限りなき知の探訪

40年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

惑鴻醸危:(第57回目)『禁じ手の日本経済復活策』

2016-11-06 22:03:01 | 日記
論語と言えば、一般的には孔子の言行録といわれ、いつもいつも孔子が主人公であるように考えるかもしれないが、部分的には、孔子が脇役、更に言うと、引き立て役に回っているケースも間々見られる。例えば『論語』(微子篇)には狂接輿という人物が登場する。

楚の狂接輿、歌いて孔子を過ぎて曰わく:「鳳よ! 鳳よ! 何ぞ徳の衰えたる? 往く者は諌むべからず、来たる者は猶お追うべし。已みなん、已みなん!今の政に従う者は殆し」孔子下りてこれと言わんと欲す。趨りてこれを辟く、これとともに言うを得ず。

 (楚狂接輿歌而過孔子曰:「鳳兮!鳳兮!何徳之衰?往者不可諌、来者猶可追。已而、已而!今之従政者殆而!」孔子下、欲与之言。趨而辟之、不得与之言)

【要約】狂接輿は孔子の傍を、通り過ぎざま「お前は、周の礼楽を復興しようと努力しているが、結局は、徒労に終わるだけだ」と揶揄し、足早に去った。

狂接輿は賢者でありながら狂人のふりをして、ちくりと本質を指摘したのだ。こような人物を日本で探せば、さしづめ曽呂利新左衛門(そろりしんざえもん)であろうか。秀吉が四国攻めの日程をしばしば変更するのを 「太閤が四石の米を買いかねて、きょうも五斗買い(御渡海)あすも五斗買い(御渡海)」とからかった。

バカか狂人の振りをして、辛辣な指摘をする人はシェークスピア劇では、しばしば clown として登場する。そもそも私がシェークスピア劇(Shakespeare)を始めてみたのは、アメリカ留学時にユタ州でホームステイしていた時だったことは以前のブログ
 沂風詠録:(第120回目)『子供も大いに楽しめるシェークスピア劇』
に書いた。日本では英文学科の学生がしかめつらして、一文一文を丹念に、あたかも暗号解読のように読むものだ、との先入観はこの時の経験で跡形もなく吹き飛んだ。カーネギーメロン留学時に夏の授業では、シェークスピアの授業を取ったがこの時、授業準備とテスト準備のためにほとんどの作品は読み、更に主な作品は2、3回通読した。

私の好みは、シリアス物(悲劇)ではなく、喜劇である。私の素人的判断では、シェークスピア本人は自身の喜劇作品によく登場する、クラウン(clown, 道化師)的な滑稽味があり、諧謔を好む人だと感じる。というのも、所謂、四大悲劇といわれる『ハムレット』『オセロー』『マクベス』『リア王』や史劇の『ヘンリー四世』などにも、道化役が登場して、場を和らげてくれる。日本のドタバタ劇と比べてウィットに効いたセリフがシェークスピアの持ち味と言っていいだろう。例えば、As You Like it (お気に召すまま)で第5幕第1場ではTouchstone が:
 
The fool doth think he is wise, but the wise man knows himself to be a fool.
 (愚者は己を賢者と考え、賢者は己の愚かさを弁える)

さりげなく言い添え、直後にナンセンスギャグを放つ。

The heathen philosopher, when he had a desire to eat a grape,would open his lips when he put it into his mouth, meaning thereby that grapes were made to eat and lips to open.
 【要約】ギリシャの哲人が葡萄を所望する時、口を開け葡萄を口に放り込む。よって、葡萄は食べらるべく、口は開けらるべし。



さて、このような clown がもし、最近の日本経済の停滞ぶりを見るなら、想像するに次のようにいうだろう。

「消費者がモノを買わないので、日本経済が立ち直らないというなら、年金の不正受給、バクチ、横領、窃盗、などをどしどし奨励すればいい。なぜなら、不正受給やバクチは暴力団の資金へと流れる。横領や窃盗で得た金は手堅い貯金などには回らず、必ずや遊興に化ける。いずれにせよ、こういった金を『不当に・不正に』手にした連中は、きっと本来の保持者より、手切れよく、派手に使うはずだ。つまり、それだけ日本全体の消費・購買が増えることになり、結果的に日本経済は活性化するのであーる。」


確かに、日本の人口の高齢化が進み、また個人資産の大部分が老人によって保有されている現在、消費購買欲を活性化するには、clown の言うように、あとさきを考えずにぱあーっと使いきってしまう輩の手を借りないといけないだろう。  Touchstone がギリシャの賢人の言葉として挙げた言葉を借りるなら禁じ手かもしれないが日本経済復活策は次のようになろう:
 「国家経済の活性を所望する時は、金を浮華なる人に回り巡らし、浪費させる。よって金は盗まるべく、浪費は奨励さるべし」

黒田氏も、今となっては「2%物価上昇論」が実効のともなわない虚説だと判明したのだから、打つ手がないのなら、禁じ手を使うのも一案と考えてみてはいかがかと愚考する次第であるが。。。
ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 想溢筆翔:(第280回目)『資... | トップ | 想溢筆翔:(第281回目)『資... »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
  • 送信元の記事内容が半角英数のみのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • このブログへのリンクがない記事からのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • ※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。