限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

想溢筆翔:(第206回目)『資治通鑑に見られる現代用語(その51)』

2015-05-21 23:33:29 | 日記
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【149.肺腑(肺附)】P.3469、AD398年

『肺腑』とは文字通りには『肺臓』であり、現代日本語でも『肺腑を抉(えぐ)る』として用いることがある。人間は肺を取られては生きてはいけないから、極めて重大な衝撃を与えるということを『肺腑を抉(えぐ)る』という。

しかし、漢文ではもう一つの意味で用いることがある。辞海(1978年版)には『肺腑(肺附)』とは『諸侯子弟若肺腑』(諸侯の子弟は肺腑のごとし)と説明する。つまり、あたかも木の皮が樹にくっついているように、帝室の子弟や親戚が帝室にしっかりとくっついていることを言う。要は、『切っても切れない関係』ということだ。

この熟語が使われている場面は、五胡十六国時代、4世紀末の後燕の時のことである。第二代皇帝の慕容宝には息子・慕容盛がいたが、その妃の父を蘭汗といった。蘭汗が龍城を根城としていたので、慕容宝はそこに向かった。

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慕容宝は龍城から僅か十数キロしか離れていない索莫汗陘という所までやって来た。その知らせを聞いて龍城の人々は、皇帝のお出ましがあると喜んだ。しかし、蘭汗は内心秘かに慕容宝を殺そうと考えていたが、それがばれたのかと恐れて真っ青になった。龍城を出て、慕容宝の下に行って赦しを乞おうと考えたが、蘭汗の兄弟たちに止められた。そこで、蘭汗は弟の蘭加難に500騎をつけて城門から出て、慕容宝を迎えにやらせた。その一方で、兄の蘭蘭堤に他の城門を閉めて厳重に見張りをさせて、城内への出入を禁止した。城中にいた人たちは、大事件が起こることを予想したが、どうすることもできなかった。蘭加難は慕容宝を陘北でであったが、儀礼的な拝謁をしただけであった。蘭加難はあたかも慕容宝を護衛するかのように進んだが、潁陰烈公の余崇は慕容宝にこっそりと、「蘭加難の様子を見るに、どうもいまにも禍を起こしそうな気配を感じます。ここは立ち止って腰を落ち着けてじっくりと考えるべきでしょうなのに、なぜ易々と進むのですか!」と忠告した。慕容宝はその忠告を無視してさらに何キロか進んだときに、突如、蘭加難が慕容崇と縛った。慕容崇は大声をあげて、罵りながら「お前の家は肺附と関連しているおかげで、高位に登れ贅沢な暮らしができているのだ。一家を挙げて奉公してもそれでもまだ足りない位なのに、不遜にも大恩のある帝王を弑逆しようとするのか!そんなことはだれも許さないし、即座にこの城などひねりつぶされてしまうぞ。ただ、残念なのは貴様の体の肉を切り刻んで食えないことだ。!」蘭加難はうるさい、とばかり慕容崇を殺した。さらに慕容宝を龍城外れの邸に連行して弑逆した。その後、蘭汗は慕容宝に霊帝と諡した。さらに慕容宝の息子の献哀太子である慕容策と王公・卿士、合計百人ばかりも道連れに殺した。。

宝至索莫汗陘,去龍城四十里,城中皆喜。汗惶怖,欲自出請罪,兄弟共諌止之。汗乃遣弟加難帥五百騎出迎;又遣兄堤閉門止仗,禁人出入。城中皆知其将為変,而無如之何。加難見宝於陘北,拝謁已,従宝倶進。潁陰烈公余崇密言於宝曰:「観加難形色,禍変甚逼,宜留三思,柰何径前!」宝不従。行数里,加難先執崇,崇大呼罵曰:「汝家幸縁肺附,蒙国寵栄,覆宗不足以報。今乃敢謀簒逆,此天地所不容,計旦暮即屠滅,但恨我不得手膾汝曹耳!」加難殺之。引宝入竜城外邸,弑之。汗諡宝曰霊帝;殺献哀太子策及王公卿士百余人。
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慕容宝は蘭汗が身内であると、なまじっかに信じたばかりに、自分だけではなく息子、および友人たち、100人超の命を失うことになった。私が、中国の倫理観は晋以降変わってしまった、とはこういった身内の者でも、簡単に裏切りに走るようなことを指す。

続く。。。
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