限りなき知の探訪

40年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

【座右之銘・97】『画虎不成反類狗』

2016-09-18 21:02:19 | 日記
漢代は前漢、後漢、どちらも名臣が数多く輩出した時代である。司馬遷の『史記』、班固の『漢書』、范曄の『後漢書』には彼らの言動が実に生き生きと描かれている。とりわけ前漢時代の名臣たちの発言はいづれも個性に満ち溢れている、信念がほとばしっている。

その一人に、前漢時代の汲黯(きゅうあん)がいる。当時の皇帝であった武帝に対しても、ずけずけと直言した。流石の武帝も汲黯の指摘がツボを衝いているので、内心では「ごもっとも」とは思うものの、他の臣下の手前、簡単に汲黯の意見に賛同するわけにいかず、いつも辟易した。しかし、処罰を恐れずに筋の通った意見を述べる汲黯は「社稷之臣」と目(もく)された。ただ、あまりにも自分の意見に固執し、広い視野に立てずにいた欠点があったとも言える。その点について武帝は汲黯が退出したあと「人はやはり学がないといけない。汲黯のいう事を聞いていると、ますます片寄ってくる」とぼやいた(「人果不可以無学、観黯之言也日益甚」)。



ところで、最近、あるベンチャー経営者が「学生時代には、思い切り遊ぶのがよい」との発言をしたと、人づてに聞いた。彼の主張は、遊びやアルバイト、あるいはインターンシップを通じて自分の生き方をしっかり見つめ、さらに、海外経験も積むべしとの意図らしい。自分はこれら全てをした上に、アメリカの有名大学のMBAも取ったのでベンチャーで成功することも出来たという。

私も、彼が強調するように、学生時代は勉強だけに止まらず、広く世界を見るという経験が必要だと感じている。しかし「学生時には遊べ、そして将来は起業せよ」という点をあまりにも強調しすぎることに対しては若干の懸念を持つ。それは、本人の意図とは無関係に部分的に切り取られた言葉だけが一人歩きしてしまう危険性があるからだ。

以前のブログ
 百論簇出:(第98回目)『就職難の根本原因は未成熟な中途採用市場にあり』

でも述べたように、日本では、ベンチャー熱に、あるいは、MBA熱に煽られて、起業やMBA取得はしたものの、結果的に、そこから先の展開が見えずに残念なことにあまり明るいとは言えない人生を送っている人を私は数多く見てきた。起業やMBA取得で成功する人はいないとは言わないが、失敗した人に比べると遥かに少ないのが実態であろう。

この点について、後漢の武将・馬援がはるばる甥に送った言葉が思い出される。
 「画虎不成反類狗者也」(虎を描いて成らざれば、かえって狗に類す者なり)

この意味は、世の中には真面目な人がいるが、その人の真似をするとたとえ大成しなくとも、失敗することはない。しかし、義侠心あふれる大親分の真似をして大成しない(つまり虎になれない)とすると、大失敗する(つまらない犬になってしまう)、という事である。

私は、常々、現代の日本人にとって、中国古典を読み、人類の叡智を得ることは非常に重要なことだと思っている。それは何も知識をひけらかすためではなく、自分自身では経験できない、あるいは到達できない智慧を得ることができるからである。この意味で、世の中の識者や成功者の話す事を無批判的に受け入れて、そのまま実践してしまうと、思わぬ落とし穴に陥ってしまうことがある。そのような失敗に陥らないように注意せよ、とこの言葉「画虎不成反類狗者也」は教えてくれているように思う。
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