限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

想溢筆翔:(第295回目)『資治通鑑に見られる現代用語(その138)』

2017-02-16 20:08:19 | 日記
前回

【237.劇職 】P.3902、AD443年

『劇職』は日本語では「激職」と書くが、漢文ではこの字(激)では用例が見つからない。『劇職』と類似の言葉の「激務」に関しても、同様に漢文では「激」の字では見つからない。辞海(1978年版)によると『劇』とは「尤甚也」(もっともはなはだしい)と説明する。一方、辞源(2015年版)ではもう少し丁寧に「極、甚。形容程度深。含義随文而異」と説明する。つまり、「甚だしいという共通の概念の単語ではあるが、文によってニュアンスが異なる」との意味だ。

『劇職』と『劇務』を二十四史(+資治通鑑+続資治通鑑)で検索した結果を下に示す。



この表を見ると、どちらも南北朝時代(5世紀から6世紀)に始めて使われだしたので、かなり新しい用語であることと言える。資治通鑑では2ヶ所に見えるが、最初の場面を見てみよう。

 +++++++++++++++++++++++++++
魏主(北魏の太武帝)が柔然との戦いを終え、朔方にまで戻ってきた。そこで、皇太子に政務全般を見るよう詔を下した。それに付け加えて次のように述べた「功臣たちは長年、実によく働いてくれた。皆に爵位を与えるから家に戻ってよい。ただし、時々h朝廷に来て、一緒に食事を楽しみながら、世間の実情を話ながら、政策論争をしようではないか。今後は、二度と劇職がないように配慮しよう。また、優秀な人物を推挙したら官僚に採用しよう。」

魏主還、至朔方、下詔令皇太子副理万機、総統百揆。且曰:「諸功臣勤労日久、皆当以爵帰第、随時朝請、饗宴朕前、論道陳謨而已、不宜復煩以劇職;更挙賢俊以備百官。」
 +++++++++++++++++++++++++++

皇太子(拓跋晃)に政務全般を任せると宣言した。翌年の年初から実際に優秀な臣下のサポート(輔弼)を受けて皇太子が政務を担当した(魏太子始總百揆)。重臣4人は東宮四輔と呼ばれたが、なかでも古弼は太武帝に「社稷之臣」と絶賛された。しかし、後年、太武帝が亡くなり、孫の文成帝が位に就くに及び職を解かれた上に、家族に無実の罪が被せられて処刑された(『北史』巻25)。中国(や韓国、北朝鮮)では、昔だけの話ではなく、現在においてもそうだが、権力者や高官といえどもも一寸先は恐ろしい程の暗闇だ。

続く。。。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
«  【座右之銘・100】『礼者徳... | トップ | 沂風詠録:(第283回目)『ブ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事