多くの楽曲の中で、「マスカレード」はカレンの声質を最大限に活かした歌ではないだろうかと私は思って聴きます。…(*Ⅴ.Ⅴ)♪
ここ2~3日は春には少し物足りなく寒い気がします。
自分のところだし、まして自分の事だから書きますが、時々、行き成りまるで襲われるかの様に捕らわれる虚無と喪失、ソレゾレの感って一体何なのだろうと思うのです。
せっかくと楽しかったり、元気にしていられたと喜んでいるところに、スーッと身体のどこかの隙間から、無遠慮に入り込んで来るのだ・・・と言えばいいのだろうか。以前ならばその感じがエラク気持ち悪い気になったけど、今は幾らかは友だちには成れたのだろう、慣れて来たってとこかナ。
考え様に寄っては、「足りる」と「限度」と云う事を知ったと云う事なのかも知れないけれど、私的にはギリギリのところって、やっぱり気分が好くない・・・。(;´Д`)
もう忘れてしまえばいい事だって、果たしてどんな連想からか思い出してしまって、まるで何事もなかったかの様に接する自分と、絶対に許しはしないと言い張る自分が対立して、それが辛いと言えば辛くなるんだって思う。
でもね、何でもなかった素振りで如何にも大人態度を示す以外に、他に手立てがあるんだろうかと、足りない私の頭で考えてみる。
記憶が良過ぎるのも考え物ではないか・・・。
昨日は家の事も早くに片付いたし、夕方にお風呂に行くにしたって時間があり過ぎで、そうそう、寒気もする事だし今から出ようって思いました。
↑に書いた事は、ズバリと書くわけにも行かないから、ストレートな感情を意味不明にも遠巻きに書くのが好かろうとした事です。
自分も辛抱ならば、きっと相手だって辛抱な事だろう。
見たくも無かった人にでも会えて好かったと言えば、腹の中では違っていても、一応のお体裁でお互いが気持ちよく終るじゃないか。
平気を装うことも、大人の姿勢ね。
だから疲れるッ
とっても疲れる
大人は疲れるもの
そう云うものだと思っておけば、好くない日などは無くなるんだろうと思うよ。
いつも露天風呂でお歌の練習(?)をされている年配の奥さんが居られるのだけど、桜や梅と春の風情に対する思いを色々お話した。
こう云う場合、私は先輩のお話をよーく聞く事にしている。
人それぞれの情緒ではあるけれど、そのお相手の心の豊かさをいただける気がするからです。
或るサポーターの先輩のWさんは、宮の沢の練習場にある桜と杏が愉しみだと言われる。
帰りにご一緒した時に、白い恋人パークに「クリスマスローズ」がたくさん植えられてあり、折れてしまってた一枝を持ち帰られたりしました。
私も目撃しているんで、可哀想にと思うその心がよく解るから、泥棒などでは無い。
水に刺してあげれば長持ちするそうで、さすがに華道にも精通されているナと拝察します。
私も華道は些かかじって居て、自然や植物に対する「情緒」と「風情」を感じる心って、世界には無い日本人としての豊かさですよね。
Wさんは、私は選手を撮るのも上手いけど、何ともお花を撮るのが上手いッ
と誉めて下さる。
何でもない事だけれど、今の自分の虚しい心に灯火を下さった感じで、とても嬉しいって思いました。
また、今年もたくさんのお花たちや風景を更新しようって励みになります。
写真を美しく撮るコツみたいなものがあるとすれば、私は被写体への敬意の念だと思っています。
カメラの良し悪しじゃなく、自身の純粋な心が画像に出るものなのじゃないのかナ。
素人が、商業CM風に撮る必要などなしで、まるで今の自分の心を写すかの様にして写真は撮るべきね。
満更と味気ない日々でもないのに気落ちする。
こう云う場合、書く事が好きな人はたくさん文章を書くべきですよ。
下手な短編小説でもまた書いてみッかナ~と思っています。
傑作は、自分の状態の好くない時こそ出るッ
"σ( ̄^ ̄;)・・・なんちゃってね。
「リメンバー・チェルノブイリ・デー」
1986(昭和61)年、ソ連のウクライナ共和国のチェルノブイリ原子力発電所で、未曽有の大爆発事故が発生しました。
周辺の地域に大量の放射能が撒き散らされ、史上最悪の原発事故となりましたね。
AM6:00
少しミゾレ混じりにもなって来た札幌です。