Mayumiの日々綴る暮らしと歴史の話

日日是好日 一日一日を大切に頑張って行きましょう ξ^_^ξ

斉を謹むことを記す

2014-06-30 03:26:58 | Weblog

斉(さい・ものいみ)すれば必ず明衣(めいい)あり、布をす。
斉すれば必ず食を変ず、居れば必ず坐(ざ)を遷(うつ)す。
                                      郷党第十の七

斉をする時には必ず沐浴して後に明衣を着る。その体を明潔する為である。
明衣は布で作る。
素朴を重んずる為である。斉をする時には必ず平常の食物を変じ、酒を飲んだりなまぐさを食べたりする様なことはしない。
必ず平常の座から遷って、別の処に居る。


昨日の日曜日、風が幾らか強めでしたがまあまあのお天気。変わり映えしないけれども、いつもの様にお風呂に行って買い物して。
けど、アッと云う間に一日って終わってしまうんだよね。
確かに一日で、これこれをしたと言える様なこと、或いは思える様なことをしたいのだが・・・とは想うのだけれど。 ┐( ̄ー ̄)┌                                                       


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孔子の衣服について記す

2014-06-29 03:46:41 | Weblog

君子は紺緅(かんすう)を以て飾とせず。紅紫(こうし)は以て褻服(せつふく)と為さず。暑(しょ)に当たりては袗(ひとえ)の絺綌(ちげき)、
必ず表にして之を出だす。羔裘(こうきゅう)緇衣(しい)し、麑裘(げいきゅう)に素衣(そい)し、狐裘(こきゅう)に黄衣(こうい)す。
褻裘(せっきゅう)は長くし、右の袂(たもと)を短くす。必ず寝衣(しんい)あり、長(たけ)一身有半(いっしんゆうはん)。
狐狢(こかく)の厚き以て居る。喪(も)を去(のぞ)きては佩(お)びざる所なし。帷(いしょう)に非(あら)ざれば必ず之を殺(そ)ぐ。
羔裘玄冠(こうきゅうげんかん)しては以て弔(ちょう)せず。吉月(きつげつ)には必ず朝服(ちょうふく)して朝(ちょう)す。

                                                            郷党第十の六

孔子は平常服の縁を淡紺色や淡紅色で飾ることはしない。前者は神に接する時の服の色であり、後者は喪にいる時の服の色で
あるからである。紅や紫は間色で正色でないし、また婦人女子の服に近いから、平常服にもしない。
暑中には絺や綌の単衣を着るが、必ず表にして外部に出し、内には下衣を着る、黒い羊の裘を着れば黒い上着を着る。
白い鹿の子の裘を着れば白い上衣を着る。黄色の狐の裘を着れば黄色の上衣を着る。色が一致することを欲するからである。
平常着る裘は長く作って、右の袂を短くする、暖かくて仕事をするのに便利だからである。
寝る時は必ず寝衣を着る。長は身丈の一倍半にする。その半ば足を覆う為である。不生家にいる時は、狐や狢の、
毛が深く厚くて軽い裘を着る。喪が終われば玉を初めとして身に都くべき器で佩びない物はない。
帷裳以外の裳は必ず腰が狭く斉が広くなる様に裁ち落として作る。黒い羊の裘は朝服であり、
赤黒い冠は祭服で共に吉事に用うる服であるから、これらは死を弔う時には用いない。毎月朔日には必ず朝服を着けて君に拝謁した。



昨日もやや曇りがちながらマズマズの好天。
私的に憚る様な色んなことを想うのだけれど、言葉に出さずに自分の中で消化して行こうと思う。
まさか、それが出来ない自分や年頃ではあるまいとも思う。


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君のために隣国へ見舞に行った時の様子を記す

2014-06-28 03:22:13 | Weblog

圭(けい)を執(と)れば、鞠躬如(きくきゅうじょ)たり。勝(た)えざるが如し。
上(あ))ることは揖(ゆう)するが如く、下(さ)ぐることは授(さず)くるが如し。
勃如(ぼつじょ)として戦色あり。足蹜蹜(しゅくしゅく)として循(したが)うことあるが如し。
享礼(きょうれい)には容色(ようしょく)あり。私覿(してき)には愉愉如(ゆゆじょ)たり。
                                                      郷党第十の五

孔子が君の使いとして隣国へ見舞いに行って礼を行う時、主君から渡された宝器の圭を執るのに、
これを大切にして、己の身を屈めて、重くて持ち切れない様な風であった。
圭を執る手は常に平衡して、高く上げる時でも胸の前に手を組んで揖礼をするくらいの高さより高くせず、
卑く下げる時でも人に物を手渡しするくらいの卑さより卑くすることはない。
顔色は変わって戦き懼れるが如くであり、行く時は歩を狭く細かくし、前の足を挙げれば後ろの踵を曳いてこれに随って、
踵とゆびとが互いに相接して、地から離れず物に縁る様である。
見舞の礼の後に、君からの贈物を献上する礼があるが、その時は温和で悦ばしそうである。



昨日はその前日よりは気温こそは下がっているけど、何だか暑い様な感じがしましたが、
まあまあ、こんなものでしょう、一応に元気であることは喜ばしいことだなぁと思いました。


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朝廷におる時の様子を記す

2014-06-27 03:32:33 | Weblog

 公門に入るに、鞠躬如(きくきゅうじょ)たり、容れられざるが如し。立つに門に中せず。行くに閾(しきい)を履(ふ)まず。
位を過ぐれば色勃如(ぼつじょ)たり。足躩如(かくじょ)たり。其の言うこと足らざる者に似たり。斉(もすそ)を摂(かか)げて堂に升(のぼ)る。
鞠躬如(きくきゅうじょ)たり。気を屏(おさ)めて息せざる者に似たり。出でて一等を降れば顔色を逞(はな)ちて怡怡如(いいじょ)たり。
階を沒(つく)して趨(わし)るに翼如(かくじょ)たり。其の位に復るも踧踖如(しゅくせきじょ)たり。
                                                            郷党第十の四

孔子が朝廷に行く時、君の宮殿の門を入れば、自ずから恭敬の心を生じて身を屈めて、広大な門であるに拘わらず、
己の身を容れられない様な狭小な処を通る様にする。
暫く立留まる時は門の柱と左右の扉の閉合わせの所にある杭との中間には居らぬ。
そこは君の出入する処だからである。行く時には門の閾を覆まない。士大夫は閾を覆まないのが礼だからである。
門の中の、君が立って朝を受ける場所を通り過ぎる時は、君はいなくても、君のいる時の様に敬み恐れて、自然と顔色は変わり、
足は進まなくなり、言葉も思うままに出すことはなくて、足らない様である。
君に拝謁する時には、衣の前を踏んで躓かない様に、斉を掲げて堂に昇り、身を屈めている。
君の前に近づく時は、気を殺して呼吸しないかの様である。君の前から退出して、堂の階段を一つ下ると、顔色の緊張が緩んで悦ばしく見える。階段を下り尽くして疾く趨る時は、手を拱いて肘を左右に張って鳥が翼をのべた様に立派である。
元の位置に復っても、君の前にいた時の恭敬の心が残っていて、安んじない様子がある。

昨日もとても暑い日となりましたが、如何にも北海道らしく、木陰に入ったり家に居れば凌げるほどで、別段何と云うことなくとも、
それだけで好い日だナと、心が和らいだりします。何とかこの夏こそはだらしがなく無い様に過ごせたらと想っています。


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来賓の接待掛を命ぜられた時のことを記す

2014-06-26 03:33:20 | Weblog

君召して擯(ひん)せしむれば、色勃如(ぼつじょ)たり。
足躩如(かくじょ)たり。与(とも)に立つ所に揖(ゆう)すれば、手を左右にす。
衣の前後襜如(せんじょ)たり。趨(はし)り進むや、翼如(よくじょ)たり。
賓(ひん)退くや、必らず復命して曰はく、「賓顧(かえり)みず」と。
                                             郷党第十の三

君が孔子を召して来賓の接待を命じると、孔子は敬しんで、顔色が変わり、足は進むことができない様である。
接待掛として与に立ってる所の人に挨拶して手を左右に動かしても、衣の前後はきちんとして少しも乱れない。
疾く趨って進む時は拱いだ手の左右のひじを張って鳥が翼をのべた様に立派である。
来賓が退出すると、孔子は必ず君に復命して「お客様は後を顧みずに御帰りになりました。」と曰って、君の心をくつろがせる。

いつもと同じなんだけれど、捗らない進まないって日もあれば、まるで水の様に流れるが如くって日もありますね。
昨日は後者の方でした。それに暖かい日だったし、自分のPCのあるところから眺められるベランダの窓の外、
日差しが木陰と共にチラチラ揺れて、何とも風情あって美しいと思います。


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朝廷で上に事え下に接する様が不同であることを記す

2014-06-25 03:26:04 | Weblog

朝(ちょう)にして下大夫(かたいふ)と言えば、侃侃如(かんかんじょ)たり。
上大夫(じょうたいふ)と言えば、如(ぎんぎんじょ)たり。
君在(いま)せば踧踖如(しゅくせきじょ)たり。与与如(よよじょ)たり。
                                              郷党第十の二

朝廷にいてまだ君が出御にならない間に、同列の下大夫と政を論ずる時は礼儀を守って是非を曲げる様なことはない。
上官の上大夫と政を論ずる時は、辞を和らげ顔色を悦ばして是非を諍う。
君が出御になる時は、恭敬の心から安んじておられないところがある中にも自然に中正を得てゆったりしたところがある。


紫露草 Tradescantia ohiensis Raf.   貴ぶ 尊敬しているが恋愛ではない

昨日もとても良いお天気となりましたが、こうして朝早く私は起きているわけだれど、
起きる時に色んな夢をみたって起きるのが、何だかとてもかったるくって、2~3時間ほどは調子が出てきません。
でも、お天気が良くて、散歩代わりに家の周りの植物を観察とかしていれば、何でもなくなって来るのです。
そうこうしている間に一日があっと言う間に過ぎて行きますね。


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郷党と宗廟朝廷における言語動作の不同

2014-06-24 03:26:03 | Weblog

孔子の郷党(きょうとう)に於けるや、恂恂如(じゅんじゅんじょ)たり。言う能(あた)わざる者に似たり。
其の宗廟、朝廷に在るや、便便(べんべん)として言う。唯だ謹むのみ。
                                                      郷党第十の一

孔子が郷里に居る時は信実温恭で賢知を以て人に先んずることなく、物を言うことが出来ないかの様である。
宗廟や朝廷に居る時は明らかに礼法や政事を弁じるけれども、ただ謹んで放逸に流れる様なことはない。

もう少し暑くてもいいかナと思うけれど、昨日はお布団干しとかも出来たので、
やはり気候がイイと何でもヤル気が起きるものですよねッ。d(-_^)good!!


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古詩を評して人が思うことを廃するのを恐れる意を述べた

2014-06-23 03:28:31 | Weblog

「唐棣(とうてい)の華、偏として其れ反せり。豈(あ)に爾(なんじ)を思わざらんや、室是遠ければなり。」
子曰はく、「未だ之を思わざるなり。夫(そ)れ何の遠きことかこ之有らん。」
                                                     子罕第九の三十二

「唐棣の花は無情なものであるけれど、ひらひらと動いてるところを見ると、情がある様である。
まして我は有情の人であるから、どうして爾を思い慕わないことがあろうか。
ただ居る場所の室が遠くに隔たってるから、思うけれども相見ることができないのである。」と古い詩にあるが、
孔子がこれを評して曰われるには、この詩の作者は思うけれど遠いと云ってるが、私に曰わせれば、
彼は未だ思わないのである。もし切に思うならば何で遠いことがあろうか。
人が道を思うのもこれと同様で、思えば得られるが、思わなければ得られないで、遠くに在る者の様に見えるのである。



昨日はとっても良いお天気で、小樽に、所謂買い物に行っていました。
まあ、小樽に行ったとなれば、毎度同じ画像ながらも、こうして好い季節の風景が撮れます。
普段はよく歩かないものだから足が疲れたりしましたが、帰りに寄った朝里川温泉で、疲れがスーッと取れて行く様な感覚が、
何とも心地好かった様に思います。


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学者に中正の道に外れないような境地まで進むべきことを説いた

2014-06-22 04:03:01 | Weblog

子曰はく、与(とも)に学ぶべし。

未(いま)だ与に道に適(ゆ)くべからず。

与に道に適くべし。

未だ与に立つべからず。

与に立つべし、未だ与に権(はか)るべからず。

                                 子罕第九の三十一

人が学に志さなければそれまでであるが、卑しくも学んで己の人格を完成する志があるならば、これと共に学ぶことができる。
しかし、岐路に惑わないとも限らないから、まだこれと与に真の道を進み求めることはできない。
或いは与に真の道を進み求める事ができるかもしれない。しかし半途で止めないとも限らないから、まだこれと与に道を守って
変わらないことはできない。或いは与に道を守って変わらないことはできるかもしれない。
しかし、一法を固執しないとも限らないから、まだ、これと与に事変に応じて中正の道に外れないような処置をとることはできない。
学者はこの境地まで進まなければならない。



昨日こそがようやくの好天。久々に見た青空の様な気がします。
外のことは前日に大方済ませてあったから、昨日はまた得意の部屋の模様替えをしました。
そんな気になれるのも、やっぱりお天気がいい事が条件になるのでしょうか。


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知者は惑わず。仁者は憂えず。勇者は懼れず。

2014-06-21 03:33:46 | Weblog

子曰はく、知者は惑わず。仁者は憂えず。勇者は懼(おそ)れず。   子罕第九の三十

知者は事物の道理を明らかにしているから疑惑がない。
仁者は常に道理に従っていて私欲が少しもないから常にその処に安んじて憂慮することがない。
勇者は気が道義に配して至大至剛であるから恐懼することがない。



昨日も気温の上がらない少し薄ら寒い様な日でした。私は家と庭を出たり入ったり、今日はこれこれをしたって思える様な
ことをしておきたいかナって、毎日そんな気分でいるんだナと思います。
どんなに例え家のことくらいしたって疲れはないけれど、ちょっともう少しは考えてやって行かなきゃと云う事柄があります。
それに、とても疲れている様です。まあ、外仕事でもしながら、ボチボチと考えて行きます。


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松柏を借りて君子の節操を述べる

2014-06-20 03:47:39 | Weblog


ピンクのたんぽぽ

子曰はく、歳寒うして然る後松栢(しょうはく)の彫(しぼ)むに後(おく)るることを知る。   子罕第九の二十九

時候が寒く他の草木の凋落する時になって、初めて松や柏が独り後まで残って、他の草木と同じく彫まないことがわかる。
事の無い時には君子も小人もわからないが、事変に遭って初めて君子の節操がわかる。

昨日はお昼から草取りしました。まだ暖かいほどでもありませんが、雨が降らなかったの幸いで、
今時季、外で何事かをしていないと、一日何をしてたのかと思うので、まあ、忙しいってことはいい事だと思いました。


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子路の貧富を心に留めないことを称美して更に激励の辞を加えた

2014-06-19 03:29:15 | Weblog

子曰はく、「敝(やぶれ)たる縕袍(うんぽう)を衣て、孤貉(こかく)を衣る者と立ちて恥じざる者は、其れ由(ゆう)なるか。
『忮(そこな)わず、求(むさぼ)らず、何を用てか臧(よ)からざらん。』」
子路(しろ)終身之を誦(しょう)せんとす。子曰はく、「是の道や、何ぞ以て臧しとするに足らん。」
                                               子罕第九の二十七 子罕第九の二十八

孔子が子路を評して、「敝た綿入れの布子を着て、立派な狐や狢の毛皮の衣を着た人と並び立っても恥ずかしいと思わない者は
由(子路の名)であろう。詩の衛風の雄ち篇に『人が有ってるのを忌んでこれを害おうとせず、
己が無いのを恥じてこれを貪ろうともしないならば、物質的の欲望の為に心を乱されないから、何をしても善くないことがあろうか。
何事も善を尽くすであろう』とあるのは由のことであろう。と曰う。
子路は喜んで、この詩の句を終身誦して守ろうとした。孔子は子路がこれに満足して更に進もうとしないことを恐れて、
「忮わず求らずということは、どうして最善の道とすることができようか」と曰って子路を励ました。

昨日は水曜日休みでした。けど、やはりまだお天気がパッとしないので、いつも通りにお風呂と買い物。
暑いのも私は困るけれども、こうも雨続きも尚困るって感じです。先ず、気分がパッと晴れませんものね。


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人に志を立てることを勉めさせた

2014-06-18 03:38:11 | Weblog

子曰はく、三軍は帥を奪うべし。匹夫も志しを奪うべからず。   子罕第九の二十六

三軍の勢いは強くて難い者であるけれど、その大将は衆人の力を恃むものであるから、これを奪い取ることが出来る。
一人の力は微弱なものであるけれど、その志は己の内に在って他力を頼むものでもないから、
これを堅く守るならば、何者が来てもこれを奪うことは出来ない。

昨日も雨だったと云っていいと思いますが、お昼に少し止む時間がありました。
私はこのところずっとお天気が悪いのが少しストレスです。せっかくの花々の写真も撮れたりしないし、
何よりか外のことが出来ないのが寂しいですよね、束の間、草取りと草刈りをしました。


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忠信を主とし、己に如かざる者を友とすること無かれ。過つては則ち改むるに憚かること勿かれ。

2014-06-17 03:35:05 | Weblog

子曰はく、忠信を主とし、己に如かざる者を友とすること無かれ。過つては則ち改むるに憚かること勿かれ。   子罕第九の二十五

真心と誠実さに重きを置いて人格的に劣るものたちと交際してはいけない。そして自らに誤りがあればただちに正すべきである。

昨日もほぼ終日雨だったと云っていいでしょう。けど、せっかく体調は良いのに、外で作業が出来なかったのは残念。


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人の言葉を聴く者の益を得る方法を述べる

2014-06-16 03:53:55 | Weblog

子曰はく、法語の言は能く従うこと無からんや。之を改むるを貴しと為す。巽與(そんよ)の言は能く説ぶこと無からんや。
之を繹(たず)ぬるを貴しと為す。説んで繹ねず、従って改めずんば、吾之を如何ともすることなきのみ。
                                                            子罕第九の二十四

法語の言は辞を厳粛に道理を正して過失を言うのであるから、誰でもご尤もだと云ってこれに従うものである。
しかし、従っただけでは何にもならない。これによって己の過ちを改めるのが貴いのである。
巽与の言は辞が温和でえん曲に過失を言うのであるから、誰でも悦ぶものである。
しかし、悦んだだけでは何にもならない。これに寄ってその微意のある所を尋ね求めるのが貴いのである。
悦んだだけで真意を尋ね求めず、従っただけで改めないならば、私はこの人を感化する術がないのである。



まだまだこの雨が上がりきったとも言えません。昨日は日曜日でいつも通りに温泉に行って買い物をして。
まあ、それでいいのだけれども、久々、少し遠出をして、気分転換をしたい気があるので、お天気が好いことに越したことはない。
それと、こうも雨が続いたから、家周りの雑草も伸びている。草取りもしたい。


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