癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

6日目 16由比宿~17興津宿~18江尻宿~19府中〈23.7km 〉

2017年05月31日 | 登山・旅行
 昨夜は、8時頃に眠りに就いた。スタートが遅いこともあり、安心して10時間近くも爆睡。疲れがすっかり抜けたようで足も軽い。

    
 朝食も摂り、予備日もあるので、予定を1宿手前の府中までとした。府中とは、今の静岡である。初めて知った。恥ずかしい。宿も見つけやすかった。8時にスタート。

    
 県道から離れ、薩捶(さった)峠の登り口へ。

    
 その上にも集落があり、峠越えを控えた倉沢は間の宿だったようだ。本陣跡や旅館などが立派な古民家が残っている。

    
 その上は、狭い街道の両側にはビワと甘夏みかんが栽培されていて、丁度収穫作業をしていた。

    
薩捶峠のピーク

    
 下っていくと、眼下に高速、国道1号、東海道本線、県道の4本が所狭しと通っていた。天気か良いと奥に富士山が見えるらしいが、今日は曇って見えなかった。

    
 由比側は舗装道路だったが、興津側は自然道でバイキングコースにもなっていた。写真のように、こんな所を大名行列か通ったのかと思うような所もあった。

 興津川を渡ると、旧国道1号と合流し、興津宿へと入っていく。現在は、国道1号の開発で、宿場としての面影はほとんど残っていないという。

    
 それでも、立派な水戸脇本陣が残っていた。ここは、右の建物が、終戦後まで旅館として営業していたらしい。

    
 興津駅を過ぎて進んでいくと、線路を挟んだ高台に建つ清見寺(せいげんじ)に寄ってみた。とても立派な庭園もそなえた大きな寺だった。豊臣秀吉が陣鐘として用いたという梵鐘、家康が愛したとされる庭園、朝鮮の使節がよく利用した寺だったり、琉球王子の墓もあったりと見所の多い寺だった。

     
 さらに、境内の奥には、五百羅漢もあった。

    
  さらに国道を進むと、西園寺公望の別邸「興津坐漁荘」があった。新しいので聞いてみたら、建て替えしたらしい。

    
 さらに進むと、道の分岐に「ほそいの松原跡」がある。昔は、この辺りは立派な松林だったが、太平洋戦争の終盤に飛行機の燃料として、松根油を採るために伐採されてしまった。

    
 やがて、江尻宿へと入っていく。ここは、清水港で栄えた宿場だが、商店街になってしまって、なにも残ってない。ただ、寺尾本陣跡の碑があった。

 街道からはなれれば、清水次郎長の生家や墓が見られるらしいが、往復2kmが億劫でパス。
   
    
 ほとんどシャッター街の商店街を抜けると、可愛いかっぱが乗った「稚児橋」がある。家康の命で架けた橋で、渡り初めの際に、川からかっぱの稚児が出て来て渡ったのが名前の由来だそうだ。

    
 だんだんビルが立て込み増えてくると静岡市街地にある府中宿へと入っていく。この写真は、宿東の入口の「東見附跡」。

 府中宿は、家安が晩年を過ごした駿府城の城下町として栄えた。駿府では最大の宿場だったが、やはり、商店街に吸収されて、その面影はない。

    
 商店街のど真ん中に立っていた「西郷 山岡会見の地」碑。この両者のこの会見で、江戸城の無血受け渡しが決まったという。

 15:00、ここを今日のゴールとして、駿府城跡公園へ。ここまでで、今回の最短7時間。

    
 東御門と巽櫓。ここが公園の入口

    
 徳川家康の銅像も立っていた。

 16:00、今日の宿となる、静岡駅近くのオレンジホテル到着。素泊まり4,750円。

     
 ホテルの近くに、静岡名物を食べさせてくれる居酒屋があった。「しずおかおでん」(黒い醤油を使う)と「しずおかめし」(まぐろ、漬けかつお、かつおぶし、しらす、山椒漬けなど)


2 コメント

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快調なようで… (田舎おじさん)
2017-05-31 19:28:28
快調に予定をこなされているご様子、なによりです。
私は、鬼の居ぬ間に、いやいやsakagさんの居ぬ間に函館にお邪魔しています。今日は蝦夷松山、明日は恵山、そしてもう一日どこかを登りたいと思っているのですが…。
軟弱な私でも単独山行できるところはありませんかね?
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田舎おじさんへ (sakag )
2017-05-31 20:08:10
私がいるときに来ていただければよかったのに~。
駒ヶ岳はもう登られていますか?
1時間ほどで、現在の頂上とされている馬の背まで登れます。
あと、帰り道の写万部岳も簡単ですよ。
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