癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

熊野古道伊勢路1日目・伊勢神宮(外宮)~野中~女鬼峠~栃原~川添~三瀬谷<41.6km>

2017年11月09日 | 登山・旅行


 すでに中辺路と小辺路を歩いている「熊野古道」とは、熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)へと通じる参詣道の総称である。道は三重県、奈良県、和歌山県、大阪府に跨り、紀伊路(渡辺津-田辺)、小辺路(高野山-熊野三山)、中辺路(田辺-熊野三山)、大辺路(田辺-串本-熊野三山)、伊勢路(伊勢神宮-熊野三山)がある。

 これらの多くは、2000年に「熊野参詣道」として国の史跡に指定され、2004年に「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部としてユネスコの世界遺産(文化遺産における「遺跡および文化的景観」)として登録された。

 今回歩くのは、伊勢神宮と熊野三山の二大聖地を結ぶ「熊野古道 伊勢路」である。伊勢神宮から、いくつもの険しい峠を越え、熊野三山を詣でるために通った“祈りの道”である。古くには、「伊勢に七度、熊野に三度」という言葉もあったほど、誰もが訪れたいと願う憧れの地であり、そのような「熊野古道 伊勢路」には、今でもその景観や歴史、文化が随所に息づいているとのこと。

 特に楽しみなのは、石畳などいにしえの雰囲気を色濃く残している峠越えが、毎日のように合計10ヶ所もあることだ。熊野三山は中辺路・小辺路のときにすでに詣でているし、それらを結ぶ古道も歩いているので、今回は、最後は七里ヶ浜の花の窟神社から直接熊野本宮大社を目指す未踏の「本宮道」を歩くことにした。
 ガイドブックは小辺路・中辺路を歩いたときに買った『熊野古道を歩く』(山と渓谷社)の必要な部分を剥ぎとって持参した。

     
 宿での朝食をいただく。旅に来ている感じがする。6:47、二見浦駅から伊勢市駅まで電車に乗った。降りたらスタート地点の伊勢神宮外宮の参拝道だった。

     
 7:10、外宮前をスタート。昨日来た道を少し戻り、川のない筋向橋が伊勢街道と熊野古道の分岐だった。

     
 宮川の土手にぶつかる。昔は柳の渡し場のあった所だか、今はすぐ下流の度会橋を渡る。

     
 田園風景の中の県道を歩くと、やがて田丸町へ入って行く。田丸町は城下町なので、6回ほどジグザク直角に曲がる道があり、その全てに標識があり、分かりやすい。

     
 城下町だけに古そうな重厚な家も多い。

     
 曲がり門に昔からの古い道標が立っている。

     
 田丸の市街地を抜けて県道を歩き、原の手前で旧道に入ると、西国三十三観音像33体か祀られた巡礼道引観音がある。巡礼者が旅の安全を祈ったと伝わる。

     
 やがて、旧街道の雰囲気を残す野中へ入っていく。

     
 野中の市街地から山に向かう道に入ると、女鬼峠への標識がある。

     
 1.8㍍を超す野中の道標。

     
 いよいよ楽しみにしていた鬱蒼とした女鬼峠へと入っていく。どこにでも標識と幟がたっているのがうれしい。

     
 千枚岩の上に昔の荷車の轍か残っている。

     
 茶屋跡を越えると、千枚岩の岩壁を掘削した道が女鬼峠である。その手前から展望台への道があったので登ってみた。

     
 展望台からは、このあとの下りていく相鹿瀬の集落が見える。

     
 峠から下っていくと、如意輪観音がある。

     
 やがて、茶畑が広がる相鹿瀬へと下りていく。

      
 県道を絡みながらしばらく行くと、柳原観音千福寺がある。聖徳太子作と伝わる観世音菩薩が本尊で、古くから広く信仰を集めているらしい。

     
 やがて、栃原へと入っていく。昼をかなり過ぎた所に1軒だけ小さなコンビニかあったので、サンドイッチを買って昼食とした。

     
 栃原の茶屋集落に入っていくと、今日の宿となる岡島屋がある(宿のことは最後の方に記載)。まだ13時過ぎだったのでリュックを預ける。
 戻ってくる列車が17時台までないので、ご主人の助言を受けて、今日のゴール予定だった川添を越えて三瀬谷駅まで歩くことにした。

      
 しばらく県道歩きが続き、猿木坂の標識に従って細い山道を下ると、川にぶつかる。渡渉して登り返す。こんなワイルドなところもあった。

      
 少し進み、また細い山道を下ると「殿様の井戸」(湧水池)を通る。江戸時代に鷹狩りに来た殿様のお気に入りの休憩場所だったらしい。

      
 再び国道を歩き、旧街道の下楠集落へと入っていく。上楠集落へ入ると、今日のゴール予定だった川添駅だったが、まだ14時過ぎなので、先へ進む。

     
 川添駅を過ぎて、下三瀬には昔の三瀬の渡しがあった。渡船のない今は、3km以上も先に進み、大きく迂回しなければならない。

     
 粟生で国道に出ると、道標地蔵が立っている。地蔵様の右と左にそれぞれの進む道が彫られている。
 ここから緩やかな国道の登り坂が続く。

     
 やがて、国道から別れて下三瀬へと入っていく。途中に「三瀬砦跡」がある。ここは、室町時代から戦国時代まで当時の武将に砦として利用されていたらしい。

     
 やがて、旧街道は三瀬谷駅前を通る。
 16:00、ここを今日のゴールとした。2回目の40km超えを約9時間で歩き通した。

 16:59の列車を待つ間、ブログの写真の選択などをした。電車に乗り、栃原で下車して、旅館岡島屋へ。

     
 この岡島屋(2食付き7000円)は、天保7年創業の宿で、昔は20軒ほどあった旅館の中で、唯一営業を続けている。
 美味しい夕食を食べ終わる頃、ご主人が顔を出したのでお話をした。サラリーマンだったが、退職後にこの宿を継いだそうだ。さらに、退職してから始めた山の魅力に取りつかれたとのことで話が弾んだ。今年槍ヶ岳に登って感動したそうだ。
 おまけに、お世話になって年賀状のやりとりをしているヤマケイの小林千穂さんも今年泊まって行ったそうだ。

 夕食後、ゆっくりとブログをアップした。