限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

想溢筆翔:(第205回目)『資治通鑑に見られる現代用語(その50)』

2015-05-14 19:53:50 | 日記
前回

【147.創立 】P.3356、AD385年

『創立』とは現代と同じく『あらたに(はじめて)起こす(たてる)』という意味。辞海(1978年版)に『創』とは『始也、制於其初也』(始めなり、その初めを制するなり)と説明する。資治通鑑には『創立』は3回見えるが、最初は五胡十六国時代・後燕の初代皇帝の慕容垂が息子の慕容農を征服した土地を治めさせた時のこと。

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燕王の慕容垂が息子の慕容農を使持節に任じ、幽州、平州と北狄の部族たちの軍事の責任者に任じた。幽州の知事として龍城を守らせた。。。そこで、慕容農は法制を新たに制定(創立)した。政務はいたって緩やかで簡素、刑罰は公平にし、庶民への賦役は減らし、農業を奨励した。庶民はリッチになり、あらゆる所から人々が移住してきた。それで瞬く間に人口が数万人になった。

燕王垂以農為使持節、都督幽・平二州・北狄諸軍事、幽州牧,鎮竜城。。。農於是創立法制,事従寛簡,清刑獄,省賦役,勧課農桑,居民富贍,四方流民前後至者数万口。
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『創立法制』と類似の語句『創立制度』が資治通鑑の巻108に見える。これらの語句から、創立というのはどうやら建物のような実体より、制度のような抽象的なものに使うことが多いようだ。



【148.姑息 】P.1861、AD181年

『姑息』とは現在日本語では『その場のがれ』や『一時しのぎ』のようなネガティブな意味に使われることが多い。しかし、本来はそのような色合いはついていなかった。資治通鑑の胡三省の『姑息』への注に、『姑とは且(かりそめ)也、息とは安(やすらぎ)也。かりそめに目前の逸楽を求める』(姑,且也;息,安也;且求目前之安也)と説明する。つまり『ちょっと気を抜いてリラックスする、easy going』のようなニュアンスが原義であるようだ。

『姑息』は資治通鑑では28回と、結構使われている。後漢の時代に役人の選定方法がでたらめになったことに義憤を感じた宦官が上書して皇帝に訴えた文を見てみよう。

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霊帝は諸国の珍らしい物品のコレクションマニアであった。地方から貢納があるとまず中署に送らせ、これを「導行費」と名付けた。このやり方に対して中常侍の呂強が強く諌めた文書を提出した。「天下の財というのはどれも陰陽の調和によって生みだされるもので、皆陛下の所有となるものですから公私の区別はありません。しかるに、今、中尚方(中央の役所)は諸国の宝をしまいこみ、中御府は天下の巾(貨幣の布)を山積にし、西園には農作物がうなるほど蓄えられ、宮中の厩舎には多くの名馬が繋がれています。庶民に物を配給するべき役所が逆に「導行の財」と称して徴発するので、民は困っています。費用ばかりかかって、集まる物は少なく、それにつけ込んで悪徳役人が懐を肥やすので、庶民が泣いています。阿諛追従する役人が賄賂を贈るようになると、諂い(へつらい)や姑息が蔓延することでしょう。伝統的に「役人の候補リストは内閣(三府)が作成し、行政府(尚書)がそれを受けて皇帝に裁可をもらう」とあります。役人候補者を試験し、試任用してそのでき具合をチェックします。出来がよくない役人を採用したならその責任は内閣にあり、検察がその実態を監査して処罰を検討します。こういった仕組みがあるので、内閣が提出した役人候補リストを大臣達が見て、該当者の過去の事蹟を調べ、果たして役職に相応しいかを慎重に判断します。それでもやはり役職に適さない人や怠け者がでてきます。それなのに、今のやり方では内閣を経ず行政府が直接役人を任用し、不祥事があっても任命者が責任を取らなくともよい、となっています。これでは誰も真剣に役人の資質を検討しないでしょう!」

中常侍の呂強のこの文書は、結局見向きもされなかった。

帝好為私稸,収天下之珍貨,毎郡国貢献,先輸中署,名為「導行費」。中常侍呂強上疏諌曰:「天下之財,莫不生之陰陽,帰之陛下,豈有公私!而今中尚方斂諸郡之宝,中御府積天下之,西園引司農之蔵,中廐聚太僕之馬,而所輸之府,輒有導行之財,調広民困,費多献少,姦吏因其利,百姓受其敝。又,阿媚之臣,好献其私,容諂姑息,自此而進。旧典:選挙委任三府,尚書受奏御而已;受試任用,責以成功,功無可察,然後付之尚書挙劾,請下廷尉覆按虚実,行其罪罰;於是三公毎有所選,参議掾属,咨其行状,度其器能;然猶有曠職廃官,荒穢不治。今但任尚書,或有詔用,如是,三公得免選挙之負,尚書亦復不坐,責賞無帰,豈肯空自労苦乎!」

書奏,不省。
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中常侍とは宦官が就く役職である。宦官は古来、中国の各王朝のガンで、いわば悪の棲家と考えられていた。確かに後漢は宦官が原因で倒れたが、ここで登場する呂強のように、清廉で正義感あふれる宦官もいた事は記憶にとどめておくべきであろう。

続く。。。
コメント
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