限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

智嚢聚銘:(第43回目)『中国四千年の策略大全(その 43)』

2023-11-19 09:15:26 | 日記
前回

将棋の藤井聡太さんの活躍は将棋界だけに止まらず、一般社会でも非常な関心をよんでいる。藤井さんだけでなく、同門(杉本昌隆八段門下)の人たちも関心が向けられている。同門の伊藤蓮矢さんは一時期、奨励会に在籍したが棋士の道は諦め、大学受験を目指し東大に合格したという。文春オンラインに伊藤さんが所属していた東大将棋部にまつわる話が『東大将棋部物語』として載されていた。そこに大学対抗の熾烈な団体戦に勝つための策略の一端が紹介されている。

将棋部の大学対抗試合では選手をどの順番で出すかはトップシークレットだ。団体戦に勝つには個々の選手の棋力だけでなく、相手選手と組み合わせる順番も重要だということだ。選手5人同士の戦いで、仮に両者とも全く同じ棋力の選手を揃えているとしよう。完全に拮抗しているなら、勝負はまさに時の運次第ということになるが、順番を少し替えることで必ず勝利できるようにすることができる秘策があるという。その方策とは、主将同士はそのままで、最も弱い選手を2番手にもってきて、2位以下をひとつづつ下にずらすのである。そうすると、2番目の選手は必ず負けるが3、4、5位は相手より強いので、たとえ主将が負けても、3勝できるため、チームは勝てる。

もっとも、この方法は東大将棋部が新たに考えついたのではなく、昔から存在しているというのが今回の話だ。
【出典】東大将棋部の話

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 馮夢龍『智嚢』【巻22 / 792 / 孫臏】(私訳・原文)

孫臏が斉の田忌の食客となった。田忌が斉の公子と競馬をするときに、田忌の下等の馬を相手の上等の馬に、上等を中等に、中等を下等にそれぞれ対抗させて、田忌に5000金(50億円)という莫大な賞金をもたらした。

孫子同斉使之斉、客田忌所。忌数与斉諸公子逐射、孫子見其馬足不甚相遠、馬有上、中、下、乃謂忌曰:「君第重射、臣能令君勝。」忌然之、与王及諸公子逐射千金。及臨質、孫子曰:「今以君之下駟与彼上駟、取君上駟与彼中駟、取君中駟与彼下駟。」既馳三輩畢、而田忌一不勝而再勝、卒得五千金。
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この話は『史記』巻・65《孫子呉起列伝》に掲載されているので、知っている人も多いことだろう。孫臏のやり方は、一番手は必ず負けるにしても、二番手、三番手は必ず勝てるので、チームとしては勝てるということだ。孫臏は戦争だけでなく、人生設計の全てが計算づくめで遂行していたのだろう。それにしても、龐涓の計略にかかって、足を斬られたのは一生の不覚というしかない。



唐の太宗は古来、名君の筆頭に挙げられている人物であるが、実際の戦闘においても非常に果敢な活躍をしている。いわば、文武両道である。

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 馮夢龍『智嚢』【巻22 / 792 / 孫臏】(私訳・原文)

唐の太宗(李世民)がかつて自分の戦術について次のように語った。「わしは若いころからあちこちで戦争を経験したので、兵の使い方については非常によく知っている。敵陣を見る時は、いつもどの部分が強くて、どの部分が弱いかを見るようにしている。そして、我が軍の弱い部隊を敵軍の一番強い部隊に当て、逆に我が軍の最強部隊を敵の弱い部隊に当てる。そうすると、敵に数百歩突撃すれば、蹴散らすことができる。そうして、敵兵が逃げ出すのを追いかけて、敵陣の最後方まで突き抜けてから後ろから的陣を攻撃して、負けたことがなかった。」

唐太宗嘗言:「自少経略四方、頗知用兵之要、毎観敵陣、則知其強弱。常以吾弱当其強、強当其弱。彼乗吾弱、奔逐不過数百歩;吾乗其弱、必出其陣後、反而撃之、無不潰敗。」蓋用孫子之術也。
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太宗のやりかたは全く孫臏のやり方と同じだ。戦略家の常識として兵法の古典書を暗記するぐらいに読んでこの方法も熟知していたと想像される。

それにしても幾度となく、自らが先頭にたって敵陣に突進し、相手陣地を突き抜けていくにも拘わらず、大怪我をしていない。西洋では、アレクサンドロス大王も同じように常に先頭に立って敵陣に切り込んでいたが、これまた、大怪我をしていない。幸運が付きまとう運命にあったとしかいいようのない二人だ。

続く。。。
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