子夏之門人問交於子張。子張曰。子夏云何。對曰、子夏曰、可者與之、其不可者距之。
子張曰、異乎吾所聞。子尊賢而容衆。嘉善而矜不能。我之大賢與、於人何所不容。
我之不賢與、人將距我。如之何其距人也。
子夏の門人交わりを子張に問う。
子張曰はく、「子夏は何とか云える。」
対えて曰はく、「子夏曰はく、『可なる者は之に与みし、其の不可なる者は之を距ぐ』と。」
子張曰はく、
「吾が聞く所に異なり。君子は賢を尊んで衆を容れ、善を嘉して不能を矜れむ、
我にして大賢ならんか、人に於いて何ぞ容れざる所あらん。
我にして不賢ならんか、人将に我を距がんとす。之を如何ぞ其れ人を距がん。」
子張第十九の三
子夏の門人が友と交わる道を子張に問うた。
子張の説を聞いて折衷しようと思ったのであろう。
子張「子夏は何と言いました。」
子夏の門人
「子夏は『交わって可い友ならばこれと交わり、
交わって可くない友ならば拒絶してこれと交わるな』と曰いました。」
子張「それは私の聞いている所と違います。
私は『君子は有徳の賢者を尊敬し、一般の衆人をも容れて棄てることなく、
善の取るべき者があればこれを嘉(よみ)し、
善なく不能なる者でもまたこれを矜(あわ)れんで交わりを絶たない。』と聞いています。
つまり交わって可(よ)い者は固(もと)より交わり、
交わって可くない者でも拒(ふせ)がないのです。
子夏は可くない者はこれを拒絶すると曰いますが、己を大賢として拒ぐのでしょうか、
もし己が大賢ならば、己の可い所を以て人の可くない所を化することができますから、
どうして人を受け容れないことがありましょう。
又己が不賢ならば、己が可くないのですから、他人が先ず己を拒絶します。
どうして人を拒絶することができましょう。
友と交わるには子夏の言う様に人を拒絶することはありますまい。」
木曜日ですが前日が休日ですと、まるで月曜日の様な感覚になります。
それで昨日は日曜日感覚で、二週続けて「容器・包装・プラスチック」を出すのを忘れる。
昨日で「さっぽろ雪まつり」が終わりましたが、開催中には暖かい日もあったので、雪像が融けたりしたそうですが、235万人の国内外からのお客様、ありがとう御座いましたって思います。