそも小田急では導入しなかった車種かも。
つり革が三角形だったり、座席の柄が変わって(赤紫系統の大きい花柄みたいなの?)いたりする。
悩んでも分からないのでネットに頼ると、2000年式【2018年10月14日追記・1998年式との情報もある】で、千葉県の阪東自動車というバス会社が購入し、後に国際十王交通(本社は埼玉県で、この車の配属は群馬県内)というバス会社へ移籍した経歴の車だそう。3社目が中央交通となる。前の2社はどちらも東武系列。

ブルーリボンといえば、元市営バスの古いものの印象が強く(羽後交通にもあるけれど)、末期のタイプは見慣れない。
外観では、市営バスのとだいたい同じだけど、床の高さの違いかライトや窓などのバランスがわずかに違う。
ヘッドライトの上に黒い線があるのも独特な気がしたが、これは標準のデザイン。市営バスのもそうなっていたが、その下の行灯の周りも黒く、一体化して目立たなかったようだ。

側窓は、一般的な下固定・上スライドだが、スライドする部分の窓が大きい(縦方向が長い)。

後部の行き先表示が下に寄っているのは、前所有者の影響か。
中ドアは、ひと昔前の大都市圏のバスで主流だった、「ワイドドア」という折戸を2つ並べて左右にぐわんと開くもの。昔の中央交通では、このタイプは片方の折戸を開かないようにしていたが、これはどうなっているだろう。
【11月20日追記】遅ればせながら12-43に乗車できた。ワイドドアは、外から見て左側が固定され、右側だけが開くようにされていた。つり革は三角形(JR東日本でも採用されている「三上化工材」製? 小さく刻印があるはずだけど未確認)。車内後部の通路部分はスロープになっており、通路部分には段差がない。座席はやはりトロピカルなような花柄で、形状や肘掛けは旧塗装時代の秋田市営バスのようなもの。座り心地は、背もたれが少しやわいような、座面の奥行きが少し足りないような、どこかしっくりこなくて少々落ち着かなかいものだった。
【2018年10月14日追記】この車と同じ経歴を持つものがもう1台あったそうだ。それは弘南バスが購入し、青森営業所で「マエダシャトル」に使用されているとのこと。


恒例のノンステップバスのまとめ。(ブルーリボンはワンステップなので含まず。子会社や秋田市外の営業所には未配置と思われますが、調査はしていません)
ノンステップバスは計42台(県から受託されて運行する中型EVバス1台を除く)。
25台が小田急バスの中古で、そのうち大型車は8台(いすゞエルガ5台、三菱エアロスター3台)。中型車17台はすべていすゞエルガミオ。
1台が東武バスの中古で、大型車の富士重工ボディのいすゞ1台。
16台が新車での購入ですべて中型車(いすゞエルガミオ11台、日野レインボー2が5台)。


この後の導入車両について
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秋田駅リニューアルほぼ完成

2017-03-29 23:45:09 | 秋田の季節・風景
秋田駅自由通路に面した店舗等と立体駐車場のリニューアルは、4月1日のオープンが間近。自由通路沿いの店の多くは、既に営業が始まっている。※前回の記事
中央改札口付近から西方向(右が改札)
以前は、広告などでごちゃごちゃしていた南側の壁面(上の写真左側)は、凹凸のある秋田杉の板【30日補足・「ファザード」と呼ぶらしい。長さ80メートル】で統一され、すっきりとした。【30日補足】前を歩く程度では、木の香りは別段感じなかった。
工事後

工事前
リニューアル後の各店舗などの入口の上には、シンプルな文字メインの表示が設置されている。通路を歩く人にとっては目立たなくて、分かりにくいようにも感じる。壁と垂直向きの看板があってもいいのではないだろうか。

上の工事後の写真手前の紫色の機械は、秋田市が設置した、路線バス時刻検索端末。以前は通路に出っ張って置かれていた(工事前の写真手前にちょっと写っている)のが、壁面を凹ませてその中へ収められた。従業員用ドア、飲料自動券売機なども同じ設置方法。

時刻表端末西隣(写真右)が、表示灯株式会社の広告入り地図「駅周辺案内図NAVITA」。
2013年に新しくなっていたが、今回また新しくなり、液晶(?)ディスプレイになった。
タッチパネルになっていて、東口側と西口側を切り替えて表示できるが、拡大縮小などはできないようで、あんまり意味がないような…
【2018年3月29日追記】その後いつの間にか、地図上の文字を日本語と英語を切り替えて表示できるようになった。※施設名称の変更が柔軟にできるようだ。

その西が、コンビニ「NewDays秋田ぽぽろーど店」。
Pepperくんが出ているけど、これからもずっといるの?
NewDaysは、20日間休業して工事しただけに、大規模にリニューアルされるのかと思ったが、ざっと見た限り、全体的にきれいになったくらいで大して違わない。面積は以前の店舗+旧観光案内所部分程度、レジや売り場の配置もおおむね以前と同じ。タイミングによっては荷物を持った人たちでひしめき合う、狭い店内通路もそのまま。

従来と違うのは、西隣の待合ラウンジ(観光案内所前)へ通じるドアを設置、カウンターコーヒー「EKI na CAFE」新設、出入口脇にセルフレジ(Suica専用の首都圏と同じもの?)新設、店内左(西)側中ほどにATMを新設といったところ。
ATMは、みずほ銀行。全国的にはNewDaysに設置されていることがあるそうだが、秋田でみずほ銀行とは珍しい。実際、秋田県内では、中通のみずほ銀行秋田支店とここにしか、ないようだ。


NewDaysの西隣が、リニューアルの目玉である待合ラウンジ。窓から在来線ホームなど南方向が見渡せ、いくつかのタイプの座り心地が良さそうな椅子が置かれた。以前の待合室時代と比べて、明らかに人が多く、なかなかじっくり見られない。【31日追記】着席人数は従来の40人から75人に。
待合ラウンジと仕切がない同じ空間内には、秋田市観光案内所と「おみやげ処こまち苑【31日追記・トピコ内から移転】」も。観光案内所は、改札口から少し離れてしまったのと、上記の通り看板が目立たなくて、前より分かりにくくなってしまったかもしれない。
【4月27日追記】新しい待合室内には、飲み物の自動販売機はないようだ。旧待合室も仮の待合室でも、JR東日本系列のacureの自販機が2台あったのに、廃止してしまったのだろうか。せっかく広くなってゆっくり滞在する人も増えたのだから、置けばいいのに…

その西が、関根屋による「駅そば しらかみ庵」。駅ビル内を除いて唯一の食べ物屋であり、秋田ならではのメニューもあるせいか、なかなかにぎわっている。

さらに西が、1つの部屋に集約されたコインロッカー。
その前の自由通路に面して、以前は向かい側(移転後のびゅうプラザ前)にあった、飲料のタッチパネル式の次世代自動販売機が移設(上記の通り、壁を凹ませて収納)。

そこに数段の下りる階段と動く歩道。この部分は、南向きの窓など以前のまま。
階段の下は、窓がなくなり、全面改築された立体駐車場(店舗も含めて4月1日オープン)とつながった。
階段の上から。右面の駅ビルトピコ出入口周辺も、若干リニューアル
【31日追記】トピコ内出入口周辺の店舗もリニューアルされ、日本酒の立ち飲みなどがオープン。
反対の西側から工事前

工事後
以前は大きな窓から外光が入っていたが、それがほぼなくなることになる。
階段の上と同じような木質の壁面となったが、色合いは異なり、こちらのほうが濃い色。
1階に駅レンタカーが入り、2階はスターバックスコーヒーと立体駐車場連絡口。【31日追記】ここのレンタカーとスタバには、通路に対して垂直な看板がある。

オープン前のためシャッターが下りている立体駐車場連絡口
以前も駐車場出入口はあったが、非常階段のような狭く、バタンと閉まるドアだった。
今度は、ずっと幅が広くなるようだ。ドアはなし?

現在は、スターバックスコーヒーは営業開始前でシャッターが下りているが、シャッターを上げて準備しているところに遭遇できた。
 

奥の階段の上と壁の色が違う
以前は、NEWDAYSと旧びゅうプラザの間に、JR東日本東北総合サービス経営のカフェがあったけど、それはなくなった。その代わりのスタバということか。

立体駐車場の外観などはまた改めて。
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羽後牛島プチリニューアル

2017-03-27 23:59:07 | 秋田の季節・風景
秋田駅のリニューアルがまもなく完成し、昨年末には羽越本線・新屋駅舎の外観を中心としたリニューアルがされていた。その間に位置する、羽越本線・羽後牛島駅について。

現在の羽後牛島駅は、駅としての機能はコンパクト。1面2線の島式ホームの上に、待合室も駅事務室・窓口も集約されている。
新屋駅同様、委託先であるJR東日本東北総合サービス(旧・ジェイアールアトリス)の駅員がいて、窓口で指定席券等も購入可能。タッチパネル式近距離券売機1台設置。早朝・夜間は無人(券売機も使用停止のため、車内または着駅で精算)。

ホームへは、線路の両側を結ぶ自由通路を兼ねた地下道で出入りする。
昔、貨物列車が発着していた名残りで駅の敷地は広いため、地下道の距離はけっこう長い。65メートルらしい。
地下道の自由通路は、秋田市内の他の駅にならって「牛島ウイロード」と命名されている。ウイロードとは、私たちを意味する「We」とWESTとEASTの頭文字が由来ということのようで、羽後牛島駅も両側の出入口を西口、東口としている。卸町・茨島側が西口、仁井田側にあるのが東口。実際に地図で見ると、どちらかと言えば北口と南口のほうが適切かもしれない。

東口は、道路を横断する地下道の階段(もしくは地下鉄駅の小さな下り口)のようなコンクリート製の出入り口があるのに対し、西口のほうは、こんなもの。
羽後牛島駅西口
広いロータリー【28日補足・単なる広場? 写真のように国際タクシーが待機していることがあり、ポスト、電話ボックス、飲料自販機(Suica対応)、なぜか脇にはコイン精米所もある】があり、大きなケヤキとともに、まるで駅舎のような建物が建つ。その建物にはトイレ以外には一般人が利用できるような施設はない。
列車に乗るにしても、反対側と行き来するにしても、この建物の中を通らないといけないという、どこか大げさな構造。

その理由は、元は西口側の建物が羽後牛島駅舎そのものであり、地下道はこの駅舎とホームを結ぶためだけのものだったから。
1992年に地下道を東側へ延伸して、自由通路として開放。その後に(Wikipediaによれば1994年?)、駅事務室が西口からホーム上へ移転して、現在の形になった。
駅事務室移転後現在まで、西口側の建物は、トイレやJR東日本東北総合サービスの「秋田用地管理事務所」として使われている。

東口がアパートの脇から市営住宅の中へ出入りするような構造なのも、後付けだからこうせざるを得なかったのだろう。
羽後牛島は、仁井田の県立秋田南高校の最寄り駅であるが、自由通路供用前は、わざわざ国道13号線の跨線橋で線路を越えて利用していたことになる。改札口からホームまで遠く、戻る形になり、もどかしそう。
1992年から1994年までは、自由通路として利用する人も、改札口を通っていたということなんだろうか。なお、その頃までは自動券売機がなかったという話を聞いたことがある。
【30日補足】時間帯にもよるのかもしれないが、南高校の生徒以外の地元住民の利用者数は東口のほうが多い印象。東口を作って正解だったと言えよう。


前置きが長くなりました。上の羽後牛島駅西口の建物の写真、以前とは若干変わっている。
もうちょっと近くから

(再掲)部分的ですが以前の姿

現在
外観がわずかに変わった。
増築/減築、大規模な色の変更は行われておらず、全体的に以前のイメージのままできれいになった。建物から外へ出入りする風除室部分だけはこげ茶色の木の風合いを活かしたものになり、窓なしアルミサッシのドア(おそらくはめ殺し)だった部分が、ガラス窓になった。風除室に設置されていた、駅名と用地管理事務所の看板は、同じものを建物本体へ移設。

内部も、以前とほぼ同じながら、木材を使ったきれいな内装になった。
風除室

建物内
かつてはここがコンコースで、正面のドアが改札口だったのだろうか。
現在は、ドアを入って左方の階段で地下道へ下りる。向こうが線路・ホームで、手前の車は社員用駐車スペース。
トイレは、何年も前に使った時は、入口は1つで、中で男女別に分かれている古いタイプだったが、現在は、入口から男女に分かれている。トイレの中もリニューアルされたのかもしれない。

新屋駅の工事が行われていた11月末には、この建物で屋根をきれいにする工事が行われていた。
その後、羽後牛島駅へ来ることはなく、3月下旬に久々に来たら、このようになっていた。新屋駅と同時進行でリニューアルが行われたのだろう。

羽後牛島駅リニューアルについてJR東日本秋田支社からの発表もないし、新屋駅ほど工事費用がかかっているようにも見えない。新屋といっしょにやって、費用を抑えようとしたのかしら。
“プチリニューアル”といったところか。(←自分で記述してなんですが、フランス語+英語の異言語の合成が気に入らない。プチトマトも同様。ミニトマトというべきでしょ)
「建物財産標 昭和19年6月」
新屋駅は1920年のこの区間開業時からあったが、羽後牛島駅は1年遅れて開業している。
駅舎は新屋駅は当時のものをずっと使っているが、羽後牛島駅は1944年に建て直されて、それが現在の西側の建物。
羽後牛島駅では、バリアフリー対応とか、持て余している土地を効率化することも必要に思えるけれど、ケヤキの大木とともにたたずむ味のある(元?)駅舎の風景が味わい深い。それがきれいになって気持ちいい。引き続き、大切にしてほしい。


ところで、「羽後+牛島」のように、地名の前に旧国名を冠する駅名は、他地域にある同じ地名と区別する目的。
大久保のように国名なしのものが3駅もあったり、越後湯沢と湯沢のような例もあり、厳密な決まりではない。

では、他に「牛島駅」があるのか。
埼玉県春日部市の東武野田線に「藤の牛島」駅がある。
ただし、旧国鉄ではないし、開業が1930年と羽後牛島より後だから、あまり関連はなさそう。
やはり所在地名が牛島で、「牛島の藤」というフジの巨木があり、それにちなんだ駅名とのこと。

徳島県吉野川市のJR四国徳島線には「牛島」駅。こちらは「うしのしま」と読む。
1899年に私鉄の「牛ノ島」駅として開業、1907年に国有化され、その後「牛島」表記になったので、国鉄駅として羽後牛島より先輩。
表記が重ならないよう、後からできたほうに羽後を付けたことになる。
四国の牛島駅は、無人駅ながら駅舎はあったものの、ちょうど1年前に取り壊され、今は小さな待合室だけの駅舎になったそうだ。

※この後、2019年春に羽後牛島駅の前を通る新しい市道が開通。駅の建物への影響はないが、先立ってケヤキが伐られ、周辺の構造物の配置や車の動線が変わった。こちらにて
コメント (8)
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WaterCrown→明日はきっと

2017-03-26 23:52:23 | 秋田のいろいろ
秋田新幹線開業20周年の続き。
20周年の3月22日から、秋田駅の列車が発車する時にホームで流れる音楽「発車メロディー」が新しくなった。
これまでは、JR東日本全域で使われる標準曲のうちの1つ、東洋メディアリンクス社製「Water Crown」という曲。
新しいメロディーは、秋田県横手市出身のシンガーソングライター高橋優さんの「明日はきっといい日になる」のサビの部分。発車メロディー用編曲は秋田在住のシンガーソングライター渡部絢也さん。

秋田駅の店舗リニューアルや支社ビル改築、その他民間施設の新築計画など、JR東日本秋田支社が主導する活性化プロジェクトは「NORTHERN STATION GATE AKITA」と名付けられ、そのキャッチコピーが「秋田はきっといい日になる」となり、それとコラボレーションした形。

発車メロディーの導入は、鉄道会社ごと、あるいは東日本エリアでは支社ごとに方針が違う。秋田支社は長らく秋田駅にしか導入していなかったが、近年は地元ゆかりの曲をアレンジしたメロディーを導入する駅が増えていた。2004年の弘前駅(青森県だが秋田支社管轄)の「津軽じょんがら節」が皮切りで、大館、横手、大曲にも導入。


秋田駅の新メロディーを実際に聞くと、思ったより若干テンポが早く、ちょっと短いようにも感じた(後述)けれど、いいと思う。2月22日付秋田魁新報によれば演奏時間は「11秒間」。これまで同様、方面や新幹線/在来線等でアレンジを区別することなく、全ホームで共通のメロディー。
現時点では一定の知名度がある曲なので、よそから来た人にも曲名は分かってもらえるだろう。ただ、10年後、20年後どうなっているのか。
それに全国どこの駅のご当地メロディでも同じこと(後述)だけど、曲名が分かったとしても、どうしてこれが秋田駅で採用されたのか、理由を分かってもらいにくいことだろう。
あと、ダイハツのテレビCM曲でもあるので、ある意味ライバル企業とかぶっている点は、ちょっと引っかかる。それが曲の認知度向上につながっているわけでもあるけれど。


さて、今までのメロディー「Water Crown」。「ドソドミラソ ドシラソファミレ(以下略)」という曲は、JR東日本の特に在来線を利用したことがある人のほとんどが耳にしている。
音程またはテンポ違い版、最後のトレモロがない版、前半部分だけのエンドレス版などのバリエーションも存在し、複数あるJR東日本標準曲の中で、いちばん多く使われているらしい。

Water Crownが最初に導入されたのは、山手線の目黒駅。1990年台後半【1990年頃かららしい】のはず。現在も使用されているが、山手線内では目黒だけ。
当時はネット黎明期で、発車メロディーをまとめた個人のホームページや掲示板は存在したが、現在と比べると情報量が少なく、「Water Crown」という曲名も公にされていなかった(あるいは製作側で命名していなかったのかも?)。ネット上では、愛好家たちによって通称として「目黒のメロディー」と呼ばれていたかと思う。

秋田駅にWater Crownが導入されたのはいつだったのか、明確な記憶もネット上の記録もないが、1997年3月の現駅舎供用・秋田新幹線開業時だろうか
ただ、駅舎改築時には在来線ホーム部分にはあまり手が入っていないし、1997年3月以前からWater Crownが流れていたような記憶がしなくもない(ものすごくあいまいな記憶)
いずれにしても、秋田駅のWater Crownは、かなり早期の導入だったはず。後に多くの駅で導入される盛岡支社など他支社の地方駅よりも先で、もしかしたら目黒の次くらいだったのではないだろうか。
【6月12日追記】YouTubeの動画によれば、1994年3月撮影だという秋田駅で、Water Crownが流れていた(2回繰り返し)。ということは、秋田も目黒も思っていたより少し早い時期から導入されていたようだ。
【12月10日追記】コメント欄の通り、盛岡駅では1993年から、目黒駅では1990年頃から使っていたらしい。

そして、いつの間にか、通称「目黒のメロディー」は「Water Crown」という曲名が認知されていく。
今回、東洋メディアリンクスのホームページを見たところ、サウンド制作例>発車メロディ(http://www.tmlg.co.jp/services/sound.php#sec02)として4曲が示され、聞くこともできる。製作元だけあって、きれいな音質。
そこにも「Water Crown」と記載されていて、正式名称であることが分かる。導入駅名は首都圏の一部駅だけで、秋田駅など地方には触れていない。
メロディー変更を伝えた2月22日付秋田魁新報でも、これまでは「標準曲「ウォータークラウン」」だったとしている。一般紙にしてはマニアック。
Wikipediaによれば、今は横浜線の駅の多くで流れるため「横浜線洗脳メロディー」と呼ぶ人もいるとか。


音程の違いは知識がなくて判別できないが、秋田駅のWater Crownは、省略部分などがない、標準もしくは標準にきわめて近いバージョンだった。
首都圏の駅では、車掌がメロディーのON/OFFスイッチを操作するので、終わりまで鳴らないことが多いが、秋田駅ではフルで流れていた。さらに導入最初期は、2回繰り返して流れていたはず
また、自動放送が更新された2015年春までは、ホームによって(もしくは列車ごとに?)終わりの余韻の長さが異なっていたらしい。

【5月15日追記】列車がホームに入る前の「まもなく○番線に~」の放送の前のチャイムは、変更なし。ちなみに、Water Crown導入当初は、このチャイムは別の音で、後に今の音になったはず。
※その後、秋田では違う形でWater Crownを聞く機会ができた


ところで、先日、東京から熱海まで、東海道本線の普通列車で移動した。(「上野東京ライン」となってから初乗車。上野方面から乗ってきた客は、新橋や品川で降りる人が多かった)

このうち神奈川県内でも、オリジナル発車メロディーが増えていた。横浜支社の方針なんだろう。
川崎駅では、すぐに止められたせいかもしれないが、オリジナルなのは分かったが曲名が分からなかった。調べたら「上を向いて歩こう」。2016年末導入。
横浜、大船を過ぎて辻堂駅では、同じく2016年末から「浜辺の歌」。
次の茅ケ崎駅は、サザンオールスターズの曲であることは知っていた。「勝手にシンドバッド」辺りかと思ったら、知らない曲。「希望の轍」だそう。
平塚駅は「たなばたさま」、二宮駅は「朧月夜」、そして小田原駅は「お猿のかごや」。

以上の各駅。サザンの茅ケ崎は別として、なぜこの駅がこの曲なのか、理由が分かりにくい。僕も、小田原と平塚以外は想像できなかった。「浜辺の歌」は秋田出身の成田為三の作曲だけど、なんで辻堂? 以下、答え。
川崎「上を向いて歩こう」
 歌った坂本九さんの出身地であるため。導入日は誕生日。
辻堂「浜辺の歌」
 作詞者・林古渓が、辻堂東海岸を思い浮かべて作詞したことから。導入は駅開業100周年記念。
平塚「たなばたさま」
 「湘南ひらつか七夕まつり」にちなむ(仙台の次くらいに著名な七夕まつり)。
二宮「朧月夜」
 吾妻山公園の早咲きの菜の花にちなむ。
小田原「お猿のかごや」 ※JR東日本管轄の在来線ホームのみ。
 歌詞に「小田原提灯ぶらさげて」とあることから。作詞者・山上武夫は、「もし我家に小田原提灯がなかったらこの歌は生まれていなかった」と回想するほど、欠かせないアイテムだったようだ。

「お猿のかごや」は「エッサ エッサ」の歌い出しは知っていても、中盤の「小田原提灯」まで知っている人はどれくらいいるかな。
僕は、20年前(1995~2005)のNHK教育テレビ「ハッチポッチステーション」で、グッチ裕三扮するマヒナ~ならぬ「ヒマナスターズ」が、「愛して愛して愛しちゃったのよ」を歌うと見せかけて「お猿のかごや」を歌うものがあり、それで全部の歌詞を知った。

小田原駅では車掌がOFFするのでなく、秋田駅などのように必ずフルで流れるらしい。しかもあまり端折らずに15秒程度かけて「ホーイ ホイホイ ホイサッサ」の終わりまできっちりと発車メロディー化(複数バージョンあり)されており、長く感じるとともに、聞いていてちょっと恥ずかしくなってしまった。
秋田駅の新メロディーくらいがちょうどいいかも。


ついでに、JR東海・東海道新幹線の車内放送のチャイム。
東海道山陽新幹線では、車両の所有会社によってチャイムが違う。それぞれに、始発・終着駅用の長いのと、途中駅用の短いのがある。
JR西日本所属車は、「いい日旅立ち」。正確には2003年の鬼束ちひろの「いい日旅立ち・西へ」。
一方、JR東海の車両の曲は、今となっては知らない人が多いかもしれない。
2003年のTOKIOの「AMBITIOUS JAPAN!」という曲。当時は、新幹線の車体側面に「AMBITIOUS JAPAN!」のロゴを入れて大々的なキャンペーンが展開されたものだが、15年近く経った今、覚えている人がどれくらいいるか。
途中駅用では、サビの「Be ambitious!」部分だけ、「トン トン トン ト トーン」のわずか5音。何の曲かの手がかりさえ、つかめないかもしれない。短すぎるのも考えもの。→その後、2023年に別の曲に代わった
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こまち20周年

2017-03-22 23:53:25 | 昔のこと
以前から触れているように、今年3月22日で、秋田新幹線「こまち」は1997年の開業から20年を迎えた。秋田駅の駅舎(自由通路も含む)も同年3月16日に新しくなったので、20年。
2年前の記事でも、1997年3月22日のことを取り上げました。
2004年7月撮影。秋田駅を出るE3系
↑手前は現在駐車場の部分。まだ整備中で線路が残っている。
線路向こう・西側の風景は開業時とあまり変わっていないはず。左端にわずかに非常階段が写っている茶色い建物は2004年にできたホテルアルファーワン。開業時はミスドが入る鎌田会館だった。

開業した1997年はどんな年かと言えば、 ※1997年の出来事を列挙するので、3月22日以降に発生したものもあります。
・秋田市が中核市に
・秋田ケーブルテレビ開局
・秋田市(秋田県としても初)にローソン進出(関連記事
・イオン秋田ショッピングセンター(現・イオンモール秋田)に青森の百貨店「中三」進出(2008年撤退)
・秋田フォーラスにタワーレコード進出(現在フォーラスはOPAへ改装中。改装後のタワレコの営業継続は不明【改装後も営業し、2023年閉店】)
・大館樹海ドームオープン
・秋田市に商業施設サン・パティオ大町オープン。その隣接地で地ビール「あくらビール」醸造開始
など、街の元気さを感じさせるような話題が多かった。まだそんな時代だったのか…
なお、日赤病院の郊外移転や通町の再開発(通町橋架け替え)は、翌1998年。

秋田以外では、世界ではイギリスから中国への香港返還、クローン羊“ドリー”の発表(誕生は前年)、ダイアナ妃事故死。国内では消費税率の3%から5%への引き上げ、フジテレビの台場への移転があり、カヌレに続いてベルギーワッフルがブームになり、NHKの連続テレビ小説では個人的にはベスト作品である「あぐり」(年度前半)が放送されていた。
【27日追記】インターネットが徐々に広まった頃でもあった。前年のYahoo! JAPANに続き、楽天市場や我らがgoo(ブログはまだ)がサービスを開始。当時はネットで買い物なんて信じられなかったから、僕は楽天は存在すら知らなかったかもしれない。gooはロボット型検索エンジン(当時のYahooはディレクトリ型)の目新しさと日本企業の提供という信頼感から、けっこう使っていた。

色あせてしまったけれど、350ml缶
当時は500mlなど小容量のPETボトルは解禁(1996年?)されて間もない頃で、飲みきりサイズの飲料は、まだ缶入りが主流。缶飲料では、地域ごとのイベントなどの特別デザインのものが発売されることがあった。【26日補足・現在でも缶ビールではけっこうやっている】
1994年に「茶流彩彩」シリーズの1つとして発売され、ヒットした日本コカ・コーラ「爽健美茶」では、秋田新幹線開業を祝うデザインの缶が売られていた。おそらく1996年頃。
E3系がデザインされているが、鼻先の形状からして量産先行車・R1編成
なお、爽健美茶は1997年に500mlPETボトルが登場し、1999年に茶流彩彩から独立して現在に至る。


開業日前後、僕は大学の春休み終盤で、まだ秋田にいた。
それ以前に試運転列車を見に行って「ついに秋田に新幹線が来たか」と感慨にふけったり、知人の見送りの名目で、先立って供用された新駅舎の在来線側改札内に入ったりした。
開業日当日は、テレビで見た程度。2年前の記事でも取り上げた沿線でのナマハゲによる歓迎のほか、秋田駅ホームでの出発式の記憶がある。その出発式のテープカットでは、ミッキーマウスがなぜかいたのと、石川錬治郎秋田市長(当時)がなぜか羽織袴姿(上が茶色、下がベージュ色)だったのが、強烈。
テープカットには、佐々木喜久治秋田県知事(当時)もいたはずで、佐々木氏は秋田新幹線の開業に尽力したはずなのに、それより市長が目立ってしまっていた。佐々木氏は、秋田県庁の食糧費問題の責任を取って、この直後の1997年3月31日で知事を辞任した。だから控えめだったのかな。
テープカットは、始発の6時12分発「こまち10号」だったようだ。
先日、始発こまちに乗った時は、天候が良くなく、日の出は過ぎたのに、完全に明るくなってはいなかったが、20年前は充分に明るくなっていた記憶。
この日の天気は「曇時々雨後晴」。雨は9時頃に降って、朝は曇りだった。最低気温0.4度、最高気温9.3度と、ほぼ平年並み。


上記の通り、消費税率が5%になったのも1997年で、4月1日。
秋田新幹線が開業して10日後に、運賃・料金が値上げされたことになる。
ちなみに、僕は4月1日に弘前へ帰ったのだが、乗車券の増税分をケチって、前日のうちに3%の税率で購入しておいた。

弘前では、地元の人に「秋田は新幹線ができたんだよね。いいね」とうらやましがられた。
当時は、東北新幹線・盛岡-八戸は2002年開業に向けてフル規格で工事が進んでいたのだろうが、八戸-青森については、秋田同様のミニ新幹線方式で開業する計画だったようだ。
翌1998年に青森(新青森)までフル規格とすることに転換し、2010年に開業にこぎつけた。その結果、弘前-東京は乗り換えが必要ではあるが、秋田-東京と時間的にはほぼ変わりなくなってしまっている。
【4月4日追記】忘れていたけれど、2002年までは東北新幹線は盛岡止まりだったから、こまちの連結相手(当時は「やまびこ」)も当然盛岡発着だった。当初は、盛岡-仙台が各駅停車の「やまびこ」と仙台駅で分割併合を行うこまちもあった。


その後、20年の変化は、
列車は、当初の5両編成に1両増結して6両化(1998年=5両だったのは短期間)、全席指定席化(2002年・東北新幹線八戸開業時)、全車禁煙(2007年)、そしてE3系からE6系への交代(2014年)等々。
駅舎は、自動改札導入(新幹線1999年、在来線2006年)、自由通路の西側への延伸(ぽぽろーどとして2000年。それまでは駅前交番のところで終わっていた)、東側に続く拠点センターアルヴェの落成(2004年)、そして現在進行中の店舗と駐車場のリニューアルなど、いろいろな変化があった。
でも、大勢としてはあまり変わっていないような気もする。もう20年も経ってしまったのかという感じ。

こまちの延べ利用者数は、2001年9月16日に1千万人、2006年3月11日に2千万人、2010年8月15日に3千万人、2015年6月12日に4千万人。


ところで、かつて「こまち」でこんなサービスがあったのをご存知でしょうか。
これがタダでもらえた
うろ覚えだけど、上り朝イチ(2号?)とその次の臨時列車(4号?)の指定席を(秋田と大曲から?)利用した乗客に、おにぎりを配っていた時期があった。
写真は2001年11月に利用した時のもので、横にある紙パック200ml【28日補足・250mlかな?】の「おーいお茶」ももらったものだろうか?
シールに「こまちモーニングセット」とあるので、そういうサービス名だったのか。その下の「おはよう東京フリーきっぷ こまち朝割」は朝の列車限定で安くなるきっぷの商品名だが、そのきっぷ以外でも、指定席の全乗客がもらうことができた。この時は「三連休パス(当時は指定席が4回まで追加料金なしで利用できた)」で乗車してもらったはず。

おにぎりは車内販売でおなじみの日本レストランエンタプライズ(NRE。旧・日本食堂)秋田営業支店製で、配るのもNREの車内販売の人だった。
NREは駅弁のほか、スーパーなどで発売する個包装のおにぎりも製造していて、当時はダイエーでも売っていた。

これは漬け物(かっぱ漬=キュウリなど)付き、海苔直巻きおにぎり2個。おにぎりはコンビニおにぎり並みの形状・サイズで、中身は鮭フレークと梅干しかつお。
「あきたこまち減農薬特別栽培米使用」とあり、実際、とてもおいしかった記憶がある。

「おはよう東京フリーきっぷ」は2001年夏頃に発売が始まり、そのキャンペーンとしてモーニングセットをプレゼントする「トクだ値キャンペーン」が行われたようだ。同年初冬までは行われていたことになるが、いつまで行われたのかは不明。【2017年4月13日追記】2002年の全席指定席化時までかもしれない。


時を戻して今日22日には、秋田駅ホームで20周年記念セレモニーが挙行された。【24日補足】「記念出発式」という名称で、9時12分の14号出発時に実施。
20年前の1番列車(10号)の運転士と車掌が当時の制服を着用して、現在の運転士と車掌へ花束を贈呈。【24日補足】元運転士は土田さん(70)、元車掌は笹本さん(75)。笹本車掌は名物車掌で、「あけぼの」の時にも報道で取り上げられていた。
テープカットではなくくす玉を割って、列車を見送った。
司会は2016年春に秋田テレビアナウンサーを退職した、後藤美菜子さんだった。今はフリーアナウンサーになったようで、秋田テレビの情報番組にもたまに出演しているそうだ。

ほかに、記念入場券セットの発売もされ、盛岡駅での模様がIBC岩手放送のニュースになっていた。IBCでは、20年前の開業時の映像も流れ、袴の錬治郎氏も映った。秋田にはTBS系列局がなく、当時はIBCが秋田市に支局を置いて取材していた(関連記事)が、秋田新幹線開業についてもしっかり取材して映像を保存していることになる。

そして、22日から、秋田駅ホームの発車メロディーが新しくなった
さらに、この春で国鉄分割民営化・JR発足から30年となる。20年前は10周年だったわけだが、こまち開業に気を取られたのか、その意識はなかったかもしれない。
【30日追記】「ノスタルジックビュートレイン」に代わって「リゾートしらかみ」の運行が始まったのも、秋田新幹線開業時。てっきり、同日の3月22日だと思い込んでいたが、リゾートしらかみは4月1日運行開始とのこと。
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始発こまちの旅

2017-03-20 23:39:14 | 旅行記
先週後半、秋田新幹線で東京へ。秋田新幹線は22日で開業20年
上りの始発列車である、秋田6時08分発「こまち6号」を利用。
「Treasureland TOHOKU-JAPAN」は1年前から掲出されている訪日外国人向け観光ロゴマーク
空が明るくなり始めた【21日補足・日の出の時刻を過ぎてはいる】ものの、小雨の秋田市。

秋田市郊外の田んぼでは積雪は消えて地面が見えていたが、内陸部へ入ると、田んぼはまだ雪に覆われていた。
大曲-角館間
その田んぼは、全体に霞んでいた。
雪が降っているかと思ったがそうではなく、田んぼから霧が出ているらしく、雪融け時期によく見られる現象だそう。
角館手前の桧木内川付近。向こうの山のてっぺん部分に霧がかかっている

田沢湖を過ぎると、霧は晴れた。田んぼがなくなったせい?
国道46号線沿い
低い山の斜面では、木々の根本部分から円形に雪が融ける“雪根開き(関連記事)”により、ぽつぽつと地面が見える。
当ブログ定番の地点。路面も雪はなし(2010年2月

車窓からも春が近いことが分かるなと思いながら、岩手県境にさしかかると、
新しく雪が積もっている!
クリスマスツリーのように、木々は真っ白。冬景色になった。

盛岡市が近づくとさすがに雪は減ったものの、以降、岩手、宮城、福島とほぼずっと雪がうっすらと積もっていた。仙台も雪が降っていた。
那須塩原でやっと雪がなくなった。

この上りこまちの始発は、角館、田沢湖、上野を通過する速達列車。
過去のダイヤで2号だった頃からそう(初期は大宮も通過していたはず【21日追記】2009年春までは通過)で、TBS「さんまのSUPERからくりTV(2014年終了)」の替え歌選手権コーナーにおいて、狩人の2人の仲が悪いことを題材にした「あずさ2号」の替え歌、「こまち2号」で「♪6時2分の『こまち2号』は あなたが住んでる最寄り駅 通過します」と歌われた。

僕はこれまで、この始発こまちに乗ったことは、20年間で1~2度しかない。避けていた。
理由は、そこまで早起きして急ぐ旅ではなかったこともあるが、始発かつ速達列車ということで、利用者が多く、混雑するイメージがあったから。
続行して運行される臨時列車(最近はあまり設定されないが、かつては週末などによく走っていた)に、あえて乗ったこともあった。
一方で、利用が多くなさそうな時間帯の列車利用を条件に、料金が安いパックツアーでは、この始発列車も対象とされており、実はさほど混まないのかもと思っていた。

今回は、平日ということもあったのか、混雑していなかった。2人掛けの2席とも空席という座席がちらほら。
大曲で乗って盛岡で降りる人はやや多い印象を受けたが、秋田や大曲から乗って仙台で降りる人はあまり多くなかった。
また、他の時間帯のこまちでは秋田-仙台間よりも、仙台-東京の間だけで利用するビジネスマンのほうが多くて同区間で混雑する傾向もあるが、今回は仙台駅から乗りこんでくる人もほとんどいなかった。
これらは、仙台着8時15分なので、秋田から仙台へ用足しに行く人には若干早すぎ、東京着9時47分では、仙台から東京へ朝イチで向かう人には、若干遅いということなのかもしれない。結果的に秋田から東京へ行く人向けの列車になっているようだ(だから三連休などの初日は混雑しそう)。


車掌は盛岡新幹線運輸区の担当(少なくとも盛岡まで。盛岡以降は不明)。
特急「たざわ」時代から、盛岡の車掌が乗務することはあったが、始発がそうだとは知らなかった。
上記のような天候だったため、盛岡駅では恒例の「車体(の足回り)に付いた雪を落とす作業」が行われ、停車中の床下でゴンゴンと音がした。それにより1分遅れで発車するも、仙台までに回復。

車内販売のスジャータのアイスクリームが、いつの間にか260円から280円に値上がりしていた。市中店舗のハーゲンダッツなんかも同じくらい上がっているから、仕方ないね。【21日追記】過去の記事や記録を見たら、2013年9月では260円、2014年8月の時点で270円に値上がり、昨2016年5月の時点で既に280円になっていた。

E6系普通車の座席前のテーブルは、耐重量が5キロと表示されている。今回、東海道新幹線のN700系にも乗ったのだけど、そちらは10キロとなっていた。
両者のテーブルの見た目は、さほど違わないけれど、そう言われてみれば、N700系のほうが頑丈そうに見えなくもないけど、倍も違うようには見えない。


今回は、東京でちょっとした用があったのだけど、相変わらず人が多くてウンザリ。以前よりも人が増えたような気がしなくもない。参った。
東京の話題はアップしませんが、東京から足を伸ばした先について、続きます
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投票用紙発送/カンパニラ

2017-03-16 19:43:57 | 秋田のいろいろ
4月9日投票の秋田県知事選挙を控え、3月10日に、秋田県庁から各市町村向けに投票用紙が発足されたことが、各マスコミで報道された。
国や県単位で選挙が行われる際は、毎回、これが報道されている気がする。それより前の時期には、県選挙管理委員会の執務室内に予定表が掲出されること、県警に選挙違反取締本部が設けられることとともに、選挙前定番の風景。
県に言われるままに、各マスコミが取材して報道しているんだろう。特に予定表張り出しなんて、あえて報道する必要があるのだろうか…

この投票用紙発送は、発売前の年賀はがきが秋田中央郵便局に到着した光景(これも定番)に似ているけれど、作業としては逆方向。
どこかで印刷して納品された投票用紙を、運送会社のトラックを使って各地へ運ぶ作業。報道では、秋田市の県庁第二庁舎において、県職員と運送会社社員が、バケツリレー方式で投票用紙の箱をトラックへ積み込んだ後、選管の書記長(選管の事務方トップをこう呼ぶらしい)があいさつ。最後は県職員が同乗したトラックが出発するのを、残りの職員が見送るというのがお決まりのパターン。
今回は、111箱が「ひっこし専門秋田センター」など4台で運ばれたとのことだが、前回以前の映像を使い回されたとしても、気づかないだろう。
ただ、今回は、第二庁舎の裏側、山王第一街区公園側から道路へ出ていたのが目新しく見えた。以前は、正面の山王大通りから出ていたのでは?


以前から気になっていたのだが、この時にトラックで運ばれる先は、実は、秋田県内のすべての市町村(25自治体)宛てではないようだ。
そこで、今回の報道から、情報を集めてみた。
※各テレビ局のタイトルは各局ホームページ掲載のもので、画面表示とは異なる局もあり。

秋田魁新報 11日付総合・3面「市町村向け投票用紙 県選管、95万枚発送」
「県内の市町村に発送した。」

NHK秋田「知事選投票用紙を各市町村に発送」
「県庁から各市町村に発送されました。」「投票用紙は10日中に県内すべての市町村の選挙管理委員会に届くことになっています。」

魁やNHKでは、報道されたトラックの“出荷”において、25すべての市町村向けの投票用紙が送られたようにも受け取れる。しかし…

秋田放送「知事選の投票用紙 市町村へ発送」
「今日中に県内すべての市町村に届けられる予定です」
「21の市町村の選挙管理委員会に対してはトラックで運ばれ、五城目町・八郎潟町・井川町・大潟村の選挙管理委員会には今日、県庁で直接渡されます。」

秋田テレビ「知事選投票用紙を各市町村に発送」
「南秋地区の4つの町と村を除く21市町村に発送されました」
テロップで「五城目町・八郎潟町・井川町・大潟村は県庁で交付」

秋田朝日放送「知事選の投票用紙を市町村選管に発送」
「きょう発送されたのは、県庁で交付される南秋田郡の4町村分を除く21市町村分の知事選の投票用紙」
「地域振興局や各市町村の選管に搬送されました。」

民放3局はそろって、実はトラックで運ばれたのは21市町村分であることを伝えている。
残りの4町村は県庁で渡す、つまり各町村のほうから、受け取りに来るらしい。

さらに、21市町村はそれぞれの役場へ届けられたのかと思いきや、秋田朝日放送の「地域振興局や各市町村の選管に搬送」というフレーズからすれば、そうではない。「地域振興局」とは、県庁の県内各エリアの拠点となる出先機関だから。
ということは、21のうち一部の市町村は、それぞれの管轄の地域振興局へ出向いて受け取ることになっているのだろうか。
なお、NHKでは、全市町村ではない21という数すら言わなかったものの、積み込み作業をする職員が「仙北地域振興局行き10箱です」と確認している声が拾われていた。(10箱中に、各市町村向けのものが小分けされて入っているのだろうか?)

南秋田郡4町村に関しては、具体的な受け渡し場所は分からないが、もしかしたら選管事務局ではなく、県庁裏の秋田地域振興局なのかもしれない。


以上からすれば、さらに疑問が生じる。
南秋田郡と同一視される男鹿市や潟上市は、トラックで運んでもらえたことになる。さらに県庁の真向かいである秋田市役所にも、わざわざトラックで運ばれたことになる。
この違いは何なんだろう?
「市」あるいは一定の枚数になる自治体には、県側が運んでやって、「町村」あるいは一定枚数以下のところには、各地域振興局で交付するという決まりになっているのだろうか。


あと、今回の作業に当たった県職員は「23人」であることを、秋田放送を除く各マスコミが伝えている。また、民放3局では、県職員は「県選挙管理委員会の職員」としている。
それが当然のことと思ったが、魁では、「県選管と県市町村課の職員23人が」としていた。選管以外からも応援(?)要員が出ていたのだった。厳密に言えば、民放3局は事実を伝えていない。【10月20日追記・この点については誤解があった。県選管は市町村課の中に置かれているのだった。下のリンク先の次の選挙の記事参照。】
NHKは「県の担当者が」と、うまくぼやかしている。

こんなことを揃いも揃ってニュースとして取り上げること自体、疑問というかニュース性は低いと思うけれど、どうせ報道するのなら、もうちょっと詳しく、そして見た人に疑問を生じさせないような表現をしてほしい。

この次の選挙の状況



もう1つ。
10日の秋田放送のテレビニュースで「カンパニラ 収穫盛んに」というのがあった。
羽後町で、花束などに用いられれるカンパニラという花の収穫が行われているという話題。
ABSホームページより
「カンパニラ」なんて聞き慣れない名前だけど、要は「カンパニュラ」のこと(こっちも聞き慣れないけど)。
キキョウ科ホタルブクロ属の花で、学名の「Campanula」が由来だが、植物学的な説明は報道では触れていない。

Googleで検索すると「"カンパニュラ"」は約44万7000件、「"カンパニラ"」は約4020件。JAうごでも「カンパニュラ」表記を使っているようだ。
ABSがあえてマイナーな表記を選んだ理由があるのだろうか。
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2か所に押ボタン式歩車分離

2017-03-14 22:54:26 | 秋田のいろいろ
1年前、押しボタン式歩車分離式信号が秋田市内に登場した。

歩車分離式信号は、歩行者用と車両用の青信号のタイミングを分けて(多くの場合はすべての歩行者用が同時に青になり、その間車両用はすべて赤)横断事故をなくすもの。警察庁が各都道府県警察にノルマを課していることもあり、秋田県を含む全国各地で増えている。
押しボタン式歩車分離は、おなじみの押しボタン式信号と同じく、横断者がボタンを押した時だけ、歩行者用が青になるもの。ボタンが押されない限り、歩行者用は青になることはなく、永久に横断できない。

歩車分離式信号では、相対的に車両も歩行者も赤信号の時間が長くなり、待ち時間が長くなってしまう。住宅地などの交差点では、昼間や夜間など歩行者がきわめて少ないタイミングでも、全部の車両が待たされることもあり、渋滞につながりかねないという、問題があった。
それに押しボタン式を追加すれば、歩車分離式の安全性を保ちつつ、スムーズな通行が可能になるという理屈。

秋田市内では、1年前の秋田駅東側の市立東小学校前の小さな十字路が、おそらく初かつ唯一。
長野県警では、押しボタン式歩車分離を積極的に導入しており、善光寺の近くなど車両も歩行者も多い市街地でも見かけた。
歩行者にボタンを押させる行為を強いることになり、体の不自由な人、旅行客など知らない人にとっては、下手すれば横断できない事態になりかねないのは、問題。


このほど、秋田市中央部に押しボタン式歩車分離信号の交差点が、新たに2つ登場した。
いずれも既存の交差点を改良したもので、おそらく今週初め辺りから、押しボタンが稼働している。
どちらも秋田お得意の“無名交差点”なので表現しづらいけれど、1つは保戸野原の町・保戸野すわ町の秋田大学附属学校南東角の神田線が曲がる交差点、もう1つは楢山南新町下丁の愛宕下橋北詰の交差点。以下、前者を保戸野、後者を愛宕下橋と表記します。
この2つはどちらも小学校近くの通学路であるほか、東小前と比べて車の交通量が多い道路であり、かつ変則的な形状(Y字路)の交差点。交差点形状から、信号誤認による見切り発車・横断、見通しの悪さや角度が緩くて減速不十分で右左折するなど、危険性は高いかもしれない。

保戸野の交差点を北側から。左奥が千秋トンネル方向
これまでの保戸野では、電力の柱に間借りして信号を取り付けていた箇所もあったが、それだと押しボタンの位置がおかしくなってしまうので、新たに信号専用の柱が立てられ、移設された信号機もある。上の写真は工事途中なので、立てられたばかりで移設前の信号柱が数本写っている。

保戸野は、30年ほど前にできてからしばらくは普通の丁字路(角度はおかしいけど)交差点だったが、何年か前に押しボタンでない歩車分離式化されていて、今回、それにボタンが追加された。したがって、
[押しボタンが押された時]従来と同じ、3段階の動作。
[押しボタンが押されなかった時]歩行者用の青の時間分を飛ばして、次の段階の車両用の青に。
歩行者がいない時は、2段階の動作を繰り返すことになり、1段階スキップする分、車の流れがスムーズになると思われる。

実は、この交差点は、100メートルほど東に十字路交差点(菊谷小路との交差点。上の写真左奥)がある。両交差点の動作は連動しておらず、赤信号が長くなった歩車分離化されてから現在までは、タイミングによってはその100メートルの間(保戸野郵便局前)で車がつっかえることがあった。
さらに、黄~赤信号で強引に右左折してこの区間に突っこんでくる不届きな運転者もおり、横断歩行者を妨害する場面にも、何度も遭遇している。
近くに学校も多く、高齢者も多い。変形交差点なのでやや危険度も高い気がしていた。

第一には運転者の意識の問題だが、押しボタン化によって、100メートル区間の渋滞が緩和されることに期待したい。
あと直接の関係ないが、この交差点の南東側(上の写真正面奥から左)は歩道がとても狭く、地域から道路管理者の県に対して、拡幅の要望が出ていたらしい。それがかなって、数年のうちに歩道の拡張が行われるようだ。今年度、測量が行われている。※その後の変化


愛宕下橋は、2010年に道路が新規開通してできた交差点。これまでは歩車分離式ではなく、一部の車両用信号機は青信号にならなず矢印信号だけで進行を指示する特殊な方式で、それに合わせて歩行者用も作動していた。横断歩道は3本あるが、それぞれ別のタイミングで青になる。
歩車分離化後も、車両用の動作順は変わらず、引き続き青信号にならないものがある。
[押しボタンが押された時]車両用は従来の3段階。それに全歩行者用青・全車両用赤の段階が追加。
[押しボタンが押されなかった時]車両用は従来と同じ3段階の繰り返し。
横断歩行者がいる時は、車両の待ち時間が増えることになる。横断歩行者としては、1度でどの方向へも渡れるようになる。(これは一般的な歩車分離式のデメリットとメリット)押しボタン式でない歩車分離式にするほどの歩行者はいなさそうだから、押しボタン式にしたのか。

【19日補足】一般に押しボタン式歩車分離信号では、ボタンが押されて直ちに信号が変わるのではなく、信号が変わる順番(サイクル)の中の特定の位置になるまで経過してから、歩行者用が青になるので、歩行者はある程度待たされることが多い。この2か所も同様(=保戸野は従来と同じ待ち時間)のはず。
愛宕下橋
どちらの交差点にも、同じデザインの告知看板が立てられた。
漢字が多く、子どもは分かるだろうか。近くの学校で指導はするのかもしれないけれど。
ちなみに押しボタン式は、触れるだけで反応するタッチ式

まもなく新年度。新入生や土地に不慣れな運転者・歩行者が増える時期。
歩行者も運転者も、安全には充分に配慮し、ルールを守って余裕を持った通行を心がけましょう。
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EV-E801系乗車

2017-03-13 20:47:38 | 秋田のいろいろ
3月4日からJR東日本・男鹿線で運転を開始した、蓄電池式電車EV-E801系。※車内などの様子
4日から3~4日ほどは車掌が乗務していたようだが、その後はワンマン運転が行われているようだ。ただし、トラブルに備えてか、現段階では乗務員が複数名乗るのが基本のようだ。

遅ればせながら、秋田から土崎まで1駅だけ乗ってみた。

正面の行き先表示は、展示会時と同じ路線・愛称名に加え、「ワンマン 男鹿」が交互に表示。
なお、運行開始間もない頃に、走行中のところを見たら「普通 男鹿」の固定表示だった。

側面表示は、展示会時とは「男鹿線」の位置が異なり、愛称といっしょに枠の中。

正面にはヘッドマークが貼られた。
ナマハゲの包丁がEV-E801系
改めて車内。
ドア開閉時は、車内側のドア上部が赤く点滅。
開閉チャイムは、JR東日本では初採用の音らしいとのことで、たしかに耳慣れない音。「ピンポン、ピンポン」と2回鳴るが、1回目と2回目の間の間隔が長い。ドアボタンを押した直後に1回目、ドアが動いている時に2回目といった感じ。
首都圏の電車は、もっとせっかちに3回繰り返すようだ。

展示会の時、「つり革が多めでちょっとうるさい」という印象を受けたと書いた。
今回、それはうるささだけでなく、「圧迫感」によるものであることも分かった。701系よりもキハ40系よりも、天井が少し低い(床から天井までの距離が短い)ようで、特に立っているとややきゅうくつに感じることが分かった。【4月4日追記】改めて乗ってみると、低くもないような気もする。天井に凹凸が少なく真っ平らな感じはした。
赤いほうのパンタグラフの下は、さらに少し低くなっている。といっても、身長2メートルとかじゃない限り、頭がつっかえるわけではない。
そんな関係か、ドア上の掲示スペースが701系などよりやや狭く、ワンマンカーの利用方法の掲示や路線図は、縮小版が掲出されていた。


ワンマン自動放送。
英語入りながらJR東日本標準タイプとは別仕様で、新潟支社(のやや古い車両)と同じとかいう噂だった。
実際のところ、日本語放送は、なんのことはない、従来の男鹿線のキハ40系、奥羽本線・羽越本線の701系と同じ女声。富士急バスや松江市営バスも同じ人。
ということで、「レゾナント・システムズ(旧・ネプチューン)」という、放送機器メーカーのものだと思われる。

従来のキハ40系の男鹿線は、おそらく701系と共通の音声データを使っている。
「電車」を「列車」と差し替えているのは芸は細かいが、音声データの圧縮率が高いようで(それにスピーカーの性能も悪そう)、クリアさには欠けた。
EV-E801系は、新たに収録し直したもので、言い回しも内容も701系と違うし、音声も明瞭。
英語は女声。どこかで聞いたことがある声のような気もするけど…
【6月12日追記】従来のワンマン放送では、冒頭にピンポーンとチャイム音が鳴ってからアナウンスが始まっていたが、EV-E801系ではチャイムなしでいきなりしゃべる。

あと、これも天井の関係か、椅子部分の車内放送用スピーカーは、天井ではなく、壁の天井際に設置されているようだ。
乗った時は、音量がやや高めの気がしたが、そのせいか、天井か壁の一部が、声に合わせてビリビリと振動してしまっていた。不快なわけではないし、低くて聞き取れないよりはずっといいけど。


警笛。
鉄道車両の警笛は、空気を送って笛を鳴らすものが多かったが、近年はスピーカーから音を流す「電笛」が増えている。
EV-E801系は電笛。首都圏の電車のものと、同じだろうか。「ぱーん」みたいな音。
秋田では電笛は、リゾートしらかみには搭載されていたかもしれないが、少数派。吹雪の中では、笛のほうが音の通りがいいという話を聞いた記憶があるけれど、どうなんだろう。
【4月4日追記】空気笛も搭載されていた。おそらくペダルを軽く踏むと電笛のみ、強く踏み込むと電笛と空気笛両方が鳴るようだ。

秋田支社では、ワンマン列車が発車する時は、必ず警笛を短く鳴らす決まりになっているようなので、各駅で電笛を聞くことができる。
ほかに、秋田-秋田貨物駅間、秋田工業高校近くの旭川橋梁(というかそのたもとの踏切?)を通過する前には、運転士の所属運輸区によっては鳴らすことがある。JR貨物や弘前運輸区の人は、まず鳴らさないみたいだが、この列車は秋田運輸区担当か、2度遭遇して2度とも鳴らしていた。【6月12日追記】5月以降辺りは、EV-E801系では鳴らさないことが多くなった気がする。701系などは変わらず鳴らしている。


乗り心地は評判通り。一般的な電車と違わない。加減速はスムーズで、走行中の揺れや振動も穏やか。赤い「EV-E801」形のほうにモーターを積んでいるそうで、そちらに乗ったのだが、モーターやインバーター類の音も気にならなかった。
ディーゼルカーのキハ40系と比べてはかわいそうだけど、701系電車と比べても、車内が静かだし、不規則というか突発的な揺れがなく、良好な乗り心地。

ただ、あんまりスピードが出ていないことに気づいた。
そうだった! 現在のダイヤは、キハ40系当時のものを踏襲していて、高性能のEV-E801系にとっては余裕があるのだった。早着しないよう、控えめに運転していると思われる。
性能いっぱいに本気で走ったら、また違う印象になるのかもしれない。だけどそれは、車両が増備されて、専用のダイヤが設定されるまでおあずけ。

車内に電源の供給状況を示すディスプレイがあると紹介したが、走行中は電車が走る(正確には背景が流れる)アニメーションになっていた。
今回は画面左に向かって走っていたが、上り電車だと逆向きになるのかな?


土崎駅までの乗車では確認できなかったが、赤信号の手前で運転席内で鳴るATS(列車自動停止装置)のベルとチャイムの警告音も、この電車では、本物のベル・チャイムでなく、スピーカーから録音した音が流れるとかいう話も目にした。いずれ確認。

あと、前回の運転席付近の外観の写真を見ると、この電車には、安全装置として「ATS-P」も搭載されている旨が表示されている。
ATS-Pとは、速度に応じて作動する、より安全性を高めたATS。秋田-男鹿間では、線路側では対応していないから不要なのに、車両側に搭載されているのが珍しい。【奥羽本線にATS-Pが導入される計画があるとのこと。コメント欄参照】


乗り合わせた沿線のみなさんも、乗降などで戸惑う人は見かけなかった。男鹿線内の無人駅ではちょっと心配だけど、とりあえず順調に浸透していそう。
ネット上で、鉄道に興味がない沿線の利用客や住民の反応を少し見てみると、マスコミの報道や駅のポスターのせいか、認知度は高い。そしてその評価はことごとく好意的。
「きれい」「男鹿線が都会になった」「ドアが3つで(奥羽)本線並みになった」「(放送で)英語しゃべってて激アツ」といった表面的なことだけでなく、「静か」「揺れなくて快適」といった本質的な部分で改善されたと感じる人も少なくない。蓄電池電車というメカニズムをご存知なのかは分からないけれど。
たまたま乗り合わせて「この車両で毎日通いたい」という声も。
ロングシートになったことへの不満の声があるかと思ったが、見当たらない。既にキハ40系の一部をオールロングシート化している“効果”か?(ネット上の声は若い人のものが多く、ボックスシートに対するなじみやこだわりが低いのも一因だろう。年齢層が高い人たちはどう感じているか…)

否定的な声として「(新車)臭い」というのは仕方ないけれど、「扉開閉のたびに(ドアチャイムが)ピンポンピンポンうるさい」という男子高校生の声があった。でも、それってキハ40系だってそう(後付け改造なので全車で鳴るわけではない)でしょ。「キンコーンキンコーン」と刺さるような音で、あっちのほうがずっとうるさいと思うけど…
「単なる車両更新。別にスピードアップするわけじゃないんでしょ」というものあったが、それは予備車両がない現段階での話。上記の通り、車両の性能はアップしたのだから、増備されれば対応したダイヤになってスピードアップすると思われる。また、乗り心地と環境性能も向上しているわけであって、「単なる車両更新」ではない。

男鹿線の全車両が新しくなったと勘違いし、「男鹿線に乗ったけど、古いのだった」という方も。
今後、点検整備で運行されない日(キハ40系で代走)が生じるはずだが、遠方から乗りに来た人などをがっかりさせてしまうことになる。ホームページやせめて改札口などで、「運行しない日」を告知したらどうだろうか。【5月24日追記】計画的な代走がある時は、その旨、事前に駅に掲示が出されているとのこと。

そして、予備知識がない旅行客などがEV-E801系に乗り合わせたら、どう感じるだろう。外観の色以外はただの電車だと思われて、何の感想も持たれないで終わってしまうかもしれない。
秋田支社の駅で配られるきっぷ袋もEV-E801系
この袋の左右にあるナマハゲの顔は、男鹿線全線開通100周年のマーク。ナマハゲの横顔を秋田県の形に見立て、鼻の部分の線が男鹿線。
このマークはキハ40系の側面中央窓下にも貼られている。【5月24日追記】秋田駅の場合、5月までには、従来の袋に戻った。

【4月4日追記】運転席と客席の境界は、いちおう壁状に区切られている。中央部分は、既存車両同様運賃箱が仕切りを兼ねているが、その上部も、扉状に動く枠付きの透明ガラスで仕切ることができる構造。
ところが、この仕切りガラス(の枠?)があることにより、運転士が客の乗降をミラーで視認しづらいようで、実際にはその仕切りを助士席側へ固定して(仕切りとして使わず)運行しているという話を聞いた。(あるいは、この仕切りは車掌乗務時に使うものであって、元からワンマン時は開ける設計なのかもしれない。運賃収受時に客とコミュニケーションしにくそうだし)【5月24日追記】運転士によって対応が違うようだ。本来はドアを閉めて、無人駅での降車扱い時は、ガラスだけを開けるのが原則らしい。

【6月12日追記】天井の照明は、棒状のLED。一般的な従来の蛍光灯よりは細く、コンビニなどに設置されているLED照明に似たもの。メーカーのロゴは、日立かと思いきや、運賃箱や運賃表示器と同じ車載機器メーカー「レシップ」のものだった。
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MVEX新屋関町店オープン

2017-03-13 00:29:56 | 秋田のいろいろ

以前記事にしていた、秋田市新屋地区に新しくできることになっていたスーパー「マックスバリュエクスプレス新屋関町店」が、3月8日・水曜日についにオープンした。
所在地は県立栗田支援学校(昨年度までの栗田養護学校)や新屋県営住宅の南側。県道65号線の北側。県営住宅経由新屋西線のバス路線の通り沿い。
「マックスバリュエクスプレス(内部では「MVEX」と略することもある【19日追記】電子マネーWAONのサイトでの利用履歴も「MVEX新屋関町」と表示)」とは、イオン系列の食品スーパー「マックスバリュ」の小型店舗で、運営企業は秋田市のマックスバリュ東北。営業は7時から22時。【2018年11月17日追記】その後いつの間にか12月1日~3月31日は、8時から21時に短縮となった。

開店と同日に、栗田支援学校の生徒が考案したおにぎりが新発売(イオン系列他店舗の一部でも販売)されたことが報道されたからか、あるいは所在地が分かりにくいからか、「マックスバリュ“エクスプレス”」という店舗ブランドが目新しいのか、以前の記事に多くのアクセスをいただいた。
そんなこともあって、わざわざ行ってみた。※以下、見間違い・勘違いがあり得ます。

県営住宅の南側に保育園があり、さらにその南の手付かずの荒れ地みたいな場所が宅地開発され、その一角・北東部分にできていた。「新屋市営住宅前(県営でなく)」バス停の真ん前。
南側から
【30日追記】店舗の看板では、英語版は「MaxValu Express」だが、日本語版は「マックスバリュ」だけで「エクスプレス」がない。これは他社運営店舗でも同様(マックスバリュ東海ではそうだった)らしい。
外観が黒いのが珍しい
敷地うち、店舗は保育園寄りの北側にあり、南側は駐車場。店舗入口は道路向きではなく駐車場側・建物南面にある。
北側から。搬入口はこちら
建物の第一印象は、黒さも意外だったけど、小ささに驚いた。
秋田市泉のマックスバリュ泉店も、最近にしては小さめのスーパーだと感じていたけれど、それよりもかなりこぢんまりとしている。
感覚としては、泉店の3分の1強、コンビニの1.5倍程度、みたいな。駐車場も広くはないが、建物より駐車場のほうが広いかも。

中も黒系統。明るく上品さがあって、かつ落ち着いた雰囲気。
買い物カゴも、店員の制服代わりのロゴ入りジャンパーも、普通のマックスバリュでは赤(ジャンパーは濃いピンク~赤紫)なのに対して、ここでは黒。
黒いジャンパーのおっさんが突っ立ってると思ったら、客じゃなく店員(の偉い人?)だった。スタッフに尋ねたい時など、紛らわしい。

入った時の印象では、さほど狭くもなく、きゅうくつさもさほどではなかった。ただ、よく見ていくと、店内は独特のものだった。
一般的なスーパーと比べて売り場の配置が独特、かつ商品数がかなり限定されていた。
例えば、普通なら入口近くにある青果売り場が、入ってまっすぐの突き当りの角部分に、ほんのちょっと。
ニンジンは、マックスバリュ他店ならばバラ売りと3本入りを置いてあるのに、ここは袋に入った1本売りのみ。他店ではバナナは3~4種類あるのに、ここは中価格帯の「秋田ノーザンハピネッツ応援バナナ」1種類のみ。トップバリュのバナナさえなかった。【2018年11月17日補足】その後、トップバリュのバナナは置かれるようになったが、全般的な品揃えは少々物足りない。
【2019年2月19日追記】2019年2月の魁新報によれば「入ってすぐが惣菜、奥が青果」という配置は、弁当惣菜を手軽買えるようコンビニを意識したレイアウトとのこと。【2020年にレイアウトが変更された。末尾追記参照】

調味料(“日配”ってやつ?)とか家庭用品もそんな感じ。惣菜類は比較的あったような。価格設定は、泉店(=やや安め)以外のマックスバリュ他店舗と同レベルか。
通路は狭いものの、棚は低めで見通しが効くのが、きゅうくつさを軽減させているのかもしれない。


レジにも戸惑った。
店員がいる普通のレジが3列か4列。その外側に、セルフレジみたいなのが並んでいるみたいだけど、マックスバリュ他店のとは配置や形が違う??
その正体は「お支払セルフレジ」。店員がスキャンした後、支払いだけを自分でやる形式。つまり「支払い機」。【2018年5月14日追記】支払い装置はテラオカ(寺岡精工)製。セルフレジなどとは操作感(手順や配置)が違うし、レジ周りがなんか薄暗くて、ちょっと戸惑う。
御所野のイオンには導入(完全セルフレジもある)されているし、イオン以外のスーパーでも導入が進んでいる。

この店は、すべてのレジがお支払セルフレジのようだ。
まずは、普通通り列に並んでスキャンしてもらう。スキャンする各列につき2台の支払い機が置かれていて、スキャンが終わると「○番でお支払いください」と言われる。その番号の機械の脇へカゴを持っていき【2019年2月19日補足・その後はレジの人がカゴを支払い機まで運んでくれるようになった。ちょっと大変そう】、支払うことになる。
袋詰の台(サッカー台)は別にあるので、短距離とはいえカゴを持って移動するのが2度になるのと、何よりも機械が苦手な人は戸惑いそう(別段難しくはない)。
今のところ、支払い機部分にも複数の店員が付いていて、人員削減にはなっていない。慣れたら減らすのだろうけど。
レシートには「MVエクスプレス新屋関町店」と表示
電話番号の局番は、新しく取得した番号らしき「888」だが、FAXは新屋伝統の「828」。
それにしても「ハピネッツ」を「八ピネッツ(漢数字の八)」にしちゃってる。POSの登録って、全店共通じゃなく、各店舗個別にやっているのか。【5月8日追記】5月8日で他のマックスバリュ東北の店舗でも「八ピネッツ」になっていた。店舗間でデータが共通で、それが間違っていることになる(以前は「はぴねっつ」とひらがなになっていたこともあった)。ちなみに、イオンリテールとは共通化されていない模様。※2020年2月21日時点でも、新会社になった2020年3月でも「八ピネッツ」。
買い物袋持参で2円引きは実施。

入口近くには、フリースペースやトイレがある。トイレもヘン。
使わせてもらおうとしたが、「男子小用」が見当たらない?!
女性専用、たしか子連れ優先?、車いす対応の多機能トイレの3部屋があるのだけど…
じゃあ、多機能しかないと入ったら、なんとその中に、小便器があった。
なんか落ち着かないし、もうちょっとうまく配置できなかったのかね。

秋田市内のマックスバリュ東北店舗では初めて、Wi-Fiが提供されているとのこと。
イオン銀行ATM設置。セルフカフェ「イオンドリップ」はなし。


昭和時代に街中にあった食品スーパーと、店の面積は変わらなそうだけど、品数は少ないのではないだろうか。
最低限の商品を扱うことで、面積やコストを抑えていて、これで充分な客もいるだろうけど、個人的には、物足りない。駐車場のスペースがあるのなら、その分を売り場にしてほしいと思ってしまうけれど、そうもいかないのでしょうね。

マックスバリュ東北の既存店舗では、毎月第2日曜日は、誰でも全品5%引きになるのだが、エクスプレスでは実施しないようだ。(20日30日は、イオングループ共通なので実施)
昨日がその日だったけれど、明確に周知されていないし、間違って行ってしまった人がいるのではないだろうか。
あと、公式ホームページのこの店の紹介ページには「チラシ情報」の欄がないので、折り込みチラシがない店なのかもしれない。
【2018年5月14日追記】その後、2018年5月にホームページを見ると、エクスプレス店舗共通のチラシが掲載されるようになった。エクスプレスでない店舗とはまったく別物で、日替わりセールのほか、1週間以上にわたってかなり安い商品とか、毎週月曜はWAONポイント10倍(実質9倍)などが行われている。ちなみに、400円ちょうど購入して、買い物袋持参値引きで398円になったのだけど、通常の200円ごとのWAONポイントは、400円には満たないから1ポイント。しかし、9倍分は18ポイント、つまり2円引き前の400円に対して付与された。【2018年7月23日追記】5%引きになる20日30日が月曜日の場合でも、ポイント9倍は実施される。合わせて最大およそ1割引弱になる。
【2019年4月22日追記】さらにその後、上記のセールの多くが廃止された。月曜ポイント10倍は2019年3月11日で終了し、エクスプレスでないマックスバリュ各店で行われている、月・木・日曜5倍に変更。

車(あるいは自転車)なら、茨島店へ行ったほうが、24時間営業だし品揃えも豊富だし…ととらえる人もいそう。すみ分けがうまくできるか。


ところで、以前の記事では、「マックスバリュエクスプレス」という店舗ブランドは、青森・秋田・岩手・山形を管轄するマックスバリュ東北管轄エリアでは、秋田県由利本荘市の「御門町(おかどちょう【13日訂正】ごもんちょう? ごもんまち?)店」が最初かつ唯一だとしていた。
今回、同社ホームページを見てみると、いつの間にか御門町店はエクスプレスでない普通のマックスバリュになっていた。
御門町店は建物はそのままで、前身の地元スーパー「つるまい」の建物を引き続き使って、「マックスバリュ」として営業していたのを、改装してエクスプレス化していたのだが、元に戻ったことになる。
行ったことはないけれどエクスプレス御門町店では、レジはコンビニのような対面式で、袋詰してくれると聞いていた。
その後、山形市に1店舗エクスプレスができたので、同社としては新屋関町店が2店舗目としている。

以前、静岡県三島市中心部のビルの1階に入るマックスバリュ東海のエクスプレス店舗(三島本町店)に行ったことがあったが、そのレジは普通のスーパー形式だった。
新屋関町店は、御門町店よりも三島本町店に近い雰囲気。品揃えは三島のほうがずっと多そうだけど。
ということは、エクスプレス御門町店は、エクスプレスとしては方向性を間違えてしまって、(エクスプレスとしてはなかったことにして)元に戻したということなんでしょうか。

【2020年10月14日追記】その後、2020年2月24日から10月14日までの間のどこかで、店内のレイアウトが変更されていた。
入り口の奥にあった青果売り場が、入り口すぐの手前に、旧青果売り場手前にあった乳製品などが、いちばん奥(入り口左)と、普通のスーパーに近くなっていた。

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学親展って?

2017-03-10 00:21:08 | 秋田のいろいろ
封書に表示される「親展(しんてん)」。
宛名の人自身が開封してくださいという意味。実際のところ、他人が勝手に開けてしまったら、どうすることもできないけれど。

僕は知っていたけれど、この意味を知らない人もわりといるらしい。
最近、林修先生が意味とともに、漢文で「親カラ展ク(みずからひらく)」ということだと説明していた。
近頃は「必ず宛名のご本人が開封してください」などと丁寧に書いてるものもあるから、消えていく言葉なのかも。


さて、親展の“仲間”と思しき言葉なのだけど、僕には意味、というか意義が分からない言葉があった。
「学親展」である。
ご存知でしょうか?

僕が知ったのは、高校生の時。
高校では、成績通知(いわゆる通知表、通信簿)が、保護者宛てに郵送されることになっていた。
その封筒に、一般的な「親展」と同じ位置、形式(枠で囲った)で「学親展」と印刷されていたのだ。※上の画像はイメージ。

「保護者自身が開封してください」という意味なのは推測できる。
でも、その宛名が保護者名なのだから、「親展」としても同じことなのに、なぜ「学」が頭に付くのか。
「親展」という言葉があるのだから、「学/親展」と区切られるのだろうか? あるいは、「学親」という言葉があるのか?
ずっと謎だった。
林先生の「親カラ展ク」を踏まえると、余計に「学親展」が分からなくなる。


Googleで「"学親展"」を検索したら、検索結果はなんとたった27件。
かなり限定された言葉なのか?
ちなみに「"学親"」では、それらしきものは見当たらなかったので、そういう言葉は存在しないようだ。

検索結果の各ページでは、まず、Yahoo!知恵袋で「学親展」の意味を尋ねる人(地域は不明)がいたが、明確な答えはつかなかった。
現在、使われているものとしては、秋田県と長野県の事例があった。【10日追記】秋田県内の高校では、公立・私立とも、使用している学校があるようだ。(=使用していない学校がある可能性もある)
長野県では、保護者宛ての成績通知ではなく、転校生や高校入試などについての、学校間、すなわち他校宛ての書類の封筒に「学親展」を表示しなさいといった、規定についての記述が見受けられた。

また、滋賀県における明治~大正時代の公文書の一覧みたいなのが引っかかった。
明治44年の「教員の進退に関する封書に「学親展」朱書方徹底の件」、大正6年の「教員身分進退等に関する親展文書記号の件(「学親展」)」との文書名。
内容は分からないが、これも保護者ではなく、学校関係者間でのやり取りと思われる。


以上を踏まえても、やはり「学親展」の由来は不明。「学校関係の親展文書」ということっぽいけれど、言葉の成り立ちとしては、すっきりしない。
用途としては、もともとは学校内部、学校間、もしくは学校と監督官庁との間のやり取りに表示されたものだった可能性がある。
そして、全国的には使われなくなったものの、長野など一部地域では今も使われ続けている。
さらに、秋田県では、なぜか保護者宛て文書にも表示されるようになったということではないだろうか。

教育現場特有の表現に地域性が加わる例はけっこうある。
通学区のことを、主に東日本では学区/西日本では校区といったり、模造紙(主に西日本方面でさまざまらしい)や上履き(秋田などでは内ズック)の呼び名が地域で異なったりするように。
「学親展」もその1つなのかもしれないが、かなり局所的な気がする。使用状況や由来について、なにか情報があれば、教えてください。
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秋田駅工事大詰め

2017-03-09 00:11:01 | 秋田の季節・風景
秋田駅自由通路周辺の工事も、いよいよ大詰め。
今年始め以降、現在までの模様。

1月中旬から、旧びゅうプラザ(新待合室)より東側の店舗に着手。
カフェテラスは1月15日で閉店、コンビニのNEWDAYSぽぽろーど店と秋田市観光案内所は、仮囲いの中での営業継続。
2月初めには、待合室がこれまでの仮設場所の1つ東隣、旧びゅうプラザ跡の一部に移転した。新しい待合室は、南側にホームを見渡せる窓が並び、壁・床・天井に木が多用されており、完成後もこのまま使われる状態(椅子などの新規設置がされる予定)らしい。壁は仮設。
2月始め中央改札口付近から撮影。手前から観光案内所、NEWDAYS、新待合室

2月15日には、新待合室西側の仮壁が撤去され、「おみやげ処 こまち苑」がオープン。(駅ビルトピコ2階から移転。)
その頃、かつての仮待合室だったところに、コインロッカーが置かれた。こちらも床は板張り。
コインロッカーを1つの部屋にまとめたものは、他の駅ではよく見られるが、秋田駅には意外にも今までなかった。旧待合室内より数が増えていると思う。

秋田支社プレスリリースによれば、今後、4月にかけて、駅ビルトピコ側も含めて、12の店舗で新規出店または既存店舗のリニューアルが行われる。
うち、3月4日でいったん営業終了したNEWDAYSは、24日に再開予定。
3月10日には、新待合室側に駅弁の関根屋によるそば屋がオープン。だいぶ前に消滅していた秋田駅の駅そばが復活する。【追記・9日付秋田魁新報地域面によれば、2009年6月に新幹線ホームのそば屋が閉店して以来。こまち苑の隣で、カウンターとテーブルで21席、食券方式。そば・うどんのみならず稲庭うどんや白神ねぎ、白神豚など県産食材を使ったメニュー(季節により入れ替え)約40種類を提供。7時~20時。】
4月1日には、建設中の駐車場2階(ということは自由通路に面する?)にスターバックスコーヒー秋田駅前店がオープン。スタバはすぐ近くにアルス店もあるのに。駅周辺に複数店舗があるという、かつてのミスドみたいな状況になるのか。

3月6日には、新待合室の東側に秋田市観光案内所が移転。
新待合室西側から。奥が案内所

南面のホームを見下ろす窓


自由通路の仮囲いは3月10日頃に取り外され、80メートルにわたる「秋田杉のファザード」が出現する。
上の写真で分かるように、現在の仮囲いには、何やら「木の絵」みたいなのが描かれている。
描かれているというより、貼り付けられている
これは秋田公立美術大学による「仮囲い装飾“エキマド”」。今回の工事で使われた木材の端材などを用いたアート。
 
木の樹冠をかたどるように、円形のものがぽつぽつ配置されている。
これはマグネットでくっつくようになっていて、「コノハ」「ユキ」「サクラ」の3種があり、時期と設置箇所によって違えているという。でも、通りすがりにちらっと見ただけでは、認識できなかった。もっとはっきり区別がつくものだと思っていたのに…
 上の写真を拡大
掲載写真は、ユキとコノハ。
このマグネットは、工事後(というからそろそろ?)、一般に配布するとのこと。

ところで、フォンテ前のぽぽろーどから大屋根下に昇降するエスカレーター脇では、毎年、防風のための仮囲いが設置され、なんとも殺風景。ここにも、同じような装飾をしたらいかがでしょうかね…
(再掲)近隣の商店会みたいなのが設置しているらしい

【10日追記】9日の時点で一部の仮囲いは取れていた。残った仮囲い部分も、エキマドは撤去されていた。


2月初め。新待合室の窓から南方向。下は5・4番線
右手前は新立体駐車場。現在も囲いは取れていないが、大きさはほぼ変わらないので、サイズはこんな感じ。4月1日オープン。
右奥が、JR東日本秋田支社の新ビル。既に囲いが取れている。3月下旬完成で、来年度にかけて外構整備を行う。
思ったよりシンプル?
※秋田支社の建物についての続きはこの記事後半。


立体駐車場の工事現場前には、
「ようこそ秋田へ」
前回、正月飾りを紹介した、JR東日本系列の建設会社「鉄建」によるもの。
左右にいるのは、どなた? 同社のホームページには出ていない。
おそらく、蜂でしょう。「勤勉の象徴」とか言われるし。

だけど、手足が4本しかないのが気になってしまう。昆虫であるハチは6本なきゃ。
体はちゃんと3部分に分かれている(胸部には鉄建のロゴ入り)し、小さいけど羽(翅)もちゃんと4枚あるのに。惜しい!【9日追記・雌雄それぞれみたいなのにお尻の形が同じとか、目や手先の構造なんかは、まあキャラクター化の許容範囲かな】
別の鉄建の工事現場にもこのハチがいた。

続きはこちら
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こも巻きの是非

2017-03-07 00:14:41 | 動物・植物
3月5日は二十四節気の啓蟄。冬眠していた虫が起き出す頃とされている。
その連想からか、啓蟄前後に「菰(こも)」を取り外す作業を行う施設などがある。
こもは、木の幹にむしろのようなものを巻きつけて縛り、そこに害虫を呼び寄せて越冬させるもの。彼らがまだ寝ている間に、こもを取り外して燃やしてしまうことで、害虫を退治するという狙い。
(再掲)秋田市内の某寺院のこも巻き
秋田市の天徳寺でも行われ、立冬(かな?)のこも巻き作業とともに、毎年、多くのマスコミが報道する。寺院側からマスコミを呼んでいるのだろうか。今年は啓蟄が日曜日だったが、変わらず実施され、報道された。
NHK山形放送局によれば、鶴岡市の鶴岡公園では、6日に実施。

前も触れたことがあったが、こもには、害虫退治としての意味は低いように思えてならない。次のような理由から。
・益虫も“退治”してしまう可能性。
益虫/害虫は人間が決めつけた概念。虫たちは自分がどちらかなんて気にしない。ちょうどいい越冬場所だと、みんなこもへ入ってしまうだろう。害虫とともに益虫の一定数も焼かれているに違いない。

・幹にしがみつく害虫は?
テレビで取り外し作業の映像を見ると、こもを取り外して集めるだけ。
虫たちは、こもの中で越冬するとは限らない。こもの下の幹側にしがみついている可能性もある。
こもを外しただけでは、そうした虫を退治できず、単なる越冬場所の提供に過ぎない。虫を退治したいなら、ほうきで幹をこするとかしないといけないと思う。

・こもの外し方
今年の天徳寺と鶴岡公園のこもの外し方を映像で見て、初めて気づいた。
天徳寺では、おそらくなんの気も遣わずに、こもを一気にめくってはがしていた。鶴岡公園では、くるくると巻物を作るように丸めながら、はがしていた。
天徳寺方式のほうが作業時間と手間は短縮できそう。しかし、はがすときの勢いで、付着していた虫が落ちて、結果的に“助けて”しまうことになる可能性が高いと思う。
おそらく鶴岡では、そのことを意識して、あえて手間のかかるやり方をしているのではないだろうか。

以上から、個人的には、こもには科学的な効果はきわめて低く、現実的には「季節の風物詩」以外の役割はないと考える。
こもを巻いている側にも言い分はあるだろうし、季節の風物詩に金や手間をかけるかどうかはそれぞれの判断ではある。


Wikipediaに出ているが、兵庫県立大学が10年ほど前に姫路城で行った調査では、こもに付着するのはクモなど害虫ではない虫がほとんどという結果が出た。姫路城では、昨シーズンからこも巻きを廃止したという。
皇居外苑や京都御苑では、それ以前からやっていないという。弘前公園や秋田市の千秋公園なんかも、やっていないのではないだろうか。
日本生態学会のホームページに、その研究の要旨(http://www.esj.ne.jp/meeting/abst/55/B2-15.html)が出ていたので見ると、害虫は「こもを外した部分の幹の割れ目に残るものが見られた」そうだ。
一方、こも側には害虫よりも益虫のほうが多かったことから、「益虫に越冬場所を提供して増やす効果が大き」く、「活用の仕方によっては益虫を増やし、環境に負荷をかけない害虫防除法としての利点がある。」としている。
なるほど。益虫にこもで越冬してもらって、そのこもを焼かずに、こもから出た春以降に害虫を食べてもらおうという、まったく逆かつ長期的な視点になれば、こもの使いみちがあるのかもしれないということか。

「こもは無意味」だと決めつけてしまっていた者として、そういう発想の転換に、はっとさせられた。
外したこもを焼かずに堆肥にするとかできれば、さらに環境に優しくなるのかもしれない。

それにしても、本来なら自然や生き物を大切にするべきであろうお寺というところが、“無益な殺生”とも受け取れるこも巻きを行い、しかもそれをマスコミを通して“宣伝”するようなことには、やっぱり、なんか釈然としないもの【7日補足・パフォーマンス感(?)みたいなもの】を感じてしまう。あくまで私見ですし、檀家でもない者がとやかく言うべきではないでしょうけれど。
【7日追記】マスコミを呼ぶのなら、いっそ、こもを焼く時に、虫たちの霊を慰めるべくお経をあげて、そこも取材させるとかしたらいかがでしょう。
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美大の壁掛けポスト

2017-03-06 00:14:37 | 秋田の季節・風景
昨年、とても珍しい郵便ポストを紹介した。
その1つが、家庭の郵便受けかと見まがいそうな、壁掛け式の「郵便差出箱2号」。
おそらく秋田市内には1つしか存在せず、それが新屋の秋田公立美術大学の学内に設置されていたとしたが、写真もなければ、近年は現地を確認してもいなかった。

1月末のあらや大川散歩道雪まつりに行った時、ポストの設置場所が(いちおう)開放されていたので、中へ入らせてもらった。
学生食堂などが入る「レストハウス」、正式には厚生棟というのかな。

あまり大きくなさそうな「売店」があり、その前に、
今も健在だった!

美大には「大学生協」は存在しないようで、食堂とともに業者に委託しているようだ。国立大学生協のような、書籍や不動産の扱いはなさそう。
美術系大学なら、本はもちろん、専門的な画材や用具なんかも必要だろうから、品揃えのいい大きな売店があってもよさそうだし、大学生協は本を1割引で買えるのに。新屋には書店もあまりないのに、美大の学生はどうやって入手しているのだろうか。


暗いので、以下、フラッシュをたいて撮影

正面。屋内なので状態は良好

投函口に毛筆体で「おす」

以前の繰り返しになるが、壁掛けの2号ポストは、1951年に登場。以前の他のポストと同じ、朱色のボディ。他のポストは1996年に、現行の赤色のタイプにモデルチェンジしたのに、2号だけは後継が出なかった。製造は終了したと考えられる。
一方、美大は秋田公立美術工芸短期大学(美短)として1995年に開学。レストハウスの建物もその時にできた。
したがって、美大は2号ポストの最末期の新規設置箇所の可能性がある。

他のポストでもそうだが、向かって左の側面下に、銘板があった。
「福島 有限会社国分商店」
ネットに企業情報は見当たらないが、郵便ポストのメーカーとしては一般的なところ。
製造でなく「納入」の年月が表示されている。元号は「昭和」、数字ははっきりとは判読できないが、「53年7 5月(?)」とあるような?
少なくとも、1995年である「平成7」ではなさそう。昭和53年だとすれば、開学当時で20年近くも前になってしまう。
どこかよそに設置されていたものが転用されたのかもしれないが、それにしてはかなりきれいで状態がいい。

下から見上げる。もうちょっと低い設置位置でもいいような

打ちっぱなしのコンクリートに古めかしいポストの組み合わせ
屋根というか天面が傾斜しているが、その角度はかなり急。他のポストは平らなのに、どうしてこんなデザインなんだろう。
屋根の緑色のものは「平成10年2月2日、新郵便番号制スタート!!」「7けたの新郵便番号の記入に、ご協力をお願いします。」とのシール。1998年2月に、それまで3または5桁だった郵便番号が7桁になったことの告知が、19年経った今も残っているのだった。

さらに右側面。
まず、おなじみの収集時刻(正式には「取集時刻」らしい)。左側に枠があるのに、なぜかこちら面。平日、土曜日とも16時30分の1回だけ。日曜は建物が閉鎖されているからか、収集なし。
ポスト番号は秋田中央郵便局の「106」だそう。

取集時刻の上に、もう1枚、紙が貼ってある。
「お客様へのお願い」
「最近の炭疽菌等事件を受けて」「小麦粉等の白い粉末を郵便物として差し出される場合、ポストに投函しないで、郵便局の窓口に差し出していただく」ようにといった内容で、名義は「新屋郵便局」。

僕も忘れかけていたし、今の学生さんたちには何のことやらちんぷんかんぷんだろう。
2001年、アメリカ同時多発テロの直後、アメリカで炭疽菌という病原菌が郵便物で送付されて死者を出す事件が発生した。それを受けて、日本でも一定の対策がされていたようだ。

また、現在は秋田中央郵便局が取り集めているわけだが、2003年3月までは新屋郵便局が、新屋地区の郵便物集配を行っていたので、新屋局が掲示を出していた。(現在の新屋郵便局は窓口だけで、集配にはノータッチ)
ということで、どちらの告知も、もういらないのではないでしょうか。


最近の秋田魁新報の購読者向け月間誌の写真によれば、由利本荘市のJR羽越本線羽後亀田駅でも、同じ壁掛けポストが今なお活躍している。これも壁と屋根がある場所に設置されていて、状態は良さそう。後継機種がないだけに、探せばそれなりに残っているようだ。
丸ポストのような知名度はないけれど、丸ポストと同じように味のあるアイテムだと思う。末永く残ってほしい。

※2018年1月27日現在、ポストは健在。
※2019年1月26日でも健在。炭疽菌の張り紙はなくなっていたかも? また、駐車場のポストは1口から新しい2口に更新されていた。
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外旭川の円筒分水

2017-03-02 00:02:24 | 秋田の季節・風景
1年ほど前、地図サイトで秋田市外旭川(そとあさひかわ)地区を見ていると、不思議なものが描かれているのを発見。
Googleマップより。左の赤丸付近を拡大したものが右
天徳寺(平和公園)の西側ふもと、外旭川中学校と通称・横山金足線のちょうど中間付近。
川というか水路が流れていて、その途中で流れが円形になって、その中央に島状のものができている。

噴水か? と思ったが、こんな場所にはないだろう。田んぼが広がる一帯であることを踏まえると、以前、テレビで知った、とあるものを思い出した。
「円筒分水(えんとうぶんすい)」である。
円形分水、円筒分水工とも呼ばれるらしい。

10年ほど前、NHKBSで放送されていた、様々な趣味に没頭する人を紹介する番組「熱中時間 忙中"趣味"あり」で、円筒分水を調べる趣味の人が取り上げられたことがあり、初めてその存在を知った。
番組では、弘前市石川にある円筒分水を取り上げていた。※その後、実際に行ってみた

ネットには、円筒分水趣味のサイトもあって、それによれば秋田県内では美郷町や北秋田市には、円筒分水がある。秋田市にあるという情報はなかった。(今回改めてよく調べたら、別のサイトに1件だけ示唆する情報はあったが、詳しい場所や写真は分からない状態)
弘前市石川の地図を見ると、外旭川と同じように描かれていることからして、外旭川のは円筒分水に違いない。そう思って、昨年春、現地へ行ってみた。

農家らしきお宅が点在する狭い道路を北上し、途中で分かれるさらに細い砂利道に入るとまもなく、老人ホームの裏側が見え、その下を水路が流れている。稲の生育時期だったので水量は多く、流れは速い。そこには、
これが!
近寄ることはできないが、道からでもよく見える。【2日補足】ただし南側からしか見られず、周囲に草が生い茂っているので、構造の細部は見えない点も多い。
テレビで見た弘前市石川のよりは小さいが、【2日追記・大量の水が中央部から湧き出ているのが】なかなか迫力がある。
逆方向から。水は手前から奥へ流れる
円筒分水の実物を見たことがないし、知識もないので断言はできないけれど、やっぱりこれは円筒分水でしょう。
消えかかった注意書きによれば「旭川筋土地改良区」が管理しているようだ。

円筒分水とは、主に農業用水を正確な割合で分配するための設備。
稲作において水は重要で、その配分を巡って、村や集落どうしで争いになることもあったという。
水路を単純に区切っただけでは、流速の違いなどの影響で公平に分けることは不可能なので、このようなものが昭和初期頃【3日補足・発明はもう少し前かも】に発明されたようだ。

ここの場合、東・天徳寺方向から水が流れてくる。旭川の水が「穴堰」を通って来たものか。

その水が、円筒分水の中央部から湧き上がって、円筒分水下流側の切れ目から分配されて流れ出ていくようだ。
円筒分水以下で二手に分かれるようで、一方は地図にも記されている北へ向かうもの。もう一方は、西~南へ行くようだ。
方角からすれば、一方は笹岡集落、もう一方は神田、梶ノ目、八柳などへ向かうのか。【4月11日訂正】正しくは3方向に分けていた。末尾にリンクがある再訪時の記事参照。

住宅も増えたものの、今も一面の田んぼが広がる外旭川。そんな秋田市中央部から遠くない場所に円筒分水があったとは驚いた。今の時期は水の量が減っているかもしれないが、あと数か月すれば、またなみなみと水が流れ、田を潤すことだろう。【2日追記】ひょっとしたら、田植え前後などもっと水が必要な時期は、円形の枠を越えるほど大量の水が湧き出て(枠の外側にも水が流れる別の枠がある)分配されるのかもしれない。知識がないので断言できませんが…
※見学の際は転落などの事故、ゴミの投げ捨て等で地域の迷惑にならないよう、充分に配慮してください。また、昨年は、この付近でクマの出没が相次いだので、あわせて充分注意してください。

冬に再訪すると、仕組みが理解できた
※さらに、秋田市内にはもう1つ円筒分水があったのだった!
コメント (4)
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