限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

通鑑聚銘:(第1回目)『連載を始めるに当たって』

2009-09-03 17:56:04 | 日記
かつて、このブログで『読まれざる三大史書』の一つとして、宋代に書かれた資治通鑑について述べた。 
 百論簇出:(第7回目)『読まれざる三大史書』



私は、資治通鑑は史上最長の長編ドキュメンタリーだと思っている。胡三省の注のついた資治通鑑は中華書局版で1万ページ近くある。登場人物の数でいうと、大体1ページに5人もの新しい名前が出てくるので、合計5万人にも及ぶ超大河ドラマである。この長編ドキュメンタリーには中国の善悪のパターンが、極端な場合も含め、すべて網羅されている。

私は、この書にとりかかるまで、中国関係の本を一通りは読んではいたので、中国や中国人の思考方法について、自分は理解していると思い込んでいた。しかし、資治通鑑を通読すると、そういった安直な中国観がこっぱ微塵に砕かれてしまった。まさに『群盲象をなでる』そのものであった自分を発見したのであった。

論語、孫子や史記などの時代、つまり春秋から漢にかけては王道政治が、たとえ手の届かないと言っても、理念自体は輝いていた時代であったといえる。しかし、後漢の混乱から三国志、晋に下るにつれ、周辺の異民族が中原に侵入し、混乱がその極に達した。その様子を資治通鑑は冷酷なまでの正確な筆致で記述を運んでいる。

私が想像するに、司馬光は資治通鑑を書きながら、血の涙を流していたに違いない。『我々の歴史は、なんという不幸の連続なんだろう!天というものがありながら、このような災厄がこの偉大な漢民族に降りかかるのはどうしてなんだ?』と絶望的な叫びをあげていたに違いない。

次々と発生する、盗賊や軍閥の理不尽な寇掠と暴行、それに引き続いて起こる大飢饉。まさに広大な生き地獄の世界が幾度となく繰り返される。つかの間の平和も、官吏の底なしの苛斂誅求と宦官や悪徳官僚の桁違いの賄賂政治。どこを見ても、義などは存在しないように見える悖乱の世界、それが、文化栄えたる中華と言われた所なのだ。いつの時代でもこの本を真剣に読んだ人は中国の歴史に限りない絶望感を感じたに違いない、と私は確信している。



さて、過去の中国の巨悪が連綿とつづられているこのような書を、現代の我々日本人が読む意味は一体どこにあるのだろうか?

資治通鑑は、中国の古い時代の歴史書である。カバーしている範囲は、ざっくり言って、紀元前500年から紀元後1000年の1500年間なので、一番新しい記事でも今から1000年も前の話である。また、資治通鑑が書かれた後の1000年には、モンゴル・元や満州・清などの異民族が漢土全体の支配するという漢民族にとっては屈辱の歴史もある。経済的にも、国際関係も近年に大幅に変化した。こういった変化した中国近代の歴史は資治通鑑には記述されていない。

しかし、現在の中国のいろいろな問題、共産党幹部の賄賂・汚職、環境問題、チベットやウイグルの民族問題、都市と農村の格差問題、これらの問題の類似の事例が資治通鑑には必ず見つかるのだ。ビジネススクールでは、ケースと呼ばれている、過去の実例をベースに思考訓練する科目がある。まさにこの意味で資治通鑑は『中国に関するケースの缶詰』である。

結論を言おう。私は、資治通鑑を読んだあとに確信したのは、『資治通鑑を読まずして、中国は語れない、そして、中国人を理解することも不可能である』ということであった。

しかし資治通鑑を通読するのは難行であるのは、私自身体験したのでよく分かっている。それで、私が資治通鑑のなかで印象に残った文句(必ずしも、名言ではない!)を順次、取り上げ、説明することで、この名著を少しでも分かってもらおうと考えた。

次回からは、大体2日に一回、中華書局版の最初から1239ページのところ(全294巻中の第39巻)、つまり漢書の終わったあたり、後漢の光武帝の創業、から始める。
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