広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

本道の東 境田と推子

2021-10-30 20:26:07 | 秋田の地理
1回目から3週間経って、新型コロナウイルスワクチン2回目接種を受けた。
重くなるかもしれない副反応に備えて、選挙の期日前投票を先にしておいたが、幸い、おおむね1回目同様に経過。1回目では肩こりと混同したけれど、やはり、翌日にそれとは違う重い感じやこめかみ辺りの軽い頭痛があった。

秋田市の集団接種会場・秋田大学医学部体育館会場での流れもほぼ変わらなかったが、若干の違いも。
・最初に入って待機する体育館前の仮設テントは、西向きに開いているのでこれからの季節は寒い。
・接種してくれる医師(入口に所属氏名が表示されており、今回は5室とも附属病院の人)はお忙しいかたが多かったようで、最初2人しかいなくて若干流れが悪かった。前回あった「ただいまから開始します」宣言はなし。
・今回もチクッとしただけだったが、前回よりやや強いチクッだったような。
・前回は、接種直後の次のカウンターで渡されたタイマーが、今回は接種室で看護師から渡された。前は実際には15分+1分程度かかっていたのが、今回はほぼジャスト15分に短縮されたことになる。
・前回AAB「相棒(再)」がかかっていた経過観察場所のテレビは、今回はABS「ミヤネ屋」だった。なお、その時のAABは「その男、副署長(再)」。
・誘導方法が若干変更されていたり、あるいは黄色い服のスタッフのやりかたの個人差もあるようで、前回と違って立って待つ場面があったり、椅子に詰めて座らされたり(間違ってやってしまった感じ)、前回ほどこまめに椅子を消毒していなかったり(問題ないでしょう)。


帰りのバスまで時間つぶし。前回は医学部敷地内北側を見た。それと本道キャンパスの由来や周辺について
前回、体育館(仮設テント)前に、切り株から生えたひこばえが、盛大に枝葉が繁茂した木を見つけた(1回目接種の記事に画像)。ケヤキかと思っていたが、近くで見たら違った。
まだ紅葉していない柔らかな葉

ケヤキの樹皮ではない
複葉で枝にはトゲがある。ハリエンジュ(ニセアカシア)だ。
根本から幹が2本に分かれていたのが切られたようだが、ニセアカシアとしては大木だったことだろう。
この木を端として、体育館(=仮設テント)の南辺に沿って、サクラとともにニセアカシアが数本生えている。ここが整備された50年前に植えたのだろうか。秋田市内のニセアカシアは勝手に生えたものばかりで、植栽されたのは珍しいが、やせた土地でも生長が速いので選ばれたのだろう。花はきれいだし。

以前の通り、体育館の東隣がテニスコート、その南が駐車場。駐車場のテニスコート寄りを東へ進むと、外に出る門があった。
門の名前はなく、車が通行する部分は閉まっていた。
門右の木もハリエンジュ
例によって、門の前(=厳密には大学敷地内)で喫煙する大学関係者らしき人物がいた。秋田大学に限ったことではなく、弘前大学等でも同様だが、敷地内全面禁煙の結果、近隣住民・通行人に受動喫煙させている。

南方向。この道路沿いが大学敷地の東辺
以前の通り、秋田大学医学部=本道キャンパスの敷地は、2つ(実はもう1つあるので後述)の所在地にまたがっている。西側が広面字蓮沼、こちら東側が柳田字糠塚(ぬかづか)。
医学部東辺と柳田字糠塚の東辺は一致しているので、この道路が境界。
上の写真左、東側は柳田字境田(さかいだ)。学生向けアパートもなくはないが、戸建て住宅のほうが多い。昔、小型バスが来ていた境田団地。

反対の北側を見ると、
左はテニスコート、グラウンド
家がまったくない。
少し進んでテニスコートとグラウンドの境付近
舗装された道路は、門のすぐ先で右・東方向へ曲がり、その道の南側(上写真手前)は引き続き家が並ぶ(新しめ)が、北側はほぼない。東へ曲がった舗装路も小字の境界で、つまり境田団地はその名の通り、字境田地内のみに建っている。
道路より右が字境田
直進してグラウンド方向(門などはなし)へは狭い砂利道。30キロ制限の道路標識が立ってるけど、砂利道用?
舗装路より北、家がない砂利道側は、柳田字推子。初めて聞く小字だが「すいこ」と読む。
柳田字推子は実は医学部敷地内にもかかっていて、ちょうどグラウンド部分。南のテニスコート、西の糠塚宿舎は、字糠塚。

推子は、中国語では「バリカン」の意味だそうだが、ここの由来は何だろう。
また、秋田市内には、広面字推子という場所もあるのだった。遠くはないが、隣接はしていない。
場所は手形山団地の南。秋田大学手形キャンパス裏の鉱業博物館~太平山三吉神社・市立広面小学校の間は、手形山の南端。その山の中。多少人家はあり、以前「徐行SLOWSTOP【31日訂正】」の道路標識を見つけた所。
住居表示実施前の手形山西町、手形山南町も広面字推子だったが、そうだとしても柳田字推子とは接しない。間は住居表示未実施なので、昔と変わっていないと思う。微妙に離れた2つの「推子」が不思議。


さて、医学部北東=柳田字推子は、地形図では一面の水田と記されていた。それとグラウンド内から見た時は、太平山の本山が木に隠れて見えなかったが、外からは確実に見えると思われた。実際は、
こんな景色
太平山はよく見えるが、見通しは悪い。手前はススキやセイタカアワダチソウ。休耕田か耕作放棄地か。
この日は雨が降り出しそうで空一面雲だけど、太平山がくっきり見えた。写真では分かりづらいが、紅葉で山が赤く色づいている。晴天なら美しいことだろう。

舗装路を少し東へ進むと、
ようやく田んぼがあった


ここでも「ひこばえ」。ただ、稲の場合は、「稲孫、穭(ひつじ・ひつち・ひづち)」「再生イネ」と呼ぶらしい。知らなかった。
稲刈りから1か月以上経っているわけで、その間にこんなに生長している。しかも、穂まで再度出した株も。実が入っているかは分からないけれど。
もっと進めば、田んぼが開けるはずだけど、接種直後の体とバスの時刻があるので、門内へ戻った。地域の人だろうか、車や散歩でちらほら人は通るが、見通しが利かない場所もあって山も近く、クマが出そうでちょっと怖くもあった。

全希望者を対象に3回目のワクチン接種が行われることが確実になった。8か月の間隔を空けるとのことだから、3回目もここで受けられて来たとすれば、その時は五月雨に若苗が青々とした光景が広がっていることだろう。
※3回目も医学部会場は設けられたが、僕は西武秋田店で受けました再訪は2022年11月の4回目接種
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街の秋2021

2021-10-28 18:13:24 | 秋田の季節・風景
最近は、例年より急に気温が下がったような気がしていたけれど、もう10月末だった。例年、冷たい雨が降る、秋田県種苗交換会(今年は能代開催)の時期。そう思えば、例年よりは穏やかか?
ともかく、紅葉が里へ下りてきた。

泉のハミングロード。
泉地区南端
オレンジ色に紅葉している高い木は、トチノキ。ここには何本かある。

ソメイヨシノなども紅葉

地域の人たちが手入れする花壇には、
ケイトウ
昨2020年、正岡子規が句に詠んでから120年であった、ケイトウ(鶏頭)の存在を改めて感じた。今年、気を付けてみれば、けっこうあちこちの庭で咲いている。

昨年はこのハミングロードのケイトウも取り上げていた。上の写真は、昨年と同じ花壇で、同じ品種だと思われた。
でも、生えている場所は、よく見れば花壇内じゃない。花壇の縁石と、遊歩道のブロックとの境目。大きく伸びて見事に咲いているように見えるが、昨年と比べると横の広がりがなく、葉も花も少ない。
こぼれ種が育った、ど根性ケイトウだ。施肥や除草はしてもらってるでしょうけど。
 やはり見ても不思議な作りの花


場所変わって。旭川沿い、川反対岸の土手長町通り。
伐採されてそれっきりの街路樹のシダレヤナギの切り株。雨上がり。
左手前

2種のキノコ
どちらも大きいキノコ。食べられそうに見えなくもないが、こういうのこそ危なそうにも見える。

2016年には、この隣の切り株で別のキノコが発生した。小さくて細かいナメコみたいなのが。それも10月下旬だった。

※恒例の大学病院前のモミジバフウの紅葉
11月の紅葉の風景
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大町四丁目解体2つ

2021-10-25 23:24:57 | 秋田の季節・風景
建物解体の話。秋田駅西口周辺では、マンション建設のため2つのビルが解体(※)されているけれど、今回は旭川対岸の大町四丁目から2つ。どちらも大きな建物ではないけれど、なくなってから、その存在感に気付かされた。
※金萬ボウルがあったマルトヨビルはほぼ完了。ホテルハワイ駅前店は本格解体はこれから。

まずは9月中に解体完了したこちら。
ビルの谷間といった場所
大町通り(赤れんが館通り)、大町四丁目上りバス停が置かれたマンション(上の写真左)の、北隣。かおる堂大町店の駐車場をはさんだ南隣。向かい(ドコモの北隣)は今は駐車場だが、1984年までは秋田郵便局(後の秋田中央郵便局)があった。
左奥がNTTドコモ東北支社秋田支店

以前ここにあったのは、
2019年9月Googleストリートビューより
4階建てのビル。見た感じ、1970年代築ってところか?
1階は大部分がピロティって言うのか壁がない駐車場(その年代の秋田の建物では珍しいかも)。塔屋分が1段高い南寄り(正面左側)は階段室なのか、茶色い格子に茶色いガラス張り(昔の建物ではたまにある感じ)。マンションに接する南外壁にはツタがはっていた。
ピロティの駐車場は道路よりも少し高く、間に傾斜がある。僕は新屋方面からバスで中央部へ来る時、大町四丁目で下車することが多い(運賃境界なので)。歩道がない道路だし、バスがスムーズに発進できるよう、この傾斜の部分に入らせてもらって歩きつつやり過ごすように心がけていた。

このビルの名は、
「デンタルビル」
その名の通り、歯科医院が入っていた。その看板は2019年9月のストリートビューではまだあったが、2020年10月にはなくなっており(デンタルビルの表示はそのまま)、歯科医院の閉院に伴って解体となったのだろうか。
2階以上3フロア全部が歯科ではないだろうし、近年は空いていたような雰囲気もあるが、もともとはテナントが入っていたのかも。

更地を見て、デンタルビルってこんなに奥行きがあったの? と感じた。
2020年ストリートビュー
やはり、ビルはだいぶ薄っぺらだった。間口より奥行きのほうが短い。後ろには松や民家風のものが建っていて、同時に解体されたことになる。歯科医院のご自宅だったのだろうか。
低い建物はすずらん通り、ピンク色のビルは1本西・茶町通りのホテルパールシティ秋田川反
定型句ですが、跡地はどうなるのか。
ポストがぽつんと取り残されたようで、ちょっとジャマかも。そう言えば、上記の通り、昔は向かいが“本局”だったから、ここにポストはなかったことだろう。

【2022年7月12日追記】その後、舗装されて、2022年夏には時間貸しの平面駐車場になった。


もう1つは1本東隣の道路、川反(かわばた)の通り。秋田市の歓楽街ど真ん中。
川反通りの東側の建物は、旭川右岸に背を向けて並んでいる。そのため、旭川対岸・土手長町通りから見ると、特徴的な景観を作っている。
左が四丁目橋
四丁目橋から3軒目の建物が解体された。2軒目のヤナギがあるのが、割烹かめ清(かめせい)、その隣。
2020年8月ストリートビューより
白い、幅のわりに高い建物だった。記憶にない。表側は、
2020年10月ストリートビューより
やきとり居酒屋が入っており、2012年時点ではclubの看板もあったが、2015年以降はなくなっておそらく上は空いていそう。

建物がなくなった土地越しに見えるのは、
対岸・道路向かいのマンションがぴったり収まる

土手長町通りから
向かいの階段状のライオンビル秋田館や、大町通りのドコモのアンテナが絶妙のバランスで見える。
【2022年2月2日追記】この直後、北隣(対岸から見て右)の建物の外壁工事が行われ、色や質感が変わった。跡地は2022年2月1日時点で更地のまま。

また、跡地は…、となる。歓楽街だからと言って、すぐ次が建つとは言えなくなった。この通りでは、すでに2軒、長く空いた土地がある。
1つは同じ四丁目ブロックの北寄り、2階にステンドグラスがはまっていたやきとり&牛タン屋などが入っていた建物は、2017年7月~2018年7月の間に更地に。今は「貸地」の札が立つ。
その1ブロック北、三丁目の旧・秋田中央警察署大町交番跡も。2019年初めに更地になって、その後不動産会社へ売却されたが、「売物件」のまま。【2022年8月1日追記】その後、民家が建って、入居している模様。

空き地の裏手は旭川護岸。道路側もしくは川側の柵が、なかったり簡易だったりする箇所もあり、酔っぱらいが転落する危険(ここかどうかは不明だが、たまに実際に落ちる)もある。
川反は古い建物が多い上、このご時世。こんな場所がいつかまた増えてしまうかもしれない。
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'03大館 信号とバス

2021-10-23 23:30:05 | 昔のこと
2003年8月2日17時台に、秋田県大館市のJR大館駅周辺で撮影した写真を、少々ご覧いただきます。当時の大館を知るかた、よりは路線バスや信号機に興味のあるかたに懐かしい画像かもしれません。
21世紀の2003年=平成15年、そんなに昔ではない気もしていたけれど、18年も前。何より写真に写っているものは昭和のもので、やはり「昔」になってしまっていた。

当時どうして大館にいたかと言えば、日帰りで弘前ねぷたを見に行ったから。開始時刻頃に弘前に着く普通列車で行って、大館での待ち時間で駅周辺をぶらついた。ちなみに帰りは、当時運行されていた秋田に翌日1時過ぎに到着する臨時特急を利用。
当日は雨で、夏の17時にしては暗く、カメラ性能もあって写りは悪い。夜には上がって、ねぷたへの影響は少なかったようだ。

2013年も記事にしていたが、駅前から秋田県道21号を進み、貨物線として営業中(旅客は1994年まで。2009年完全廃止)だった小坂製錬(小坂鉄道)の踏切を渡れば、御成町二丁目の商店街。
「2丁目大通り」
1973年に設置(着工は1970年。一部サイトで1970年完成とあるのは誤り)され、2015年に撤去されたアーケード。※ここの南、長木川対岸(大町商店街?)では今も古くなったがアーケードがある。
ご多分に漏れず、今は寂れた通りで、当時もその傾向はあったのだろうが、煌々と蛍光灯が灯り、路上駐車もあって、にぎやかそう。
右奥には、2006年に閉店したジャスコ大館店(解体済みで更地。2016年の記事)も見える。

この写真を撮影したのは、アーケード街を撮りたかったからではない。先方の信号機を撮りたくて(だからアーケードも路駐もジャマだったのだけど、今思えば撮っておいて良かった)。
当時としても、また秋田県中央地域住民としても、貴重な信号機。歩行者用もそうではあるが(撮らないでしまったけど)、何よりも車両用信号機。
LED式・縦型がほとんどになった今では、電球式・横型だけでも珍しいが、それだけではない。鉄製ボディの、京三(きょうさん)製作所製という点で珍しい。

信号機の材質は、今はステンレスやアルミニウム。その前は樹脂(主にポリカーボネート)。さらにその前は鉄が、それぞれ主流だった。鉄製ボディの初期は、直方体の四角い箱だったが、その後角が取れて丸っこくなった。
秋田県警では、鉄製は1980年頃までの採用。それ以前に設置された信号機が、細々と21世紀まで残っていた。秋田市内では1972年より後の製造の日本信号製が2011年まで残っていた

信号機のメーカーは大手3社以下複数あり、相互にOEM供給し合う製品もあるが、各社独自設計のものもある。鉄製時代は、大手3社それぞれで個性が強いデザインだった。
秋田県では、エリアによって信号機のメーカーに偏りがある。今も昔も、京三製作所製は大館周辺に多く、秋田市内にはかなり少ない。

というわけで、2000年代でも秋田県としてはレアでレトロな信号機が、大館の県道の商店街に残っていたのだった。
なお、この時点では、交わる市道側は縦型に交換されていたようだ。その後、アーケード撤去より前に、県道側も縦型に交換。その後さらにフラット型に交換。

車両用信号機のレンズ(点灯する部分)の直径は、25センチか30センチが原則。昔の秋田県警では、赤だけ30で黄と青は25というのも多かった。ここは、幹線道路ということかオール30センチ。

横型電球式のごく普通の信号機に見えるかもしれないが、いろいろと違うのです。
まずボディ色がほぼ白色。樹脂製以降はグレーが標準。これは他メーカーでも同じで、ペンキの色ということか。鉄製では、定期的に錆止め・再塗装が行われていた。フード(庇)の内側が黒でないのも、この時期の特徴。

ほかには、柱に取り付ける2本のアームのうち、下側が大きな弧を描いている。
今の信号機は、細い一直線の棒のようなスタイリッシュなアームもあるし、信号機本体とアームの組み合わせは自由で、途中で交換することもある。一方、昔の信号機は、本体とアームはセットが基本だったようで、メーカーによってアームのデザインも違っていた。
フードもメーカーや製造時期で違い、これは先が細くとがった「くちばし」のような形状。

参考までに、だいたい同世代だと思われる、秋田市の新国道「八橋大畑」にあった日本信号製。
(再掲)これはアームは無塗装、フード内側は黒
どちらも箱型だったボディが丸っこくなった最初のモデル。1970年代前半~中頃の製造ではないだろうか。
日本信号製は、いかめしい感じがするのに対し、京三製作所製は柔らかく見えないでしょうか。ボディの余白が少なく、相対的にレンズ部分の占める割合が多いようにも見える。

大館の信号機と同タイプの信号機が、秋田市内にあった記憶はない。しかし、同時期製と思われる、赤だけ30センチの信号機は少数存在した。新屋船場町の丁字路や、羽後銀行本店前の歩道橋(現・北都銀行本店前、歩道橋は撤去。歩道橋直付けでアームはなし)、そのほかにも多少あった(臨海バイパスの「川尻若葉町」もだったかな)はず。※県外で撮影した写真があるので、いつか。
それらは、オール30センチよりもさらに柔らかく愛嬌のある顔つきに感じられて、子ども心に好きだった。そして日本信号製は怖い印象で、しかも設置数が多くて嫌いだった。

撮影した2000年前後は、インターネットを使い、多くの趣味のサイトを見るようになった頃。信号機趣味のホームページもあり、この京三製作所製の古い丸型信号機に、愛好家によって愛称が付けられていることを知った。
愛称というのは、C57形蒸気機関車の「貴婦人」、ボーイング747の「ジャンボジェット」みたいなの。ジャンボは、当初ボーイング社は嫌悪感を示したそうだが、後に自らも使用。

上記の通り、ボディに対してレンズが多くを占め、さらにフード形状によってもレンズが目立ち、「目玉がぎょろっと」しているのをエイリアンにたとえて、「宇宙人」と呼ばれる。
一部サイトでは、特定のエイリアンのキャラクターと結びつけた命名だとか、25センチではなくオール30センチのみを指す名称とされているものもあるが、それらが合意形成されているのかは不明。
個人的には、宇宙人の名を知った時、実に的確なたとえだと感心した。25センチ版のほうがより宇宙人っぽく見える気もする。

印象的なデザインの信号機なのは間違いないようで、「ヒョロ」「笹かまぼこ」など別の愛称も付けられていたようだが、宇宙人が多数派。
ネットの普及で“用語が統一”されたこともあるだろうし、実物の信号機は撤去が進んで数が少なくなり(温暖な地域には、2021年でも多少現存するのでは?)、信号機愛好家でもなじみがない人が増えたこともあるだろう。
なお、名古屋の大須や宮城県などにある、4方向の信号機をまとめて吊り下げた集約灯器は、マスコミが「UFO」にたとえることもあるが、宇宙人信号とはメーカーやデザイン等の関係はない。
信号機はここまで。


次は大館駅前の秋北バスの一般路線バス。当時は、今より国際興業との結び付きが強かった関係で、車両はいすゞ製で統一されていた。
車体塗装は、この頃、赤とキャラメル色のような独自デザインから国際興業グループ共通塗装に代わりつつあった。しかし、2008年の創業65周年の復刻、さらに国際興業との関係が薄れたことにより、今は再び自社塗装が多数。当時は、減りつつある自社塗装の記録として撮影した。
秋田200か57。側面はラッピング
いすゞLV(LT?)キュービック。秋北バスとしては珍しくもなく、秋田市交通局でもおなじみの、カキッとした車体とフロントガラス1枚・オーバーラップワイパーが特徴の車。【24日補足・秋田中央交通は自社発注では1台もなく、2000年前後に中古で初登場。交通局譲渡車も加わってそこそこの勢力になったが、2020年で全廃。】
今ネットで調べても、この車の情報はほぼない。
秋田中央交通の「か66【26日補足・三平バスより先に1台だけ入った初のエルガミオ。今春廃車されたとのこと。】」は2000年導入だから、これもその頃の登録。ということは中古車、当時だから国際興業から来たのか。

秋田22い745
なんとも懐かしい“昔のバス”。昔とは1980年代中頃までの製造のこと。「スケルトンボディ」になる以前「モノコックボディ」という構造で、僕にはどれも同じに見えてしまう。幼かったことに加え、当時は同じ車種でも、車体を組み立てる(架装)メーカーが複数あって、それによってぱっと見では識別が難しかったことが理由。
これは、キュービックの1世代前のいすゞ車。1980年~1984年と短期間のモデルだったとのこと。架装は川崎車体(KAWASAKI COACH。後にIK COACH、いすゞバス製造を経て、今もいすゞのバスを製造するJ-BUSに変遷)だから、これが当時のいすゞの純正ボディ。
その頃の秋田市営バスのいすゞ車は、富士重工と北村製作所の架装が多く、川崎架装の車もあったが少数派だったようで、そのせいかなじみが薄い顔。【24日訂正・川崎架装車は台数としては一定数あって、富士重工よりは多かったか? ともかく、キュービックのような抜きん出た個性や存在感はなかったと思う。】

この車は国際興業の中古らしい。秋田市営バス最後となった1996年度の導入車両のナンバーが780番台だから、その直前の移籍。
以前、2002年の弘前のバスを紹介したことがあった。その中に、これと同世代の三菱の通称「ブルドッグ」もまだ走っていた。
秋田市営バスではモノコックボディのバスは、1999年度頃までに廃車済みだったはずだが、地域によってはまだ普通に走っていた。それが21世紀初めという時代だった。


最後に、秋北バスの2台の行き先表示(方向幕)について。
57号車「羽立経由 弥助」は、昔の方向幕で一般的なモリサワの丸ゴシック体。745号車「新沢(?)経由 大館鳳鳴高校前」は、細身のナールっぽい書体。
そして、どちらも幕の枠に対して、中央にちまっと文字が書かれ、上下左右とも余白ができてしまっている。後に他社同様枠いっぱいに表示されるようになったが、当時の秋北バスではわりと見られたはず。

どうしてこんな書きかたなのか。
昔存在した、枠が小さい表示機用の幕を使い回せるよう共通化したのかと思うが、違いそう。小型幕は左右の幅が狭いから、これほど左右の余白があってはセットできないだろうし、逆に小型幕を使い回したら、幅が足りずに左右に中の蛍光灯が見えるはずだし、自動停止のバーコードのセンサーも働かないはずだし、上下のコマの文字が出てしまうかもしれない。

幕に文字を印刷する時の費用や作業の都合上、文字の部分だけ小型幕用のものを使い回しているのではないだろうか。
また、文字の上下の余白は、前や次のコマの余白と共通して使えそうなので、方向幕の総延長が節約できるメリットもあるかも。


大館以外の2000年代の写真など、またいつか。
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輸送菓子10月/N30編成やっと

2021-10-21 23:42:18 | 秋田のいろいろ
秋田駅中央改札外の「NewDays秋田中央口」で、店頭以外では予告せずに、首都圏方面のお菓子を新幹線でゲリラ的に輸送販売するシリーズ。
7月9日に柴又の草だんご、8月6日に幡ヶ谷のごまだんご、9月24日に川崎大師の独鈷久寿餅と、金曜16時08分到着で餅菓子(久寿餅は小麦粉が原料)が続いた。

今週、
装飾が派手になった
やはり10月22日金曜だけど、今回は餅ではない和菓子。

「明治6年 東京日本橋 創業」とあるのは間違ってはいないが、実は現在地は違う。大正時代に北区中里に移転。店の名は創業時は三河屋安兵衛で、移転後は「御菓子司 中里」。店はここと大丸東京店のみ。
中里に隣接する駒込に近い位置なので、駒込の店だと認識する人もいるようだ。※駒込と言えば、秋田市出身者が考案したこまごめピペット

秋田へ運ばれるのは「揚最中 4個、南蛮焼 2個」セットで税込み1340円、看板商品2つの詰め合わせで、例によって店と同価格。
別に東京のお菓子に詳しい者ではないが、今回もまた、お店も揚最中も南蛮焼も存じ上げなかった。揚最中はごま油で揚げたモナカ、南蛮焼は黒砂糖入りの皮でたっぷりのあんこを挟んだどらやきみたいなの。

NewDays秋田中央口では、今回は駅弁コーナー左右に垂れ幕まで設置。
「誰にも教えたくなかったあの商品が…」「ついにあの揚最中が秋田に来たー!!!!」とのこと。この段階では「来たー(by 織田裕二&山本高広)」ではなく「来るー(by 山崎弘也)」ではないのか。

それにしても、よくも次々見つけてくるもんだ。次は何?

【22日追記】これとは別に、秋田駅ビルトピコで、首都圏の洋菓子(いわゆるスイーツ)を輸送販売する催しも開催されている。

【11月24日追記】この次は、11月26日・金曜日の16時。「横浜中華街 世界チャンピオンの肉まん 皇朝(こうちょう)」で、2種それぞれ、温めた1個売りと非加熱の箱入りを販売。
温めたバラ売りは、季節に合わせ、高校生などすぐ食べたい人の購入も狙っているのだろうか。それにしても、柴又の草だんごからは遠くなってしまった。

【12月24日追記】12月24日も金曜16時。クリスマスイブだけに「銀座コロンバン」のクリスマスケーキ「クラシックバターノエル4号」を直営店と同額の税込み2916円で販売。
ちなみに、たけや製パンの「ストロベリーケーキ4号」は2808円なので、高くもない。

【2022年2月23日追記】2022年2月4日には、立春しぼりの酒を売ったような表示を見かけた。
2022年2月25日・金曜日には、NewDays全体の企画(関東甲信越のほか山形を除く東北各県でも実施)として、10時40分頃から、秋田駅3店舗で駅弁3商品を輸送販売。米沢の「牛肉どまん中」、松山の「松山名物醤油めし」、東京の「チキン弁当」。東日本の2点は定番商品だが、はるばる四国から来る醤油めしは、著名駅弁ではあるがこちらではスーパーの駅弁大会でもまず見ないと思う。

【2022年3月18日追記】2022年3月に秋田駅ビルトピコで、高木屋の草だんごが再び発売されることになったが、地震で新幹線が不通になったため延期。


昨年、秋田地区の普通列車用701系電車の1本、N30編成の側面行き先表示周りを取り上げた。
秋田駅で西側になる面で、表示機の左右(ステンレスの車体部分)に、チョコレート色の帯状のシールが貼られていた。2015年に実施されたラッピングシールが、終了後もここだけ残っていたもの。隅は少しはがれていた。
2020年12月23日では、まだそのまま
たしか2021年春辺りでもそのままだったような気がする。その後、確認する機会がなかったが、今は、
ついに、やっとはがされた!
忘れていたのか、耐久試験を行っていたのか、5年間個性を放った。
シールの跡がうっすら
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海苔のりべん 秋田初上陸

2021-10-19 20:05:30 | 各地お土産・食べ物
JR東日本の駅弁コンテスト「駅弁味の陣2021」が、10月から11月いっぱい行われている。今年でもう10周年だそう。秋田県では大館駅花善の鶏めしシリーズが、好成績の常連。
これまで首都圏などでは、味の陣と連動して、エントリー商品を輸送販売するイベントも開催されていたが、秋田では地元業者のものがせいぜいで、県外の駅弁はほぼ購入不可能であった。

JR以外でも、各スーパーが小規模な“駅弁大会”を散発的に行う程度で、そこに並ぶのは常連業者ばかりで、代わり映えのしないラインナップであった。
※10月初めに、秋田市内の総合スーパー・イオン(旧ジャスコ、サティ)で駅弁が売られた(通常チラシに小さく告知)際、マックスバリュに行ったら、チラシには載っていないのに駅弁が売られていた。その1つに、崎陽軒のシウマイ弁当かと思ったら、小田原・熱海駅の東華軒の「シュウマイ弁当」なるものが。東華軒は「こゆるぎ弁当」など歴史も実力もある業者だから、食べたくなったが、あいにく突然知ったので予定があり、買うのをあきらめた。告知なしの駅弁販売ってどうなのでしょう、イオン東北さん。→詳細はこちら
東華軒のシュウマイ弁当は、公式サイトには出ていないが、各地の駅弁大会で売られているという情報があり、中身も崎陽軒をかなり意識している感じ。崎陽軒同様、シュウマイのみの販売もあるようだ。

ところが昨年、新型コロナウイルスで空いた列車を使って、駅弁を輸送販売するというのが始まった。
2017年の味の陣で最高賞に輝いた、「えび千両ちらし」など、新潟の駅弁が秋田で売られる事態になった。※イトーヨーカドー秋田店があった当時は、新潟駅弁の発売実績あり。
そんなご時世もあるのか、あるいは10周年だからか、今年はついに、味の陣に連動した駅弁販売が秋田でも開催された。東北地方では秋田と仙台のみの実施。

10月16日と17日に、秋田駅ビル トピコで開催。
味の陣のサイトでは、発売商品は「お問い合わせください」だったが、トピコのサイト(ブラウザによっては表示されない?)では全ラインナップを紹介。実に45種類!(味の陣エントリー商品以外も含む)前日に新聞折り込みチラシも入ったが、25種類のみ掲載。

45種には、秋田の関根屋と花善の3点も含まれるが、東北各県、首都圏、新潟と広範囲。これがJR東日本の威力だ。
24点には「秋田初登場」マークが記される。それ以外でも、初めて知る駅弁もあり、前は秋田のどこで売ったのかと感じるものも。

とは言っても、製造輸送の都合、それに消費者の好みに合わせる必要もあるだろう。やはり魚介系、肉ばっかり系が多い。ひとつひとつは魅力的でも、似たようなのが集まってしまうと選びにくいし、実質的に選択肢が減ることになる。
えび千両ちらしは意外にもなし。魚系ながら独特でおいしそうな、新潟県直江津駅(ホテルハイマート)の駅弁が来るかと期待したがなし。やはり遠いのか。崎陽軒のシウマイ弁当や高崎のだるま弁当もなし。

神奈川県大船軒からは、看板商品の「鯵の押寿司」、鎌倉ハムができるきっかけになった「大船軒サンドウヰッチ」のほか、押し寿司や稲荷寿司とともにおかずも入った「湘南チョイス つまんでよし、食べてよし」に心惹かれた。
それはまた別の機会として、期待していたものが、ついに秋田新登場(折り込みには載っていなかった)。
福島県郡山駅・福豆屋「海苔のりべん」。いわゆる「海苔弁」なのに、2018年の味の陣で最高賞を受賞。

福豆屋では「ずうずう弁」という幕の内弁当(2009年初め頃発売終了)を食べたことがあり、素朴でおいしかった。
だから海苔のりべんも食べてみたかったのだが、郡山以外では福島駅や首都圏でないと購入できない。仙台駅で売っている場合もあるという情報も散見されるが、元から曜日など限定だった感じだし、現状は不明【2022年10月14日追記・2022年9月の平日の仙台駅では見当たらなかった。】。いつか福島か郡山へ行かないと…と考えていたのが、秋田駅で手に入る!


ということで、初日の土曜日、11時にトピコへ。【19日補足・16日は「秋田駅 秋のふれあいフェスタ2021」としてその他のイベント、さらに秋田商業高校の商品販売イベントも開催されていて、秋田駅周辺は雨天ながらにぎわっていた。】
1階の吹き抜けのエスカレーター側に一列に台を置いて、一方通行で客を流す方式。
10時開始とのことだったが、まだ閉まっていて、陳列の最中。お客は、吹き抜けの入口に20人ほど並んでいる。おそらく10時24分着のこまちで届いたものもあるのだろう。だったら11時開始にすればいいのにと思いつつ、並ばずに様子見。2階から見下ろして、海苔のりべんの存在と位置を確認。ドラえもんの東京ばな奈など東京土産も売られていた。

11時過ぎに行ってみると、売り場に客はいるのに、入口は閉まっている。
15人程度ずつ区切って客を入れ、それを待つ客は駅ビルの外、自由通路下・駅前交番前に並ばないとならないという(ことを他の客の会話から盗聴)。外へ出ると、30人ほど並んでいる。並ぶのは嫌いだけど、並ぶほかない。
販売を担当するのは、日本食堂などの流れを汲むJR東日本クロスステーション盛岡支店。そこやトピコの人のほか、秋田駅の駅員らしき人も案内誘導していて、全商品掲載のチラシを渡してくれた。
だけど、2階などほかの入口から入店する人も多いのだから、まずは交番前へ並ぶことを、はっきりと説明してくれないと。
【19日追記・事前告知がそれほどされていないと感じたが、客がこれだけ来ていたのに驚いた。折り込みの効果なのか。駅弁に興味がある人がこれだけいることも意外だった。となれば、各スーパーさんももっと大々的に駅弁販売をしてもいいのでは。】

2サイクル・10分強待って、売り場へ。その時点で新たに並ぶ人は減っていて、ほぼ待たずに入れるようになったかもしれない。
1人で3個も5個も購入する人もいたが、この時点では売り切れ品はまだなさそう。海苔のりべんは10個入荷して、1つだけ売れていた。折り込みチラシ非掲載、ほかは派手な弁当も多い中では、予備知識がない秋田の人には、地味な存在になってしまう。
海苔のりべん 732kcal 税込み1000円
若干小さめの箱。昔ながらの駅弁のスタイル。
おしぼり類なし。つまようじ付き


メインはごはん。見た目よりみっちり、たっぷり入っている。でも食感はふんわり。
おかかがまぶされ、海苔と梅干しが載っている。表面だけでなく、ごはんの中ほどにも海苔があり、底には、
昆布の佃煮
弁当だと吸水してしまいそうなものだけど、おかかもふんわり。
おかかの味は、コンビニおにぎりのおかかと比べると、薄味。僕は秋田県人にしては薄味好みのつもりだが、ちょっと醤油をかけたら…と思ってしまった。

おかずは、玉子焼、焼鮭、煮物、きんぴらごぼう(大きめカット)、かまぼこ(紅白じゃない)、赤かぶ漬。
煮物のサトイモのようなのは、エビイモ(サトイモの仲間ではある)。シャキッとした食感に戸惑った。
おかずも全体に薄味。シャケがしょっぱくなくていい。玉子焼は出汁味。

なるほど。丁寧に作られた、おいしい駅弁だった。
福豆屋では2008年頃に「ビッグのり弁」というのを出していて、その頃から研究を重ねたきたのだろうか。近年は、肉入り、上野のパンダバージョンなど派生弁当も出している。今回の味の陣にはおかかなしで豪華版(1200円)をエントリー。

一方で、魚介・肉の駅弁もエントリーされた中で、これがそれほど支持されたというのも意外に思われた。薄味なのが関東以西の人には受けたのかもしれないし、やはり魚介・肉ばかりでは飽きられる、そして幕の内系こそ万人に好まれる駅弁という証かもしれない。
だったら、上位入賞を狙う各業者も、この方向性で開発を進めてはいかがでしょう。
福豆屋さんに限ったことではないが、地方都市で、新型コロナウイルス流行下、経営は楽ではないと思う。今後もご健闘を。

【2022年3月10日追記・滋賀県 米原駅の「井筒屋のおかかごはん」について】米原にもおかかをメインにした駅弁があるのを思い出した。「湖北のおはなし」の業者。
こちらは海苔はなく、ごはん部分がおかかで覆われている。醤油も使っていないようだ。2022年現在1000円。少なくとも2004年時点で発売されていたようだ。
薄味の地域だろうから、どんな味なのだろう。東京へは来ていないようだけど、いつか食べてみたい。



今回の特設販売場では、電子マネー決済も、JREポイント付与も可能だった。
上がIC決済・ポイント明細、下がレシート
レシートにはトピコの名前はない、JR東日本クロスステーションのもの。売場欄は「秋田SD臨時」。SDとはステーションデパート?? クロスステーションの前身の前身くらいに当たる日本食堂は、かつての秋田ステーションデパートに食堂があった。前身の日本レストランエンタプライズ(NRE)は秋田駅弁も作っていたが、それもいつの間にか撤退したようだ。車内販売もなくなって、だから今回は盛岡から来たのだろう。
電子マネー兼ポイント明細は、アルス/トピコのもので、そこには「駅弁味の陣 2021/トピコ1F催事場」ときわめて正確に印字されていた。

※2022年3月に、秋田新幹線開業25周年を記念して、再び駅弁販売(直江津やえび千両ちらしもあり)が行われることになったが、地震で新幹線が不通になったため延期。
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EV-E801車外音/土崎待合室壁

2021-10-16 23:33:26 | 秋田のいろいろ
JR東日本・男鹿線のEV-E801系電車から2題。
その1本、G4編成。踏切で車と接触した傷が残ったまま走っていたが、1週間ほど前に修理を受けたとのこと。先日、乗車できた。
ピカピカ
この時は、土崎駅から上り電車に乗車した。
乗りこんで、ドアが閉まろうかとするタイミング、車外でなじみがあるが久しく聞いていなかった音が鳴り響いた。

2017年春に「明日はきっといい日になる」に変わるまで、長く秋田駅の発車メロディーとして使われていた、東洋メディアリンクス社製「Water Crown」。
土崎駅では、2018年春から、発車でなく列車到着時に、港まつりの「寄せ太鼓」が鳴るけど、このWater Crownは?
一瞬、土崎駅で発車メロディーが鳴るようになったのかと思ったが、ホームでなく、車両の車外スピーカーから流れている感じ。Water Crownには、アレンジや音色が違う複数バージョンがあるが、かつての秋田駅に近い音色を2フレーズ繰り返す版。
次の泉外旭川駅では、ドアが閉まっていて、空調も作動していたので確認できなかった。

車掌やワンマン運転士が、任意で鳴らせる「乗車促進音(乗車促進メロディー)」だと思う。
JR東日本の最近の新造車両には、Water Crownが搭載されていると聞いていたが、EV-E801系にも搭載されたていたのか?

今回の工場入場時についでに新規搭載したのかもと思ったが、違うようだ。
ツイッターを検索すると、2021年1月の試運転と思われるEV-E801系電車が、秋田駅で同メーカーの別の曲「Gota Del Vient」を鳴らしている動画アップされている。
ということは、EV-E801系には2曲搭載されているのか。JR東日本の他形式では、上りと下りでこの2曲を鳴らし分けるものがあるそうなので、話は合う。

今まで、混雑するEV-E801系に乗ったことがなかったせいか、1度も聞いたことがなかった。この時は、乗車する客が若干多かったから、鳴らしたのだろうか。4両編成のワンマンもあり、無人駅がほとんどの男鹿線では、注意喚起に役立つと思う。もっと鳴らしてもいいのでは。



ところで、土崎駅の2・3番線上には、待合室がある。古くて広いもの。その分ホームが狭い部分もできてしまうけれど。【17日補足・何度か取り上げた、国鉄車両風装飾がされ、そば屋がある改札外・駅舎内の待合室とは別。両者で席数はあまり違わないと思うが、ホーム上待合室のほうが広くてゆったりしている。エアコンもあるが、自販機・トイレはなし。】
EV-E801系2両編成では、赤い車両が待合室にかかって停車する。天気がいい時は、
待合室の壁が真っ赤!

太陽は右上
そうか。直射日光で車体色が反射して、待合室の木の外壁に映っているのか。それほどEV-E801系の塗装は鮮やかなのか。と思いこみかけたけれど、車両がいない状態では、
ピンク色の壁でした
たしかに車体色の鮮やかさもあるだろうけれど、もともとの壁の色もあって、より赤く見えているのでした。
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秋田市「本道」

2021-10-14 23:00:48 | 秋田の地理
前回の続き。秋田大学医学部(附属病院含む)のある敷地は「本道(ほんどう)キャンパス」と称される。その名前について。

秋田大学の他のキャンパスは、本部や医学部以外の「手形キャンパス」、附属学校・園のある「保戸野キャンパス」。
部外者の秋田市民には、手形キャンパスは充分通じるが、保戸野キャンパスは大学というより「附属学校の場所」という固定観念により通じづらいと思うが、「保戸野にある秋大の施設」と考えれば連想できるだろう。
そして本道キャンパス。市民は「医学部」や「大学病院」と呼ぶことが多く、やはり通じづらいが、「本道にある秋大の施設だから」という理由では納得しないことだろう。今回の秋田市によるワクチン集団接種会場も「秋田大学医学部体育館」の名称が使われており、本道は出てこない。
なぜなら、秋田市に「本道」という地名は存在せず、大学が自分で命名した名前だから。

2017年と2018年の春に、秋田魁新報で「秋田市裏ガイド」という連載(新国道について関連記事)があった。その2018年第5回で取り上げられて、はっとさせられた。
Wikipediaの秋田大学の項でも、それを出典として説明がある。医学部設立時に、初代学部長になった人が論語からの引用、あるいは漢方医学で内科を意味する「本道」を由来として、命名したとのこと。

国公立ばかりか私立も含めて、このような命名法のキャンパスは、珍しいのではないだろうか。ほかに例があれば、教えてください。
でも、考えてみれば、公立小中学校では、漢文から引用するなどして地名と関係ない学校名を持つものが、全国的にわりとあるようだ。「明倫」とか秋田市立小学校にもある「日新」など。
ならば、国立大学のキャンパス名が地名でなくても、おかしくないし責めることはできまい。分かりづらく覚えづらくはあるけれど。


ただ、本道はそれだけではない。
キャンパス名のみならず、大学側が、医学部の所在地名として「秋田市本道」を名乗っているのだ。しかも「本道1丁目1の1」とかいう丁目と住居表示もどきの番地まで付けて。
「キャンパス名を命名した」だけでなく「地名も命名した」ことになり、それも正式な地名ではない。
秋田大学ホームページより
地図から読み取れば、正式な所在地は、附属病院部分(看護師寮【15日訂正・今は学生寮になったようだ。大学ホームページの一部が未修正】は除く)が広面字蓮沼、それ以外の医学部敷地が柳田字糠塚。糠塚宿舎は柳田字糠塚なので、正しい命名(どうせなら本道宿舎にすれば良かったのでは)。【30日追記・一部は柳田字推子という地名にもかかっている。この記事参照
医学部敷地内に2つの大字があるのだった。広面(ひろおもて)は著名だが、柳田はマイナーな大字。医学部を南西端とし、東と北側に広がっている。東は柳田字柳田の集落があって、バス停名にもなっているが、北は裏手の山や、さらに向こう秋田自動車道太平山パーキングエリアのさらに北まで続いている。

秋田建設工業新聞社「住まいの情報誌 かだん vol.31(2012年新春号)」の「秋田市 街並み探訪 シリーズ4 本道地区」では、キャンパス名は論語由来としているが、「「医学部と附属病院の住所を統一することで、新生医学部のイメージづくりを考えたい」という大学の想いから生まれたもの。」ともしている。
広面キャンパスとか柳田キャンパスとすることに、ためらいもあったのかもしれない。


大学ホームページでは、秋田大学全体(上画像)、大学院医学系研究科・医学部、どちらも「〒010-8543 秋田市本道1丁目1の1」とするとともに、手形キャンパスの所在地は「秋田市手形学園町1番1号」でと番地の書き方を変えている。附属学校・園も「保戸野原の町○番○号」。
本道だけ、正式な番地ではないから、さすがに「1番1号」にはできないということだろうか。

附属病院の所在地は、大学全体や医学部のホームページでは、医学部と並べて本道1丁目1の1にある書きかた。
一方、附属病院自身のホームページでは「〒010-8543 秋田市広面字蓮沼44-2」としている。また、病院隣接地に2010年に建った「本道40周年記念会館」内の「レストランはすの実」は、蓮沼からの連想とのこと。附属病院は、正式な所在地名も意識しているみたいだ。


郵便番号はいずれも010-8543。大口事業所が使うことができる、専用の個別郵便番号をもらっている。日本郵便ホームページで検索すると「秋田大学医学部附属病院」「広面字蓮沼44番2」に割り当てている。
個別郵便番号は、住所を書かなくても届くので、実在しない地名でもあまり問題ではない。けど、本来附属病院に割り当てている郵便番号を、隣とはいえ学部も使ってしまっているのは、どうなんだろう。郵便局にその分の仕分けをさせているのでは。
個別郵便番号制度ができる前は、郵便局は半ば善意で本道1丁目1-1の郵便物を配達してくれていたのかもしれない。昔は、「世田谷区 フグ田サザエ様」だけで、長谷川町子先生にファンレターが届いたそうだけど。

Google検索でも、医学部は本道、附属病院は蓮沼として表示される。Googleマップで地名を検索すると、そのエリアが赤枠で表示されるが、本道一丁目などで検索するとさすがに迷うようで、医学部周辺をなんとなく表示する。
秋田市役所のサイトでは、防災関連の緊急連絡先の1つの附属病院を「本道一丁目1-1」とするなど使用例がある。今回の秋田市ワクチンポータルサイトの接種会場は「秋田大学医学部体育館 〒010-8543 秋田市広面字蓮沼44-2」と、附属病院の所在地を書いているが、上記の通り体育館は柳田に所在する。住居表示や地名を管轄するのも秋田市(防災や保健所と部署は違うけど)だから、厳格かと思ったらこんなありさま。


秋田県立図書館ホームページで、秋田魁新報の過去の見出しを検索した。
医学部開設2年目の1971年12月31日付朝刊に「郊外だが「本道一丁目」/秋大医学部の新住所名/医に由緒ある名称/立派過ぎ、市から注文も」。
20年目の1990年5月30日付朝刊には「名実ともに本道になりたい/秋田市が認めず既に市民権獲得/秋大医学部の居住表示」。
これらから判断すれば、命名時も、その20年後も秋田市としては、本道をあまり快く思っていなそう。21世紀に入った今はどうだろう。


本道だけならまだしも、なぜ一丁目1番にしたのか。
政治家を中心に、重要な政策を「一丁目一番地」と呼ぶことを2012年に取り上げた。最近はあまり言わなくなったかな。
その時調べたら1980年代には使われていた言葉。医学部設立時はまだ早そうで関連はないのか。まあ、1の1の1だと印象は悪くはない。
何よりもおかしいと思うのが、一丁目1-1があるのなら、一丁目2以降や二丁目以降がないと、付番した意味がないのでは。

時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」で、2006年の本道キャンパスを見たら…
「本道二丁目」???
「手形山東町」と同じ書きかたなので、地名として扱っているのだと思う。現在の地理院地図では、丁目は「中通(一)」とカッコ書きだが、当時はこの表記。また、この時点ではすべての町名が表示されるわけではない。
位置的には自称・本道一丁目だが、大学側でも命名していないはずの二丁目。国土地理院であっても間違うことはあるけれど、二重に間違っている。どういう経緯で間違えたのか不思議。


冒頭の通り、秋田市民にはほとんど浸透していない「本道」だが、大学以外の第三者が借用した使用例が、少しだけある。
「大学病院前アカデミータウン本道の街」。
秋田市の不動産会社・山王土地による宅地開発分譲地。同社サイトによれば、1973年に「大学病院前アカデミータウン」として分譲を始めたようだが、2002年には「大学病院前アカデミータウン本道の街」になっている。
地名は柳田字川崎(と広面字谷内佐渡?)。場所としては、医学部グラウンドから見えた、医学部敷地東隣の境田団地のさらに東側、県道との間。「大学病院前」というより「医学部隣の隣」。

「本道の街ショートステイセンター」。
アカデミータウン本道の街の中にある高齢者施設。1978年に太平地区で創立した社会福祉法人が、2011年にオープン。

「本道プロムナード」。
キャンパス南辺の、大学病院正面の交差点より東側(立体駐車場~学部側)の市道の向かい側に沿って、遊歩道(以前は医学部関係者の“喫煙所”にされてしまっていたが、今はどうでしょう)、水路、自転車歩行者道(2011年に道路標識のことを取り上げた)が続いている。その遊歩道の名前らしい。現地で看板など見た記憶はない。
(再掲)西端。草木の茂る部分が遊歩道。左方向が本道キャンパス
水路までが医学部と同じ柳田字糠塚、自転車歩行者道から南側は広面字糠塚と、大字は違うが小字は同じ。
この水路は、地域の人たちが手入れしていて、ホタルが生育する。
2003年度には秋田市から整備資金が出たようで、「広報あきた」No.1551には「秋田大学医学部前の本道プロムナードの小川の整備」とある。「秋田市の環境 平成18年度 調査結果報告書」には、2006年に小学生が水生生物調査を「本道プロムナード脇水路」で行ったとある。
2011年撮影。2004年付の看板
問い合わせ先は秋田市環境部で、名義は「大学病院前の水辺環境を守る会(愛称:ホータル会)」。遊歩道と水路は別物ということもあるかもしれないが、本道プロムナードは出てこない。
その他ネット上にも、本道プロムナードの名はほぼない。広報にも載ったのだから以前は秋田市も関知していたのだろうが、2010年代以降は使われなくなったのだろうか。
そもそも遊歩道の管理者も分からない。そんな意味では、仁井田・大住、秋田南高校裏の「ぽかぽかオレンジロード」と似た感じか。

そんなわけで、実態としては秋田大学がほぼ独占的に使っている「本道」。
しかし、上記1990年の新聞見出しでは、本道が地域に定着し、さらにそれを正式な地名にしようという動きがあったものの、秋田市が認めなかったように読める。今よりも、市民に本道が浸透していたのだろうか。
医学部設立から50年、1990年から30年経ち、学部設立から街ができていった過程を知らない住民が多くなったことだろう。憶測だけど、本道への思い入れが消えつつあるのではないだろうか。
そしてそれは、秋田大学側でも同じかもしれない。
本道がもっと広く認知されて使われれば、地域のイメージ確立とか、大学と地域の一体感を醸成できるという効果がありそうだが、その機会は逃してしまったのか。

前回触れた通り、医学部周辺は設立後短期間で目覚ましく宅地化された。
それに追いつかなかったのか、一帯の地名、広面や柳田は住居表示未実施のまま。※かつて広面だったエリアでは、北の手形山や南の東通など、改称・住居表示化された箇所もある。
同じ頃に宅地化が進んだ泉地区では、1998年に実施済み。広面が取り残されているのはおかしいかも。
1990年から30年も経って秋田市の考えも変わっているかもしれない。改めて大学や地元町内会が、住居表示未実施で不便なことと合わせて秋田市に陳情すれば、「本道」が正式な地名になるのも夢ではなさそうな気もする。
各方面への根回しが必要かもしれないし、実現しても、医学部が一丁目1番1号になるとは限らないけれど。

ワクチンを受けに行って、3回も記事にしてしまいました。
市の集団接種のほか職域接種も秋田大学医学部で行われ、合わせれば秋田市内で最大の接種会場となったはず(県による大規模接種会場を設けずに済んだのは、このおかげなのかも)。それは秋田大学が提供してくれたからにほかならない。感謝します。
※さらに続いて2回目接種、敷地外東側の光景はこちら

【16日追記】弘前大学の場合。
弘大も、医学部と附属病院だけで1つのキャンパス(弘大では正式には「地区」と呼称)を使っている。地名の本町(ほんちょう)から「本町地区/本町キャンパス」だが、専有であるため秋田同様「医学部」「大学病院」のほうが市民にも他学部関係者にも通りがいいと思う。
一方で、学内の一部では「医地区(いちく)」とか「本町医地区」と呼ぶこともある。
医学部以外がある「文京町地区」については、略なのか間違いなのか町を抜いた「文京地区/文京キャンパス」としている例もネット上(大学生協関連が多い感じで、大学公式サイト内にも散見)で見られる。【2022年3月5日補足・東奥日報と陸奥新報のサイトで、それぞれの記事中での表記を検索すると、両紙とも「文京町キャンパス」と「文京キャンパス」がおおむね半々程度の割合で混在していた。地元紙がそろってこれではいただけない。】
また、以前も触れたように、文京町地区は市道で南北に分けられていて、それぞれの所在地から「文京町1番地地区」「文京町3番地地区」と呼称することが、少なくとも25年ほど前の大学事務局では行われていた。
【22日追記】忘れていた。弘大医学部も、複数の町名にまたがっていた。
本町に所在するのは、医学部附属病院と保健学科など学部の一部の施設。学部の多くの施設は在府町に所在。また、弘大では附属病院看護師寮(研修医も使うようだ)が現役で敷地内にあるようで、そこは相良町(さがらちょう)。なお、弘前本町郵便局は相良町にある。
本町キャンパスは、大きい道路に附属病院(と保健学科)が面しており、その背後=在府町に医学部がある立地。市民に分かりやすいよう、敷地の正面の町名を採ったのだろう。
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本道キャンパス北側散策

2021-10-12 23:40:04 | 秋田の地理
秋田大学医学部でワクチン接種を終えて、バス時刻まで時間つぶし。
考えてみれば、大学病院前バス停以外で秋田大学医学部の敷地(本道キャンパス)内に入ったのは、今回が初めて。大学病院の中にも入ったことがなかったので。
あと、大学の体育館の中に入ったのも初めてだった。学生時代、体育実技を履修しなかったので。
(再掲)地理院地図に加筆
上の地形図の通り、体育館は敷地の北東寄り。北東角はグラウンドなので、糠塚宿舎以外では、体育館が敷地内のほぼ最北にある主要な建物のようだ。
※糠塚宿舎は、医学部以外の職員でも入居できる大学共通施設なのかと思っていたが、宿舎の駐車禁止看板は医学部長名。

附属病院は敷地南西側で、南が正面。体育館付近は、病院の裏面や医学部本体の施設。そして駐車場が多くて広い。
附属病院来院者向けは、南側に駐車場(一部立体)がやはりたくさんある。北側は全部平面で職員用らしい。職員の多さと福利厚生の手厚さがうかがえる。構内通路(20km/h制限)も充分な広さはあるが、集団接種会場という特異な状況では、前回の通り車列ができるなどちょっと危ない。

体育館と(接種者駐車場への)通路をはさんだ西隣の建物。
明確な表示は見当たらなかったが「本道会館」。大学生協の食堂や購買部が入る。
左前が「DINING HONDO」、右奥が「medicoco(大学の案内図にもメディココと表記あり)」との看板が出ていたが、秋田大学生協のホームページにはそれらの名前はなく、「本道食堂」「本道店」となっている。
なお、附属病院正面隣に2010年にできた、レストランなどが入る「本道40周年記念会館」とは別物。ローソンやスターバックスも附属病院内にあり、生協は学部関係者向けに特化していそう。

店をのぞいて飲み物でも買おうかと考えたが、基本的には組合員=学生・教職員用の施設だし、このご時世、さらに医学部という敷居の高さもあってやめておいた。

店の前には、飲料自動販売機が2台。大学生協オリジナル・地域限定飲料「コーちゃん・ウーちゃん・プーちゃん」があるかと期待したが、生協管理なのになし。ナショナルブランドの飲料ばかりで、若干安い(弘前大学生協の自販機も同じ状況だった)。※自販機は体育館玄関前にもあり。

さらに西、車両出入口方向。

敷地の北西~北は、低い山が迫っている。北東方向は水田が広がる。
山のふもとをたどり水田地帯へ続く道路(一部未舗装)はあるものの、そんな環境なので敷地北辺には門がないようだ。ただ、道路に面した糠塚宿舎と医学部敷地内を、徒歩で行き来できる通路はあるかもしれない。
山は、秋田大学手形キャンパスの裏手の手形山、さらに太平山など出羽山地とつながっているから、ツキノワグマが出没してもおかしくない気もする(目撃情報はあまり聞かない?)。

上の写真のように、車両出入口のすぐ横に、6階建ての集合住宅が建っている。一直線でない形で、スターハウスを想像させられるが、これは一辺1世帯ではないし「へ」の字型。敷地の形に合わせた結果だろう。
糠塚宿舎前バス停付近からでも、この建物の端はかろうじて見える。これまで、これがバス停名の由来の糠塚宿舎(糠塚官舎)だと思っていた。

ところが、これは糠塚宿舎ではなかった。「看護師宿舎本道寮(女子)」とのこと。糠塚宿舎はこの北東の隣接地に、普通の直方体で4棟ある。本道寮は道路・宿舎との間がフェンスで囲われている。バス停は「宿舎前」より「宿舎入口」だ。
【15日追記・本道寮について】「看護師宿舎本道寮(女子)」の表記は、大学ホームページのキャンパスマップにそう記載されており、Googleマップも同じ。しかし、大学ホームページの他のページには、手形寮(女子)、西谷地寮とならぶ「学生寮」として本道寮が紹介されている。実際に、学生向けの案内資料があり、1999年4月開設としている。おそらく、もともと看護師寮だったのを、学生寮に変更したのだと考えられ、キャンパスマップが未修正(かなり経つが)なのだろう。2003年には、3年制だった医療技術短期大学部が、4年制の医学部保健学科に改編されるので、学生数が増えることを見据えての対応だったのだろうか。


体育館前へ戻って、その裏・東側へ。
体育館北東角。対角線上が入口。左にテニスコート、背後にグラウンド
体育館の東にテニスコートがあって、その北にはグラウンドがある。体育館側からグラウンドの南寄りには、マットや鉄板が敷かれており、ここも駐車場に使うのか、工事しているのか。体育館の正面に、ワクチン接種とは関係ない看板があった。
年季が入った看板
「大型タンクローリー走行路につき」駐停車禁止。よく分からない。

グラウンドから南方向。テニスコートと建物群

グラウンドから北西方向
↑左が体育館。向こうが駐車場で、接種者の車がたくさん。その奥の針葉樹の中に四角い建物が少し見えているのが糠塚宿舎。念願の(?)糠塚宿舎の姿を拝めたが、敷地内からでも見づらいのか。

グラウンドから北東方向
↑高い塔はいずれも敷地外、左は携帯電話用だろうか電波塔で、その他は送電線用。低い建物は敷地内の電気設備。
電気設備・電波塔のある所が、大学敷地の北東角。右の木々が東辺で、その外に道路があるが、ネットと段差があって出入り不可。外は水田ばかりかと思ったが、住宅も迫っている。2016年まで、小型バス駅東線が来ていた境田団地の北端。
送電塔と木の間に見えるのが、太平山の山並み。太平山の本山はこれより右側なので木に隠れていて、グラウンドや駐車場の奥に入らないと見えない。
太平山や田んぼがもっと見えたら、この土地らしい雰囲気がすることだろう。秋田駅東側から見る太平山はぐっと大きく感じられるものだ。
この程度、見学して帰りのバスに乗った。
YouTubeより
YouTubeには、2020年9月3日に大学により「ぐるっとまわろう!秋田大学ドローンツアー「本道キャンパス」」がアップされていて、上記施設の位置関係がよく分かる。
上の画像は正面南側からの撮影で、「VERS」と「A」の間が体育館。「SITY」とその右がグラウンド。



秋田大学の医学部は1970(昭和45)年設置。
当時の医学部周辺は、宅地がなく田んぼが広がっていた。そればかりか、医学部の施設自体も未完成の状態。附属病院は1971年設置だが、その時点では千秋公園東向かい、今の秋田県立循環器・脳脊髄センターの場所にあり(県立中央病院を移管したもの)、現在地移転は1976年。

南木佳士(なぎ けいし)氏は、その2期生だそうで、自身の経験を踏まえた小説「医学生」において、当時の状況が描写されている。本を読んだことはないけれど、高校生の時、進研模試の国語の問題文として読みました。
大学院医学系研究科・医学部のホームページ内、「本道40周年記念会館>秋田大学医学部・附属病院 Photo Archives(https://www.med.akita-u.ac.jp/about/40years_photo_archive.html)」で、当時の写真を見ることができる。
その中に、昭和47(1972)年度の「医学部建物配置図」もあった。敷地の輪郭から今と同じ形なのが分かるが、すっからかん。南側に一部の校舎、そして北側には「職員宿舎」が3棟、機械室、福利厚生施設、体育館。その程度。
つまり、糠塚宿舎のうち3棟、本道会館、体育館は、本道キャンパス最古の建物ということになる。

時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」で見ると、
1971年改測
この時点では宿舎も未完成だったのか描かれていない。
それにしても、附属病院正面の広い市道ができているだけで、今は家がびっしりの、西~南側も一面の田んぼ。広面小学校も移転前(谷内佐渡から1976年に移転)。
1980年代後半には、かなり宅地化が進んでいたと記憶するから、この後10年少しの間で目まぐるしい開発がされたことになる。


ところで、本道キャンパスの「本道」の由来について続く。さらに敷地外東側の風景はこちら
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ワクチン接種 秋大医学部会場

2021-10-11 19:42:52 | 秋田のいろいろ
先週、新型コロナウイルス感染症ワクチン接種の1回目を受けてきた。
秋田市の集団接種会場・秋田大学医学部体育館で、ファイザー製。

テレビで、長い注射針を刺されるシーンを見せられると怖くなってしまうが、実際には、経験者談の通り、針を刺される瞬間にチクッとしただけで、あっけなく終了。
副反応は、接種した左上腕に筋肉痛のような打ち身のような痛みが、接種数時間後から50時間後くらいまで。接種翌日がピークで、我慢できて腕が挙げられないほどではないが、角度や高さによっては動かすのをためらいたい痛み。
副反応の1つとされる倦怠感に含めていいのか微妙な、肩の違和感や体が重い感覚もあったが、それは、痛い側の腕をかばったこと、持病の肩こり、その対策でいつもやるストレッチができないことによるものかもしれない。翌日は特におとなしくして、その後も数日は控えめに動くことにした。その他は特に感じられず、とりあえずひと安心。

全体的にはスムーズだった。可能ならばかかりつけなど近場の医療機関で受けたほうが楽だろうし、今度は秋田市分でもモデルナ製を使うようになって、駅前の西武秋田店の空きフロアになった3階を会場にするそうで、アクセスが良さそうだけど、医学部へ2回行くのもいい経験。
接種の流れを記録しておきます。※曜日や状況によって、駐車場位置や流れが変更される可能性があるでしょう。
アクセスは秋田駅東口からのシャトルバス(以前の記事)を利用。バスは30分ごと運行・所要15分、接種予約時間は15分刻みだから、どうしても会場での待ち時間が生じてしまう。東口を出発した1時間30分後に東口へ戻ることができたが、受付開始前に少々、接種後バス時刻まで会場で30分近く待った。体育館内にいたのは20分強。
自家用車のほうは、構内にそれなりの行列ができていた。駐車場待ちのほか、不慣れで狭い構内、注射後の不安もあるから、個人的にはバスのほうが気楽だと思うのだけど。バス、車どちらにしても雨や雪の場合は、いろいろ大変そう。

以前の記事の通り、シャトルバスは秋田中央トランスポート(秋田中央観光)もしくは秋田中央交通が運行受託し、レトロ風ボンネットバスなどいろんな車が使われる。ただ、以前は関わっていたJTBが抜けたのか、中央交通自身の札が掲出されていた。
今回は、行きはトランスポートの古めの小さい貸切車。帰りは、中央交通の小田急中古の路線用中型ノンステップ。路線バス車両を使う場合は、中ドアは締め切りで乗降とも前ドアで、行き先表示は「シャトルバス」。【11月3日追記】「貸切」や「秋田中央交通」表示の場合もある。

東口は5番乗り場発着。日によっては、中央交通が受託するイオンモール秋田行きシャトルバスと、同じ乗り場かつ同時刻発となる。さらに両方に緑の路線車が使われる場合があり得る。また、折り返し時間の都合上、イオンモールシャトルが先に乗り場に入ることが多いはず。
ツイッターによれば、まだ高齢者対象だった頃、ワクチン接種に行くのに、イオンシャトルに乗って御所野まで行ってしまい、もう1人同じ境遇の人がいて、乗り合わせてタクシーを飛ばして医学部へ行ったという人がいた。ギリギリ間に合ったらしい。
イオンシャトルの他の客は、ワクチン接種に行くような世代や格好でないはずだから、誤乗は考えにくい気もするが、初めての経験だからあるのだろう。イオンシャトルの目立つ表示は正面(バスマスク)だけだし、両シャトルとも側面の紙掲示は無機質で気付かない人もいるだろう。運転士が「このバスはイオンモール行きです」と案内すればいいものを、中央交通のことだから言わなかった可能性もある。
おせっかいながら、秋田市にこういうことがあったそうですと伝えたが、今は案内などどうしているだろう。
前がイオン、後ろがワクチン
僕は、予約時刻の15分前に到着するように(=駅を30分前発)した。
もう1本前のバスに乗る、あるいは30分前に到着するよう予約したとしても、後述のように早く着いた分、待たされるだけ(受付は早くなる分、終わりは数分早い)。予約と同時刻着でも(もしくはバスが遅延しても)、実は問題なさそうだが、余裕があったほうがいい。個人的には予約時刻の30分前に駅を出るように、というかバス出発の30分後の予約枠を取ることをおすすめしたい。
地理院地図に加筆。秋田大学医学部敷地
手形山崎町交差点から三吉神社前の県道を進み、広面小南交差点から小学校前へ。道路の凹凸があり、気をつかって運転してくれた。横金線を越え、ホーマック~マックスバリュ裏のバス通り、秋大糠塚宿舎前(旧・~官舎前)バス停の先で医学部敷地にぶつかって、(正面へ回る路線バスと反対に)糠塚宿舎のある裏側へ曲がって、そこから構内へ。
そこから一般車の列ができていて、駐車場ゲートを上げ下げして1台ずつ進ませている。一般車は体育館の手前を曲がって裏手・糠塚宿舎そばの駐車場へ誘導されていたようだが、バスは途中から列を離脱して直進した体育館の前の植え込みそばで降車。帰りの乗車も同じ位置。
ゲートを入った付近。右は大学関係者駐車場のようだ
なお、帰りのバスは、敷地の反対・東側をぐるり半周して、大学病院前バス停の隣の出口【14日補足・立体駐車場そばの一般来院者用出入口】から外へ。広面小前は通らず、手形山崎町交差点まで、三吉神社前経由の路線バスと同じルート。
また、自転車は体育館前のバス乗り場付近に、駐輪場でなく「駐輪“所”」の看板が立っていた。
体育館前
↑中央右のテントが「待機室」。その右の木は、切り株からひこばえが盛大に繁茂している。その右の反射している看板が「駐輪所」、その右にバスが着く。左側に家族等による送迎車の乗降場所もあるようだ。

以前受けた人の話では、バスから降りると、すぐにスタッフが誘導してくれたとのこと。今回は黄色い衣装の人は数人見えるが、気付かないのか持ち場が違うのか誰も寄ってこない。
体育館入口には「今は入れません」的な掲示。
体育館の横、バスが着いた通路との間には、大きなテントがあって「待機室」と看板が出ている。これって、接種後15分様子を見る場所ってこと? それとも我々受付前の人が待つ場所? と悩まされた。
すると、自家用車駐車場から来たであろう人が、テント内へ誘導されているようなので、続いた。
秋田市の方式では、この日受ける人は全員が1回目なのだし、バスが着いた時は迎えに来ないまでも、降りた人の動向に気配りしていただきたい。

テントの中で、アルコール消毒と検温(手持ち非接触式)され、予約時刻を確認される。
中にはパイプ椅子がずらりと並び、3つくらいの区画に分かれている。前寄りの数が多い部分が、この直後の受付時間用(この時点で約15分後)で、そこへ順番に座らされた。奥にはその次(30分後)以降の人が誘導されているようで、そこそこの人数いる。
今回は、1回の時間枠に30人ほどいるようで、僕は15人目くらい。

予約時刻より前、8人ごとの椅子の列で区切って、テントから体育館内へ誘導された。これより後に到着した人は、体育館内へ直接誘導されるのだろう。
【12日補足・通常は土足禁止だが、今はシートが敷いてあるので】土足のまま入り、またアルコール消毒とタブレット型検温。ここで読み上げられる体温は、覚えておきましょう。

横に並んだパイプ椅子に座らされる。
その先頭から順に、数人のスタッフが近寄り、持参物の確認。予診票を記入していない場合は、ここでバインダーで記入させられる。
僕は「診察前の体温」欄以外はすべて記入済みだったので、「(入口で測った)体温は何度でした?」と聞かれて答えると、書いてくれてすぐ終了。

秋田市では、郵送物に予診票の記入例がなかったこともあり、戸惑う人がいる。特に下の「新型コロナワクチン接種希望書」の日付・署名。「医師の診察・説明を受け~」とあるので、事前に書いていいか、素直に受け取れば悩ましい。
あと署名欄の日付が「年」だけで、西暦か令和か迷うかも。上のOCRっぽい生年月日欄は西暦を指定しているので、僕は署名も「2021年」と書いて何も言われなかった。しかし、記入例を公開している自治体のサイトでは「令和3」としているのが多い、今回の会場でも「『3年』で」と言っていたようだ。OCR欄についても、自治体で例示が若干異なるが、常識的に右詰め・桁数が余ったら0を記入でしょう。

確認後もそのまま座って、クーポン券・予診票・身分証明を持って待ち、順に「受付」へ。
受付窓口が5つほどあって、身分証明と予診票の中身の確認、クーポン券読み取りなど。すぐ終わって、身分証返却、予診票とクーポンをクリアファイルに入れて渡される。予診票記入や受付のやり取りが個人個人違うため、この時点で、最初のテントでの順番とは多少入れ替わる。


今度は縦に椅子が並ぶ列に座る。
見るとその先が、もう接種コーナー。テレビで見たよその自治体では「予診」コーナーがあって、そこで医師から予診されるのだろうと思っていた。秋田市ではさっきの受付が予診相当ってこと?

列は2つあって、1つの列は人数がとても少ない。どうも事情があって医師がじっくり判断(?)するべき人がそちらのようだ。
ここでちょうど予約の時間。
医者らしき人がやって来て「ただいまから接種を開始します」みたいなことを宣言して、「1番」の部屋へ入っていった。少ない列の人が順にそこへ呼ばれる。

接種室は5つあるが、この時は3つだけ使用。1つが少ない列用なので、多数派を2室でさばくのか、と思っていたら、1番の少ない列の人たちが終了(1人当たりではやはり少し時間がかかっていた)し、以降は3室体制。僕はその1番で受けることになった。
アレルギーやアルコール消毒に問題ないか聞かれて、すぐ終了。クーポン券を返される。

終わった人たち用の窓口があって、事後の説明文書と15分を計るタイマーが渡され、また別のパイプ椅子のコーナーへ座らされる。ここは黄色でなく白衣の看護師らしき人が付いていて、秋田朝日放送が放映されるテレビあり。体育館なのにアンテナ配線があるってことか。この時は「相棒」の再放送中だったけど、15分だけ見せられても。
タイマーは薄いデジタルキッチンタイマー。おそらく裏面にマグネットが付いている。胸ポケットに入れるなどすると、磁気カードや時計に影響を与えてしまうかもしれないので注意。
これで体育館を反時計回りに1周したことになり、先は入口兼出口。15分経過後、タイマーを返却して「(体調は)大丈夫ですね。お気を付けて」と確認され、外へ出て終了。
【12日追記】この15分間に、トイレに行きたいという人がいた。トイレは待機場所のすぐそば、玄関横にある。済んだらまた席へ戻ってくるように指示されていた。また、ここにいる白衣の人は、接種済み者の容態が急変しないか見守る(監視? 観察?)大切な役目も担っているのだろうから、雑談はむろん、重要性・緊急性のない質問(例えばバス時刻は何時だっけ? とか)はしないほうが無難だとは思うが、代わりになる黄色いスタッフがいるわけでもない。

接種室は別として、椅子に3回座って待つ流れだった。
これまでのこういう場合、順番が進めば、前へ詰めさせられることもあったが、今回はそれぞれで1度座ったらそのまま。接触による感染を防止するためだろう。空いた椅子は、紫外線ランプ付きアルコール噴霧器で消毒していた。


シャトルバスは出たばかり。尋ねればどこかで座って待たせてくれたかもしれないし、雨や雪の日はそれができないと困る。
外へ出てマックスバリュ広面店で買い物することも頭をよぎった。荷物を持って戻ってきてシャトルバスに乗っても、とがめられなさそうだけど、途中で体調急変したら迷惑だから、医学部構内で待つことに。
さわやかなお天気なので、体育館周辺を体に影響しない程度にぶらつくことにした。※車の通行に注意。大学の業務や授業に迷惑をかけないように控えめに。
ちなみに、医学部キャンパスは「本道キャンパス」という名称なのだが、その辺りもあわせて続く。 2回目接種の記録
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道路のスノーコン

2021-10-10 19:45:40 | 秋田の季節・風景
秋田市の五丁目橋。
西・大町側から。直進が南大通り、左が土手長町、右が有楽町
上の写真で対岸、東側たもとの歩道上、川際に茶色い箱がたくさん並んでいる。
東側から
電線地中化されているので、トランスボックスなどライフライン系設備もこの形で置かれるが、ここは違う。右側の一群は警察管轄、五丁目橋交差点の信号機制御器や非常用発電機だと思う。
今回は左の箱。
昔からある箱で「A引込開閉器盤」「融雪」とか書いてあるので、歩道の融雪装置(ロードヒーティング)の制御盤のことだと思っていた(実際には少し違うようで後述)。置かれているのは、土手長町通り=県道28号の歩道上なので、それ用なんだと思いこんでいた。
融雪制御盤自体は、ロードヒーティングがある程度普及した現在では、さほど珍しいものではない。

昨2020年度末(2021年初め)だったと思う。この箱が少し変わった。
川に面した裏面

にょきっと
箱の背面に金属アームが取り付けられ、その先に小さい箱があって、コードが箱の中とつながっている。
これは何?
「SHKseries スノーコン」「新潟電機株式会社」
堂々と書いてあるように「スノーコン」か。
スノーコンって何?
一見するとカメラのようだが、今どきこんなデカいカメラもなかろう。
レンズとは違いそう。「SHK-501」という型番らしい

新潟電機公式サイトを見てみた。
同社は長岡市に本社があり、雪に関わるセンサーや計測機器を手がける企業。
スノーコンは「降雪センサー」で、条件に応じて消雪・融雪装置を制御する装置。従来品は雪温や水分で判断していたが、SHKシリーズは「光スノーコン」として赤外線で雪片を感知するらしい。センサー部は従来品より大きくなったようだが、確実さと省エネをうたっている。箱の中に「制御部」がある。

千秋トンネルに置かれた凍結防止剤散布装置「まきえもん」には、人や車を感知するマイクロ波センサーがあり、それに少し似た形。でも、スノーコンは赤外線センサー。


秋田市内で見かけるロードヒーティングは、路面の水分と温度によって作動するものだと聞いていた。設置箇所の路面には、それぞれを感知する2つの円形のセンサーが埋めこまれている。
でも言われてみれば、従来型スノーコンらしきものが、箱の上から飛び出ているのをどこかで見たことがあった。
埋めこみセンサーでは、場所の偏りや、誰かがその上に雪を載せてしまうと、正しく作動しないはずだし、この方式のほうが都合が良く、経年もあって(箱はそのままセンサー部を)交換したのだろうか。

降る雪を測定するのだから、どちら向きでも良さそうだけど、川向きのほうが通過車両の影響がないということなのか、工事や配線の都合なのか。
あと、融雪が稼働する条件の時、このセンサーの前で水の入った容器を振ったら、雨に変わったと勘違いして【11日追記・あるいは袋や箱をかぶせたら雪がやんだと勘違いして】、停止してしまうのではないか、なんてよからぬことを想像してしまう。


2021年度に入って、夏頃までに、箱にまた少し変化があった。
分かりづらいですが赤い○
箱の短辺両側に、青くててっぺんが白いランプみたいなものが付いた。街路灯や(秋田市では点灯するものがなくなってしまった)電照式バス停にも、同じようなのが付いていることがある。

シールによれば岩崎電気「アイ光学式自動点滅器」。要は明暗で機器のオンオフをする光センサー。【11日補足・白い部分はランプなどではなく、センサーのカバーらしい。】
でも、ロードヒーティングに明暗は関係なかろう。雪が積もるのは昼夜関係ないし、暗い時でも稼働してもらわないと、追いつかない状況もある。
箱に書かれた「引込開閉器」とは分電盤のようなものらしいので、ロードヒーティング以外の照明についてもここで制御しているのか。

上の写真の自動点滅器は、向かって右面のもので、「秋田県」とシールが貼ってある。違和感ないが、これまでこの箱には秋田県とはひとことも書いなかった。
そして、左面のものは、
「秋田市」?!
どうしてここに秋田市が出てくるのか。
考えられるのは、すぐそばの市道である五丁目橋の照明の電力も、ここを通っているのか。
となると、この箱は必ずしも秋田県の所有物ではないのかも。実は、薄れた東北電力のシールも貼ってあるし。



スノーコンに戻るが、秋田市内のほかの場所にも設置されている。
秋田大学正門そばの県道15号とか、秋田駅前の市道・中央通りにも。
中央通り。サビや金属の風合いから、設置後少し経っている。Googleストリートビューによれば2019年9月~2020年10月の間の設置。
ここの箱には「市道中通本線歩道融雪制御盤 RH-C1」と書いてあり、自動点滅器なし。

県道では見られない秋田市ならではの「イタズラ書き監視防犯カメラ作動中」の表示もある(カメラはどこにあるんだろう?)。黄色い回転灯いわゆるパトライトも設置されていて、異常時は回転点灯するはず。
だが、以前別の場所で回転点灯し続けていたのに、数日間放置されていた。秋田駅前交番からも見える位置なのに、誰も知らんぷり(道路維持課へ連絡しました)。

まもなく訪れる雪の季節。ひっそりとたたずむスノーコンが活躍してくれるのだろう。
でも、通行人がスノーコンの存在に気付いた場合、カメラと勘違いする人はいるはず。向きによっては身構えてしまいそうだから「降雪感知センサー」みたいな説明表示があっていいかも。
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ALTTE/EV-E801系

2021-10-08 23:32:07 | 秋田のいろいろ
JR東日本秋田地区の話題。
まずは、秋田駅改札外・みどりの窓口【9日訂正】駅たびコンシェルジュ(旧・びゅうプラザ)とトイレの間にある、JR東日本のATM「ビューアルッテ」。秋田県内唯一のアルッテでもあるが、古い機種だった。
(再掲)
9月下旬から10月1日の間に、
新しくなった!
沖電気工業「CP21Z」か?
なお、みずほ銀行昼間手数料0の宣伝が貼ってあるが、斜め向かいのNewDaysの中にはみずほ銀行ATMがある。

機能は変わらないはずだが、画面デザインは一新されていた。前機種ではSuicaチャージの待機中にE2系新幹線が3台出てきたが、新機種では特になし【11月19日追記・グレーの単色で、画面中央に円形の線路を回る一般的な電車のアニメーションが一瞬だけ表示される】。【10月13日追記】チャージにかかる時間=待ち時間がかなり短縮されている。
利用明細は、前機種は14センチ×10センチ程度で、裏面に連絡先などが一部カラーで印刷されたもの。新機種は、ゆうちょATMと同じ10センチ×7.6センチ。裏面はフルカラーの広告が印刷。広告はバリエーションがあり、びゅう商品券と、ビューアルッテ自身(りそな、埼玉りそな、横浜の各銀行のロゴが大きい)の広告が出た。【10月13日追記】さらにその他の広告もある。


あとは男鹿線 EV-E801系 蓄電池式電車。
今年3月から、6本のうち1本「G4」編成に、春から夏の花々を描いたラッピング「BLOOMING TRAIN OGA」が施されていた。
「当面の間」実施とのことで、8月中にはまだラッピングされていて、9月初めには、
ラッピング解除
絵柄的に秋には合わないからね。

ラッピング中のG4編成は、踏切で車と接触してしまった。すぐに運用に復帰したものの、青い車両(EV-E800-4)の先頭部下に、こすれた傷がある状態でラッピングを終え、9月中も走り続けた。
今週初め、秋田総合車両センター(旧・土崎工場)に入って、4日ほどという短期間で出てきたとのことで、傷がやっとなくなった。※修理後の姿など。


紹介しそびれていた、BLOOMING TRAIN OGAの車内を少々。
運転席

出っ張った機械室
車内の壁には、直径30センチほどの円に、さまざまな花々が描かれ、ランダムに貼られていた。車外同様花の名前がないのが惜しい。
車外とは同じ花も少しあるが、それ以外の植物も多く、小さいせいかより緻密かも。背景が白いので、車外以上に六花亭の包装紙を連想させられる(六花亭よりも絵は緻密)。
中吊りは、アジサイなどの絵と、なんかBLOOMING TRAIN OGAに関する文章も書いてあった。
6~7月には、男鹿市立北陽小学校児童のアジサイの絵も掲出された。


さて、上の写真に写っているが、機械室には液晶ディスプレイが埋めこまれていて、「ただいまの電気の流れ」がリアルタイムで表示される。
蓄電池かパンタグラフか程度だと思っていたが、じっくり見るとそれより詳しく表示されていた。運転の状態と、蓄電池の残量に応じて変わるようだ。

男鹿線内では、架線が消えてパンタグラフが若干低くなり(実際には完全に下降する)、画面両端にナマハゲが現れる。文字は、下記「架線からの電力」の部分が「蓄電池」と表記。
以下の写真は奥羽本線にて。背景の山が左から右に動き、黄色い鳥も現れて動く。
「架線からの電力で走行しています。」
絵の中の電力の流れを見ると、架線>>>制御装置>>>モーターだけでなく、空調と照明(これは当然)、蓄電池へも流れている。
加速中(力行)で、蓄電池残量が少なめの状態だろう。「~走行しながら充電しています」のほうが適切。

「架線からの電力を充電しています。」
モーターには流れなくなった。充電は継続。
加速をやめ、ブレーキもかけていない、惰行中。

「架線からの電力で空調・照明を動かしています。」
充分貯まったようで蓄電池にも流れなくなった。
駅停車中もこの画面なのを見たが、蓄電池残量によっては、上の充電していますにもなるのか。

「ブレーキで発生した電力を充電しています。」
モーター>>>制御装置、制御装置>>>パンタグラフと、逆方向に電気が流れている。制御装置>>>蓄電池の充電も行う。
ブレーキをかけて(制動)、発電ブレーキにより電力が発生している状態。

今の蓄電池でない普通の電車では、発電ブレーキは標準装備。生じた電気はパンタグラフから架線へ戻している。
蓄電池式電車では、バッテリーへ貯めることばかりが頭にあって意識していなかったが、電化区間では普通の電車と同じように機能するようだ。


秋田~泉外旭川間の秋田工業高校付近には「JR秋田泉き電区分所(関連記事)」があって、ここを境に電力を供給する変電所が変わる。境界部の架線には電気が流れておらず(デッドセクション、交交セクション)、通過する電車の車内で空調が一瞬止まることがある。また、機器を故障させるおそれがあり、ここを加速しながら通過してはいけない(惰行で通過)ことになっている。
EV-E801系であっても、蓄電池に切り替えるほど長い時間の停電ではないので、普通の電車と同じ扱いのようだ。空調が止まるのに気付いたことがないのは、空調機の性能のせいか。


【9日追記】9月18、19日には、EV-E801系を使った興味深い臨時列車が設定されていた。
今年は北秋田市で開催されることになっていた「秋田CARAVAN MUSIC FES 2021」の観客輸送の列車だったのだが、新型コロナウイルス感染拡大で、イベントが中止されたため運行もなくなってしまった。

秋田→鷹ノ巣で4本、弘前→鷹ノ巣で1本、鷹ノ巣→秋田で7本設定され、うち鷹ノ巣→秋田の上り2本がE751系4両全車指定席の特急、残りが快速。
快速のうち1往復がEV-E801系、しかも6両編成、しかもしかも途中停車駅なし(残りは701系2~6両で停車駅あり)。
EV-E801系が追分以北に入線するのは初だろうし、通常は4両編成が最長なのに6両、秋田の次が鷹ノ巣という列車など開業以来なかったかもしれない。※実際には東能代などで運転停車はあったでしょう。
下りは秋田11:08→鷹ノ巣12:40の1時間38分、上りは鷹ノ巣21:36→秋田23:01の1時間25分(表定速度60.8km/h)。
ロングシートではあるが、701系とは違うおとなしい車内と乗り心地で快適だったことだろう。

EV-E801系6本の半分を臨時列車に使うわけで、本来の男鹿線での運用が足りなくなる気がしてしまう。土日だから、4両編成を2両に減車するつもりだったのかも。
701系を臨時運用に回すと、新庄、酒田、青森・蟹田まで広域な運用変更を考慮しなければならないから、男鹿線だけの影響を考えれば済むEV-E801系を使うほうが楽なのかもしれない。来年以降、大曲の花火の臨時にも使われそう(奥羽南線は試運転で羽後境まで入線実績あり)。
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スズキ前交差点の変化

2021-10-06 22:26:49 | 秋田のいろいろ
秋田市の通称・新国道という名の県道56号を、山王十字路から北進し、秋田中央郵便局や新国道モール(いとく)を過ぎると、「スズキアリーナ秋田(秋田スズキ本社)」。町名は、西・スズキ側が高陽幸町、向かい側が保戸野千代田町。

スズキの北側に、小さな市道(「市道高陽幸町八橋本町線」だそう)と交わる、信号機付きの小さな十字路交差点がある。
さらに100メートル強進めば、八橋や泉との境界付近の「新川向」交差点がある。両交差点の信号機は連動していなくもないようだが、交差点の規模が違いすぎて、完全に同期するのも難しいのだろう。新国道の車の流れを滞らせる一因になっている感じがする。
なお、新川向交差点は、西方向の市道「八橋大通り」が平成に入ってからできた道(航空写真で確認すると、1989年にはなく、1994年にはできていた)なので、昔は丁字路だったはず。


今回は、小さい交差点であった変化について。
まず、7月頃から小さい市道のちょうどスズキの敷地北辺に当たる部分で、秋田市発注の道路改良工事が行われた。内容は排水の整備と再舗装程度のようだ。
交差点の北西角にあった、居酒屋だった建物が解体されて更地になっており、それを受けての道路再整備だろうか。更地は民間所有のようなので、道路が拡張されるとかではなさそう。
西から工事前。左が居酒屋後、右がスズキ

工事後
市道の工事後は、側溝の蓋と舗装がきれいになった程度の違いしかないはず。

市道工事とは関係なくたまたま重なったのだと思うが、9月初め頃に信号機関連の工事が行われた。上の写真でも分かるが、アングルを変えて比較。

変更前。南東側から
左側がスズキ、洋服の青山の所が新川向交差点。
現在

北西側から変更前

現在。地中化されていたのに、新たに電線が渡された

変更点は大きく分けて3つ。
1.横断歩道はあるものの歩行者用信号機がなかった(車両用を見て渡る)、東西の市道横断(新国道歩道)側に歩行者用信号機を追加設置。→歩行者用4台新設。
2.保戸野側から西進して来て交差点に入る車の、停止位置を後退。→停止線削除・引き直し。
3.その西進車が見る車両用信号機を、道路向かい側から、手前側に移設。合わせて東側とともにLEDに交換。→信号柱1本撤去、車両用片面2台撤去、車両用両面1組新設。
×が撤去、赤文字は新規信号機
新国道を通る車が見る車両用信号機と、新国道南側の歩行者用信号機(2006年1月製初期型LED)は変わらず。新国道北側には横断歩道がない。

1については、以前も取り上げた、2018年頃からの秋田県警の方針だろう。歩行者用信号機を省略していた交差点でも、新たに増設する箇所がちらほらある。
以前のこの交差点南東角など、
何もないアームからコードがくるん
北西角と南東角の新国道車両用の信号柱(電線地中化時設置のデザイン柱)に、市道を横断する向きの歩行者用信号機をぶら下げられるアームだけは設置されていた。少なくとも南東側では配線までされていたのだから、設計時は設置するつもりだったのが、急に取りやめにでもなったのか。10年以上経って、やっと役立つ。
向こうがコードが出ていたアーム。手前(北東角)はアームごと新規
2021年7月コイト電工製の低コストタイプ(フードなし、LED粒が見える)。

2の停止線。消された以前の停止線がうっすら見える。
工事後。新旧停止線

逆側から
普通乗用車1台よりは短いから、3メートル程度か、後退している。道路標示塗り替えの入札資料には「5m下げる」とあったのだが。
見ての通り、保戸野千代田町側は、向かいの高陽幸町側よりも狭い。これでも対面通行。
停止線で信号待ちする車がいるところに、新国道から右左折して来ると、両者にらめっこになってしまう。でも、停止線を下げても、結果はあまり変わらない気もする。


3の信号機移設。
全国どこでも、車両用信号機は、道路の向こう側にあるのが原則。道路形状や電柱の位置(以前の船場町交差点の例)の制約で、例外はあるけれど。
ここの場合、これまで何十年もこれでやってきたのだから、問題はないはず。柱が1本で済むから、経済的にはなるだろうけれど。

ここは直交でなくX字型に近い十字路なので、基本の設置方法だと違う側の信号機を誤認するなど、問題があった可能性もあるが、それならば、秋田県警が好む視角制限機能を付ければ済む。
では、2の停止線を下げたのに合わせて、信号機も手前にしたのかもしれないが、下がった停止位置でも向こう側の信号機は問題なく見えたと思う。新旧とも西側なのは変わらないから、西日で目がくらまないようにでもなさそう。新国道が渋滞し、背の高いトラックなどが交差点の中で止まってしまった場合、向こうの信号機を隠してしまうおそれがあるから、隠されない手前側にしたとか?
さらに考えると、反対に、信号機を手前にしたから、その分、停止線を下げた可能性もある。2と3どっちが先か分からない。
変更前。今は消された停止線

消された停止線からでも、新信号機は見える
理由はともかく、新しい設置方法に大きな問題はなさそう。スズキ角の空が広く見えるようになった。
高陽幸町から東進する車は、アームが長くなった分、以前よりは少し右に信号機を見ることになるが、支障なし。保戸野千代田町側は、実質行き止まりのような【7日補足・あるいは抜け道としては使いづらい】道路網なので、ここを通る車両は少ないし。
強いて挙げれば、
新国道南進向き
南進車からは、その車線用の車両信号機と、交換された東進車用の信号機の両方が、同時に見えてしまう。大丈夫かな。
新しい信号機はコイト電工製低コストフラット型。やっぱりこういう場所こそ、視角制限仕様にしたほうがいいのではないでしょうか。

【18日追記】1年前の記事をすっかり忘れていた。土崎港北で、丁字路が互い違いに2つくっついた変形交差点で、突き当り用の信号機が、奥から手前に移設された。道が狭くすれ違いに難があるためか、停止線は元から後ろ寄りにあった。その時は、交わる道側の車が、突き当りの信号機を見て見切り発車させないメリットはあると推察した。
コメント (6)
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2021.10バスダイヤ改正2

2021-10-04 23:21:26 | 秋田のいろいろ
2021年10月1日の秋田市内の秋田中央交通路線バスのダイヤ改正(ざっとまとめた記事)の続き。
その前に、直接関係ないが、(中央交通がバス停を貸すなど協力していると思われる)秋北バスの大館~秋田の高速バス。6月に、平日のみ2往復で運行が始まったばかりだったが、10月から1往復に減便された。
「新型コロナウイルスの感染拡大に伴う需要の減少により」としているが、運行開始時点と感染状況は大して変わっておらず、単純に利用が少ないことが理由ではないだろうか。
大館発10時の2本目と秋田発12時台の1本目が減便されたので、朝の大館発と夕方の秋田発が残る。大館基準で運行しているから、秋田での待機時間が長くなってしまう。まさか片道回送ではないだろうし。
【12月7日追記】秋北バスホームページに12月6日付で「高速バス「大館・秋田線」の廃止について」が掲載。
2021年12月15日の運行をもって、大館~秋田線が廃止されることになった。「新型コロナウイルスの影響が続く中、運行を継続することがかなわず大変心苦しい限りでございます」としている。ちょうど6か月間の短命に終わる。


本題。
昨年の改正では、全バス停に横長の紙をテープで貼って「改正がある旨」は、いちおう伝わるようになっていた。
今回は、バス停には掲示されなかったと思う(法令的には許されるのだろうか?)。そのためか、ダイヤ改正を知らない人も、いなくはなかったようだ。軽微・小規模とは言い難いダイヤ改正だったのだから、少なくとも日常的にバスを利用する人には、必ず伝わるようにしてもらいたい。

まず、秋田駅東西発着の本数を、改正前後で比較。
※改正前は2020年10月改正ダイヤなので「2020年」、今改正後を「2021年」とします。
※独自の計数のため、実際の本数と一致しないと思います。

平日 2020年 1119本  2021年 1013本  減便106本・ 9.5%
土日 2020年 726本  2021年 600本  減便126本・17.4%

平日でさえ、秋田駅に出入りするバスは1日1000本(字面としては多くも感じるけど)となってしまった。

前回の通り、減便数は路線・方面によってバラツキが大きい。今回は新国道経由と新屋・割山方面が集中的に減らされたと感じた。減便数を簡単に方面別に分析。
平日 106本のうち、新国道13本(12.3%)、新屋・割山32本(30.2%)、その他61本。
土日 126本のうち、新国道24本(19.0%)、新屋・割山34本(27.0%)、その他68本。
減便のうち4割が、この2方面だった。
1本道の新国道経由と違い、実際には3路線の合計である新屋・割山をまとめて集計してしまったのは乱暴ではあるが、土日とも30本・3割も減らされる。
なお、改正後の運行本数は、
平日 新国道98本、新屋・割山143本
土日 新国道53本、新屋・割山 92本
新国道経由はものすごく本数が多いイメージがあったが、新屋3路線の合計のほうが1.5~2倍多い。平日でも新国道経由は100本を切った。

八橋大畑の新国道経由上り、大町四丁目の新屋線と割山線の下りの時刻表で新旧比較。
 

 
前回の通り、新屋線の土日祝では、改正前は大町経由が毎時1本はあった。今回の減便により、卸町経由がある時間は大町経由が運行されなくなって(=大町か卸町かどちらかが毎時1本の体制)、大町経由が2時間空く所が生じた。前回気付かないでしまったが、これにより、大町経由で毎時1本あった大森山動物園(大森山公園)まで行く便も抜ける時間が生じ、上下とも9本→5本に削減されたことになった。【5日補足・大森山行きは平日のほうが多いことになった。】


最後に、前回も触れた通り、今改正で、仁別線のうち仁別リゾート公園まで入らず、下の「中島橋」止まりの系統(下り)がなくなった。上りの中島橋始発は存続。
昔は冬限定であったそうだがいったんなくなって、2019年の改正で夕方に復活していた。

中央交通で系統番号表示が始まったのが2011年秋(ちょうど10年か)。
その後に新設された系統では、きちんと付番されるものもある一方、既存系統と同じ番号にしてごまかしてしまうことがある。以前の茨島牛島環状線の三皇神社前始発の601系統のように。

秋田駅西口~中島橋の便は351系統。(臨海営業所までは行かない)駅発着で、4つ先のクアドーム・ザ・ブーンまで行く系統と同じ番号。一方、ザブーンのさらに先、森林学習館前まで行くのには353という別番号が付与されている。それに例えば、隣どうしの県立プール行きと県立スケート場行きだって、別系統にされている。
中央交通の系統番号は、経路が同じであっても、起点か終点のどちらかが異なるだけで違う系統番号になるルールのはずなのだから、中島橋発着が351なのは逸脱している。特に下り中島橋行きでは、ザ・ブーンまで行くと思って乗ってしまう人が、いないとは言い切れないのに。
「351 秋田温泉 仁別・中島橋」

駅時点での側面表示
土曜日の中島橋行きには、駅から10人程度は乗車していた。ほとんどが秋田温泉線と重複する区間で降りてしまうはずだから、秋田温泉線で代替可能だろうけど。
ちなみに同時刻発の神田・旭野団地線は5人ほど。泉外旭川駅もでき、次はこちらが…と思わずにはいられなかった。

翌2022年10月の改正で、中島橋止まりが復活。最終のザ・ブーン行きを短縮するもので、系統番号は相変わらず同じ。】
コメント (4)
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古地図に成和中

2021-10-02 23:26:36 | 秋田の地理
10月1日の秋田市広報「広報あきた No.1994」に「あきたおさんぽマップ」なるものが紹介されていた。ネット上で観光に関した地図を見られるもので、公益財団法人 秋田観光コンベンション協会所管。

アクセスしてみると、既存のサイト「秋田市観光・イベント情報総合サイト アキタッチ+」の中にあった。https://www.akita-yulala.jp/pickup/5000023535
観光・飲食や文化財のマップ、そして古地図が見られる。前2つは、紙やPDFでも見られるだろうが、ブラウザの画面上でズームやドラッグ(スワイプ)してあちこち移動できるのがいい。

そして古地図は、操作性も同じだが、よそでは容易には見られない貴重なものだと思う。
2つあって文政4(1821)年のものと、昭和26(1951)年のもの。個人的には後者がおもしろい。
当時の秋田市役所が発行し、秋田市立中央図書館明徳館が所蔵する「秋田市街全図」とのこと。

「時系列地形図閲覧サイト 今昔マップ」では、秋田市は明治(1912年)の次は1970年代まで飛んでしまっているので、抜けた終戦直後の時期を見られる。
今昔マップのように、新旧の地図を左右に並べての比較はできないし、そもそも縮尺が地形図のように厳密ではない。【4日補足・奥羽本線北側~羽越本線が、実際より急カーブで描かれているので、南北方向が圧縮されているようだが、東西方向も正確ではないと思う。】
ただし、画面下の「SWITCH」ボタンを押すと、現在のマップの大まかに同じ位置に切り替えることはできる。全面的に信用しないほうがいいでしょう。
その現在の地図は「mapbox」という地図サイトのもののようで、見慣れない地図サイトではあるが、総合的には見やすい。しかし、なぜか神社の表示が控えめな傾向があって、例えば太平山三吉神社の位置には何も文字が表示されない。

秋田市街全図は、秋田駅を地図の上部中央に配置(つまり東が上)し、北は添川、港北小学校、秋田港、南は二ツ屋潟(今の秋田南高校の場所)、新屋駅(他の駅は漢字なのに「あらや駅」と表記)、日吉神社が範囲。
ざっと見て、
・誤記と思われるものもいくつか。外旭川村(当時)の「梶ノ目」を「梶ノ月」、「雄物新橋」が「雄物川新橋」、牛島西の「三皇熊野神社(本宮)」が「三吉神社」。

・雄物川放水路河口の両岸(南のももさだ海岸のほか、北の割山側も)に「海水浴場」がある。→現在は遊泳禁止。離岸流などで危険。
・割山の海水浴場のすぐそばと、現・勝平小学校付近に「入植住宅」。→海水浴場は後の(初代)秋田空港、現・空港跡地付近。冬は厳しかったことだろう。
・工場や学校などがある「茨島」の地名表記がない。当時もあったはず。
・国道7号、13号がなく、牛島~茨島~新国道が「国道第五号線」とされている。→現在の国道番号になったのは、発行翌年1952年だった。当時は東京~福島~山形~秋田~青森が5号だったらしい。一方、今は7号である酒田街道は10号(東京~秋田)だったそうだが、記載はない。
・千秋公園の東向かいに「国立秋田病院」がある。→後の時代に秋田県立の病院ができ、秋田大学医学部附属病院創設時に代役を務めたりいろいろあって、県立脳血管研究センター等、今は県立循環器・脳脊髄センターになったわけだが、その前には国立病院があったってことか? 国立病院は厚生労働省管轄で、由利本荘市道川には古くからあり、今は「国立病院機構あきた病院」。
・その国立病院の隣、今「秋田県総合保健センター」の場所に「進駐軍宿舎」。→当時はまだ占領下か! 占領は翌1952年4月28日まで。隣の「コスモポリタン」ってのも関連施設?
・その他、今はなくなったり名前や場所が変わったりした施設が多数。

さて、今はオフィス街・官庁街の山王。
秋田県庁が移転した1959年時点で、周りは田んぼだったそうだから、この当時も当然。エリア名としての山王さえまだなかった。
今の山王十字路付近
山王十字路は西側がなく丁字路(昔は「八十刈(やそがり)」と呼ばれていたと聞いた)。赤い線は秋田市電。
田んぼの中に高陽(こうよう)中学校と旭北小学校が隣り合う。

位置は今の市立山王中学校、市立旭北小学校の場所。道は異なり、細かい市道がなく、国道(現・県道)から一直線だったのか。
以前記事にしたように、戦後・1947年に新制中学校ができた時、秋田市中央部(と東部の一部)には5つの中学校ができた。しかし、それらは短期間に終わり、1953年に秋田東、秋田南、山王の3校に再編されて現在に至る。

山王中は、高陽中と成和(せいわ)中の2校が統合して創立されたことは、山王中の沿革でも明示されている。
しかし、前身2校についての情報は、ネット上には極めて少なく、正確な創立日や所在地も分からなかった。
身内に高陽→山王の移行期に在学していた者がおり、高陽中の土地と建物がそのまま山王中になったことは聞いていた。成和中については何も知らないとのことだった。いつか図書館ででも調べようと漠然と思っていたが、この地図に高陽中が載ってるということは…

「成和中学校」発見!
国道5号を南へ進んで、旭川を渡って(表記はないが旭橋)、今の茨島交差点の南側(「旭橋通」とある)、書いてないが国道10号に入ってすぐ。国道に面している。
今、ハローワーク秋田に入っていく交差点角のパチンコ屋の辺りだ。
【3日画像追加】地理院地図を東が上に回転。赤い★が成和中跡と思われる位置。道路の線形はあまり変わっていない

(再掲)左が秋田大橋方向・右が山王方向。このもうちょっと左辺り?

(再掲)奥が秋田大橋方向。この枠外・右か?
成和中の裏手には「商業学校」もある。
秋田市立秋田商業高等学校の前身の「秋田市商業学校」らしく、同校沿革に1946年から1957年まで「茨島校舎」だったとある。その後、八橋校舎(現・サンライフ秋田等)を経て、1978年から現在地。

ここは1983年まで秋田経済大学(下北手へ移転し、秋田経済法科大→現・ノースアジア大)があったことは、知っていた。前身の秋田短期大学が1953年に開校した時から、この場所だと思われる。
ということは、元々は秋田市の土地で、成和中廃止&(短大と数年重なるが)秋商移転後、秋田短大へ譲渡されたのだろうか。また、ここの北側、国道(臨海バイパス)沿いには、今も市立茨島体育館と秋田市教育研究所があり、それも名残りなのかもしれない【3日追記・体育館と教育研究所は「県工業指導所」の跡にあるようにも見える】。

臨海バイパスといえば、この地図当時は、それも未開通。旭川の秋田運河合流点手前に架かる、新旭橋もない。工場は建ち並んでいたが、道は川で終わり。
今は住宅も多く、山王中学区である茨島~卸町も、多くが未開発。
となると、成和中の学区は、今で言う旭南、川元、川尻が中心で、みんな旭橋を渡って通学していたのだろう。


長年の疑問が解決した。
ついでに、他の3中学校も探してみた。手形中、久保田中、泰平中。
泰平中は、今の南通亀の町付近、これは秋田南中の創立地(1978年に現在地へ)である、楢山南中町(みなみなかちょう)の現・楢山緑地と秋田市楢山地区コミュニティセンターの場所だ。
ちなみにここは、上記秋田市商業学校の創立地でもあり、茨島移転前まで所在したことになっているが、戦時中~終戦直後は募集停止していたとのこと。

久保田中は、話には聞いてた。秋田駅の真ん前。今の中央通りに面しており、公営駐車場~いろんなビルがある辺りか。
その向かい、現・秋田市民市場付近までは「秋田南高校」。と言っても現・秋田南高校ではなく、現在の県立秋田高等学校のこと。1948年~1953年の間だけ、秋田北高に対して南と称し、1962年に現在地へ移転。
久保田中と手形中が統合して発足した、秋田東中には同窓会のホームページがあって、合併前の両中学校のことも紹介してくれている。
駅前の久保田中校舎は、帝国陸軍歩兵第17連隊の兵舎を改造したもので、1948年4月完成。1947年4月の開校から1年間は校舎がなかったようで、明徳小学校を本校、保戸野小学校を分校としていた(借りていたということ?)。

手形中は、現・秋田東中の場所かと予想したが、地図に載っていない。
これも同窓会ホームページに詳しい。
やはり1947年4月の開校時点で校舎がなく、旭川、広面、添川、藤倉の各小学校校舎を借用していた。添川小、藤倉小は後に閉校。現存する旭川小、広面小は、この地図にも載っているが、どちらも場所は今と違う。
1950年に「現在地に校舎落成」となっている。現在地とは秋田東中の現在地のことでしょうから、やはり予想通り。地図発行の前年だから、掲載が間に合わなかったのか。


終戦まもなく、まだ占領下。土崎以外は空襲の被害がなかったとは言え、この程度は町並みが形成されていて、その地図も作られていたのは、当然なのかもしれないがどこか不思議な感じもしてしまう。
また、国土地理院が作った厳密な地図よりも、緩さというか地元目線というか、生活感があるようにも感じ、楽しく眺められた。
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