限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

【座右之銘・121】『君子蔵器於身、待時而動』

2020-01-12 13:34:20 | 日記
学生時代から私は思想的・心情的には老荘、とりわけ荘子、に強く惹かれている。しかしながら、この心情とは逆に、自分自身の日々の言動を振り返る時には、論語の短い警句を思い出すことが多い。論語の文章を完全に暗記している訳ではないが、朧ろげに「こういう意味のことを言っていた」との記憶を頼りにして、「自作の漢文検索システム」で検索したり、岩波文庫本を最初のページからダァーっと繰っていって正確な文句を探しだす。論語は何度も読んでいるので、最初から探しても10分程度で見つかることが多い。

さて、先ごろ易経を読んでいたところ、『君子蔵器於身、待時而動』(君子は器を身に蔵(かく)し、時を待ちて動く)という句が目に入った。易経は重要経典であるので、中国古典を読むと必ず何らかの文句が登場する。それで、易経は今まで何度となく読み返した。しかし、どれも感覚的に似たような文句が脈略もなくずらずらと並ぶので、いつもさっと通り過ぎてしまうことが多く、文句自体はあまり記憶には残っていない。この句も以前読んだはずなのは、この個所にマークがついていることから分かるが、すっかり忘れていた。

それで改めて易経のこの句を読んでいて、論語の関連した句をいくつか思い出した。例えば次のような句が挙がる:

子曰:「君子不器。」(巻2・為政篇:君子は器ならず)
「君子は特定の専門だけしか分からないような狭い知識ではだめだ。」つまり、specialist(専門家)ではなく、generalistでないと君子とは言えないということだ。

子貢問曰…「何器也?」子曰:「瑚璉也。」(巻5・公冶長篇、子貢いわく、何の器なるや? 子曰く、瑚璉なり)
孔子には総勢3000人もの門弟がいたと言われるが、その中でも子貢の才は飛びぬけていた。人格的には顔回に敵わなかったようだが、孔子は子貢を最上級の才覚のある人物として「瑚璉(素晴らしい器)」と絶賛したのだ。

子曰:「…不患莫己知、求為可知也。」(巻4・里仁篇:己を知ることなきををうれえず。知らるべきことを為すを求む)
「自分を正しく評価してくれない、と嘆くな。評価してもらえるよう努力せよ」と励ます。自分に対する世間や会社内での評価に対して不満を言ってもどうなるわけではない、人の評判や評価に右往左往や右顧左眄せず自己研鑽に励むべし、ということだ。

今回取り上げた易経の「君子蔵器於身、待時而動」はまさにこの最後の文句と呼応する。世間の評価など気にせず、自分に自信ができるまで待ってから行動を起こせということだと、私は理解した。器を完成させるには、ちょこまかと動いたり、能力もないのにあたかもあるかのように宣伝しても、そのうちきっと化けの皮がはがれると言っているように思える。



以前、安岡正篤氏の本を読んでいた時、どの本に書いてあったか思い出せないが「勉強したければ、若くして有名になってはだめだ」という文句に出会った。安岡氏は大学に在学中から世間に名前が売れ、若くして首相クラスのご意見番として政界・財界からひっぱりだこになっていた。毎晩の如く、宴席に出づっぱりで勉強時間がないことを秘かに嘆いていたに違いない。

社会人となってすぐのころから、私は安岡氏の本はかなり網羅的に読んでいる。初めは、安岡氏の博学に舌を巻くことが多かったが、その内、だんだんわかってきたことがある。それは、安岡氏は50歳以降、知識的に停滞していて、繰り返しが非常に多いことだ。確かにトピック的に目新しい記述もないとは言わないが、残念ながら、それらの情報は底が浅く、多分、耳学問的に仕入れた話だと想像できる。安岡氏の言葉は本人の自戒の弁であるかも知れないが、私には他山の石として肝に銘じておきたい。

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ところで、最近(2019年12月末)、日産の元会長のカルロス・ゴーン被告人が関空からレバノンへと逃亡したが、出国時は大きな容器に身を隠したといわれる。この状況を漢文的に表現すれば、
罪人、待時而動」(罪人は身を器に蔵(かく)し、時を待ちて動く)
とでもなろう。字をちょっと入れ替えるだけで、現代の事象を的確に表現できるという点を見ても、易経はなるほど千古にわたり輝く知恵の宝庫だと納得できる。
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