限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

想溢筆翔:(第300回目)『資治通鑑に見られる現代用語(その143)』

2017-03-23 21:29:18 | 日記
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【242.時運 】P.3917、AD445年

『時運』とは「その時の世のなりゆき」という意味。このことばで思い出すのは、終戦の詔勅で安岡正篤の書いた「義命の存する所」という語句が「時運の趨く所」と書き換えられたことである。書き換えの理由としては、「義命」という言葉が辞書に無かったためとのことだ。

ところで『時運』を二十四史(+資治通鑑+続資治通鑑)で検索すると下の表のようになる。 晋書と宋書にかなり多いことが分かる。当時の世相を反映した流行語として見る事もできるのではないだろうか。



さて、資治通鑑で「時運」の使われている場面を紹介しよう。ここでの主人公は、范曄で、現在に伝わる後漢書を著した人である。不平家の孔熙先の口車に乗せられて陰謀事件に巻き込まれてしまった。その結果自分一人だけでなく、一家誅滅の悲劇を味わうことになっ。

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そこで、孔熙先がころあいを見計らって范曄を口説いた「大将軍(文帝の弟の劉義康)は英断で聡敏であり、人だけでなく神々も慕っております。今は、職を解かれて南方へ左遷させられていますが、天下の人々はみな憤激しています。私は前帝から「大将軍をよろしく」との遺命を受けていますので、死をもって大将軍に報いるつもりでいます。現在は、世情も不安定で、天文の運行もめちゃめちゃです。このような状況は所謂「時運の至」というチャンスで、むざむざ見逃す手はありません。もし、我々の計画が天や人の心の願いに沿うものであるなら、英雄豪傑は連携し、宮廷の内外は呼応し、都周辺の兵も決起することでしょう。それなれば、我々に楯突く連中を皆殺しにし、大将軍を奉って天下に号令を掛ければ、逆らう者などいるはずもありません。私は、この七尺の身と三寸の舌で、謀をめぐらし実行し、成果はみなさまと分かち合いたいと思っています。貴卿はどう思われますか?」謀反の計画を聞かされた范曄は腰を抜かしてしまった。

熙先乃従容説曄曰:「大将軍英断聡敏、人神攸属、失職南垂、天下憤怨。小人受先君遺命、以死報大将軍之徳。頃人情騒動、天文舛錯、此所謂時運之至、不可推移者也。若順天人之心、結英豪之士、表裏相応、発於肘腋;然後誅除異我、崇奉明聖、号令天下、誰敢不従!小人請以七尺之身、三寸之舌、立功立事而帰諸君子、丈人以為何如?」曄甚愕然。
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毎度のことながら、資治通鑑(のみならず、中国の史書)には、謀反の計画や経緯が実にリアルに描写されている。あたかも警察調書を読んでいるようだ。范曄も最初は陰謀への加担を躊躇していたが、遂には陰謀に加わることになった。だが、土壇場で徐湛之の密告により、陰謀に加担した者たちは一網打尽につかまり処刑された。資治通鑑では処刑を目前に控えた范曄の虚勢と不甲斐なき最後をも克明に描き、歴史家としてではなく、一人の弱き人間としての范曄の実態を浮かび上がらせている。

さて、冒頭、「義命の存する所」について「辞書に載っていなかったので文言を変更された」ことを紹介したが、「義命」を二十四史で検索すると、少なくとも3ヶ所に見える。ただ、いずれも元史以降に見えるので、かなり近代的な用法と言えそうだ。
 『元史』巻148:義命に安(やす)んず(安于義命)
 『明史』巻169:況んや、義命に安(やす)んぜず(況不安義命)、
 『清史稿』巻511:今日、宜しく義命に安(やす)んずべし(今日宜安義命)

この3つの例から、確かに「義命の存する」というように、「存」ではなく、「安」という字と連結されているところから、「義命」とは「たとえ不満があったにしても受け入れるべき境遇」という意味であろうと推測できる。このことから、「義命の存する」という語句は確かに少し落ち着きの悪い言葉であるとの意見も納得できる。もっとも、それでは「時運の趨く所」の方が適切か、というと個人的にはそうでないと思っている。それでは、どう言えばよかったか、と言われると、答えに窮する。辞書というのは、単語から意味を調べることはできても、その逆は、全く不可能とは言えないまでも、非常に難しい。人工知能(AI)がこういった方面で助けてくれないものかと期待している。

続く。。。
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