限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

智嚢聚銘:(第53回目)『中国四千年の策略大全(その53 )』

2024-04-07 08:27:17 | 日記
前回

日本では、武士魂の象徴といえば、刀が挙がるが、実際の戦争での活躍度合いは、残念ながら、弓にかなり劣る。つまり、戦場での勝負には剣術の達人よりも、弓矢の達人の方が勝つ率の方が圧倒的に高い。剣術の腕前より、弓矢の腕前が優れていたことで名高い武将といえば、徳川家康が挙がる。家康は、弓の腕前で有名で「海道一の弓取り」とも呼ばれていた。江戸時代でもそうだったが、遡って源平合戦の頃の源為朝は日本一の弓の達人だとして、「無双の弓矢の達者」(鎮西八郎者、吾朝無双弓矢達者也。)と称された。

弓は刀と違って、自分が傷付かずに相手を倒すことも可能であるが、いかんせん、矢が尽きると全く無力となってしまう。矢は無尽蔵にあるわけではないし、無くなったら即座に調達できるわけもない。戦場で、矢をどのように集めるかは知恵の見せ所だ。

矢を敵から調達するという離れ業を演じた話が残っている。時は、唐の土台を揺るがした天下の大乱である安史の乱の頃、唐の官僚であった令狐潮は安禄山に降伏し、旧知で、唐の武将である張巡が立て籠もる睢陽を攻めた。

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 馮夢龍『智嚢』【巻23 / 853 / 張巡畢再遇某督軍】(私訳・原文)

長期間の籠城で睢陽城の中の矢が無くなってしまった。それで、張巡はわら人形を作り、それに黒い衣を着せて、夜中に城壁から縄で吊るして下ろした、包囲していた敵兵はそのわら人形をめがけて一斉に矢を射かけてきたので、たちどころに矢が数十万本あつまった。その後、何度か同じようにわら人形を下ろしたが、敵兵は笑って見過ごした。そうして敵が油断した頃に、500人の決死隊をわら人形と同じような恰好をさせて縄で下した。決死隊は敵陣に殴り込み、火を放ち、数キロメートルも敵を追いかけた。

令狐潮囲睢陽、城中矢尽。張巡縛藁為人、披黒衣、夜縋城下。潮兵争射之、得箭数十万。其後復夜縋人、賊笑不設備。乃以死士五百斲潮営、焚塁幕、追奔十余里。
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これによく似た話は、日本でも人気の『三国志演義』(第46回)にも登場する。三国志演義でも最大のハイライトシーンともいえる赤壁の戦いの場面で、呉の周瑜が諸葛孔明に矢を10万本調達するように命じた。諸葛孔明は動ずることなく、3日の内に集めましょうと確約した。だれもが、わずか3日で10万本の矢など集められるわけなどないと訝っていたが、孔明はわら人形を使って矢を集めた。原文は以下の通り。

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 『三国志演義』【第46回】(私訳・原文)

孔明が周瑜に言うには「貴卿は黙ってみて入れ下さればよい。十万本の矢はいつ必要でしょう?」周瑜は「十日以内が望ましいが、出来るか、出来ないか?」孔明はからからと笑い、「曹操の軍隊は明日にも来ようかというのに、十日も掛かれば大変なことになりましょう。」周瑜はむっとして、「それでは、先生は何日で揃えられるというのですか?」孔明はきっぱりと「三日で十万本を揃えてみせましょう」周瑜は驚いて「軍中では戯言(ざれごと、冗談)は無ですよ!」孔明は落ち着いて「どうして貴卿にでまかせをいうでしょうか。軍命を出して下さい。3日でできなければ、甘んじて重罰をお受けいたします。」

孔明曰:「都督見委、自当効労。敢問十万枝箭、何時要用?」瑜曰:「十日之內、可辦完否?」孔明曰:「操軍即日将至、若候十日、必誤大事。」瑜曰:「先生料幾日可辦完?」孔明曰:「只消三日、便可拝納十万枝箭。」瑜曰:「軍中無戯言。」孔明曰:「怎敢戯都督!願納軍令狀:三日不辦、甘当重罰。
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どうだろう、この『三国志演義』の文章はところどころに、正統な漢文には登場しないような言葉遣い(只、怎)は見えるとはいうものの、ほぼ漢文の文法通りに読めるのではないだろうか?中国は国土が広く、方言も数多くあるので、口語では通じにくいが文章語であれば、全国共通に通じる。それで、明代においてすら、この『三国志演義』のように、ほぼ伝統的な漢文的文章が使われていたということが分かる。

ところで、フィクションではなく、正史である『三国志』にはこの場面に関しては、「孫権が船の片面に矢を多く受けすぎたのでひっくり返し、両側の側板に矢を集めて、堂々と帰還した」との記述が見える(重將覆、權因迴船、復以一面受箭、箭均船平、乃還)。

このようにして矢10万本を集めたという、なんとも余裕綽々たる話ではないか!

続く。。。
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