Mayumiの日々綴る暮らしと歴史の話

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孔子の道を以て天下を済おうとする心を見ることができる

2015-02-05 17:48:34 | Weblog

長沮桀溺耦而耕。孔子過之、使子路問津焉。長沮曰、夫執輿者爲誰。子路曰、爲孔丘。
曰、是魯孔丘與。曰、是也。曰、是知津矣。問於桀溺。桀溺曰、子爲誰。
曰、爲仲由。曰、是魯孔丘之徒與。對曰、然。曰、滔滔者天下皆是也。而誰以易之。
且而與其從辟人之士也、豈若從辟世之哉。耰而不輟。子路行以告。夫子憮然曰。鳥獣不可與同群也。
吾非斯人之徒與而誰與。天下有道、丘不與易也。


長沮桀溺藕して耕す。孔子之を過ぎ、子路をして津を問わしむ。
長沮が曰はく、「夫の輿を執る者は誰と為す。」
子路が曰はく、「孔丘と為す。」曰はく、是れ魯の孔丘か。」対えて曰はく、「是なり。」
曰はく、「是ならば津を知らん。」桀溺に問う。桀溺が曰はく、「子を誰と為す。」
曰はく、「仲由と為す。」曰はく、「是れ魯の孔丘の徒か。」対えて曰はく、「然り。」
曰はく、「滔滔たる者天下皆是れなり。而して誰と以にか之を易えん。
且つ而其の人を辟くるの士に従はんよりは、豈世を辟くるの士に従うに若かんや。」
憂して輟まず。子路以て告ぐ。夫子憮然として曰はく、「鳥獣には与に群を同じうすべからず。
吾斯の人の徒と与にするに非ずして誰と与にせん。天下道あれば、丘与に易えず。」

                                               微子第十八の六


長沮と桀溺の二人が並んで耕していた。
孔子が楚から蔡へ帰る時、そこを通り過ぎて、子路をやって二人に渡場のある処を問い合わせた。
子路が車を下りたので、孔子は子路に代わって手綱を執っていた。
長沮は子路に問うて曰うには、「あの車の上で手綱を執っているのは誰だ。」
子路「孔丘です。」
長沮「魯の孔丘か。」
子路「そうです。」
長沮「孔丘は四方を廻り歩いているから渡場のある処は知ってるはずだ。何も問うことはあるまい。」
子路は長沮から聞くことができないから、桀溺に問うた。
桀溺「汝は誰だ。」
子路「仲由です。」
桀溺「魯の孔丘の弟子か。」
子路「そうです。」
桀溺「天下の人は皆水の下きに流れて原に帰らざるが如く日に乱に赴き悪に走るのである。
誰も汝を任用してその説を聴く者はないから、誰と与に悪を変じて善と為し乱を案じて治に易えようとする積もりなのか。まあ汝は人を避ける孔丘の様な人に従うよりは、世を避けるわしらの様な人に従う方がマシだ。」と曰って、
種に土をかけて止まず、遂に渡場のある処を告げなかった。
子路は去って二人の言葉を孔子に告げた。
孔子は二人が己の意中を覚らないのを惜しみ、憮然として嘆息して曰うには、
「彼は『世を避ける士に従う方がよい』と曰うけれども、吾人は人類であるから、如何に世を避けたからと云って全く人と交わらないで鳥獣と共に群を同じくすることはできない。この人類と与に群を同じくするのでなくて誰と群を同じくしよう。それ故、どうして世を避け人と絶つことができよう。彼は『天下に道がないから誰と与にこれを易よう。』と曰うけれども、もし天下に道があるならば、私も治に安んじて易えようとはしないのである。今天下に道がないからこそ道を行ってこれを易ようとするのである。」


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