癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

東海道第2弾 3日目・水口宿~51 石部宿~52草津宿〈24.9km 〉

2017年11月05日 | 日常生活・つぶやき
 昨年の中山道歩きで、東海道と合流する52草津宿から、53大津宿~京都三條大橋は歩いているので、東海道歩き旅は、今日の草津宿までがラストウォークとなる。

 5:30にホテルを出て、JR野洲~JR草津~水口石橋(近江鉄道)と乗り継いで、6:50水口宿をスタート。昨日頑張ったおかげで、今日は距離が短い。ゆっくり歩いた。

     
     水口宿にあった義富久酒造

     
 水口宿を抜けると、珍しく両側に田畑が広がる開放的な景観の中に、まっすぐな一本道が続く。

     
 1時間ほどで野洲川にぶつかる。岸辺に文政5年(1822年中)に建てられた、東海道中で最大級の常夜灯が立つ。

     
 ここは、東海道13渡しの1つとされる横田の渡しである。現在は1km川下の横田橋を渡る。

     
 目の前にトンネルが見えてくる。大沙川トンネルだが、川床が高く、道路の上を川が流れる天井川である。

     
 不思議な感じたが、潜り抜けた所から上の弘法杉(樹齢750年)の根元へ上がる道があったので登ってみた。確かに用水路のような川が流れていた。
 さらに、同じような由良川トンネルもあった。昔、何度も氾濫を繰り返して川床が高くなったそうだ。今のように整備されていない昔の旅人は堤防をよじ登り、浅瀬を渡ったらしい。明治になってからトンネルが掘られた。

     
 由良川トンネルを抜けた辺りから、街道風情を感じさせる重厚な造りの家並みが続く。北島酒造もその1つである。

     
 途中の公園にきれいな紅葉の木を見つけた。

     
 やがて、51番目の石部宿へ入っていく。しっくい壁、むしくい窓、格子戸のある古い家民が多い。

     
   2軒あったらしい1軒の本陣跡の説明板

     
 やがて、右手に近江富士と呼ばれる三上山を見ながら進む。中山道のときは、左手に見て進んだ記憶がある。

     
 間(あい)の宿だった六地蔵には、腹痛の漢方薬和中散を売っていた旧和中散本舗がある。
 家康が飲んでたちまち治ったことから、彼が名付けて全国的に有名になり、旅人が列をなしたそうだ。シーボルトも求めたと伝えられる。
 現在は製造は行われていないが、その「ぜさいや本舗」の立派な造りは、当時の賑わいを偲ばせる。

      
 ここだけではないが、宿場以外の街道沿いにも、江戸時代の店の種類や名前などの札が下げられている。

 昼食が食べれるところは街道沿いのはほとんどない。たまたま、近くの1本違う道路沿いにはコンビニを見つけたので、弁当を買ってイートインスペースで食べた。

      
 目川地区は、東海道名物田楽発祥の地である。
 やがて、52番目の草津宿へと入っていく。

      
 13:10、昨年歩いた中山道と東海道との合流点へ到着。昨日頑張ったお陰で、今日は6時間半でゴール。

 このあとの草津宿~大津宿~京都三條大橋までは、昨年歩いているので、江戸時代の追分「左中山道美のぢ、右東海道いせみち」と刻まれた石碑前を今回のゴール地点とした。

 最終日・草津~大津~京都三条大橋は下記でどうぞ!
 http://blog.goo.ne.jp/sakag8/d/20161119
 なお、草津宿の説明や写真は、上記の前日のページで見られます。


 JR草津駅まで歩き、駅前の近江ちゃんぽん専門店があったので、野菜大盛りちゃんぽんとビールで、とりあえず、東海道踏破の打ち上げをした。
 
 明日からは伊勢街道へと舞台は移る。伊勢街道と東海道の分岐となる日永追分の近くのJR南四日市までJRで戻った。宿は、一昨日と同じ、素泊まり2700円の旅館みやま荘。16時には宿に着いて風呂に入った。

 ブログは、移動中にほぼ打ち終わったので助かった。