ニセコ生活

2000年4月にニセコに移住、その生活を紹介します。

級友

2010-10-25 04:52:28 | Weblog
朝7時25分羽田発の飛行機に乗り、千歳に着いた。この飛行機には小中学校の同級生8名も俺のスケジュールに併せ、同乗し、ニセコに来てくれた。

一学年一学級の田舎の小中学校で学び、野郎29名、女子14名のクラスだった。ごうの寅の関係で女性が極端に少ないクラスだ。そのクラスのうち、男女4名、8名がニセコに遊びに来たのだ。本来なら還暦祝いにお伊勢さん廻りを行うのが地元の習慣らしいが「お伊勢廻りよりニセコに行くべ」と俺の飛行機に併せ、ニセコにやってきてくれたのだ。

支笏湖、洞爺湖巡るか、小樽経由でニセコに入るか迷ったが結局小樽廻りを選び、ジャンボタクシーと俺の車で小樽へ向かう。ニシン御殿や貴賓館へ案内されても「外から見るだけでヨカッペ」と中には入らない。

俺の生まれたところ茨城県旧石下町と言うところは茨城訛りが非常にきついところだ。「い」と「え」の発音が出来ない人も多いのも特徴だ。勿論俺も訛りが抜けないし「い」と「え」の発音がイマイチハッキリしない。

タクシー運転手の知っている寿司屋で昼飯。「お任せ」握りが4200円に驚き、「任せられない」と言ってはビールをガンガン飲み、たらふく食べる。

昼飯の後、分かれ、夜6時に再会。炉端風居酒屋タテノで一杯やる。女性陣はあまり飲めない連中だがドリンク剤を飲んで、アルコールを口にしていた。皆さん、年の割には「美味しいねぇ-」と言って、よく食べ、よく飲んでくれた。

でも幹事から8名でニセコ行くと聞いたときは正直「嘘だろう」と思った。良く8名も集まったな、と。健康で無ければならない、時間がなければならない、資金もなければならない、何よりも家族の理解がなければならない。この4点セットがなければニセコには来られない。その中で8名も集まるなんて。

夜6時から11時過ぎまで一杯やってしまった。俺もアルコールインサイドだが中犬ハナ公も戻すほどたらふく食べたようだ。

我が級友、お伊勢さん廻りよりニセコに来て良かった、と思ってくれるのだろうか。


10月25日朝。今日は函館に向かう。
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