広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

市営バスの座席・形状編

2014-02-26 23:42:59 | 秋田市営バス
前回に続いて、秋田市営バスの座席の話。今回は新塗装車両の座席の「形状」について。
※前回の記事を先にお読みいただいたほうが、多少は分かりやすいかと思います。
※各タイプとも、最後列の5人掛けは形状が異なるため、それ以外の席についてまとめます。

前回も触れたように、秋田市交通局が1986年以降に導入した車両の座席は、グレードが高いものだった。
「ハイバックシート」と呼ばれる背もたれが高いものであり、体を包み込むような整形が施された「バケットシート」に近いような構造でもあった。(この辺りの定義はあいまいなんでしょう)
リクライニングしてもおかしくなさそうな見かけもののもあったが、リクライニングはしない。

また、旧塗装当時の2人掛け席は、1人掛けの幅を広げただけの構造だったが、新タイプでは背もたれが1人分ずつ独立したものが基本になった(一部例外あり。後述)。座布団は色が違うだけでくっついたまま。

といっても、全部の車両が同じ形状の座席ではなく、座り心地も違った。
これは、車両メーカーの違い(結果的には座席メーカーの違いなわけだが)や製造年によるもの。
※以下、車両の導入は「年度」であり「年式」ではありません。
※背もたれの高さの比較には、窓との位置関係が参考になりますが、車両メーカーや車種によって窓の高さやサイズが異なるため、単純に比較できるわけでもありません。

まずはこれ。
(前回の再掲)293号車

(前回の再掲)277号車の2人掛け。背もたれはそれぞれ独立し、座布団はくっついている
形状ではこのタイプが最多。
1986年度と1988~1994年度までに導入されたいすゞ製と日産ディーゼル製、1992、1993年度の三菱製の計56台で採用された。1995年以降、三菱と日産ディーゼルでは後述の別タイプに変更されたが、いすゞは1994年を最後に新車導入がなかったので市営バスのいすゞ製路線バスは27台すべてがこのタイプだったことになる。
布地は、格子柄とワンステップ用チェックの2タイプが存在。

全国的には現在でも、少し豪華な路線バス(公営事業者とか観光地路線・中距離路線とか)ではたまに見かけるタイプ。
【2020年4月4日追記】2019年頃の時点で、箱根登山バスの新しそうな三菱エアロスターで、同型と思われる座席が使われていた。いすゞ・日野は、モデルチェンジにより標準仕様での座席の形状自体が変わってしまったが、三菱ではまだ現役のようだ。

従来と比べると座布団も厚くなっているが、背もたれが高くて厚いのが一目瞭然。まさに「ハイバックシート」。以下で紹介する他のどのタイプよりも分厚く感じられる。
背もたれは肩までカバーし、若干カーブを描いている。上部の中央付近には横方向に縫い目がある。
座り心地は、ふかふかして、背中を均一にホールドする感じ。他のタイプよりも経年でヘタりやすいようで、時が経つと座り心地がスカスカしたりシルエットも若干柔らかく(?)見えてしまうような気がしなくもない。
1992年度の日産ディーゼル製(276~278号車のどれか)
肘掛けは固いプラスチック製。
背もたれの裏側にある取っ手(1つ後ろの席の人がつかむための)が、他の多くのタイプでは金属部分に設置されているのに対し、これは布地の部分にあるのが特徴的。そのためか、経年でネジが取れかけていることが、他より多いような印象もある。
座席を支えて床や壁に固定する金属フレームは、いすゞと日産ディーゼルでは白、三菱製では黒と異なる。

このタイプの座席で特筆すべきは、1993、1994年度のワンステップ車の2人掛け席。
1994年度のいすゞワンステップ(126~129号車のどれか)。1人掛けは布地が違うだけ
1993年度に導入された日産ディーゼル「JP」シリーズは、初のワンステップバスとして注目を浴びた。
マスコミでも報道され、乗降のスムーズさとともに、2人掛け席のことが取り上げられていた。
その2人掛け席
隣り合う座席が、背もたれ1つ分くらい前後にずれて設置されている。(通路側の席が後方に寄っている)
他のタイプでは、座布団部分は2人分が一体化しているが、こちらでは座布団も別々というか、1人掛け席と同じ椅子(おそらく幅はやや狭いけど)をずらして並べている形なのだろう。

1993年12月10日付広報あきた1300号では、「隣同士に座ったお客さんの肩やひじかふれないよう、座席を前後に少しずらして配置するなどの心配りもなされています。 」と紹介している。
ほかにも通路側に着席する人がいる状態で、窓側の席から通路に出入りする時も、いくぶんスムーズになる目的があったと思われる。
翌1994年度のいすゞ製ワンステップ車でも、同じものが設置された。
市営バスの大型車やワンステップ車の導入はこれっきりだったし、ツーステップの中型車には波及せずに終わった。

Wikipediaの「日本のバスの座席」の項目を見ると「オフセットシート」というのが説明されていて、それが、このずれた2人掛け席のことだった。
日産ディーゼルJPシリーズというのは、福岡の西鉄の廃止鉄道路線代替バスのために開発されたバスが元祖。(それを一般商品化した際、真っ先に買ったのが秋田市交通局だったとか)
その時にオフセットシートが考案されてJPシリーズで商品化され、さらに他のメーカーやバス会社にも波及したようだ。(となると、特に秋田市交通局が要望してオプションで採用されたわけでもなさそうだ)

しかし、現在では、オフセットシートを採用しているバス会社はあまりないようだ。
心理的に窓側席に入りにくくなり、窓側に座る客が減るという弊害があるためだそうだ。


以上、長くなったけど、このタイプの座席は製造元が判明している。
航空機、鉄道、バスの座席で高いシェアを誇る、富山市にある座席メーカー「天龍工業」の製品。おそらく「MS100」というシリーズの1種かと思われる。
同社製のバス用座席には、円形の「テンリュー工業」または横長の「天龍工業株式会社」というシールが貼られていることがあり、中央交通の座席も(形状は違うが)同社製が多いようだ。

市営バスでは最多だったこの座席だが、譲渡された中央交通で今なお使われている車両がいくつかあり、今でもヘタったこの座席に座ることはできる。でも、先は長くなさそう。


次に、説明の都合上、少数派の1つを先に紹介。
(前回の再掲)1986年導入日野ブルーリボン204号車
1986年度導入の日野ブルーリボン202~204号車の3台にだけ設置されていたタイプ。
座り心地などは記憶にないが、背もたれは低めで、角度が大きいようだ。
肘掛けが複雑な形状だが、これは前年度の日野レインボーで設置されていたものと同じ(パイプの色は違う)。
(前年度の再掲)192号車
だから、日野製車両で優先的に使われていた座席メーカーの製品かもしれない。


他の日野製車両では、こんな座席。
板張りの床が懐かしい1989年度導入226号車(板張り床は1989年度まで)
日野製中型車レインボーだけに設置されていたタイプ。1988~1991年、1994年導入の21台。
交通局では、日野製中型車は東営業所に集中配置していた(中央営業所にはわずかだけ配置)。そのため、東営業所担当ダイヤをよく利用していた人にはなじみ深い席である一方、大型車や中央営業所の中型車が走る路線・ダイヤだけを利用していた人には、あまり縁がない席だったはず。

天龍工業製と比べると背もたれが薄くてより高く、スリムな印象。(写真は晩年の白いカバーが被せられた後なので、やや分かりづらいですが)
窓の部分に背もたれが飛び出ているのがはっきりと分かり、首や頭までもカバーする。
背もたれは途中で厚さが変わる。肘掛けは固いゴム風でカギ型
座り心地は天龍工業よりは硬めで、悪くなかった。

秋田市営バスでは、日野製でも大型車は別のタイプの座席(前項と次項で紹介)が設置されていたが、京都市営バスの大型車ではこれが使われていたので、別に中型バス専用の座席というわけではないのだろう。

現在は1991年度の車両の一部が残っている。(1994年度車はオートマが扱いづらかったのか、譲渡後に早期廃車)


1992年度の日野製・ワンロマ仕様285号車
1992年度に、1986年以来となる日野製大型車ブルーリボンが導入された。「秋田八丈」塗装の貸切兼用(ワンロマ)車が4台(283~286号車)。
貸切兼用という性格からか、ひときわ豪華な座席が採用された。
一見すると天龍工業製にどことなく似ている(後ろの取っ手の取付位置とか)が、同一ではない。
背もたれは上部が厚く、両端が前にややせり出していて、ヘッドレストのような趣き。座ると、肩の辺りが包まれるような感じ。座り心地がとても良いというわけでもなく、他のタイプ並みか。
2席だけある1人掛け席は少し幅が広いか
肘掛けは2辺をカバーするカギ型で、プラスチックの表面に数本のライン(浅い溝)が入る。他の2辺はシート生地で覆われている。

ワンロマだから特別な席なのかと思いがちだが、翌1993年度に導入された路線専用仕様の4台(294~297号車)でも、同じタイプが採用された。
※したがって、1992年度車と1993年度車の違いは、塗装と座席の数程度だったことになる。

1994年度以降は、ワンステップ大型車と中小型だけが導入され、日野製大型車はなし。無駄に豪華な感じがしなくもないこの座席は、2年間8台だけの採用に終わった。
現在もわずかに(1992年度と1993年度のうち1台ずつはよく見かけるけど、他は…?)残っている。


忘れてはいけないことに、市営バスの3代目小型バスも、日野製である。1993年度と1994年度にレインボーRBが、モデルチェンジがあって1995年度、1996年度にリエッセの計7台が導入された。
これらの座席は、布地は当時の中型・大型車と同じものだったが、形状は旧塗装時代と同じと思われる、低くて薄い背もたれのものだった。
肘掛けには座席と同じ柄の布地が張られていて、この点だけは無駄に豪華だったものの、他のバス会社でも同じ仕様の座席があるようなので、市営バスの特注ではなかった模様。
ちなみに、弘南バスに多数在籍するリエッセでは、普通乗用車みたいな立派な(背が高くてどっしりした)座席を採用している。
【2018年5月24日追記】リエッセの後継車種「ポンチョ」でも、市営バスの小型車とほぼ同じ、低い背もたれの座席が、取り付けられている。肘掛けは中型・大型と同じプラスチック。
(再掲)60号車車内
レインボー2台は、緑とエンジの格子柄。譲渡後に男鹿営業所に転属し、ローカル路線を走っているらしい。
リエッセ5台は、水色と濃いピンクの末期の布地に代わり、背もたれの取っ手が斜めに付いていた。現在も秋田市内で運用中。
以上が日野製限定の座席でした。
【2022年10月27日追記・日野製バスの座席のメーカーについて憶測。日野自動車はトヨタ系列。トヨタグループには「小糸製作所」があり、航空機や鉄道の座席を作っている。したがって、トヨタグループの縁で、同社製の座席を採用していた可能性があると思う。】


1986年度と1988~1991年度までの三菱製15台の座席。(1986年の208号車と1991年の267号車は記憶が定かではないのですが、おそらくこれ【2022年10月27日追記・267号車は確実にこのタイプの座席だった。自分でそう記録していました】)
230号車。他と比べると、質素?(右の座席が小さく見えるのは、設置位置がずれていて遠近感のため)これもフレームが黒い
背もたれは途中でくぼんで厚さが変わっているものの、高さは旧塗装時代並みに低い。肘掛けだけは妙に立派で、幅が広めでゴム風の材質。
色あせた頃の256号車
背もたれ上部は幅が狭くなっている。縫い目は2本。
2本の縫い目の効果かホールド感があって、座り心地はそれほど悪くはなかった。
このタイプの座席の車両で中央交通に譲渡されたものは、現在はすべて廃車になったらしく、もう座ることはできない。

このタイプの座席の車両で最悪だったのが、座席の間隔が極端に狭くきゅうくつだったこと。座席自体が直接の原因ではないのだが、このためにこの当時の三菱のバスはあまり好きになれなかった。(後日別記事にて)

交通局としてもこのことは問題として把握していたのだろうか、1992年度(この年は三菱の中型車を7台も購入)と1993年度には、いすゞや日産ディーゼルと同じ天龍工業製のものが設置され、座席の間隔も、そして居住性も他社並みになった。


前回の通り、1996年度が市営バスとしては最後の新車購入で、その前年の1995年度から、突如として座席の布地が変わった。
上記の通り、小型バスではレインボーからリエッセへモデルチェンジしたタイミングと重なったのは、偶然だろうか。
小型バス以外は少数の中型車だけの導入で、1995年度に三菱エアロミディ4台(130~133号車)、1996年度に日産ディーゼル製5台(134~138号車)の計9台。
どちらも1994年度までなら天龍工業製の分厚い座席が設置されるはずだが、そうはならなかった。中型車では布地とともに形状も新しくなったのだ。
131号車
座布団は1994年までと同じようだが、背もたれがかなり薄くなった。昔のタイプに近い薄さ。
高さは同じくらいで、途中で角度がついて縫い目もある。
肘掛けは2面タイプになり、表面にラインが入っていて、1992・1993年度日野大型車のものとよく似ている。
座席を支えるフレームは、以前同様、三菱では黒く、日産ディーゼルは白。
おそらく、これも天龍工業製で、今製造されているいすゞの車両で標準で付いている座席と同じもの(肘掛けは別タイプ)だと思う。

また、1986年以降、タイプを問わず(小型車は別)一貫して採用されていた、2人掛け席の背もたれが独立していたものも、旧塗装時代と同じ、2人分が一体化したものに戻った。
(前回の再掲)色は違っているがくっついている
総じて、グレードダウンしたととらえられる変化だった。
しかし、座り心地はさほど悪くなく、背もたれが高い分だけ昔よりいいし、薄い分ヘタりも出にくいようだ。この程度が、市内完結の路線バスの身の丈に合った座席なのかもしれない。

最終導入となった1996年度の日産ディーゼル製では、さらに新たな座席が登場した。
中ドアより前にあった2席が、窓を背にして座る横向きの3人掛けに変更された。※1995年度の三菱の車両では、ここは従来通りの前向き1人掛け2席
 中ドア-2人掛け-肘掛け・ポール-1人掛け-前向き1人掛け-前ドアの配置
最近のバスでは、これと同じような部分的な横向き座席がよく見られるが、当時としては全国的にも珍しいほうだったかもしれない。
以前から、ここはタイヤスペースや中ドアの戸袋の関係で、やや座りにくい座席だったし、横向きにすれば1人多く座れるし、足の悪い人でもスムーズに使えるかもしれない。その辺の配慮だったのだろう。
今は、ここを優先席とするバス会社が多いが、市営バスでは特にそうではなかった(この頃は「善意の席」の制度も消滅していた?)。
座席の布地は、2人掛けの通路側と同じ、濃いピンク(赤)系統の柄。肘掛けは、中ドア側がパイプに布地を巻いただけで、他は皮張り風なのがおもしろい。降車ボタンの取り付け方も、当時としては目新しかった。
座り心地は座布団は他の席と変わらないようだが、背もたれが硬くて垂直に近くて良くない。(右側の1人掛けは窓の位置の関係でとても分厚い背もたれなのだが、左側2人掛けと座り心地の違いはない)

以上、座席の形状をまとめてみました。
あとは車両の中での座席の「配置」についても、少々取り上げたいと思っています。
コメント (6)
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“電車”パンの理由

2014-02-25 22:24:10 | ランチパック
秋田県沿岸南部の羽越本線・羽後本荘駅と内陸に入った矢島駅を結ぶ第3セクター鉄道「由利高原鉄道」。※会社名が「由利高原鉄道」、運行する路線名が「鳥海山ろく線」
旧国鉄矢島線を第3セクター化したもので、秋田県内のもう1つの転換3セク「秋田内陸縦貫鉄道」とともに、厳しい経営状況の中で営業努力がされている。


昨日、「由利高原鉄道応援パン(と大福)」が発売されることが発表された。
矢島の「花立牧場工房ミルジー」の牛乳を使ったパン6種と大福を3月からたけや製パンが発売する。包装には同社の車両や路線図などがあしらわれる。【28日追記】2月25日以降、由利本荘市内のコンビニなどで先行販売されている模様。

今日の秋田魁新報県央地域面では、鉄道とたけやが「共同開発した」と表現されている。
しかし、鉄道の公式ホームページでは「たけや製パンと花立牧場工房ミルジーの協力を得て 」「由利高原鉄道では、地域の地場産業との協業を第一に考え、沿線の由利本荘市(矢島地区)の特産である花立牧場工房のジャージー牛乳をパンに使う事を企画提案しました。 」「パンの販売による由利高原鉄道の収入はありません」などの言い回しがあり、由利高原鉄道とたけやのどちらが言い出しっぺなのかよく分からない。

魁では「たけや製パンが展開する地産地消シリーズの一環で」とあるので、基本的にはたけや主導なんだろう。
「応援パン」と銘打ちながら、鉄道側主導で売るのでは、自分で自分を応援していることになってしまうし。


その他、報道などによれば、
・秋田県内1100店で販売
→たけや製品を扱うお店の数ということでしょう
・「1種類当たり月6万個の販売を目指し、月1千万円の売り上げを見込んでいる。」
・「青森、岩手、宮城の各県でも販売したい考えだ。」
→たけや自らが県外へ(一部)進出することを明らかにしたと受け止められる。
青森の工藤パン製品が秋田など青森県外でもいくつか流通しているのに対し、たけやの製品はほとんど県外へ出ていないはず(一部菓子類が青森で売られているとのこと)だったので、画期的。
せっかくだから由利地方からすぐ隣りの山形県でも売ればいいのに。
・今後も由利高原鉄道にちなむ新商品を開発予定(ABSでは「今後も毎月、新商品が発売される予定 」としている)
→たけやでは、最近はいろいろな地元企業とコラボ製品を出しているが、あまり長続きしていない印象がある。ほんとうに「今後も毎月、新商品」?


さて、3月に発売される6商品の名称は、
牛乳食パン、生キャラメル風蒸しぱん、みるく大福、牛乳パン、電車パン、レアチーズケーキ

鉄道好きとして、ものすごく引っかかったのが、「電車パン」。
現在の日本では、一般的に「鉄道車両全般」を指して「電車」と呼ぶ人や場合が多い。英語の「train」の意味。
しかし、厳密には電車=trainは間違い。
※trainを誤解なく日本語にするには「列車」が妥当だろう。

「電車」とは、「モーターで自走する鉄道車両」のことで、英語なら「electric train」とか「electric multiple unit」に相当する。
だから厳密には、機関車に牽かれないと走れないブルートレインのような「客車」は電車とは呼べないし、由利高原鉄道の車両もディーゼルエンジンで自走する「気動車」であって電車ではない。

鉄道会社が関与しながら、その会社が保有しない「電車」という誤った言葉を使った商品を出すというのは、どういうことか。

パン発売を取り上げた「由利高原鉄道のアテンダントブログ」の今日の記事の末尾に「※因みに・・※」として答えが記されていた。
「子供目線で考えた時、「列車」より「電車」の方がわかりやすいし馴染みがあるということで」
だそうだ。

なるほど。
秋田では列車全般を指して、年齢の高い人は「汽車」と呼ぶものの、若い人には「電車」が定着しつつあることを踏まえれば、あえて「電車」というネーミングにしたことに、ある程度の理解と納得はできる。

だけど、鉄道会社が関わり、自社気動車のイラストが包装にあるパンが「電車パン」という名前なのは、個人的にはやっぱりどうも引っかかってしまい、スッキリできない。鉄道会社自らが電車=trainという誤解を助長しているようにも思える。
例えば「ゆりてつパン」とかじゃダメだったのだろうか。

まあ、パン類の名称なんて、「ホットケーキ」なのに「和生菓子」扱いだったり(現在は変更済)、「学生調理」「粒あんグッディ」、「イギリストースト」「シベリア」等々よく分からないネーミングのものが多いから、この程度は許容範囲とするべきか。



それにしても、今回原料を供給する「花立牧場工房ミルジー」は、昨年末にはシライシパンに提供しており、複数のパンメーカーと取り引きをすることになる。※さらにシライシが受託製造するNEWDAYSのパンにも供給していた
シライシでも、2月からは別のものが出ている。
 「ジャージー牛乳のシチューパン」240kcal
三角関係というか二股かけているみたいなことになってますが、大丈夫なんでしょうか。

※続きはこちら
コメント (2)
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市営バスの座席・色柄編

2014-02-24 23:37:48 | 秋田市営バス
秋田市営バスの路線車両の「座席」に注目したい。
路線バスの座席といっても、バス会社や年代、用途(運用距離や観光路線かどうか等)によってさまざま。
路線バスに詳しい人たちの間では、秋田市営バスの座席は「グレードの高いものを採用していた」とされることが多いようで、実際に乗っていた者の感想としても、同時期の他社(特に中央交通)より高級感があるものだった。だが、その中でも、導入時期やメーカーによる差はあった。
秋田市営バスの座席といえば、
これを連想する人が多いかもしれない(293号車。詳細はおいおい)
まず、大前提として、昭和末期~平成以降に在籍していた市営バスの路線バス車両は、すべて前向きの座席が基本。
大昔や最近のバスのような、窓を背にして座るロングシートタイプの座席は、最終年度導入車両以外にはなかった。※最後の導入となった1996年度車は若干例外(続編にて)
中ドアより前は左右とも1人掛けで通路を広く取り、中ドア後方が2人掛け(最後列は5人掛け)が基本。ただし、大型車の一部の貸切兼用「ワンロマ車」は、前と中のドア直後だけが1人掛けでほかはすべて2人掛け。
また、座席表面は布を張ったもので、大昔のようなビニール張りのものは、(少なくとも昭和末期以降は)なかった。


※以下、車両が導入された年は購入した「年度」で記載しています。「年式」ではありません。
毎度恐縮ですが、記憶と資料が少ないため1985年度以前導入の旧塗装の車両を最初に簡単に。
1984年頃導入の日野レインボーCITY(168~174号車のどれか)。中型車としては初の冷房車
この時期の車両は、当時としてはオーソドックスな路線バスらしい座席だった。すなわち、エンジ色単色の布地で、背もたれは窓枠の下辺にかかるかどうかくらいの高さ(着席した人の肩甲骨より下辺りまでカバー)で、わずかなクッションがある程度の薄いもの。
※中央交通に来ている、1999年度までの小田急中古の背もたれよりはマシ。あれはただの板に布を張ったような硬さでヒドイ。

ワンロマ車でも、色は同じ。背もたれは路線専用車よりも高くて肩くらいまでをカバーし、いくぶんクッション性があったかも。背もたれの途中で角度が付いていたり、座布団部分も厚みが途中で変わるなどしていて、座り心地に多少の配慮はされていたようだ。
(再掲)ワンロマ仕様のいすゞ製187号車

上の写真に写っている、緑色の座席は「善意の席」。
一般的にはシルバーシート(当時)、今で言う優先席に相当する座席として、市営バスでは「善意の席」を1974年6月20日から設置していた。※徳島市営バスでは「公徳シート」と呼んでいる。
「善意の席」表示(192号車)
中ドアの真向かいの1人掛け2席(=最近のバスで車椅子スペースとして折りたたみ席がある部分)が善意の席に指定され、座席の形状は同じながら緑色(よもぎ色というのか、ややくすんだ緑色)の布地になっていた。※ワンロマ車や古い車両など、表示だけでエンジ色のままの車両もあったはず

1984~1985年度辺りの中型車の座席の違いを簡単に。
上と同じ170号車辺りの日野レインボー。背もたれの低さ・肘掛けの形状に注目

1985年? 導入の192号車。同じく日野レインボーながら肘掛けの形状が変わった

同年導入の三菱エアロミディ198号車。日野とは肘掛けが微妙に異なり、背もたれはやや薄い感じもする



1986年からは、車体の塗装を新しくして続々と新車が導入されたが、座席(色・柄と形状)も一新された。ここからは詳しく見てみる。
まずは布地(シート生地、シート表皮)から。
末期の市営バスの座席といえば、記事冒頭の写真のような濃淡の緑色系統の規則的な格子柄のものを連想する人が多いかもしれない。
秋田市交通局の特注というわけではなく、全国の他のバス会社でもたまに見ることがある柄。

従来はエンジ単色だった座席が柄入りに変わって、明るく感じられたものだ。
欠点としては、10年、15年と使っていると、経年で色あせること。現在も中央交通に譲渡されて一部残っているが、以前の写真と比べると、かなりくすんだのが分かる。

色が緑色の濃淡なのは、1人掛けと2人掛けの窓側、最後列の中央。2人掛けの通路側は色違いになっていた。
通路側が濃淡のエンジ色だったのをご記憶の方は多いと思うが、実は最初に導入された車両は別の色だった。
逆光ですが1986年導入日野ブルーリボン204号車※背もたれ上部の白いカバーは後年被せられたもの
1986年度に導入された大型車の7台(202~208号車)だけは、通路側は、カラシ色というかキツネ色の格子だった。
台数がわずかだった上、大型車だけだったので運用路線が限定され、さらに比較的早期に廃車になったので、市営バスを利用していた人でも、知らない人が多いかもしれない。

1987年度は路線車の導入なし。中型車も新塗装で導入された1988年度からは、なじみ深い緑色とエンジ色の格子の組み合わせとなった。
1992年度導入の日産ディーゼル277号車
この座席柄は1994年度まで続き、大中小型96台で採用された。
1992年度導入の初のオートマチックトランスミッション車(上の277号車など)、同年の「秋田八丈」カラーの大型ワンロマ車も、1993・1994年度に1台ずつ導入された小型バス(日野レインボーRB。60・61号車)もこの布地だった。※形状には差あり

市営バスの座席の柄はこの格子で決まりかと思っていたら、1993年度に違う柄が登場。
1993年度には従来の格子の車両も8台導入されたが、5台は別の新たな柄。色としては緑とエンジの組み合わせながら、従来よりやや明るい色調で、柄は等間隔でなく大きな格子のチェックのようなものになった。
その5台(116~120号車)は初めて導入した日産ディーゼル製ワンステップ車(当時は超低床バスと呼ばれた)。目新しさを強調するため、柄を変えたのだろうか。(2人掛け座席の配置も特徴的なものだったのだけど、続編にて)
車内がさらに明るく感じられた
翌1994年度はいすゞ製のワンステップ車(126~129号車)も同じ柄で導入。(同年の中型車は従来の格子)
以後、ワンステップ車は導入されなかったので、9台だけの柄になった。
なお、徳島市営バスでは、この緑色の柄が4年前の時点では主流のようだった。

1995年度は、中型車と小型車だけの導入となるが、ここで柄がリニューアル。(座席がややグレードダウンしたり、横向き座席が登場したりしたのだが、続編にて)
1995年度導入三菱エアロミディ130号車
窓側が水色系、通路側が濃いピンク(赤?)色系に色が変わり、柄は細かく太さが違う格子を市松模様状に配置(?)したものになった。
翌1996年度を最後に市営バスでは新車を導入しなかったので、結局は2年間・14台(中型130~138号車、小型62~66号車)だけの中途半端に終わってしまった印象。
1997年度以降も新車を購入するつもりでいたのに、民間移管の話が出てきて、やむなく購入しなくなったということだろうか。


以上、新しい車体塗装後の布地の柄に着目すれば、3タイプが存在した。色の組み合わせとしては4タイプ。
どの柄でも、直線を基本にして組み合わせた柄で、窓側が寒色系・通路側が暖色系だったことになる。窓側と通路側で色を分けていたのは珍しいのかもしれないが、視覚的なアクセントや着席位置の明示(2人掛けを独り占めされないように)の意図があったのかもしれない。
改めて、1人掛け席・2人掛け窓側の柄をまとめてみる(3つの画像で縮尺は同一ではありません)。
1986、1988~1994年度。96台

1993、1994年度。ワンステップ車9台

1995、1996年度。14台
いずれの柄でも、善意の席は区別されなかった。(というか、初期は善意の席の表示だけはあったが、後年導入された車両ではなくなっていた気がする。善意の席の制度自体、自然消滅したのか?)


最後に、秋田市営バス亡き現在の路線バスの座席の柄に触れておく。
横浜市営バスでは、横浜市の観光名所をデザインしたオリジナルの柄を採用している。秋田の中央交通でも、10年くらい前に、竿燈をモチーフにした青系統の柄をいすゞエルガミオで採用していたが、現在はやめている。【25日追記】三平バスもオリジナル柄だ。
専用柄でないにせよ、例えば共通設計のいすゞ・日野の大型・中型バスでは、標準仕様で5種類の中から選択できるようになっている。
昔のような暗めの単色の座席にしようとすれば、オプションというか特注になるだろうから、わざわざそんなことをするバス会社などないのだろう。
ただし、ユニバーサルデザイン対応として色調が配慮がされているらしく、どれも青系統ばかりで、かつての秋田市営バスよりはおとなしめにも感じられる。
いすゞ自動車ホームページより
中央交通ではイアーゴブルーが多いはずだけど、キサラブルーも(マーチブルーも?)あるような…
【2015年4月11日追記】小田急から中古で譲り受けたバスでは、キサラブルーの色違いの水色系のものに張り替えた車両が見られる。三重交通の新車でも採用されていた柄(この記事最初の写真)。

また、他社の中古車を導入する地方のバス会社では、種々雑多な色や柄の車両が混在している。
柄が違っても形状が同じならば使い回しできるため、中央交通では廃車になった車両の座布団部分だけを持ってきて部分的に交換したものまである。
こうした現状をかんがみれば、秋田市営バスでは、3種類「しか」バリエーションがなかったと言えるかもしれない。

市営バスの座席の「形状」については、続編にて
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あけぼのでソチへ!

2014-02-22 23:12:12 | 秋田のいろいろ
3月14日発で定期列車としての運行を終える、寝台特急「あけぼの」。
現在は、最後の乗車や撮影をしようという人たちで賑わっていると聞くが、今週初めは関東地方の大雪のため連日運休し、やっと運行が再開されたところ。

一方、ロシアのソチでは明日まで冬のオリンピックが開催されていて、3月7日からはパラリンピックが開会する。
雪国秋田だけど、秋田出身者で冬のオリンピック・パラリンピックに出場する選手はそう多くない。そんな中、(実感としては)突如、秋田県民がパラリンピックに出場することが発表された。
ノルディック距離女子「シットスキー」の江野麻由子選手で、県立秋田南高校1年。今大会の日本選手の中で最年少。
秋田市役所正面玄関
ソチ大会出場者で秋田市に関係するのは、オリンピックの男子スケルトンで22位になった笹原友希選手(秋田市は出身地。現在は長野の株式会社システックス所属)と江野選手の2名だけのようで、秋田市役所前に応援の看板が出ている。
2枚でデザインは同じだけど、笹原選手は「健闘を祈る!」、江野選手は「頑張れ!」と違っている。その違いはいいけれど、名前の角ゴシック体が微妙に違う(太さなど)のはどういうことだろう。出場決定時期は別だから、看板も別々に発注したのだろうけれど、他の部分は同じデザイン・書体にしてあるのに、大事な名前の書体が統一されていないのが惜しい。


さて、江野選手は高校での壮行会や知事などへのあいさつを今週までに済ませ、イタリアでの直前合宿を経てソチへ入り、3月12日と16日が本番とのこと。

昨日の秋田テレビのニュースでは、イタリアへ向けて秋田を出発したことが報道されていた。
てっきり、秋田空港から飛行機、でなければ秋田駅から秋田新幹線で行くのかと思っていたが、映像を見るとそうではない。

なんと「あけぼの」!
じゃあ、A寝台個室でも取って、ゆったり行くのかと思ったら、おそらく普通の(開放式)B寝台で、付き添いもなしで。

車椅子を使わずに(というかあの車両の構造では使えない)段差のある出入口から車内に入り、B寝台の下段に座るシーンが映っていた。(夕方のニュースでは出入口のシーンまでで、車内はカット)
向かいの寝台は空いていて、寝具が置かれていたので、寝台料金不要の「ゴロンとシート」ではなく、正規料金のB寝台。


まず、廃止まで1か月を切ったのに、さほど混雑していなさそうだったのが意外。空席情報では連日「×」かたまに「△」が並んでいるのだけど。
そして、パラリンピックに出場しようとする選手が、寝台特急で旅立つというのも、今の時代としては異例に感じた。(日本を代表して世界へ旅立つ人であり、かつ移動に制約がある体の人であるという2つの意味で)甲子園に行く高校の野球部でさえ、公私立問わず飛行機を使う時代なのに。

秋田テレビホームページより
映像では、江野選手が入線するあけぼのの機関車にスマートフォンを向けていた。これを踏まえると、実は彼女は「鉄子さん」で、本人の強い希望で「あけぼの」を選択した可能性はある。高校入学前は大館市にいたそうなので、「あけぼの」になじみがなかったわけではないだろうし。帰国後には「あけぼの」の運行は終わっているため、乗るなら今が最後のチャンスだ。
ブルートレインは古い車両だけに、車椅子の人では車内の移動や居住性に制約が少なくなさそうだが、パラリンピック選手になり、高校では水泳部に所属するくらいの人なら、(乗車時の映像のように)大したことないのかもしれない。(だとしても、若い人、まして女性が一人で開放寝台を使うとすれば、なかなか珍しい)

一般に、遠方の人が成田空港発の国際線に乗る場合、時間の都合で東京や成田で前泊することがあるが、それを嫌って寝台特急を利用する人も少なからずいるという話は聞いていた。夜行列車で睡眠不足だったとしても、機内で補えるし。
たけど、天候が不安定で運休・遅延の可能性が高い時期に、あえて「あけぼの」から国際線へ乗り継ごうというのは、リスキーすぎる選択に思える。

他に何らかの事情があったのかもしれないが、何も「あけぼの」で行かなくても、秋田新幹線で行って東京や成田で一泊してからイタリアへ向かっても誰も文句を言わないだろうに。費用だってそんなに違わないはず。

秋田駅での見送りも、お母さんと秋田テレビだけ(他のマスコミでは報道されていないはず)だったようで、秋田県唯一のパラリンピック選手の旅立ちとしては寂しく思えた(ご本人の希望だったのかもしれないが)。
「はずむ! スポーツ都市宣言」だとか「スポーツ立県」だとか言っている地域、そしてオリンピック・パラリンピック誘致に成功して浮かれている国ならば、もうちょっと大きく送り出しても(そして出迎えも)いいんじゃないでしょうか。(などという、スポーツに興味がない者の意見です)
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旧AD/秋銀秋田支店

2014-02-20 23:39:11 | 秋田のいろいろ
20日付秋田魁新報経済面(4面)に、秋田市大町のニュースが2つ出ていた。

「名古屋の経営コンサルタント/イーホテルのビル取得/閉鎖モール活用検討」
1987年にできて、元々はショッピングモール「ファッションアベニューAD」と「秋田ワシントンホテル」が入っていた大町二丁目のビル。
2007年にホテルは「イーホテル秋田」に代わって、ショッピングモール部分もイーホテル管理下(一部を除く)に置かれて「イーホテルショッピングモール」となっていた。
昨年春までには、不採算を理由にショッピングモール部分はごく一部を除いてテナント撤退・閉鎖されていた。

新聞記事によればビルの所有権は、第一生命保険→(2005年)みずほ信託銀行→(2007年のホテル交代時)新生信託銀行と変遷。
昨年6月に、新生信託銀行から経営コンサルタント「みらい経営」が購入したという。(それが今になって分かって報道されたのか?!)
現在は、民芸品店などの「藤木」部分は引き続き藤木の自社所有、秋田観光コンベンション協会はみらい経営から賃借、他は空きテナントの状態。

「みらい経営」は「不動産管理や企業の事業再生を手掛ける」そうで、「(ホテルの稼働率は良いので)安定した賃料収入が見込めるため、投資の価値があると判断」し「向かいの秋田ニューシティ跡地がどう利用されるのかも見ながら、大規模なテナントの誘致などをしたい」そうだ。
茶町通りから秋田ニューシティ跡地越しにイーホテルショッピングモールを見る。まだ「AD」表示が残る
まあ、“拾ってくれた”企業があっただけ、秋田市中心市街地も見捨てられていなかったんだな…というのが率直な感想。
ただ、過剰に期待するのもどうなんだろう。
何度も繰り返して恐縮ですが、この一帯では中華街構想、秋田ニューシティ(旧ダイエー秋田店)解体時の辻社長の商業施設を作りたい発言、プロバスケ施設構想、地元商店会による新たな商業施設構想等があったが、いずれも実現していない。
ニューシティ跡に大型文化施設ができるとかいう話もあるが、現段階では未定。
期待はしたいけれど…
※その後、2020年時点でもイーホテルもニューシティ跡地も大きな変化なし。ニューシティ跡地の文化施設はなくなりイーホテルについては医療モールにする話が出た。

大町五丁目付近の大町通り
もう1つは小さい記事で「秋銀秋田支店/大町支店に統合/7月22日から」
大町五丁目にある秋田銀行秋田支店を7月18日で営業終了し、7月22日から大町二丁目の大町支店に統合するという。
「秋田支店の店舗が老朽化している上、両支店が約600メートルの近距離にあることから、統合して営業力の強化を図る。」
「秋田支店の店舗は残し、統合後も現金自動預払機を設置する。」
19日付で秋田銀行からニュースリリースもあった。
2013年12月末現在、大町支店は行員14、総預金額363億円、総貸出金92億円。秋田支店は行員11、預金183億円、貸出77億円。

2012年に新屋支店と新屋駅前支店が統合して新しい新屋支店になったような合理化が、秋田市中心部の店舗でも行われるということか。
ちなみに統合前の新屋支店は行員13、預金206億円、貸出60億円、新屋駅前支店は行員6、預金141億円、貸出22億円。これらと比べると、現・大町支店は顧客に比較的大きい企業が多いだろうから、さすがに金額が大きいし、秋田支店は意外に小規模だったようだ。
大町支店が近いとはいえ、秋田支店側からは竿燈大通りの横断が必要になる。秋田支店がなくなれば、近くの川反の飲み屋さんなんかは、不便になるかもしれない。

「秋田銀行秋田支店」とは、秋田(市内にも県内にも)にたくさんの店舗がある銀行なのに「秋田」支店という、奇妙というか大雑把な名称の店舗だった。
偶然なんだろうけれど、かつては同じ通りに北都銀行の秋田支店も存在したが、現在は本店営業部に吸収されて消滅(建物は現在は居酒屋グループが店舗として使用)。
秋田銀行秋田支店
秋田銀行秋田支店は、建物が特徴的。
近くの旧本店などであった「秋田市立赤れんが郷土館」には及ばず、リフォームもされているが、レトロな趣きがある。
ずっと前に記事にしたように、スチーム暖房を使っていて、寒い日には建物周辺に湯気が漂う。
 
この建物は「秋田貯蓄銀行」の本店として建てられたそうだ。
1921(大正10)年に辻兵や本金(→今の西武秋田店)の経営者らが設立した銀行で、この建物は1934(昭和9)年12月に竣工したという。
戦中~戦後にかけて、秋田貯蓄銀行は秋田銀行と合併。ここは秋銀「本町支店(当時は「本町」だった)」となるも、短期間で廃止。
その後、今の赤れんが館で営業していた秋銀「秋田支店」が、進駐軍に建物を接収されたためこの建物に移ってきて以後、現在まで「秋田支店」を名乗り続けている。

なお、赤れんが館の建物は、進駐軍から返還された後は、本店→大町支店などとして使われてから、秋田市へ寄贈されている。
したがって、今回統合される秋田支店も大町支店も、どちらも発祥の地は赤れんが館だったということになるはずで、赤れんが郷土館の歴史の長さと時代に翻弄された様子をうかがい知ることができよう。

※参考:Wikipedia、「二〇世紀ひみつ基地」2007年3月31日「旧秋田貯蓄銀行本店・昭和レトロ建築(http://20century.blog2.fc2.com/blog-entry-292.html)」


魁の記事によれば、秋田支店の建物はとりあえず残るようだけど、店舗統合の理由に建物の老朽化が挙げられていることからすれば、先行きは分からない。
旧北都銀行秋田支店のように、リフォームして他用途に使うことも考えられるが、古い建物を残したがらない秋田の気質(?)からしても。
湯気が立ち上る秋田支店を見られるのは、この冬が最後かもしれない。【2015年1月30日追記】閉店後の2015年1月の時点では、湯気が上がっていることがある。ATMコーナーの暖房用なのか、店舗だった部分で何かをやっているのか。【2015年3月12日追記】2015年3月12日も湯気が上がっていたが、店舗だったスペース内で蛍光灯が点灯しているのが、ブラインドの隙間から確認できた。店舗後で何かやっているようだ。

※続き(閉店時)はこちら
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さらば組合病院

2014-02-18 21:12:58 | 秋田の地理
秋田には「組合病院」と呼ばれる病院がある。
※全国的には、共済組合や健康保険組合が運営するために「組合」の名称が付く病院がある。それらは「○○共済組合××病院」という名称のものが多く、地元では「××病院」と略されることが多いようで、「組合病院」とは呼ばないと考えられる。

「秋田県厚生農業協同組合連合会(JA秋田厚生連)」が運営する病院のうち、秋田市北部(土崎から飯島へ移転)の「秋田組合総合病院」、能代市の「山本組合総合病院(※山本は地域名)」、大仙市大曲の「仙北組合総合病院」、由利本荘市本荘の「由利組合総合病院」のこと。

いずれも各地域の拠点に位置づけられる大きな病院であり、それがJA系列だというのは、農業県・秋田らしい。
なお、JA秋田厚生連では計9つの総合病院を運営(うち1つは指定管理者として)しているが、上記以外の5病院は「組合」の名は付かない。
(再掲)田んぼと住宅地の境に立つ秋田組合総合病院を平和公園から望む
そんな「組合病院」の一部が「組合病院」でなくなる。
秋田組合総合病院ホームページより
秋田組合総合病院ホームページの院長名の告知によれば、上部組織「全国厚生農業協同組合連合会 (JA全厚連)」傘下の病院は全国に111あるそうだが、その中で「組合」が付くのは、秋田の4病院だけなのだという(昔はもっとあって、減ったという意味のようだ)。
そのために「名称由来の色々な不利な点がありました」そうで、改称することにしたそうだ。

秋田組合総合病院は、4月1日から「秋田厚生医療センター」という名称になる。
「「厚生」の付く病院は全国に39病院あり、全国的に認知されておりこの名称を取り入れました」とのこと。

5月1日には仙北組合総合病院が「大曲厚生医療センター」となる。(同日に新築移転)
山本と由利については告知がないので、引き続き「組合(総合)病院」なのだろうが、全国で2つだけ残ることになる。
【7月15日追記】この後、2015年春から山本組合総合病院が「能代厚生医療センター」に名称変更されることになった。由利組合総合病院が“最後の組合病院”になるなるようだ。


農業協同組合に「JA」という愛称が付いたのが1992年。今は「農協」と同じ程度に認知されているし、秋田市の「農協ビル」も「JAビル」が定着している。
それを思えば、今さら「組合病院」なのは時代遅れかもしれない。

だけど、秋田の人にとって「組合病院」のネームバリューは抜群だろう。
(我が家のような秋田市中央部の者にとっては、中通、市立、日赤、秋大附属などのほうがよりなじみがあるけれど)
地域の患者や一般の立場からすれば「名称由来の色々な不利な点」は特にないし、「厚生」の名が「全国的に認知されてお」っても、秋田県内的にはまったく認知されていない。
仮に「厚生」はいいとしても、「総合病院」の名を捨てて「医療センター」に改名してしまうのは、素人には格が下がってしまうようにも感じられるかもしれない。(国立病院機構などでも病院から医療センターに名称変更している)

厚生連や病院側の事情はあるのだろうが、「厚生医療センター」がかつての組合病院のことであると、地域に広く認知されるのはかなり先になる予感がするし、それまでは混乱が生じないかちょっと心配。
秋田サティ→イオン秋田中央店の改称の時と同じように。

大曲では、新病棟完成と相まって、地元の方々の間で既にある程度は名称変更が認識されているようだ。それに対して、単に名前が変わるだけの秋田では…

例えば「JA秋田総合病院(略してJA病院)」とかじゃダメだったのだろうか。広島や高知にはあるけれど。


ちょっと視点を変えて、大曲の「仙北組合総合病院」は「大曲厚生医療センター」になるわけだが、地名の部分が「仙北」から「大曲」に変わることについては、共感できる。平成の大合併の“弊害“が解消されることになる点において。
秋田市以外の組合病院の山本、由利、仙北は、所在地周辺の郡名に由来していると思われる。(平成の大合併前は、1つの市に対して1つの郡が紐付けられるような関係だった)
それはそれで良かったのだが、平成の大合併で仙北郡の一部が独立して大曲の隣に「仙北市」が誕生してしまった。
そのため、「仙北」といえば「仙北郡」のほかに「仙北市」も連想されてしまい、「“仙北”組合総合病院」が“仙北”郡でも“仙北”市でもなく、大曲(大仙市)に所在するという、事情を知らない人は混乱しそうな関係になってしまっていた。
「大曲厚生医療センター」ならば、大曲にあることは一目瞭然。
合併後の市名である「大仙」ではなく「大曲」にしたことも、所在地を明確にし、地名を大事にしているように感じられ、個人的には好感が持てる。


最後に、施設の名称が変わるとなれば、影響を受けてしまうのが、バス停やバス路線の名称。
大曲厚生医療センターは大曲駅前だから、影響はなさそう。
問題は秋田厚生医療センター。
飯島に移転後は、複数路線が乗り入れる起終点・乗り継ぎ地点となり、実質的にはちょっとしたバスターミナルとなっている。
そのため、バス停の表示板や車内放送だけでなく、車両の行き先表示や他のバス停の案内図などの差し替えも発生してしまう。中央交通だけでなく、秋田市が事業主体でキングタクシーに委託運行している、郊外部の「秋田市マイタウン・バス北部線」側でも、変更が必要になる。


ここに「厚生医療センター」を収めると見にくそうだし、見えた所で分かりにくそうだし…
バス会社には落ち度というか原因はないのに、カネと手間をかけて名称変更に対応しないといけないのには、同情する。厚生連側で費用を負担したりするんだろうか?
交通公社前」のようにかたくなに以前の名称を使い続けるという手もありますが。

※改称後のバスはこんな状況になった
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2代目波平登場

2014-02-17 21:26:27 | その他もろもろ
※この記事は「青森県」ジャンル(カテゴリーはその他)に設定していますが、間違いではありません。

声優 永井一郎さんの急逝に伴い、フジテレビのアニメ「サザエさん」の磯野波平役の後任に、声優の茶風林(ちゃふうりん)さんが決まり、16日放送分から登板した。
感想は、当然永井さんとは違う声だから、違和感はなくはないが大きくはなく、従来の波平のキャラクターとかけ離れた声・演技ではないように感じられた。じきに慣れてすんなり受け入れられそう。
あと、「波平さんが“若く”なった」という印象も受けた。


16日の1話目は作品ナンバー7077「ミセスうっかりミス」(脚本:岸間信明、演出:山口秀憲)。
脚本の岸間さんという方は、サザエさんではおそらく初めてかと思うが、1956年生まれで藤子不二雄作品(1980年代のいわゆる「ドラ・ハッ・パー」や現在のドラえもん映画)などを書かれてきたベテランのようだ。サザエさんでは、ドラマも書くような若手~中堅脚本家が散発的に執筆することはあるが、アニメ専門のベテランが途中から参加するというのは珍しいのではないだろうか。

「ミセスうっかりミス」では、磯野家・フグ田家の他の人々は登場するのに、波平さんがなかなか出てこない。このままでは登場せずに終わってしまうのではないかと思いかけた頃、波平さんが登場した。7分の作品中、6分10秒辺り。
サザエとカツオが騒ぐのを耳にし、庭で盆栽を手にしながら「んー?」が第一声。数秒後「うるさいぞ2人とも。こっちへ来て事情を説明しなさい」と続き、2人に説教。その後、ペンキ塗りたての盆栽の台(植木棚と呼んでいた)に座ってしまうという、オチ。
波平さんがオチでしか出てこない話はちょっと珍しいと思う。

作品ナンバーは9日の「波平 親切騒動」が7056で他の2話は7060番代、16日放送の他の2話が7064と7069で、「ミセスうっかりミス」だけ若干、先へ飛んでいる。サザエさんではままあることではあるが、波平役が未定の状態で行われた収録時の負担軽減(新しい波平役と他のキャストの双方)のため、映像が完成していた作品の中から、波平の出番が少ないものを先に持ってきたのかもしれない。
ただし、他の2話は通常並みに波平の出番があったので、たまたまかもしれないけど。


波平は磯野家・フグ田家のキャラクターの設定年齢としては最年長ではあるが、茶風林さんは52歳なので現在の声優陣ではカツオ、ワカメに次ぐ若さ。だけど、磯野波平が54歳であることを踏まえれば、妥当かもしれない(上記は「若くなった」のではなく「歳相応になった」のかも)。

茶風林さんの起用が決まったことは、共同通信配信で秋田魁新報社会面でも小さいながら顔写真入りで報じられた。複数の候補者の中から、面談(一種のオーディションだろう)で選ばれたことや、これまでの代表作に「ちびまる子ちゃん」の永沢君役と「名探偵コナン」の目暮警部役が挙げられていた。
僕は「名探偵コナン」は見ないので知らないから、茶風林さんといえば永沢君のイメージ。他には1990年台後半にNHK(BS2、後に教育テレビ)の「はじめ人間ゴン(ギャートルズのリメイク)」でゴリラ(?)の「ドテチン」役くらい。
だいぶ前、たしか日本テレビ系の報道番組のナレーションをされていたことがあったが、どうしても永沢君が頭に浮かんでしまって、戸惑ったものだった。だから、永沢君みたいな波平さんにならないかと心配したが、さすがプロのベテラン。それは素人の杞憂に終わった。永沢君よりも波平さんのほうが高い声にしているようだ。

したがって、茶風林さんは日曜18時台はちびまる子ちゃん→サザエさんと連続出演する場合があることになる。さっそく16日も永沢君の出番が多い「藤木、男の約束」が放送された。
まる子→サザエさんと掛け持ちする声優としては、他に山本圭子さん(山田→花沢花子など)がいる。


ここから青森に関係します。
茶風林さんは、公式資料では埼玉県出身となっているが、青森県出身という情報もある。
ご自身のブログでも昨年10月17日付で「茶風林の故郷、青森県は八戸から取り寄せた絶品さきイカ」としているので、やっぱり青森県とはゆかりがある方なのだろう。

サザエさんが6日遅れで放送される青森県だけど、以前取り上げたようにわりと関係がある。
チーフアニメーター→制作会社エイケン社長の毛内節夫氏が車力村出身、三河屋の三郎(サブちゃん)も青森出身の設定で、さらにその声優・二又一成さんが三沢市出身。
さらに、波平さんの声優も青森の人となれば、青森とサザエさんのつながりは強いと言えよう。

ちなみに、青森テレビでの今週の放送(22日)はオリンピック中継のため繰り上がって13時00分からのようです。
以上、青森関係。(ジャンルを指定したわりには短かったですね)


俳優でも声優でも、途中で交代することは、多かれ少なかれ視聴者に違和感を与え、後任者にとってはプレッシャーにもなるだろう。
ドラマ「渡る世間は鬼ばかり」の岡倉大吉役が藤岡琢也から宇津井健に代わった時は、ものすごく違和感があった。
ただ、前任者とあまりにそっくりなのも、ものまねじゃないのだから…という気もしてしまう。(例えばルパン三世とかぴったんこカン・カンのナレーションとか)

テレビ朝日「ドラえもん」において、2005年に声優陣が一斉交代した時は、画風や音楽も変わったこともあって、大きな違和感があった。
とはいえ、交代直前の作品を見てみると、声優の高齢化が感じられてしまったのは否めないことであり、一斉に交代したことの是非はともかく、若返りは仕方がなく、かつ必要なことだったのだろう。

サザエさんにおいても、いずれは他の役でも交代せざるを得ない事態になるわけだ。今回は急な交代ではあったものの、スムーズに進んだのは、幸いだったと思う。


波平といえば「バカモーン」と怒るシーンが代名詞のようになっている。
しかし、波平さんは怒ってばかりではなく、コミカルでとぼけた一面もある。現在のエンディングでは、ポストと間違えて獅子舞の口に年賀状を投函しているし、タクシーと間違えてイノシシに手を挙げて止めようとしたこともあった。
昨年末発売されたCD「サザエさん音楽大全」では、「波平のテーマ」と名付けられた劇中BGMが2曲(越部信義作曲)収録されている。※曲名はCD向けの便宜的なものだそうで、現場では別のタイトルで呼ばれている可能性もある
2曲ともコミカルで、特に「波平のテーマ1」はビヨヨーンビヨヨーンという音がにぎやか。「ミセスうっかりミス」のエンディングでかかっていたのが「波平のテーマ2」。こんな音楽にふさわしい、波平さんのいろんな面をこれからも見せてほしい。
来週は「父さんインタイ宣言」という、交代早々「えっ?!」と思ってしまうタイトルのお話が放送予定(タイトルからすれば脚本は雪室さんっぽい?)。交代後初の波平主役の作品になりそう。

そして、サザエ以外の磯野家・フグ田家メンバーがローテーションで担当する次回予告。1月5日以降、波平、タラオ、ワカメ、カツオ、マスオ、フネの順だったので、順番からすれば16日が波平のはずだが、実際にはタラちゃんだった。おそらく波平さんを1回飛ばしたと思われるので、エンディングで新・波平の独り語りが聞けるのは、5週間後だろうか?【3月28日追記】予定通り、3月23日放送の予告が新・波平の初登板となった。
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楽な冬

2014-02-15 20:18:11 | 秋田の季節・風景
太平洋側は2週続けて記録的な大雪で、甲府では積雪が1メートルを越えたという。いつもは数センチ積もっただけで混乱する首都圏が滑稽にさえ見えてしまうけれど、今回は20センチ超の積雪で“ほんとうの混乱“でお気の毒。秋田でも一晩でこれだけ積もったら、ちょっと大変になるのだから。

秋田では、内陸南部の大雪も落ち着いてきた模様(といっても横手で130センチ)。それでも、除雪作業中の事故は後を絶たない。
秋田市では、少々積もって少々融けを繰り返すような天候で、昨シーズン・一昨シーズン・他地域と比べれば、とても楽な冬。今日の積雪は18センチ。気温はだいたい平年並みかやや低め(朝はマイナス、昼はプラス)だろうか。
一定量の積雪は残っていて、中途半端に気温が上がって雨が降って、ビシャビシャにならないのも、ある意味うれしい。
アルヴェ14階から東を望む。太平山の山並みがくっきり

陽射し・青空は見えないけれど

1月下旬から今までの、秋田市内の風景から。
通町橋。路面は車道は露出・融雪のない歩道も歩行への支障は少ない

(再掲)昨年1月初めはこんな状態(昨年以前はこの記事


横型信号は積雪しやすく、さらにそれが融けてつららができやすい

昨年紹介した、放置されてボロボロになった家屋。
(再掲)
いつの間にか、
解体されていた!
おそらく今週中に始まったのだろう。
雪で本格的にぶっ壊れてしまってやむなく解体したのか、それとも解体を渋っていた所有者がついに重い腰を上げたのか(消費税増税前に?)。
朽ち果てるに任せる状態だったから、近隣の皆さん(そしてたまに通る僕としても)はひと安心しているのではないだろうか。

【2015年3月4日追記】その後、2015年2月現在、解体後の土地は民間所有と思われる除雪車2台の駐車場になっている。


解体といえば、千秋矢留町の「秋田県環衛会館」。
昨年12月末

現在。保戸野川反橋から旭川越しに通町橋方向の見通しが良くなった

 建物の残骸が雪に埋もれて残る
現在は建物の解体が終わっているが、更地にする作業は途中で止まっているようだ。積雪のため?

左が跡地。手前右が生活金融公庫→保育園。左奥が鷹の松


今日・明日と横手でかまくらが開催される。
となれば、恒例の臨時列車「快速かまくらまつり号」。2011年も昨年も、秋田駅中央改札口の発車標では「快速KAMAK」と表示されてしまっていた。英語名の斬新な列車名である。
それが今年は…
ちゃんと「快速かまくら」
期待していたのに残念、いや、これが本来の表示です。【19日訂正】考えてみたら、正式な愛称は「かまくらまつり」号なのだから、「かまくら」ではまだ不完全だ。「KAMAK」よりマシになっただけ。
ただし、文字データではなく、ドットを埋めた画像データのような形で“文字に見せかけて”いるようで、「か」「く」あたりのラインがちょっと怪しい。
英字は「RAPID」がない「KAMAKURA」。


一昨年辺りから、秋田市の「あさひタクシー」の車体の色が濃いものが登場していた。「車のいろは空のいろ」のような。
県庁で客待ちするあさひタクシー
濃い色のトヨタコンフォートが4台もまとまっていた。
これだけ、濃い色の車が増えたということか。
その分、淡い色・日産クルーの車は減っているのだろう。


最後に、秋田駅自由通路とアルヴェ2階を結ぶ通路。
「左側を通行してください。」
いつの間にか、左側通行を励行(指示?)する張り紙がたくさん出ていた。
通路はアルヴェの一部という扱いのようだけど、何かあったのだろうか。
たしかに、自由通路より幅が狭く、カクカクしていて、方向を分けたほうがスムーズではあるだろうけど。
【2015年2月15日追記】その後、この掲示はなくなっている。
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秋田で買えた工藤パン

2014-02-13 22:33:01 | ランチパック
先日も触れたように、青森の工藤パンのイギリストーストの期間限定商品が、わずかながら秋田県内にも流通している。
イオン秋田中央店(旧・秋田サティ)では、通常版のイギリストーストは前から扱っていたが、2月に入るとこれも売られていた。
※先月までの通常版の秋田中央店での入荷量は多くはないようだが、売り切れている時もあって、一定の人気はあるようだ。(一方で、見切り品になっていることもある)
イギリストースト 青森県産スチューベンホイップ 410kcal
1月発売で、ホームページで見ておいしそうなので気になっていたのだが、それが秋田で手に入ってうれしい。
スチューベンはブドウの品種で、青森県鶴田町などで生産が盛ん。

イギリストーストの派生商品では、今まではチョコなどのクリームもしくは果物のジャムを使ったものが多く、果物をホイップにしたのは珍しい。(1年ほど前に「苺ホイップ」があったそうだ)
分解
中身はホイップというよりも、通常版のイギリストーストと同じ、グラニュー糖の粒が輝くペースト状クリームを、ブドウ色にしたような質感。

予想したよりも酸っぱいけれど、まさにブドウ味でおいしい。それに加えてグラニューの食感がイギリストーストらしさを意識させる。
ジャム+マーガリンなんてのはたけやアベックトーストでもできるのだから、このようなグラニューが混ざるものこそ、イギリストーストらしい「正統派イギリストースト」かもしれない。

工藤パンのホームページなどでは特に触れられていないが、この商品に使われるスチューベンは、弘前で地方卸売市場を運営する「弘果弘前中央青果」の「スチューベン100」というブドウジュースをそのまま使っているとのこと。
弘果のホームページなどでは告知されているが、工藤パン側でもパッケージなどで紹介すれば、青森県の企業どうしでいい宣伝になるのではないでしょうか。
【22日追記】改めて食べてみたら、やはりおいしい。100%ジュースを使っているだけに、作り物でない本当のブドウの味がする。あまり酸っぱくも感じなかった。

2月からは背割れコッペを使った「ダブルサンド」に「スチューベンゼリー&スチューベンホイップ」というのも発売されていて、これもおいしそう。



もう1つ。秋田市北部にあるマックスバリュ東北の港北店では、こんな工藤パン製品があった。(広面店や茨島店にはない模様)
カステラサンド 「菓子パン」扱いだが栄養成分表示なし
秋田県民なら「カステラサンド」といえば、たけや製パンの商品を連想するかもしれない。
再掲)たけや版カステラサンドの派生商品
かつての「フレッシュランチ」と同様、同じ名前で微妙に違う商品が工藤パンとたけや両方から発売されているのだ。(ヤマザキでも作っているらしい)
マックスバリュ港北店では、たけやのカステラサンドもいっしょに売られていた。
味のあるロゴ。昔から使われているのだろう
工藤パンのカステラサンドの包装には、帆船が描かれている。これは商品の形からの連想だと思われる。
たけやのカステラサンドは四角だけど、工藤パンのは、
直角三角形(上に置いてある定規は18センチ)
船の帆の形をイメージした包装なのではないだろうか。
工藤パンホームページでは「いつからか三角パンの異名で知られる一風変わった菓子パンです。」と紹介している。

直角に交わる2辺の長さは11センチと18センチ。三平方の定理で求めれば、斜辺は21センチあることになる。大きい!
サイズ自体も大きい上に、三角形の形のせいで場所を取り、包装も大きくなってしまう。

側面は、斜辺側と直角の2辺側で異なる。長方形の状態で2個分をいっしょに製造し、対角線で切断して包装するのだろう。
 厚さは5センチ以上ある
パン部分もカステラ部分も、たけやのものにとてもよく似ている。上部のパンの凹凸(溝)は、たけやのほうが深くて格子状なのに対し、工藤パンはやや浅く片方向。

あっさりした食感で、ぺろりと食べられる。カロリー表示がないのが恐ろしい…
※工藤パンには、別の大きなパンもあった。
2023年にはカステラサンドがイギリストースト化された。

工藤パンのカステラサンドでは、2月から「シベリア風」という派生商品を出している。
ようかんとホイップクリームをサンドしたもので、映画「風立ちぬ」の影響で注目された和菓子のシベリアを意識したのだろう。

ちなみに秋田県内では、工藤パンのシベリアはよく売られている。一部店舗では「ヤマザキ シベリア」という札が付いているが、間違い。(仕入れルートはそうなんだろうけど)
昔はたけや製パンでもシベリアを作っていたそうだから、たけやもブームに便乗して売ればいいのに。
また、関東地方近辺では、ヤマザキブランドのシベリアが売られている。工藤パンのシベリアを少し小さくして2個組みにしたような「三角シベリア」などがある。
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地形図の謎

2014-02-12 23:49:25 | 秋田の地理
インターネットが普及して便利になったことの1つが、地図の閲覧。
従来なら紙の地図を購入しなければならなかったのが、ネットなら複数のメーカーの最新の地図を無料で見られる。
Googleマップも便利だけど、日本人としては見やすさ(例えば「丁目」の境など)にやや難があり、僕は純日本製の各地図サイトと使い分けている。

それら民間の地図とはまた違った見やすさと信頼感があるのは、国土交通省国土地理院の地形図。ネット対応は早く、試験的なものが2000年頃には既に公開されていたように記憶している。永らく「ウォッちず」というサービス名だったが、ウォッちずとしては更新は2008年で終了し、現在は古いデータしか見られない。
その後継が「地理院地図(http://portal.cyberjapan.jphttp://portal.cyberjapan.jp )」で、見やすさが向上し、操作性も改善されているように感じる。

地図としての内容は充分信頼できる日本の地形図ではあるものの、ネットでよく見てみると、ツッコミどころがいくつかあるので、まとめてみた。
国土地理院へ問い合わせ・指摘しようかと思ったけれど、その前に何か理由等をご存知でしたら教えてください。


僕たちの頃は、社会科の授業において、地形図については中学校2年生、地図記号の一部は小学校4年生(か3年生?)で習ったはず。
我が国ではたくさんの地図記号が定められていて(元々は旧陸軍が軍事行動しやすいようにだそうだが)、最近は、老人ホームや発電用風車といった新たな地図記号も定められている。
地図記号を使うことによって、限られたスペースで簡潔に情報を伝えているのだと思っていたが、必ずしもそうでもないようだ。
※以下の画像は、特記以外は地理院地図2万5千分の1地形図より抜粋した秋田市の地図。

「学校」を示す地図記号は、「文」の「小中学校(小か中の区別はできない)」とそれを「○」で囲んだ「高等学校」があるのは習った。
保戸野の秋田大学附属学校・園
ここには、秋田大学教育文化学部附属の幼稚園、小学校、中学校、特別支援学校が存在する。
幼稚園は表示されないが、「原」の辺り。2つある「文」のうち、左が小学校、右が中学校。そして特別支援学校は、「保戸野原の町」の町名とほぼ同じ文字で場所を取って表示されている。実際の位置は「特」の左側。

山王の官庁街
市役所には地図記号があって、県庁にはない。(市役所の記号を楕円にしたものが使われることもあるが、それは民間の地図のようだ)
市役所右隣にはNHK秋田放送局がまだ存在していて、電波塔の記号がある。(移転先の東通にはまだ建物すら記載されておらず、これは明らかにミスだろう)
※29.2メートルの三角点についてはこちら参照

県庁の南には○と×の「警察署」の記号があるが、これは秋田県警察本部。本部と出先機関・窓口機関である署を同じ記号で表すのはおかしいと思うけれど、桜田門の警視庁にもこの記号が付いているから、そういう決まりなんでしょう。

左側「文化会館」は秋田市文化会館。位置は「文」の所。
その右のブロックに4つ並ぶのは「公」が由来の「官公署」の記号。(右上は「裁判所)
気象台、検察庁、農水省等々国の各種出先機関が入る合同庁舎(この記事この記事参照)で、建物1つにつき記号1つということのようだ。

そこから県庁を越えて右側に「秋田労働局」とある。
秋田労働局は本体は「公」記号が並ぶ右下の「秋田合同庁舎」内に入っているが、そのうち「職業安定部」は別に「東カンビル」に入っていて、それを示しているようだ。
東カンビルは県庁第二庁舎の東隣なので、「秋田労働局」の「田」の左上。
本部を差し置いて、でっかい文字で記載するというのが主客転倒
ちなみにハローワークは官公署の記号が付される。


専用の記号がある小中高以外の学校でも、「文」の上に(大)(短大)(専)を付して表すことがある。「(専)」は専門学校や専修学校ではなく、高等専門学校のこと。ただし、これは「地図の上に名前で表すことができないとき」だそうで、基本的には学校名を直接表記するらしい。
その表記の仕方は、あまり決まりや法則はないようだ。「東京大学」は「東大」、秋田大学は「秋田大」になっている。
国立秋田高専はただの「高専」
まあ、他に高専は秋田にないけれど。

ウォッちずより
秋田公立美術工芸短期大学は「秋田美術工芸短大」という珍しい略し方。(公式な略称は「秋田美工短大」だった)
新屋
秋田公立美術大学になったら「秋田公立美術大」となった。
附属高等学院は専修学校扱い(※高等学校ではない)なので、掲載されない。

上の新屋の地図左側に「養護学校」が道路を挟んで2つ向き合っている。
これは県立秋田養護学校と県立栗田養護学校を示していると考えられるが、現在は秋田養護は統合されて県立秋田きらり支援学校となって南ヶ丘へ移転。栗田養護だけが残っている。(過去の記事
空いた秋田養護跡の一部は、栗田養護で活用してはいるようだが、地図の表記は1つで充分だろう。
土崎港北に「聾学校」がまだ存在していることになっている
南ヶ丘へ移転した、県立盲学校、県立聾学校や県立勝平養護学校(統合)はいずれも従前の場所にそのまま表記されており、これも明らかな間違い。
南ヶ丘には統合・移転したのが反映されている
南が丘の南にあるのが、日赤病院と日赤看護大。
ここ以外も含めて、いくら大きな総合病院であっても、地図記号だけが記されて病院名は分からない
日赤看護大は、大学院も含めて丁寧に列挙されている。(だったら秋大とか県立大にも大学院を表記しないといけないのでは?)



秋田駅近く
「博物館」の記号と「総合文化会館」?
これは「アトリオン」のこと。
この正式名称は「秋田総合生活文化会館・美術館」だけど、知る人は多くないだろうし、略し方も独特
博物館の記号は入居する「秋田市立千秋美術館」を示している。

西側のエリアなかいちは、着工前の状態。
秋田中央道路地下トンネルの出口が、実際より1ブロック南側にあるように描かれているのも気になる。

ところで、新しい地図記号である「博物館」が示すのは、「博物館法という法律による博物館や博物館と同じような施設で一般に公開しているものをあらわします。美術館や歴史館もこの記号であらわします。 」とある。(国土地理院子どものページより)
だったら、千秋公園内にある秋田市立佐竹資料館、大町の秋田市立赤れんが郷土館や秋田市民俗芸能伝承館(ねぶり流し館)にもこの記号が付いても良さそうなのに記号はないし、文字もない

また、国土地理院子どものページには、「水族館、動物園、植物園は、名称を表示して記号は表示しません。」とあるのに、
秋田市大森山動物園がない!(「大森山公園」は山全体の公園としての名称)


秋田貨物駅
駅名ということで緑色の文字で記載されるが、上には同じ字で「秋田操車場」とある。
貨物駅は以前は「秋田操車場」という名称で、現在も市民の通称や道路・公園などの名称では使われている。
しかし、JRの組織や施設としては「秋田操車場」なるものは現存しないはず。どうして残っているんだろう?

八橋・寺内地区
四角い記号は「油井・ガス井」を示し、「現在採取中のもので、目標となる施設を有するもの」すなわち、ポンピングユニットのこと。
そこを流れ、油田地帯にちなむ名の「草生津川」だが、そのふりがなが「くそづ」となっているのに違和感。「くそうづ」じゃないの?(上流にも同じ表記があるので単なる誤植ではない)
肝心の河川管理者である秋田県でどう呼んでいるかは分からないが、秋田市や多くの民間人のサイトでは圧倒的に「くそうづ」と仮名を振っているものが多いのだが…

ほかにも、掲載するかどうか、あるいは掲載する際の表記については、
・県立体育館にも秋田市立体育館にも「体育館」としか記載されなくて紛らわしい
・県立野球場には「こまちスタジアム」とあるのに、秋田市営八橋球場は記載なし
・長ったらしく「秋田刑務所」と記載しているが、これこそ「刑務所」でいいのでは
・「三菱マテリアル工場」「新秋木工業工場」「秋田総合車両センター」とかは記載するが、新屋の西部工業団地とかたけや製パンの工場とか秋田車両センターは記載なし。大きなビル(JAビルのような)なども名称の記載がない
などが気になる。
民間の地図は「道案内」が目的で、国土地理院のは「地形図」というだけあって道案内が第一の目的ではないということで、このような記載になっているのかもしれないが、それにしてもちぐはぐな点が多いように感じた。


地形図では、難読な地名にふりがなが付くことはあるようだが、限定的。
秋田市では「茨島(ばらじま)」と広面の「樋口」「樋ノ下」の「樋」に「とよ」とあるくらい。
「広面(ひろおもて)」なんかも、ふりがなが必要ではないでしょうか。

ここで弘前市に飛びます。
弘前の難読地名「小比内(さんぴない)」「門外(かどけ)」にはふりがながない。必要だと思うのだが。
一方、「狼森(おいのもり)」、「楮町」は「こうじ」だけかなが振ってある。難読駅名としても有名な「撫牛子」は、
「撫」に「ない」だけふりがな
「牛」と「子」にはなくていいの? これだけじゃ絶対読めないよ。
「撫牛子」で「ないじょうし」と読むなんて、知っている人以外は絶対読めないのだから。


最後に秋田市に戻って、個人的には大きな謎2つ。
勝平山
サギの集団営巣地(コロニー)がある勝平山東斜面には、「針葉樹」の記号が付いている。
ここって、ニセアカシアやネムノキといった落葉樹が多いように見えて、針葉樹の記号は適切でない気がするのですが。

大町の竿燈大通り
右上に秋田ニューシティがまだ存在していたり、その下の「記念碑」の地図記号は、山王大通り完工記念碑
問題は、その向かい側、郵便局の記号の左上の「官公署」。

ここに官公署ってあるだろうか?
現地。大町西交差点角
「マニュライフプレイス秋田」という1992年竣工のオフィスビル。
民間企業しか入っていないようだけど…
解決編はこちら
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カレーの試験/apple-polish

2014-02-11 23:17:04 | その他もろもろ
学生時代の思い出から2つ。

まずは最新のニュースから。
こんなことを朝日新聞や共同通信(47news)が報道するのもどうかとは思うけれど、広島大学医学部のある科目の試験において、2年生126人のうち6人だけが合格。不合格の120名は、20日後に実施された追試験を受けるも全員が不合格だったという。
昨年度までこの科目では、最初の試験(本試験)で不合格であっても、追試験で本試験と同じ問題が出題されていて、追試に向けて勉強すれば誰でも合格できたという。今年度は、本試験と追試験で別の問題が出されて、このような事態になったということらしい。

医学部といっても、医師養成の医学科と看護師や各種療法士養成の保健学科があり、どちらなのかは分からないが、いずれにしても最終的には国家試験に合格し、人の命を直接扱う業務に直結する科目のようだから、これでは先が思いやられる。
だけど、(医学部は違うのかもしれないが、)一般に大学の試験(※入試は別)なんて、担当教員次第で異様に易しかったり、異様に難しいとかするもの。採点基準は不透明だし、答案が返却されることはほとんどない。
だから、全員に「可」しか出さない先生とか、科目の担当教員が交代したら試験が極端に難しくなったとかいう話は、どこの大学にもある話ではないだろうか。
いずれにしても、大学内での話であり、ニュースにするような話ではない。

おまけに共同通信では「担当官」という肩書きの人物が登場するけれど何者? 「担当教官」のつもりだろうか。(朝日では「担当教員」としていて、それが正当のはず)
国立大学だった当時は教授など“先生”の総称として「教官」を用いていたが、国立大学法人化後は「教員」に呼称を変えた大学が多いようだ。「官」ではなくなったという理由で。
これでは新聞記事として「不合格」ですぞ。



広島大学は「ひろだい」と略されるようだけど、もう1つの「ひろだい」、弘前大学では、テストに関してこんな話があったのを思い出した。1990年代の話。

ある科目の試験では、答案に「(おいしい)カレーライスの作り方」を書けば、「優」をもらえる。

バリエーションがあって、「問題として『カレーライスの作り方』が出題された」、「問題は別で、答えに窮して出題と無関係のカレーの作り方を“回答”したら、単位がもらえた」、「カレーの作り方を書いたのに単位がもらえず、先生に聞きに行ったら『君の答えには材料にタマネギ(ジャガイモだったか?)が入っていない。これではおいしいカレーにはならないから、不可』と説明された」「同様に尋ねに行ったら、『講義中に私が話したカレーの作り方を書かなければダメ』と言われた」なんていうのがあったはず。
このお話の“舞台”となる科目・教官(当時の呼称)は、一般教養科目・生物学のT教授という方だそう。この点については、別の科目や先生の話は聞かなかった。

家政学分野の試験だったら、ほんとうにこんな問題が出るのかもしれないが、教養の生物で出題されるとは信じがたい。僕はこの先生の科目を履修しなかった【2019年5月28日追記・履修しようとしたけれど、定員超過で抽選か何かになって、履修できなかったような気もしてきた。いずれにしてもこの先生のお姿を見たこともないのは確実】し、試験問題を見る機会もなかったので真偽は不明だが、都市伝説(学内伝説?)だったのだろう。

ちなみに、弘前大学では1994年度までは「一般教養課程」を「教養部」で行い、教養部に専任の教官が在籍していた。1995年度入学者からは「共通教育課程」に改められ、全学から教官が参加(=専門教科と共通教育を掛け持ちする)して授業を行うことになった。1997年9月には教養部が廃止され、教養部に所属していた教官は各学部に振り分けられる形になった。(弘大には人文学部があるため、教養部に多い語学系分野の教員の受け皿があった)
T教授は農学生命科学部に移られ、10年ほど前に停年退官(いわゆる定年退職)されている。
また、現在は「共通教育」は「21世紀教育」という体制に変わっている。


ネットで調べてみると、このカレーの作り方と試験の話は、複数の大学で同じ形で語り継がれており、少なくとも1970年代には既に存在していたようだ。
獣医学部を舞台にした佐々木倫子の漫画「動物のお医者さん(1987~1993年雑誌連載)」にも、同じ話が出てくるそうだ。(ちなみに作品の舞台のモデルは北大、作者は1980年代に北海道教育大学卒)
典型的な都市伝説だ。

弘大では、どうしてT教授がその都市伝説の“ターゲット”となってしまったのだろう。まさかほんとうにそういうことがあったのか、あるいは講義中の雑談で話したのか…
T教授がいなくなった今の弘大、あるいは秋田とか他の大学では、カレーと試験の話は、どのように語り継がれているものだろうか。



話が変わって。さらに少し時をさかのぼります。
高校生の時、教室でこんな出来事があったのを、なぜか覚えている。
ある日、教室のいちばん前の席に座っていた女の子が、なぜかリンゴを丸ごと1個持参し、なぜか朝から布かティッシュペーパーで熱心に磨いていた。
※リンゴをそのまま持参したことについては、当時は「リンゴダイエット」というのが流行っていたはずで、その影響を受けていたのかもしれない。
【2023年4月8日追記・りんごダイエットについて】↑上記は1993年度のできごとのはず。1992年度後半のNHK連続テレビ小説「ひらり」第75回で、リンゴダイエットが出てきた。デートを前にした主人公の姉が、何を話題にすればいいか、会社の同僚に相談するシーン。同僚が、自分が始めたリンゴダイエットを話題にしてはどうかと、会社の冷蔵庫に入れておいたリンゴを食べながら勧めるのだが、「リンゴをね 3日間だけ食べるなんていうダイエット」と説明もあり。「リンゴだけ」食べるのは知っていたが「3日間」だったのか。

リンゴの表面にはロウ物質があり、磨いてこすることによって、ツルツルテカテカになる。
その日の英語の授業が始まる前か終わった直後だったか、彼女は教壇の先生(女性)に向かって「ほら。磨いたらこんなになったの」とそのリンゴを見せた。
先生は「あら、ずいぶんきれいに磨いたわね」と返した。

そんな他愛もない日常のひとコマが、なぜか記憶に残っていた。
食べようと思って持ってきたリンゴをこすってみたらピカピカになってうれしくなり、それを英語の先生に見せたくなってしまったにすぎないと思っていたのだが…


最近、「apple-polish」という英語の言い回し(アメリカ中心らしい)があるのを知った。直訳すれば「リンゴ磨き」。
これは「(特におべっかを使って)(人の)歓心を買う, ごきげんをとる, ごまをする.(プログレッシブ英和中辞典)」という意味。つまり「ゴマをする」に相当する。
そういうことをする人、「おべっか者」のことは「apple-polisher」。
語源は「米国の児童が先生にリンゴをぴかぴかになるまでふいてからあげる風習があったことから(同)」。

これを知ってはっとした。
高校時代の彼女の行動には、別の意味があったように思えてしまう。「今学期の成績、ひとつよろしく」と。
相手は英語の先生なんだから、意味は知っているだろうし。
でも、彼女はかなり成績優秀で明るい生徒だったと記憶している。そんな手回しなど必要なかったはず。
今となっては真相が分からない思い出です。

【2018年12月5日追記】さほど関係ないけど、青森県りんご試験場から毎年皇室へリンゴが献上され、その箱詰め風景がNHKで報道されることがある。職員が布やブラシでこれでもかというほどピカピカに磨いて、薄い紙と保護ネットで包んで箱詰めしている。
コメント (2)
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2度目のE6系

2014-02-08 22:12:50 | 旅行記
旅行してきました。

秋田新幹線「こまち」のE3系からE6系への完全置き換えまであと1月ちょっと。
現在E3系で運行されるのは、28号(秋田発8時56分)、36号(秋田発13時03分)、45号(東京発17時56分)、47号(東京発18時56分)の2往復だけ。
2月14日から36号、15日から47号がそれぞれE6系に置き換わり、E3系のままダイヤ改正を迎えるのは、わずか1往復だけになる。
E3系に惜別乗車したいと思いながらも、気が付けばそんな状況になってしまっていた。

今回は旅程を無理に調整しないとE3系には乗車できなかったので、仕方なくE6系の列車を秋田-上野で予約。秋にE6系に初めて乗った時は、あまりいい印象を受けなかったこともあって、あまり気が進まないながらも。
さらに帰りは都合のいい時間の「こまち」の「えきねっとトクだ値」が売り切れ(指定席自体は空いている)で、1つ前の「スーパーこまち」を予約。割増料金を取られるスーパーこまちに乗るのは不本意だったけれど、トクだ値の割引額を考慮すればそのほうが安いし、この機会に300km/h運転も体感しておこうということで…

前回は、座席数がいちばん少ない(32席)17号車に乗ったので、今回は一般的な(60席)の16号車の後ろのほうを往復とも予約。(トクだ値でも、号車・座席位置を指定できるようになってうれしい)


それでは、E6系のセカンドインプレッション。E6系での長時間移動は初めてであり、盛岡以遠のフル規格区間で乗るのも初めて。
結論から述べると、前回のような悪い印象はほとんど受けなかった。前回は体調が万全ではなかったせいなのかもしれない。
一方で、多くの人が言っているような「E3系よりも乗り心地(もしくは座り心地)が良くなった」ということは、別段感じなかった。
我ながら、繊細なのか鈍感なのか…

前回は感じた新車のにおいは、今回は感じなかった(前回はこれが良くなったのか?)。座席の黄色もうるさくは感じなかった。
改めて座席に座ってみると、以前ほどスカスカ感は感じず、悪くないと思ってしまった。E3系より「良い」とも感じないけど。
可動式枕(ヘッドレスト)はクッション性は足りないけれど、ないよりはいいと居眠りして感じた。枕がない時は首が痛くなっていたので。
頭の左右がせり出しているのは、並びの席との視界を遮る効果がある程度あり、これによってE3系よりも落ち着ける気がした。

盛岡から先の新幹線区間も、快適で安定した乗り心地(=座席の座り心地ではなく、車両の揺れなどに対する印象)。E5系とよく似ている。車体傾斜装置とやらが作動しているおかげなのかもしれないが、よく分からない。
ただ、E3系やE2系でも、それほど乗り心地が悪いとは感じなかったのではあるが…(印象に残っていないだけかも)
昔、初めて200系(初代東北新幹線)に乗った時は、車内での走行音がけっこううるさかった記憶がある。それを思えば、かなり静かになったなあとも感じた。

スーパーこまちの300km/h運転でも、275km/hとの差を感じず快適。300km/h運転は宇都宮以北なので、宇都宮駅通過前後に意識していても、加速していることは感じられなかった(E3系では加速しているのが分かった)。減速も滑らか。これが来月からの320km/hではどう変わるのか、楽しみ。

以上、4時間座りっぱなしでも苦痛には感じず、これならこれからも乗っても大丈夫だと思った。
ただ、この程度の乗り心地改善・速度アップ・時間短縮に対して、割増料金を選択の余地なく適用するのは、個人的にはやはり納得できない。実質的には「単純な値上げ」に思えてしまう。


出発は、冷え込んでうっすらと新たに雪が積もった朝。E6系「Z7」編成の長い鼻にも雪が積もって(付着して)いた。
大曲まで最後尾の11号車

大曲まで先頭の17号車
比べてみると、17号車側のほうが着雪量が少ない。これは、秋田車両センターにおいて11号車側が北西向きに留置されているからかもしれない。北西向きの信号機に雪が多く着くように。
秋田駅東口から。太平山のすそだけ見えた
平年よりも気温が下がった日ではあったが、秋田の冬としては穏やかな天候で、時刻通りの運行。大曲、角館と雪が増えるものの、極端に驚くほどの多さでもない(地元の皆さんは例年通り、除雪に苦労されているわけではありますが)。
角館駅ホームには、サザエさん?

角館-田沢湖間。下は国道46号線

再掲)秋はこんな風景の場所
盛岡で「はやて」と連結。ここで、この時期恒例の「こまち」の車体(床下)に付着した雪を落とす作業が行われる。
ホームと反対側の席だったので窓から下を見ていると、10人近い作業員(反対側にも同じだけいるのかも)が、金属製の大きなヘラみたいなのを持って歩いていた。台車周辺の雪を叩き落としているようで、「ごんごん」という音と衝撃がかすかに伝わってきた。
4分遅れて発車。

「はやて」と「こまち」が連結している時は、車内放送ははやて側から一括で行う。(こまちの車掌は放送中に既に車内を巡回することも多い)
以前は、車内販売の案内放送もはやて側からしていたが、今回は行き帰りとも、こまちではこまち側で単独で行っていた。考えてみれば、準備ができるタイミングや品揃えはそれぞれで違うだろうから、放送も別々のほうがいいのかもしれない。
だったら、車掌の放送も、特に下り列車では、はやてとこまちで行き先が違い、通り抜けできないことを明確にすれば、別々に放送したほうが分かりやすい気もする。秋田行きの列車に乗っていて、「新青森には何時に到着します」「トイレは何号車です」と聞かされるのは、余計な情報だから。
盛岡
盛岡市は青空がのぞき、車道は路面が見える程度の積雪。岩手山は見えず。
新花巻付近から吹雪になり、真っ白な中を進む。車内の文字情報では、新花巻駅で新幹線が凍結のためオーバーランしたニュースが報じられる。
古川駅手前で、ぐぐっと減速。車内放送が入り「今朝、古川駅でポイント不転換があった影響で、いったん停車する」とのこと。通常のホームのない通過線ではなく、ホームのある線路に入って15秒ほど停車。
車両基地のある宮城県利府町辺りは雪がほとんどなくなり、仙台は4分遅れのまま到着。
福島に入ると再び吹雪。大宮付近まで来ても、屋根や日陰などにはそれなりに積雪があった。大宮には定刻着。上野駅で降りると、鼻に積もっていた雪はすっかりなくなっていた。

帰りのスーパーこまちは、福島駅をかなり減速(75km/hくらい?)して通過。「つばさ」と連結する14番線に、上り「やまびこ」が到着してドアが開くタイミングだった。(連結相手のつばさは、高架手前で待たされていたのか、上ってくるところだった)
福島駅は、上り列車が14番線(つばさは14番線にしか入れない)に入るには、下り通過線を横切らないとならない構造だそうで、やまびこが遅れて通過線を塞いでしまい、スーパーこまちが減速させられたのかもしれない。


さて、今年度1年限りの愛称だった「スーパーこまち」もあとわずか。
上野駅のフルカラー発車標
「スーパーこまち」は2段の組み文字。記事欄には「スーパーこまち全車指定席」と「はやぶさ~」が交互に表示。

待合室の液晶画面
停車駅ははやぶさとスーパーこまちが2段で別々にスクロール表示される。英語表示から切り替わってすぐは「大宮・仙台・盛岡…」と頭が揃っているが、分割以降の駅は違うので、お尻は揃わない。そのため、2巡目からは、
頭がズレて表示される
上下別列車だからこれで問題ないけれど、ちょっとモヤモヤする。(英語表示も同様)

ホームの乗車位置表示

 車両の行き先表示(英語は秋田到着後に撮影。結露していた)

車内の文字案内。
停車中の2段組

発車直後の大きな文字の「スーパーこまち」

「SUPER KOMACHI」
文字案内、自動放送とも、英語では「SUPER KOMACHI Super Express」としていた。

さらに、来月からは「こまち」の連結相手が「はやぶさ」に統一される。
「はやて+こまち」の組み合わせも、見納め

帰りのスーパーこまちも、行きと同じZ7編成だった。
秋田駅にて。右が乗ってきたZ7編成
左は仙台へ向かう最終列車。この時も、車両基地にいた間に鼻に雪が積もったようだ。
【9日追記】あと1日遅ければ、関東地方・太平洋側の大雪の影響で、ひどい目に遭っていたことだろう。

旅行記は続きます
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分かりやすく書いて

2014-02-04 20:55:20 | その他もろもろ
各種報道を見ていると、誤解を招きかねない表現や表記に遭遇する。素人から見ても、もっと分かりやすい書き方があると思えてしまうような。
こういうのは昔からあったのかもしれないが、ネット上で見られるようになって、従来より多くの媒体の報道を目にする機会が増えたことが原因かもしれない。ポータルサイトやツイッターなどで転載されて、誤解が広がる恐れもある。
例をいくつか。※いずれもネット版での報道に基づくもので、実際の紙面等では誤解のない言い回しに改められている可能性もあります。

●その人が後任?
「サザエさん」の磯野波平役でおなじみの声優・永井一郎さんが亡くなり、葬儀が行われた。
それを伝えるデイリースポーツ
亡くなった後、1月30日に行われたアフレコ(録音)において、「永井さんの代役はスタッフが務めた」と本文、見出しとも伝えている。

この記事(だけ)を読めば、多くのサザエさんファンは、びっくりというか愕然とするのではないだろうか。
45年間に渡って永井さんが務めてきた役の後任がプロの声優ではなく、スタッフなんて!

ほんとうのところは、「波平役の後任は決まっていないため、今回の収録では仮にスタッフが担当した。後任が決まり次第、波平部分だけを改めて収録する」ということらしい。(今朝のフジテレビ「とくダネ!」で小倉さんがそう話したらしい)
つまり、30日のアフレコでは「永井さんの代役はスタッフが務めた」というより、「永井さんのセリフ部分以外を収録した」というほうが適切だろう。どうせスタッフの声は“上書き”されてしまうのだから。

今回の報道は、葬儀後の加藤みどりさん、冨永みーなさんのインタビューを元にしているらしいから、インタビューでは「スタッフが代役をした」ということにしか言及せず、それをそのまま報道したということも考えられる。
だけど、それだけをそのまま読めば「え!? 後任はスタッフなの?」と誤解というか疑問を読者に抱かせることは、デイリースポーツの記者は考えなかったのだろうか。
その場で質問できないのなら、フジテレビに問い合わせれば分かりそうなものなのに。
読者の視点に立っていない記事だと思ってしまった。

●苦い文?
gooのニュースに転載された、昨年12月12日スポーツ報知。
舞台の主演女優と製作者が、降板するしないでモメている一件
裁判が始まり、製作者がインタビューに答えて「和解してもいいが、そっちの言いなりにはならないぞ」という趣旨の発言をしていて、そこが見出しにも使われている。
それが「ビタ一文まけないぞ」

僕は見出しを最初に目にした時、「ビター文まけないぞ」すなわち「びたーぶんまけないぞ」「Bitter文まけないぞ」と読んでしまい、「苦い文章」って何? 「まけないぞ」というのは「撒けない」?
じゃあ、「告発文や暴露本みたいなものを流布させるようなことは許さないぞ」ということをカッコつけた(?)表現か? などと勘ぐった。

よく読めば何のことはない「(和解金は)鐚一文(びたいちもん)負けないぞ」ということだった。明朝体や毛筆系書体なら区別できたかもしれないが、ゴシック系書体では「ビタ一」は「ビター」と読んでしまう。
漢字の「鐚」は読めないから仮名書きなのは分かるが、カタカタよりもひらがなで「びた一文」のほうが分かりやすいのではないだろうか。さらに「負けない」をどうしてひらがなにしてしまったのか。

●誰が誰から
時事通信転載のgooニュース2012年6月6日
上の大きな見出しに「K・ギルバート氏会社から横領か」。gooのトップページのリンクにはこれだけが表示される。
これだけ読めば、多くの人が「K・ギルバートという人物が、自分が勤務する会社から横領した」というニュースだと思うことだろう。
「K・ギルバート」とは、かつて「世界まるごとHOWマッチ」の回答者だったケント・ギルバート氏。

下の見出しと記事を見れば、「ケント氏が経営する会社から横領した人物が逮捕された」という内容。ケント氏はむしろ被害者だったのに、最初の見出しでは犯人かと誤解させてしまう。

見出しは文字数が限られているし、ネットでは注目させてクリックさせるために、あえて目を引く内容にしているということもあるのかもしれないが。
せめて「K・ギルバート氏横領される」とかにできないのだろうか。

ネットの見出しでは、以前「山口もえ夫の…」というのがあった。
「タレント山口もえ、の夫」という意味なのだが、「山口もえ夫」という人物を連想してしまった。森田拳次の漫画「丸出だめ夫」みたいな。

●名前より肩書き
青森県南部地方中心のデーリー東北。昨年10月15日。(画像の11月20日はキャプチャした日付)
「旅番組で女優藤田さん来八」
「来八」は「らいはち」かと思うが、「八戸に来る」という意味。「来日」のローカル版で、全国各地にある表現

それより気になるのが「女優藤田さん」。
結論から言えば藤田弓子さんのことなのだが、どうして「藤田弓子さん」でなく「女優藤田さん」にしたんだろう。文字数は同じなのに。
藤田姓の女優といえば、藤田弓子か藤田朋子が代表的だろう。お2人なら名前を表記するだけで、女優だと認識する人が多いはず。わざわざ「女優藤田」なんて書いたら、あまり知られていない「別の女優の藤田さん」が来たのかと思ってしまう。
かえって失礼な表記ではないだろうか。

●誤字
最後は、青森の陸奥新報から誤字2連発。
昨年2月3日「弘前の私立小中学校」
弘前に私立の小学校はないですね(中学校はある)。本文の通り「市立」の誤り。

2012年12月4日「支社人」
交通死亡事故多発非常警報発令期間中の交通事故の件数を取りまとめた記事。
本文からすれば「事故316件、死者1人」としたかったのだろう。死者数の「1」を入力し忘れ、さらに「支社」と誤変換したことになる。

陸奥新報では、弘前市の「禅林街」を「全林街」としたこともあって、初歩的な誤字が目立つ気がする。しかも、それがそのままずっとサイトに掲載されることも少なくない。※続きはこちら


プロ/アマ問わず、文章を書く者としては、誤解されない(されにくい)表現、誤字のない文章を心がけたいものです。
※次の更新は土曜日になるかと思います。
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閉・痛!

2014-02-02 23:45:41 | 秋田のいろいろ
新しいタイプのドアボタンが登場した701系電車の半自動ドアの続き。
半自動ドアは車内保温の効果は絶大であるが、乗客としては「ボタン操作をさせられる」ことになり、それに伴うトラブルが発生しかねない。その1つが「乗降する人がいるのに、ドアを閉めてしまう」こと。

701系以外・JR東日本以外も含めて、ボタン式半自動ドアを備えた鉄道車両では、「車外のボタンは開けるだけ、車内のボタンは開閉両方できる」ものが多数派。ちょっとヘンな気もするけれど、エレベーターの外(上下の呼び出しボタンを押しっぱなしにする)と内側と同じ分け方ではある。

今のような寒い時期などは、ドアを開けっ放しにするのは大ひんしゅくだから、乗った客は後ろに人が続かなければ「閉」ボタンを押して閉めるし、途中駅において乗る客がいない場合に、最後にそのドアから降りる客も車内の「閉」ボタンを押しつつ降車していく(※危険な場合があります。後述)。誰かが開けっ放しにした場合は、ドアの近くにいる乗り降りしない客が「閉」ボタンを押して閉めることも多い。
これが、秋田では冬以外のシーズンも通しての暗黙のルール・マナーになっている。(秋田ほど寒くない地域では、閉めない人のほうが多い場合もある)
【2018年7月31日】夏場は冷房効果向上になるが、それに加えて、特に夜間は虫が車内に入ってくるのを防ぐ効果も大きい。

問題は、周りを確認せずに「閉」ボタンを押してしまい、そこに乗り降りしようとする他の客がいた場合。
701系電車のドアは、モノを挟んでも簡単に開かない構造(もちろん「開」を押せば開きます)らしく、挟まれたらかなり痛そう。自分がボタンを押したばっかりに、見ず知らずの人を痛い目に遭わせてしまったら、申し訳ない。
また、「閉」を押すタイミングが早すぎて、 自分で自分を挟んでしまうという、恥ずかしいことをしてしまうこともある。

JR東日本側でも、ドア操作の注意喚起をしてはいる。
20年前の701系導入当初は、ほとんどやっていなかったはずだが、ある時期から、ワンマン電車の自動放送で「ドアの『トジ』ボタンを押す時は、後ろのお客さまにご注意ください」というフレーズを入れている。
「閉」を送り仮名なしに「とじ」と読ませているのはちょっと無理があるが… 秋田支社以外のワンマン放送でもほぼ同じ内容が流れているが、「ドアを閉じるボタンを押す時は…」と言っている所が多いはず。

車掌は以前(ワンマンで言い始めた頃)はほとんど言わなかったはずだが、今は同じ趣旨の注意を放送する人が多いようだ。以前から半自動ドアの説明を行っていた大館運輸区の車掌も、注意を付け加えるようになった。
【11日追記】大館運輸区のある車掌は「『あける』のボタン」「『しめる』のボタン」と言っていた。
【2018年6月14日追記】その後2018年には、秋田運輸区の車掌だろうか、複数の人が「(閉める時は)周りのお客さまにご配慮ください」という言い回しをするようになった。「後ろ」に続いて降りる人だけでなく「前」から乗りこんで来る人にも気をつけろというニュアンスを持たせ、かつ「注意」より柔らかい「配慮」としたのだろう。

数年前、ボタン式半自動ドアが使われる、JR東海の身延線のワンマン電車に乗った。真冬の(現地としては)寒い時期だった。
発車前の自動放送では、「車内保温のため、半自動ドアの操作にご協力ください」という、東日本エリアでは聞かないフレーズが入っていた。(実際に閉めている人は僕以外いなかったけど)
東日本では「閉める時に注意」する案内はしても、積極的に「閉めましょう」とは言わないことに気付かされた。
寒冷地の東日本エリアこそ、「車内保温のため閉めましょう」と言えば良さそうなものだが、やたらと閉められて人を挟んでは困るから、東日本では積極的に言わない方針なんだろうかと思ったりした。

701系のドア
いつの頃からか(少なくとも2011年夏にはあった)、秋田地区701系電車のドアのガラスの車内向きに、こんなステッカーが貼られている。
「他のお客さまに注意して『閉』ボタンを押して下さい。」
吹き出しに「閉」とある人と、ドアに挟まれて「痛!」となった人が青いシルエットで描かれている。
「閉」は実際のドアボタン(従来型)を模したようなデザイン。

ところで、青森の第3セクター鉄道・青い森鉄道(以前の記事)の「青い森701系(JR東日本701系と同設計)」電車のステッカー。
JR東日本盛岡支社から譲渡された車両もあるため、JR時代に貼られたステッカーも残っているようで、バリエーションが豊富。
秋田支社のとそっくり(2011年)
サイズが小さく、背景が透明でない以外は、まったく同一。
さらに、
青い森鉄道のキャラクター「モーリー」版!(2012年)
挟まれたほうのモーリーは痛そうな表情で、既に手に包帯を巻いている。閉めたほうのモーリーは、気付いていないのかうれしそうな表情。
吹き出しやドアなどは、人のシルエットバージョンと極めてよく似たデザイン。

秋田支社、盛岡支社、青い森鉄道の間で、注意喚起ステッカーのイラストデータが共有されていたと考えられる。

ほかには、
「痛!」がっていない(2012年)
挟まれる人と注意喚起する(?)モーリー。

まったく別バージョン(2011年)
「あっ!」「危ない!」「ドアを閉めるときは周りのお客さまに注意して…」
挟まれた薄っぺらな男と、目撃した女だろうか。挟まれた人は腕の先がしびれているのか?



ところで、701系のドアの開閉動作は、実は2種類あって、閉まるタイミングが異なるため、そのせいで挟まれたり挟んだりしやすくなっているとも言える。
開閉動作は、2両編成と3両編成で異なるのだ。
※701系の最小単位は2両、3両(秋田地区のみ)、4両(仙台地区のみ)の3種類が存在し、常に同じ車両どうしでユニットを組んでいる
秋田地区では、2両編成は24本(N14~N18、N102~N104編成)【2018年2月13日訂正】28本(N14~N38、N102~N104編成)、3両編成は14本(N1~N13、N101編成)が在籍し、どのダイヤでどちらが走るかは固定されている。
701系の3両編成と2両編成
2両編成では、開閉予告のチャイムが搭載されており、ボタンを押すとチャイムが鳴ってから開閉動作に入る。
3両編成にはチャイムがなく、ボタンを押すと直ちに開閉する。
さらに、ドアが閉まりかけている時に「開」ボタン/開きかけている時に「閉」ボタンを押した時も、2両編成ではチャイムが鳴ってから次の動作に移り(チャイムが鳴っている間は前の動作を続ける)、3両編成では直ちに開/閉動作に移る。

この違いによって、次のようなケースが発生しやすい。
・降車する人が「閉」ボタンを押す場合、2両編成では余裕で降りられるタイミングであっても、3両編成では早く閉まるため挟まれてしまう(降り際にボタンを押した人自身が挟まれるのはほとんどこのパターン)
・「閉」ボタンが押された直後、乗り降りする他の人がいて「開」ボタンを押した場合、3両編成ではただちに開いて問題がないのに、2両編成では時間が経って(チャイムが鳴って)から開くため、閉まりかけたドアに突進した形になって挟まれてしまう
【4日追記】挟まれなくても、乗り降りしようとしてボタンを押したのに、目の前でドアが閉まるケースも2両編成である。

どうしてドアチャイムの有無があるのか。
今は新幹線や山手線など長い編成の列車にもドアチャイムが設置されているが、701系導入当時はその思想はまだなかった。
路線バスの中ドアの開閉ブザーと同じ意義で、ワンマン運転時の注意喚起のために、ワンマン対応の2両編成にのみドアチャイムを設置してしまったため、このようなちぐはぐなことになったのだと思う。※2両編成ではワンマン運転かどうかにかかわらず、常にチャイムが鳴る。
701系でドアチャイムが鳴らないのは、秋田の3両編成14本と仙台にある4両編成4本だけ(盛岡や青森には2両編成しかない)。これらにもドアチャイムを追加設置して動作を変更することはできないものだろうか。

2両と3両を連結して5両編成で走るような場合でも、それぞれの開閉のタイミングは、それぞれ固有のまま。
つまり、開けっ放しで発車時の車掌の操作で一斉に閉まる場合、3両編成側はすぐに閉まり、2両編成側のほうがチャイムが鳴る分遅れて閉まることになる。
701系に乗り慣れた人でも、いつもと違うダイヤ・車両に乗った時はご注意を!

ちなみに、男鹿線のキハ40系の一部も半自動化改造されているが、これはボタンを押すと直ちに開閉し、開閉しながらチャイムが鳴るという、いかにも後付け改造らしい仕様のはず。【2015年12月4日追記】五能線用のワンマン対応・デッキ撤去のキハ40系で、「チャイムが鳴らない」半自動ドアにも遭遇した。


ドアを閉めないのも迷惑だけど、他人様を挟むのも迷惑。ドアを操作する時は、次の点に注意すればいいと思う。
・車内外の人の動向を確かめてから「閉」は基本
・降り際に閉める時は、体と荷物がホームに完全に降りてから、手だけを車内に入れて「閉」(特に3両編成)
・閉まりかけたドアを再び開ける時は、「開」ボタンを押してすぐに乗り込まず、完全に開くまで待つ(特に2両編成)
・周りに乗降に時間がかかる客がいる場合など、ドアが閉まってしまうのではないかと不安な時は、「開」を押しっぱなしにすると周りの客としては親切(「閉」ボタンや車掌の操作よりも優先して閉じないはず)
・開け閉めしてもらったら「ありがとう」、挟んでしまいそうになったら「すみません」など、乗客どうしお互いにコミュニケーションを



最後に、今まで701系電車に乗っていて見かけた、「半自動ドアあるある」もしくは「半自動ドアトリビア」。
・半自動ドアであることを知らず、ドアの前で突っ立っていたり、ホームで乗務員に「乗りたいんですけど」と訴える人
→旅行客など半自動ドアを知らない人なんだから仕方がない。見たら教えてあげるか、そっとボタンを押してあげましょう。

・ドアを開けて乗り込むことはできても、閉めない人(そしてドア付近の他の客が閉める)
→列車のドアは勝手に閉まるのが常識の人には、知らないのだから仕方ないかも。だけど、真冬にこれをやられたら大迷惑。【追記・夏も冷房効率低下と虫の侵入につながる】
しばらくの間、同じ空間で移動する者どうし、自分で開けたのなら「閉める」ことにも気配りを!

・車外の「開」ボタンを押して、必死に閉めようとする人
→車内に残った客のために気を使ってくれるのはうれしいけれど、車外のボタンは「開ける」専用。外からは閉められない。

・車内から開けようとして、なぜか「閉」ボタンを必死に押す人
→そそっかしい方ということになるけれど、下手すると降り損ねて乗り過ごしてしまうから、注意。
もし周りにいて気付いて、手が届けば、「開」ボタンを押しっぱなしにするといい。上記の通り、「開」ボタンが押されている限り、車掌が閉める操作をしても、ドアは閉まらないはずなので。

・ワンマン列車において無人駅で乗降しようとして、開かないドアのボタンを押して乗ろうとする人
→放送や表示があるのだけど…

・自分の後から歩いてくる人が、同じドアから乗ると思って開けっぱなしにしていたら、その人は乗らなかった(他のドアから乗った)
→タイミングと見極めが難しいんだよね。乗らなかったのなら、閉めましょう。

・走行中に「開」ボタンを押せば、ドアが開いてしまうんじゃない? と心配する人
→昔の客車列車じゃないんだから、それはない。
車掌(またはワンマン運転士)がドア操作をした時だけ、ボタンが有効になる。かつ、走行中はその操作ができない(一定速度以下でないと)仕組みになっているはず。
考え方としては、車掌が鍵を開けて、初めてドアボタンが有効になるという感じなので、ご心配なく。

・自分が「閉」ボタンを押さないで開けっ放しだから、電車が発車できないのでは? と心配する人
→これもない。ただ、車内保温のためには閉めていただいたほうがよろしいです。
車掌が閉める(つまり施錠)操作を行った時は、開いているドアは自動で閉まるのでご心配なく。

・駅に到着する前、ドアボタンを連打する主に若者
→無意味な行為だし、ものは大切に扱いましょう。
一刻も早く降りたいのなら、停まる直前から「開」ボタンを押しっぱなしにすると良い。そうすると、車掌が解錠操作をすれば直ちに開く。(電車が動いている間は押しても無意味)
なお、上記の通り、2両編成よりはチャイムが鳴らない3両編成のほうが早く開く。

・ワンマン運転最後の駅は、開けられるようになるまで時間がかかる
→車掌がドア操作する時は、左右それぞれの開閉装置(車掌スイッチ)から行うが、ワンマン運転時は運転台のスイッチからドア操作をしている。
ところが、ワンマン運転での最後の駅(終着駅もしくは車掌が乗り込む駅)では、運転台でなく車掌スイッチを使うことになっているらしい。
したがって、運転士は電車を停めて、席から立って、車掌スイッチに鍵を挿して、安全確認後に操作して、というステップが必要になり、停車してからドアボタンが使えるまで、10秒近くかかることもある。(特に運転席の逆側でフタが付いている、進行方向右側が開く場合など)
気長に待つしかありません。※701系以外の車両では、最後の駅でも運転台からドア操作できるものもある模様。
【2018年9月3日追記】ただし、終着駅が無人駅(または無人扱いの時間帯)の場合は、運転席からの操作でいいらしく、右側であってもすぐにドアボタンが使える。

・寒くて吹雪く日、長い距離・時間に渡って1度も開かなかったドアが久々に開く時、「バリバリ」と雪や氷が音を立てて落ち、車内にも入り込む
→下手をすれば凍結して開かなかったり、雪を挟んで閉まらなくなったりもするかも。

・実は701系も、ドアボタンを使わない“全自動”で開けることができる
→車掌スイッチに「自動」「半自動」の区別があり、「自動」側にすれば可能。【4日追記】2両編成側では、ドアチャイムも鳴るはず。
車両基地での清掃や通風の時には使っているはずだが、ずっと前、1度だけ営業運転中の列車で遭遇したことがあった。
全部のドアが一斉に「ドン!」と音を立てて開閉して、びっくりしたけれど、あれは何だったのだろう…
【2020年4月15日追記】その後2020年に、新型コロナウイルス流行の対策として、秋田でも自動扱いがされることになった

もう少し続きます
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