神は私たちにふたつの手を与えてくれました。
ひとつは受け取る手、
もうひとつは与える手です ヾ(❀╹◡╹)ノ゙
- B・グレアム (アメリカ南部バブティスト教会牧師) -
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*レーニンの時代に生まれたチェーカー
史上初の社会主義国家であるソビエト連邦は、活動家と民衆らの底知れぬ力に因って生まれた。その力の中心にいたのが、初代ソビエト連邦最高指導者となったウラジミール・レーニンである。彼らは権力を恐れぬ姿勢で革命を成し遂げたが、新しい国家が誕生して活動家たちがその権力者の側にまわると、「また革命が起きたら、今度は我々が殺されるかも知れない」と、身の危険を感じるようになった。そこでレーニンは、「反革命・テロ・サボタージュ取り締まりの為の全ロシア非常委員会(チェーカー)」を創設させた。この機関は政権に楯突く動きを早めに摘み取り、第二の革命が起きるのを未然に防いだ。だがその一方で、富裕層や聖職者、貴族や軍人を何の証拠も無しに「反革命分子」と決め付けて次々と処刑して行ったのだ。粛清の嵐は徐々にエスカレートし、中には外国人に道を教えただけでスパイ扱いされ、処刑される民間人までいた。このチェーカーが、後のKGBの母体となり、現在のFSBにも繋がっている。
*スターリンの大粛清に加担する
レーニンが死亡すると、ヨシフ・スターリンがソ連最高指導者の地位に就いた。するとチェーカーは「内務人民委員部(NKVD)」に統合されたが、その遣り口は昔のまま受け継がれていた。そしてNKVDは、スターリンの意のままに「大粛清」と呼ばれる大規模な政治弾圧を実行した。
大粛清では数十万から数百万もの人々が命を奪われたとされているが、それでもスターリンは「手緩い」としてNKVD長官を解任(後に銃殺)し、次の長官を据えて、更に粛清の規模を拡大したのである。政治家や役人、軍人をことごとく粛清した結果、国家運営に支障が出始めた。すると、スターリンは大粛清の責任をNKVDに押し付け、彼らを逮捕し、ことごとく銃殺刑に処したのだ。こうして粛清を担当したNKVDの関係者はほとんどいなくなり、スターリンだけが権力者としてのうのうと居座り続けたのである。
*KGBとして暗殺などを遂行する
1953年にスターリンが死亡すると、その翌年、ソ連国家保安委員会(KGB)が発足する。KGBの主な役割は、資本主義諸国への諜報活動やスパイ、テロなどの破壊活動対策、ソ連の各組織の防諜や国境警備などで、その任務は多岐に渡った。
そして、KGBではチェーカーやNKVDの流れを受け継ぎ、強引な尋問や残虐な拷問などを秘密裏に行っていた。国家に害を及ぼす者が密かに暗殺されたことも少なくなかったという。
ソ連が崩壊すると、KGBの権限はロシア連邦保安庁(FSB)に受け継がれた。表向きはロシアの防諜や犯罪対策を担う機関だったが、当初の目的であった「次の権力者候補を潰す」という目的と残酷な手段は継承したのである。
*FSB誕生後の変死事件
それを象徴する事件が、2006年に起きた元FSB職員であるアレクサンドル・リトビネンコの変死事件である。
彼は2000年にイギリスへ亡命し、ロシア政府とプーチン政権を批判する活動を行っていた。ところが突然倒れたと思うと、3週間後に死んでしまう。彼の体内から放射性物質のポロニウム210が大量に検出されたことで、何者かによる毒殺が噂された。当然、FSBにも疑いの目が向けられたが、FSBはそれを頑なに否定し、事件に関与していないことを主張し続けている。
*画像
ロシアの原子力潜水艦沈没事故に関する会見で興奮する遺族に鎮痛剤を注射する女性
この女性はKGB職員だったのではないかと言われている
ロシア大統領のウラジミール・プーチンもかつてKGBに所属していたことがある
本当に恐ろしい地下組織
国が率いる秘密の組織
その曖昧さと同居している自分が、的確な判断を下せるわけがない。
困難と格闘すれば、その困難に勝とうが負けようが、心身の力を精一杯奮ったことで、目的や対象との距離が明らかになり、自分の能力の限界を描き出せる。
知恵とはその次に生ずるもので、つまり知恵のある人とは、無限の能力を誇る人のことではなく、有限の能力を見極めた人のことではないのか。
宮城谷昌光「奇貨居くべし 春風篇」
*難民を中心に結成された強盗団
近年、ヨーロッパでは宝石類の盗難事件が相次いでいる。2013年7月、フランスのカンヌにある高級ホテルで、133億円相当の宝石や腕時計が盗まれる事件が起きた。
フランスのメディアによると、スカーフで顔を覆った犯人はホテルで開かれていた宝石展に白昼堂々押し入り、自動小銃で警備員などを脅した。そしてスーツケースに宝石や時計を入れて、僅か数分でその場から立ち去ったという。このほかにもカンヌでは、5月にスイスの宝石商が、やはり高級ホテルで2億6000万円相当の宝石を盗まれている。あまりに鮮やかな犯行手口から、事件後、安全対策の専門家は「犯人はピンク・パンサーではないか」とアメリカのNBCニュースで語っている。
このピンク・パンサーとは、旧ユーゴスラビア南部の難民たちを中心に結成された国際宝石窃盗団で、200人ほどのメンバーがいるという。被害はヨーロッパだけでなくアメリカや中東など28か国に及び、その被害総額は350億円を越えて史上最悪の窃盗団とも呼ばれている。
ちなみにピンク・パンサーという名前は、犯行の手口が映画『ピンク・パンサー』のワンシーンと似ていたことから、国際刑事警察機構(ICPO)の捜査員がつけたものである。
*数分で行われた強盗事件
ピンク・パンサーの犯行は、実に巧妙な手口で行われる。
2009年8月、イギリス・ロンドンの高級宝石店で、4000万ポンド(約63億円)の宝石類がピンク・パンサーのメンバー2人によって盗まれる事件が起きた。これはイギリス犯罪史上、最悪の被害額であった。
夕方、客を装って入店した2人組はピストルで店員を脅した後、僅か2分で宝石類を強奪する。そして近くに停めてあったBMWに乗り込んでアッという間に逃走し、その後シルバーのメルセデスに乗り換えて逃げて行ったという。このイギリス史上最悪の強盗事件は、いとも簡単に実行されたのである。
ちなみに事件があった宝石店は、モデルのナオミ・キャンベルや元サッカー選手のデヴィッド・ベッカムも利用する超有名店だったという。
*仲間の脱獄を手助けする
各国の警察も手を拱いているわけではなく、これまでに数十人のメンバーを拘束してきた。ところが、彼らは組織や盗んだ宝石類の行方に関してはいっさい口を開こうとしない。その為、これだけ被害が拡大しているにも係らず、ピンク・パンサーの組織の実体は未だ掴めないままなのだ。しかもピンク・パンサーのメンバーは、警察に捕まった仲間を助けることでも知られている。2013年7月には、メンバー2人がスイスの刑務所を脱獄する事件も発生した。この時も協力者2人が刑務所の壁を突破し、発砲しながら脱獄の手助けをしている。脱獄囚の1人は8月にフランス南部で逮捕されたが、もう1人は依然逃亡中である。
そして、この脅威は日本にも及んでいる。2004年3月、銀座の高級宝石店を2人のメンバーが襲撃し、総額約35億円の宝石を盗む事件が起きた。3年後にも、やはり銀座の宝石店で2億8400万円相当のティアラ・ネックレスが盗まれている。容疑者の1人はキプロスから出国しようとしたところを拘束され、その身柄は日本へ引き渡された。
組織の実体が掴めないだけに、ピンク・パンサーによる被害は今後も出続けるとされているのだ。
*画像
2004年、襲われた銀座の宝石店を捜査する捜査員たち
ピンク・パンサーのメンバーが脱獄したスイスのボワ・メルメ刑務所
本当に恐ろしい地下組織
力で人を制圧する反社会集団
ポインセチア(Christmas flower) Euphorbia pulcherrima
be of good cheer(元気を出しなさい)
◆ソローの森での引きこもり生活
森の中で自然の鼓動と宇宙のリズムに調和させながら、
徹底的に自分自身を見つめ抜いたアメリカの思想家、H・ソロー。
ハーバード大学を卒業し、その後就いた教職を辞め、書いた詩は認められず、
挫折の連続。今で言うニートだった28歳の時、人生の価値を見出そうと、森の生活を始めます。
湖畔に自ら小屋を建て、最低限のものを揃え、豆やジャガイモを育て、朝早く起きてパンを焼くという自給自足の生活でした。その約2年間の魂の軌跡を綴ったのが、「森の生活」です。
19世紀半ば、経済が急成長する都会を敢えて離れ、森の生活をする。
勤めるだけが人生じゃない。こんな生き方もいいかも知れません。
平成25(2013)年、京都・高山寺に伝わる国宝『鳥獣戯画』(正式名「鳥獣人物戯画」)の4年に渡る大規模修理が終了した。その結果、全4巻のうちの甲巻が元は2巻からなっていたことや、甲巻の中盤と後半の絵の順序が入れ替わっていたことなどが新たに判明した。
しかし、どんなストーリーなのか、また、いつ、誰が何の為に描いたのかも依然として不明であり、鳥獣戯画は謎を秘めたままの絵巻物なのだ。
日本史最後の謎
コラム まだまだあるナゾ
*グーグルへの攻撃を共産党幹部が指示
中国にとって、あらゆる分野で世界第1位を誇るアメリカの動向は無視できないものとなっている。
表面上は「協調」を装っているが、その裏では激しいサイバー戦争を繰り広げている。2010年、民間の内部告発サイト「ウィキリークス」が公開したアメリカ外交公電には、中国のサイバー攻撃についてこのように記されている。「中国が西側諸国の政府や企業のサイトにハッカー攻撃を仕掛け始めたのは2002年頃からで、2009年には大手検索サイト「グーグル」に対するサイバー攻撃が、中国共産党幹部の2人の指示で行われた」この翌年にはグーグルが中国事業から撤退しているが、一連のサイバー攻撃が原因だったことを仄めかしている。
中国政府は都合の悪い情報が流れると、それを公開させない「検閲」のシステムを作動させているが、これもグーグルが中国から撤退する一因となった。
中国には約3万人ものインターネットポリスがいるとされており。企業から個人まで、様々なサイトを監視している。そして政府に批判的な内容の書き込みがあれば、数分のうちに消去し、場合によってはサイトそのものを閉鎖させているのだ。インターネットの利用者数が世界一多い国でありながら、当局によって厳しく規制されているのが中国ネット社会の実情なのだ。
*人民解放軍内にあるサイバー部隊
そして、中国人民解放軍ではサイバー部隊・ネット藍軍も創設されている。2011年、中国国防部の報道官が定例記者会見でその存在を明らかにしており、表向きには「サイバー攻撃への対応と予防の為に創設した」として、ハッカー部隊ではないことを強調している。疑いの目を向ける各国に対し、中国側は「国際社会は行き過ぎた解釈をすべきではない」と主張しているが、中国から何度もサイバー攻撃に遭っているアメリカはネット藍軍を警戒している。
*新聞6000年分のデータを盗む
アメリカの民間セキュリティ顧問は、ネット藍軍について「規模はハッカー5万人、サイバー部隊員250人ほど」と分析する。またセキュリティー会社・マンディアント社の報告書には、「中国人民解放軍は世界141ヶ国の政府機関や企業にサイバー攻撃を仕掛け、新聞で6000年分以上に相当する膨大な情報を盗んだ」とある。そしてアメリカ国防省も、2013年の年次報告書に於いて「中国は、アメリカ政府のコンピューターから機密情報を探し出そうとしている」と明確に記している。このように、アメリカが中国側の言い分を信じていないのは明らかなのだ。
*攻撃を受ける日本の防衛・宇宙分野
ちなみに、日本でも政府系機関や企業へのサイバー攻撃は、警察庁が分かっているだけでも年間1000件以上に上る。
だがこれはあくまでも氷山の一角に過ぎず、実際はもっと多くのサイバー攻撃を受けているはずだ。専門家がウイルス付きのメール114通を解析したところ、その6割強は中国語で作られた痕跡があった。日本側のサイトで狙われ易いのは防衛や宇宙産業の分野で、更に大企業のサイトもターゲットになっている。日本側の対応も杜撰なところがあり、ウイルスが侵入してから1年近く気づかなかったというケースもある。
日中関係が悪化している今、更に被害者が拡大して行くことが予想される。日本も情報流出阻止に対し、真剣に取り組まなければ為らないだろう。
*画像
ウィキリークスによると、中国によるgoogle攻撃の総指揮をとったのはこの周永康(右)だと言う。左はアメリカ沿岸警備隊の司令官だったサド・アレン
米空軍のサイバー部隊 アメリカ側は中国の発表を信じず、攻撃を受けた場合の対処法などを整えている
本当に恐ろしい地下組織
国が率いる秘密の組織
朝回日日典春衣
毎日江頭尽酔帰
酒債尋常行処有
人生七十古来稀
穿花蛺蝶深深見
点水蜻點款款飛
点水蜻蜓款款飛
伝語風光共流転
暫時相賞莫相違
朝より回りて日々に春衣を典し、
毎日江頭に酔いを尽くして帰る、
酒債尋常行く処に有り、
人生七十古来稀なり。
花を穿つ蛺蝶深深として見え、
水に点ずる蜻點款款として飛ぶ、
伝語す風光共に流転す、
暫時相賞して相違う莫れと。
- 杜甫 (曲江) -
七十歳になると「古希」のお祝いをする慣習があるのは、この詩より由来している。
物事には表があれば裏もある。それは人々にも通じる真理である。敬虔なカトリックの教えを守る信仰生活に心の平安を見出す人がいれば、厳格な教えに反発し、怪しげな世界に入り浸って行く人もいる。
「20世紀に於ける最悪の魔術師」「悪魔」と言われているアーリスター・クローリーは、差し詰め後者に属すると云って異論がないはずだ。黒魔術を操り、裏の世界で強大な勢力を築いた人物として歴史に名をとどめている。
クローリーは1875年にイギリスで生まれた。幼い頃からキリスト教に反発していたクローリーは、16歳の頃、黒魔術団「黄金の夜明け」に入団する。やがてメキメキと頭角を表し、グループの中の最高地位にまで昇進するものの、秘儀の公開を巡って首領と対立。グループを飛び出し、1905年には「銀の星」と云う黒魔術結社を組織した。
魔術師としての才能に恵まれていたのだろう。「銀の星」はクローリーを信奉する男女で溢れる様になって行く。
厚い信奉を得たのは、クローリーが披露した黒魔術の鮮やかさにあったことは疑いの無いところである。彼は鏡に映った自分の姿を消す術や、後ろから呪文をかけ、前を歩いている人々を金縛り状態にしてしまう術を披露した。また、医学の世界の悪魔ブエルを呼び出して治療にあたらせると言い、重い病に悩む友人を治癒してしまう。「私は必要に応じて悪魔と交信できる」と公言して憚らなかったクローリーだが、その言葉は友人の回復によって、益々真実味を帯びる様になった。
1902年、クローリーは団員500名を従え、イタリア・シチリア島の別荘を買い取り、「テレマ僧院」と命名する。ここで思いつく限りの怪しげな黒魔術を実践して行ったのだ。
幼児を生け贄にした黒ミサの開催、乱交・輪姦の宴、ヘロインやコカインの投与.......、「悪の為の悪」を標榜したクローリーは、自らの魔術を「マギック」と称し、魔術の実験の為なら何をしようと、いつ開始しようと、団員が逆らうことなどできない様に洗脳していた。全員が麻薬中毒になるほど、ヘロインやコカインを投与されていたこともあるが、悪魔の餌食として自分の身を捧げることを命令されても断わる者などいなかった。本当に恐ろしい世界が展開されていたのだ。
クローリーにとってはハーレムの様な生活だった「テレマ僧院」での毎日に終止符が打たれる切欠となったのは、魔術の実験で命を落とした青年の妻が、新聞のインタビューに応じ、僧院内部での出来事を暴露したことだ。新聞発売後、日に日にクローリーに対する社会の批判は高まって行った。やがて、時のイタリア政権をリードしていた宰相ムッソリーニも、批判の声を無視できなくなり、1923年にクローリーにイタリア国外への退去処分を決定する。「テレマ僧院」とクローリー自身の命運は尽きたのである。
クローリーの晩年は寂しいもので、生活費にも困り果てる有り様だった。怪しげな薬を万能薬と称して売りつけたりしながら毎日を凌ぎ、1947年に死の床に就いた。彼の死もまた、麻薬中毒が原因だったと言う。悪魔に身を捧げたクローリーの人生は、あまりにも鮮烈であった為、人々に強烈な印象を残すこととなった。小説家サマーセット・モームは、クローリーを題材に『魔術団』と云う小説を発表している。
また、悪魔主義を肯定する人々にとっては、クローリーの一生は賛美すべきものにしか映らない。クローリー信者は今も世界各地に50万人は存在していると言われ、彼の呪われた黒魔術は、世間の目に触れないところで受け継がれているのである。(画像・アーリスター・クローリー)
呪い あなたの知らない不気味な世界
-その不思議な能力は神か悪魔かー
人々を操る怪しい呪術師
偶たまたま松樹の下に来たり
枕を高くして石頭に眠る
山中暦日無し
寒尽くるも年を知らず。
- 『唐詩選』 太上隠者「人に答うる」 -
太上隠者、太上とは最高という意味で、素晴らしい隠者(世捨人)という意味。
暦日とはこよみの事、枕を高くとは安眠熟睡すること。
太上隠者は、偶然この清閑な山中の松の樹の下に庵を結び、夜は大石の上で枕を高くしてグッスリ眠り、思えばこの山中に入って幾年になるだろうか。今年もまた寒がつき、春めいて来たようだが、今年が何年だか一向に分からないというのです。
世の煩わしさを避けて暮らすと、月日の経つのも忘れがちであるとして、解放された心境を述べたもの。
「貧交行」
手を翻せば雲となり、手を覆せば 雨となる。
紛紛たる輕薄なんぞ數うるを もちいん。
君見ずや管鮑貧時の交はりを、
この道、今人棄てて土の如し。
- 杜甫 -
まるで機嫌買いの様に天候の変わりやすい様を、
手のちょっとした動作に比較したものであるが、
同時に斉の管仲が偉くなったのも鮑叔との貧しかった頃の友情を忘れなかったことを讃えて、
今人の情の軽薄さを慨嘆したもの。
天地ほど正しく全き師あらんや。
ただ天地を師とせよ。
天地何かを好み何をか嫌う。
ただ万物を入れてよく万物になずまず、
山川、江河、大地、...
何ものも形をあらわして
しかも載せずということなし。
- 山鹿素行 (江戸時代の兵学者) -
※自然(天地)ほど法則と一致しているものの他にないことを言ったもの。
漠然と限りないようでありながら、而も渾然として欠けたところがなく、茫々として意がないようでありながら、汲んでも汲んでも尽きない無限の味わいがある。
雷神の妹神が久しぶりにアイヌの里へ降りた時のことじゃ。
「どうしたのかしら?みんな元気がない。」
里人たちは、「今年はこの里には神が獲物を下さらん。
お祈りしても聞いてもらえない。神様はこの里を見捨てるおつもりなのだ。」と思い込んでおった。
妹神は急いで天上の館に戻って、兄の雷神が大事にしている柳の葉をすっかり摘んでしもうた。
そして、また里に降りると、柳の葉一枚一枚に息を吹きかけ川に流したそうな。
すると、柳の葉は小さな魚となって泳ぎ出したんじゃ。
妹神は嬉しそうに柳葉魚の泳ぐのを覗いていると、天が俄かに暗くなり、恐ろしい声が轟いたそうな。
「誰だ!わしの大事な柳をこんなにしたのは!」
妹神が摘んでしまったと知った雷神は、足を踏み鳴らして里に降りて来たんじゃ。
里の人たちがハラハラ見守る中で、妹神が一生懸命に話しても雷神の怒りは治まりそうにはなかったそうな。
妹神はとうとう泣きだして涙がハラハラと川に落ちたと。
すると妹神の涙を慕う様にたくさんの柳葉魚たちが寄って来たそうな。「見ろ!、海や川の神に相談なしに勝手なことをするから、どっちへ泳いで良いものかも分らずマゴマゴしているじゃないか。」
恐い顔をしたままの雷神じゃったが、「お前のすることはこんな事だ。わしが海の神に話して来てやる。」
言い終わらぬ間に雷神の姿はもう彼方に消えておった。
何日かすると、アイヌの川にはまた前の様に明るい声が弾んでおった。
この里のことを忘れておった神々が、お詫びにたくさんの獲物を降ろされたからじゃそうな。
妹神は今日も楽しそうなアイヌの里に降りて、里人たちに、
「柳葉魚はね、海の神様と川の神様と両方が面倒を見て下さることになったのよ。だから、これから毎年秋になるとこの川を上って来るのよ。」
こうしてアイヌの里の川には毎年たくさんの魚が海から上って来る様になったという話じゃ。