(前回)
〇「儒教」(『教養を極める読書術』P.74)
儒教に関しては世間には数多くの本がある。私もかなり多くの本を読んだが、概して日本人の儒教理解が極めて歪んでいると感じる。例えば次のようなことが、一般的に信じられている。
1.儒教の創始者である孔子は「仁」(人に対するおもいやり)が一番重要だと言った。
2.教養主義を唱える儒教は「人格を磨け」と教えた。
3.江戸時代以降、現代に至るまで儒教的な教えは人々の心に生きている。
4.儒教の本場の中国だけでなく、韓国、シンガポール、台湾、香港などの発展は儒教的精神の賜物だ。
これらの誤解が生じた原因を探るに、日本にはいまだかつて「生(なま)の儒教」が入ってきたことがないことが根本的な原因だと考える。
「生の儒教」とは何か?
それは、中国人の生活態度、行動様式そのものにみられる儒教的要素のことだ。このような抽象的な説明では分かり難いであろうから、江戸時代のフランス語の受容を例に説明しよう。
ご存じのように江戸時代にはオランダ人(+ヨーロッパ人)が長崎の出島に滞在し、日本人の阿蘭陀通詞が通訳をしていた。彼等は当初、書物を持つことも禁じられていたので、オランダ人との会話を通じてオランダ語を習った。生身の人間から習ったおかげで、正確な発音を修得することができた。その後、1740年ごろになって、徳川吉宗がオランダ語の洋書の輸入を緩和した上に、青木昆陽と野呂元丈にオランダ語の修得を命じたことで蘭学が盛んになった。ただ、それはオランダ語という言語を通じてヨーロッパの事を学んでいたに過ぎず、他のヨーロッパ言語に関しては、阿蘭陀通詞が出島のオランダ人からほそぼそと学んでいたに過ぎない。それでも、何人かの通詞はフランス語を努力して学び、簡単な和仏辞書を作ることまでできたが、写本のままで出版にまでは至らなかった。
このような状態の中、いわば独学でフランス語を修得し、日本で最初の刊本の仏和辞典を作った人がいた。村上英俊(1811年 - 1890年)と言い、初めは宇田川榕菴に蘭学を学び、継いで佐久間象山の門下生となった。象山は国防の重要性を認識し、砲術の研究を進める一環として、スウェーデン人化学者のベルセリウスの『化学提要』を、松代藩に掛け合って購入した。暫くして届いた本は、オランダ語ではなく、フランス語で書かれていた。一文たりとも理解できない本を見て、二人がおおいに落胆したのはいうまでもない。現代なら、配送ミスでキャンセルして、取り替えてもらうか、改めて、オランダ語訳の本を注文するであろうが、当時はそういう便利な制度がない。そのうえ、この本は、 150両という大変高価なものであった。「10両盗めば首が飛ぶ」と言われた、江戸時代の1両は、現在価格にすると20万円程度であるから、一冊何と3000万円もするのだ!
このような状況で、オランダ語の知識しかない英俊は独力でフランス語の学習を始めた。非常な苦労の末、 1年半後の1849年暮れになってようやく『化学提要』を読み始めることができたという。当然のことながら、彼のフランス語の知識や発音はすべて本から学んだものである。つまり「生(なま)のフランス語」には接する機会が絶無であったので、その結果、もしすこしでも生のフランス人と接触があれば避けられたであろう間違いが数多くみられる。たとえば、フランス語の単語につけた発音を見てみよう。
村上英俊のフランス語発音
本場のフランス人の発音を聞くことなく、本からの知識とオランダ語からの類推で覚えたフランス語だと言える。確かに英俊の発音には問題はあるものの、フランス語自体の理解はかなりのレベルに達していたと言える。最終的に英俊は1864年に日本初の、収録語数が3.5万語もある本格的な仏和辞典の『仏語明要』を刊行した。現代に比べて辞書や情報が圧倒的に欠けている中、誰の助けも借りずに、短期間の内にフランス語の原書を読めるようにまで至った英俊の努力には頭の下がる思いはする。ただ、言語や哲学・宗教のように、異国の文化を知ろうとした時に「生の人間」との接触がないということは如何に根本的な点で誤解を生じるかということが痛いほどよくわかる例である。ちなみに、英俊の作ったこの辞書はフランスに滞在したこともある渋沢栄一も所蔵していた。
フランス語辞書:仏語明要
さて、話を元に戻すと、英俊の例と同じく、歴史的観点から言えば儒教も日本には書物の形態でしか伝えられなかった。日本人は「生の中国人」の生活実態を知らず、本の記述からしか儒教を理解するしかなかったので、とんちんかんな間違いを犯した。「生の中国人」にとって一番重要なのが「孝」、つまり先祖崇拝が大切である。「仁」はいうまでもなく、封建時代の日本で最も重要視された「忠」など、「孝」の重要さに比較すると全く影が薄い。この点を理解できていない日本人は儒教の根幹部分を全く理解できていないということだ。
「孝」を重要視するのは、とりもなおさず身内の一族を極端に重要視することにつながる。その意味で「仁」は身内への「仁」が優先されるということである。伊藤仁斎や渋沢栄一を初め、多くの日本人は「仁」を西洋流の humanity の意味と理解し、世の中全ての人にたいする優しさを「仁」の概念と考えたが、残念ながらそれは極めて「美しき誤解」であった。
日本人の儒教に関するもう一つの大きな誤解は、儒教は人格を磨くことを勧めるということだが、これはあくまでも生活に余裕のある士大夫、いわゆる有閑クラスの人間を対象にした言葉である、という点を日本人は見落としている。というのは、日本には有史以来、中国で見られたような極端な身分格差が存在しなかったので「士庶の別」という儒教の根本概念の一つがすっぽりと抜け落ちている。「士庶の別」とは、士(有閑クラス)と庶(労働者)は同じ道徳律を「適用できない」「適用しない」、ということだ。このことを冷酷なほど明確に表現しているのが、儒教の経典の一つ《礼記》にある「礼不下庶人、刑不上大夫」(礼は庶人に下らず、刑は士大夫に上らず)の文句である。ここでの重要コンセプトは「礼」だ。孔子は春秋時代の乱れた社会秩序を正しく取り戻すには周王朝の厳格な「礼」の復活が何よりも重要だと考えていた。この最重要コンセプトである「礼」は庶民は関わる必要がないと突き放している。文字も読めない庶民などは、礼の規則を読むことが出来ないので、犬猫や牛馬並みだと言っているのだ。
以上の点は、実際の中国人の生活の中で見られる彼らの立ち振る舞いを見れば、数ヶ月も経たないうちに分かったはずだが、残念ながら、いくらすばらしく高度な漢文読解力があった江戸の儒学者たちも全く理解できずにいた。いわば、本場のインドカレーを食べた人なら日本のとろっとしたカレーが全く別物だと考えるように、美しき誤解に基づいて日本に定着した「儒教的な概念」はもはや儒教とは別物と考えるべきだと私は考える。日本人にとって必要なのは、本場中国の「生の儒教」の道徳律ではなく、日本人が縄文時代、あるいはもっと古くから持っていた humanity 溢れる日本的道徳律である。
【参考文献】
『フランス語事始 村上英俊とその時代』( NHKブックス)富田仁
(続く。。。)
〇「儒教」(『教養を極める読書術』P.74)
儒教に関しては世間には数多くの本がある。私もかなり多くの本を読んだが、概して日本人の儒教理解が極めて歪んでいると感じる。例えば次のようなことが、一般的に信じられている。
1.儒教の創始者である孔子は「仁」(人に対するおもいやり)が一番重要だと言った。
2.教養主義を唱える儒教は「人格を磨け」と教えた。
3.江戸時代以降、現代に至るまで儒教的な教えは人々の心に生きている。
4.儒教の本場の中国だけでなく、韓国、シンガポール、台湾、香港などの発展は儒教的精神の賜物だ。
これらの誤解が生じた原因を探るに、日本にはいまだかつて「生(なま)の儒教」が入ってきたことがないことが根本的な原因だと考える。
「生の儒教」とは何か?
それは、中国人の生活態度、行動様式そのものにみられる儒教的要素のことだ。このような抽象的な説明では分かり難いであろうから、江戸時代のフランス語の受容を例に説明しよう。
ご存じのように江戸時代にはオランダ人(+ヨーロッパ人)が長崎の出島に滞在し、日本人の阿蘭陀通詞が通訳をしていた。彼等は当初、書物を持つことも禁じられていたので、オランダ人との会話を通じてオランダ語を習った。生身の人間から習ったおかげで、正確な発音を修得することができた。その後、1740年ごろになって、徳川吉宗がオランダ語の洋書の輸入を緩和した上に、青木昆陽と野呂元丈にオランダ語の修得を命じたことで蘭学が盛んになった。ただ、それはオランダ語という言語を通じてヨーロッパの事を学んでいたに過ぎず、他のヨーロッパ言語に関しては、阿蘭陀通詞が出島のオランダ人からほそぼそと学んでいたに過ぎない。それでも、何人かの通詞はフランス語を努力して学び、簡単な和仏辞書を作ることまでできたが、写本のままで出版にまでは至らなかった。
このような状態の中、いわば独学でフランス語を修得し、日本で最初の刊本の仏和辞典を作った人がいた。村上英俊(1811年 - 1890年)と言い、初めは宇田川榕菴に蘭学を学び、継いで佐久間象山の門下生となった。象山は国防の重要性を認識し、砲術の研究を進める一環として、スウェーデン人化学者のベルセリウスの『化学提要』を、松代藩に掛け合って購入した。暫くして届いた本は、オランダ語ではなく、フランス語で書かれていた。一文たりとも理解できない本を見て、二人がおおいに落胆したのはいうまでもない。現代なら、配送ミスでキャンセルして、取り替えてもらうか、改めて、オランダ語訳の本を注文するであろうが、当時はそういう便利な制度がない。そのうえ、この本は、 150両という大変高価なものであった。「10両盗めば首が飛ぶ」と言われた、江戸時代の1両は、現在価格にすると20万円程度であるから、一冊何と3000万円もするのだ!
このような状況で、オランダ語の知識しかない英俊は独力でフランス語の学習を始めた。非常な苦労の末、 1年半後の1849年暮れになってようやく『化学提要』を読み始めることができたという。当然のことながら、彼のフランス語の知識や発音はすべて本から学んだものである。つまり「生(なま)のフランス語」には接する機会が絶無であったので、その結果、もしすこしでも生のフランス人と接触があれば避けられたであろう間違いが数多くみられる。たとえば、フランス語の単語につけた発音を見てみよう。
村上英俊のフランス語発音
日本語 | フランス語 | 英俊の発音 | 現代の発音 |
世界 | monde | モンデ | モーンド |
墨汁(インク) | encre | エンクレ | アーンクル |
人 | homme | オムメ | オム |
訴訟 | procès | プロセス | プロセ |
本場のフランス人の発音を聞くことなく、本からの知識とオランダ語からの類推で覚えたフランス語だと言える。確かに英俊の発音には問題はあるものの、フランス語自体の理解はかなりのレベルに達していたと言える。最終的に英俊は1864年に日本初の、収録語数が3.5万語もある本格的な仏和辞典の『仏語明要』を刊行した。現代に比べて辞書や情報が圧倒的に欠けている中、誰の助けも借りずに、短期間の内にフランス語の原書を読めるようにまで至った英俊の努力には頭の下がる思いはする。ただ、言語や哲学・宗教のように、異国の文化を知ろうとした時に「生の人間」との接触がないということは如何に根本的な点で誤解を生じるかということが痛いほどよくわかる例である。ちなみに、英俊の作ったこの辞書はフランスに滞在したこともある渋沢栄一も所蔵していた。
フランス語辞書:仏語明要
さて、話を元に戻すと、英俊の例と同じく、歴史的観点から言えば儒教も日本には書物の形態でしか伝えられなかった。日本人は「生の中国人」の生活実態を知らず、本の記述からしか儒教を理解するしかなかったので、とんちんかんな間違いを犯した。「生の中国人」にとって一番重要なのが「孝」、つまり先祖崇拝が大切である。「仁」はいうまでもなく、封建時代の日本で最も重要視された「忠」など、「孝」の重要さに比較すると全く影が薄い。この点を理解できていない日本人は儒教の根幹部分を全く理解できていないということだ。
「孝」を重要視するのは、とりもなおさず身内の一族を極端に重要視することにつながる。その意味で「仁」は身内への「仁」が優先されるということである。伊藤仁斎や渋沢栄一を初め、多くの日本人は「仁」を西洋流の humanity の意味と理解し、世の中全ての人にたいする優しさを「仁」の概念と考えたが、残念ながらそれは極めて「美しき誤解」であった。
日本人の儒教に関するもう一つの大きな誤解は、儒教は人格を磨くことを勧めるということだが、これはあくまでも生活に余裕のある士大夫、いわゆる有閑クラスの人間を対象にした言葉である、という点を日本人は見落としている。というのは、日本には有史以来、中国で見られたような極端な身分格差が存在しなかったので「士庶の別」という儒教の根本概念の一つがすっぽりと抜け落ちている。「士庶の別」とは、士(有閑クラス)と庶(労働者)は同じ道徳律を「適用できない」「適用しない」、ということだ。このことを冷酷なほど明確に表現しているのが、儒教の経典の一つ《礼記》にある「礼不下庶人、刑不上大夫」(礼は庶人に下らず、刑は士大夫に上らず)の文句である。ここでの重要コンセプトは「礼」だ。孔子は春秋時代の乱れた社会秩序を正しく取り戻すには周王朝の厳格な「礼」の復活が何よりも重要だと考えていた。この最重要コンセプトである「礼」は庶民は関わる必要がないと突き放している。文字も読めない庶民などは、礼の規則を読むことが出来ないので、犬猫や牛馬並みだと言っているのだ。
以上の点は、実際の中国人の生活の中で見られる彼らの立ち振る舞いを見れば、数ヶ月も経たないうちに分かったはずだが、残念ながら、いくらすばらしく高度な漢文読解力があった江戸の儒学者たちも全く理解できずにいた。いわば、本場のインドカレーを食べた人なら日本のとろっとしたカレーが全く別物だと考えるように、美しき誤解に基づいて日本に定着した「儒教的な概念」はもはや儒教とは別物と考えるべきだと私は考える。日本人にとって必要なのは、本場中国の「生の儒教」の道徳律ではなく、日本人が縄文時代、あるいはもっと古くから持っていた humanity 溢れる日本的道徳律である。
【参考文献】
『フランス語事始 村上英俊とその時代』( NHKブックス)富田仁
(続く。。。)