(前回)
【248.装束 】P.3067、AD345年
『装束』(しょうぞく)は古文の授業で「狩装束」などとしてよく見かけた単語で、「衣服、dress」の意味。ところが中国の辞書をチェックすると、服(dress)以外の意味も載っている。辞海(1978年版)には (1)猶云束装也(出発の準備をする)、(2)謂整飭服飾也(服装を整える)と説明するし、辞源(1987年版)も同じく、(1)束装、整理行装(出発の準備)、(2)打扮(服装のこと)と説明する。
「束装」は「出発の準備をする」(to bundle up one's possessions for a journey)という意味だ。つまり『装束』は字の順序を逆にした『束装』と同じ意味もあるということになる。
二十四史(+資治通鑑+続資治通鑑)で『装束』と『束装』を検索すると下の表のようになる。どちらも三国志以降の比較的新しい単語であるが、最近(明以降)はほとんど使われなくなった単語であることが分かる。
資治通鑑で『装束』が使われている場面を見てみよう。
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桓温がかつて雪の降った日に狩りに出ようとしたが、たまたま劉惔に出会った。劉惔は桓温の服装があまりにもものものしいので、「お前さんはなんでこんな恰好をしているのだ?」とからかうと、桓温は笑って「ワシがこのように武装しているので、貴卿が安心して坐談していられるのではないか!」と言い返した。
桓温嘗乗雪欲猟、先過劉惔、惔見其装束甚厳、謂之曰:「老賊欲持此何為?」温笑曰:「我不為此、卿安得坐談乎!」
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劉惔の伝は『晋書』巻75にあるが、そこには「子供の頃から落ち着いていた。…家は貧しく、草鞋[わらじ]を織って生計をたてていた。粗末な家に住んでいたが、こせこせしていなかった。」と評されている。(少清遠、…家貧、織芒屩以為養、雖蓽門陋巷、晏如也)
劉惔は貧乏で、身なりはみすぼらしかったが、評価した人もいたようで明帝の皇女と結婚した。残念なことに36歳の若さで亡くなった。その時、孫綽が読んだ弔辞(誄)で
「居官無官官之事、処事無事事之心」
(官に居りては官官の事なく、事を処しては事事の心なし)
と誉め称えたが、これが名文句だと評判になった(時人以為名言)。
この句を私なりに解釈すると:
「国の重責を担う官僚であったが、出世にあくせくしたり、ずるい策略を弄することはなかった。また、何を処理するにしても、粛々と済まし、決して大げさにすることがなかった。」
晋の詩人・陶淵明の「五柳先生伝」に描かれている洒脱な隠士を彷彿とさせる。
(続く。。。)
【248.装束 】P.3067、AD345年
『装束』(しょうぞく)は古文の授業で「狩装束」などとしてよく見かけた単語で、「衣服、dress」の意味。ところが中国の辞書をチェックすると、服(dress)以外の意味も載っている。辞海(1978年版)には (1)猶云束装也(出発の準備をする)、(2)謂整飭服飾也(服装を整える)と説明するし、辞源(1987年版)も同じく、(1)束装、整理行装(出発の準備)、(2)打扮(服装のこと)と説明する。
「束装」は「出発の準備をする」(to bundle up one's possessions for a journey)という意味だ。つまり『装束』は字の順序を逆にした『束装』と同じ意味もあるということになる。
二十四史(+資治通鑑+続資治通鑑)で『装束』と『束装』を検索すると下の表のようになる。どちらも三国志以降の比較的新しい単語であるが、最近(明以降)はほとんど使われなくなった単語であることが分かる。
資治通鑑で『装束』が使われている場面を見てみよう。
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桓温がかつて雪の降った日に狩りに出ようとしたが、たまたま劉惔に出会った。劉惔は桓温の服装があまりにもものものしいので、「お前さんはなんでこんな恰好をしているのだ?」とからかうと、桓温は笑って「ワシがこのように武装しているので、貴卿が安心して坐談していられるのではないか!」と言い返した。
桓温嘗乗雪欲猟、先過劉惔、惔見其装束甚厳、謂之曰:「老賊欲持此何為?」温笑曰:「我不為此、卿安得坐談乎!」
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劉惔の伝は『晋書』巻75にあるが、そこには「子供の頃から落ち着いていた。…家は貧しく、草鞋[わらじ]を織って生計をたてていた。粗末な家に住んでいたが、こせこせしていなかった。」と評されている。(少清遠、…家貧、織芒屩以為養、雖蓽門陋巷、晏如也)
劉惔は貧乏で、身なりはみすぼらしかったが、評価した人もいたようで明帝の皇女と結婚した。残念なことに36歳の若さで亡くなった。その時、孫綽が読んだ弔辞(誄)で
「居官無官官之事、処事無事事之心」
(官に居りては官官の事なく、事を処しては事事の心なし)
と誉め称えたが、これが名文句だと評判になった(時人以為名言)。
この句を私なりに解釈すると:
「国の重責を担う官僚であったが、出世にあくせくしたり、ずるい策略を弄することはなかった。また、何を処理するにしても、粛々と済まし、決して大げさにすることがなかった。」
晋の詩人・陶淵明の「五柳先生伝」に描かれている洒脱な隠士を彷彿とさせる。
(続く。。。)
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