限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

【座右之銘・38】『最大の碩学は最大の賢者ならず』

2010-06-22 00:14:39 | 日記
世の中には悪書は多い。『そのなかでも極め付きの猥雑書が3冊ある。それらは、とても子供に読ませられる代物ではない』とイギリスの探検家で、アラビアンナイトを翻訳したリチャード・バートンが、どこかで述べていた。その3冊とは、
 旧約聖書
 アラビアンナイト
 『ガルガンチュワ物語』(フランソワ・ラブレー著)
であるそうな。

旧約聖書と言えばユダヤ教、キリスト教、そしてイスラム教の経典であるあの Old Testament である。これがどうして猥雑で子供に読ませてはいけない本か、不思議に思われる人が多いだろう。そういう人は、旧約聖書を一度全部読んでみるとよい。『なるほど、バートンの言うのももっともだわい』と肯かれるに違いない。もっとも、もしバートンが日本語が読めたとすると、古事記あたりも番外ではあろうが猥雑書にくくり入れられるに違いないと私は想像する。

アラビアンナイトはバートン自身が翻訳しているので、内容は熟知した上での発言である。学生の頃、銀閣寺の近くの古本屋で、大場正史訳の『バートン版 千夜一夜物語』を買い揃えて読んだところ、そのエロチックな描写の多いことに戸惑った。アリババと40人の盗賊など、アラビアンナイトと言えば児童文学と考えていた幻想が完全に打ち砕かれてしまった衝撃は今なお強く残っている。しかし、アラブ人やイスラム世界を理解する上では、一度は読んでおく必要のある本だといえる。その意味で、最近この『バートン版 千夜一夜物語』が、ちくま文庫で再刊されるようになったことは歓迎すべきだ。

尤も、バートンやその翻訳者の大場正史氏は、共にその道(sexology)の大家であるので、そういう方面の描写に偏向しているとの否定的意見があるのも事実だ。

性的描写の興味本位的姿勢を排除し、極めて学術的な観点での訳本に、前嶋信次氏の訳した平凡社東洋文庫版『アラビアン・ナイト』があるので、正攻法で臨まれる向きはそちらをどうぞ。(但し、私は未見)



さて、最後のラブレーの『ガルガンチュワ物語』は岩波文庫から渡辺一夫氏の多少古めかしい大正時代の面影が漂う訳が出ている。ラブレーの饒舌さは度を越していて、それは南方熊楠のそれに匹敵する。

想像するに両者は共にゲシュヴィント症候群(Geschwind Syndrome)ではなかろうか?というのも、この病気には次のような症状が特徴的に現れるという:
 1.過剰書字(たくさん文章を書かずにいられない)
 2.過剰な宗教性・道徳性
 3.攻撃的
 4.粘着性がある
 5.性に対する極端な態度(非常に強まる、もしくは弱まる)

歴史上の有名な人でこのゲシュヴィント症候群だと覚しき人として次の名前が挙がっている:
 モーセ、ブッタ、パウロ、ムハンマド(モハメッド)、ニュートン、ゴッホ、ドストエフスキー

さて、この『ガルガンチュワ物語』では、エセ牧師や、やたらとラテン語をひけらかす高慢ちきな学者が揶揄されているが、それを警句の形で表現したのが次の言葉である。

Magis magnos clericos non sunt magis magnos sapientes.
(最大の碩学は最大の賢者ならず, The greatest priests are not the wisest men)

『ガルガンチュワ物語』5冊全部はまだ読んではいないが、1冊でも読めば、もう充分と思わせる強烈な粘着性を感じる。私自身のことを持ち出すのは気がひけるが、格が違いすぎると思わせるに充分な知識の圧倒的な差を感じる。(と言って別に卑下してはいないが。。。)
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