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限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

百論簇出:(第127回目)『Private Sabbatical を迎えるに当たって(その5)』

2012-04-15 23:46:19 | 日記
前回から続く。。。

今回は、
 4. 東西の技術の歴史と美術・工芸・科学と技術の総合的関連
について説明しよう。

科学と技術は通常、科学技術と併称されているが、歴史的発展の経緯に関する記述は、すくなくとも私の知る限りでは、科学の方が圧倒的に分量が多い。例えば、医学や天文学などの発展については、東西文化(ヨーロッパ、イスラム、中国)のいずれに関しても数多くの書物がある。一方、技術(例えば、大砲の製造、航海術、など)に関する歴史的発展について本を探すのは容易ではない。同じく、美術と工芸も工芸美術と併称されるが、工芸の歴史的発展の経緯に関する記述は美術の方が多い。

これらはどういった原因に拠るのであろうか?

私の考えでは、技術や工芸は科学や美術と異なり、携わる人の数が圧倒的に多いのが原因であろう。つまり、科学者や芸術家というのは歴史的にみるとかなり限られた人達なので、調査対象が絞りやすい。たいていの科学や美術の歴史的発展を書いた本を見ると、各時代を画する科学者や芸術家の名前が書かれている。それに対して、技術や工芸は、名も知れぬ幾多の職人が携っている。誰がどのような貢献をしたかを特定することは困難であるので、記述も人名を挙げて個別記述するというより、全般的になりがちである。

また、技術や工芸は、発展の方向性も、科学や美術とは異なる。科学では真理探究というように、一定の目的があり、優劣がつけやすいので、だれが重要な功績を遺したかが分かりやすい。それに反して技術は当座の目的を達成すればそれ以上の進展は必要とされないので、功績を評価しにくい。また技術の発展の方向も真理探究に比べると多方面であるため評価がつけ難い。科学の発展は一次元(スカラー的)であるが、技術の発展は多次元的であるとも言える。さらに技術や工芸は地域差(バラエティ)も大きいことが包括的な理解を難しくしている。

これらの要因から技術や工芸は科学や美術と比較して歴史的展開の全体像がつかみにくいと言える。また歴史的にみて、技術に携わった人たちは『職人』と呼ばれ、学者の範疇の科学者からは一段と低く見られていた。これは東西文明問わずそうであった。また、工芸に携わった職人たちはよほどの名人でもない限りは名を知られることがなかったのに反して、画家は名前や実績が公に残され、時代の寵児となり、後世の尊敬の対象となる。こういった要因が相俟って、科学や美術が技術や工芸を卑賤視する原因となったのだと私は考える。



ただ私自身は、これらの4つの分野はいづれも人間の知的創造の営みであり、金銭や過去の歴史的評価に囚われることなく公平に評価すべきだと考えている。それと共に、それぞれの発展の経緯を他と切り離して見るのではなく、統合的に捉えるべきだと考える。例えば、ガリレオが地動説を唱えることで天文学が大いに進展したが、彼が天体観測に用いた望遠鏡は純度の高いガラスの製造されて初めて可能となった。技術の発展なくして科学の発展がなかった訳だ。こういったお互いの分野の緊密な関連の例はガリレオの例以外にも数えきれないほどあるだろうが、これらの分野を包括して歴史的発展を考えるということは今まであまりなされていない。

確かに分野的にはとてつもなく広いし、それに東西文明を統合するとなるととても一人の手に負えないように感じるだろう。しかし、この方針(分野統合、東西文明統合)で調査を進めていくことで初めて各国、あるいは各文明に特有な考え方が分かり、ひいては今後の社会および産業の発展が見えてくるだろうという予感を私は持っている。

その予感の一つは、以前のブログ『ニーダムの疑問への回答』で触れたように『中国の科学技術がヨーロッパに追い抜かされたのは何故か?』という問いかけに関連する。以前のブログではその問いへの答えとして『西洋人の原理・法則の追求』の姿勢を挙げたが、もう一つの答えもあると私は考えている。それは、ヨーロッパの科学の発展の歴史を読むと分かるが、各国の科学者達が非常に積極的に国際交流をしている。ラテン語という共通言語を使っていた中世から始まって、近世に入るとそれぞれの母国語を使って自分の発見や考えを文章にしたり講演したりして発表している。他人のアイデアに刺激されて複数の人が玉突きのようにまた新たなアイデアを発表するのである。そうして非常な勢いで知識、技能が進展していった。

こういった現象は中国・朝鮮、日本のような東アジアではあまり見られなかった。伝統の技術は工法は言うまでもなく、新しいアイデアも秘匿するのが一般的であった。この観点から東西の文明の根幹の社会性に大きな差があることが分かる。更には、東アジア諸国のなかでも、中国・朝鮮と日本は工芸の発展過程において大きな差があった。例えば、中国・朝鮮は国家が磁器の製造を一元管理したため、官業の焼き物レベルは高かったが、それが民間に普及することがなかった。一方、日本では室町時代までは言うまでもなく、江戸時代においても各藩は多少、焼き物業者の保護はしたものの、一般的には放任状態であった。そのため各地で独特の味をもった焼き物が数多く生産された。さらには、社会に於ける職人の身分が両者では差(中国・朝鮮では、日本では一般人)があったため、仕事や製品に対する情熱や伝統継承に大きな差が生まれた。私はこの両者(中国・朝鮮、日本)の差は依然として現在も存在していると考える。

このように、歴史背景を理解することで初めて、現在の中国や朝鮮(韓国・北朝鮮)の工業化がいつまで経っても何故うまくいかないかが理解できる。私が東西文明における科学・技術、工芸・美術の過去の歴史を総合的に俯瞰する、という大それたテーマに取り組みたいと考えるのは、最終的には、日本を中心とし、関連する各国の社会の現状と将来の運勢を予測したいという目的のためである。

以上、4回にわたって私が『Private Sabbatical』の期間中にやりたいと考えている4つのテーマについて述べた。これらの各々でも大テーマであるので、欲張って4つを同時に全部できるとは到底考えていない。どれだけ達成できるか分からないが、いま関心のあることをとりあえず書き出し、方向づけをした次第である。

参考図書:

  [1] "L’Histoire générale des sciences", by Rene Taton
 (English Translation : A General History of the Sciences, 4 vol.)

 [2] "A history of technology", by Charles Joseph Singer, 5 vol.

 [3] "Science and Civilisation in China", by Joseph Needham, 7 vol.


(了)
コメント (1)
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