ニセコ生活

2000年4月にニセコに移住、その生活を紹介します。

暑い

2005-07-30 12:00:09 | Weblog
 朝10時に羽田について、家に電話をいれた。お客さんが朝8時半頃みえるはずだったのだ。しかし、勘違いというより俺のミスでお客様は帰られたという。ガッカリだ。申し訳ないことをしたと落ち込んでしまった。電話で謝ったが反応は芳しくなかった。逆の立場だったらと思うと良く理解できた。
 これから契約に行くというのに落ち込んでしまった。地下鉄に乗った。座って何気なくトイメンをみるとテレビ番組の宣伝か、「坂本九物語、上を向いて歩こう」というポスターが貼ってあった。そうだ、上を向かなきゃと思い、前向きになれた。ラッキーなポスターだった。
 東京は暑かった。33度の予報だったが、腕時計のベルトに汗が、膝下のズボンは汗でぬれている。7年前まではこの天気にネクタイ、スーツで会社に行っていたのが信じられない。契約場所は麻布台1丁目、ほとんど緑がない。農道の半分くらいの狭い道を外車が走る。草も生えていない、土なんて全然ない。アスファルトとコンクリートだ。暑さが北海道とは違うのだ。北海道の暑さはキリリとした感じ。東京はムッとしたようなボァとしたような何か変な暑さだ。
 新宿のラーメン屋で昼飯を食った。偶然にも隣は同期入社のK君。あまり話しをしたこともなく、酒も飲んだことがない、珍しい同期だ。いつ会社を辞めたか聞かれる。答える。彼が言う。「それじゃ、会社の情報は入ってこないね」と。俺は答える。「必要ないよ」と。彼は会社で頑張っているようだ。
 契約はスムーズだった。あっさりで、このまま北海道に帰れるほどだった。電話をしたら雨が降っているとのことだったので泊まることにした。しかし、時間がある。パチンコもやったが全然だめ。神田から大手町を歩く。元いた会社の建物にはスターバックスコーヒーが。だいぶ変わった。産経新聞のビルも建て変わりビックになった。昔、高かったビルが今は低くなっている。30年以上前だ。変わるのはもっともだ。
 夜、5人を呼び出し、神田で一杯。たいした焼鳥屋じゃなかったが結構混んでいた。お客を断るほどだ。凄いね俺の愛する神田は。7月30日、曇り。朝一番の飛行機で帰る。
コメント
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