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Mayumiの日々綴る暮らしと歴史の話

日日是好日 一日一日を大切に頑張って行きましょう ξ^_^ξ

殷に三仁あり

2015-01-31 11:23:06 | Weblog

微子去之、箕子爲之奴、比干諌而死。孔子曰、殷有三仁焉。


微子は之を去り、箕子は之が奴と為り、比干は諌めて死す。
孔子曰はく、「殷に三仁あり。」

                           微子第十八の一

微子は紂王の庶兄で、名を啓という。
微は領地の名で、子は爵である。
紂王の無道なのを見てしばしば諌めたけれども聴かれなかったから、
紂の許を去って先祖の宗廟の祭を絶やさない様にした。

箕子は紂王の諸父(おじ)で、名を胥余という。
箕は領地の名で、子は爵である。
箕子は紂王を諌めてその怒りに触れ、囚えられて奴となった。
箕子は因って狂人の真似をして辱めを受けた。

比干も紂王の諸父である。
直言して紂王を諌めたところが、
紂王は怒って「聖人の心には、七つの穴があると云うことだが、信だろうか」と曰って、
遂に比干を殺して裂いてその心を視た。

この三人の行いは同一ではないけれども、その君を愛し国をう憂うる至誠から出たことは同一である。

即ち去る者は君を感悟させ様と願ったので君を忘れたのではない。
奴となった者は時を待って君を匡そうとしたので禍いを懼れたのではない。
死んだ者は身を殺して君を悟らせ様としたので名を沽(う)るのではない。

故に孔子がこれを評して、「殷に三人の仁者がある」と曰った。

********************************************************************

今は、土曜日の丁度お昼になりました。
本当に一週間が過ぎて行くのって早いもので、昨日はまた歯医者さんになど行ったものだから、
普段出て歩かぬ私だから、そんな事くらいでも大した疲れてしまう。
身体がどうこうと云うものじゃないけれど、よく眠ったつもりがいつもの時間に起きたくない様な、
もう1時間くらいは寝ていたい気にになります。
昼間は如何にも暇そうに思われるだろうが、これが案外と昼寝をする間もないほど忙しい。
だけどね、好きな事もやりたい事もできているんで、ありがたい事だと思っているのです。

今「太公望」を読んでいる最中なので、殷(商)の三仁のことが分るのが嬉しい。


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年四十にして悪まるるは、其れ終わらんのみ。

2015-01-29 11:41:01 | Weblog

子曰、年四十而見惡焉、其終也已。

子曰はく、年四十にして悪まるるは、其れ終わらんのみ。

                        陽貨第十七の二十六

人も四十歳になれば、道が明らかに徳が立つべき時である。
然るに猶君子から悪まれる様な人は、一生涯善に遷り過ちを改めることなくて、終わってしまうばかりだ。

 

 

ここで陽貨が終りました。
「恕の人・孔子伝」を視ていた時に陽虎と云う、孔子のライバル或いは天敵の様な人物が出てきたが、
その様子が浮かんで来たりし、楽しく写し書きが出来たって思います。
今日の札幌の予想最高気温は0℃。
日が差している分で、温かな気がする。
明日は歯医者さんに行く日。何をって事もないけれど、準備と云うか用意が要る。


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唯女子と小人とは養い難しと為す

2015-01-29 11:23:52 | Weblog

子曰、唯女子與小人、爲難養也。近之則不孫、遠之則怨。

子曰はく、唯女子と小人とは養い難しと為す。
之を近づくれば則ち不孫に、之を遠ざくれば則ち怨む。

                                陽貨第十七の二十五


天下の人の中で、ただ女子と小人とだけでは養い難いものである。
恩愛を用いてこれを親近すれば畏れ憚ることなくて不遜になる。
威厳を用いてこれを疎遠にすれば怒り恨んで吾が用をしなくなる。
誠に始末に困るものである。


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聖賢の悪む所を挙げた

2015-01-28 18:36:53 | Weblog



子貢曰、君子亦有惡乎。子曰、有惡。惡称人之惡者。惡居下流而謗上者。惡勇而無禮者。惡果敢而窒者。
曰、賜也亦有惡乎。惡徼以爲知者。惡不孫以爲勇者。惡訐以爲直者。


子貢曰はく、「君子も亦悪むこと有りや。」
子曰はく、「悪むこと有り。人の悪を称する者を悪む。
下流に居て上を謗る者を悪む。勇にして礼なき者を悪む。果敢にして窒がる者を悪む。」
曰はく、「賜や亦悪むこと有るか。」
「徼うて以て知と為す者を悪む。不孫にして以て勇と為す者を悪む。訐いて以て直と為す者を悪む。」

                                                 陽貨第十七の二十四


子貢が孔子に問うて曰くうには、
「君子は人を愛するものでありますが、また人を悪むことがありますか。」

孔子「善を好み悪を憎むのは人心の公道であるから、君子と謂えども又憎むことがある。
他人の悪事を称(とな)え揚げる者を憎む。悪を隠してやらず、仁心が厚くないからである。
下位にいて上を謗る者を悪む。尊者の為に憚らず、忠敬の心が無いからである。
勇力があって礼の無い者を悪む。礼を以て節することをせず、血気に任せて理に逆らい上を犯すからである。
思い切り良く進んで事を行って道理に通じない者を悪む。己の心に任せて妄りに行うからである。」

孔子は因って子貢に問うて曰うには、
「賜(子貢の名)もまた悪むことがあるか。」

子貢「自然に明らかで覚るのは知でありますが、
そうではなくて、人の様子を伺察して覚って自ら知だとする者を悪みます。
義を観て行うのは勇でありますが、
そうではなくて上を犯し尊者を凌ぐ様な不遜なことをして自ら勇だとする者を悪みます。
隠し諱むことのないのは直でありますが、そうではなくて他人の秘密を摘発して自ら直だとする者を悪みます。」




今日水曜日、今話題の台湾映画「KANO」を観て来ました。
いつもの小樽のイオンシネマではなく、狸小路のスガイディノスシネマズへでした。
それこそ何十年ぶりかでしょう。確か、昔はよくここの映画館に来ていましたね。
当時、ファッションビルも多くあったので、あの頃流行っていた歌なども思い出せました。
感動的な映画でした。


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子路を義を尚ぶ大勇に進めようとした

2015-01-27 18:31:12 | Weblog

子路曰、君子尚勇乎。子曰、君子義以爲上。君子有勇而無義、爲亂。小人有勇而無義。爲盗。

子路曰はく、「君子は勇を尚ぶか。」
子曰はく、「君子は義を以て上と為す。
君子、勇有りて義なければ乱を為す。小人勇有りて義なければ盗を為す。」

                                  陽貨第十七の二十三

 

子路「君子は勇と尚(とうと)びますか。」
孔子「君子はただ義を上(とうと)ぶ。義に於いて為すべきことは憤然として必ず行うが、
義に於いて為すべからざることは断然思い止まる。
勇は君子の尚ぶ所ではない。有位の君子が勇だけあって義が無ければ、
その勇にまかせて道に逆らい分を犯して乱を為す。
無位の小人が勇だけあって義が無ければ、その勇にまかせて欲を縦(ほしいまま)にして盗を為す。」




今日は歯医者さんへの2回目の治療。
先ずは大雪とか吹雪じゃなかったのがありがたかった。
それと診療する予約は午後の3時。今日は治療に些か時間が要ったけれど、
帰りは地下鉄二十四軒駅で主人が迎えに来てくれるのを待って、帰りに買い物などをして帰宅。
こう上手い事行けば、通院も気楽なもんだと思いました。
それと、返す返すもいつもの「論語」は、時間のある間に書いておく事が、
朝が楽です。普段のことならば、そう変わり映えもなく安泰であるし、ここに来て大した調子もいいもので、
ブツブツと言いたいことも無いので。


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心を用いないことを誡めた

2015-01-27 13:15:57 | Weblog

子曰、飽食終日、無所用心、難矣哉。不有博奕者乎。爲之猶賢乎已。


子曰はく、飽食終日心を用うる所無くば、難いかな。
博奕なる者あらずや。
之を為すは猶お已むに賢れり。

                         陽貨第十七の二十二


飽くまで食って終日遊び暮らしてすべて為すべき事に心を用いる所が無いならば、
心が昏(くら)く志が惰って日に悪に趣く。
徳に進もうとし禍いを免れ様としても難しいことだ。
双六や囲碁と云うものがあるではないか。
これをしても猶お已めて心を用いないのには賢(まさ)っているのである。


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喪にいる定制を論じて宰我が親を愛する心のないことを責めた

2015-01-26 12:45:29 | Weblog



宰我問、三年之喪、期已久矣。
君子、三年不爲禮、禮必壊。
三年不爲樂、樂必崩、舊穀既沒、新穀既升。鑚燧改火。期可已矣。
子曰、食夫稻、衣夫錦、於女安乎。
曰、安。女安則爲之、夫君子之居喪、食旨不甘、聞樂不樂、居處不安。
故不爲也。今女安則爲之。宰我出。
子曰、予之不仁也、子生三年、然後免於父母之懷。
夫三年之喪、天下之通喪也。
予也有三年之愛於其父母乎。



宰我問う、
「三年の喪は期已に久し。君子三年礼を為さざれば、礼必ず壊れん。
三年楽を為さざれば、楽必ず崩れん。旧穀既に没きて新穀既に升る。
燧を鑽りて火を改む。期にして已むべし。」
子日はく、「夫の稲を食い、夫の錦を衣る。女(なんじ)に於いて安きか。」
日はく、「安し。」
「女安くんば則ち之を為せ。夫れ君子の喪に居る、旨きを食えど甘からず、楽を聞くも楽しからず、
居処安からず。故に為さざるなり。今女安くば則ち之を為せ。」
宰我出ず。
子日はく、「予の不仁なるや、子生まれて三年、然る後に父母の懐を免がる。
夫れ三年の喪は天下の通喪なり。予や其の父母に三年の愛有るか。」

                                            陽貨第十七の二十一


宰我が孔子に問う
「古の礼に、人の子は父母の喪に三年いることになっていますが、
私の考えでは一年にしても長過ぎると思います。
何故かと申しますと、礼楽は君子のしばらくも身を去ることのできないものでありますが、
君子が三年喪にいて礼を行わなければ礼が必ず壊れてしまうでしょう。
三年喪にいて楽を奏さなければ楽が必ず崩れてしなうでしょう。
三年も喪にいることはこの様に人事に妨げがあります。
旧穀が既に尽き新穀が既に登って穀物が変るのも一年であり、
燧(火打ち石)を鑚って火を取り四時の火を改めてしまうのも一年でありますから、
人の子の喪も一年で止めて良いと思います。」

孔子「三年の喪中は粗食を食らい粗衣を衣るのが礼であるが、汝は三年の喪を一年で止めてしまって、
一年経つと直ぐにあの旨い稲を食らい、あの美しい錦を衣ても、汝の心に不安はないか。」

宰我「不安は御座いません。」

孔子「汝はそれで心に不安がないならば、そうするが良い。
君子が親の喪にいる時は、哀しみのあまり、旨い物を食べても甘くなく、
音楽を聞いても楽しくなく、どんな処に居ても心が安んぜず、心に忍びない所があるから、
一年で止めないで三年の喪に服するのである。
今汝は親が死んで一年の後に直ちに稲を食い錦を衣て心に不安を感じないならばそうするが良い。」

宰我が退出すると、孔子は彼が真に安しとしてこれを遂行することを恐れて
「予(宰我の名)は不仁で親を愛する心の薄いことだ。
人の子は生まれて三年経って初めて父母の懐を離れるものであるから、
喪は必ず三年にして僅かに父母の労に報いるのである。
三年の喪と云うものは上は天子より下は一平民に至るまで天下の人の子に通じて行われる喪である。
予も人の子である。嘗て父母から三年の愛を受けたことがあるか。
三年の愛を受ければ、どうしても三年の喪を止めることができよう。」
と曰って宰我にこれを聞かせて反省その本心を得させようとした。


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人に因って教えを施して警戒の意を示した

2015-01-25 06:51:18 | Weblog

孺悲欲見孔子。孔子辭之以疾。將命者出戸。取瑟而歌、使之聞之。


孺悲孔子に見んと欲す。
孔子辞するに疾を以てす。
命を将(おこな)う者、戸を出づ。
瑟(しつ)を取って歌い、之をして之を聞かしむ。

                  陽貨第十七の二十


孺悲が孔子に面会を求めに来た。
孔子は病気だと言って断った。
取次ぎの者が戸口を出ると、
孔子は直ちに瑟を取って弾きこれに和して歌って孺悲にその声が聞こえる様にして、
真に病気でないことを知らせた。蓋し警めて自ら悟らせ様と思ったのである。




日曜日の朝です。
ここ2日ほどは何だか疲れてしまって、けど、それは安心したからと云う疲れ。
心配や不安があれば、そのものを取り除けば良い。
それが一番の解決法であり。
いやいや、如何にも家庭的とか個人的な深い事情ではないのです。
まして日々の大雪での除雪の疲れとも違います。
セコイ話で、歯医者さんに行ったことでした。


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学者は躬行の所から道理を体認すべきことを示した

2015-01-23 19:29:29 | Weblog

子曰、予欲無言。子貢曰、子如不言、則小子何述焉。
子曰、天何言哉、四時行焉。百物生焉。天何言哉。

子曰はく、「予、言う無きを欲す。」
子貢曰はく、「子、如し言わざれば則ち小子何をか述べん。」
子曰はく、「天何をか言うや。四時行なわれ、百物生ず。天何をか言うや。」

                                  陽貨第十七の十九


孔子「私は今後言語を以て教えを施すことは止め様と思う。」

子貢「先生がもし言語を以て教えを施すことをお止めになれば、
吾々弟子たちはどうして先生の教えを伝え述べることができましょう。」
                                          
孔子「天は何か言うか。何も言いはしないではないか。しかし、春夏秋冬の四時は運行して息まず。
鳥獣草木等の百物は発生して已まないのである。天は何か言うか。
私が言語を以て教えを施さなくとも、伝え述べることができるではないか。」



今日はやっと歯医者さんに行きました。
今日も雪だし・・・と言っていたらば毎日雪と云うことになるが、帰って来てからでも除雪やればいいサと思ったのでした。いつ行く?いつ行く?ってこれって気持ちにわだかまりを持ってしまうって事で、
今日は行って良かったと思うから気分すっきり。
来週から、10回ほど通院することになりました。返す返すも歯が痛いと云うのじゃないですが。


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邪の正に勝つことを悪んで人がその防ぎを厳にすることを欲した

2015-01-22 13:27:58 | Weblog



子曰、惡紫之奪朱也。惡鄭聲之亂雅樂也。惡利口之覆邦家。

子曰はく、「紫の朱を奪うを悪(にく)む。鄭声の雅楽を乱るを悪む。利口の邦家を覆すを悪む。」

天下の利に正と邪とがあるが、邪は毎(つね)に正に勝ち易い。
色で謂えば朱は正色で紫は間色であるのに、紫の方が濃艶なので人がこれを喜び、
朱が却って紫の為にその地位を奪われてしまった。
故に紫が朱を奪うのを悪むのである。
楽で謂えば、雅楽は正しく鄭声は邪であるのに、鄭声の方が聴いて面白いので人がこれを喜び、
雅楽が却って鄭声の為に乱されてしまった。故に鄭声が雅楽を乱すのを悪むのである。
理の是の賢愚は本より定論がある。
然るに口先の上手な人が巧みに弁じると是非賢愚を顛倒して人を惑わし、
人主がこれを信ずれば遂に邦家を覆すに至るのである。
故に口先が上手で人の邦家を顛覆する者を悪む。



今日、木曜日。
昨日までは何だかんだと雪のことで色々大変でした。
除雪のことなどを考えてみれば、少し用があっても中々出られはしません。
先ほどのお昼に、屋根の雪を下ろして、やっとこれで一段落です。
だからって、雪が無ければいいナとは思わない。
雪は恵みのあるものってイメージが出来ないだろうか。
私はそんな想いを持っています。


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巧言令色鮮なし仁

2015-01-22 13:20:41 | Weblog

子曰、巧言令色、鮮矣仁。

子曰はく、巧言令色、鮮(すく)なし仁。

                       陽貨第十七の十七、学而第一の三

 

言葉を巧みにし、外貌を飾って人を喜ばせ様とすると、己の本心の徳がなくなってしまうものである。


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古は民三疾あり

2015-01-21 17:33:01 | Weblog

子曰、古者民有三疾。今也或是之亡也。古之狂也肆。今之狂也蕩。古之矜也廉。今之矜也忿戻。古之愚也直。今之愚也詐而已矣。

子曰はく、古は民三疾あり。
今や或いは是れ亡し。古の狂や肆(し)、今の狂や蕩(とう)。
古の矜(きょう)や廉(れん)。今の矜や忿戻(ふんれい)。古の愚や直、今の愚や詐(さ)のみ。

                                              陽貨第十七の十六


古は人に性質の偏した三つの疾があったが、今日ではこれも無くなったのであろう。
古の人に志願太だ高い者がある。これが狂の疾である。
しかしその狂は小節に拘わらないのに過ぎないのであるが、今の狂は放縦で礼法を敗壊するのであって、
古の狂の疾はない。
古の人に己を持ち守ることが太だ厳しい者がある。これが矜の疾である。
しかしその矜は圭角であって荀(いやしく)も犯すことのできないのを示すに過ぎないのであるが、
今の矜は剛悪を逞しくして人と和せず、相争うに至るので古の矜の疾はない。
古の人に心が暗くて道理の明らかでない者がある。これが愚の疾である。
しかしその愚は心に思うことを直に行うのに過ぎないのであるが、
今の愚は私意を挟んで妄りに行い詐欺をするので、古の愚の疾はない。


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鄙夫の状を尽くして君に事える所を慎むべきことを説いた

2015-01-18 15:07:32 | Weblog

子曰、鄙夫可與事君也與哉。其未得之也、患得之。既得之、患失之、苟患失之、無所不至矣。

子曰はく、鄙夫(ひふ)は与(とも)に君に事(つか)うべけんや。
其の未だ之を得ざるや、之を得んことを患(うれ)う。
既に之を得れば之を失なわんことを患う。
苟(いやしく)も之を失なわんことを患うれば至らざる所なし。

                                   陽貨第十七の十五

人臣たる者は必ず身を忘れる誠があって初めて与に君に事えることができる。
鄙夫は庸悪陋劣であるから、どうして同僚として与に君に事えることができようか。
何故かと曰うと、鄙夫は富貴権勢等をまだ得ない時にはどうかしてこれを得ようとして色々と苦心する。
既に富貴権勢を得てしまえば、どうかしてこれを失うまいと苦心する。
苟もこれを失うまいと苦心するならばどんなことでもしないことはなかろう。
小にしては汚辱の行いを辞せず大にしては君父を弑することも敢えてするであろう。
このような者とどうして同僚として与に君に事えることができようか。




日曜日のお昼過ぎです。
昨日からの大荒れのお天気で、どんなに大雪にも慣れているはずが、ちょっと唖然とするくらいになりました。
道路の道幅もすっかりと狭くなり、柔らかな雪がぬかるんで歩くのも大変です。
いつもならお風呂に行ったりするところを、朝から3時間もかかった除雪に主人は草臥れて、
やっとやっと自分たちの食べ物と、猫たちの物を買い物して来ました。
午後3時をまわって、ようやく落ち着いて来たお天気ですが、明日また自分が大変なことになると思ったら、
些か憂鬱な気持ちです。また、歯医者にも行きたいのですが、この雪での道路の渋滞等で、いつ行けるかも不明になっています。毎年のことだけれどもこう云ったお天気だと、先ず予定が立ちにくいものです。


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徳を蓄えることのできない者を戒めた

2015-01-18 14:51:55 | Weblog

子曰、道聽而塗説、徳之棄也。

子曰はく、道に聴いて塗(みち)に説くは徳を之れ棄(す)つるなり。

                             陽貨第十七の十四


天下の善言は皆吾が徳の資である。
故に善言を聞けば必ずこれを心に存しこれを身に体すれば吾の徳となる
もしこれを道で聴いて、直ぐにこれを前途で説くならば終に己の有とならない。
これ自らその徳を棄てるのである。


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徳を害する者を防ぐことを厳重にした

2015-01-17 15:30:33 | Weblog

子曰、郷原徳之賊也。

子曰はく、郷原(きょうげん)は徳の賊なり。

                         陽貨第十七の十三

非俗な郷人の中に在って謹厚だと称せられるけれども士君子からその謹厚を称せられない者は、
忠信に似て忠信でなく、廉潔に似て廉潔でなく、反って真の忠信廉潔を乱す者であって、
徳を害する者である。




今日土曜日は朝から大荒れのお天気となりましたが、午後からは予約してあった美容院に行きました。
いつも美容院に行ったらばサッカーの話ばっかり担当の彼女とはするのですが、
何て云うの、美容院に行ったと云うのもそうだけれど、お喋りをして気分が転換したのが良かったことです。
幾ら好きな事でも、長続きする様に工夫をしていても、ちょっと疲れてしまってることがあります。
でも、この際、さてどうする?って考えるのが好き。
何かね、チャンスが隠されている様に思うのです。


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