●渡航中の鑑真を襲った悲劇
栄叡、普照と共に743年から何度も渡日を試みた鑑真。しかし、全ての渡日に失敗、そして5度目の渡航中には栄叡が病に倒れて亡くなってしまう。この栄叡の死のショックと、ピークに達した渡航での疲れのダブルパンチで、鑑真は両目の視力を失ってしまった.....というのがこれまでの通説。ところが最近、鑑真の視力は完全には失われておらず、物を見ることが出来たのではないか.....という新説が浮上した。証拠は、正倉院に伝わる鑑真書状の中にある。これは、鑑真の失明後に彼の弟子によって書かれたと言われて来た文書だが、筆跡がこれまで見つかった彼の弟子たちの筆跡と異なることが明らかになったのだ。更に言えば、最後に「鑑真」と記された署名部分は、かなり崩された文字であるが、尊敬する師の名前を崩して書くなど有り得ない。鑑真が書いたものだとすれば失明説が揺らぐことになる。
栄叡、普照と共に743年から何度も渡日を試みた鑑真。しかし、全ての渡日に失敗、そして5度目の渡航中には栄叡が病に倒れて亡くなってしまう。この栄叡の死のショックと、ピークに達した渡航での疲れのダブルパンチで、鑑真は両目の視力を失ってしまった.....というのがこれまでの通説。ところが最近、鑑真の視力は完全には失われておらず、物を見ることが出来たのではないか.....という新説が浮上した。証拠は、正倉院に伝わる鑑真書状の中にある。これは、鑑真の失明後に彼の弟子によって書かれたと言われて来た文書だが、筆跡がこれまで見つかった彼の弟子たちの筆跡と異なることが明らかになったのだ。更に言えば、最後に「鑑真」と記された署名部分は、かなり崩された文字であるが、尊敬する師の名前を崩して書くなど有り得ない。鑑真が書いたものだとすれば失明説が揺らぐことになる。
●不自然な運筆の跡
更にその文字には、目に障害を持つ人特有の、不自然な力が加わった筆遣いが見られるという。弱いながらも若干の視力が残っていた可能性は高い。不自由ながらも残された視力で、鑑真は自分が生きていた証を後世に残したのである。
更にその文字には、目に障害を持つ人特有の、不自然な力が加わった筆遣いが見られるという。弱いながらも若干の視力が残っていた可能性は高い。不自由ながらも残された視力で、鑑真は自分が生きていた証を後世に残したのである。
学校で習った歴史はウソだらけ!?
日本史 大ウソ事典 「古代」
日本史 大ウソ事典 「古代」