Mayumiの日々綴る暮らしと歴史の話

日日是好日 一日一日を大切に頑張って行きましょう ξ^_^ξ

◆戦国末期のあの剣豪 宮本武蔵、姫路城の天守に住む妖怪退治に挑む!

2019-07-31 04:14:40 | Weblog

松本城、彦根城、犬山城、松江城と共に、国宝に指定されている姫路城。
外壁に白漆喰を用いた天守を中心に、無数の曲輪が連なるその美しい姿は、白い鷺が翼を広げる姿に譬えられ、「白鷺城」とも呼ばれる。
その姫路城には、その優美な外観からは想像できない様々な謎や不思議な伝説が残っている。
その一つが、剣豪・宮本武蔵が天守に住まう妖怪を退治したという話だ。 時代は、第17代姫路城主の木下家定が播磨を治めていた天正末年か慶長初年頃のことである。当時、姫路城の天守に妖怪が現れると恐れられていた。この時、妖怪退治に立ち上がったのが、滝本又三郎と名を変えて滞在していた宮本武蔵である。
ある日の夜中の2時頃、武蔵は灯を手に、一人天守の階段を登って行った。すると3階の階段に差し掛かったところで、突然激しい火炎が喰き降りて来たかと思うと、轟音と共に,狐とも猫ともつかぬ妖怪が襲って来たではないか。 しかし、武蔵は怯まない。 すぐさま腰の刀に手をかけると、異変は収まり、もとの静けさに戻った。そこで、更に階段を上がると、またも火炎と轟音と共に化け物が襲って来る。武蔵は再び刀に手をかける。 こうして、武蔵は天守の最上階まで達し、そのまま明け方まで妖怪が現れるのを待った。しかし、いつの間にかついウトウトと眠ってしまう。
すると、何処からともなく十二単の美しい姫が現れ、「我こそは姫路城の守護神、刑部明神である。今宵、その方の太刀に恐れをなし、妖怪は逃げた。礼を言う」と述べると、白木の箱を差し出し、そのままス~ッと消えてしまった。 箱の中には、刀工・郷義弘の手による業物が入っていたと謂う。 武蔵が家老に事の顛末を述べて、業物を差し出すと、それは木下家の家宝で、以前何者かによって盗まれたものだった為に、武蔵こと又三郎に嫌疑がかけられたが、又三郎が実は天下の剣豪・宮本武蔵だったと分かり、疑いが解けたと謂う。
姫路城の天守の最上階には、武蔵に業物を贈ったとされる城の守護神「刑部明神」が祀られている。姫路城が今も無事に当時の姿をとどめているのは、この刑部明神のお陰なのかも知れない。

*姫路城に届いた天狗からの手紙  
姫路城には、宮本武蔵の妖怪退治伝説以外にも、数多くの不思議な伝説が残っており、「姫路城の七不思議」として伝えられている。 たとえば、毎夜、城内の井戸から皿を数える声が聞こえて来るという「播州皿屋敷」の伝説がある。
永正元(1504)年頃、城内の内紛に巻き込まれ、井戸に投げ落とされた侍女・お菊が夜な夜な皿を数えるといわれ、井戸は現在も保存されている。
また、徳川家康の孫で、豊臣秀頼の妻となり、大坂城落城後には姫路城主・本田忠政の嫡男・忠刻と再婚した千姫に纏わる伝説も語られている。千姫の子どもが早世するのは、秀頼の怨霊のせいだといわれた彼女は、怨霊退治の祈祷をし、比叡山延暦寺の第13代座主だった法性坊正作の天満大自在天神を守り本尊として祀った。
他にも、慶長14(1609)年には、「城主の池田輝政とその妻に悪霊が呪いをかけている。命が惜しければ神仏に祈願し、城の鬼門に八天塔を建てて、善政を行なえ」と書かれた書状が天狗から送られて来たという伝説もある。
このように、世界遺産姫路城には奇妙な伝説の宝庫なのである。

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菜根譚 前集217項

2019-07-27 04:21:11 | Weblog


百日草(Zinnia) Zinnia elegans 不在の友を思う 注意を怠るな


至人何思何慮。愚人不識不知。 可与論学、亦可与建功。 唯中才的人、多一番思慮知識、便多一番億度猜疑、事事難与下手。

至人は何かを思い。何をか慮らん。愚人は不識不知なり。 与に学を論ずべく、亦、与に功を建つべし。 唯中才の人のみ、一番の思慮知識多ければ、 便ち一番の億度猜疑多く、事々に与に手を下し難し。


「中途半端な才人の不幸」
道に達した人は、胸中にあれこれ思い煩うことは何もない。
また、愚かな人は初めから知識などに捉われていない。
何の拘りもないこのような人達とは、一緒に学問を論ずることもでき、また一緒に協力して事業を興すこともできる。
中途半端な知識を身につけている人だけは、一通りの思慮や知識を具えているので、それで、素直にものを信ぜず、あれこれと思い巡らし、疑い深い心も多くて、このような人達とはどんなことでも、一緒に仕事をすることは難しい。


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◆物議をかもした幻の歴史書 『竹内文書』が語る古代天皇家の謎とは

2019-07-24 04:36:30 | Weblog

「古事記」や「日本書紀」と並ぶ、幻の歴史書があるという。
それは古代よりも更に遡った時代の歴史を記述した「竹内文書(たけうちもんじょ)」という。
竹内文書とは、5世紀から6世紀に在位していた武烈天皇が、流入する大陸の文化によって日本古来の伝統・文化が圧倒されてしまうという危機感から創られたという古文書である。
神代文字という、漢字とは異なる独自の象形文字で書かれた神代の記録を、漢字仮名文字に翻訳写本させた文献だ。制作したのは、景行天皇から仁徳天皇に仕えた大臣・武内宿禰の孫に当たる平群真鳥(へぐりのまさとり)。
武烈天皇は彼を神代の伝統を守る聖地・越中に派遣して、皇祖皇太神宮の大宮司に就任させ、文書の制作にあたらせたという。 その内容は、宇宙創成から神武天皇以降の歴史時代までを、主に天皇の統治年代別に記した壮大な記録である。年代ごとの出来事を記した「天の巻」、世界中に秘蔵されていると見られる神宝・文書類の隠し場所を記載した「地の巻」。ノアの洪水などの天変地異の真相を明らかにした「人の巻」からなるとされているが、一般に公開されているのは「天の巻」だけである。 『竹内文書』の「天の巻」は、現在「神代の万国史」などにより概要を知ることができる。
その概要は、
(一)天皇家の祖先である元始神による宇宙創成から始まり、地球誕生、神々の地球への降臨(つまり宇宙から飛来)を記した天神7代の記録。
(ニ)天孫として地球に降臨した初代天皇から、第25代天皇までが、高度な科学技術で地球を統治した上古25代の記録)。
(三)地球統治が緩やかになりつつも依然として高度な文明を維持し続けた不合朝73代の記録。 (四)不合朝最後の天皇が神武天皇として神倭朝初代天皇となった時代以降の記録。
後半の内容を要約すると、約2000億年前に日本で生まれた神の子が世界各地に散らばって世界の各人種になったというものであり、全人類は天皇家の遠い子孫で、日本こそ世界の中心だという途方もない話になる。
その時代、世界の中心が日本であった頃、スメラミコトは日本に住み、天地の神を司る任務に就き、天浮船(あめのうきぶね)というUFOのような空を飛ぶ舟で世界を巡航して各地に文明を築いたと書かれている。預言者モーゼやキリスト、イスラム教のムハンマド、仏教の釈迦、儒教の孔子などの預言者や聖人たちも、あくまで天皇に仕える者であり、彼らは皆、日本にやって来て修行を積んだという。 そして、世界は2度に渡って暗黒期が訪れて滅亡しており、それから再建し、神倭期を開いたのが神武天皇となっている。
以上が「竹内文書」に書かれている内容の概略だが、つまり、宇宙からやって来た人の子孫である天皇家が地球を支配していたという歴史が書かれているのだ。
「竹内文書」の存在が公表されたのは、明治44年(1911)年のこと。平群氏の子孫である赤池大明神竹内家に継承されて来たものを、この家の養子となった竹内巨麿が発見したのである。
竹内は文書を「真の歴史書」と主張し、強烈な日本中心史観が国粋主義者や一部の軍人の間でもてはやされることとなる。しかし、あまりに途方もなさ過ぎる話であり、多くの研究者はこれを竹内自身が書いた偽書とみなし、出鱈目として片づけている。
更に神代文字そのものも多くの言語学者や古学者によって否定されている。
武内巨麿が発見したという「竹内文書」の原本は空爆で焼失してしまったが、今なお隠れた人気を誇る文書である。


竹内文書


竹内巨麿
後に竹内文書に書かれた天皇家の歴史が不敬罪にあたるとされ裁判にかけられる(天津教弾圧事件。最終的に証拠不十分として無罪が確定)。




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菜根譚 前集211項

2019-07-21 04:43:56 | Weblog

士大夫、居官、不可竿牘無節。 要使人難見、以杜倖端。
居郷、不可崕岸太高。 要使人易見、以敦旧交。

士大夫、官に居りては、竿牘にも節無かるべからず。
人をして見難からしめ、以て倖端を杜がんことを要するなり。
郷に居りては、崕岸太だ高くすべからず。
人をして見易からしめ、以て旧交を敦くせんことを要するなり。


「士大夫の生き方」
士や大夫のような身分の高い人は、官職に就いている間は、 手紙を書くにも節度がなければならない。 それは、他人に自分の心の内を見透かされないようにし、 他人が思わぬ幸いを得るきっかけを作るのを防ぐ必要があるからである。
また、官職を退いて郷里に帰ったならば、やたらと高く止まって威厳を誇示したりしてはいけない。 それは、他人に自分の心の内がよく見えるようにし、 旧友との交際を厚くして生きて行く必要があるからである。


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◆名作を生んだ童話作家 宮沢賢治が作品の中に書き残した天からの啓示

2019-07-20 04:29:18 | Weblog





「銀河鉄道の夜」や「セロ弾きのゴーシュ」などの名作を世に送り出した、童話作家の宮沢賢治。
その作品が素晴らしいことはもちろんだが、一説には、彼の作品は単なるお話ではなく、未来への予言だったと言われている。
例えば、「グスコーブドリの伝記」では、冷害で作物ができずに困ってしまうイーハトーヴの住人たちが登場する。作中では、冷害をなくす為に、炭酸ガスを大量に放出することで気温を上げることに成功する。この原理はまさに地球温暖化と同じで、賢治が生きていた時代には、この様なことはまだ科学的に解明されていなかった。
「銀河鉄道の夜」も、未来を描いた最たる例といえる。銀河鉄道に乗ったジョバンニとカムパネルラによる星々を巡る旅は、まさに宇宙旅行の世界である。当時はまだ想像だにできなかった宇宙旅行であるが、今や人類は宇宙空間へと飛び出し、他の惑星への移住すらも視野に入れるまでになった。
日本の農業が衰退すること、しかもそれが1950年代から2000年までの間に起きることがハッキリと綴られているのが、「法印の孫娘」という詩である。
実際に食糧自給率が落ち始めるのは1950年代のことで、1965年までに80%が70%に低下。更に2000年以降には40%にまで落ちて行く。農業衰退の予言もさることながら、その時期までも明確に当てているのは驚くべき慧眼である。
また、「セロ弾きのゴーシュ」の主人公ゴーシュが演奏する音楽を聴いた野ネズミやウサギなどは、みな病気が治ってしまう。これは、音楽を聴くことで心身の健康を図る現代の音楽療法を予期したものといえる。
その他にも、多くの予言の存在が指摘されているが、賢治は常日頃から「自分は霊感が強い」と話しており、よく幽霊や悪霊、若くして病で世を去った妹トシの霊とも会っていたという。
また、創作についても「作品は創るものではなく降って来るもの」と語っていた。
つまりそれは、天からの啓示だったのではないか。
啓示を受けた宮沢賢治は、後世の人の為に、その内容を作品として残したのかも知れない。

    

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菜根譚 前集208項

2019-07-18 17:40:51 | Weblog


アップルミント


ペパーミント

用人不宜刻。 刻則思効者去。
交友不宜濫。濫則貢諛者来。

人を用うるには、宜しく刻なるべからず。
刻ならば、則ち効を思う者も去らん。
友に交わるには、宜しく濫なるべからず。
濫ならば、則ち諛を貢する者も来らん。


「人を使う術と、友と交わる道」
人を使用する時には、苛酷な扱いをしてはいけない。
酷い扱い方をすると、骨を折り尽くそうとする者まで去ってしまうことになる。
また、友人と交際するには、みだりに誰とでも付き合うようなことをしてはいけない。
誰とでも見境無く付き合うと、媚び諂いをしようとする者までやって来ることになる。


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スイートバジル(目箒、Basil) Ocimum basilicum 良い望み 何という幸運

2019-07-18 04:39:23 | Weblog

 


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フェンネル(茴香、Fennel) Foeniculum vulgare 賞賛

2019-07-17 04:16:17 | Weblog

 


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菜根譚 前集206項

2019-07-16 11:57:52 | Weblog



聞悪不可就悪。恐為纔夫洩怒。 聞善不可急親。恐引奸人進身。

悪を聞きては、就には悪むべからず。
恐らくは纔夫の怒りを洩らすことを為るならん。
善を聞きては、急に親しむべからず。
恐らくは奸人の身を進むるを引くならん。


「噂は俗世間の陥穽」
人の悪事を聞いて、そのまま鵜呑みにしてその人を憎むようなことをしては行けない。
何故なら、多分、告げ口をして人を陥れるようなことをする人が、その自分の怒りを漏らしたのかも知れないからである。
人の善行を聞いたからといって、急にその人に近付き親しむようなことをしては行けない。
何故なら、多分、悪賢い人が出世したい為に、自分で良い評判を立てたのかも知れないからである。


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菜根譚 前集205項

2019-07-15 14:34:09 | Weblog


マリーゴールド(Marigold) Tagetes 嫉妬 絶望 悲しみ

仁人心地寛舒、便福厚而慶長、事事成個寛舒気象。
鄙夫念頭迫促、便禄薄而沢短、事事得個迫促規模。

仁人は心地寛舒なれば、便ち福厚くして慶長く、 事々に個の寛舒の気象を成す。
鄙夫は念頭迫促なれば、便ち禄薄くして沢短く、 事々に個の迫促の規模を得。


「徳の完成した人と心賤しい人」
仁の徳を完成し具えた人は、心が広く伸び伸びとしているので、
幸福は厚く喜びも長く続き、あらゆることにノンビリとした気質をなすものである。
これに対し、心の賤しい人は、万事にコセコセしているので、
天から与えられる物質的な幸いは薄く、恩沢も長く続かず、
あらゆることにセカセカした様子を示すものである。


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タチアオイ(立葵、Hollyhock) Althaea rosea 大望 野心 豊かな実り 気高く威厳に満ちた美

2019-07-14 14:48:58 | Weblog

 

 


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菜根譚 前集204項

2019-07-14 14:43:25 | Weblog


ベルガモット Monarda didyma 柔らかな心 安らぎ

冷眼観人、冷耳聴語、冷情当感、冷心思理。

冷眼もて人を観、
冷耳もて語を聴き、
冷情もて感に当り、
冷心もて理を思う。


「すべて冷静に対処する」
冷静な眼で人物を観察し、
冷静な耳で人の言うことをよく聞き、
冷静な感情で人の心を動かすものに対処し、
冷静な心で道理を考えるようにする。


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オレガノ(花薄荷、wild marjoram) Origanum vulgare 輝き 財産 あなたの苦痛を除きます 自然の恵み 富

2019-07-12 17:57:20 | Weblog

 


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菜根譚 前集202項

2019-07-12 11:08:20 | Weblog


デッペイアイアンクロス(Deppei Iron Cross) Oxalis tetraphylla Shining heart(輝く心)

世人以心肯処為楽、却被楽心引在苦処。 達士以心払処為楽、終為苦心換得楽来。

世人は、心に肯う処を以て楽しみと為し、却って楽心に引かれて苦処に在り。
達士は、心の払る処を以て楽しみと為し、終に苦心を楽しみに換え得て来たると為す。


「真実の楽しみ」
俗世間の人間は、心に満足することを以て楽しみとしているが、
却って楽しみの心に引きずられて苦しい場所に追い込まれる。
道に達した立派な人は、世人が満足するものと反対なことを楽しみとしているから、
結局は苦しみの心を楽しみの心に交換してしまうことができる。


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◆平安時代、天皇の怒りを買った官僚小野篁は、毎夜地獄へ行って、閻魔庁で働いていた!?

2019-07-12 04:28:56 | Weblog

京都市東山区にある六道珍皇寺の本堂背後の庭に、「小野篁冥途通いの井戸」と名付けられた古い井戸がある。 実は、この井戸は、平安時代初期に小野篁という人物が夜な夜な冥途に通っていた井戸だという伝説があるのだ。
小野篁は官僚であると同時に、詩人・歌人としても名高く、武芸にも秀でた人物だったと伝えられている。そうした完璧主義が影響してか、一方で自己主張が激しく、遣唐副使に命じられた際には、割り当てられた船が気に食わず、藤原常嗣と喧嘩して乗船を拒否。これが嵯峨上皇の怒りに触れて隠岐に流されたという経歴もある。
こうした振る舞いから、彼は「野狂」とも呼ばれていた。
その小野篁の副業が閻魔庁の役人。昼間は官僚として働き、夜には、毎晩、閻魔庁に赴いて、閻魔大王のもとで職務に従事していたという。その閻魔庁への通勤に使われていたのが六道珍皇寺にある冥途通いの井戸だったというわけである。
ただ、珍皇寺の井戸は出勤の為の限定ルートだったようで、帰り道に使ったとされる「黄泉がえりの井戸」は、六道珍皇寺に隣接する旧境内の地に伝わる。
12世紀に成立した仏教説話集「今昔物語集」には、篁が閻魔庁役人として働いていた時のエピソードが書かれている。 それによると、学生時代に過失を犯した篁を助けてくれた宰相・藤原良相が病死した際、閻魔大王の前に良相が引き出され、居並ぶ役人の前で生前の罪を吟味されることになった。 その時、役人の一人として居合わせたのが篁で、彼が「この者は心正しく親切なので許してやってほしい」と弁護したことで良相は赦しを得て、この世に戻ることができたという。 また、大和国矢田寺の満慶上人は、篁の紹介で冥界へ赴いて閻魔大王に会い、現世に戻った後、地獄で出会った地蔵菩薩の姿を刻み、矢田寺に安置したとも伝えられている。

*あの世とこの世の分岐点「六道の辻」  
では、何故篁が六道珍皇寺の境内にある井戸から冥界へ赴いていたという伝説が生まれたのか?
それは、六道珍皇寺のある場所が、平安時代から「あの世」と「この世」の分岐点に当たる場所とされて来たからだろう。六道珍皇寺の門前に「六道の辻」と書かれた碑が立っている。
「六道」とは、仏教の教義でいう地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人間道、天道の六種の世界のことで、人は死後生前の善悪の業によって六道のいずれかに赴くとされている。 そして、六道珍皇寺のある場所は、平安京の東の墓所であった鳥辺野に至る道筋に当たり、六道珍皇寺で野辺の送りをした後、遺体は鳥辺野へと運ばれて行った。まさに「あの世」と「この世」の分岐点だったわけである。 現在でも、六道の辻は、盂蘭盆会に死者が帰って来る場所とされており、京都では、8月7日から10日までの4日間に、精霊(先祖の霊)を迎える為に六道珍皇寺に参詣する風習がある。また同寺の鐘は、毎年精霊を迎える為に撞かれていて「迎え鐘」と呼ばれている。 六道珍皇寺には、本尊の薬師如来、地蔵菩薩と共に、小野篁と閻魔大王の像もある。この世での仕事はとうに終わった篁だが、冥界では、今も閻魔大王のもとで働いているのかも知れない。


わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ あまのつり舟   参議篁


六道珍皇寺の境内にある井戸




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