良縁ばかりに恵まれればいいが、なかなかそうはいかないもの。
悪縁を絶ち切りたいと願う人たちが集まるスポットが東京・板橋区にある。
悪縁を絶ち切りたいと願う人たちが集まるスポットが東京・板橋区にある。
★皇女たちも避けた縁切りの霊木
板橋区の旧中山道沿いにある縁切榎は、
江戸時代から信仰を集める由緒ある縁切りスポットだ。
この榎は、旗本近藤家の下屋敷の北側にあったもので、
江戸後期の紀行文『遊歴雑記』によれば「樹の太さ五抱もあらん、
壱丈もあがりて大枝大股とわかれ、樹の高さ凡四・五丈、
根茎の四方へはびこる事、三・四間に及べり」という大木だったが、
現在は3代目の榎が、場所を少し変えて槻(つき)の木と共に並んでいる。
縁切り伝説の起こりについては、
榎が槻の木と並んでいる為、「エンツキ」=「縁尽き」と言われたという説や
所在地である「岩ノ坂」を「嫌な坂」とかけて縁切りにつなげたとする説などがある。
また、この榎は、江戸時代から中山道板橋宿の怪奇スポットとして知られていた。
この榎の下を嫁入りの行列が通ると必ず不縁になるという信仰が生まれ、
徳川家に降嫁した五十宮・楽宮の行列はここを避けて通り、
和宮が降嫁した際は榎を菰(こも)で包み、
その下を通って板橋本宿に入ったという伝承も残されている。
この縁切榎でお祈りをする時は、
境内のボックスの中にある朱印紙に願いを書き込み、
木の横にある祈願文を結ぶ場所に結ぶ。
また、榎の手前にある石にはめ込まれている初代の榎を削って、
持ち帰ることもできる。
持ち帰ることもできる。
ちなみに、縁切榎は他人との縁だけでなく、
お酒などの「もの」との縁にも御利益があり、
江戸時代は酒癖の悪い人に榎の樹皮を煎じて飲ませたという話も残されている。
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『魔界こぼれ話』 縁切榎だけではない 霊験あらたかな乳房榎
板橋区の赤塚にある乳房榎は、
三遊亭圓朝の怪談噺「怪談乳房榎」のモデルとなった木だ。
絵師・菱川重信の妻・お関に惚れた磯貝浪江という浪人が、
お関を脅して関係を持ち、更に重信の財産を手に入れる為、重信を殺害。
乳の出なくなったお関の元へ重信の亡霊が現れ、
乳を出す不思議な榎があると教える。
その榎の乳で育った真与太郎が、浪江を討ち父の仇を取るという物語だ。
板橋区赤塚4丁目にある氷川神社の前には、今も「乳房大神」の碑が建っている。
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板橋区の赤塚にある乳房榎は、
三遊亭圓朝の怪談噺「怪談乳房榎」のモデルとなった木だ。
絵師・菱川重信の妻・お関に惚れた磯貝浪江という浪人が、
お関を脅して関係を持ち、更に重信の財産を手に入れる為、重信を殺害。
乳の出なくなったお関の元へ重信の亡霊が現れ、
乳を出す不思議な榎があると教える。
その榎の乳で育った真与太郎が、浪江を討ち父の仇を取るという物語だ。
板橋区赤塚4丁目にある氷川神社の前には、今も「乳房大神」の碑が建っている。
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縁切榎
男女の悪縁切りをはじめ、断酒、難病治療など、
江戸時代から「縁を切りたい」という願いは後を絶たなかったようだ。
男女の悪縁切りをはじめ、断酒、難病治療など、
江戸時代から「縁を切りたい」という願いは後を絶たなかったようだ。
『木曽街道板橋之駅』 渓斎英泉画 (国立国会図書館蔵)
江戸時代、縁切榎のあった板橋は宿場町として整備され、
「江戸四宿」のひとつに数えられるほど栄えていた。
江戸時代、縁切榎のあった板橋は宿場町として整備され、
「江戸四宿」のひとつに数えられるほど栄えていた。
縁切榎の幹
縁切榎の幹の部分は菰(こも)で覆われている。
その由来は、江戸時代に出された触書にあった
「不浄なものを莚(むしろ)で覆うこと」という内容が伝わったものとされている。
縁切榎の幹の部分は菰(こも)で覆われている。
その由来は、江戸時代に出された触書にあった
「不浄なものを莚(むしろ)で覆うこと」という内容が伝わったものとされている。
縁切榎神社
境内には、人々の「縁を切りたい」という願いが書かれた大量に絵馬が奉納されている。
境内には、人々の「縁を切りたい」という願いが書かれた大量に絵馬が奉納されている。
江戸・東京 魔界地図帖
東京の魔界を訪ねる旅
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