Mayumiの日々綴る暮らしと歴史の話

日日是好日 一日一日を大切に頑張って行きましょう ξ^_^ξ

私はそういう女性 ((┓( ̄∀ ̄)┏))

2023-04-30 14:54:33 | Weblog


さくらんぼ(桜桃、Cherry) Cerasus vulgaris 小さな恋人 善良な教育
                上品 幼い心 あなたに真実の心を捧げる


何かが辛い場合、
それは自分が間違っていたり、
大袈裟な人間だったり、
能力がないからではなく、
自分はそういう人間だというだけの話。
既製品の靴が足に合わなくて痛いのは、
足が悪いからではないというのと同じこと。


           - キム・スヒョン(私は私のままで生きることにした) -


      ・*:.。 。.:*・゚✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*









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◆人気の演目、その真相は? 四谷怪談・本家争い?

2023-04-27 15:29:36 | Weblog


『四ツ谷怪談物語』
      「按摩宅悦 四代目尾上松助」「お岩 五代目尾上菊五郎
                       (早稲田大学演劇博物館所蔵)


『東海道四谷怪談』
「古今大当戸板かへし」 お岩・小平 三代目尾上菊五郎
            民谷伊藤右衛門 二代目関三十郎
                    (早稲田大学演劇博物館所蔵)


『いろは仮名四谷怪談』 春好斎北洲画
          「お岩 三代目尾上菊五郎」
                (早稲田大学演劇博物館所蔵)


『東海道四谷怪談』 「古今大当戸板かへし」
                 (早稲田大学演劇博物館所蔵)


江戸の怪談で最も代表的なものをあげるとすれば、先ず第一番はお岩の亡霊であろう。
実話として伝えられているものは大分古い話だったが、幕末期の文政八年(1825)七月、中村座で舞台化された『東海道四谷怪談』の好評によって、お岩のイメージや背景が定着した。

作者は四代目鶴屋南北、主演は三代目尾上菊五郎で、
ともに怪談劇づくりのベテランであった。
芝居の筋もさることながら、舞台で駆使されるトリック(外連)が見事で、
観客はどうしてこんなことが出来るのかと、驚き呆れ、賞賛し、芝居は日延べとなり、
九月十五日までのロングランとなった。

以下、そのトリックの幾つかを紹介しよう。

先ず、髪梳きの場。病み衰えているとはいえ、美しい武家女房のお岩が、
毒薬を飲まされて、自ら髪を梳きあげると、観客の見ている前で、
みるみるうちに脱毛し、無残な醜貌に変化する。
これは菊五郎とかつら師友九郎の開発した新技術。

隠亡堀のシーンでの戸板がえし。
これは、流れ寄った戸板を、お岩の夫伊右衛門が引き寄せてみると、
戸板の表側には毒殺されたお岩が磔にされていて、
これをひっくり返すと裏側にはやはり自分が殺した若党の小仏小平が磔になっていて
「旦那さま、薬を下され......」と台詞まで言う。
このお岩と小平の二役を菊五郎が演じている不可思議。
瞬間の早替り?

深川三角屋敷の直助住家の場では、
平舞台に置いた平たいタライの中から細い手が伸びて出て、直助の足に絡みつく。

蛇山庵室の場でのトリックは、
提灯抜け(吊るした提灯の中から、お岩の幽霊が抜けて出てくる)、
仏壇返し(亡霊が仏壇の中へ消え去るが、
その際に敵役の秋山長兵衛も同時に捕らえて引き込む)。
石地蔵(伊右衛門の抱いている赤ん坊が瞬時に石の地蔵となる)などがある。

これらの奇抜なトリックは菊五郎・南北の他に
南北の息子直江屋重兵衛(元・坂東鶴十郎という役者)や
大道具師の十一代目長谷勘兵衛らがスタッフとして協力した。

南北はキリシタンの邪法を用いるという噂が流れたことがあった。
文化元年(1804)七月、河原崎座での『天竺徳兵衛韓噺』初演の時で、
主演の初代尾上松助があまりに早替りに巧みであった為、
その疑いが持たれ、町奉行所が検分に入ったが、その事実はなく、
無事興行を続けることができ、
それが却って客を呼び、キリシタン云々は南北・松助の宣伝であった、
ということになった。

果してそうか、天竺徳兵衛がガマの妖術を使うとき唱える呪文は
「南無 サッタルマグンダリア、シュゴショウデン、ハライソ、ハライソ」と
台本に記されているが、ハライソ(ポルトガル語 Paraiso)はパラダイス、
天国を意味するキリシタン用語である。
これをどう説明するのか。

『四谷怪談』で、最初にお岩が登場する時、
蚊帳の中に坐ったお岩は赤児を抱いて坐り、
首には安産用の麻苧(麻の繊維をよった紐の輪)を掛けている。
この麻苧は安産のまじないというが、
それはひょっとするとロザリオの代用品であり、お岩母子は聖母子像に見えないか。
江戸の観客は、変貌を遂げる前の美しいお岩の登場姿に、
邪法に絡む不気味なイメージを与えられて、既に恐怖したに違いない。

さて実説の方だが、幕府が編纂した『御府内備考』の四谷の項に
『四谷雑談』という書が引用され、四谷怪談の実話が記載されている。
しかし、これは芝居の初演後二年経った文政十年に、名主茂八郎という人が、
町の噂を集めて奉行所へ提出した書上によっていて、
南北作品の影響があり、どこまでが事実かは判明しない。
 
四谷左門町(東京都新宿区)に住む田宮伊織(又右衛門)は、
娘があり、名をお岩といった。
性格が悪いうえに疱瘡で片眼が潰れ、あばた面の醜女であった。
そこへ摂州(大坂)の浪人伊左衛門が人に騙されて入り聟(むこ)となった。
近隣の上役に伊藤喜兵衛という者がいて、おことという美しい妾がいた。
このおことが妊娠した為、部下の伊左衛門に目を付け、
お岩と離婚しておことを妻にするようそそのかした。
お岩は離別されて三番町の小旗本の家に縫物奉公に出されてしまう。
伊左衛門は喜兵衛の妾おことと再婚した。
その年月は貞享四年(1678)七月であったと、書上は記している。
お岩は煙草の行商人から、事情いっさいを聞いて逆上、
悪鬼の形相で左門町へ走って帰り、狂いまわったが、遂に行方不明。
その後、お岩の怨念が祟りをなし、伊左衛門一家は悉く変死をとげ、
田宮家は断絶した。
以上が実説とされる説話である。


現在、新宿区左門町には「於岩稲荷田宮神社」と「陽運寺於岩稲荷」が並行し、
更に豊島区西巣鴨四丁目「妙行寺」には田宮家とお岩の墓があり、
また中央区新川二丁目に「於岩稲荷田宮神社」がある。

歌舞伎界では、お岩の名を呼び捨てにはせず様をつけて言い、
『四谷怪談』を上演する時には、その霊を弔う為に、必ず参詣する習慣がある。
それぞれの社寺には存立の因縁があり、
どの社寺に行けば祟りから免れるかは解らないので、
信仰心の溢れる俳優たちは、全てに巡拝するという。
   

                        江戸時代 怪奇事件ファイル

 






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◆酒の酔いもいっぺんに醒める 大坂城中の怪異

2023-04-27 14:48:10 | Weblog


豊臣時代の大坂城の本丸と伝わる 『豊臣時代大坂城本丸指図』


江戸時代前期に描かれた徳川時代の再建大坂城図




1615年、夏の陣に於いて豊臣時代の大坂城はなくなった。
                   『大坂夏の陣図屏風 右隻』


大坂城内に明かずの間というのが大廊下のそばにあって、
ここは元和元年(1615)五月に落城してから、閉じられたまま、
今まで一度も開けたことがないという。
それは落城のおり、城中の婦女が自害した場所で、その為、今尚幽魂が残り、
ここに入る者があれば、必ず祟ると伝えられる。

観世新九郎の弟宗三郎が、
能楽師として稲葉丹後守が大坂城代の任(享和2~4年)にある時、供して行き、
城代の宴席に連なり、深酒して上の大廊下に酔っ払ったまま眠り込んだ。

翌日、丹後守が「昨夜は怪しいことはなかったか」と訊かれたので、
「いえ、別段......」と答えると、
「それならよろしい、ここに眠る者は変事があるという。
お前は何も知らぬまま寝たので、幽魂も許したのであろう」との仰せ、
宗三郎、初耳だったが、その後戦慄して居ても立っても居られなかっったという。

宗三郎が物語るには、ある天気の良い日にこの室の隙間から中を覗いてみると、
奥の方に蚊帳状のものが、半ば外れかかっているのが仄かに見え、
半挿(タライ)などの器物取り散らしてある様が見えた、という。
如何に身の毛のよだつ話ではないか。

と、この話を聞いた松浦清(号・静山、平戸藩主 1760~1841)が
親友の林述斎に語ったところ、
述斎は大笑して「現在の大坂城は以前の城では御座らぬ、
改築されて建物も全て後代のもの。
世の中にそんな作り話を尤もらしくする者も多い。
その城代であるお人も、しかと詮索もせず人に言い広めるとは、お気の毒千万」と、
取り合わなかった。

しかし松浦公は「然れども世には意外の実跡もあり」と半信半疑であった。
               

                        (『甲子夜話』 巻二十二)


                       江戸時代 怪奇事件ファイル
   

     ୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧







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◆信州に巨大UMA(謎の未確認動物)を見た 野尻湖にノッシー

2023-04-26 10:05:10 | Weblog
寛文年間(1661~1673)のことだが、
越後の国村上(現・新潟県村上市)の城主、松平大和守直矩の家来に
藍沢徳右衛門という人がいた。

ある時、江戸から帰国する途中、信濃国野尻の宿(長野県)で一泊することになり、
荷物や従者は国許へ向かわせ、自分は若党や草履取らを連れて野尻湖へ向かった。
すると俄かに強風が吹き出し、黒雲が低くなったかと見るや大雨となり、
何だか頭痛がしてきた。
徳右衛門が乗った馬も、脚が竦んだようで先へ進まない。
やむなく徳右衛門は馬から下りて挟箱に腰かけ、休んでいた。
しばらくするうち湖面が突然波立ち騒いだ。どうしたことかと見るうち、
波は静まったが、湖面が赤くなり、その中から四尺(1㍍30㌢余)のものが現れた。
頭髪は緑色で垂れ下がっている。
その凄まじい有り様に、一同はみな圧倒されて倒れ伏しているばかり。
徳右衛門は武士だけに刀に手をかけ睨みつけていた。
共の連中のうち草履取の中間だけは正気を保っていた。
その怪物は、しばらく周囲を見廻していたが波の底に入って行き、
周囲は再び赤く染まり、波風が立っていたが、暫くして静まった。
やがて皆、人心地がついて野尻宿に到着することができた。

宿に着いてから土地の者を呼び寄せ、今日起きた怪異のことを尋ねたところ、
この怪物を目撃した者が三人いて、いずれもその話は今日見た怪物と同一の話であった。
年とった者が言うには、「六十年ばかり以前、私が二十の頃ですが、
唯今お話の様子と少しも変わらぬ怪物を見ました」とのことで、
徳右衛門はこの老人の話と、本日の目撃談とを記録として書き留め、
大和守に報告した。
   

     ✼••┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈••✼


写真の説明はありません。
ネッシーの博物館に設置されているネッシーの銅像

地図の画像のようです
1976年の野尻湖 (国土画像情報 国土交通省)


                         江戸時代 怪奇事件ファイル


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菜根譚 前集126項

2023-04-25 12:13:14 | Weblog


自宅のソメイヨシノがほぼ満開 ₍ᐢ⑅•ᴗ•⑅ᐢ₎♡

勝私制欲之功、有曰識不早、力不易者。
有曰識得破、忍不過者。
蓋識是一顆照魔的明珠、力是一把斬魔的慧剣。
両不可少也。

私に勝ち欲を制するの功は、識ること早らず、
力むること易からずと曰う者有り。
識り得て破り、忍も過たずと曰う者有り。
蓋し、識は是れ一顆の照魔の明珠にして、
力は是れ一把の斬魔の慧剣なり。
両つながら少くべからざるなり。


「見識と努力」
私利私欲に打ち勝ちこれを制御する働きと云うことに於いて、
私利私欲の実体を知ることは直ぐには出来ないし、
またそれを実際に制御することは容易ではないと曰う人がいる。
また、それを知って打破することが出来、
それを制御する働きも過たないと曰う人もいる。
思うに、それを識ると云うことは、
私利私欲と云う悪魔を照らす一粒の働きの様なものであり、
実際に制御すると云うことは、悪魔を断ち切る一振りの名剣の働きである。
この識と力と云う二つの働きは、両方とも欠くことが出来ないものである。






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◆趣味のお化け屋敷 松平南海公のいたずら

2023-04-23 14:06:53 | Weblog
予(松浦静山)が少年の頃に聞いた話を
よく記憶しているので書いておく。

芝高輪片町(東京都港区)に貧乏な医者が住んでいた。
医者夫婦と薬箱一つで、下僕さえいない暮らしぶりであった。
ある日、往診を頼みに来た武士がいた。
治療の自信がないので、他にお尋ね下さいといって謝絶したが、
強いて頼むので、やむなく粗末な着物のまま出て行った。
妻が見送ると、外には駕籠が待っていて、家来衆も数人いる。
その一人に薬箱を持たせて去って行った。

いつの間にか駕は外からがんじがらめに縄でからげられ、
外を見ようにも窓が塞がっていて見えない。
やがて駕籠は停まり、外へ出て見ると、
大きな邸宅の玄関で、案内されて中に入る。

幾部屋も通り過ぎて書院らしい室内に通された。
「ここでお待ち願う」と案内の人が去ってから、坐って待っていたが、
なかなか誰も出て来ない。
何か不安感を感じ始めた頃、次の間から七、八歳の子どもが茶台を捧げてやって来た。
見ると、その子は坊主頭で、顔を見ると額に眼が一つしかない。
医者は胸轟かせ、こりゃ化物屋敷か、と思ううち、
次には身長七、八尺(2㍍余)の児髷(ちごわげ)に髪を結った少年が、
煙草盆を目八分に捧げて持って出て来た。
いよいよ恐ろしくなり逃げだそうと思うが、脱出するにも方角もわからない。

襖を開けて様子を窺がっていると、遥か遠くに、
容姿優れた女が十二単衣に緋の袴を着て、スルスルと通り過ぎて行く。
医者はこれこそ妖怪の主かと肝をつぶして見守るうち、裃を着た武士が来て、
「お待ち遠で御座った、いざこちらへ」と案内に立つ。
医者は怖々ついて行くほかない。

また幾部屋か通り過ぎると、襖を隔てて人の声が賑やかに聞こえて来た。
「ここが御病人の部屋で御座る」と案内人が襖を明けた。
部屋の中は酒宴の真っ盛りで、大勢の人々が酒を飲んで、盃のやりとりをしている。
一人が盃をとって「いや、初めてのお客人、まずひとつ」と言って医者に盃をさした。
医者は困惑して断ると、別の人がまた盃をさす。
とうとう断り切れずに酒を飲み始めた。

席は唄三味線でドンチャン騒ぎ、踊りをする者もいる状態。
医者は雰囲気に呑まれて酔いつぶれるまで飲んだ。

医者の妻は夜更けまで夫の帰りを心配しながら待っていた。
ようやく夜の明ける頃、戸を叩く者があるので開けると、
戸外には赤鬼と青鬼が駕籠を担いで立っている。
妻は魂消て戸内へ逃げ込み、しばらくして様子を見ると、
鬼はすでに去り、駕籠のみ残されていた。
駕籠の中を覗くと、夫の医者は丸裸でイビキをかいて熟睡している。
妻が呆れて周囲を見回すと、駕籠のそばに大きな包みがあり、
明けてみればそこには元の衣服のほかに、新しい立派な着物が入っていた。

やがて酔の覚めた夫から、前夜の経緯を聞き、互いに狐狸に化かされたのか、
それにしても......と不審が晴れなかった。

この件は、近所の噂話となり、次第に大騒ぎとなった。
誰いうともなく、これが松平南海公(宗衍、1729~1782)の
いたずらだということが伝えられた。

南海公の邸宅は大崎(東京都品川区)で高輪に近い。
また、一つ目小僧はその頃、南海公の領地出雲に生まれた身障者で、
八尺の巨人小姓は雲州お抱えの力士釈迦獄(しゃかがたけ)、
仙女に扮したのは二代目瀬川菊之丞という南海公お気に入りの役者であったそうな。

松平宗衍(まつだいら むねのぶ)は明和四年(1767)、
藩政改革に失敗して隠居、南海と号し、数々の奇行で有名。
              

                      (『甲子夜話』 巻五十一)



下段が南海公邸宅で仙女に扮したと言われる二代目瀬川菊之丞
                『古今俳優似顔大全・瀬川家系譜』)


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◆人間ならざる者と裸のつきあい 温泉で入浴する山の神

2023-04-23 14:00:45 | Weblog


『富士三十六景 伊豆の山中』 (国立国会図書館蔵)

津村淙庵が語る___。
私の友人に大井さんという人がいるが、寛政五年(1793)の夏、
伊豆の修善寺温泉へ湯治に行った時の話。

静かで誰もいないような湯治場で、そこへ五十歳くらいの男が入って来た。
お互いに何処からおいでで、などと尋ね合った。
その男は遠州日坂(静岡県掛川市)の者で、自分は貧乏で、
この修善寺温泉に来たいと永年考えていたが思うにまかせず、
たまたま金持ち夫婦に出会って、
その介護の仕事にありついたのでこうして旅費に苦労することなく、
お供で入湯できた、などと話をする。

あなたのご病気は、と訊かれるまま、
「私は永年湿気という病で入湯しに来ました」と答えると、
その男が言うには、「その湿気には梅干の皮とにんにくを等分に飯粒で磨り交ぜ、
紺木綿の布に塗って患部に貼られるとよい。木綿の上から灸を据えますと、
水分が出て治癒します」と教えてくれた。

その方法を試そうと思ったが、灸の数は幾つ揃えるのか訊き忘れたので、
宿の者に遠州日坂の人を呼び出してもらったところ、
台所からタスキをかけた男が出て来て、「日坂の者ですが、何のご用で.....」。
その男は灸の治療を教えてくれた人ではないので、詳しく経緯を話したが、
「そりゃ私ではありません。灸の治療法なんてまったく知りません」という。
それで修善寺温泉に入湯する客を、残らず尋ねたが、
浴場で会った面体の男は見当たらず、ついに詮索は諦めた。

教えられたままの方法で治療を試みたところ、水気が滴り出て、
病気は平癒したが、不審感が残った。

友人は江戸へ帰って来て、ある医者に上のことを話すと、
その医者が妙な顔をして、「その男は色が黒く頬骨が出て、
眼の大きな男ではなかったか」と訊く。
そのとおりの風貌だと答えると、その医者も修善寺へ湯治に行った時、
その男に合ったことがあり、しかも二度と会わなかったという。

その医者が言うには、
「その男は山の神の類いで、時々湯に入り来るのだ。心を許した者にだけ、
そうした奇妙な薬方を人に伝えるのだ」とのことであった。

実に不思議な体験だった、と話を結んだ。
                  

                        (『譚海』 巻十)


                       江戸時代 怪奇事件ファイル



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寵辱には驚くが若し (๑-﹏-๑)

2023-04-23 13:46:23 | Weblog








4月22日午前 染井吉野


寵辱には驚くが若し。
大患を貴ぶこと身の若くなればなり。
何をか寵辱には驚くが若しと謂う。
寵を上と為し、辱を下と為し、
これを得るに驚くが若く、これを失うに驚くが若し。
これを寵辱には驚くが若しと謂う。
何をか大患を貴ぶこと身の若しと謂う。
われに大患有る所以の者は、われに身有るが為なり。
われに身無きに及びては、われに何の患い有らん。
故に身を以って天下を為むるより貴べば、
若ち天下を托すべく、身を以って天下を為むるより愛すれば、
若ち天下を寄すべし。

   ✼••┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈••✼

尊敬されたり、侮辱されたりという事に
人々は一喜一憂して暮らしている。
それらから得られる利害を自分の身体の事のように心配するからだ。
どうして尊敬や侮辱に一喜一憂するのかと言えば、
尊敬を良いものと考え、侮辱を悪いものと考えて、
褒められれば喜び、叱られれば悲しむからだ。
そうして人々は他人の評価に一喜一憂している。
それではどうして他人の評価からもたらされる利害を
自分の身体のように心配するのか。
そもそも利害によって幸福になったり不幸になったりするのは
自分の身体があるからなのに。
自分の身体が無くなってしまったりしたら、
一体何を心配する必要があるだろうか。
だから天下の事よりも自分の身体を
考える人にこそ天下を任せる事ができるし、
天下の事よりも自分の身体を労わる人にこそ
天下を預ける事ができるのだ。


                        - 老子 道徳経 十三章 -



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時間よ止まれ~♪ ✩°。⋆⸜(ू。•ω•。)

2023-04-21 11:41:06 | Weblog

写真の説明はありません。
クリサンセマム(ノースポール) Leucoglossum  わずかな愛


時間こそは、最もユニークで乏しい資源。
   
         - ピーター・ドラッカー (オーストリア出身の経営学者) -



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菜根譚 前集122項

2023-04-21 11:31:11 | Weblog

写真の説明はありません。
久留米つつじ 太陽


人之短処要曲為弥縫。
如暴而揚之、是以短攻短。
人有頑的要善為化誨。
如忿而嫉之、是以頑済頑。

人の短処は、曲に弥縫を為すを要す。
如し暴きて之を揚ぐれば、是れ短を以って短を攻むるなり。
人の頑あるものは、善く化誨を為すを要す。
如し忿りて之を嫉まば、是れ頑を以て頑を済るなり。


「人の欠点に対処する方法」
他人の短所は、事細やかに心を配って取り繕ってあげることが必要である。
もしその短所を暴き立てて示すなら、
それは自分の短所で人の短所を責めるようなもので、
それでは他人の短所を改めさせることはできない。
また、頑固な人に対しては、上手に教え諭してやることが必要である。
もし怒ってその頑固な人を憎んだりすると、
それは自分の頑固さで人の頑固さを更に押し進めさせるようなもので、
それでは他人の頑固さを改めさせることはできない。


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自宅のエゾヤマザクラが満開です (⋈◍>◡<◍)。✧♡

2023-04-21 11:21:47 | Weblog


蝦夷山桜(大山桜、Big wild cherry tree) Cerasus sargentii(Rehder) H.Ohba
                        優れた美人


   ・*:.。 。.:*・゚✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*




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菜根譚 前集120項

2023-04-19 11:44:44 | Weblog

写真の説明はありません。
Cymbidum tracyanum

当恕火慾水正騰沸処、明明知得、又明明犯着。
知的是誰、犯的又是誰。
此処能猛然転念、邪魔便為真君矣。

恕火慾水の正に騰沸する処に当たりて、
明々に知得し、又明々に犯着す。
知るところのものは是れ誰ぞ、犯すところのものは又是れ誰ぞ。
此の処、能く猛然として念を転ぜば、邪魔も便ち真君と為ん。


「我を見つめるもう一つの目」
人間というものは火のような激しい怒りと、
氷のような大きな欲望が盛り上がり沸き立とうとする所で、
自分の心に物事を明らかに知りながら、
また一方では明らかに犯してしまうものである。
この時、その明らかに知る者は誰であろうか。
また明らかに犯す者は誰であろうか。
この知りもし、犯しもする者が誰かということを直ちに思い返し見極めたなら、
それまでは悪魔のようなものであった者も、
それがそのまま本来の心になってしまうであろう。


        ★∻∹⋰⋰ ☆∻∹⋰⋰ ★∻∹⋰⋰ ☆∻∹⋰⋰





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忘れてはいけないことも、直に、思い出せもしなくなる (ᐡ o̴̶̷̤ ﻌ o̴̶̷̤ ᐡ)

2023-04-16 14:55:02 | Weblog

写真の説明はありません。
洋種 Curtain Call

人は自分の死を予知できず、人生を尽きせぬ泉だと思う。
だが、物事はすべて数回起こるか起こらないかだ。
自分の人生を左右したと思えるほど大切な子供の頃の思い出も、
あと何回心に思い浮かべるか?せいぜい4,5回思い出すくらいだ。
あと何回満月を眺めるか?せいぜい20回だろう。
だが、人は無限の機会があると思い込んでいる。


            - シェルタリング・スカイ (1990年イギリス映画)-

         
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『人生の意味』  (´・ω・`)?

2023-04-16 14:43:06 | Weblog

写真の説明はありません。
洋種 Demi-Tase

意味が見つからないから良き人生を送れないのではなく、
良き人生を送れないからこそ意味にすがるのだ。


              -フリードリヒ・ニーチェ (ドイツの思想家) -

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◆人里から離れて暮らす 山男の足跡(Big Foot)

2023-04-16 05:41:51 | Weblog
 相州箱根(神奈川県)に山男というものがある。
裸体で木の葉や樹皮を衣服として、深い山の中に住んで、
赤腹魚(うぐい)を採ることを仕事とし、
市の開く日を知っていて里の人に持参し、米と交換する。
町の者も馴れていて怪しむことはない。
交易をする以外にあまり言葉は交わすことがない。
用事が終われば去って行く。
その跡をつけて行った者があったが、
絶壁のような所を鳥の飛ぶような足取りで去って行ってしまうので、
住所を知る者はいないという。

小田原の領主から「人に害を与える者ではないから、
決して鉄砲などで撃ってはならぬ」と命ぜられ、
その為、あえて山男を威すようなことはなされない。
              

                  (『譚海』)
   ✼••┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈••✼
 

 医師の菊庵の話____。
安倍郡腰越村(静岡県安倍郡玉川村)というところは、
府中(静岡市)から八・九里も山奥にある。
その隣り村を坂本といって、山を越えて三里余りも奥にある。

ある時、腰越の人が坂本で泊ったところ、その夜、降雪があって積もった。
翌日、帰る途中、足跡の大きさ三尺(90㌢余)もあるものを見つけた。
不思議に思い、その先を辿ると、またその足跡がある。
その間隔九尺ほど(2㍍70余㌢)あって、途絶えることなく続いている。
腰越の手前に小川が流れているが、その川は一跨ぎで渡ったらしく思われ、
川向うにも足跡は続いていたという。

この足跡は山男のものだといわれている。
たまにその糞便も見られるが、篠竹(笹の一種)を食べている為、
糞便中に竹の葉が混じっている。

尚、上に記した村々は大井川の水源に近い。
信州戸隠(長野県)の辺りでも、大雨の降った後には、山中の畠などで、
ニ、三尺の足跡がしばしば目撃されるいう。
              

            (『甲子夜話』 巻五十四)
   ✼••┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈••✼


大男の伝承は数多い。
足跡の怪ではなくなるが、大男の妖怪には大入道や大坊主などがある。
                 『怪談百鬼図会 大入道』


『狂歌百物語 大入道』


『東海道五拾三次 箱根・湖水西』 (国立国会図書館蔵)


                       江戸時代 怪奇事件ファイル



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