花好き・旅好き80代北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり、今は外国行きは見合わせている。

垣間見たモロッコ 《2》気候、風土、服装、家屋

2007年09月17日 | 海外旅行「北アフリカⅠ」チュニジア・モロッコ
 旅行社から事前に送られたパンフレットによると、北緯34度(日本の伊豆半島の位置)にあり、面積は日本の1.2倍の国であるモロッコでは、地域により気候が異なり、9月の気温は一番高いマラケシュで19.6~36.3℃、フェズで16.7~25.2℃となっていたので、暑さを覚悟して出掛けた。しかし、行ってみたら先週までは40℃あったらしい最高気温は30℃を切っていて、朝夕は涼しい位に感じた。

 旅行中、私は下はジーパンを履き、上は半袖のTシャツを下着代わりに一枚着て、さらにその上に長袖の綿シャツを重ね着して過ごした。
木立が少なく、赤土や石がむき出しの大地を歩くことが多かったし、また標高2000mを越す峠やサハラ砂漠が近くなって来ると日射しがかなり強くなるので、帽子、サングラスは手放せなかった。
 世界遺産、アイト・ベンハッドゥのカスバ散策では、傾斜のある滑りやすい砂利道を上り下りしたので、安全のために手袋も履いた。普段登山に使っている軽量杖も役立った。但し、杖などを持って行ったのは私だけだったが…。

 男性は私達と同じ様な服装の人が多いが、中には帽子付きの長袖ワンピース式民族服、「ジェラバ」を着て、その帽子を被っている人もいた。足にはバブーシュという皮でできたスリッパを履いている人も多く見かけた。

 女性の大半は、イスラム教の「肌を人前で見せてはいけない」という戒律を守り、服の上にワンピース「ジェラバ」をはおり、頭にはスカーフを被っていた。
 都会ではジェラバもスカーフも色々な色を見せていたが、田舎へ行くとジェラバの色は黒となり、目だけしか出さない頭巾を被っている女性が目だった。(写真左は、田舎の水曜市場を撮した)
 飛行場でも黒ずくめの女性に大勢出逢った。驚いた事に、顔中すっぽりと目も黒い頭巾で覆って歩いている女性もいた。若いと思われる女性の大半は、出している目にクレオパトラの様な濃い化粧を施し、目を強調していた。
 夏は可成りの気温になるのにも関わらず、現代でも女性はこの様な蒸し暑い重ね着をしていた。(写真右は、旅行中、中流家庭でお茶のサービスを受けた時の男女の服装)

  

 大人に比べ、子ども達の服装は自由に見えた。

 モロッコの大地を一言でいうと、むき出しの赤土が多く、植林されている場所と潅漑農業をしている特定の場所、森林や林は、極、限られた場所にしか見当たらなかった。
 比較的温暖な気候のカサブランカやラバトなどの海岸地域では、小麦、とうもろこし、野菜、果樹、オリーブ、胡椒、コルクの木などが栽培されていたが、バスが東部のアトラス山脈に近づくに連れて不毛の大地となり、標高が上がるに連れて僅かに生えている草を頼りに山羊、綿羊、牛の牧畜が行われていた。あちこちで男性の遊牧民が一人で十数頭から数十頭の家畜を管理する光景に出逢った。(写真左) 彼らの遊牧中の簡単な小屋も点在していた。
 アトラス山地に入ると、川を利用した潅漑農業を行っているオアシスの村が幾つかあった。潅漑農業ではナツメヤシ、とうもろこし、ニンニク、玉葱、オリーブなど色々植えられていた。家は泥造りの家だ。(写真右)
 また、山中には養蜂業の巣箱も数カ所見かけた。

 泥作りの家は、木が貴重なので赤土にわらなどを混ぜて日干し煉瓦を作り、それを重ねて壁にして作られていた。大都市には近代的な鉄筋コンクリート建築も見られたが、大半は長年変わらず作り続けられている日干し煉瓦の泥の家だった。
 家を窓の少ししかない外壁で囲み、中庭を造って、そこから屋内に光を取り入れる方式が多いようだった。田舎では、中庭が家畜の飼育場になっている様だった。外観を見ただけでは、中世の町に迷い込んだ様な不思議な錯覚に捕らわれた。
 お茶を頂いた家は、フェズの旧市街の建物が密集した地域にあったが、中庭が無い代わりに居間を天窓にして明かりを取り入れていた。雨が降るとシートを掛けて雨が落ちないようにしているのだと聞いた。
 高さの半分くらいまではイスラム模様に装飾されたタイルが貼られ、その上は漆喰の白壁造りだった。大抵の家の内部は、これに似ていると説明された。(下写真左)

   
 
  

 しかし、この泥の家は、壁が結構厚く、窓が小さいので断熱性があり、防暑には効果的らしいが、家の中は暗く見えた。
 また、砂漠近くの町のホテルでは、部屋の窓が外側はガラス、内側は木製の扉式二重窓になっていて、砂と熱の侵入を防ぐ作りになっていた。この作り方は、まさに寒冷地の分厚い断熱戸に通じると思った。(写真右)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

垣間見たモロッコ 《1》カタール航空を利用して

2007年09月17日 | 海外旅行「北アフリカⅠ」チュニジア・モロッコ
 今回私は、9月8日から16日迄の9日間の日程で、参加者12人というツアーに加わりモロッコに行って来た。私にとっては初めてのアフリカ旅行だったので、欧米や東南アジアなどとは違った国の様子を見聞できて有意義な旅行になった。ここに、体験を整理し、感じたことをまとめて置きたい。

 《1》カタール航空を利用して
 今回初めて「カタール航空」に乗った。
 関西空港を17;35に離陸し、カタール国のドーハに着いたのが22;55分だった。カタールは日本との時差が6時間遅れなので、実際には6時間を足した11時間20分乗った事になるわけだ。
 さらにドーハで別のカタール航空の飛行機に乗り換え、リビア・アラブ国のトリポリ空港に降りた。この間5時間30分掛かった。トリポリから乗る人を待つ間、私達はそのまま1時間、飛行機の中に居た。
 トリポリを9日の7;50に立ち、モロッコのカサブランカに着いたのが8;35だった。モロッコは日本との時差が9時間あるので、時計を更に3時間遅らせた。この間、飛行機には3時間15分乗っていた事になる。
 結局、私達は、関空からカサブランカまで24時間かかって行った事になる。
 しかし、私自身は千歳空港を8日の12;00に出発したので、それを足すと全部で29時間35分かかった訳だ。本当に長い往路だった。

 ただ、ドーハで乗った飛行機の私の前の座席に居た体格の良い男性グループが、揃いのスポーツウエアを着ていたので話しかけたら、モロッコのサッカーのナショナルチームだという事が判った。以前、日本チームとの試合で1:1の引き分けになった時の監督やゴールキーパーがいて、写真を撮ったりサインをしてもらったりというハプニングもあった。

 帰りはリビアには寄らなかったが、カサブランカを15日9;00に離陸し、カタール航空の飛行機を2つ乗り継いで関空には16日15;55に着陸した。この間、時差9時間を引くので、実際には21時間55分掛かったことになった。更に千歳行きに乗り継ぎ、到着したら20;40だった。
 アフリカの西の端、モロッコ往復という長旅の疲れからか、私は帰りの大半は寝ていた。

カタール航空は、去年4月から関空からの便を就航させた飛行機だが、添乗員さんの説明に依ると価格が安いので大変人気があるらしい。道理で関空で搭乗手続きをする時に見たら、横の団体はヨーロッパに行くツアーグループだった。
 また、この飛行機は、日本のJASとコードシェアしているので、JASのポイントにする事ができる点も利点だ。
 実際に初めて乗ってみたが、飛行機が新しく、座席は比較的ゆったりしていて、食事も日本人の口に合うメニューを揃えているし、座席毎に小型TVが付いていて、映画、音楽と幾つものビデオから選べる様になっていて快適だった。今後、ヨーロッパに行く時にでも、また利用しても良いと思った。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明後日、旅に出る予定

2007年09月06日 | 海外旅行「北アフリカⅠ」チュニジア・モロッコ
 久し振りで、と言っても3ヶ月振りで旅に出る予定。というのも、今近づいている強力そうな台風9号が、出発日に北海道に上陸する予定なので、出発できるかどうか、少し不安なのである。

 しかし、今後、風雨が強まる事を考え、先程、庭のダリアや蝦夷菊など、倒れやすい植物を竹で囲った。
 それと、毎朝花殻を摘んでいた満開のカモミール5本と弱ってきた沢山のビオラを抜いて処分した。しばらく摘めなくなって汚くなるのが嫌なのだ。

 パスタ用のトマトがどっさり採れた。これもトマトソースを作ってしまうつもりだ。茄子やピーマン、オクラ、シシトウ、とまとなどは、留守中、ご近所に採って頂くようお願いしよう。

 先程、警察署に電話を掛けて、留守中の警邏をお願いした。
 1階の窓ガラスは防犯ガラスになっていて、窓一枚ごとに警報装置も付けてあると話したら、「それなら大丈夫でしょう。出掛ける時に、慌てずに鍵を確認して下さい。」と、言われてしまった。前回の私の失敗(窓を開けたまま出てきたと勘違いして、見回りをお願いした事)を知っている方だろうかと思った。

 今回の旅先はアフリカのモロッコだ。日本との時差9時間遅れの国で、一日の気温差が大きく、場所にもよるが16~36度だという。全く参ってしまいそうだ。本当は晩秋か冬の方が気候が良い国なのかも知れないが、同行する娘がこの時期しか行くことができないらしく、私は仕方なく同意したのである。

 千歳空港から関空に行き、そこからカタールのドーハ経由でモロッコのカサブランカ空港まで、3つの飛行機を乗り継ぐのだが、飛行時間は何と20時間を越し、待機時間も入れると24時間に近い。正直、考えただけでもうんざりである。しかし、それだけの時間を掛けなければ行けない場所なのだから仕方がないのである。

 下調べをしたら、モロッコは独立前はフランスの植民地だった国で、現在もフランスとの関係が深く、貿易高1位はフランス、2位が日本で、日本は蛸などの水産物を大量に輸入しているのだ。
 おまけにODAの援助額でも1位はフランス、2位が日本らしい。9割以上の人がイスラム教の信者で、女性は目だけ出している人も多いという、そんな遠いアフリカの西端の国に行って来る。

 明日は歯医者に行き、数日前から傷む歯茎を、もう一度、診て貰う事にしてある。
 中国では腸を壊したので、今回はそうならないように薬もしっかりと持つつもりだ。
 帽子、手袋、サングラス、目薬、それに砂漠で砂が飛んで来るので、カメラなどを包むビニール袋が必要だという。添乗員さんに聞いたら、杖もあるといい場所があるそうなのでトランクに入れていくことにした。
 また、現地では日本円より弗の方が良いらしいので、現地通貨の他は弗の小銭を持って行くつもりだ。

 帰国するまでしばらくの間、ブログを休むことになるが、帰国後、また、宜しく。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする