癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

山陽道21日目・小月宿~50長府宿~51下関宿~永福寺〈22km〉(5時間15分)

2020年12月06日 | 登山・旅行

 いよいよラストウォークである。今日も天気は最高。ここ数日で最も暖かかった。距離も短いのでのんびりと歩き、長府宿を含めた長府市街地ではあちこち寄り道した。 

 無事に、京都から23日で、山陽道起終点碑のある永福寺前でゴールできた。

 ゴール後のミッションだった、渡船で門司へ渡り、関門トンネルの人道をあるいて、下関へ戻ることもできた。

小月宿~長府宿

 スタートを遅くしたので、無料の朝食も食べることができた。昨日もカレーを食べることはできたが、それ以外のほとんどは、食べなかったり、食べても、コンビニで簡単なもので済ませていた。

 下関駅から小月駅まで戻り、7:45に、昨日のゴールド地点をスタート。

 これまでの五街道歩きでは、飽きるほど目にしてきた道祖神を、今回のの旅で初めて目にした。しかも、これまでに見たことのない、ミニ社(やしろ)スタイルである。庚申塚もこの道祖神も、目にしたのは長州だけである。

 このあと、しばらく人家も途切れ、田畑の中の歩きが続く。

 清末地区へ入ると、神田橋と橋本家長屋門の案内標識が出てくる。5分ほどで、「橋本家長屋門」が現れる。この門は、清末藩邸の第一裏門で、明治6年の藩邸処分の際に買い取られ移築されたものだという。

 やがて、神田川をわたる「神田橋」へ。ここが清末藩と長府藩の境界である。アーチ型の珍しい橋である。「文化八年」と彫られた石橋時代の高覧と石柱もある。

 久しぶりに一里塚が登場。「宇部一里塚」となっているが、宇部市の宇部でなく、この辺りの古い地名なのであろう。

 国道2号と並行して、旧道は続く。やがて、長府駅が近づいてくる。

50長府宿~下関宿

 長府駅前には「維新の里 城下町 長府へようこそ」の看板が立っている。しかし、長府宿はかなりまだ先だった。

 やがて、急に道が広くなり、新しいながらも、古さを生かそうとする明るい感じの町並みとなる。

 そこを過ぎると、また狭い道幅の商店街となる。

 ちなみに、長府とは、周防国の国府が置かれた防府に対し、長門国の国府が置かれたので長府と呼ばれるようになった。中世には長門守護所や長門探題が置かれ、西国防衛の要衝であった。

 お寺や神社が非常に多い。その中の「天然記念物 正円寺の大イチョウ」に引かれて、寄ってみた。樹齢は不明だが、「乳の下垂」といわれる突起が発達して垂れ下がっている。

 街道から少し外れるが、「維新発祥の地」碑を見に行く。長府が高杉晋作の回天義挙があった明治維新発祥の地であることを記念するもの。

 街道へ戻ると、正面に忌宮神社がある。長府は古代からこの神社を中心に阪田ところで、14代仲哀天皇が九州平定のために西下、穴門(長門)豊浦宮を興して7年間政務をとった地といわれる。

 さらに進むと、「乃木さん通」商店街となる。ここは、乃木希典の生地でもある。 

 やがて、右折すると、「長府古江小路」へと入っていく。なんとも趣のある小路である。

 古江小路の長い塀が「長府毛利邸」である。長府毛利家第14代当主である毛利元敏によって建造された武家屋敷造りの邸宅。

 さらに、その奥の「功山寺」へ。ここは、紅葉の名所でもあるが、鎌倉時代創建、唐様(からよう)建築の美しさを保つ仏殿は、わが国最古の禅寺(ぜんでら)様式を残しており、国宝に指定されている。

 境内には「高杉晋作回天義挙像」がある。回天義挙とは、元治元年12月15日に高杉晋作ら正義派の長州藩諸隊が、俗論派打倒のために功山寺で起こしたクーデター。 これに端を発する長州藩内の一連の紛争を元治の内乱という。 

 日曜日で観光客で賑わう長府宿を抜け、緩やかな峠へと登っていく。

 下り始めてまもなく、車が止まり、声を掛けられる。拙サイトの古くからの愛読者で、時々コメントを下さる、下関在住のTS山口さんである。わざわざ逆から捜しながら走って来て下さった。うれしい初対面が叶った・・・感謝・感激・感動である。

 さらには下っていくと関門橋と手前の町並みが見えてくる。さらに、下っていくと、海峡を挟んだ九州の門司が見える。

 海岸に出る手前で、街道から外れるが、「前田砲台跡」を見に行く。

 せっかく海岸が近くなったのに、再び、急な坂道を登っていく。この辺りは旧道が消えているところらしい。それにしては、やたらと曲がり角の多い複雑な登りだった。久し振りに汗をかいた。

 やがて。下り始めて、旧道に戻ったようだ。海峡を行き来する船が見える。1日に6~700隻は通過するらしい。

 国道に出ると、「壇之浦古戦場址」を中心とした歴史公園になっている。

51下関宿~永福寺

 関門橋の下を通るが、潮の流れがものすごく速い。時速18kmとか。これが1日に4回流れの向きを変えるという。

 やがて、赤間神宮が現れる。赤間関ほ下関の旧名とのこと。

 旧道へ入ると、角に「本陣伊藤邸跡」の碑がある。この伊藤邸には、坂本龍馬とおりょうがお世話になって、新婚生活を過ごしたとか。右の石鉢は西郷隆盛が手を洗ったとか。

 その地点から、先の街道の町並みを写したが、道幅以外は、当時の面影はない。

 さらに進むと、金子みすずの写真と詩が掲げられた碑がある。この辺りの書店で過ごしていたようだ。

 その先に「馬関越荷方役所址」の碑もある。

 赤間本通り商店街は、当時の宿場の中心部で、とても賑わっていたという。

 その交差点の向かいに下関市役所がある。その前を通り、ゴールの永福寺を目指す。

 13:00、京都をスタートして23日目で、永福寺前の「山陽道起終点一里塚跡」に無事到着。なお、赤間関街道とほ、ここから萩までの街道である。

 そばを通り掛かった方にお願いしてシャッターを押してもらった。

 国道を挟んだ向かいにそば屋があったので、祝杯の生ビールと鴨つけそばを注文した。

関門海峡を往復

 当初から、ゴールしたら、関門海峡を行きは渡船で、帰りは関門トンネルの人道を歩いて往復する計画だった。

 ゴール地点から10分ほど戻って、唐戸桟橋から渡船に乗る。目指すは、向かいの門司である。わずか、10分で到着。

 シックな門司駅と、駅前の「バナナの叩き売り発祥の地」を見る。

 門司駅の裏から、門司港レトロ観光列車に乗り、関門トンネルの人道入口へ。終点で降りて、関門橋を眺めて、人道入口へ。

 エレベーターで下へ降りて、780mの人道を歩いて、下関へ戻った。

 このあと、バスで下関駅まで戻り、カフェでブログアップをした。

 これからは、駅から1kmほどのところに1軒だけある天然温泉に入って、夕飯を摂り、23:30発の大阪までの夜行バスに乗る予定。

 下関から函館まで帰るには、大阪まで夜行バス(4000円)に乗り、伊丹空港からシニア割引を使うのが一番安上がりだ。

 

 温泉から駅へ戻って、近くの居酒屋で、串焼きで打ち上げ。北海道では定番の豚串がない。

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19 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (ken-ayumomo)
2020-12-06 21:00:10
無事ゴールおめでとうございます㊗️
函館までの帰路、どうぞお気をつけて。
おめでとうございます! (田舎おじさん)
2020-12-06 21:03:07
初志貫徹、おめでとうございます!
強靭な体力、そして強固な意志で23日間歩き切った最後の晴れ晴れとした笑顔が印象的です。
年齢を感じさせない“若さ”とその“行動力”に改めて敬服いたします。
およそsakagさんの真似はできませんが、刺激だけはいつもいただいています。またまだ夢がおありとうかがっています。いつまでも若さいっぱいで挑戦されることを願っています。
本当におめでとうございます!!
バナナ (赤ワイン)
2020-12-06 21:27:51
京(みやこ)から下って維新に到るというのも一興ですねー。
なんか終わってみればアッという間でしたけど・・・読む方にとって。

門司のバナナと言えば、小沢正一さんが啖呵売とか追熟とかラヂオで語っていましたねー♪
Unknown (anrinana)
2020-12-06 21:35:06
おめでとうございます♪お疲れ様でした。
毎日今日もお元気かなと読ませていただいていました。ご自宅までどうぞお気をつけて!
kenさんへ (sakag)
2020-12-06 21:51:32
毎日のお付きあい、ありがとうございました。
あっという間の楽しいに日々でした。
帰ったら、12日には札幌国際スキー場でスキー講習頼まれています。
そちらは、冬モード突入ですね。
田舎おじさんへ (sakag)
2020-12-06 21:54:32
毎日のお付きあいありがとうございました。
何とか、無事に歩き切ることができました。
歩きより、ブログアップの方が、目が疲れます。
歩けるうちは歩き続けたいものです。
来春は、みちのく潮風トレイルです。
赤ワインさんへ (sakag)
2020-12-06 21:57:36
毎日のお付きあいありがとうございました。
まさに、薩摩藩や長州藩などの維新の街道でした。
バナナの叩き売り発祥の地、偶然、初めて知りました。
anrinanaさんへ (sakag)
2020-12-06 21:59:17
毎日のお付きあいありがとうございました。
明日は、冬の函館へ帰ります。
お会いできて光栄です! (TS山口)
2020-12-06 22:32:35
今日は突然で、話したいことの十分の一しか申し上げられず、失礼しました。唐戸市場前の亀山八幡宮(氏神様)にお参りして、まだお見えになっていないかと思い、遡ってる途中でお会いすることが出来ました。意外なほど軽装の旅姿に驚きましたが、すぐに判りました。どうかお体大切に、良いお年をお迎え下さい。勝手ですがヤマレコのマイページ日記欄に掲載させていただきました https://www.yamareco.com/modules/diary/31793-detail-225707
Unknown (てくてく人)
2020-12-06 22:40:07
山陽道完遂おめでとうございます!
ほぼ当初の計画通りの23日間でした、すごいです。途中の計画変更も臨機応変でとても真似できないなあと思いました。
山陽道は極めて古い歴史がありますから東国の街道には見られない古い史跡が多かったように感じます。それでも旧道がまだまだ残っていたのは意外でした。そんな部分を沢山教えてくれました。sakagさんのような山陽道完全制覇は到底無理ですが、部分部分をつまみ食いでも歩きたくなりました。
出来得ればまた新たな街道に挑戦していただきその魅力を紹介していただきたいものです。
本当に今回はご苦労様でした。そして貴重な街道情報をありがとうございました。

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