【ベンチャー魂の系譜 3.自由、それはベンチャー魂の源泉】
今回は、ベンチャー魂の源泉である、『自由』について議論した。日本語には、つまり、やまと言葉には自由の概念を表す単語がない。それで、歴史的にもそして今もなお、自由と放縦の明確な区別がついていない。それ故、自由が何ものにも換えがたい貴重なものだという社会的な認識が足りない。
西洋の思想の源である、ギリシャにおいては、元来自由というのが2つの単語で表現されていた。一つはエレウテリア、eleutheria (libertas)と言い身体の自由を表した。もう一つはパルレシア、parrhesia という別の言葉で思想・表現の自由を表した。この点については、以前ブログ、『義か自由か、それが問題じゃ』に書いた。
さて、現代アメリカの起業家精神を理解するのに良い本として『起業家の本質』(英治出版、著者:ウィルソン・ハーレル、翻訳:西川潔、板庇明)がある。
ここには『起業家は自由をもとめてビジネスを興す』や『自由は生まれながらの権利』などと言った、自由が起業家精神の支柱である旨の記述がある。
これらのことも参考にして、当日の議論をお読み頂きたい。
********************
パネラー:Erutnev、ピッコロ
1.ヘロドトス(BC485年頃~BC420年頃)
古代ギリシャの歴史家。ペルシャ戦争について調べるために諸国を遍歴し、『歴史』を書き記す。遍歴の際にその地域の面白い話をたくさん聞き、それらを『歴史』に書き記している。その量は全体の過半数に至る。
Q1. 旅をするためにどうやってお金を工面したのか?
・ヘロドトスは詩人であったので、吟遊詩人として各地で活動し、お金を稼いでいたのでは。
・おそらくそうであろう。当時、詩は講談のような観客をひきつける語り物であった。
心に残った話(『歴史』より)
・エジプト王アマシス2世は、サモス島の僭主ポリュクラテスが幸運に恵まれすぎていると思い、その幸運が不幸に変わらないために、一番大事にしているものを捨てるように忠告した。ポリュクラテスはそれに従い、宝石で飾られた指輪を海に投げ捨てた。しかし数日後、その指輪を飲み込んだ大魚を漁師が釣り上げた。漁師はその大魚をポリュクラテスに献上し、料理人がさばいてみると、指輪がみつかった。ポリュクラテスがそのことをアマシス2世に知らせたところ、アマシス2世はそのような幸運は破滅をもたらすと信じ、ポリュクラテスとの同盟を破棄した。
・リディア王は自分の妻にぞっこんで、妻を自慢したくてたまらなかった。ある日一人の家来がその妻の裸の姿を一緒に盗み見することを王に強要され、それをみつけた妻が自殺か王を殺すかの二者択一を家来に迫る。自分の生きる道を選んだ家来は王を殺して自ら王になったが、各地で反乱が起こってしまった。デルフィの信託によると、五代を経れば平和になるという。殺人を犯したこの家来は何の罪にも問われずにその生涯を終えるが、その子孫がやがて罪償いをすることになる。
2.リヴィウス(BC59年~AD17年)
帝政初期ローマの歴史家。初代皇帝アウグストゥスの庇護の下、『ローマ建国史』を著す。現存しているものは1~10、21~45の合計35巻だけであるが、消失したものも含めると145冊ほどに達する。
Q1.『ローマ建国史』を書いた意図は?
・帝国としてのローマ支配の正当性を主張するため、アウグストゥスの命を受けて書き記したのではないか。ローマ人の徳の高さ等を示そうとしたのであろう。
・実際は、ローマの良い点(ex.質実剛健)や悪い点を書き記すことが歴史の教訓として後世役に立つだろうという意図で書いたと思われる。後に、『君主論』などの著作で有名な政治思想家のマキャヴェリが『ローマ史論』で古代ローマ史の事例をひきながら偉大な国家を形成するための数々の原則を説明している。
Q2.ローマ人の徳とは具体的にどのようなものか?
・整備された法体系や洗練された技術を持つという優位性、支配した国に対しては帝国として質の高いサービスが提供できるという自負ではないか。
・反論:ローマでは周辺諸国に対して自国の制度を押し付けるようなことはしなかったはず。
・徳というのは品性、人格のことではないのか?→この場合「徳=そのものが持つ能力、性質」としてとらえたほうがいいかもしれない。
3.自由について
Q1.自由の反対語は? =束縛、服従、奴隷、etc
今回は「自由←→奴隷=自分の意思を認められないこと」という対立概念で話を進める。
奴隷に関連して、
Q2.日本に城壁がなかった理由は?
・日本には奴隷制度が存在しなかったため、奴隷が逃げるのを防ぐ城壁が必要なかったのではないか。
・反論:厳密には日本にもなどの奴隷が存在していたので、奴隷制度がないことを一義的な原因とみなすことは出来ないと思う。
・日本では、為政者(幕府、大名、etc)と究極的に民衆、土地を支配する者(天皇)が異なる支配体系であった。そのため、たとえ自分たちの村が他の為政者に支配されても、天皇に帰属する自分たちは被害を受けないから大丈夫だという民衆の思い、あるいは領土を支配する者の思いを反映したものではないか。
・西洋や中国では、戦で領地がのっとられるとそこの住民が奴隷となってしまうため、そのような事態を極力避ける(=自由を守る)ために城壁を築く必要があった。天皇制があり職業軍人のいる日本では住民が戦争によって奴隷となることがなかったので、城壁を築く必要がなかった。
Q3.自由は日本ではどのように捉えられていたか?
・「自分の意思を具現できる」という意味よりも「気の赴くまま、放縦」という意味として捉える方が多かったのではないか。
・そもそも「自由」という意味には二重性がある。「自分の意思を行動として実現できる」という概念は人間の良識的意欲に基づいた理想的な「自由」の概念であるが、人間は楽なほうに流れる性質も併せ持つため、「放縦」という意味が誤って「自由」の概念に包含されてしまっていると思う。
・「自由」という概念が哲学的に考えられてきた西洋とは違い、訳語を輸入した日本では「放縦」のニュアンスも強かったのであろう。
・「和」を尊ぶ日本では、自由は秩序を乱す危険があるものとして捉えられてきた傾向があると思う。実際、秩序から外れるもの=異端者という位置づけが日本でなされていたのではないか。
・結局のところ、日本では「自分の意思を行動として実現できる」という意味での自由が根付いていない。その結果この意味においての自由の権利が確立されておらず、少数派の意見は虐げられて意志が尊重されない傾向にある。その一方で、ヨーロッパにはこの自由の意識が国家、家族、個人レベルで尊重されしっかりと息づいている。たとえば、アヘン戦争開戦時、イギリス議会内で戦争賛成派と反対派の意見が激しくぶつかった。このとき双方の公言の権利が侵害されなかったという事実は、言論、表現の自由が本当の意味で根付いていることを物語っている。自由に対する考え方の違いは、日本と西洋の基本理念、支配体系の違いからくるものである。
・結論としては、「自由=拘束を受けず自分の意志に従って行動できる」ということである。この自由の概念こそが過去、現代、未来にわたるベンチャー理念の本質であり、起業家の原動力となっているのだ。
今回は、ベンチャー魂の源泉である、『自由』について議論した。日本語には、つまり、やまと言葉には自由の概念を表す単語がない。それで、歴史的にもそして今もなお、自由と放縦の明確な区別がついていない。それ故、自由が何ものにも換えがたい貴重なものだという社会的な認識が足りない。
西洋の思想の源である、ギリシャにおいては、元来自由というのが2つの単語で表現されていた。一つはエレウテリア、eleutheria (libertas)と言い身体の自由を表した。もう一つはパルレシア、parrhesia という別の言葉で思想・表現の自由を表した。この点については、以前ブログ、『義か自由か、それが問題じゃ』に書いた。
さて、現代アメリカの起業家精神を理解するのに良い本として『起業家の本質』(英治出版、著者:ウィルソン・ハーレル、翻訳:西川潔、板庇明)がある。
ここには『起業家は自由をもとめてビジネスを興す』や『自由は生まれながらの権利』などと言った、自由が起業家精神の支柱である旨の記述がある。
これらのことも参考にして、当日の議論をお読み頂きたい。
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パネラー:Erutnev、ピッコロ
1.ヘロドトス(BC485年頃~BC420年頃)
古代ギリシャの歴史家。ペルシャ戦争について調べるために諸国を遍歴し、『歴史』を書き記す。遍歴の際にその地域の面白い話をたくさん聞き、それらを『歴史』に書き記している。その量は全体の過半数に至る。
Q1. 旅をするためにどうやってお金を工面したのか?
・ヘロドトスは詩人であったので、吟遊詩人として各地で活動し、お金を稼いでいたのでは。
・おそらくそうであろう。当時、詩は講談のような観客をひきつける語り物であった。
心に残った話(『歴史』より)
・エジプト王アマシス2世は、サモス島の僭主ポリュクラテスが幸運に恵まれすぎていると思い、その幸運が不幸に変わらないために、一番大事にしているものを捨てるように忠告した。ポリュクラテスはそれに従い、宝石で飾られた指輪を海に投げ捨てた。しかし数日後、その指輪を飲み込んだ大魚を漁師が釣り上げた。漁師はその大魚をポリュクラテスに献上し、料理人がさばいてみると、指輪がみつかった。ポリュクラテスがそのことをアマシス2世に知らせたところ、アマシス2世はそのような幸運は破滅をもたらすと信じ、ポリュクラテスとの同盟を破棄した。
・リディア王は自分の妻にぞっこんで、妻を自慢したくてたまらなかった。ある日一人の家来がその妻の裸の姿を一緒に盗み見することを王に強要され、それをみつけた妻が自殺か王を殺すかの二者択一を家来に迫る。自分の生きる道を選んだ家来は王を殺して自ら王になったが、各地で反乱が起こってしまった。デルフィの信託によると、五代を経れば平和になるという。殺人を犯したこの家来は何の罪にも問われずにその生涯を終えるが、その子孫がやがて罪償いをすることになる。
2.リヴィウス(BC59年~AD17年)
帝政初期ローマの歴史家。初代皇帝アウグストゥスの庇護の下、『ローマ建国史』を著す。現存しているものは1~10、21~45の合計35巻だけであるが、消失したものも含めると145冊ほどに達する。
Q1.『ローマ建国史』を書いた意図は?
・帝国としてのローマ支配の正当性を主張するため、アウグストゥスの命を受けて書き記したのではないか。ローマ人の徳の高さ等を示そうとしたのであろう。
・実際は、ローマの良い点(ex.質実剛健)や悪い点を書き記すことが歴史の教訓として後世役に立つだろうという意図で書いたと思われる。後に、『君主論』などの著作で有名な政治思想家のマキャヴェリが『ローマ史論』で古代ローマ史の事例をひきながら偉大な国家を形成するための数々の原則を説明している。
Q2.ローマ人の徳とは具体的にどのようなものか?
・整備された法体系や洗練された技術を持つという優位性、支配した国に対しては帝国として質の高いサービスが提供できるという自負ではないか。
・反論:ローマでは周辺諸国に対して自国の制度を押し付けるようなことはしなかったはず。
・徳というのは品性、人格のことではないのか?→この場合「徳=そのものが持つ能力、性質」としてとらえたほうがいいかもしれない。
3.自由について
Q1.自由の反対語は? =束縛、服従、奴隷、etc
今回は「自由←→奴隷=自分の意思を認められないこと」という対立概念で話を進める。
奴隷に関連して、
Q2.日本に城壁がなかった理由は?
・日本には奴隷制度が存在しなかったため、奴隷が逃げるのを防ぐ城壁が必要なかったのではないか。
・反論:厳密には日本にもなどの奴隷が存在していたので、奴隷制度がないことを一義的な原因とみなすことは出来ないと思う。
・日本では、為政者(幕府、大名、etc)と究極的に民衆、土地を支配する者(天皇)が異なる支配体系であった。そのため、たとえ自分たちの村が他の為政者に支配されても、天皇に帰属する自分たちは被害を受けないから大丈夫だという民衆の思い、あるいは領土を支配する者の思いを反映したものではないか。
・西洋や中国では、戦で領地がのっとられるとそこの住民が奴隷となってしまうため、そのような事態を極力避ける(=自由を守る)ために城壁を築く必要があった。天皇制があり職業軍人のいる日本では住民が戦争によって奴隷となることがなかったので、城壁を築く必要がなかった。
Q3.自由は日本ではどのように捉えられていたか?
・「自分の意思を具現できる」という意味よりも「気の赴くまま、放縦」という意味として捉える方が多かったのではないか。
・そもそも「自由」という意味には二重性がある。「自分の意思を行動として実現できる」という概念は人間の良識的意欲に基づいた理想的な「自由」の概念であるが、人間は楽なほうに流れる性質も併せ持つため、「放縦」という意味が誤って「自由」の概念に包含されてしまっていると思う。
・「自由」という概念が哲学的に考えられてきた西洋とは違い、訳語を輸入した日本では「放縦」のニュアンスも強かったのであろう。
・「和」を尊ぶ日本では、自由は秩序を乱す危険があるものとして捉えられてきた傾向があると思う。実際、秩序から外れるもの=異端者という位置づけが日本でなされていたのではないか。
・結局のところ、日本では「自分の意思を行動として実現できる」という意味での自由が根付いていない。その結果この意味においての自由の権利が確立されておらず、少数派の意見は虐げられて意志が尊重されない傾向にある。その一方で、ヨーロッパにはこの自由の意識が国家、家族、個人レベルで尊重されしっかりと息づいている。たとえば、アヘン戦争開戦時、イギリス議会内で戦争賛成派と反対派の意見が激しくぶつかった。このとき双方の公言の権利が侵害されなかったという事実は、言論、表現の自由が本当の意味で根付いていることを物語っている。自由に対する考え方の違いは、日本と西洋の基本理念、支配体系の違いからくるものである。
・結論としては、「自由=拘束を受けず自分の意志に従って行動できる」ということである。この自由の概念こそが過去、現代、未来にわたるベンチャー理念の本質であり、起業家の原動力となっているのだ。
たとえ少数の意見であっても、基本的人権に基づいたものである。このような考えが定着すれば、日本においても少数派の公言の権利が尊重されるようになると思う。