限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

想溢筆翔:(第250回目)『資治通鑑に見られる現代用語(その93)』

2016-04-07 22:23:35 | 日記
前回

【192.水道 】P.975、BC27年

漢文の『水道』には、自然および人工の「水運路」の他に日本でいう「上水道」の2つの意味がある。もっとも古代中国の「上水道」は、ローマのように、鉛や石、瓦で管を作って、数十キロメートルにわたって敷設したようなものでなく、単に小川のような水路を指したものと想像される。


【出典】貴州・西江千戸苗寨

前漢は武帝以来、各方面に勢力を広げていたが、中国から遠い所では漢の威光が届かない地域もあったようだ。「夜郎自大」の故事で知られる夜郎もその一つで、夜郎王・興は漢の牂柯太守(郡長官)の陳立に逆らったために首を斬られてしまった。興の一家は、復讐に燃え、反旗を翻した。

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夜郎王・興の妻の父、翁指は息子の邪務を生き残った兵を集めて、近隣の二十二村を脅して反乱に加わらせた。冬が来て、陳立は周辺の遊牧民から兵を募って都尉と長史と共に、ほうぼうから翁指らを攻めたいと奏上した。翁指たちは険しい崖の上に砦を築いた。陳立は奇兵を放ってその食糧運搬道を封鎖し、また敵陣にスパイを潜入させて敵兵を投降させようとした。都尉の万年が「長期戦になると戦費がもたない」といって、単独で敵を攻めたが、負けて、陳立の陣地に逃げて戻ってきた。陳立は怒って、部下に、万年を縛るよう命じたので、万年は、恐れてまた戦線に戻って戦った。陳立は救援に駆け付けた。その時、たまたま日照り続きの日が続いたので、陳立は敵の水道を断ち切った。蛮夷たちは、翁指を裏切って首を斬り、投降した。そうして遂に西夷を平らぐことができた。

興妻父翁指、与子邪務収余兵、迫脅旁二十二邑反。至冬、立奏募諸夷、与都尉、長史分将攻翁指等。翁指拠阸為塁、立使奇兵絶其饟道、縦反間以誘其衆。都尉万年曰:「兵久不決、費不可共。」引兵独進;敗走,趨立営。立怒、叱戯下令格之。都尉復還戦、立救之。時天大旱、立攻絶其水道。蛮夷共斬翁指、持首出降、西夷遂平。
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夜郎というのは、現在の貴州省で、苗族が多く住んでいる地帯である。この地域の王を陳立が暗殺し、無理やりに漢の領土とした。漢の立場から言えば、陳立は領土を広げた功労者であるが、夜郎(苗族)の立場から言えば、陳立は侵略者でありテロリストでもある。しかし、この記述でもあるように、諸部族が内部分裂によって自滅するケースは多い。

続く。。。
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