Mayumiの日々綴る暮らしと歴史の話

日日是好日 一日一日を大切に頑張って行きましょう ξ^_^ξ

老子 第七十章

2021-10-31 06:25:23 | Weblog

吾言甚易知、甚易行。天下莫能知、莫能行。
言有宗、事有君。
夫唯無知、是以不我知。知我者希、則我貴矣。是以聖人、被褐而懷玉。


わが言は甚だ知り易く、甚だ行ない易きも、
天下能く知るもの莫(な)く、能く行なうもの莫し。
言に宗有り、事に君あり。
それ唯だ知ること無し、ここを以って我れを知らず。
我れを知る者は希(まれ)なるは、則ち我れ貴し。
ここを以って聖人は、褐(かつ)を被(き)て玉(ぎょく)を懐(いだ)く。


୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧

私の言っている事は本当はとても解り易く、
誰にでも簡単に出来る事なのだ。
しかし世の人々はそれを理解できず、また行う事も出来ない。
私の言葉や行いには要点があるのだが、人々はそれに気づかないでいる。
だから私の言う事が理解できないのだ。
だが私の言葉を人々が理解できないという事は、
それだけ私という存在が貴重という事でもある。
このように「道」を知った聖人は、
粗末な衣服を着ていながらも心の内には大切な宝を抱いている。
その貴さは上辺からは理解できないのだ。

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧
 

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ローズヒップ(Rose hip) Rosa spp 悲しく 美しく 正義感 誠実

2021-10-28 04:10:08 | Weblog

 


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

老子 第六十五章

2021-10-26 13:22:14 | Weblog

古之善爲道者、非以明民、將以愚之。民之難治、以其智多。
故以智治國、國之賊。不以智治國、國之福。知此兩者、亦𥡴式。
常知𥡴式、是謂玄徳。玄徳深矣、遠矣。與物反矣。然後乃至大順。

・*:.。 。.:*・゚✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*

古えの善く道を為す者は、以って民を明らかにするに非ず、
将に以ってこれを愚かにせんとす。
民の治め難きは、その智の多きを以ってなり。
故に智を以って国を治むるは、国の賊なり。
智を以って国を治めざるは、国の福なり。
この両者を知るは、また𥡴式(けいしき)なり。
常に𥡴式を知る、これを玄徳と謂う。
玄徳は深し、遠し。
物と与(とも)に反(かえ)る。
然る後(のち)乃(すなわ)ち大順に至る。

・*:.。 。.:*・゚✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*

古くからの「道」を充分に修めた人は、
民衆を聡明にしようとはしなかった、
むしろ愚直にしようとしたのだ。
民衆が治め難いのは余計な知恵がついた為である。
だから知恵に頼って国を治めようとするのは国を滅ぼす原因となる。
余計な知恵を用いず国を治めれば国は安泰である。
これら二つは国を治める時の法則である。
この法則を常に守る事を「玄徳 ・神秘なる徳」という。
玄徳は深遠で測りがたく、この世の万物と共に帰る。
つまり大いなる順応によって無為自然へと至る道なのだ。

*:.。 。.:*・゚✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*



  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

楓(Maple) Acer spp. 大切な思い出 美しい変化 遠慮

2021-10-25 13:06:08 | Weblog

 


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

七竈(Japanese rowan, Mountain ash) Sorbus commixta 慎重 私はあなたを見守る賢明 

2021-10-25 05:34:35 | Weblog

 


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

老子 第六十三章

2021-10-24 17:23:56 | Weblog

爲無爲、事無事、味無味。大小多少、報怨以徳。圖難於其易、
爲大於其細。天下難事必作於易、天下大事必作於細。
是以聖人終不爲大、故能成其大。夫輕諾必寡信、多易必多難。
是以聖人猶難之、故終無難。

❥❥❥+:;;;:+❥❥❥+:;;;:+❥❥❥+:;;;:+❥❥❥ 

無為を為し、無事を事とし、無味を味わう。
小を大とし少を多とし、怨みに報ゆるに徳を以ってす。
難きをその易きに図り、大をその細に為す。
天下の難事は必ず易きより作り、天下の大事は必ず細より作る。
ここを以って聖人は終に大を為さず、故に能くその大を成す。
それ軽諾は必ず信寡(すくな)く、易きこと多ければ必ず難きこと多し。
ここを以って聖人すら猶(な)おこれを難しとす、故に終に難きこと無し。

❥❥❥+:;;;:+❥❥❥+:;;;:+❥❥❥+:;;;:+❥❥❥  

「特に何もしない」という事をして、
「何でも無い事」を仕事として、「味気の無い生活」を味わう。
小さなものを大きく捉え、少ないものを多く感じて、
人から受けた怨みには徳をもって報いる。
難しい事はそれがまだ簡単なうちによく考え、
大きな問題はそれがまだ小さいうちに処理する。
この世の難しい事は必ず簡単な事から始まり、
大きな問題は必ず小さな事から始まるのだ。
だから「道」を知った聖人はわざわざ大事を成そうとはしない、
小さな事を積み重ねて大事を成すのだ。
安請け合いをしていては信頼など得られないし、
安易に考えていると必ず困難な目に合う。
しかし聖人は些細な事でも難しい問題として対処するので、
結果的に特に難しい事もなく問題を解決できるのだ。

❥❥❥+:;;;:+❥❥❥+:;;;:+❥❥❥+:;;;:+❥❥❥  

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

蝦蛄葉サボテン(デンマークカクタス、Christmas cactus) Schlumbergera truncata 一時の美 美しい眺め

2021-10-24 04:05:46 | Weblog

 


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今今と今という間に今ぞ無く 今という間に今ぞ過ぎ行く (ˉ ˘ ˉ; )

2021-10-23 08:29:17 | Weblog

道歌 (道徳的な、または教訓的な短歌のことをいう)


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フランスゴムの木 (ˊo̴̶̷̤ ᴗ o̴̶̷̤ˋ)

2021-10-22 10:35:45 | Weblog

フランスゴムの木(小葉のゴム琵琶) Ficus rubiginosa 永遠の幸せ


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『飛鳥尽きて 良弓蔵れ 狡兎死して 走狗烹らる』

2021-10-20 10:54:44 | Weblog

飛鳥が尽きれば、良弓は蔵われる。
狡兎が死ねば、走犬は烹られる。
越王という人は、患難を共にすることはできても、
楽しみを共にすることはできない。
あなたはどうして越を去らないのか。
                         - 宮城谷昌光「湖底の城 九巻 湖上の影」 -
▹◃┄▸◂┄▹◃┄▸◂┄▹◃┄▸◂┄▹◃

飛ぶ鳥がいなくなると、良い弓も蔵に納められ、逃げ足の速いウサギが死ぬと、
よく走る猟犬は煮て喰われてしまいます。
敵国が滅びれば、いかに戦功のあった家臣でも邪魔になって殺されるという例えを出し、
越王は、共に戦う事はできても、安楽を共にする事はできない人であるから、
あなたも早く越を去るべきですよと范蠡は友人の大夫種にアドバイスを送りました。
案の定、大夫種は越王・句践に讒言をする者ありて、自殺をさせられます。
句践にしてみれば、己の治道を翳らせる障害物を撤去したことになります。

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「徒然草」第百十二段

2021-10-18 04:19:45 | Weblog

 

明日遠い国へ旅立つという人に、
心穏やかな時にすべき仕事などを持ち掛ける人がいるだろうか。
急用で忙しい人や、嘆き悲しむことのある人は、
他の事など気に掛けないし、
他人の悲しみや喜びにだって関心を持たない。
だからと云い、それを恨み非難する人もいない。
年取った老人や病気の人、さらには世捨人には、
これと同じことが言えるだろう。


社会は儀式が多いけど、どんな礼節だって避け難いものなどない。
だから、世俗世界で起こる世間体や義理を断れないで付き合ってしまい、
また、それを必ず果たそうとしたなら、
自分のやりたいことが山ほどあると云うのに、
体は疲れるし、心安まる時もなくて、
一生を些細な雑事に妨げられ虚しく終わってしまう。
「日は暮れたが前途は遠い。しかも自分の人生はもう先が見えている」と云う句もある。
この時こそ世俗との縁を絶つ時である。
信義をも守るまい、礼儀を気にすることもしない。
こんな気持ちを理解できない者は、気狂いとでも言えばいい。
また、正気を失っているとか、情けないと思うがいい。
人に謗られても、もう苦にはしまい。
誉められたとしても聞きいれまい。

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

菜根譚 前集149項

2021-10-11 17:21:41 | Weblog

魚網之設、鴻則罹其中。
蟷螂之貪、雀又乗其後。
機裡蔵機、変外生変。
智巧何足恃哉。
 
 
 
 
 
魚網の設くるや、鴻則ち其の中に罹る。
蟷螂の貪るや、雀又其の後に乗ず。
機裡に機を蔵し、変外に変を生ず。
智巧何ぞ恃むに足らんや。


┈┈┈┈┈┈┈ ❁ ❁ ❁ ┈┈┈┈┈┈┈┈


「智巧は頼むに足らず」
魚を捕らえようとして網を張ったところ、
魚がかからないで大雁がかかることがある。
また、蟷螂が虫を取ろうと狙って夢中になっていると、
雀がまたその後から狙っていることがある。
このように世間には、からくりの中にまたからくりが隠されており、
思わぬ異変の他に、更に異変が生じて来ることがある。
だから、ちっぽけな人間の知恵や企みなどは、
どうして頼むの足りようか。

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

老子 第四十九章

2021-10-10 14:33:27 | Weblog

聖人常無心、以百姓心爲心。善者吾善之、不善者吾亦善之、徳善。
信者吾信之、不信者吾亦信之、徳信。
聖人之在天下、歙歙焉、爲天下渾渾。百姓皆注其耳目、聖人皆孩之。
▹◃┄▸◂┄▹◃┄▸◂┄▹◃┄▸◂┄▹◃
聖人は常に心無く、百姓(ひゃくせい)の心を以って心と為す。
善なる者は吾れこれを善しとし、
不善なる者も吾れまたこれを善しとして、善を徳(う)。
信なる者は吾れこれを信じ、
不信なる者も吾れまたこれを信じて、信を徳(う)。
聖人の天下に在るや、歙歙(きゅうきゅう)たり、
天下の為(おさ)むるや渾々(こんこん)たり。
百姓は皆その耳目を注ぐも、聖人は皆これを孩(と)ざす。
▹◃┄▸◂┄▹◃┄▸◂┄▹◃┄▸◂┄▹◃
「道」を知った聖人は自分の為の心を持たず、
人々の心を自分の心としている。
人々から善人と呼ばれる人を善人として扱い、
人々が善人と呼ばない人も善人として扱い、
そうして彼の周りには善人だけとなる。
人々から信頼される人を信じ、
人々から信頼されない人も信じて、
そうして彼の周りには信頼できる人だけとなる。
聖人が世の中に対する時には小さく縮こまったようであり、
思慮分別を遠ざけてぼんやりとした有様でいる。
世の人々は見たり聞いたりした事についていちいち判断と区別をつけようとするが、聖人は耳目を閉ざして自分の為の心も閉ざす。
▹◃┄▸◂┄▹◃┄▸◂┄▹◃┄▸◂┄▹◃


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

◆「腹」と「原」を聞き間違えたのが原因? 勘違いで暗殺された不憫な原敬首相

2021-10-08 03:52:25 | Weblog

原敬内閣総理大臣




●原敬暗殺の引き金は......
 19代目の内閣総理大臣を務めた原敬(はら たかし)。彼は1921年、東京駅にて暗殺されるという最期を迎えた。しかしその事件は、犯人のとんでもない言葉の聞き違いが引き金となっていたのだ。原を殺したのは山手線大塚駅で駅員を務めていた中岡艮一(なかおか こんいち)、19歳。原が行なっていた財閥中心の政治などに、日頃から政治的な鬱憤を抱えていた。また、中岡の上司・橋本栄五郎も原に不満を持っていた。中岡は、橋本の影響を強く受けたとされる。
●あまりにも不憫な原の最期とその後
 事件の発端は、橋本と中岡のいつもの政治批判談義からだった。橋本の「今の日本には武士道精神が失われた。腹を切ると言っても、実際に腹を切った例はない」という発言に対して中岡は「私が原を斬ってみせます」と返答。そう、彼は橋本が言った「腹」を「原」と聞き間違えたのだ。そうして勘違いしたまま原敬暗殺を決意。そして1921年11月、中岡は東京駅にて原敬の右腕を短刀で刺して殺したのである。事件後の裁判で、中岡には無期懲役の判決が下った。
言葉の聞き違いが事件の原因だと明るみに出たのも裁判中のことである。更に、殺人を促したとして橋本が殺人教唆の疑いで起訴される事態となった。たった一つの言葉を聞き違えた為に引き起こされたこの事件、命を落とした原敬にとっては、あまりにも迷惑な話である。
●中岡艮一のその後
 無期懲役の判決を受けた中岡だが、3回の恩赦により1934年(昭和9年)出獄。獄中で回想録『鉄窓十三年』を書いている。出獄後は目立った政治活動はしていないが、頭山満と関係を持ったとされる。
その後、満州に渡り陸軍司令部に勤務した(「哈爾濱南崗 第四軍管区司令部」)から宛てた直筆の手紙が残されている。後、荘河県公処弘報主任に着任した。
この頃、極東にソ連からの難民として流れ込んだタタール人に興味を持ち、これを契機として、1937年(昭和12年)2月22日、神戸モスクでムスリムとなった。
1941年(昭和16年)には現地でイスラム教徒の姜鳳芝と結婚している。戦後帰国し、1980年(昭和55年)に77歳で死去。


     
              学校で習った歴史はウソだらけ!?
                    日本史 大ウソ事典 「近現代」

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

◆当時の社会を変えるきっかけに!? 芳川鎌子の情死が自由恋愛の原動力に!?

2021-10-07 04:28:06 | Weblog

●スキャンダル性ばかりが前面に
 1917年3月7日、千葉駅で若い男女が列車に飛び込んで自殺を図った。女は跳ね飛ばされて重傷、男は轢かれなかったが、短刀で首を突いて自殺した。女は伯爵・芳川顕正の娘で、名前を鎌子(かまこ)といった。鎌子と共に自殺を図った男は、芳川家のお抱え運転手であった倉持陸助。当時、このような身分の違う間柄での恋愛は世間的にタブーとされており、メディアは挙ってスキャンダラスな情死事件として報道した。一命を取り留めた鎌子は治療の甲斐あって退院するが、世間の彼女に対する目は厳しかった。「姦婦鎌子」「渋谷町民の汚れ」などと言われ、忽ち悪女のレッテルを貼られてしまったのだ。確かに彼女の身分から考えれば決して起こしては行けない事件。世間の糾弾も無理もないことのように思えるが、彼女のこの行動が当時の男女思想を変えたと考える向きもある。
●事件がもたらした社会的効果
 女性解放運動の指導者であった平塚らいてうはこの事件について、「上流貴族社会の人々を目覚めさせる一つの機会を与えた」という前向きな文章を雑誌に書いている。その後、程なくして「自由主義恋愛」という言葉も誕生し、女性の地位が認められるようになって行った。直接的な原因ではなかったかも知れないが、鎌子のこの行動が自由恋愛思想が広まる一つのきっかけになったのは間違いないだろう。
●芳川顕正
 1841年生まれの政治家。鎌子の父。
5人兄弟の末っ子から、伯爵にまで上り詰めた。
1917年、鎌子の心中事件により枢密院副議長を辞任。
その後、政界に戻ることはなかった。
●芳川寛治
 1882年に曾禰荒助子爵の次男として生まれる。
実業家であり伯爵でもある。芳川鎌子の夫。
●千葉心中
 夫の寛治には、当時の大身の御曹司の例にもれず放蕩癖があり、妾宅に出入りすることが多かった。身持ちが悪く、妻の鎌子の姉とも噂があった。その為、鎌子はやがてお抱え運転手・倉持陸助と深い仲になる。これを知った顕正と寛治は、倉持を解雇し鎌子を軟禁するが、鎌子は逃げ出して倉持と駆け落ちし、1917年(大正6年)3月7日、省線(国鉄)千葉駅近くの県立女子師範学校(現在の千葉市富士見1-11)脇から走行する6時55分千葉発本千葉行きの単行列車に飛び込み自殺を図る。ところが両者とも重傷を負いながら死にきれず、鎌子は病院に収容されて一命を取り留め、倉持は近くの土手で短刀で喉を刺して自害した。倉持は24歳、鎌子は27歳で5歳の娘がいる身だった。


     
               学校で習った歴史はウソだらけ!?
                     日本史 大ウソ事典 「近現代」

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする